大福 りす の 隠れ家

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虚空の辰刻(とき)  第208回

2020年12月14日 21時40分00秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第200回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第208回



ケミの閉じられた目から留まることなく涙が流れ落ちている。

「お声をお掛けください」

急に此之葉の声が聞こえてビクリとしたゼンだったが、頷いてケミに声を掛けた。

「ケミ、聞こえるか?」

ケミに反応はない。

「お二人の良い昔話があるのでしたら、それをゆっくりと語って下さい」

ケミが昔に未だ囚われている。 それはゼンと共に居た所ではなかったのか、それとも二人同じ所に居たとしてもよい場所ではなかったのか。 これだけゼンが心配をしているのだから、二つの内のどちらかだろう。 それならばケミを知るこの二人の心地良い昔話がケミを呼び戻すだろう。

此之葉に言われ、ゼンに逡巡などない。 それにケミとの思い出は山とある。

「ケミ、お前は毬遊びが得意だったな。 初めて吾と顔を合わせた時のことを覚えているか? 吾がようやっと師匠から一人前になったと言われた時だった。 お前はまだ小さな子だった。 そのお前が毬遊びを吾に挑んだ。 吾にコテンパンにやられたな」

ケミの眉がピクリと動いた。

「今から思うにあの時吾は二十の歳だった。 お前は十(とう)。 師匠に怒られたぞ。 何故にお前に花を持たせないのかとな」

一度眉を動かしたきり反応はない。

「お前は優れた脚を持っている。 吾と競争をしたのを覚えているか? お前が十五の時だ。 お前が吾を初めて抜いた時だ。 五人の師匠が突然に居なくなった時だ。 お前が泣きながら走ったのを覚えているか?」

「・・・・師、匠」

ケミの声と共に瞼が僅かに開いた。

「そうだ、師匠だ。 お前にはお前だけの師匠が居ただろう」

「師匠・・・」

「ああ、吾には吾だけの師匠が居た。 だが師匠は皆の師匠でもあった。 そうであろう?」

「・・・師匠は・・・母から我を守ってくれた」

「そうか。 お前が小さな頃から師匠によくなついていたのはそれでなのだな」

「・・・」

「苦しかったか?」

「さほど・・・」

ケミが一度開けられた目を伏せる。
今に帰ってきたようだ。
デッキの窓越しに見ていた紫揺がタオルケットを抱えて現れた。

「ゼンさんがいてくれます。 ゼンさんに甘えてもいいんじゃないですか?」

「そのようなことは必要・・・」

グッと喉を詰まらせると、ケミの目から滂沱の如く止まりかけていた涙が零れ落ちる。
紫揺がゼンにタオルを渡し、タオルケットをケミの身体にかけてやる。
顔を覆うケミの手の上からゼンがタオルをあててやるが、ケミに受け取る気配はない。 指の間から流れ出る涙をゼンが拭いてやる。

「・・・何故、だ、どう、して・・・」

「言ってみろ。 最後まで言ってみろ。 吾が聞いてやる」

「・・・母さん・・・」

「お母(はは)のことを思い出したか?」

「どうし・・・どうして母さんは・・・あんなことを言うんだ」

「なんと言われた?」

先程ケミは師匠が母から守ってくれたと言っていた。 それがこれに繋がるのだろうか。

「・・・ご・・・」

「言ってみろ」

「・・・」

「言わねばずっとお前の中にそれが残る。 吾がちゃんと聞いてやる。 お前の中に残すな」

「・・・穀潰し・・・。 吾を・・・死ぬまで働かせる」

紫揺が渋面を作り、此之葉が憐憫の眼差しをケミに送る。 どうして親が、母親がそんなことを言うのか。
ゼンにしてもそんな言葉が出てくるとは思ってもみなかった。

「・・・そうか。 しかと聞いた。 もう誰もお前のことをそんな風に思っていない。 安心せい」

ケミの手を取ると顔から離させ、タオルで涙を拭いてやる。 だが拭いても拭いてもその涙は枯れることを知らない。 ケミにタオルを持たせ落ちかけたタオルケットを身体に巻きつけると抱き上げた。 ケミに抵抗の様子は見られなく、ゼンに身を預けている。

「東の “古の力を持つ者” ムラサキ様、深く謝意を申し上げる」

ケミを抱いたまま数十秒頭を下げた。

ゼンに抱き上げられたままケミが船を下りた。 タオルケットの中に顔を入れ、渡されたタオルを顔に押し付けている。 それでも泣く声は漏れ聞こえている。

「・・・ケミ」

ハンとカミが声を揃えて言った。
まだゼンの身体は完全に覚めたわけではない。 時々ふらつきながら戻ってきた。

「吾は帰る場所を見つけた」

前だけを見て言い、次にケミに視線を落とした。

「ケミもだ。 だがケミは帰りたがらないだろう。 吾は師匠を無くし数年経ってからずっと吾が誰なのかを知りたかった。 知りたいと思うその度に頭痛を起こしていた。 十年以上になるか。 ここのところは頭痛だけではなく、腹の底から浮き出る痛みに往生していた。 だが今は吾の名を思い出しても、あの時のお父のことを思い出しても何の痛みもない。
ケミはずっとお父母(ふぼ)がどこにいるのか知りたがっていた。 そして我と同じにその度に頭痛に襲われていた。 あのまま放っておけば、ケミにもあの腹の底からの痛みが現れる。 ケミの身体ではあの痛みには耐えられんかったであろう。
東の “古の力の持つ者” の施した術はケミに何もかも思い出させたと同時に、これから起こるであろう痛みを取ってくれた。 感謝してもしつくせない」

「東の者に、そのようなことを言うでない!」

「カミ、ケミは思い出さなくてもいいことを思い出した。 だがそれは知らなければならんこと。 知って乗り越えなければならんこと。 ケミは辛い思いをしていた。 だがその記憶は塞がれていた。 そんなことを知らないケミがお父母のことを思い出そうとしていた。 お父母はどこに居る、どんな姿形だろうかとな。 それが何故だか分かるか?」

「ケミのことなど分かるわけが無かろう。 それに吾らは命ぜられたことをするだけでいい。 何か考えること自体がおかしいのであろうが」

「ショウワ様に命ぜられたことだけをすればいいというのか? だがショウワ様はもう居られん」

「領土に帰って来られないと誰が言い切れる」

「分かっておろう。 ショウワ様のお身体を考えてみろ。 意地を張るのはよせ」

「意地などではないわ!」

「ケミが言っておった。 吾らは人だ。 吾らにはお父母が居るとな。 ムラサキ様がお父母様を亡くされたと聞いたケミが、母上を慕われるムラサキ様のお姿を見て、ケミにはどんなお母(はは)が居たのだろうかと考え始めた。 お母という者に希望を抱いたのだろう。 そのお母からの仕打ちを思い出した。 知らなければならんことは知らねばならん。 それが辛いことなら乗り越えるために、新しく歩き始めるために」

「何を言っておるのか。 ケミも言っておったであろう、幻妖を見せられただけだ」

「騙すのであれば、甘い夢を見させればいいことだ。 どうして辛い思いをさせねばならん」

「ケミが苦しむのを楽しんで見たかったのではないか?」

「先ほど吾らが考えを持つことがおかしいと言ったな。 吾もそう思っていた。 もちろんケミもだ。 迷いなど吾らには必要ないのだからな。 だがな、カミ。 吾らにはもう何もすることはない。 吾らが守るように命ぜられていたムラサキ様はもう北の領土には居られん。 ショウワ様はすでに東の領土に行かれた。 これからはなんの下知もない。 己で考えてゆかねばならん。 分かるか?」

「ほざくな」

「我が師匠は・・・ムラサキ様を北の領土に迎え、北の領土が良きようなることを望まれておった。 ケミは師匠が母から守ってくれたと言っておった。 それは師匠たちが己で考えておられたことではないのか? お前の師匠はなんとされた?」

「・・・師匠?」

「吾らは師匠と初めて会った時のことすら覚えていない・・・。 いや、覚えていなかった。 吾とケミは思い出した。 それは幻妖でもなんでもない。 きっとダンも思い出したはずだ」

カミがダンに目を移す。
ずっと黙っていたハンが口を開いた。

「セノギ、悪いが肩を貸してもらえるか」

セノギに肩を借りて立ち上がる。

「あちらに頼む」

頤で船を指し示したハンにセノギが頷くと一歩を出した。 「カミ、よく考えておけ」 と言い残して。


木陰に座り込んでいる一つの小さな姿と一つの大きな姿。

「シユラ様遅いねー」

「ブフゥー」

屋敷を振り返った。

「みんな帰っちゃったね」

お座りをするガザンの背中を撫でる。
残っているのはセイハとキノラ、そして二人を説得するためにセッカ。 そしてギリギリまで必要になる食事を用意する領土の者二名と、今日のことがあるからとセキとセキの両親だけである。

今日のことを知っていた春樹が自分も一緒に会うつもりであったが、船を処分すると言われ、泣く泣く島を出た。
渡された給料明細には今日までの日割りの計算がされていたが、それとは別にと言って封筒に入った現金を渡された。 これは所得税がかかるようなものではないから安心するようにと付け加えられて。 渡された封筒は握ったことの無い分厚さだった。

「ちょっとだけ覗いてみようか」

門で待っているようにとセノギから言われていたが、もう待ちくたびれた。
何日か前に初めて門を出て歩いたが、この道なりに行けば浜辺に出ると知った。 そしてそこに桟橋がある事も、紫揺が船で来ることも知っている。

セキがリードを握りしめて歩き出す。 ガザンが尻を上げてセキに続く。

ガザンはもうとっくにシユラが来ていることを知っていた。 紫揺の匂いが潮風に乗ってガザンの鼻に流れてきていたし、海原に溶けていく紫揺の声はセキの耳では捉えられなくとも、ガザンの耳にはしっかりと聞こえていた。

そしてガザンの鼻と耳は紫揺以外の者も捕らえていた。 嗅いだことのない臭い、聞いたことのない声、そのような者がいる中にセキ一人で行かすわけにはいかない。 セキに何かあった時には自分が助けなければいけないのだから。
ブフッ! っと鼻を鳴らし気合を入れる。

車道(くるまみち)の木々の間を抜け浜辺に出た
と、リードが引っ張られた。

「あ? え? ガザン?」

ガザンが浜辺を歩く。

「っと、ガザン! 駄目! 止まって!」

足を突っ張ってリードを引っ張るが、ズルズルとガザンに引っ張られていく。 浜辺の砂にガザンの足跡とセキの残した二本の線、それがどんどんと延びてゆく。

「ガザン! 駄目だってば!」

セキの声に醍十が振り返った。

「わ、わ、犬は居なくなったんじゃなかったのかぁ?」

それにこの島で見たこともない犬だ。
醍十の声に全員が振り返った。

「うそだろっ!」

「なんだよあのデカイの!」

「おいおいおいおい・・・」

「見るからに闘犬だ、よな・・・」

「あれか!? まわしってのをつけてるあれか!?」

「そのようだな」

阿秀がすまして言う。

「なに落ち着いてんですか! 完全にこっちに向かって来てるじゃないですか」

「だが、後ろに女の子がいる」

「いるっつっても完全に引っ張られてるし、言うこと聞いてないしっ!」

「っぽいな」

「ぽいじゃないですよ! おい! 木に登れー!」

目の先に居る男達が、背後にあった数本の松の木に分かれてよじ登る姿がセキの目に映る。

「ああ・・・ああ・・・ご迷惑をかけてるー。 お願いだからガザン止まってー!」

ガザンが感じ取ったものは間違いなく半分正解である。 東の者たちは北の者たちに対して怒りを覚え桟橋方向を睨んでいた。 先ほどなどは口にさえ出していたのだから。 だが男たちの視線は紫揺に向けられているのではなく、北の者たちに向けられていたのだが、視線の細かい先などガザンの知ったことではない。

「ガザン! ガザン! ガザンはコワモテだって! お願いだから分かって―!!」

怖面、セキの父親が言っていた言葉だ。
ガザンの足が止まった。
ブフッと鼻を鳴らすとセキを振り返る。

「あ・・・ゴメン。 その、ブサイクって言ったわけじゃないから・・・」

怖面とは怖い顔と父親から教えてもらっている。

ブフン! と鼻の下の肉を揺らすとまた前を向いて歩き出した。 油断していたセキが完全にこけてそのまま引っ張られる。

「キャー! ガザンー!!」


セノギと紫揺がハンをラウンジに座らせると、先にセノギがデッキに出てきた。 振り返り窓越しに中を見ると紫揺が此之葉に何かを言っている。 盗み見をしているようで目先を変えた。
目先を。

「え? え“え”―!?」

セキがガザンに引っ張られている。

セノギの声に紫揺が顔を上げ「じゃ、呼んでくださいね」 此之葉にそう言い残すとデッキに出た。 同時にセノギが桟橋を走った。

紫揺の目にもすぐにガザンの姿が飛び込んできた。 もちろん浜辺で伸びたように引っ張られているセキも。

「セノギさんどいて!」

走りながら前を走るセノギに言う。 ハッキリ言って邪魔なのだ。
足を止めセノギが振り返ると同時に、横を紫揺が走り抜ける。 カミの横を走る抜け、座ってケミを膝に抱いているゼンの前も走り抜けると、最後にダンの後ろを走り抜けた。

「がっ!? 紫さま!」

紫揺が桟橋を走って来るのを目に止めた松の木にしがみ付くセミ一匹。 その声に五匹が松の木にしがみ付きながら振り返る。 その中の一匹、まるで柱にしがみ付いていたゴキブリが殺虫剤をかけられコロリと落ちるように松の木から落ちた。 何故なら、紫揺が桟橋を蹴り上げその身を躍らせたからだ。

「バ―――!」
「ドビャー!」

もう誰が何を言っているのか分からない。 だがただ一人無言で握っていた手を離して顔を覆った者がいた。 若冲だ。 その若冲がコロリと落ちたのだった。

紫揺の跳躍は誰も想像が出来ないほどの距離を跳んだ。 海に落ちることなど遠い話。 足を濡らすことなく砂浜に降り立つとそのまま走った。

「ガザン! ガザン止まって!!」

「紫さま!」

ガザンに近づく紫揺の姿を目にした松の木の下に居た阿秀が走り出そうとするのを見た紫揺、「来ないで!」 と制する。

阿秀を睨みつけながらガザンが足を止めた。 唸りを上げる。 ガザンの後ろでは今もリードを持ったまま砂だらけのセキが息をはずませ空を見上げている。 この状態までリードを離さなかったのは褒められたことであろう。

「ガザン!」

バウ。 ガザンが振り返る。 目の前を紫揺が走って来る。

「ワオーン」

短い遠吠えを一つ上げると紫揺に向かって走り出した。 引っ張る方向の変わったリードをセキが取り落としてしまった。

「紫さま!」

たとえ紫揺に来るなと言われても、闘犬が紫揺に向かって走っているのだ。 じっと見ているわけにはいかない。 阿秀が走り出す。

セキの重さを感じないガザンの走りは早かった。

「バウー!」 と一声上げるとガザンが跳躍した。

「ヒィィィィィー」
「ギャーーー」
「ヴワァーーー」
「ンガダァー」
「アガガァァー」

五匹のセミがミーンミーンでなくそれぞれ好きに鳴く。

「わっ!」 と声を上げたのは紫揺だ。 ガザンがのしかかってきたのだから。 そのままガザンの下になるとガザンのベロベロ攻撃が始まった。

セキの横まで走ってきていた阿秀が足を止めた。 後ろから見ていた阿秀の目には、ガザンの頭部が上下に振れ、紫揺が喰われているようにしか見えない。 あまりの光景に足が止まったのであった。

「やめろー!」

再び走り出そうとした阿秀の足に、セキがしがみ付いた。 阿秀が驚いてセキを見下ろす。

「大丈夫、大丈夫です。 シユラ様とガザンはお友達・・・」

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