やる気がなくなれば、すべては終わる。やる気こそ、生きる原点。状況の変化が、新しいやる気を起こさせるが、もともとある「やる気」がある。それは、幼少時からの、教育の成果だろうか、それとも生得的なものか、わからないが、とりあえず気付けば、あったというところだろう。「
それが、いろいろに変化する。なくなってしまうこともある。私の場合、その都度、新しいやる気を見いだして、ここまで生きてきた気がする。そして、そのやる気の具合で、人生が決まってしまうところがある。
いつでも、やる気がある状態というのは、かってにできるものではなさそうだ。理想とか、悔しい思いをしたとか、激しい怒りの体験があったとか、あるいは、読書体験であるとか、ドラマであったり、するかもしれない。ともかく、人生観ともいうべき根底からの、思想信条のようなものが必須であるような気がしている。
それが、自分自身の問題だけに終わればいいが、そこにとどまらずに、他人への影響もある。健全なものであるなら、問題がないが、それが、破壊を招くものであることもある。破壊は、必ずしも悪とはいえない。
そもそも、善悪を決めることは、不可能であって、人間社会のルールとしての善悪をきめることはできてもどうやら、人間は、それをもこえて考えることは可能だから、どこかで、それを知っている。簡単ではない。
そのように思えば、やる気というのは、個々人が、それなりに自分のものとして持たなければならず、その出来栄えで、人生の方向性ができる。他者の考えの受け売りではなく、自前のものでなければならない。
そして、それが、短絡的なものであれば、他者から利用されるだけの場合もある。そして、気付けば、人生をむちゃくちゃにされる場合もある。世の中そんな風ではないだろうか。