ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

兵庫なぎさ海道7

2017年10月03日 21時43分46秒 | ウォーキング

このチヂミ稲荷には、
大変重要なものがある。

嘉兵衛が寄進したという燈籠だ。

鳥居から中を見た景色がこれで



その横に立っていたのが、
その燈籠だ。



なぜ彼が寄進したのかわかるかというと、
ぐるっと燈籠を見回してみると、



おお~ここに

「高田屋」

と書いてあります。
寄進したのは、もう彼が
引退して淡路に戻ったころですが、
彼の住居に近いこの神社に
海運安全を祈って寄進した
という燈籠なんだそうです。



え~、小説を読み始めてから
実際の彼の遺品に
会うのは初めてです。

以前、小説をまだ読んでいない頃に
淡路の高田屋嘉兵衛記念館の
横のログハウスに
止まったこともあるのですよ。

でもその時には記念館には
入りませんでした。

今だったら、
見たいものはいっぱいあるのになあ。

例えば、当時の船が
どんな形だったのかが知りたいですねえ。
昔は幕府の制限で
立派な船は作れなかったそうで、
だったらどんな形だったんだろうと、
小説を読みながらずっと思っていたので、
それなんかは是非に知ってみたいですね。

以前はそんなに興味も
示さなかったのに、
今はこうして「高田屋」の名前の入った
燈籠との出会いでも感激するなどしながら、
なんか自分なりにちょっと
歴史を感じた瞬間でした。

近いうちにあのログハウスに
止まってみたいなあと
思いましたね。

ちなみに嘉兵衛は淡路で
59歳の時になくなっています。

その墓もまた、ログハウスの
そばにあるようです。

そうかあ59歳かあ。
もう自分より若い時に
亡くなった人なんですねえ。

それなのにあれだけの
実績とはすごいねえ。

doironは人生油断して
生きてきたよなあと、
しみじみ思ってしまいますねえ。

まあもう仕方ありませんね。

あと残りの人生も、
しっかり油断して楽しもうっと。

さて、この神社には
まだ特徴があります。
それが、ここのビリケン像。



中にあった石に昭和5年
と刻まれていたそうです。

実はビリケンはアメリカの芸術家が
夢の中で見た神秘的な人物なんだそうです。

足の裏をくすぐって
顔が笑ったら願いが叶う、
というものだったそうで、
それはもういまから
110年くらい前の話です。

しかしあの時は驚きましたねえ。
ビリケンさんといえば通天閣が浮かびますが、
そんな古い歴史を持つものだ
ということを、ここに来たことで
初めて知りましたね。

歩いていると少しずつ
知識も増えていくもんだな。

で、この神社はこれで終わりかというと、
そうではない。
もう一つあるのが「平経俊」の塚だ。



湊川の合戦で、
鵯越から降りてきたところを
源氏のものにやられたという
彼の塚は、この地域の過去の
名所案内である「福原びんかがみ」では
経俊の塚は佐比江の浜に
あるとされているのです。

そんなことを考えると、
どうやらこの神社にある経俊の塚は、
佐比浜から移転してきた
ということがわかりますねえ。

とまあ、嘉兵衛ゆかりのこの神社を
じっくり訪ねた後は、
コースをまたJR神戸線の方へと
戻していきます。

そのJRの手前で、
西国街道と交わるところにあるのが
「みなと八幡宮」です。



ここは西国街道の兵庫の町への
東の入り口であったらしい。

まあそれくらい前なら
汗汚い歩きdoironじいさんは
入れてくれなかったでしょうねえ。

さらし首になっていたでしょうか。
台の上で笑っている
doironの首があったら
変な感じやろうなあ。

入り口の総門の説明版には、
当時の状況が絵で描かれています。
昔は旅をするのも大変やったんやなあ。

でも田んぼ道とか山道通って
普通に街に入っていくことなんか
できなかったのかなあ。

当時の道の状況なんて
どんな感じやったのかなあ
と疑問を抱いたりしてしまうのでした。

続く