飯島一孝ブログ「ゆうらしあ!」

ロシアを中心に旧ソ連・東欧に関するニュースや時事ネタを分かりやすく解説します。国際ニュースは意外と面白い!

キルギスの民族衝突は旧ソ連時代の「悪しき遺産」のせい!?

2010年06月14日 09時41分41秒 | Weblog
 中央アジアの小国キルギス南部で起きているキルギス人とウズベク人との民族対立はさらに激化し、「南部の首都」とも言われるオシからジャララバードに拡大している。死者は100人以上、負傷者も1千人を越えたと伝えられる。バキエフ政権の崩壊がなぜ民族紛争に転化したのだろうか。

 発火点になったオシは、シルクロードの拠点のひとつで、8世紀ごろから植民都市として知られている。市街には中央アジア最大の青空市場があり、ウズベキスタンの国境は目と鼻の先だ。人口は20万人ほどだが、キルギス人、ウズベク人、ロシア人、タジク人などが混在する「民族のるつぼ」である。

 もともと中央アジアはトルキスタン(トルコ人の土地)と呼ばれていて、多民族が自由に行き来する土地柄だった。ところが、ソ連が1920年代にこれらの地域を無理やり5つの国に分割したのだ。スターリンは当時、イスラム共同体とトルコ系民族が団結するのを恐れて、わざわざ入り組んだ国境線を引いたという。その強引さが今日の民族紛争を引き起こしているのだ。

 オシ周辺での最大の民族衝突は、ソ連崩壊の前年の1990年に起きた。キルギス人とウズベク人が土地の境界線画定を巡って対立し、死者・行方不明者約600人にのぼった。ソ連崩壊後、5共和国が独立してからも小競り合いが続いていた。今回は6月10日の暴動から始まっており、紛争地域がオシ北方のジャララバードに拡大している。

 現地からの報道では、オシよりもジャララバードのほうが緊張が高まっており、5千人前後の群衆が石や棒などを持って市街地に集結、ウズベク人の移住を要求している。その中心は武装した若者グループで、大規模な放火や略奪を行っている。すでにウズベク人約7万5千人がウズベキスタンへ避難したとの報道もある。キルギス暫定政府はロシアに対し平和維持部隊の派遣を求めているが、ロシア側は単独での派遣に慎重な姿勢を示している。

 キルギス南部地域は、4月の政変で国外追放されたバキエフ前大統領の地元であり、同政権の崩壊で重石が取れ、これまでの不満がウズベク人に向かったということだろう。これまでの衝突でパキスタン人留学生1人が死亡したうえ、15人の留学生が人質に取られているとの情報もある。

 ロシアは14日、旧ソ連の親露派で構成する集団安全保障条約機構会議を開催して今後の対応を協議する。だが、米国もキルギスのマナス空港をアフガニスタンでの対テロ戦の基地として使用しており、国際的な枠組みでの協議が必要になろう。キルギス政変は、米露の協調関係を揺るがしかねない、危険な火種に転化しつつある。
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