快楽主義に陥るならば、それこそ、同類の欲望を持つ者たちの餌食となって、底なしの誘惑の世界に襲われるだろう。その行く末はどんなことになるだろう。それを継続するならば、健全な家庭を持つことは不可能ではないだろうか。
そこには、必ず欺瞞がはいり、秘密がうまれ、裏切りを必然とする。平穏で、落ち着いた静謐の世界とは無縁の、真反対の興奮と享楽の世界である。しかも満たされることがない。
快楽主義とそうでないのと、どちらがいいとは言えない。だが、人類生存の観点からみれば、快楽主義は、推奨できる生き方とは思えない。だが、絶えずこの欲求は、多かれ少なかれ、個々人に迫ってくる。素直にこの欲求に従うか、それとも、これに抗して、抑制も加えつつ、しかし、真に解放された境地に向かうのか。
本当に生きるということ、人類にとって、永遠のテーマである。簡単に、快楽主義と決めないで、大いに煩悶し、悩み、かつ、具体的に興味をもてる対象をつかんで、生きていきたいものである。
本当に興味をもったものから、世界が広がる。それは、なんでもいいのかもしれない。そこから、世界を広げ、健全で、真の喜びを目指していける人生観を獲得したいものである。