goo blog サービス終了のお知らせ 

空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

何に興味を持つか

2013年01月12日 09時25分37秒 | 思考試行

快楽主義に陥るならば、それこそ、同類の欲望を持つ者たちの餌食となって、底なしの誘惑の世界に襲われるだろう。その行く末はどんなことになるだろう。それを継続するならば、健全な家庭を持つことは不可能ではないだろうか。

そこには、必ず欺瞞がはいり、秘密がうまれ、裏切りを必然とする。平穏で、落ち着いた静謐の世界とは無縁の、真反対の興奮と享楽の世界である。しかも満たされることがない。

快楽主義とそうでないのと、どちらがいいとは言えない。だが、人類生存の観点からみれば、快楽主義は、推奨できる生き方とは思えない。だが、絶えずこの欲求は、多かれ少なかれ、個々人に迫ってくる。素直にこの欲求に従うか、それとも、これに抗して、抑制も加えつつ、しかし、真に解放された境地に向かうのか。

本当に生きるということ、人類にとって、永遠のテーマである。簡単に、快楽主義と決めないで、大いに煩悶し、悩み、かつ、具体的に興味をもてる対象をつかんで、生きていきたいものである。

本当に興味をもったものから、世界が広がる。それは、なんでもいいのかもしれない。そこから、世界を広げ、健全で、真の喜びを目指していける人生観を獲得したいものである。


暮らしの術をつかむ

2013年01月11日 12時56分59秒 | 思考試行

あまり突き詰めて考えるといけないようだ。答えのないものを、求めてもそれはせん無いことだ。あるいは答えらしきものができたとしても、それでいいのかどうかは、誰にもわからない。

そんなことを言いながら、実はなんにも考えずに、うかうかと過ごすのは、いけないようで、どこで自分としての腹がまえをつくっておくのかは、必須のことかもしれない。それがなければ、せっかく生をうけたのに、十分生きたとはいえないのではないか。

当面のやりくりや、権力争いにうつつをぬかして、目先のことばかりを追い掛け回しているようでは、底が浅くて、そのまま老いていくのみとするなら、そんな人生は、つまらなさすぎる。

自民党は、政権を奪取して、その醜さぶりを発揮し始めた。彼らが野党時代にどれほど意地悪く邪魔をしまくったものか。そして、そこには、人の道を外れた醜い権力欲の丸出しの姿であった。

そしていま、結局は利権あさりと、それぞれの立場による縄張り争いが始まろうとしている。国民のことは眼中にはない。うそばっかりの政権運営がどう進行していくのだろうか。

若者たちは、彼らの欲望の手先にされないように、ごまかされないように、しっかりと腹を決めて人生に立ち向かってほしい。自分たちの人生は、自分で決めていくのだ。暮らしの術を自分で発見していく。誘惑の道が待っているが、これにごまかされずに、本道を歩いてほしい。

 


今朝の朝日の紙面で登場した坂口恭平氏について

2013年01月10日 17時38分32秒 | 思考試行

相当に、変わった人がでてきた。ネットでみると、かなり有名な人のようである。日銀券、税金、土地所有などについて、かなりユニークな意見をもっておられるようだ。

この人の運動がどこまで広がるのか、小生には、もちろんわかる術はない。ただ匂いとしては、誇大妄想的な、あまり真面目とはいえない雰囲気があって、一応警戒すべき人のような勘がはたらく。

ただ、新しい。そして、既成概念を覆す要素があることは明らかである。現実に、人が移動し、動きがでていることは、無視しえない力を持っているといえる。で、朝日も大きくとりあげたのだろう。

ただ、ネットで鼎談しているのを見たが、奥さんに「すまん」と言わなければならない行状もあるようで、このあたりが弱点とみたがどうだろうか。

橋下先生も奥さんの叱責を受けたのかどうかは知らないが、男という生き物は、どうしても、この問題からは、なかなかフリーになれなくて、常に、奥さんのお許しを得るほかないのかもしれない。

生理的な問題なのかどうか知らないが、結構本質的なこととして、とらえている側面もあって、古来、聖職者といわれる人々は、生涯独身を貫くなど、きっぱりと結論をだしている向きもある。

この問題を、のりこえるのに、自らの欲望を押し殺すのか、それとも、、もともと欲望の希薄な人が実行できるのか、知るよしもないが、それとて、それができたから立派かといえば、そうとも言えず、まあ、しばらくは様子を見るしかないということですか。


レ・ミゼラブルをみた

2013年01月09日 11時02分56秒 | 思考試行

映画であるが、オペラ風の演出。歌う台詞が中心だから、ペースがゆったりした雰囲気になる。ストーリーはシンプルだが、迷い、揺れる心理の葛藤もあり、登場人物の思いのすれ違いがあり、悲しみがあり、怒りがあり、そして、感動がある。

いい映画であった。神が何度も、台詞の中に登場するが、神は何もしていないといいたい。しかし、施設としての教会の有意性は、肯定するしかない。これがなければ主人公が生きていく手段がなかったのだから。

そして、貴族、富裕層に対する学生の反乱、抵抗、熱情、恋。介在する卑劣な、貪欲な人間達。信念に生きようとして、敗れる人間。悲劇的なジャンバルジャンの人生だが、救いがある。すべての人間に与えられる方法、結末。

最後の瞬間にどう思えるかが、ポイントにみえてくる。最後の瞬間をどう迎えるかは、そのプロセスにある。プロセスがいい加減では、ラストもしまるわけがない。

シンプルに人生を考え直す。原発についても、憲法9条にしても、国際間の揉め事についても、答えは簡単である。将来の子供達の姿を思いうかべるならば、取るべき道は自然に決まるといいたい。


手順

2013年01月08日 10時07分54秒 | 思考試行

何事をするのにも、手順は大事である。とりわけ工程の多いものは、手順を違えるとうまくいくものもうまくいかない。よく考えられた手順は、物事をスムースにすすめ、関係者の気持ちもよくする。

流れも、合理的なものであれば、困難なプロセスもそうとは感じさせない。そして、これは相手への思いやりを忘れないことが大事で、とにかく自己本位ではうまくいかないということである。マイペースであって、それでいてうまくいくようであれば、達人といえる。

達人は、マイペースとみえて、相手をよく観察していることが背景にある。相手の都合、状況をみながら、ペースを考えながら、休憩や間もとりながらことをすすめる。あまり追い込みすぎないことも大事なようであるが、意表もつきながら、提案することも重要である。

チームで事を行うには、新鮮な刺激もあっていいし、あるいは必須条件かもしれない。人が協力共同して仕事をするのは、いろんな利点があるからだが、この辺の呼吸を把握することで人生の醍醐味を満喫できる条件が整う。ひとりの良さもあるが、人たるもの、協力しあう人間同士の生きる喜びも経験したいものである。

 


エネルギーのこと

2013年01月07日 10時52分11秒 | 思考試行

アメリカや、日本でも、新しいエネルギーとして、100年分の埋蔵量が発見されたと報道されている。特に、アメリカでは技術的にもできあがっていて、シェールガスが実用化できている。日本でも凍ったガスであるメタンハイブレードが、日本海、太平洋側にも、豊富な量があるらしい。

日本の場合は、実用になるのは、技術的に未完成というが、それがモノになるようだとどんな変化をもたらすだろうか。原発も不要となり、外国に依存しなくていいとすれば、どんな影響が出てくるだろう。

豊かだった中東の産油地域は、市場を失って、新しい市場を探すことになるだろうか。人間生きるのに、そんなにエネルギーはいらないとも思えるが、生き方についても反省が必要かもしれない。

寒い時には、暖をとり、暑い時には、涼しくする。自然との調整を取り続けてきた人間だが、他の動物は、環境を求めて移動はするが、これほど、自然を改変したりはしない。人間は、くるところまで来たようにみえる。

やってやって、やりつくした感がある。そのあとに来るのは、何だろうか。もっともっと、だろうか。それとも足るを知るだろうか。

 


さあ仕事だ

2013年01月06日 12時28分46秒 | 思考試行

自営業の場合は、自分で段取りを決めることはもちろん多いが、顧客からの注文で動くこともある。そんな場合は、大抵は後回しにはできない。直ちに実行に移すことが普通である。段取りは、それから決めることとなる。

経験で、直ちにできることならいいが、突然の電話での依頼などは、従って、積極的に受けることはできない。電話帳などで、探してこられた場合には、本会を紹介したりする。若ければ、当然のことながら、よろこんで受けただろうが、さすがに、年齢のせいか、受けてよいかどうかを考えると、手持ちの仕事優先となる。

知人の紹介であったりすると経験のない仕事であっても受けることがある。特に、役所等との接触がある場合で、文章を用意しなければならないときは、ご本人が、切羽詰っているようなときもあって、それにある程度応えることができたときなど、この仕事をしていてよかったなと思える。

これからは、ビジネスでどうのこうのという分野からは、撤退して、仕事を選んで、本当にやる気のでるもの、要望されるのものに特化していこうかなとも思うが、それだけではなく、本当に有益だと思えることに仕事を集中していくべきかとも思う。年金があるから、収入はどうでもいい。それが、若い人の足を引っ張るようでなければ。


身の回りから

2013年01月05日 11時30分31秒 | 思考試行

結局のところは、実行に移せるのは、身の回りからであって、いきなり世界を相手にというわけにはいかないのだが、認識だけの問題であれば、世界を相手にできる。そして、その認識をいかして、身の回りのことであっても、「世界を相手にしながら」の行動でありたいものである。

日々の行動も、そういう認識のもとにとられているのなら、大きく間違うことはないだろう。個々の人間のとる行動について、刹那主義や、快楽主義に陥るならば、のめりこめば、必ず破滅への道をたどるに違いない。

視野を広げ、積極的な、「正しい行動」をしていきたいものだが、それには、勉強もいる。疑問に思ったことは、思索もし、見識を身につけていきたいものである。その努力は、そのこと自体が楽しいことでもある。

具体的にやるべきことを、こなしながら、見識をひろめつつ、仕事をしていく。そのことのなかで、問題点を認識し、改善すべきは改善していく。人生は、長いようで短く、また、短いようで長い。簡単に結論をだして、突き進むだけではなく、味わいながら、正しい方向を探りながら、しっかりと生きていこう。


やる気について

2013年01月04日 11時10分44秒 | 思考試行

やる気がなくなれば、すべては終わる。やる気こそ、生きる原点。状況の変化が、新しいやる気を起こさせるが、もともとある「やる気」がある。それは、幼少時からの、教育の成果だろうか、それとも生得的なものか、わからないが、とりあえず気付けば、あったというところだろう。「

それが、いろいろに変化する。なくなってしまうこともある。私の場合、その都度、新しいやる気を見いだして、ここまで生きてきた気がする。そして、そのやる気の具合で、人生が決まってしまうところがある。

いつでも、やる気がある状態というのは、かってにできるものではなさそうだ。理想とか、悔しい思いをしたとか、激しい怒りの体験があったとか、あるいは、読書体験であるとか、ドラマであったり、するかもしれない。ともかく、人生観ともいうべき根底からの、思想信条のようなものが必須であるような気がしている。

それが、自分自身の問題だけに終わればいいが、そこにとどまらずに、他人への影響もある。健全なものであるなら、問題がないが、それが、破壊を招くものであることもある。破壊は、必ずしも悪とはいえない。

そもそも、善悪を決めることは、不可能であって、人間社会のルールとしての善悪をきめることはできてもどうやら、人間は、それをもこえて考えることは可能だから、どこかで、それを知っている。簡単ではない。

そのように思えば、やる気というのは、個々人が、それなりに自分のものとして持たなければならず、その出来栄えで、人生の方向性ができる。他者の考えの受け売りではなく、自前のものでなければならない。

そして、それが、短絡的なものであれば、他者から利用されるだけの場合もある。そして、気付けば、人生をむちゃくちゃにされる場合もある。世の中そんな風ではないだろうか。


のめり込むのか

2013年01月03日 22時59分23秒 | 思考試行

方向を決めて、実行する。シンプルに、突き進んでいく。それでいいのだろうか。おそらくは、危ないと思われる。だが、かつて幾人もの人々がそうしてきた。そして、しかるべく落ちていった。失敗もした。

それにこりて、安全運転だと、満たされない。その不満のはけ口がなくて、どうにかなってしまった人もいるかもしれない。だが、おおむね、安全運転は、そのような結果を得て、平穏無事にことが進んでいく可能性が高い。

多くの資産を得て、それに縛られて、一生を終える。それでいいのだろうか。それでもいいに決まっている。退職金をつぎ込んで、事業をくわだて、失敗する。その後は、ながながと平穏に生きただけと言われる。それもよしだ。

波乱万丈の人生でも、そうでなくても、一生は一生である。どちらへ転んでいくとも、個人にとっては、大問題であっても、大勢の動きは、そう進むだろうという方向へと進む。

人間の欲望に忠実な人。そうしなければ、いてもたってもいられない人はそうする。誰にも止められない。だが、ちょっとしたことから、道が決まってしまい、どうにも修正がきかなくなって、ああ、どうやら間違っていたというのは、つらい話である。

 

 


住吉神社の参拝客の整理の仕方をみながら

2013年01月02日 11時35分30秒 | 思考試行

住吉神社の参拝客の整理の仕方が、3年ほど前から変わっている。あるいは、その前からかもしれないが、気づいたのはその頃からである。そして、今年の場合は、天気も晴れで、人出がすごい。

すべての参拝客を、太鼓橋を渡らせるように仕向けているために、びっしりと太鼓橋前に、人が並んでいる。恐れをなして、急遽、近くの氏神の生根神社に変更して初詣をした。ここは、人出は適当で、それで正解だったのだが、思えば、長年地元にいて、こちらに参拝した記憶がない。

住吉神社の方は、びっしり並んだ人が、整然と次々と、太鼓橋を渡っているが、あまり集中させるのはどうかと思う。どの方向からも入れるようにするのと比較してどんな問題があるのだろうか。人の流れを、わかりやすくして管理しやすくしているのだろうが、かえって、自発的な工夫を、参拝客にさせないから、問題があるようにも思う。

それにしても、整然と混乱なく対応している群衆のなんと行儀のいいこと。騒ぐ声もない。感心するほかない。

小生の場合、形だけのことであって、真剣な祈りの場ではない。なんとなく、初詣に行こうか、てなもんでご利益を期待なんてしていないというのが正直なところだが、ヒョットシテ、なんていう気分もどこかにあるのかもしれないが、手をポンポンとやって、一瞬無になる感じはきらいではない。

真剣に祈っている人々にとっては、そんないい加減な人のせいで、こんなに混むのはけしからんと思っているかもしれない。


すがすがしい朝をむかえての新年だが

2013年01月01日 12時28分13秒 | 思考試行

7月の参議院選挙で、自民党は勝利して、態勢を確率し、長年のかれらの目論見である憲法9条改正をめざしていることだろう。彼らの、新年の誓いは、そのあたりから始まっているに違いない。

それまでは、本音を押し隠し、安全運転を心がける。国民はどうするだろうか。流れができれば、その流れにのるのが、世間の常識というもの、マスコミあたりがその雰囲気をもりあげると、なにやら方向性がきまってしまうような気もする。

正規の仕事の場を奪われた若者たちの行き先は、まさに軍隊である。兵隊になればいいではないか、となり、経済界は、戦争のための武器作りを待ち望む。不景気からの脱却も可能と思っているかもしれない。戦争でも起こさないことには、景気はよくならない、考える向きが必ずいることを忘れてはならない。

庶民の暮らしや、幸せなんぞ念頭にはないから、平気で戦争のタネあさりをするかもしれない。平和で、希望する暮らしをしていくためには、これからが要注意である。心して、日々観察しながら、変化に敏感でなければならない。