大福 りす の 隠れ家

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虚空の辰刻(とき)  第164回

2020年07月13日 22時13分24秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第160回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第164回



夢を見ていた。 その夢は・・・自分が先(せん)の紫になった夢だった。 あの忌まわしい日のことを、忌まわしいことを繰り返し繰り返し見た。
領主から聞いただけの話なのに、細かなところは聞いていないはずなのに、腕の振り方ひとつ、走ったルートさえも見た。

逃げて逃げて・・・摑まりそうになった。 それを避けたら・・・。 落ちていく。 木が草が、頬を切り服を裂く。
長い時間に思えた。 このまま下まで落ちる。 飛び出した岩に当たっても、もう痛ささえ感じない。

木の先端が尖っている。 それが腕に刺さっている。 血が流れて・・・。
叫んだ、名を呼んだ。 何度も何度も名を呼んだ。 だが・・・返事がない。
ここはどこ。 どうしてこんなに暗いの。 どうしてこんなに狭いの・・・。
どうして、どうして・・・。 気が触れそうになった。 ひざに痛みを覚えた。 誰かに引っ張られた。

『誰かおるんか?』
灯り。 灯りが揺れている。 誰かの声がする。


うわごとのように声を漏らしては、顔をしかめる。 何度も何度も。 それなのに、最後には安堵の表情をみせる。 その一連を何度も繰り返している。 付いている此之葉の方が、どうにかなってしまいそうになる。

「此之葉」

襖の向こうから領主の声がする。 後ろに控える女に場所を譲ると此之葉が部屋を出た。

「身体を休めなさい。 此之葉でなくてはいけないことなどないのだから」

此之葉が首を振る。

「紫さまがお目覚めになられた時に、知らぬ顔しかなければ戸惑われます」

「では、葉月を呼んでこさせよう」

また此之葉が首を振った。

「葉月には耐えられないと思います」

たしかに。 此之葉の後ろに控えていた女たちは、紫揺の苦しむ声に耐えられず、次々と代わっていた。

「だが此之葉が身体を害しては次に結びつかん」

「お付きさせてください。 これは私のお役目です。 紫さまにお仕えするのは “古の力を持つ者” のお役でございます」

深く頭を下げると領主の返事を聞くこともなく、また紫揺の元に戻っていった。

領主が口を一文字にした。 まさかこんな事になるとは思ってもいなかった。 ただ先の紫が落ちたであろう場所に案内しただけだった。 紫揺が先の紫を偲べるだろうと思って。

紫揺はあの状態でもう二日目が終わろうとしていた。
夜が明けた。

紫揺の夢が終わったのだろうか、夜が明けてからはうなされるようなことはなくなった。 寝息を立てて、安らかに眠っているようにも見える。
ただ一度、微笑んだことがあった。
此之葉がやっと心穏やかになれたのはこの頃だろうか。 だが紫揺の目覚める気配はない。
諸手を挙げて安心することなど出来ない。 だからと言って無理矢理に揺すって起こすなどということはしない。 紫揺にとって何もかもが必要なことなのだから。 ・・・なのだろうから。

ここがまだ、此之葉自身が未熟というところだった。 迷いがある。 師匠である独唱には迷いなど見られないのに。
紫揺の瞼がうっすらと上がった。

「紫さま?」

本当は紫さまとは呼びたくなかった。 紫揺さまなり、藤滝さんと呼べば少しでも気付いてもらえるはずだろうに。
此之葉の声に紫揺が気付いたのだろうか、ゆっくりと眼球を動かす。

「お気がつかれましたか?」

極力、紫という名を出さないようにする。

「・・・此之葉、さん」

此之葉の後ろに控えていた女が垂れていた頭を上げた。

(紫さまのお声・・・)

枯れてはいるが、うなされ苦しんでいる聞きたくない声ではない声。

「お身体の具合はいかがですか?」

「あ・・・」

「どこか具合の悪い所がございますか?」

「いえ・・・。 どっちかって言うとスッキリしてます。 ちょっと喉が痛いくらいかな」

控えている女にしてみれば、重々しさのない言葉。 だがそれさえも気にならない程、紫揺の声音を聞こうとしている。
身体を起こしかけた紫揺に此之葉が制止をかける。

「お倒れになって今日で三日目です。 急にお身体を動かされませんように」

「え?」

「すぐに、食事の用意をいたします。 お身体を考えて薬膳になりますが。 それまでは今しばらく、お身体をお安め下さい」

そう紫揺に言うと後ろに控える女に、紫さまが目覚められたと領主に伝えるようにと、薬膳の用意をするようにと言った。

「えっと・・・ここは?」

頭と目を見回して周りを見ると、どこかの部屋のように思えた。 だが自分はそんな所に来た記憶はない。
そうだ、洞窟で、あの岩壁に触って・・・。
ガバッと身を起こした。

「・・・った!」

長い時間、身体を横たえていたからだろう、急に伸ばしている状態から曲げられて腰が悲鳴を上げた。

「紫さま!」

此之葉が悲鳴に似た声を出した。

「あ、ゴメンなさい。 大丈夫です。 ちょっと前屈したらそれで」

そう言った途端、眩暈(めまい)がした。

「ふわ・・・」

前後も左右も上下さえも分からない。 ドテンと仰向けに転がってしまった。 言ってしまえば、元の形に戻ったということだ。

「紫さま!」

「あっと・・・なんか、雲の上を歩いているみたいな。 フワフワした感じで・・・」

まだ身体が眠りから完全には覚めていないのだろうか。

「紫さま、ご説明はあとで申し上げますので、今しばらくはこのままでお身体をお安め下さい」 

「・・・はい」

見たこともない天井を見上げながら、身体が脱力していくのを感じる。 それと同時に意識なく夢が回想する。

「・・・紫さま」

思わず此之葉の口から洩れた。 紫揺の目から一筋の涙が流れだしたのだ。 滂沱ではなく、ただ静かに最初に流した一筋の道が途絶えることなく。

此之葉が涙の道を拭きとることはなかった。 これがニョゼなら、すぐにでも拭ったであろう。 だが此之葉は紫揺の涙は、終わった試練を流しているのだと受け取っている。 だから・・・手を出してはいけない。

この地に生まれ育っていない紫揺の道は、紫としての紫揺の道は、甘いものではないのだから。 先の紫も代々の紫も想像もできなかった道を紫揺は乗り越えなければいけないのだから。
紫揺が瞼を閉じた。 閉じられた目からは、もう涙は流れてはこなかった。

「紫さま?」

紫と呼ばれた。 そうだった。 そう呼ぶと言われていた。

「・・・大丈夫です。 起きてます」

何もかもとは言えないが、少なくとも分かったことがあった。

「・・・お婆様のお気持ちが少しわかりました」

ゆっくりと目を開けながら言う。

「先の紫さまの・・・」

「お婆様は、十の歳を迎えられたあのことがあった後 “古の力を持つ者” から言われたことをお守りになりました」

「え?」

「二度、お破りになったから、それをとても後悔されました。 だからそれからはずっと、守っておられました」

『怒ってはなりません。 赤子のように泣いてはなりません。 妬んではなりません。 常は心に平静をお持ちください』 それを守ったという。

「先の紫さまが・・・」


腕を掴まれた・・・激してしまった。
暗い狭い、尖ったものが刺さっている。 返事をしてくれない・・・赤子のように泣いてしまった、
“古の力を持つ者” から言われたことだったのに、言われたばかりだったのに守れなかった。
謝りたい・・・謝れない・・・。
二度と破らない。
帰ることが出来ない、戻ることが出来ない。 道が分からない。
紫として守れなかった東の地。


「私は間違いなく、紫です」

天井を見ていた首を動かした。 此之葉を見る。

「夢かもしれません。 夢だと笑ってもいいです。 でも写真でしか知らないお婆様が動いて私に仰ったんです。 東の地を頼みます、と」

写真の祖母が微笑んでそう言った。

「紫さま・・・」

『夢だと笑ってもいい』 その台詞は二度目だ。 一度目は佐川に言った。 母である早季の声が聞こえたと。 どちらも誰に何と言われようが、紫揺にとっての真実だ。
顔を戻して天井を見る。

「写真のお婆様はお優しいお顔をされていましたけど、小さい頃は可愛かったんですね」

枯れていた涙の筋がまた水分で満たされた。 小さい頃の先の紫。 それはあの忌まわしいことがあった日の幼い祖母の顔だった。 紫揺が夢で見たのは、自分が先の紫になっていた夢だったが、客観的に先の紫を見ることも出来ていた。

もうここが北の領土ではないと確信している。 祖母が守りたかった東の領土であると。

此之葉が何も言えず紫揺に背を向けた。 もう紫揺は大丈夫だ。 だが今の自分の情けない姿は見せられない。 次々と涙が溢れてくるのだから。


「良薬口に苦し・・・」

紫揺が憎々しく箸を口に入れ、薬膳を睨んだ。

「丸二日以上、なにもお口にされなかったのですから」

そう言う此之葉の前にも薬膳が並んでいるし、此之葉の手には箸が握られている。

「どうして此之葉さんまで付き合ってくれるんですか?」

「此之葉はずっと紫さまに付いておりましたから」

襖が開いたと思ったら、領主が入って来た。

「ご平癒、お喜び申し上げます」

領主が手をついて頭(こうべ)を垂れた。

「え?」

「私の浅慮でございました。 この様なことになるとは思ってもいませんでした。 深く深く、お詫びを申し上げます」

叩頭するが、訊きたいのはそこではない。 いや、後にその話は聞きたいが。

「領主さん、頭を上げてください。 あの、此之葉さんがずっと付いててくださったというのは?」

「はい、紫さまがここに来られた時から此之葉が付いておりました」

「えっと、ここに来た記憶がないんですけど?」

もっともだろう、気を失っていたのだから。

「その時より、此之葉が付いておりました」

『紫さま、お倒れになって今日で三日目です』 その言葉が浮かんだ。 領主を見ていた目を此之葉に移す。

「ずっと付いていてくださっていたんですか?」

倒れている間ずっと。

「未熟者ながら、それが私のお役ですので」

此之葉は “古の力を持つ者” として言っている。 だが紫揺にはそんなことなど分からない。

「ごめんなさ・・・」

言いかけて、謝るのではないと思った。

「有難うございます」

此之葉が恥ずかし気に微笑み俯いた。

口に苦しの薬膳を食べ終わると、領主から紫揺の倒れた時の説明を受けたが、それは短いものであった。 実際長く語れるものではなかったのだから。 岩壁を触ったかと思うと倒れた、それだけだったのだから。

それに同じて紫揺が口を開いた。
紫揺が記憶に残していたのは、岩壁に手を当てようとすると当たった感覚がなく、風景が見えた。 そのずっとずっと遥か先に岩壁が見え、洞窟の中とは違う空気を感じた。

そして洞窟で起きたであろう先の紫の記憶を感じ、何を言っているかは分からなかったが、叫んでいるような声が聞こえてきた。 誰かが助けてくれたことも先の紫の記憶に残っていた。

「そこまでなんです。 だから身体的には岩壁に手をつけた時から記憶がないんです」

紫揺の話した先の紫の話に悼むように視線を下げていた領主が顔を上げた。
領主は紫揺が先の紫を偲べるだろうと思い、先の紫が落ちた場所へ案内したと言い、再度、自分の浅慮を詫びそして続けた。

「紫さまは岩壁に手をお触れになって、ほんの数秒でそのまま後ろに倒れられました。 後ろに控えていた者がすぐにお抱え致しましたので、お怪我などはされておりません。 そしてそのまま領土に入り、床(とこ)で仰臥されておられました」

前半は先ほど言ったことを重ねて言った。

「・・・そうだったんですか。 飛んだんじゃなくて、後ろに倒れたんだ」

最初のフレーズは領主にも聞こえる声量だったが、その後のフレーズは口の中で言っただけであった。

「今日一日、ゆっくりとされて、明日、独唱様と民にお会いしていただけますでしょうか」

「・・・どうしようかな。 もう元気は元気なんですけど」

ちらりと此之葉を見た。
自分が動けば此之葉もついてくるのだろう。 寝ずの看病をしてくれていたのだ。 まずは此之葉を休ませるのが先決だろう。

「えっと。 じゃあ、そうします。 此之葉さんは休んでください。 私はここで大人しくしていますから」

此之葉が領主を見た。

「そうさせて頂きなさい」

此之葉が眉尻を垂れ、紫揺に目を移す。

「その代わりっていったらなんですけど、明日宜しくお願いします。 此之葉さんが一緒に居てくれないと、どうしていいか分からないですから」

日本の領主の家を出る時には、葉月の助けがあった。 あれがなければ、まだ領主の家を出られていないかもしれない。 まだ正座をしていたかもしれない。

(そうだったら私の足、死んでるな・・・)

高校一年の時に礼儀作法の授業が一時限だけあった。 和室での正座で授業を受けた。 襖の開け方から立ち方座り方、お辞儀の仕方からお茶の出し方まで、一時限中ずっと正座のまま聞かされた。 教師が手本を見せるのを見るだけだった。
授業が終わった後はクラス全員が悲惨な目に遭った。 立ち上がるに立ち上がれなく、歩くにまともに歩けなかったのだから。 よくも誰一人として捻挫をしなかったものだったと思う。

「では、一人お付きの者をつけますので」

そう言った領主に紫揺が首を振った。

「大丈夫です。 ここに一人でいます」

「ですが」

「何か用がある時には誰かを呼びます」

「領主、その方がよろしいかと」

口を添えてくれたのは此之葉だ。
知らない女に同じ空間でじっと座られていては、紫揺の気も休まらないだろう、と。

「・・・そうでございましたら。 部屋の外に控えさせておきますので何か御座いましたら、すぐにお声をおかけください」

「はい」

心の中は “はい” ではなく “ヨシ” であった。

「では、私はこれで。 なにも御座いませんが、ごゆっくりとお寛ぎください」

「有難うございます。 此之葉さんも、どうぞ休んできてください」

此之葉に辞することを促す。 少しでも早く休みを取ってほしい。
頭を下げた領主に続いて、此之葉も手をついて頭を下げると部屋を出て行った。

「ほぼ三日寝ていたというわけか。 身体が鈍っていても仕方がないな」

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