ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

座禅

2009年06月23日 22時27分17秒 | 生活

「昨日、テレビで座禅のことをやってたよ。」
と、奥さんが言う。そしてこうも言う。
「あんなん好きそうやけどしたことないよな。」
って。

そうなんだ

わしは座禅をしたことがない。
だから、心が乱れたときに
肩や背中を打たれる、あの警策
(「きょうさく」、または「けいさく」という)
の痛さも知らない。

わしって、興味ありそうでしょ。
絶対したことあると思ってませんでしたか。

実は、わしには座禅を出来ない理由が
3つあるのじゃ。

ひとつは、あの足の組み方が出来ないのだ。
両足を組むのはもちろん無理。
片足を組むのも
何故か深く組もうとすると
すねの筋肉が
痙攣するのだよ。
それでも、法事の時なんかにも
正座だと足が痺れるので
足を崩してくださいとよく言われるよね。
わしの場合、崩しても
非常に辛いのだ。
自慢じゃないが
この前なんか、知り合いの法事で
すねが攣って、うう~と
うめき声をあげて
失笑をかったこともある。

かといって、
「この方が楽ですから」
と正座を続けていると
格好をつけてるみたいやし、
楽やなどといっておきながら
十分人並みに痺れるので
後で
まったくばつの悪い思いをすることになる。

厄介なのだ

まさか座禅の席で
「うう~」と呻いていたりすると
警策でめった打ちにされたりして・・

「坊主が虐待」なんて
三面記事に載りそうじゃないか。

座禅が出来ない理由その2は
仮に、ほんとにかすかに
足を組むだけでいいから
といわれても
今度はお尻が人一倍丸いので
後ろに転がりそうになるのを
支えるために
異常に背筋力を要求されるのだ。
背筋がないわけじゃないよ。
これだけ走ったり
トライアスロンしたり
筋トレしたりしているから
普通の人よりは

あると思います!

でも、思念が無に近づき
邪念が払われるにつれ
後ろに転がっていきそうな
気がするんだよね。

ごろん

とだるまみたいに後ろに転がって
仰向けにでもなろうもんなら

「この罰当たりめが!」

と坊主の怒りをかうことになるだろう。

座禅が出来ない理由その3は

もし、例えばストレッチを重ね
座禅が組めるようになり
しかも
ツールの自転車選手のように
背中が盛り上がるくらい立派な背筋が
ついたとしても
わしには致命的な理由がある。
それは

すぐに寝る

ってことだ。

何も考えないこと寝る

の方程式がわしの中に
厳然とある。
それは
ピタゴラスの定理よりも
わしの中では
普遍の真理なのである。

もし、柔軟な股関節と
強靭な背筋があり、
姿勢を維持しながら
半跏思推の面持ちで
眠ることが出来たなら
きっと
坊主たちは驚くだろう。

我はそこにいて、心そこにあらず
全く「無」のわしの姿を見て

「おお~、弘法大師の再来じゃ」

「最澄様の生まれ変わりじゃ」

とひれ伏すことになるだろう。

だが、現実はそうじゃない
前にごろんと転がって
警策一発!
「ああ~、よく寝た」
と、こうなるのがオチなのだろう。

そんなわけで
わしには永遠に
座禅は無理だろう。
と、奥さんに説明してあげたら、

「てことは
一生、悟りも開けないってことやね」だって。

へいへい、その通りでごぜえますだ