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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

歴史認識をめぐって

2013年12月28日 22時12分20秒 | 思考試行

歴史認識というのは、誰が考えても、同じものになるのであろうか。地球が太陽を回っていることは、今や誰も反対しない。かつては、キリスト教会に、そんなことをいう奴は、異端者であるとして、殺されてしまうこともあったのである。(なんという横暴さ。)

国と国が戦争をするのは、どちらにも言い分があり、闘う理由があったのだろうことはわかる。それが、どういう思惑でなされたことなのか。第二次世界大戦にしても、太平洋戦争というのは、アメリカサイドの呼び方で、日本では、大東亜戦争と言っていた。

敗戦国日本は、大東亜戦争という言い方を、占領されている間、占領国に、この戦争の呼称を禁じられるのである。

瀬島龍三氏の「大東亜戦争の実相」を読むと、戦争に至る経緯が、必然ではないだろうが、仕方がないとしかいえないような、事情が語られている。一言で、軍部の独走とか、野心をもったものの侵略戦争であったとかは、いえないような気もする。

本気で戦争しようとは思っていなくとも、どうなろうとも戦争するしかないと、追い込まれていく事情が見えるのである。その結果、何の罪もない人々が死ぬこととなり、多くの悲劇がうまれた。

この事実から、日本は、たいへんな罪を犯した、二度とこんなことはしないと誓え、歴史認識をチャントせよ、と言われても、釈然としない本音というものがあることは否めない。

それは、敗者が抱かなければならない、悔しさの根源なのだ。そうです、自分が悪かったのです。二度とこんなことはいたしません。そういう他はないのである。なにしろ負けちゃったんだから。

それで、悔しかった人々はどうしたのか。経済で、この悔しさを晴らそうと、考えを切り替えた風がある。そして、属国となり、ポチとなっても、主人のいうルールのなかで、必死に頑張ってきたと思われる。

我が日本は、そんな努力のなかで、変質してきた。イイモノを捨ててきた。捨てたほうがいいものも多いけれども、捨ててはいけないものまで捨ててきたのだろう。そして、捨てずに持っている、本音を出したのである。世界中から理解されない、靖国参拝を安倍ちゃんはやってみせた。

多くのことを語らねばならない。多くの事情を語らなければならない。民主主義といいながら、未だ付け焼刃であって、身にはついていない実情。力の強いものが正しいとやはり考えている。あるいは、世界が民主主義をまだ実現していないのだ。

 


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