大福 りす の 隠れ家

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虚空の辰刻(とき)  第129回

2020年03月09日 23時43分11秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


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- 虚空の辰刻(とき)-  第129回



もし紫揺が部屋に入らず外で待っていると言ったならば、外で渡そうと思いポケットに入れたが、存外気軽に部屋に入ってきた。

「え?」

折り畳まれていてもそれがお札だと分かる。 ましてや一万円札が目に入ったし、それが数枚ある。 顔を上げた紫揺が驚いた顔で春樹を見た。

「お金持ってる?」

大きく左右に首を振る。 考えもしなかった。

「だよね。 それっぽい」

それっぽいとは、どれっぽいのだろうか。 充分に疑問を持っている顔を春樹に向けている。

「着替えも何も持ってきてないんでしょ?」

間違いなく手ぶらだ。 鞄どころかポーチの一つも持っていない。

(そっか、だからさっき先輩は脱走って言ったのか)

紫揺を想っての事だろうが、先ほどの春樹の言葉を思い出す。

だが元より、ここには紫揺の私物などない。 ましてや現金などハナから持ち合わせていない。 今着ているジャージと上着はこのまま戴くことになるが。
そういえば攫われた時に着ていた服はどうなったのだろうか、などと一瞬考えたが、心の中で首を振る。 そんなことは今更どうでもいい。
折りたたまれた札を広げる。 一万円札が数枚と千円札もある。

「ほら、万札ばっかりだとちょっとしたものが買いにくいでしょ? 自販機も受け付けるとは限らないし、コンビニでジュース一本に万札じゃ店員に嫌な顔されても嫌だし。 その為の千円札だから、決してそれ以上万札が無いわけじゃないから」

紫揺が札をずっと眺めていた風に見えたから言ってみたが、実際財布の中にはもう万札は残っていない。 なけなしの万札を、最後の万札をも紫揺に渡したのだから。
ここに居てもなにも使うことはないのだからと思っての事だったが、やはり心細さは残っていたからなのか、男としての見栄からなのか、言い訳がましいことを言っているような気がする。

(何言ってんだ、俺は・・・)

それに悲しいかな、いま紫揺が見ていたのは札ではなかった。

「これは?」

札と一緒に畳まれていたメモを開けた。

「俺のスマホの番号。 何かあったら連絡ちょうだい。 ん、さっき言ってたみたいに、こっちで気に病んでることがあるなら、それの報告も出来るから」

じっとメモを見る。 見るではなく、見入っている。

(あ・・・いや、そんなに俺の番号に嵌まってもらわなくても。 ・・・照れるじゃないかよ)

番号を渡されたことに感動して見入っていると思い一人照れる。 そこに急に紫揺が顔を上げた。

「あ・・・なに?」

―――先輩! 絶対連絡入れます。 あの、でも・・・今とっても不安なんです。 その、ハグなんかで勇気付けてもらえれば嬉しい―――。

(なんてことを言いたげな目じゃん。 いいよ、いいよ。 いくらでもハグする。 何ならそれ以上だって。 ああ、いや、それは早すぎる。 うん、今日はハグに留めておこう。 これからいくらだって会えるんだから)

それ以上の要求は早いと思う。 思うけど、要求されれば充分に応える。 いや、応えたいし、応えたいから、その前に要求してほしい。 覚られないように掌の汗をカーペットで拭く。

「メモ・・・」

「あ、うん。 俺のスマホの―――」

照れ隠しに、カーペットで拭いた手で頭を掻く。

「じゃなくて、メモ・・・メモあります? 出来れば便箋と封筒とか」

「はい?」

「メモじゃ小さいから。 あ、でもメモしか無かったら最低限を書きますから。 メモとペンを貸してもらえませんか?」

小動物がすがるような目。 小動物にすがられたことなどないから、想像に過ぎないが。

「あの?」

「何もかも図々しくて済みません」

勢い良く頭を下げる。 ゴン! と大きな音が響いた。

「わっ! なにやってんの!? 大丈夫!?」

腰を浮かしかけた春樹だったが、こんなことに慣れている紫揺は 「うぅ・・・はい、何ともないです」 と言って、テーブルとゴッツンコした額をさすりながら頭を上げた。
腰を浮かしかけた途中で止まっていた春樹が大きく溜息をついた。 紫揺の行動で一気に自己陶酔から覚めたようだった。

「便箋も封筒もないけど、ルーズリーフならあるよ」

立ち上がり、部屋の隅にまとめ置いていた中からルーズリーフを出してきた。

春樹から出されたルーズリーフとペンを受け取るとすぐに書き始めた。 それなりに悩んできたのだ。 書きたいことは、伝えたいことは考えずとも次から次に出てくる。

その様子を見た春樹が気をきかせて数枚のルーズリーフを追加して机に置いた。 一枚では足りないだろう。
コーヒーが入った湯呑を持って窓際に立った。 紫揺が書いている文章を見るわけにはいかないだろうと思ったから。

(まさか、俺への想いを込めた手紙じゃないよな・・・)

少しの希望を持ってみるが、まずまずこの流れではありえないだろう。 携帯番号を渡しているのだから、それを受け取ってくれたのだから、今はそれで充分と自分を慰めた。

(それにしても、きれいな字を書くんだ)

すぐに書き始めた字を見て、どこか先入観で丸文字を書くのだろうと思っていたが、まるでお手本のような字を書いていた。

春樹がどう思っているのかなど知る由もない紫揺は、父親に教えてもらったことを守っている。 歳上にはちゃんとした字を書くように言われていたことを。 そう、ニョゼに宛てて書いている。

ポケットの中にあった春樹のスマホがブーンと鳴った。 着信だ。 ポケットから取り出すと相手の名を見てすぐにタップして耳にあてた。

「おう」

着信に気付かなかった紫揺が春樹の声に顔を上げる。 スマホを耳にあてている姿が見えたが、春樹は背中を見せている。 顔色をうかがうことなどできない。

「え? ・・・ああ、分かった。 ・・・うん。 いや、それでもいいよ。 間に合ってくれればそれでいいから。 ・・・ああ、じゃ、悪い。 頼むな」

スマホを耳から外す。

春樹の返事を聞いていて、どれだけ迷惑をかけているのかを敢えて思う。 なんの関係もない春樹が相手に頼みごとをして『悪い』 と言っている。 紫揺の知らない人間に紫揺の為に『悪い』 と春樹が言っているのだ。 『悪い』 とは『ゴメン』 と同義語と思う。

(・・・)

手を止めたまま、春樹から目を外し下唇を噛む。

スマホを切った春樹が振り返り紫揺を見た。 春樹が会話をしていたことは丸聞こえだ。 だからその報告をしようと思った。

「紫揺ちゃん、いい?」

顔を上げると春樹がこちらを見ていた。

「はい」

「家を出ようとした時に、お袋さんから連絡がきたみたいでそれが長いみたいなんだ。 すぐには出られなくなったって言ってるけど、朝までには来られるって言ってたから」

「・・・はい」

「いや、そんなに肩を落とさなくてもいいから、来るから。 安心して」

紫揺の思いとはちょっとズレた所の返事をする。

「いえ、来てくださることには安心して感謝して・・・」

紫揺の言葉が止まった。
今、ニョゼに書いている手紙の内容もそうだ。 どれだけ自分勝手なんだろう。 自分は両親のいる、両親のお骨に位牌に、その前に座りたい。 自分に手を携えてくれた人に迷惑をかけてまでも帰りたい。 それがどれだけ自分勝手なのだろうか。

「え? それで、なに?」

「先輩・・・」

「え? 俺?」

「先輩にご迷惑ばかりかけています」

「え? そんなことないけど?」

下心があるとは言わない。 今はその下心の基礎を作っているとも言わないし、そんな気など毛頭ない、などと大きな声では言えない。 だから、迷惑などないと言い切ろう。

「ルーズリーフで悪いけど手紙だろ? 時間が出来たんだから慌てて書くこともないから、じっくり書けば?」

―――あの達筆で。

春樹から見て紫揺の達筆は想像だに出来なかった。 それは春樹が勝手に持った先入観であったが、その文字に紫揺の心の訴えを感じたからだ。 誰に書いているかは分からないが。

「・・・すみません」

「あのさ、謝るのよそうよ」

頭を下げていた紫揺が頭を起こし春樹の目を見た。

「俺がしたくてしてることなんだから。 そこで謝られると、俺がしたいと思ってしたことが間違っているように思えるし、手筈の落度にもなっちゃうからさ」

手筈の落度は全く友任せで、自分で何かをしているわけではない。 今にして充分感じてはいるが、それを今は公明正大に言ってしまえば、話がややこしくなる。

「え?」

「謝られると船が遅くなるかもしれないっていうことに、俺が紫揺ちゃんに謝らなくちゃいけなくなるだろ?」

「そんなこと!」

「だろ? 間に合うんだからそれでいいんじゃない?」

「でも、先輩にご迷惑をかけていることは・・・」

そこまで言って思い出した。 トウオウに言われた3D 。 『でも、だって、どうして』。 今また同じことを自分は言っている。 ニョゼに想いをしたためた文字を書いた。 ニョゼに対して 『でも、だって』 と思いながらも書いた。 『でも、だって、どうして』 に境界は有るけど無い。 ニョゼに向けた手紙の内容の 『でも、だって』 には、ニョゼも分かってくれるだろう。 思い上がりかもしれないが。
でも 『思い上がりかもしれない』 とニョゼに言うと、あの優しい微笑みがかえってくるはず。

「悪いけど、俺、迷惑かけられていい顔する奴じゃないんだよね。 それともあれ? 俺の顔そんなに迷惑がってる?」

ここでニヒルに微笑めば決まりだ。 表情筋をあてもなく、くまなく動かす。 だが・・・悲しくもニヒルな笑みを作るなど、そんな経験は一度もない。

「先輩・・・顔引きつってます」

失敗に終わったようだ。

「やっぱりご迷惑―――」

「だぁ――――!!!」

突然の大声に紫揺が驚いて後ろに反り返った。

「あ! ごめん! 驚かせるつもりじゃなかったんだ。 その、紫揺ちゃんに気楽に居てもらいたくて・・・」

気楽にしてもらうのに大声を出すのはどうだろうか。 だが、こんな場になってしまって、その手しか浮かばなかった。 というより、咄嗟に叫んでしまったのだ。

「だからさ、俺は俺のやりたいようにしてるだけ。 紫揺ちゃんが気にすることはないの。 俺、嘘はつかない人間だから信じて」

いや、全面的にはどうだろうか。

未だ正座をしていた足を解きかけドン引きしている紫揺を見ると、今後の課題は顔を作れるようになることだ。



カシャリ。 何かの音が鳴った。
船着き場で月明かりに照らされた人影が動いている。

「この程度でいけるか・・・」

船に乗せたのはゴム製の小さなボート。
一度しか見なかった岩礁。 あの岩礁をこのゴムボートでくぐれるだろうか。 不安がよぎるが今はこれしかない。 時は待ってくれないのだから。
暫くゴムボートを眺めてから、眉間に寄せていた皺を取り除くと操舵席に行こうとした。 その時、

「仰っていることと、行動が伴いませんが?」

誰もいない筈の船を振り返る。 誰もいない。

「抜け駆けは許せませんなぁ」

桟橋に目を移すと数人の影が、いや、月明かりに照らされてその顔がハッキリと見える。

「・・・野夜」

野夜だけではない、野夜に続いて抜け駆けといった醍十(だいじゅう)もいる。 それに他にも。

「阿秀(あしゅう)の操縦なんて危なっかしくって」

スペアキーを顔の前にかざした若冲(じゃくちゅう)がクルーザーに乗り込み操舵席に向かった。 操舵席でのチェックをするためだ。

「お前たち・・・」

「それに、そんなゴムボートじゃ何人も乗れませんよ」

後ろから悠蓮(ゆうれん)と湖彩(こさい)が頭の上にボートをかかげて進み出てきた。 ラフティング用のボート六人乗りだ。

「諦めた方がよさそうですよ。 それにまだ早いですから、まずは腹ごしらえしませんか?」

若冲に続いて乗り込んできた梁湶(りょうせん)がコンビニの袋を軽く上げると涼しい顔を阿秀に向けた。
夜行性の獅子が跋扈(ばっこ)する深夜に乗り込む気ではないだろう。 少しでも獅子の危険から逃れ、人の目にさらされない暁時を狙っているであろうことは容易に知れている。

何もかも見透かされていたようだ。 夜空を仰ぎ見た阿秀の目に雲一つない下弦の月が入り込んできた。



「だからー、いつまで喋ってんだよ」

父親の背中に言葉を投げかけたが、父親が振り向く様子はない。 ただひたすらに電話の向こうに相槌を打っているだけだ。

「まぁ、どうもお子様らしいからいいけどな。 これが絶世の美女だったら許せたもんじゃない」

絶世の美女であるなら男ならだれでも、一分一秒でも早く逢いたいと思うだろう。
ゴロンと手枕を作って寝ころんだが、ふと思い立つところがある。

「たしかアイツの元カノって・・・広告のモデルやってたっけか?」

バイトで服飾店の広告のモデルをしていると聞いていた。
一瞬にして腹筋を使って起き上がった。

「下手にゴロゴロと、いや、ズルズルと貸しを作るより、スパンと作った方が同じ貸しでも印象が違うよな」

もう別れたといっても、いつどこで焼けぼっくいに火がつくかもしれない。 その時にこの貸しを返してもらおうではないか、モデル仲間を紹介してもらってどこが悪い。 そう考えてどこが悪い。
父親に振り向きもう一度その背中に大きく声を掛けた。

「親父、いい加減にしてくんないと、あの時その時のアレやコレやをお袋に告げ口すんぞ」

夜のお店で鼻の下を伸ばしていた程度だが、そんなことを許す母親ではなかった。
父親の背中がビクンと動いて、受話器を耳に当てたままゆっくりと振り返った。

『あなた? なに? なにを告げ口って?!』

受話器の向こうでは母親が息子の声に反応して、さながら訊問のように問いただしている。

「あ、いや、そのだな・・・」

通話口に手を置くと 「話をややこしくさせるな!」 と、小声で叱りつけるように言ったが、迫力もなにもあったものじゃない。

「ったく、お袋の愚痴ばっかり言ってるくせに全く頭が上がらないんだから」

今回はよくぞ、あの勝手気ままな母親を置いて帰ってきたと、その男気を褒めたのが音をたてて瓦解していく。
散々母親の愚痴を聞かされてのこれだ。 腹が立ってきた。 父親の手から受話器を取り上げた。 父親があっ! っという間もなかった。

「お袋? 俺。 今から親父にネオン街に連れて行ってもらうから今日はこれまでで。 じゃね」

受話器の向こうで何やらわめいている声が聞こえたがそのまま受話器をことりと置いた。

「お! お前っ!」

「お袋、慌てて帰ってくるよ。 良かったね」

父親にとって何が良かったのだろうか。 だが少なくとも自分にとっては、母親が帰って来れば愚痴を聞かされることは少なくなるだろう。 本人が居る前で愚痴など言えたものではないのだから。 だから母親が帰って来ることに一番良かったと思えるのは、自分自身であったのかもしれない。

一つ悔やむのならば、また勝手気ままな母親の姿を見なくてはならないかということであったが、それは目を瞑っていればいい。 父親のようにずっと付きまとって愚痴を言われるわけではない。 母親が何か気ままなことを言い出せば、その場から居なくなることだってできる。

「ほら、早く行こう」

車と家のキーを持つと父親の背中を押して玄関を出た。

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