どちらも、人間活動には違いない。双方共に、面白いというのは最高だが、そうはいかない。仕事は辛くて、遊びは楽しい、というのが通常だろう。
辛いことがあるのは当然ながら、仕事は辛いばかりではない。そこには、他の人の役に立ち、そして、自らの生きる糧でもあり、人間活動の最も大事なものがある。
現役で、社会参加ができる喜びや、それ自体にある困難さからの、脱出の工夫、改善の可能性の追及、進歩の喜び、などなど、生きがいの根本を与えてくれるものである。
しかし、科学技術の進歩は、大いに、歪んだ、そして、思いもかけぬ方向へも、人間活動を変化させてきた。武器の進歩や、経済活動にそれがみられる。
コンピュータの操作一つで、多額の金銭取引が可能となり、一部の極端な富裕層がうまれるに至った。生産に携わる人にくらべて、その仕事の質や、労力の種類は、全然異なる。
仕事の多様さ、報酬、結局配分の不公平さが目立ってきている。このままでは、いかないだろうが、矛盾だらけの実態をかえたいものだ。
遊びもまた、大きく変化し、内容も変わってきた。それが、生活に当然ながら大きく影響してきている。遊びにはまりこんでしまった人の異常さは、悲惨である。
仕事といい、遊びといい、どこか本質を見失いつつある人間の実態を反映している。