ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

とうとう、踏破 6

2013年11月17日 21時47分39秒 | ウォーキング

長々と書いてきましたこのシリーズも、
ゴールに近づいてきました。
あともう少しです。

和泉橋本の駅から30号線に出てしばらく行きますと、
地蔵堂の交差点に出ます。
ここから再び交通量の少ない旧街道道に入っていくわけですが、
この交差点から左の方に
「原宮」があったとされています。

このあたりの地名を王子と言います。

王子というのは何も熊野信仰特有のものではありません。
王子信仰というのがあり、
それがこの熊野街道では
修験者の守り神が童子の姿をしているところから、
特に顕著になったものだといわれています。

現に、王子の地名は各地に多くあります。
東京の八王子なんかもそうです。
熊野街道では休憩所であり、
物資の調達所というイメージが強くありますが、
復路ではあまり顧みられないところから
その機能は二次的なもので、
やはり遠く熊野に向かう人々の
信仰心を満たす宗教的なところであったというのが、
最近の説だそうです。

なので、王子と言っても
少なくとも大規模な宿泊所があるわけではなく、
遙拝所であったり小さな権現さんであったりしたようです。

浅宇川王子に続いて、
次の王子である鞍持王子も、
今は個人の小さな水田にあったとされており、
それが先ほどの「原宮」と言われています。
このスーパーの向こう側あたりだとされています。



どうせいっても碑もないし、
どの水田なのか特定できないだろうから、
大体の位置を確認して
田舎道をてくてく歩きながら、
次の近木王子へと向かいます。

近木王子は、
今は南近義神社の合祀されていますが、
それ以前にどこにあったかは定かではありません。
しかし、その後の様々な調査から、
ほぼ2か所に絞られています。

ひとつが正福寺あたり。

南近義神社の手前で街道をそれて
保育所のところを右折すると、
正福寺があります。



小さな太鼓橋を渡ると



境内に入っていきます。

その境内の北側の地蔵堂の後ろにある民家あたりが、
廃社となった王子権現社の址地であるというのがひとつの説です。

南近義神社はそこから少し先にあります。

ここ。





今はここに合祀されているそうです。

ここを過ぎて、入り組んだ村中の街道を歩いていくと、
もう一つの近木王子址と推定される場所に出ます。

そこは全くの住宅地になっています。

ちょうどこの狭い通路の右手の住宅街がそうです。



吉祥園寺と善正寺に挟まれたあたりになります。

そんな王子跡をチェックしながら歩き続けます。

見出川に架かる貝田橋から
右斜め方向に街道が続きます。

ここで泉佐野市となります。

住宅街をしばらく歩いていくと
左手に貝田町会館があります。



ここが、この区間最後の王子

「鶴原王子」址地といわれています。

ここをチェックして
さあ、後はこの前歩いた
佐野川橋までの道を急ぎます。

ここまで行けば、
大阪府内の熊野街道がすべてつながります。

途中、26号線を歩道橋で渡り、



フナの養殖をしているという
道ノ池の横を進み、



富田林泉佐野線を越えてようやく到着です。



全ての区間で、たっぷり楽しませてもらった熊野街道。

一応ここで府内すべての区間を案内し終えます。

ちょっと達成感に浸りながら、
ここから熊取駅までてくてく歩いて
家路についたdoironなのでした。

このシリーズ終わり。