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「新生ロシアの主任設計士か、それとも国家の破壊者か。エゴール・ガイダルはある人々にとっては英雄であり、他の人々にとっては敵である」
ロシアの有力経済紙コメルサントはリードでこう書き、ガイダル氏は歴史の教科書では定位置を占めているが、評価は今のところ二流だと指摘している。
当時のロシアは、70年以上続いた社会主義経済を廃棄し、それに代わって市場経済を導入することになった。だが、導入の仕方には、一気に市場経済化を進めるか、それとも徐々に進めるかの2通りの方法があった。エリツィン大統領は前者を選択し、30代半ばの経済学者ガイダル氏をその責任者に抜擢し、第一副首相(のちに首相代行)に任命した。まさに大英断だった。
当時、私はモスクワ特派員として市場経済化のスタートを間近で体験したが、92年の1月早々、突然物価の統制をはずし、自由価格にするという、まさにショック療法だった。そのころ、物価の指標は肉類の価格だったが、翌日から一気に10倍に跳ね上がった。パンなどの生活必需品は除外されたが、そのほかの物価は軒並み急上昇した。その代わり、いままで国営商店にはなかった品物がどっと出回った。ただ、給料は物価に追いつかず、庶民は品物はあっても買えないという状態だった。
結局、この1年間に物価は26倍(インフレ率2509%)アップするという、ハイパー(超)インフレに見舞われた。経済は大混乱に陥り、ガイダル氏は同年12月、責任を取らされる形で辞任した。だが、当時のロシアで、ほかに方法があっただろうか。緩やかに移行するという道をとったら、改革はどうなっていただろうか。
改革派の同志だったネムツォフ元第一副首相は、英字紙モスコー・タイムスにこう語っている。
「多くの国民はガイダル氏が嫌いで、憎んでいる人もいるが、彼の死がそういう人たちの目を開いてくれるだろう。彼は間違いなく新しいロシアの創設者の1人で、彼のお陰で今の指導者たちは自分たちの業績を自慢できるのだ」
ガイダル氏はその後も改革派政治家として、ぶれることなく活動を続けた。強権的なプーチン政権にはかなり批判的で、一時毒物を飲まされて重態に陥ったこともあった。真相は不明だが、プーチン政権ににらまれていたことは間違いない。心から冥福を祈りたい。