1945年に人類史上初めて
核実験が行われて以来、
これまでに世界中で行われた核実験は
実に2000回を超えている。
最近では、言わずと知れた
北朝鮮による本日の核実験である。
しかし、核実験というのは本当に
必要なのだろうか。
様々な記録技術、分析技術、
シミュレーション能力が
飛躍的に向上している中で
これほどの回数をこなさないと
いけないのは何故なんだろうか。
核実験によりまだ収集できていない
データなんてあるのだろうか。
と、まず我々小市民は考えるのである。
何度も繰り返される理由を考えてみると
そのひとつの理由としては
核実験というのが
重要な軍事機密であるため
いっさい公表されないということがある。
それぞれの国がそれぞれの方法で
行うために同じ実験でも
何ヶ国かで行われるということがある。
じゃ、公開すればというと
核を助長するようなもので
それも難しいということがある。
それにしても1000回を超えるという
アメリカの実験回数は何なんだろう。
まさか、期限切れの核爆弾を
処分しているんじゃないやろうね。
ま、後進の開発国なんかじゃ
政治的プロパガンダとして行われている
ケースは多々あるんだろう。
核実験の歴史の中から
水爆も生まれてきているのだから
やはり核の使い方を間違えているとしか
言いようがない。
核実験の歴史に上乗せされて
刻まれてきたのが
核実験縮小の歴史だ。
まず、1963年のPTBTにより
大気圏内での実験が禁止され、
以後の実験は地下で行われるようになったが
これも1974年のTTBTで
最大核出力が制限されることになった。
そして、まだ発効はしていないものの
1996年から署名の始まったCTBTで
地下核実験も中止ということになっている。
これらの動きを受けて
いま行われているのが
核物質が臨界に達する前に実験を停止するので
核爆発を伴わないという
臨界前核実験だ。
このように核実験の歴史は
核実験縮小の歴史であり、
それは人類の良心に基づくものであるのに
今回を含めた北朝鮮の3回のそれは
おろかとしか言いようがない。
同じ人類として
恥ずかしいと思わざるを得ない。
国際社会にたてつき
非協調性を持って
国威発揚と考えているお国柄は
救いようのないものだ。
それにつけても
人間は愚かだね。
花一輪ほどの高貴さも
持ち合わせていない。