大福 りす の 隠れ家

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虚空の辰刻(とき)  第169回

2020年07月31日 22時28分23秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第160回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第169回



「紫さま、こちらへ」 此之葉が言う。

爆弾投下をしたあとに、それはもう色んな話、質問があった。 どんな疑問を投げかけられようが、事実は事実なのだから、それまでと言った。 そして、一番の証拠だろうと、母親の早季から聞いていた祖母が祖父にプロポーズをした時の話をした。

六人がアングリと口を開け、領主が倒れそうになったのを阿秀が支え、塔弥がまた涙に暮れ、此之葉もまた静かな涙を流していた。


先の紫も当時の塔弥もあの地のことは全く分からなかった。
たまたま洞窟に入ってきた島民が大怪我をしている二人を抱え、島の医者に診せた。 その後、沖縄本島で治療することとなり、治療を終えると本土に移され、記憶喪失としてあの地に受け入れられた。

数年して あの地のことを知りつくした塔弥が施設に入っていた先の紫を引き取った。
紫揺の祖母である紫に幸せな時を送ることが出来る様にと、働いていた会社の心根の良い同僚を伴侶候補として何人も紹介した。 そしてし尽くした。 祖母である紫の返事は全て “否” だった。 当時の塔弥がどうしたものかと、手をこまねいていた時にとうとう祖母が言った。

『どうして塔弥ではないのですか? 私には塔弥以外おりません。 他の誰でもありません』 そう言ったのだと聞いている。

話が丸く収まったつもりの紫揺と、お付きが紫と結ばれることを禁止されていることから、どこにどんな感情を持って行けばいいのか分からない六人と領主と阿秀であった。
塔弥はただひたすら涙を流していた。


領主たちの質問から解放され、昼ご飯を食べた後、民への顔見せが始まった。

此之葉に導かれながら紫揺が移動する。 僅かな紫揺の姿を見つけた民が声を上げる。 それに釣られて紫揺を見ようと民が押し寄せる。 遠方からも民がこの場所に集まって来たと聞いている。 一目でも紫を見たいと。
大群衆の前に紫揺が壇上に上がった。 悲しくもGパン姿で。
一度でもアイドルやスターの経験があれば、手の一つも振れただろうが、そんな経験などない。

「此之葉さん・・・」 助けを此之葉に向けるが「笑顔でいて下さればそれだけで」 と、紫揺にとって超難関の提案を出してくれた。 だが今はその提案に応えるしかない。 引きつった笑いを振りまく。

「紫さま、自然でよろしいので」

まるでヒキガエルのような顔になっている紫揺に此之葉が言うが、紫揺にはもう何も聞こえない。

悲しきヒキガエル。

だが、民はそんな紫揺や此之葉の心の内など知らないし、ヒキガエルの紫揺の顔を見てもそんなことはどうでもいい、何十年と待った代々から聞く紫の姿がそこにあるのだから、歓声を上げるだけであった。

紫揺が姿を消した後は盛大な祭が行われた。 特に急ではあったが、領主からの宣言があったにもかかわらず、紫揺が倒れてしまってそれが伸びたのだ。 東の領土は何十年と忘れられていたこれまでにない祭となった。


「お疲れになられましたでしょう」

あ、と言って紫揺が飛び起きた。 お行儀悪く大の字に転がっていた。
此之葉の手には夕飯を載せた盆があった。 此之葉はちゃんと声を掛けて戸を開けたのだったが、ほぼ放心状態の紫揺は気付かなかった。

「あはは・・・」

むなしい笑いでお行儀の悪さを誤魔化す。

「祭は明け方まで続きますので、今夜は少々お眠りの妨げになるかと思います」

そう言いながら盆から二人分の夕飯の皿を一つずつ机に置いていく。

「え? そんなにですか?」

この家から離れた所で祭をしているのにもかかわらず、今も尚、音楽や楽し気な声が聞こえてきている。

「明け方まで続いて、ひと眠りしたあとは、また昼過ぎから祭が行われます。 それが三日続きます」

「は? 三日? 三日ですか?」

「民はそれでは足りないと思っています」

いや、意味分りませんけど? そう言いたかったが、言葉を変えた。

「どうしてそんなにお祭をするんですか?」

「民は・・・民が何十年と・・代々から聞いていた紫さまがお姿を現されたのです。 民が幸せに包まれた祭ですので」

「紫って・・・」

あとの言葉が続かなかった。
此之葉が察したのか一つ頷いた。

「この領土にとっての、民にとっての紫さまを想い慕う気持ちです」

この領土に来てつい数時間前に想像も出来ない事、思いもしないことを感じた。 だが当初、どうしてもこの領土が北ではないのか、北が策謀して再度北の地に来たのではないかと思っていたが、今はそれが全く取り払われている。

塔弥の涙を見たことに始まり、民といわれる人たち、それが北とはまるで違っていたのだから。 これがテレビでいうところのドッキリであれば有り得るかもしれないが、あれほど多数のエキストラを雇われる程の有名人ではない。

「・・・」

自分の気持ちを固めなければいけない。 分かっている。 フラフラしていてはいけない、と。

「いただきます」

両手を合わせて目の前に置かれた夕飯に手を合わせると、紫揺に遅れて此之葉が自分の為に置いた夕飯にお辞儀をした。


翌朝、朝食前に此之葉が紫揺の部屋を訪ねた。 戸の前で声を掛けるが、昨日夕飯を持ってきた時と同じように返事がない。 昨日の疲れからまだ寝ているのだろうかと、そっと中の様子に耳をそばだてた。
すると紫揺がなにやらブツブツと言っているのが聞こえる。 寝言ではないだろう。

「芦生・・・うーん、違う」

芦生は “あしゅう” と読めるがどちらかと言えば “あしう” と読んでしまう。
他に浮かんだのが世界地図で言うところの “亜州”。 次に阿波の国の異称である “阿州”。 だがどちらもピンとこない。

「亜種・・・って、これじゃ “う” が抜けてる」

亜種とは生物の分類区分。 さすが元飼育係。

「あーあ、北の時にはすぐに浮かんだのになぁ」

名前覚えの悪い紫揺が名前を覚える時に使う手であった。

ムロイは “室井” セノギは “瀬ノ木” 友達の中にいた苗字と同じだったからすぐに思い浮かんだ。 そしてニョゼは “如是” ウダは “宇陀” 友達から聞いたことのある地名で、印象が強かったので覚えていた。 ガザンにおいてはすぐに閃いた “我山” と。

人の名前をなかなか覚えられない紫揺は漢字で覚えるようにしていた。 漢字で覚えると漢字からイメージが広がってすぐに覚えられるからだった。
セキは残念ながら何も浮かばなかったが、カタカナで十分だった。 それにカタカナが一番可愛かった。

「それに此之葉さんも葉月ちゃんも」

昨日、ついウッカリ阿秀のことを “セノギモドキ” と言いかけたのだから、しっかりと覚えなければいけない。
此之葉が紫揺の声が途切れたところでもう一度声を掛けた。

「紫さま」

「あ、はい」

飛び起きた。 またもや寝そべっていたのだ。

「此之葉に御座います」

分かっていますとは言えない。 「どうぞ」 と応える。

部屋に入ってきた此之葉が領主から話があると伝えるが、その時間を紫揺に決めて欲しいということであった。

「いつでもいいです」

退屈しているくらいなのだ。 なんの予定もない。

「では、朝食後ということでよろしいでしょうか」 と訊かれ 「はい」 と応えたが、その後に此之葉から質問が飛んできた。

「何かお困りごとがおありでしょうか?」

「え? どうしてですか?」

「先程何か仰っておられたようですので」

一人でブツブツ言っていたのがバレたのだと分かった。 よし、ここは正面切って訊こう。

「此之葉さんってどんな字を書くんですか?」

そう訊くと、此之葉が指で書きながら説明をする。

「此れや此処といった字と、之と書いて最後は葉です」

(当たってた)

「じゃ、葉月ちゃんは此之葉さんと同じく、葉っぱの葉にお月さんの月?」

「そうです」

「思っていた字と同じです」

「まぁ、嬉しい。 ですが、どうして急に?」

「昨日、男の人たちのお名前を聞いたけど、なかなか覚えられなくて。 それで漢字で覚えようとしたんですけど、上手く浮かばないんです。 あ、塔弥さんは分かっていますよ。 祖父と同じですから」

「そうでございましたか。 それでは紙に書いてお持ちします」

心の内で、お付きの者達の名前を覚えようとして下さっているのだ、と感慨深いものを感じながら退室した。

他の女たちもいる一室に入ると、墨と筆と紙を卓に置いた。 何をするのかと女たちが寄ってきた。

「此之葉、何を書くの?」

此之葉が紫揺に付いていることは誰もが知っている。 此之葉が何かするということは、それは紫揺に繋がると考えている。

「昨日、一度にお付きの者の名前を聞かれたのだけれど、なかなか覚えられなくていらっしゃるようで、漢字でなら覚えられるそうなので」

女たちが目を合わせた。 女たちも昨日の壇上に立った紫揺を見ている。 民はそれだけで良い。 お付きたちのように自分の名を名乗らないといけないなどといったことは必要ない。

此之葉が阿秀たち七人の名前を書く。 塔弥は必要ない。
片付けを始めようとすると、女たちが片付けておくと言ったので、まかせることにし、再度紫揺を訪ね紙を渡し戻ってきた。 すると女たち全員が自分の名を書いた紙を持って、あることを懇願してきた。 此之葉は苦笑するしかなかった。

此之葉が紫揺に名前を書いた紙を渡した時「昨日、名を名乗った順に書いております」 と言っていた。 それは大助かりであった。 名前と顔が一致しているのは阿秀と悠蓮だけだったのだから。

阿秀を先頭に紫揺から見て左から右に名を名乗っていた。 顔は覚えている。 おぼろ気にだが。

「阿秀ってこんな字を書くんだ。 ふーん、頭よさそうだったもんね。 その次が鍵を渡してくれた人。 へぇー、悠蓮ってこんな漢字を書くんだ。 優しそうだったから似合ってるかも」

そして湖彩、野夜、若冲、梁湶、醍十と読んでいく。

「絶対にだれの漢字を考えてもハズレだったな」

一人として当たらなかっただろう。

「梁湶さんなんて、身体の大きさからして “稜線” くらいしか思いうかばないもん。 それに “醍醐” 天皇が居るくらいだから醍十があってもおかしくないとは思うけど “醍五” 天皇とは書かないし。 ああ、余計なことを考えたら覚えられなくなる」

要らないことを考えて頭が混乱しそうになってくる。
ゴロゴロとしながら紙とにらめっこを始めた。 どれだけ経った頃だろうか、仰向けに寝転び紙を持つ手を横に置き、目をつぶると頭におぼろ気な顔と体格を思い浮かべて名前を呼ぶ。 それを何回も繰り返して、パチリと目を開けた。

「よし、完璧」

後転倒立で起き上がる。

開け放していた窓。 何かが動いたと思い湖彩と野夜が窓から見たのは、逆さまになった紫揺の下半身。 それが片足ずつゆっくり下り、上半身が定位置についた。
二人が目を合わせる。

「お部屋の中でもじっとはしておられないご性格のようだな」

「だな」

此之葉が紫揺の部屋に来た。 てっきり朝食も一緒に持ってきたのかと思ったら、その手には何も持たれていなかった。

「・・・その」

と、何か言いにくそうにしている。

「なんでしょうか?」

「申し上げにくいのですが・・・」

「はい?」

「その、女たちが・・・。 女たちが、紫さまと共に食をとりたいと申しておりまして」

「・・・」

人見知りの紫揺の充電が切れたように止まった。

「あ、あ。 申し訳ありません。 すぐにこちらにお持ちします」

「・・・」

「紫さま? 大丈夫でございますか・・・?」

「あ・・・はい」

復活したか?

「ではお持ちします」

「あ・・・いいです。 うん。 はい」

接触不良を起こしているようだ。

「あの?」

返事の意味が分からない。

「あ。 えと」

壊れたか?

「紫さま?」

「あの!」

ボリューム最大、最後の灯火か?
此之葉が驚いた。

「あ、ごめんなさい。 大きな声出して。 あの、皆さんと食べます」

完全復活したようだ。

「ご無理なさらなくてもよろしいのですが」

「いえ。 ここに居る間は出来るだけのことをします」

此之葉が一つ口を引き結んだ。 紫揺が頑張ろうとしてくれているのが分かったからだ。

「では、こちらへ」

先ほどの女たちの居た部屋に案内する。 戸が開けられるとそこには長い卓が置かれ、既に数人分の朝食が乗っていた。 部屋の隅では女たちが座して低頭している。

座布団の数は九枚。 長い側面に四枚ずつ、短い側面に一枚。 此之葉がその短い側面に紫揺を案内する。 此之葉は紫揺の左手に当たる長い側面に置かれている座布団に座る。 すぐに女たちも席についた。

その女たちの胸元に目がいった。 前合わせのお仕着せ。 その胸元に紙がはさんであり、そこから文字がのぞいている。

「あれは?」

「あちらで言うところの名札でございます」

此之葉もシノ機械に入って名札をつけていた。

「紫さまにお名前を憶えて頂きたくて名札を胸に置いているようで御座います。 お気になさらず、冷めないうちにどうぞ」

「あ・・・はい。 じゃ、いただきます」

手を合わせた後に箸を持つと、一人ずつの名札を見た。

「気楽になさってください」

此之葉が紫揺に言うと、女達が互いを見あう。

「はい。 えっと、皆さんは何をされているんですか?」

気を使って訊いたのではない。 単に疑問が生じたからだ。 北で言うところの使用人などと言われれば気分のいいものではないが。

「きゃぁ」 と言う抑えた答えが返ってきた。
喜び合いながら互いを見ている。 手を繋いでブンブン振っている者さえいる。 紫揺の声が聞けたことに対しての反応だった。

「えっと・・・」

どうしたものかと此之葉を見た。

「紫さまのお声が聞けただけで喜んでおります。 ですが・・・」

歎息を吐きながら女たちを見た。

「紫さまの重荷になっては・・・」

「重荷なんてことは無いです」

もうここにきて分かっている。 自分は紫だということは。 その責がどれ程のものかは分からないが。

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