ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

信太、楽しむのだ3

2013年02月28日 21時28分31秒 | ウォーキング

さて、もうここまで来たら5kmくらいは
歩いたでしょうか。約6000歩となっています。

聖神社を後にして
しばし住宅地の静かな車道にそって歩くと
惣ヶ池遺跡のある公園に到着です。




この信太山というところは
陸上自衛隊の演習場として
長い間開発されることもなく
原野の様相を保ったまま
今日に至る貴重な自然の宝庫となっています。
都会の近辺で、非常に珍しい
生態系を残しているわけですねえ。

なかでも惣ヶ池に代表されるように
信太山の中には湿地が多くあり、
赤土の地質が
水はけを悪くして
湿ったところの多い原野なのです。

それゆえ、虫なども多く発生することから
知る人ぞ知る

「食虫植物の宝庫」

と、マニアの間で言われています。

まだ、演習場内が立ち入り禁止じゃ
なかった頃によくここに来て、
写真撮影をしました。
当時のカメラは、自然写真で
よく使われていたOM1。
もちろんフィルム写真ですから
今のようにすぐに確認できるものではなく
写真屋さんから現像が上がってくるまで
ドキドキ、ワクワクして待ったものです。
今回はそんな写真をいくつか
データ化していますので
doironコレクションの中から数枚紹介しましょう。

まずは、食虫植物と言えばこれ



モウセンゴケですね。
撮影日は昭和59年6月3日です。
信太山で撮影しました。
古い写真で、白がトンでいます。



花はあまりご存じないでしょうが
根元の葉っぱを見ればわかりますね。
ネバネバしていてここで捕虫します。



そしてこれは少し珍しいイシモチソウ
これも白がトンでいて
露出操作が未熟だったんですねえ。
石さえ持ち上げるというその葉っぱの
ネバネバ力は特筆ものです。
モウセンゴケと同日に撮影しました。

そしてこれは、食虫植物でも
別の科のタヌキモの仲間です。



ホザキノミミカキグサ

根っこに捕虫嚢という器官を持っています。
この頃には、カメラはマルチ測光のできる
OM4になっていますし、
リバーサルフィルムで撮影するようになりましたので
そのラチチュードの狭さから
露出に気を遣うようになりました。
昭和61年8月29日の撮影です。
こんな小さな食虫植物を撮影したくて
マクロレンズもその頃買いました。

湿地が多いということで
信太山には野生ランも多くありました。



これはカキラン(昭和59年6月24日撮影)



そしてこれは
オオバノトンボソウ(昭和59年7月8日撮影)です。
大阪周辺で野生ランを見ることは
めったにありません。

週末ごとに、胸ときめかせて
信太山の原野をさまよったものです。

今はほとんどの部分が
立ち入り禁止となっているのが残念です。
原因は、相次いだ不法投棄などで
管理責任を問われたからでしょう。
まったくろくでもないことをする奴らやね。

そんな信太山原野を貫く道を
今は携帯片手にてくてく歩き、
昔のことを思い出しておりました。

やがて、原野から少し人里のようなところに出ると
静かな山寺に出ます。
昔の武士の血で汚れた床板を
天井に使っているという

陰涼寺



山門には仁王さんがいて
本殿の屋根には大きなしゃちほこのある
なかなか立派なお寺です。
曹洞宗と書かれてありました。
境内には立派な銀木犀や桜の古木があり
季節ごとに訪ねてみるのもよさそうです。

やがて、クロスカントリーのゴールも間近の
山荘町に出ます。
そこからは車道の横の歩道をてくてく。
住宅街に入って間もなく
伯太神社の神域となっている

丸笠山古墳



も訪ね、歩数にして約1万5500歩。
距離約11キロを
三時間かけて歩いて彷徨したのでありました。
他にも八阪神社も懐かしい場所でした。
昔の子供の頃の思い出満載の場所で
残った分はまとめて、明日の最終編で
ご案内いたしましょう。

てなわけで、信太、楽しむのだシリーズは
次回の最終編を持って終わりです。