インターネットの画面で、二人の独演会だろうか、たいへん長時間の「芝浜」を、昨日みた。さすがに、みごたえがあり、それぞれ、個性的で魅力的だった。
はなしの中味は、芝居でもみたし、よく知っているのだが、それぞれ、演出が違う。それでもはなしの中味は同じだから、贅沢なことだが、二人の芸風がまともに比較できる。
録画の時期が、志ん朝の方が、かなり若い時代のようで、談志の方は、もうかなり年をくっている時期だから、そのあたりも、みものであった。
志ん朝の芸は、爽やかで、まことに見やすい。談志が志ん朝の芸を高く評価していたというが、落語の芸としては、達人だろう。談志は、冒頭部分が、なんとも無茶苦茶で、いささか汚い感じがして、ちょっと我慢が必要であったが、さすがに、ラストの場面の熱の入りようは尋常ではなかった。天才なのだろう。
談志は、力を抜いてぬいてと、意気込んでいる感じがあったりする。形にとらわれず、工夫が随所にあって、この真似は、誰にもできない芸風である。長持ちする健康さ、という世界からは、明らかに外れているから、どこかで破綻するのでは、という危険な感じがある。そこが魅力なのかもしれない。
志ん朝は、表情、仕草もすばらしくて、こちらは、まことに健康である。崩れたところがなく、隙がない。といって、堅苦しさを感じさせない。テンポがいい。この人も天才なのだろうが、明らかに、努力の積み重ねがある。