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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

突然ブログに入れなくなって

2013年12月17日 14時53分42秒 | 思考試行

ブログの編集画面で、ゴソゴソしていたら、突然エラーとなり、以後、つい先程まで、ブログに、はいれなくなってしまった。横文字のエラーの説明があって、どうしようもなく、推移していたのだが、昨日思い立って、g00事務局(?)にメールを送らせてもらったところ、本日、対処方のご教示があって、一度実行したものの変わりなく、ブログにはいれずで、まあ、もう一度とトライしたところ、今度はうまくいき、久しぶりに更新しているという次第。

思うに、二度目は、ゆっくり確認しながら、あまりチャカチャカしないで、手続きをしていると、削除のクリックしたあと、しばらくして、「削除しました。」の表示がでてきて、さっきは、この確認がなかったなと、気づき、これはうまくいったかの予感があり、事実そのとおりとなった。

コンピュータの処理をするのに、時間がかかることもある、ということを確認した次第である。まあ、習慣のように、ほぼ毎日駄文を綴ってきて、ブログに入れないとなれば、それはそれでもいいかと思いつつ、ひょっとしたら、秘密保護法関連で何か始まったのだろうか、などと、頭をかすめたりした。

これが、自主的萎縮の始まりか、とも思ったりした。立法の趣旨がどうなのかは、時間が経過しないと解らない面もあるが、北の様子をみても、中国の月探査をめぐる騒ぎを見ても、人間社会の行く末は、まったく予断を許さないなかで、ちょっとしたことにも敏感になる。


矛盾が噴出している時代

2013年12月14日 10時16分30秒 | 思考試行

北朝鮮の粛清は、時代遅れの独裁政治の実情を示しているが、日本政治の状況も、秘密保護法であるとか、原発再稼働であったり、憲法改悪の企みであるとか、為政者の姿勢において、同様な、古さを感じないわけにはいかない。

民意軽視もさることながら、人間社会を考える上において、深い洞察がないようにみえる。国益などと言い放って、何の反省もない。恥ずかしい見識といわねばならない。中国、韓国の為政者も、視野の狭さが目立つ。これこそ、人類社会にいま、矛盾を噴出させている元凶である。

そもそも、政治家になろうとするものが、普通人の感覚をもっていないとすれば、恐ろしいことである。一方、山本太郎氏のような人は、極めて健全だと思う。マスコミの報道ぶりは、相当の変人扱いをしているようにみえるが、それこそ、マスコミの姿勢の方に問題があるとみたい。

先に書いた、伊勢谷氏もそうだが、まことに、好ましく、真っ当である人がいて、明らかに、おかしな傾向に対して、明確な意見を持つ人が増えてきているように思う。

おかしいことをおかしい、と言い出す人が増えてきている。そのことで、いままで、矛盾とも思っていなかったことが、実はおかしいことだ、との認識が広がっている。

矛盾がみえてきて、それを指摘する人が増えてきていることは、矛盾が次々と暴かれ、指摘され、矛盾が噴出していることとなる。


あさイチで伊勢谷友介氏を知る

2013年12月13日 12時10分37秒 | 思考試行

利休にたずねよで、信長役を演じていた。彼自身についての、プレミアムトークのコーナーで人物紹介がされた。東京芸大卒の英語バリバリの、まさにエリートである。そして、かれの価値観は、地球が今マックスの状態で、未来の人々に対する責任をクチにした。そして、挫折禁止がモットーだという。

その活動ぶりもすごい。環境問題から、子供達への教育、ボランティアなど幅広い。人に向き不向きのあることを認めながら、自分が何をできるのかを考えていく、実践家であり、しかも人と協力しながら生きていく。学生たちの人気も高く、ともかく、付き合いの深い、親友曰く、彼には隙がない、と言わしめる。

まさに現代を生きる人間として、非の打ち所がない、とはこのことだろう。それでいて、尖った感じがしない。健全なのである。こういう人に、政治をやってもらいたいのだ。石破クンの目付きは、やはりホンモノで、あのような考え方だから、あんな目付きをするのだなと思う。

伊勢谷氏と比べてどうだ。これこそ違いである。ストイックでありながら、明るいし、チャーミングである。本当に魅力的な人である。いい人はいい、である。


「利休にたずねよ」を観た

2013年12月12日 06時36分49秒 | 思考試行

平日にもかかわらず、結構盛況。観客はやはり高齢者が多い。

原作を読まずに、映画を観たから、何の先入観もなかったが、「美」にのみ額づくという人種の世界、その価値観の徹底ぶりには、異常でありながら、普遍性も持っていることを、認識させてもらった。

「むさぼり」にとりつかれていると、大覚和尚に看破された秀吉との対比で、鮮やかに、作品の意図が浮かび上がる。権力を誇示し、利休を殺して呵呵大笑しながら、自らの真奥の「嫉妬心、美を理解できない悲しみ」をかかえる秀吉の演技には、凄みを感じた。

それにしても、数座席離れたところであったが、一番端に座っていた男性客が映画が始まってまもなく寝息をたて始め、ほとんどずっと、熟睡の体であった。

気持ち良さそうで、こういう映画の楽しみ方もあり、と思ったことである。人の楽しみがどんなところに転がっているかわからない。

あとで聞くと、妻も結構寝ていたらしい。小生も、何度か睡魔に襲われた。

考えてみれば、「美」への執着は、さほどない自分自身にとっては、当代一流の美の体現者であるかもしれない市川海老蔵の目線が特殊であることは感じたが、本当に、美のみに執着している人間の特殊性が、所作や演技から、充分に感じられなかったのは、こちらが鈍感といえるのだろう。


騙すものたち

2013年12月10日 21時08分14秒 | 思考試行

自己の利益のために、他者をごまかし、利益を得る。あるいは、権力を得るためにも。自民党は、一貫してこの方策をとる。ごまかしを平気でやる。

民主党政権に対するときの、自民党のやり口もそうであった。今でも、その後遺症が残っていて、悪者にされた民主党の支持率は、今や惨憺たるものである。いかにも失政の連続であったようにされてしまった。

民主党は、決して悪い政権ではなかった。自民党の極度の妨害工作に、まともに政策実行ができなくなってしまったのである。民主主義を実践しようとして、さまざまに試みを実行したし、事実多くの成果があった。隠されていた政治の実相が顕になった。

この間、あちこちから起こる権力維持のための手段を選ばぬ、陰謀が展開された。陰に陽に、邪魔をされた。犯罪者に対するような罵詈雑言の議会、品の悪い、キタナイ野次攻勢も含めて。

選挙で、ネジレが発生するや、その攻撃は無茶苦茶の度をさらにあげてきた。一切の協力をせず、政治の機能マヒがおころうが、関知しない姿勢。ついに、民主党は、解散やむを得ずの状態に追い込まれてしまった。

政権に返り咲いた自民党は、ネジレ解消がなったとたんに、その本性をむき出しにしてきた。国民をあざむき、その意志を無視して、原発再開にカジをきり、国民の手足をしばる秘密保護法を成立させた。続いて憲法9条がねらいだ。

選挙で多数を占めれば、なんでもやるつもりである。ただ、地球上で、国民の敵は、一人自民党だけではない。自己利益のみの追及者は、あちこちにいる。これらは、すべて、善良な普通の国民にとって、いわば敵である。

自己利益の追及のためには、他者への迷惑は考えないのであるから、こういう連中の言い草をきいて、観察して、国民は、どう対処していくのかが問われている。


メテオが来るとしたら

2013年12月10日 09時46分06秒 | 思考試行

映画になった。地球外から、大きな隕石がやってくるという話だが、映画は結局見なかった。つまるところ国益だとか、民族だとか、宗教だとか、さまざまにある考え方の違いをのりこえて事態に対処しなければならない、ということで、ストーリーは全く知らないけれども、これらの障害をのりこえて、なんとか対処したんだろう。

昨晩は、雷がすごかった。自然現象の力というのは、こういう時にその片鱗を思い知らされる。人間の力の限界をこえる凄まじいエネルギーの存在が、否応なくつきつけられる。それでも、人類は、この地球環境を、人類活動によって、破壊し続け、ついには、地球全体に影響を与えるまでになっている。

これは、メテオ襲来と同様の現象である。地球全体で考えなければならない事態が始まっている。にもかかわらず、現象が急激にはこないせいか、人類全体がその気になっているとは思えない。危険を察知した連中は、啓蒙活動に取り組もうとしているが、如何せん少数派のようだ。

日本の為政者は、性懲りもなく、原発再開を策している。秘密保護法は危険でないといい、あれだけの事故を起こしておきながら、まだ、原発にこだわる神経。これは、もういかんかもしれん。この状態を、国民がどう考えるかである。


肝腎なこと、どうでもいいこと

2013年12月09日 10時36分09秒 | 思考試行

どうでもいいことを、大仰に感謝することばを吐くくせに、肝腎なことには、絶対に感謝のことばを、口にはしない。どうやら、そのように決めているらしい。母親の介護生活が始まって、あらためて、気付いたことである。家内に、「へんやろ、やっとわかってくれましたか。」と何度も言われているが、まさに実感の毎日である。

そして、その効果はどういうことになるか。ほとんど接触のない人にとっては、ちょっとしたことで、感謝の言葉を簡単に聞けるから、とてもこまやかで、優しい人となる。ほんとに身近にいる人間とのギャップ感は相当ある。ちょっとしたことに、大袈裟な感謝の言葉というのは、周囲に誤解を生ずる。

バランスが悪いのである。筋が悪い。こちらで用意して、配慮したものであっても、まるで、自分がやったことのように、他者に振舞うこともある。妹などは、結構、術中にはまっている。こちらに対して、ときに高慢になり、軽く扱ってくる。何をきかされているのか、と訝りたくなる態度であった。母の「仕打ち」に由来する影響である。それも、今回の本格的な介護状態となって、さすがに、気付いた面もあったとみえ、見舞いにきたときには、態度は相当変わってきた。

こうしたことに気付いたのは、まさに、介護をするようになり、本格的に、妻のサポートをしだしてからである。本当に、人をみぬくのは難しい。だが、わかってみれば、よく周辺事情がみえてくる。これが、人生経験ということか。

結局は、ごまかしのテクニックではなく、実際に、物事にとりくむなかでこそ、見えてくる。いろんな誤解にあったり、仕打ちをうけたり、行き違いもでてくるけれども、一々気にとめたり、苦にしないことだ。誠心誠意行動するほかなく、結果はどうあろうと、それはそれでいいのである。自分自身がどう考えて行動するのかが、結局は肝腎なことなのである。

 


最悪、今から3年後に事態を変えることにしよう

2013年12月08日 00時00分05秒 | 思考試行

国会で議決があった以上、法律に従って、事態は動く。だが、それは永遠ではない。このことで少なからず、為政者と国民のあいだには、あらためて、違いの存在が明らかとなった。

選挙公約にもなかったことが、突然出てきて、

じぇじぇじぇ!  となった。

これではいかんと、いつから対策するのか、

それは、

今でしょ!

こうなったら、こうしてくれた自民党、公明党には

お・も・て・な・し

をしないわけにはいかない。 そうです。

倍返しだ!


急にチェック機関がどうのこうのって

2013年12月07日 08時23分52秒 | 思考試行

安部クンは、急にチェック機関のことを言い出した。しかし、それも第三者ではない身内のものばかりで構成されている。こういうものは、チェック機関とは言わない。これは、人を騙すにも拙劣極まりない。

集会に参加している人達の表情が、ニュースの画面に流れている。これが、テロと同列に扱うべき人々だろうか。石破クンの目は節穴か。

誰もが、選挙公約にもない特定秘密保護法には、危険なにおいを感じている。それはそうだ。何が秘密で、どこに違反していると言われもせず、逮捕できるというのだから、とりわけ、取材しなければならない立場の報道関係の人々にとっては、死活問題である。

秘密を合法化して、ロクなことはない。全て公開すべきで、時期がくれば、必ず公開するようにしないと為政者は、ちゃんと筋を通すことをしないだろう。

さて、これからどうなっていくのか。法律で作ったことは、法律でやり直すしかない。そのための準備を今から始めるしかない。副作用がどうでてくるのか、子細に観察し、監視しなければならない。


自民党、公明党の犯罪

2013年12月06日 09時56分16秒 | 思考試行

国民の知る権利を奪い、抑圧のための法律を、公約もしていなかった秘密保護法を、議席を多数占めたことから、ゴリゴリと強引に成立させようとしている。

まさに、大犯罪である。君が代、日の丸を国家、国旗としてから、橋下バカ市長は、教員に対して、起立しないとか、歌っていないとかチェックして、処分をしている。人生に大きな影響をあたえている。

なぜ、こんなことに反対するかといえば、日本には、戦争体験があるからだ。少しずつ、ものを言えなくし、戦争へと国民を引っ張っていった過去がある。

官僚は、自らの権益を守りながら、実は自分の首もしめているのだが、まずは、国民の自由を奪うことから、はじめるつもりだ。

作った法律を、壊すためには、反対勢力が次の選挙で多数を占めるほかない。彼らは、なんとしても、強引に成立させるつもりで、それは、議会で多数を占める以上、阻む手段はない。公約せずとも、なんでも、成立させることは可能なのだから。

次の選挙、3年先の選挙には、本当に、国民の味方を選出しなければならない。だが、それは、アメリカの動向にも気をつけなければならない。彼らは、自らの国益に反するとなれば、何だってやってくる可能性もある。

国益ではなく、人類益であり、地球益でなければならない。さて、それは可能だろうかと思うが、それをやらなければ、人類社会そのものの存続が危ぶまれるのだから仕方がない。


コンピュータ関係の煩わしさ

2013年12月05日 11時55分59秒 | 思考試行

回線をいじらなければならないが、速くなるからとか、テレビなどでも宣伝しているので、「隼」に変更した。工事の人がやってきて、電柱にかかっている線の工事、パソコンの周辺機器を取り外し、新しいものになった。弁当箱の数は減ったが、かたちは、一回り大きくなって、また、同じように、ピカピカとランプがついている。

まさにブラックボックスである。ワケがわからないうちに、工事は終わり、あとは、CDなど渡されて、自分でパソコンの設定、インターネット、メールの設定をするのだが、早い段階でギブアップし、あらかじめ聞いていたサポートへ連絡して、どうやらこうやらメール等ができるようにはなった。

ところが、印刷ができない。プリンターへふられるアドレスも変えなくてはならないらしい。そこで、たらい回し状態となる。プリンターの会社は、設定のところでやってくれというし、設定担当は、そんな余裕はなく、工事が終われば、すぐ次の現場に向かう。事実、パソコンの設定、インターネット、メールの設定には、ゆうに、2時間ぐらいはかかっている。

サポートへ連絡すると、そこは、プリンターの会社でないとできないとなって、最終的には、プリンターの会社の技術担当が来てくれることになった。

あらかじめ、聞いていたことのようには進まない。こちらは、仕事にも使うし、本当に、自分ですべて完結できないことが起こるのは、本当に煩わしい。それぞれが、自分の都合で動くのだが、トータルで、ユーザーの面倒をみることは至難の技ではあろう。

それでもコンピュータなしに、仕事が回らない。えらい時代になったものだ。

 


秘密保護法の効果

2013年12月04日 11時21分12秒 | 思考試行

人に圧迫を加え、犯罪者として扱うためには、法律がいる。法律が一旦できれば、これは、一人歩きをし、そして、そこに恣意的な要素も入る。これによって、支配者の意図は守られ、格差は維持される。

どんな小さい組織であっても、組織となれば、そのリーダーは、その意思通りに行動することも可能である。また、組織の構成員の意見をとりいれることも可能かもしれない。だが、概ね、そのリーダーは絶大な権力を有することとなる。

法律で決まれば、これは守らなければ罰せられる。この時、秘密保護法は、チェック機能を国民から奪い、強迫の道具を手に入れるわけで、世の中変わることだろう。大いに見ものである。公明党は池田クンを守るためには、なんでもする。どういうことが起こってくるのか、よくよく観察していなければならない。

法律がすべて、守られているかといえば、そんなことはない。たとえば、労働基準法の場合、どうだろうか。残業代を払わないことから(そもそもタイムカードなど作らない。)、休日も与えない。有給休暇など誰もとれない、とったりすると、雇用主の怒りを買う。労働基準法違反など、日常茶飯事ではないか。

本当に、労働基準監督署は機能しているのだろうか。ブラック企業が幅をきかし、労働者を使い捨てにする。立派な法律があっても、名の通った企業でさえ、これを守っていない実態がある。かつては、非合法であった、口入れ業を、自民党政権は、合法化し、非正規雇用を一般化し、国民の中に格差を持ち込んだ。

日本の場合、本当に民主主義が根付いているとは到底思えない。秘密保護法が、何事かもたらし、そのことで、矛盾を激化させるならば、そのことで、世の中の変化をうながすことになるかもしれないが、それまでに、多くの犠牲がうまれるかもしれない。


今は夜明け前か

2013年12月03日 04時31分29秒 | 思考試行

早朝に目が覚めてしまい、ブログに手が伸びた。特定秘密保護法を強行可決しようと、保守層の期待を集めて、自民党政権は躍起となっている。この法律が、本当に機能して、官僚なり、政治家たちが、国民を恫喝できるかどうかは解らないが、かつて、共産党への弾圧とか、国民自身も戦争には反対などできる空気ではなく、自由な発言ができなくなった時代があったのは事実であり、この時代のニオイを多少でも知っている人達は、危機感をもって、デモを始めている。

そして、自民党の石破クンは、テロとデモを、同列に扱う発言したのは、まさに彼の本音であろう。有無を言わさず、国民を弾圧してみたい一人なのだろう。軍事オタクの彼の本領発揮というところである。順序としては、タブーをつくって、実際に弾圧が始まったときに、抵抗する勢力の力がなければ、このタブーは一人歩きを始めて、さまざまに悲劇を起こすことになる。

最初は、誰も反対できないようなことから、規制をかける。その範囲が徐々に広がり、支配者の意志が国民を縛っていく。末端の警察権力が、法に基づいて動き出せば、これを止めるのは簡単ではない。かつての日本は、多くの死者、悲惨な状況を経験し、他国に無条件で降伏した上で、始めて民主主義に接することができたのである。

助け合いとか、おもてなしとかいっても、それには、民主主義と結びついたものではなかったから、本当の意味で、まだ、完成した日本文化とは言えない。非正規雇用が当然のことになり、社会の中に格差がもちこまれ、階級支配が現実のものになりつつあるなかで、かつての悲劇をくりかえす可能性も大である。

それを覆し、アメリカが変わり、中国が変わり、人類文化が環境をまもり、本物の「助け合い文化」が実現するかどうか、今、そのとば口に立っているとしたら、今の状況は、夜明け前といえるのだが。


本音

2013年12月02日 08時08分23秒 | 思考試行

女子大生と住職の事件は、人間の欲望をめぐって、一筋縄ではいかない人間の多面性を示している。家族に対してと、違う顔を見せる別人にもなっていたという。

たしかに、住職が、若い女性とつきあっているのは、普通ではない感じがするが、まさに別人として、貿易会社の社長になるとは、まさに驚きである。ましてや、事件まで起こすとは、宗教者としての本音は、どこにあるのだろう。

自分のことを考えて、本音はどうなのかと思いめぐらしてみて、かなり、道に外れるというからというのではなく、すべてが滅茶苦茶になってはいけないから、しない、という選択をしていて、冒険をしないのである。

それだけ、臆病であり、度量が小さいのであり、小物ということであるが、さほどの才能もなく、ただただ生きてこれただけで、よし、としている。

本音を実行すれば、直ちに生きていけない状態になるという実感がある。本音は、かなり警戒を要するものである、という実態を感じている。本音は、恐ろしいものである。だが、本音を出さない人生なんてつまらないのも事実である。いつ本音を出すのか。今でしょ、なんていうとエライ事になる。


習練

2013年12月01日 10時17分18秒 | 思考試行

昨日、長谷川町子さんのドラマをみた。健康で、清々しい家庭のなかで、育まれる作品のうまれる過程。さまざまな苦悩。しかし、なんといっても、女性ばかりの仲の良い家庭の様子が、まさに、そうだったんだろうなあと、感じさせてくれ、幸せの典型をみせてもらった。

作品を生み出す苦しみのなかで、休筆する場面で、みんなが一致して「やめよう、やめよう」という場面は、創作の苦しみを、家族が理解する。当たり前のようではあるが、こういう時に、往々にして衝突するところが、そうではないところが、この家庭の素晴らしさを表現する。

結婚をすることなく、それでも恋心を抱いたこともあって・・・、と、サザエさんに一生関わって、そのために人生に大きな影響があったわけだが、大勢の人々を癒し、元気にさせてきたのであるから、それは、ご本人も本望であったことだろう。

絵が得意で、子供の頃からの習練が、人生を決めたという稀有な例だが、すばらしい一生だと思う。まだ時間はある。何事か、習練してみたいものだ。