ラムの大通り

愛猫フォーンを相手に映画のお話。
主に劇場公開前の新作映画についておしゃべりしています。

『最終兵器彼女』

2006-01-16 19:26:11 | 新作映画
----これ知っているよ。
「ビッグコミックスピリッツ」に載ってたんだよね。
確か「最彼(さいかの)」とか呼ばれていなかったっけ?
「うん。ただぼく自身は原作にはノレなかったし、
途中で読むのも止めたから
あまり詳しくは知らないんだ」

----でもスゴく人気あるんだよね。
アニメやゲームにもなったし…。
どういうところがダメなの?
「一言で言えば合わないんだね。
『いいひと。』もそうだったけど、
原作者の高橋しんという人の作り出すキャラクターが
どうも自分にしっくりこない」

----目が細くて優しい感じのキャラでしょ。
それが合わないなんてひねくれているなあ(笑)。
「しかも今回は物語がねぇ。
小樽に住む高校3年生のシュウジは、
同級生のちせから突然の告白をされる。
ある日、札幌でシュウジたちは
無数の飛行機が飛来するのを目撃。
激しい爆撃の中、
間一髪で彼を救ったのは背中から翼を生やしたちせ。
なんと、彼は国土防衛のために開発された最終兵器だったのだ!」

-----スゴいストーリーじゃない?
意味はよく分かんないけど……。
「なぜ彼女は最終兵器にされたのか?
なぜ戦争が起き、どこの国と戦っているのか?
最初、この漫画が描かれた頃はまったく分からず、
こんな風に戦争を扱っていいのかだろうか……
と、まずそれがぼくにはダメだったね。
でもこの漫画、
数ある『ポスト・エヴァンゲリオン症候群』作品の中でも
とりわけ優れた『セカイ系』の作品
と見られているらしい」

----『ポスト・エヴァンゲリオン症候群』?
『セカイ系』?またまた、分かんない言葉ばかり」
「ぼくだってそうだよ(笑)。
今回、いろいろと調べなかったら
ずっと分からないままだったと思うよ。
この『セカイ系』というのは、
主人公の個人的な資質や葛藤などが
世界そのものの存続をも左右するということのようだ。
それも特に主人公二人の恋愛が関わることが多いらしい。
だからなのかな。
原作のラストはシュウジとちせが宇宙に昇天することを暗示。
一方アニメでは
シュウジ以外何もなくなり真っ白な状態になるらしい」

----映画はどうなのよ?
「言えるわけないじゃない(笑)。
ただ、どっちでもないけどね」

----なんか、今日のお話は<映画>になっていないなあ。
「おっ、鋭い。気づいたか。
じゃあ、話を映画よりに戻そう。
こういう前知識なしに観ていて
ぼくが思い出したのは
デヴィッド・クローネンバーグ『ザ・フライ』」

----ま、また、とんでもない映画を…。
「映画では、ちせが敵を殺してしまった現場をシュウジが目撃。
彼は恐れおののき、ちせへの愛情が引いてゆく。
一緒に戦っている自衛隊内にも
彼女を怪物のように観ている者もいるくらいだから、
平和な暮らしを送っている彼のショックは仕方ない。
しかし、その葛藤の後、シュウジの中にちせへの
本当の愛が目覚めてくる。
しかし、彼女の体はどんどん進化してゆく」

----ニャるほど。
人が人を愛する基準とは?……だニャ。
目の前にいるその人が、
人間の体ではなくなってもあなたは彼女を愛せるのか…?
ん、これは「きみに読む物語」
『私の頭の中の消しゴム』にも通じるテーマだね。
「そう言うこと。
その2本の映画では、相手が自分を認識しなくなるわけだけど、
同様の問題は、記憶だけではなく、他のケースでも起こりうる。
病気で人格が変わってしまったりとか、
事故で美しい容貌が損なわれたりとか…。
『ザ・フライ』や『最終兵器彼女』は極端だけど
『愛と死を見つめて』なんかもそうだね」

----ニャるほど。分かってきた気がする。
「映画としてはテンポがゆるくて、
間延びしていた気もするけど、
これはもしかしたら原作のテイストにあわせているのかも。
自分が『最彼』ファンじゃないから、
断定はできないけどね。
あ、あと東映アニメーションが参加しているからか
CGシーンは、あの那須監督の遺作にそっくりだよ。
特に廃墟の感じとかね」

        (byえいwithフォーン)

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