ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

青空の下、京田辺へ3

2017年10月16日 20時52分20秒 | ウォーキング

ちょっとした山の中から町に出てくると、
おおきな公民館があった。



ここはかつての
「薪小学校跡地」に立つ公民館だ。

この辺りの地名には「薪」という文字が付く。
そもそも昔から山の多い地域だったから、
こんな名前なんですかねえ。

こんな大きな火の見やぐらもあり、



なるほど地名が地名だけに
火事対策は厳重なんやろねえ。
それにしても
ああきれいな空やなあと
上を見上げていたら



電柱にプレートが張り付けられていました。



ああ、駅前の一休さんのところに
案内があったやつやね。



一枚ごとに一休さんのことが
書かれてあるプレートです。



もっと前からあったのか知りませんが、
やっとここにきて気が付きました。





これには、一休と仲の良かった
物部親当とのことが書かれてありました。

県道の大きな交差点を渡ると、
いくつも一休とんちロードの
プレートがありましたが、



まあこれらをすべて勉強して
書いたらめちゃ長くなりそうなので、
いろいろあったよと写真を
紹介しておくだけにしましょう。

その交差点の少し向こうに
一休寺が見えてきました。



ここがその入り口近くにある
「一休庵」です。



餅入りのうどんなんかが名物のようで、
たしか30年前に来た時もあったのかなあ。
全然記憶にありません。

今回もまだ時間も早いので
入らずに置きましょう。

入り口に回っていくと、
ここが山門です。



なんか記憶にあるような無いような。

石畳の道をすすんでいきますと、



料金所がありました。
ここで入山料を払い、
境内へと入っていきます。

まずは一休の墓所です。



一休は後小松天皇の烙印と
いわれていますので、
墓所の門扉に菊花の章がありました。

宝物殿にも様々な文書が
展示されていますが、
この一休さんの絵が
面白かったですねえ。



ここまで来て、なんとか
30年前にもここに寄ったことを
思い出しました。

あの頃は、一休さんといえば
漫画の主人公みたいなイメージだったのに、
実際にいた人なんやなあ
とちょっぴり驚いたのを思い出します。

でも肖像画を見ると、
漫画ではありませんが、
ちょっぴりユニークな
顔をなされていたようですなあ。

その先にちょっとした広場があり、
その先に小さな橋が架かっています。
そこに「このはしわたるな」と
書かれてあったのを見て、
30年前に来たことを
完全に思い出しました。



橋を渡ったらあかんから
真ん中わたるねん
といいつつ歩いたのを思い出します。

今回もそうしましょうと、
橋の真ん中に足を置いたとたんです。

「フギャー」

と大きな声が聞こえました。
およよ~と驚き、
飛び上がりそうになってしまいましたよ。

「え~ほんまに渡ったらあかんの?」
とよく見ると、

その橋は、こういう池の端っこにかかっており、
どうやらそこに大きな
ウシガエルがいたようです。

驚いて渾身の鳴き声で
泣きはりましたねえ。

静かなお寺で、ひと時の大騒ぎでした。

一休さんのいたずらですかねえ。

帰りは山道の中を通って帰っていきます。
3本杉を眺め、



鐘楼も眺めながら、



30年前のことなんかも
頭に描きながら、よしよしと
一休寺を後にしたdoironなのでした。

この一休寺のそばには、
能楽発祥の地である
薪神社もありますねえ。



一休寺の横の社面
別名「一休坂」を上がっていきますと、



その神社がありました。
階段を上がっていきますと
本殿が見えてきます。



その横には「能楽発祥の碑」
が立っています。



そ、その時です。
原チャリバイクに乗って
やってきた高齢じいさんに
声をかけられました。

「ここが薪神社ですかあ」
とバイクに乗って探索している風の
じいさんでしたね。

で、甘南備寺はどこかなあ
などともいってはりますよ。

続く