平日にもかかわらず、結構盛況。観客はやはり高齢者が多い。
原作を読まずに、映画を観たから、何の先入観もなかったが、「美」にのみ額づくという人種の世界、その価値観の徹底ぶりには、異常でありながら、普遍性も持っていることを、認識させてもらった。
「むさぼり」にとりつかれていると、大覚和尚に看破された秀吉との対比で、鮮やかに、作品の意図が浮かび上がる。権力を誇示し、利休を殺して呵呵大笑しながら、自らの真奥の「嫉妬心、美を理解できない悲しみ」をかかえる秀吉の演技には、凄みを感じた。
それにしても、数座席離れたところであったが、一番端に座っていた男性客が映画が始まってまもなく寝息をたて始め、ほとんどずっと、熟睡の体であった。
気持ち良さそうで、こういう映画の楽しみ方もあり、と思ったことである。人の楽しみがどんなところに転がっているかわからない。
あとで聞くと、妻も結構寝ていたらしい。小生も、何度か睡魔に襲われた。
考えてみれば、「美」への執着は、さほどない自分自身にとっては、当代一流の美の体現者であるかもしれない市川海老蔵の目線が特殊であることは感じたが、本当に、美のみに執着している人間の特殊性が、所作や演技から、充分に感じられなかったのは、こちらが鈍感といえるのだろう。