ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

公園にて

2013年11月08日 21時45分09秒 | ウォーキング

朝の目覚ましのためや
原稿の記事作成に詰まった時に、
近所の公園をよく歩く。

池上曽根遺跡公園

このあたりでは「遺跡公園」と呼ばれ、
弥生時代の高殿や竪穴住居が再現されているほかは、
特に何もない公園だけど、
神社の社叢と隣接して、
緑の多い広々とした公園で、
散歩する人がたくさんいる。

あ、そうそう小さな売店と食堂があって
名物「しのだうどん」が350円という
お手軽価格でいただける。

そんな公園をテクテクというか
ブラブラと歩いている。

歩きながら見ていると、いろんな人がいる。
散歩をしているおば様軍団のほか、
平日という時間が時間だけに、
社会を卒業して時間的に余裕のある人が多い。
(doironも含む。ということやね)

毎日見るのは、
チャリンコで立木の間を縫うように走り、
練習をしている高齢者。
これがすごい高速なのだ。
必死の形相でさあ、
見ていてハラハラすること請け合いである。
刺激を求めているんだろうかね。

それから、ルアーの竿を素振りしている人。
近頃だんだん様になってきているので、
そのうち空き缶をたてて
ポイント狙いの練習をするのではないかと、
横目で見守っている。
ちなみにdoironは彼のことを
「釣りキチ半兵衛」と呼んでいる。

それからもちろんランニングに来ている年配の方もいる。
これがまたすごい。
何の練習をしているんだか、
ひたすらダッシュとベンチで筋トレを
繰り返しているムキムキ高齢者だ。

そんな人たちを観察しながら歩いていると、
たまに知り合いの人や
声をかけてくる人がいたりする。

先日、この公園で出会った二人の人を紹介しよう。

一人は、わが村の住人Nさん。
doironがわが村のだんじりの初代ブレーキだとしたら、
Nさんは元祖ブレーキともいうべき人だ。
新調してきただんじりで、
初めてブレーキを踏んだ時は、
Nさんに基本を教えていただいた。
そしてNさんと二人でブレーキを担当しようとした時に、
気の毒なことにNさんは
「脳梗塞」に見舞われた。

何とか病気は克服されたが、
左の脳に幹部があったため、
右半身にマヒが残ってしまった。
また言語中枢にも障害が残り、
話すのも不自由なのだ。
なので当然、もう一緒にブレーキを踏むこともできなくなり、
やむなくdoiron一人で踏むことになった
という経過がある。
そういう意味で彼が「元祖ブレーキ」で
doironが「初代ブレーキ」なのだ。

でも頑張り屋のNさんは少しでもよくなろうと、
遺跡公園で杖を突きながら歩く
リハビリを続けておられる。
夏の間は暑いのでされていないようだったが、
昨日久しぶりに公園で見かけたので声をかけた。
今はリハビリで改善というよりは、
衰えないように頑張っているんだそうだ。
もし奇跡が起こって、
またNさんのブレーキ姿が見れたら最高なんだけどね。

遠ざかっていくNさんの背中に、
そっと声をかけた。頑張れ!Nさん。

もう一人出会ったというか、
話しかけてこられた人がいる。
年の頃ならNさんと同じ
60代後半といったところだろうか。
目線が合うなり近寄ってこられて、
いきなり「ええ気候になったのう」と
なれなれしく話しかけてこられた。

「そうやね。祭りが済んだらすっかり秋になったなあ」
とこちらもなれなれしく返事をすると、
「兄ちゃん、だんじりの人やなあ」というではないか。
多分だんじりに乗ってたことを言ってるのだろう。

「わしはだんじりが好きでなあ。
この前の祭りもずっとだんじりを見とったんや。
あんたとこのだんじりはやり回しが見事で
一番安定しとったで」とほめてくれた。

聞くとdoironが総括をしていたこともご存知だった。
よっぽどのだんじり好きなんだろう。
一瞬、もしやわが村の関係者か
と思ったので、聞いてみたら
なんと隣村の人。

「わしはだんじりのある貝塚の田舎出身でな。
わけあってこっちに引っ越してきたんやけど、
太鼓の音を聞いたらじっとしとれんのや」
と嬉しそうに話していた。

そこから始まった身の上話はここには書けないが、
まあいろんな人生を送ってきた人がいるもんだと、
延々と続く長い話を聞きながら思ったね。

都会の片隅の公園にも、
たくさんのドラマが散らばっているもんだ。

「池上曽根遺跡公園」
ランニングのついでに、また
駐車場もあるので、一度訪れてみてはいかが?