ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

親父の退院

2013年02月18日 21時46分31秒 | 生活

間もなく91歳になろうとしている親父。
先月中ごろから入院していて
今日やっと退院した。

さすがに今回は
入院前の状態がひどく
本人も「もう帰ってこれないかも」と
腹をくくって入院をした。

病気は、心不全からくる
肺の不調。

血痰と意識薄弱で
いつも歩いている親父が
さすがに今回は車いすで病院に行った。

治療はというと
点滴による水分補給等で
利尿を促し、肺に溜まった水を
排出させるというもの。
まあ、切った、貼ったがなく
本人にしてみれば
点滴しながら寝ているだけの
楽な治療であるから
負担も少なく、みるみる元気を回復した。

入院中は毎日、病院へ通った。
身の回りの世話と
足の状態確認、それと尿の糖分が高いので
薄味の食事が続いているから
余計な買い食いをしないか監視だ。
なんでこんなことをしないといけないのかと
少々情けなくもなる。

幸い、脚は全く衰えを見せず
入院後1週間くらいで
点滴の支柱台に尿バッグをぶら下げ
ガラガラと押しながら
病院中を歩いて回るようになった。

そうなったら、もう普段の生活の
単なる延長だ。
本が読みたい、新聞が読みたい
筆記具と手帳がほしいなどと
次々に注文が出てくる。

読んでる本と言えば
「ニュートン」や「VOICE」など
およそ、高齢者が読むような本ではない。
お願いやから、宇宙の仕組みも
素粒子の謎も追求しなくていいし
アベノミクスについて意見収集をしなくてもいいから
せめて糖尿の仕組みを学ぶことや
アベノハルカスの開業のニュースを
読むくらいにしておいてほしいと
思ったものだ。

そんな病院暮らしの中で
90歳にしては驚異的な回復力で
肺の水も排出され
体調も整ってきた。

入院前にはあんなに弱気だったのに
もうそんなこともすっかり忘れた様子で
我が物顔で病床を自分好みに営巣し、
優雅な病院生活に慣れ親しみ始めた今日
親父には名残惜しくも
ついに退院となりました。
朝から受け入れの準備をし、
早々に連れに行ってきた。
病院では自分ですたすた歩き、
ナースの詰所の前に行って
大声であいさつをし、
ひと騒動しながら、家に帰ってきた。

実は親父の退院を最も喜んだのは
息子のdoironでもなく、
息子嫁のミセスでもなく
いつも一緒に昼寝も夜寝も添い寝をしていた
愛犬グーであった。

帰ってくるなり、甘えた声で
くぅ~ん、くぅ~んと鳴きながら
すり寄って行ってたなあ。
「もうあかんて言うてたのに、
よう帰ってきたなあ。
おかえり、おかえり」
とでも言いたげだ。

さっそく今夜は赤飯を炊き
鍋料理で迎えてあげた。
久しぶりに、味気ない糖尿食ではなく
普通の食事にありついて
満足げだった。
doironもお祝いを口実に
今夜はおいしい日本酒をいただきました。

この分じゃ
当分、まだまだ介護の日々は続くんだろう。


応援ツアー

2013年02月17日 22時04分49秒 | マラソン

家のことはいろいろあるけれど
この日ばかりは一日家を出て
マラソンの応援に行かせてもらった。
だって、今日のマラソンである
「泉州マラソン」はこれまで
皆さんにさんざん応援していただいた大会だ。
親の死に目に会えなくても
(と、doironが言うのはあまりに生々しいが・・・)
このマラソンの応援にはいかなくては
なるまいて。

ということで、スタート地点の
浜寺公園に行くと
さすがのマラソンブームを
反映してか、いつもの仲間たちが
集まる場所に今日は見知らぬ顔が大勢集まっていた。
そうやねえ、doironが
この大会を走らなくなってから
3年以上経っているもんね。
今年初フルという人も
結構いたと思います。

その後は、11km地点
15km地点
それから31km地点に出没しながら
写真も撮影したよ。
写した写真は、広報H野クンにでも
メールして送っておきます~

で、結局応援はどうだったのか?
詳しくはまた後日のブログでできたら
お知らせしまあす・・・


初メガネ

2013年02月16日 21時37分52秒 | 最近の出来事

先日ブログに書いたように
絵を描いたり、本を読んだりで
近頃ほんとに目が疲れる。
午前中、絵を描いたりすると
午後、車に乗るときなどは
かなり目をしかめないといけない。

聞くところによると
目にとって負担となる距離に
じっと焦点を当てていると
目の筋肉も疲れるらしい。

そういえば、これまで脚、腰、腹筋、背筋と
いろんな部位の筋トレはしてきたけど
目の筋トレはしてなかったしなあ。
そもそもやり方もわからんけど。

太陽光に関しちゃかなり防御はしてきた。
常に目は細目にしか開けていないし
奥にしまってあるし
サングラスもたいてい着用していたもんね。
もっぱらOAKLEY製を愛用していた。
ことマラソンやトライアスロンの
道具類には惜しまずお金をつぎ込んだもんね。
サングラスはバイクには必需品。
太陽光から目を守るだけじゃなく
雨、風からも目を守ってくれるからね。

なので、オークリーのサングラスは
これまで10本は買ったと思う。
でも、これまで一度も作ったことのなかったのが

普通のメガネ

最近のライフスタイルからは
欠かせないアイテムであろうと
思い切ってメガネを作ることにした。

では、どこへ行けばいいのか。
先日から考えていたので、
気にして眼鏡屋さんを見ていたけど
眼鏡屋さんと一口にいっても
いろんなお店があるね。
メガネの愛眼
メガネの三城
眼鏡市場
クレメガネ
メガネスーパー
JINS
等々
車で走っても、お店街を歩いていても
かなりのお店が点在しているもんだ。
まあ、それもそうだろう
世の中の半数以上は眼鏡を持っているんだろうからね。
需要は結構あるんだろう。
ただ、これまで一度も作ったことが
ないので意識していなかっただけなんやね。
で、結局どこの眼鏡屋さんにしたかというと
幸い、最近眼鏡屋さんで働き始めた
友達がいるので、その人に
お願いしようと今日訪ねていった。
そこは、

メガネの愛眼

お店に行くとその人がいたので
さっそく相談。
まずはフレームの選択からだ。
プラスチックレンズでメタルフレームの中から
選ぶことにした。それが第一条件。
で、次は形だけど、ここで
店員さんのアドバイスが出た。
「doironさんは顔が丸いので、
四角っぽいフレームがいいかも」
とのことである。
はいはい、そこはお任せいたしましょう。
次にフレームの色ですが、
これは好みでブルーをと思い、
ひとつを手に取ったですが
着けてみるとちょっと幅が大きすぎるようで
結局、形が最もしっくり来るものの中から
パープルのフレームを選んだ。
これ



パープルとはいってもおとなし目なので
まあ、最初はこんなものでいいだろう。

フレームが決まったところで次にレンズです。
そのために必要なのが

視力検査

店の奥まったところで、
機械の前に座ったり
特殊なメガネをかけて
レンズを差し替えながら
画面に表示されるランドルト環を
見ながら測っていただいた。

視力は1.0と0.8でしたが

右目は近視、左目は乱視が入っている。

普段はめがねを特に必要としないので
用途は、絵を描いたり、パソコンをするとき用に
手元にきちんと合うように
選んでくれた。

こうして、57年近く生きて
生まれて初めてのメガネが出来上がる
ことになった。

そのフレームにあわせたレンズカットに
2、3日くださいとのことでしたので、
週明けに受け取りに行ってきます。

これで、思うぞんぶん絵も描けるな。

じゅんちゃん、お世話になりました。
ありがとうです~。


もうすぐ2013泉州マラソン

2013年02月15日 22時19分57秒 | 生活

ジムで5キロほど走り
昨夜はエイに行った。
先週の約束通りに、額に入れた
絵を持ってくと
喜んで飾ってくれたよ。



そんな近頃のエイは、
もっぱらS藤さんと二人なのだが
僕らが来ていないとき
すなわち木曜日以外に
知り合いが来たりすると消息を
伝えてくれる。

最近、闘病の日々を送っている
友達の様子もいろいろと教えてくれる。
S藤さん自身も、脚を故障しているのだが
今度の日曜日の泉州マラソンには
一か八かで出場してみるとのことだ。

ん、誰だ?今週なのに先週マラソン
なんてしょうもないことを言ってるのは。

とにかく、今できる頑張りはしておきたい。
男性の平均寿命を考えたら
残り少ない人生をメいっぱい
楽しんでおかなくちゃというような
感じでS藤さんは話していた。

そういえば、doironが泉州マラソンを
走らなくなってからもう3年になる。
第1回大会はもちろん走った。
羽衣のあたりで
1952年、25歳でヘルシンキオリンピックに出場した
山田敬蔵選手に声をかけられ
話をしたのを覚えている。
「このコースは、昔毎日マラソンの
コースじゃなかったかなあ」と山田選手。
僕が「たしかそうだったと聞いてますよ」と答えると
「そうだね。この松並木の中をアベベ選手と走った記憶があるよ」と
話してくれた。
確かその時も彼は三時間そこそこで
ゴールしていたように記憶しているが
4年前の夏に81歳でフルマラソンを引退したそうだ。

寛平ちゃんとも話したことがある。
30キロ過ぎでへばっている彼に追いつき
「血ぃ、吸わしたろか」と言ったら
「ええわ~」と答えてくれたっけ。

今や政界にときめくそのまんま東に
追いかけられるようにしてゴールしたこともある。

エイのママさんたちも
よく沿道に出て応援をしてくれたし、
今は介護のスーちゃんも
近所の人と出てきてくれて
よくハイタッチをしたもんだ。

地元で開催されたので
ほとんど毎年出ていたこの大会。
そうやなあ、15回くらいは出たかな。
楽しかったマラソンライフの思い出と
たくさんの部分が重なっている。

日曜まで寒さは続くとのこと。
大会に出られる皆さん、
あったかい恰好で
僕の分まで頑張って楽しんでくださいね~

スタート地点には出没します。


森の近くに住んでます

2013年02月14日 22時01分33秒 | 自然

昨日、スズメをあまり見なくなったと
ブログに書いたのですが、
まるでそれを読んでいたかのように
今朝はここにいるぞとばかりに鳴く
スズメの鳴き声で目が覚めた。

どうやら庭の梅の木に刺したミカンに
たまにやってくるようだ。
そのミカンには、
メジロを筆頭にスズメ、
ヒヨドリ、ムクドリ、キジバト、カラスが
やってくる。
カラスが近くで鳴いているときは
警戒してやってこないけど
他の鳥同志だとかなり近くに待機して
順番を待っているような感じだ。
だいたい、体の大きい順に
優先順位がついているようだ。

今朝も早くからミセスが枝にミカンを
刺したようで、それに集まってきていたようでした。

野鳥が多いのは、近くに
神社の鎮守の森があるからでしょう。

近所の公園に散歩に行く途中
神社の周りを歩いていくのですが
そんなときには森の中から
いろんな鳥の鳴き声が
にぎやかに聞こえてきます。


公園から見た神社の森

地域を守るために造られた”鎮守の森”
毎年祭のとき、だんじりの曳き出しのさいに
あげられる神主の祝詞の中には、
氏神(うじがみ)や産土(うぶすな)神の言葉も
あります。
ここでは鎮守の神様も合わせて同じ意味で
使われているのでしょう。
この森には、樹齢500年、高さ約20mのクスノキを初め



立派なクスノキ。幹回りは約3m

そうやねだいたい200本くらいの樹木があります。
種類も松、イチョウ、カツラ、ムクノキ、ナラ、ウバメガシなど
結構豊富で、多彩な植生を形成しています。
なのでそんな森の中には、
doironの庭に来る鳥の他
モズやガラ類の鳥も結構いるようです。
昔は、キツツキの仲間が
ト、ト、ト、ト、トッと木をたたく音が
聞こえていたこともありますが
この頃は全然聞きません。
代わりにと言っちゃなんですが
夜にホウ、ホウと鳴くフクロウ科の鳥の声が
たまに聞こえるそうです。
去年はdoironも聞きましたが
今年はまだ聞いてません。
もっと昔、子供の頃には
この森にウサギも住んでいました。
そんな鎮守の森の鳥を
撮影したいなと最近ちょっと考えてます。
今あるレンズは35mm換算で150mmが最高なので
もう少し望遠があればいいのですが・・・。

玉虫、カミキリムシ、かたつむり
ミノムシ、イタチ、ウサギ、モグラ等々

そんな生き物達を産まれて初めて見たのも
この神社の森でした。
きれいに下草を刈り
近隣住宅に配慮して
衛生状態を良好に保とうとすることで
今ではせいぜいミノムシくらいしか
見ることがなくなったのは寂しい限りです。


着たきりスズメ

2013年02月13日 22時14分14秒 | 生活

近頃は着たきりスズメのことが多い。

冬中をユニクロのズボンで過ごし
セーターはユニクロ&シマムラで事足りた。
上着はもちろんマイクロフリース。
ミセスdoironも緑のマイクロフリースを
来る日も来る日も着用しており
自分でも、「これが制服だ」などと
のたまわっている。

こんな風に、毎日同じ服を着ていることを
「着たきりスズメ」とよく言う。
これは
古くなってくるとスズメ同様に、
茶色に変色してくる様子から
名付けられたのだと思っていたが、
最近気づいたんですが
これはどうもちがうようです。

語源は

障子の貼り替えに
使おうと思っていた糊をなめたために
舌を切られた
「舌きりスズメ」からきてるんでしょうねえ。

前の前の職場で働いていた頃は
スーツにネクタイだったので
さほど服装を考える必要はなかった。
ちょっといいものさえ着ておけば、
それでよく、毎日考えることもなかった。

ところが、前の職場に行った頃から
仕事もカジュアルでいけるようになったので
おしゃれにいろいろ
気配りをしないといけなくなった。
春から秋にかけては
そんな感じに着る服を選んで
色々と着ていたもんだが。

やがてそれも退職し、冬を迎えたら
ますます何も考えなくてよくなった。
そんな中では断然、
ユニクロのヒートテックがありがたかったなあ。
とってもあったかいし
インナーだからほとんど目に触れることもないしね。
なんといっても安いのも魅力だ。
なので二枚買って、今冬はほぼ全期間で、
着尽くした感がある。
(今も着ているけどね)

思えばシーズン初めに買った服を
シーズン中に着尽くすという着方をするのは
多分初めてかもしれない。
これはこれでメリットがあって
清潔にさえしていれば
いろいろ考えなくてもすむ
着たきりスズメもなかなか楽ちんでいいもんだ。

あ、そうそう
そういえば近頃あまりスズメを見なくなった。
まさか冬眠じゃないだろうて。
カラーベストの屋根なんかが普及して
営巣環境が限りなく少なくなったのが
やはり原因だろう。
野生のスズメは激減したが
世の中、ますますの高齢化で
着たきりスズメの方は
とめどなく増えていくだろうけどね。


一輪の花にもかなわない

2013年02月12日 22時00分57秒 | 最近の出来事

1945年に人類史上初めて
核実験が行われて以来、
これまでに世界中で行われた核実験は
実に2000回を超えている。
最近では、言わずと知れた
北朝鮮による本日の核実験である。

しかし、核実験というのは本当に
必要なのだろうか。
様々な記録技術、分析技術、
シミュレーション能力が
飛躍的に向上している中で
これほどの回数をこなさないと
いけないのは何故なんだろうか。
核実験によりまだ収集できていない
データなんてあるのだろうか。
と、まず我々小市民は考えるのである。

何度も繰り返される理由を考えてみると
そのひとつの理由としては
核実験というのが
重要な軍事機密であるため
いっさい公表されないということがある。
それぞれの国がそれぞれの方法で
行うために同じ実験でも
何ヶ国かで行われるということがある。
じゃ、公開すればというと
核を助長するようなもので
それも難しいということがある。
それにしても1000回を超えるという
アメリカの実験回数は何なんだろう。
まさか、期限切れの核爆弾を
処分しているんじゃないやろうね。
ま、後進の開発国なんかじゃ
政治的プロパガンダとして行われている
ケースは多々あるんだろう。
核実験の歴史の中から
水爆も生まれてきているのだから
やはり核の使い方を間違えているとしか
言いようがない。

核実験の歴史に上乗せされて
刻まれてきたのが
核実験縮小の歴史だ。

まず、1963年のPTBTにより
大気圏内での実験が禁止され、
以後の実験は地下で行われるようになったが
これも1974年のTTBTで
最大核出力が制限されることになった。
そして、まだ発効はしていないものの
1996年から署名の始まったCTBTで
地下核実験も中止ということになっている。

これらの動きを受けて
いま行われているのが
核物質が臨界に達する前に実験を停止するので
核爆発を伴わないという
臨界前核実験だ。

このように核実験の歴史は
核実験縮小の歴史であり、
それは人類の良心に基づくものであるのに
今回を含めた北朝鮮の3回のそれは
おろかとしか言いようがない。
同じ人類として
恥ずかしいと思わざるを得ない。

国際社会にたてつき
非協調性を持って
国威発揚と考えているお国柄は
救いようのないものだ。

それにつけても
人間は愚かだね。
花一輪ほどの高貴さも
持ち合わせていない。


いたずら親父と言われた日

2013年02月11日 21時56分50秒 | 最近の出来事

昔、徳之島のトライアスロンに
初めて行ったときのことだ。
スイムが不安なdoironはいつも
選手の群れの後ろの方からスタートするのだが
こわいもの知らずの友人は
いつも先頭の真ん中から
一流選手に交じって
堂々とスタートをしていた。
その時もいつも通りに
先頭集団の真ん中に陣取っていたら
周りのセミプロのような連中に
「コースはどのブイを回るんですか」と
聞かれたらしい。
当然、体育大学出身の彼は
ちゃんと教えたそうだが
そこでウソを教えていたら
どうなっていたのかと、
レース後にその話題で盛り上がったことがある。

なぜ、その話を思い出したかというと
先日、フキノトウを初めて販売するという
八百屋さんに
「これはどうして食べたらいいの?」と
聞かれたからだ。
あとで考えたら
あの時に
「はい。これは娘が生のままチョコでコーティングして
バレンタインに贈るので買ってきてくれと言われたので・・・」
などと言ってたらどうなっただろう。
翌日の店先に
「バレンタインにフキノトウチョコを」
なあんて掲げていたかもね。
それにしても、フキノトウの
食べ方を知らん八百屋さんなんて
初めてでしたわ。

それくらいのいたずらは
許されるだろうて

doironは地元の連中を相手にも
よくいたずらをする。

正月明けに、ある新年会に行った時だ。
チューハイを飲んでいる
年下の幼馴染が、
話に夢中になっていたので
横を向いているときに
チューハイの中に
七味をたらふく入れてあげた。
話をしながら、コップを手に取り
グイッといった彼の末路は・・・

意外に全然気づかずに
終わってしまいましたが、
それをはたから見ていた他の友達と
大笑いしちゃいました。

昨日も寄合があったのですが
その時も面白いことがありました。

ある柴犬を飼ってた友達がいました。
そうそう、先日ブログに書いたように
屋根の軒下に30年前から
鍾馗さんが乗っかっていたのに
知らなかったというあの友達です。
その飼い犬が半月ほど前に
15歳という高齢でこの世を去ったのです。
年老いてからは凶暴で
飼い主にさえかみついてくるように
なってしまっていたので、
散歩に連れていくこともできず
ずっと、太い鉄柵で囲われた
檻の中で飼われていた犬である。
ところが、そんな犬でも、
亡くなったらやはり可哀そうで
散歩にも行けなかった
身の上が不憫だと思ったのだろう。
家にあった犬の置物を
檻を撤去した所に、置いて、
在りし日を偲んでいたそうだ。
それを見かけたdoironも
家の中にあった犬の置物を持って行って
こっそり並べておいてあげることにした。
こっそりとはいうものの
今度顔を合わせたら
「僕も置いといたで」と
言ってあげようと思っているうちに
すっかりそのことを忘れてしまっていたのだ。
そして昨日の寄合の時に
犬の置物が増えていてどっきりした
という話を彼がしていたので
「わしや、わしや」と言ってあげたら
「不気味なことせんといてやあ」と
言われちゃいました。
置いたことを言いそびれたおかげで
めちゃいたずらをしたように言われちゃいましたわ。

それともう一つ
昨年末の夜警の時に
みんなで缶コーヒーを飲んだ。
その時に、めくって応募してくださいみたいな
あのよくあるシールをはがし
一緒に夜警を回っていた幼馴染の一人の
上着の背中にそって貼っておいてやったのです。
そしたら、昨夜の寄合に来た時に
まだそいつの背中に
シールが貼りついたままになっているではあ~りませんか。
で、そいつに「上着はクリーニングしないんか?」と聞いたら
「夜警の時くらいしか着てなかったからな。でも、なんで?」
と言うので、シールのことを言ってあげたら
「なんてことをするんやあ」とあきれていた。
その日の寄合が終わったら
ぼちぼちタンスの奥にしまおうと思っていたらしく
それを言わなかったら
一年くらいついたままになるところだったそうな。
「言ってあげたんやから感謝しいや」と
言うてきかしときました。

あたしゃ地元じゃ、
ちょっとしたいたずら親父なんです。


早春の一日

2013年02月10日 22時27分27秒 | お絵かき

早春の画題探しも兼ねて
スーちゃんの施設まで歩いて行った。
住んでいる市の、ほぼ端から端だけど
距離にしたら3km位なので
普通に歩けば一時間もかからないが
軽い運動にはなろうと
てくてく歩いて行った。
荷物は、シマムラで買った
スーちゃんの着替えが一枚と
お気に入りのジュースが5本。
それらをバッグに入れて
いざ出発である。

まずは、通りかかった臨海の公園で画題探し。

日当たりのよい草むらで
小さなロゼッタの中央に
花茎のないタンポポが咲いていたが
早春というにはちょっとそぐわないな。
木々の新芽も先日描いたから却下。
なかなかないものである。

臨界道路に沿った小道は
かつて走り始めたころの
もっぱらのトレーニングコース。
自転車で距離を測って
歩道にこっそりペンキで距離表示を
書いたりした道だ。
沈丁花や、ユキヤナギ、レンギョウなども
植わっているはずだと
期待していたが
今冬は寒かったせいか
花の姿はまだなく、
枯葉がカサカサ風に舞っているだけでした。

もっと春になったら
樹木のトンネルになったこの道でも
描きにきてみようかね。

そうこうしているうちに
スーちゃんの施設に到着。
暖房のきいた施設に入ると
3キロ歩いて少し温もった体には
暑いくらいだった。
中に居る分には快適なんだろうけどね。

身の回りを片づけて
親父の入院の状況について報告し
また、近所の人の日常話を教えてあげた。
退屈なことない?って聞いたら
いや、毎日楽しいよと
言ってくれるのはありがたい。
その様子は、まんざら子を思う親の気持ちから
強がりを言っているのでもなさそうだ。
歩いてきた事を告げると
びっくりしていた。
今度、車いすを押して歩いて
一時帰宅しよかと言うと、
これはさすがに抵抗されたわい。

しばらく時間を過ごして
じゃあ、またと施設を出てから
きた道とは全く違う道を歩いて帰った。
途中、昔からの商店街を歩きながら
八百屋の店先をふと見たら
フキノトウが売られていたので
これでも描いて楽しんだ後、
てんぷらにでもしてもらおうと
買うことにした。
「これくださーい」とパックを持っていくと
八百屋のおばさん曰く
「ふきのとうはうちでは初めて仕入れたんや。
へえ~買う人あるんやなあ」だって。
それはあまりにも世間知らずというものだ。
今や、大手スーパーに行くと
タラの芽、山ウド、ワラビ、ぜんまい
などと一緒にどこでも扱ってるのにねえ。

スーちゃんに荷物を渡したので
空になったカバンにフキノトウを詰め
大きく遠回りをして帰った。
歩いた距離は6キロくらいで
歩数にしたら1万2千歩くらいでした。

帰ってから、さっそくフキノトウの絵を描いた。
早く描かないとてんぷらにしてもらえないからね。
くるくる丸まった葉と淡い、いかにも
早春を思わせる薄い緑が難しい。
ようやく書き上げた絵に
今度は入れる言葉がなかなか出てこない。

フキノトウは、食べるとほろ苦いが
その味もまた、早春を象徴するような味だ。
その辺を書きたくて、ようやく言葉を考え
入れたのがこれ。



学生の頃、雪の里山で
いくつも見かけた思い出と重なって
フキノトウはとりわけ思いで深い
早春を告げる山菜の一つだ。

それにしても
自然の中ではなく八百屋の店先で
”早春”に出会うというのは
都会暮らしにはありがちなことなのである。


ほほえみ返し

2013年02月09日 22時18分10秒 | 最近の出来事

最近「PM2.5」という言葉をよく耳にする。

これは、微笑粒子状物質と言って、
おっと違ったそれじゃほほえみ粒子状物質だ。
ワライダケの粉末だ。
そうではなくて
微小粒子状物質といって
空気中に漂う2.5ミクロン以下の
大きさの粒子の浮遊物を総称していう。

中国の北京あたりでまき散らかされた
このPM2.5が偏西風などによって
日本に押し寄せているというものだ。
わからない人は、PM2.5というくらいだから
午後二時半ころが危ないのだと思っている人も
いるとかいないとか。
また、まさかPM2.5と江頭2:50
は親戚のようなものだ思ってる人もいたりして。

ではこのPM2.5というのが
なぜ発生するのかというと
すべての先進国が
環境汚染と戦いながらも工業を発展させて
きたというのに
中国は、まったく勝手に汚染物質を
排ガス、ばい煙、各家庭の石炭ストーブ
などから大量に吐き出しておいて知らん顔だから驚く。
最も自国の人間も難儀しているのに
みなよく黙っているもんだ。
よくわからないお国柄であるし、
尖閣の問題、領海・領海侵犯の問題
攻撃用レーダー照射の問題もそうだ
まったく不愉快な国でもある。

日本の大気汚染防止法で環境基準が
定められているのはPM10、すなわち
10ミクロン以下の浮遊物質の総称である
SPMと言われる項目だが
ディーゼル排ガス規制などの中で
注目をされるようになってきたのが
PM2.5だ。
径が小さいので、より肺の奥深くにまで
入り込むという。
そのため、2009年だったか
環境庁告示の中で
たしかこのPM2.5の規制も
行われるようになったと思うのだが・・・

いずれにしても
ぜんそくや気管支炎の原因にもなるという
このPM2.5に対しても
領空侵犯だとか
緩い毒ガス攻撃だと
いちゃもんつけちゃどうか
とか、あるいは
北京大使館前で江頭にパフォーマンス
さしちゃどうかなどと考えている。

そう、これぞ微笑返しというもんだ。

え、だ・か・ら・微笑じゃなくて微小だって?
失礼こきました。