ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

なぎさ海道歩き旅3

2017年10月27日 21時11分46秒 | ウォーキング

碑のところに出ましたが、
ちょうどその碑の前で
携帯をいじっているおっさんがいました。

う~ん、ちょっと写真が取れないぞ
と困りましたが、まあここは厚かましく
「すみませんなあ、写真を撮るので
少しだけ場所開けてもらえませんかなあ」
と頼むと不機嫌そうに移動していきはりました。

「いやあ、偉いすんません」

と丁寧にお礼を言っておきましたぜ。
その碑がこれです。



ちょうど碑の真ん中の石には
「江井島」の案内が書かれています。

あ、そうそう「江井島」は
じつは「えいがしま」と読みます。

その由来には二つあるそうです。
ひとつは映画に出たから・・・ではなく
ここに「エイ」二号店があったわけでもありません。
昔この辺りに来た堺市の家原寺で生まれた
行基菩薩がここの海に来た
2匹のエイを外海に返すために
酒を飲まして追い払ったところから
「えいが島」と呼んだのでこの名前になった
という説と、
もう一つはこの辺りが「西灘の寺水」
といってええ水のわく井戸が
あったところから
「ええ水」から「江井島」となった
という説もあります。

「西灘の寺水」はその後この辺りの
酒業を発展させました。

まあいずれにしても「酒」の
関連する話ですねえ。
このあたりが「西灘」と呼ばれて、
酒屋さんが増えたところらしい由来です。

でもここで明石と海というと
思い出す事故もまた2つありますねえ。

ひとつがここからもう少し東の
「大蔵海岸」で花火大会が行われた年に、
駅前の歩道橋で11人が圧死した
という事故と、同じ年の
13年7月に同じく大蔵海岸で
女子が一人砂浜に埋め込まれる
という事故もありました。

大勢の人々、海という自然が
引き起こした事故と、
その時の明石市役所はきっと
大変だったでしょうねえ。

なので、ここにはそういう事故を
教訓として、砂浜異常時の
連絡をしてくださいという
張り紙がしてあります。



そしてそんな碑のところから
少し先の西側には整備された
海岸があります。
夏は海水客なんかで
にぎわったんでしょうねえ。

いまは、小学生低学年のような
子供たちが遠足に来ていますよ。



海辺の遠足なんてきっと
先生たちは大変なんでしょうねえ。

緊張満タンでやってきてるんでしょうねえ。

あの砂浜のような事故が
起こらないように
いっぱい気を使っているんでしょうねえ。



そんな浜辺の横には
江井住吉神社が立っています。



この海岸に出てから
2つ目の住吉神社ですね。

神功皇后が「真住吉」といったことによって
名付けられた大阪の「住吉」。

かつてその地は海に面したところ
だったことから、海の神様として
広く伝わっているわけなんですねえ。

で、このへんは海辺の町の様子が
続いています。



ここには長楽寺という寺が
あることになっていますので、
ちょっと村中の方へと入っていきましょう。



行基菩薩がひらいたお寺で、
地元の人らには



「行基さん」とか「上人さん」

と親しまれていますし、
ここで開かれていた寺子屋が
後に小学校へとなっていった
という地元にはとても大切なお寺です。

で、この頃にちょうどお昼になりました。
この日はdoironは弁当なしで来ています。

そりゃあなんといっても明石の町ですから
「蛸飯」の昼食でも食べてみよう
と思っていたので、
そろそろこの辺で食堂なんかを
探しつつ歩かなくてはなりませんね。

でもなかなかねえ。



こんな店もあるのですが
思うようなところが見つかりません。

三つ目の住吉神社もこえると、



漁村に出ていきます。
おお漁村があるということは
蛸の漁もあるのでしょう。

やがて道は少し出たところで
赤根川の西島橋をこえていきます。



そこで右下にあるのが、
なかがわ明石江井島酒館という施設です。



食堂もあり、蛸飯という
メニューも上がっていますので、
ここに入っていきましょう。

続く