知識、情報は得たもののモノであって、与えた人は、いつまでも感謝してもらえはしないし、あとで、足らずを批判されたりする。
従って、技術を要する世界では、技術、情報を門外不出としたり、一子相伝などと、制約を加えてノウハウの流出を防ぎ、大切に、蓄積をしてきた。
受け継いだ者は、その伝統を学びながら、それを破り、そして離れる。そのようにして、技術を高めてきた。その過程で、伝統が潰れたり、変質して、滅失したものもあるだろう。
日本という国の文化伝統は、世界でも独自のものだと言われる。確かに、無私の精神などは、特徴的で、日本ほどこれを重視してきた国はないのではないかと思う。
吉田松陰は、幼少時の教育をうけるなかで、人の話をきいているときに、顔にとまる蚊をたたいたということで、はりとばされたという。集中せず、自分のことにかかずりあっている、無私の精神に反するというのである。
松陰は、若くして、この世を去っているが、その影響は、いまだに日本的な文化の底流に、色濃くある。もちろん、西欧的な考え方は、敗戦後、主流となりつつあるが、底流には、日本文化の精神が流れていて、そう簡単には廃れないのではないかと思いたい。
それが、ひとり日本国のためだけでは、勿論ダメであって、その精神があまねく世界にむくとき、その底力が発揮されると思う。