大福 りす の 隠れ家

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虚空の辰刻(とき)  第5回

2018年12月24日 22時36分00秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』






                                        



- 虚空の辰刻(とき)-  第5回



家に帰ると小くなった両親のお骨に手を合わせ、目の高さにあるタンスの上にあった祖父母の骨壷をずらすとその横に置いた。 
そこに置いてあった預金通帳を見た。

「お父さんとお母さんが一生懸命に貯めたお金・・・これ以上使いたくない」 通帳を見ていた顔を上げた。

「家賃だって光熱費だって・・・自分で働かなきゃ」 僅かばかりしかなかったこの通帳は、それでも父と母がこの世に居た証拠でもある。

決して広くはない家だが、それでも一人で住むには広すぎるこの借家。 もっと狭くて安いアパートにでも引っ越せばいいのだろうが、両親と過ごしたこの家を離れたくない。 それにこの借家は祖父母の頃から住んでいる。
通帳を遺影の前に置くとその遺影に話しかけた。 遺影は二人別々ではない。 二人揃って写っている一枚のものだ。

「お父さん、お母さん。この家にずっと居たいの。 だからこれから働きに出る」 遺影を見つめる。

「・・・お父さんお母さん・・・ごめんなさい。 私が要らないことをしなければこんなことにならなかったのに」 涙が止まることなく流れ出る。 それは毎晩の事であった。


「藤滝さん、寒い中悪いんだけど、この図面を隣町のノギワ精密に持って行ってくれる?」 大きな紙袋に入った何枚もの図面を紫揺 (しゆら) に渡す。

「はい」 昔ながらの紺色のスモックの事務服を着た紫揺が机から顔を外しペンを置くとそれを受け取った。

「自転車のかごに入るかな?」

「入ると思います。 行ってきます」

「ああ、頼んだね」

紫揺が勤めるのはスーパーに貼ってあった求人募集の貼り紙を見て雇ってもらった機械屋だった。

「ちょっと暗いけど、今の子にしては藤滝さんってよく働くよね」 図面を渡した設計者が誰に言うでもなく言った。 

「苦労しているみたいですよ」 紫揺の隣の席に座る年かさの事務員が伝票を見て台帳に記帳しながら言う。

「え?」

「はっきりとは言いませんけどね。 昨年の春にご両親を亡くして一人で暮らしているみたいです」 顔を設計者に向けペンを置くと 「ああ、肩が凝った」 と片手で自分の肩を揉みながら続けた。

「ほら、朝出勤してくるといつも目が赤いでしょ? それに瞼もはれぼったいし」

「そう言われれば・・・」

「きっと毎晩泣いてるんですよ」

予想もしないあまりに衝撃的な言葉だった。

「ご両親を亡くしてたの?」 話を聞いていた他の作業服を着た男性社員が言う。

「多分、同時に・・・」 年かさの事務員が返す。

「そんな話をしたの?」

言葉数の少ない藤滝紫揺が言ったとは思えなかった。

「年末調整があったでしょ?」 年かさの事務員が言った。

「ああ、僕らも貰ったよね」

「勿論、藤滝さんにも渡したんですけど 『世帯主』 の欄に藤滝さんの名前が書かれてあったから、ここはお父さんの名前を書くところよって言ったら・・・お父さんもお母さんも居ませんから。 って言ったんですよ。 いつも以上に悲しげな顔をして」

「え?」

「それで少し話したんです。 そしたら春にご両親を亡くしたって・・・」

「そう・・・そうだったの」

「だからね、ご両親に心配かけないように生きていこうねって言ったんですけどね」

一気に事務所内が愁色に包まれた。


「ショウワ様お呼びでございますか」 一つの影が一室の壁から姿を現した。 その姿は片膝をつき、手に拳を作るとその拳を地につけている。

「ハンか」

「はい」

「ムラサキ様は見つかったのか?」

「それが・・・」

「ムロイはどうしておる」

「ゼンとダンが付いておりますが、ムロイも探しあぐねいているようです。 ムロイの指示の元、幾人かが警察署の中に潜入しておりますが、これといったことが見当たらないようでございます」

「あの日、あの時間から割り出せば何がしか出てくるのではないのか? お叫びになっておられたんぞ」

「それが、その時間には同時に大きな地震があったようで、あちらこちらから悲鳴が聞こえていたそうです」

「・・・なんとしたことか」

ハンが下げていた頭を更に下げる。

「ああ、分かった。 下がってよい」

「・・・御意」

ショウワが下瞼を僅かに上げると椅子から下り、横に見える窓の前に立った。
暗い窓の外には星の光しか見えなかった。


「独唱 (どくしょう) 様、これ以上は・・・独唱様のお身体がどうにかなってしまいます」 岩屋に座する独唱に仕える塔弥 (とうや) が言う。

「我が領主はその後、何も得ておらんのだろう。 同じく北の領主もまだ紫さまを見つけておらん。 北の領土に紫さまを渡すことは出来んのじゃ。 黙っておれ」 言うと、夜な夜な僅かに感じる紫さまと呼ばれる悲しみの気を追った。

(紫さま・・・何故にそんなに悲しまれる・・・) 独唱の胸が一抹の不安を感じた。

(北? 北の領土が未だに紫さまを追っていると仰るのか?) 憤りを抑えた塔弥が頭を垂れた。

東の領主は塔弥から聞いた場所に、すぐさま数人を送っていたが、未だに何の情報も得られていなかった。


翌春が来た。

「お父さんとお母さんの一周忌・・・。 あの時から一年経ったんだ」 

あまりに衝撃を受け過ぎた為に記憶が薄い横たわる両親と対面した日。

「どうしてあんまり記憶にないのかな」 

もし坂谷がここに居れば、記憶しておかねばならないことではない。 逆に忘れてしまう方がいい。 とでも言っただろうか。

「あの刑事さん? に、連れて行かれたことは覚えているけど・・・その先の詳しい記憶がない。 どうしてなんだろう・・・」 憂愁に閉ざされそうになる。

思うと、ふと母親が言っていたことを思い出した。

「お母さん・・・二十歳になるのを待たずに話す事があると言ってた。 あの旅行から帰ったら話すって言ってた・・・お母さんの名前の由来も、私の名前の事も・・・」

紫揺の母、早季、 “早くその季節が来ますように” と言う名前の由来。

「お母さん・・・何を伝えたかったの」 両親の遺影に問いかけるがその返事はなかった。


寝るときは下の和室で三人で並んでいたが、2階には紫揺の勉強机を置く部屋と、両親の部屋がある。 今まで入る事の出来なかった2階の両親の部屋にやっと入った。 母親の早季はキチンとなにもかもを整理していた。
紫揺が部屋を見渡す。

「お母さん・・・」

台所から夜な夜な聞こえてきた声の一つが頭に過ぎる。


『十郎さん、もう紫揺さんに話さなくちゃ』

『早季さん、待って下さい。 まだ紫揺さんには理解ができません。 紫揺さんには自由に生きてもらいましょう。 そう思いませんか?』

早季が自由に生きてこられなかったことを示唆した。 早季だけではない、早季の両親もだ。

『十郎さん・・・』


記憶はここで途絶えた。 紫揺が眠入ってしまったからだ。

「どうしてお父さんもお母さんも夜になると私のことを紫揺ちゃんじゃなくて紫揺 “さん” って言ってたんだろ・・・」

部屋を見渡した。 そこには整理整頓された空間が見えるだけだった。 腰高の2つの窓には淡い色のカーテンがあり、その下には小さな文机が立てて置いてあり、黒いその4本足がこちらを向いている。 たったそれだけの部屋だった。
押入れを開けた。 上段の押入れにはキチンと季節の違う布団が歪むことなく整理して収納されていた。 下段を見るとその片隅に小さな二段の整理箱を見た。

「あれ?」 言うと、しゃがんで整理箱を押入れから出した。

下段からは住所録が書かれたノートがあった。 そのノートには毎年年賀状を出した記録がチェックされていた。

「そっか・・・この人たちにお父さんとお母さんが居なくなったことを知らせなくちゃいけなかったんだ・・」 年が明けたときには父母宛に年賀状が届いていた。

ノートを下段に返すと上段の引き出しを引いた。 そこには筆箱と数冊の大学ノートがあり、その隅に番号が書かれていた。 パラッとめくる。

「これって、お母さんの日記・・・」

そのノートの一文が目に映った。

「なにこれ?」

読んでも意味が分からない。 その場に座り込むと 『1』 と番号を書かれた大学ノートを手にし、最初から読み始めた。


日記は紫揺を産んだ時から始まっていた。

≪やっと十郎さんとの赤ちゃんが生まれた。 とても可愛い女の子。 ・・・なのに、どうすればいいのかしら。 お母様が仰っていた名前を付けるべきなのかしら。 私には淡く見えただけ。 十郎さんに相談したら、きっとそうでしょう。 見間違えではないでしょう。 でも、自信が無いのであれば、お義母さんが仰っていた 『紫揺』 と言う方の名を付けようと十郎さんが言う。 でもはっきり見たのではないのですから。 そう言ったのだけれど、淡く見えたのでしょう? その時の為にお義母さんが考えられた名でしょう? 冷静に十郎さんが言った。≫ 

その後は毎日些細な紫揺の成長のことが書かれていた。
初めて声を出して笑ったとか、寝返りが他の子より早いとか。 些細な事が世界一嬉しい出来事のように。

『1』 と書かれた大学ノートを読み終えた。

「喉が渇いた」

大学ノートを重ねて横に置くと整理箱を元の位置に戻し、全てのノートを手に持つと階段を降りた。 そして両親の遺影の前に大学ノートを置き手を合わせた。

「お母さんごめんなさい。 お母さんの日記をちょっと読んじゃった・・・。 でも全部読ませてね。 そしたらお母さんが言いたかったことが分かるかもしれないから」

『2』 と書かれた大学ノートだけを持ち台所に行くと、冷蔵庫を開けて冷茶をコップに注いだ。
椅子に座ると一気に半分まで飲んで、肘をついた両手で額を覆った。

「私の名前は事前にお婆様が決めていらっしゃった? 淡く見えた? 何が見えたの? それにその時のために考えていらっしゃった名前って、どういう意味? はっきり何かが見えたのなら違う名前だったの?」

『2』 と書かれた大学ノートをめくった。

このノートには特別に驚く紫揺のことは書かれていなかった。 紫揺の成長日記といった具合だった。 ただ、どれだけ紫揺のことを想っているのかが伺える内容であった。

「お母さん、細かなことまで書いてくれてたんだ」

お箸が上手に使えた日が分かった。 どうすればお蕎麦を啜れるのを上手く教えられるか頭を悩ます早季の姿が目に浮かぶようなことも書いてあった。

「ゴメンねお母さん。 まだ上手に啜れない」 

蕎麦もラーメンもうどんも今だに上手く啜れない。 上手く啜れたと思ったときには途端、咳き込んでしまう。

『2』 と書かれたノートを読み終えると 『3』 のノートを手に持った。 読み進めていると

「え? そんな小さな時からしてたっけ?」

日記には夕飯を終えると、毎日天井に向ってジャンプする紫揺のことが書かれていた。

≪「紫揺ちゃん何がしたいの?」

「天井に手が届きたいの」

「紫揺ちゃん、それは無理よ。 まだまだ天井に届かないわよ。 もっと背が伸びたときに挑戦すれば?」

「そんなことない。 背が伸びなくても絶対に天井に手が届く」

拙い言葉でそんなことを言う紫揺ちゃんが、とても可愛い。 でも、他の人が聞いたら紫揺ちゃんが何を言っているのか分からないでしょうね。 こんなにはっきりと喋っているのにどうして分からないのかしら。 それともこれって親馬鹿って言うのかしら。≫


その後も毎夜、夕飯のあとジャンプをし続けていたと日記には書かれていた。

「私って・・・小さい時から馬鹿なことをしてたんだ・・・」 

馬鹿かどうかは分からないが、高校に入るまで続けていたことは覚えていた。 その時には余裕で天井に手が届いて、連続10回、11回と段々と数を増やしていったことを思い出す。 これが後に脚力をつけていた一端になっていたが、そんなことは紫揺の知るところではなかった。

隣の部屋にある残りの大学ノートを見遣ると、今日はもう疲れた、また今度読もう。 視線を外した。

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