才能のある人はいるもので、喋らせたら素晴らしい人々。どんな格好、顔、様子なのかを知りたくなる。おそらくシュッとしてはるのやろなあ。
どうでもいいことを言っている。だけど、それが大事なんで、本格的な世の中の仕組みのあれこれを、自由に言えるとすれば、彼らは、ものすごい権力を持つことになる。
昔むかし、デモに出かけたとき、集会が始まる前に、集会の雰囲気をもりあげるウタゴエのお兄さんやお姉さんたちが、最も素晴らしい力のある人たちだと思っていた。
本番の演説が始まると、なんだか退屈であり、歌声のお兄さん、お姉さんがそのまま、司会して、演説すればいいのではないかと思っていた。いい声で、元気があって、精神状態だってすばらしいと思っていた。
だが、世の中の仕組みを知るにつれて、政治の分野については、格別「勉強」した頭のいい連中であるとか、仲間内で、人気のある者とか、力のある者とか、声の大きい者などが、中心らしいという風に理解するようになった。
はずみのような、要素もあるみたいで、そうなると、なにもかもイヤという人もいる。いろんな事が見えてきて、ウタゴエのお姉さんや、お兄さんは、あんまり本質的な力がないことを知るにつれて、虚しい思いをしたものだった。
力とは金。票を集める名人。騙しの上手い人。弱いものいじめが趣味の人。ケチ。人類て何なんだ。神はひとつ、お前の宗教は邪教だ、とののしり、殺し合い、人を殺す道具を、いまだにつくり続ける。
だけど、すべては神に、てな具合ではないと思うし、人それぞれ役割というものがあって、どれが一番とも言えないような気もしてきている。多分そうだと思う。それぞれ、それでいいのであって、それぞれに、協力して、共に生きていけばいいのではないか。大事にしようじゃないか、お互いを。