大福 りす の 隠れ家

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虚空の辰刻(とき)  第70回

2019年08月19日 22時39分45秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


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- 虚空の辰刻(とき)-  第70回



アマフウの黒目がゆっくりと紫揺に動く。

「文句があるの?」

思ってもいなかった返答。 何かを説明してもらえると思っていた。 いや、そんなに簡単には教えてくれないだろうとは思っていたが。 だけどこんなにあっさりと、それも反問されるとは思わなかった。

アマフウから目を外した。 甘い考えを持った自分に心で叱責を吐いた。

「・・・ありません」

アマフウの黒目が今度はサッと座に収まった。
でもトウオウはアマフウに付き合わされたわけだ。 その付き合わされる理由ってナニ?

「言いたいことがあれば言えば?」

疑問符が付いた。 だが相変わらずの姿勢、幾分紫揺の方に身体を開いているが。 この所、馬車の中では比較的応えてくれた。 外に見える風景のことも教えてくれたし、窓を開けていても文句を言われなかった。 そして今も、聞く耳を持つような言いようだ。

何処を見て紫揺に問いかけているのだろう。 何処とは、先程までとは違った方向ではあるが、先の見えない馬車の中の木には変わりない。 訊いたら答えてくれるかもしれないが、やはりさっきのような直球じゃ駄目だろう。

「・・・じゃ、訊きます」

紫揺の座った声にアマフウがピクリと眉を動かした。 それを見逃さなかった紫揺。 考えなくては・・・。

紫揺が大きく息を飲んだ。

「トウオウさんをどうして止めたんですか?」

明らかに直球だ。 やはり捻るということは出来なかった。

「アナタには関係のないことだわ」

「教えてもらえないってことですか?」

「私の言葉を聞かなかったの?」

「はい?」

「言いたいことがあれば、言いなさいと言ったはずよ」

「へっ?」

「訊いていいなんて、一言もいってない筈よ」

「・・・あ」

さっき 『・・・じゃ、訊きます』 と言った時にアマフウの眉がピクリと動いたのはそういう意味だったのか、と相手の心を忖度できなかった自分に呆れる。

トウオウを止めたことに何かを言いたいわけじゃない。 トウオウに何か伝えられればと思っただけだ。 今はもうこれ以上、トウオウのことは止めよう。 代わりに訊きたいことがある。 今度こそ教えて欲しい。

「あの・・・教えて欲しいことがあります」

「・・・」

返事をしてもらえない。

「訊いていいですか?」

「・・・」

ゆっくりと大きく息を吸って、そして言った。

「アマフウさんの匂いの元って何ですか?」

「ハッ!?」

思わずアマフウが手を顎から離し全身で紫揺に向きかえった。

「えっと・・・ずっと気になってたから」

馬車の中はこの数日、ずっとアマフウの石鹸の香りで満ちていた。

「あ、アナタってっ!」

「いい香りですよね」

「馬鹿にもほどがあるわ! 今ここでどうしてその話なのよ!」

「気になってたから教えて欲しくって」

セイハの甘い石鹸とは違う。 どこか爽やかさがある。 だが今そんな話をしてどうする。 分かっている。 でも気になっていることは確かだし、ワンクッション置いてトウオウのことを訊こうと思っていたがどうも雲行きが怪しい。

「とぼけたことを言って! アナタこそ・・・!」

シマッタというようにすぐに口を噤んだ。

御者が御者台から慌てて振り返る。 手綱を持つ手に力がこもる。

「私? 私が何ですか?」

「・・・何でもないわ」

プイと完全に元の形に戻った。

「あ・・・」

一瞬にして目に見えない防壁を造られた。 ハンマーで壊す勇気はない。

アマフウの大声が納まった。 ホッと息を吐き手綱を握っていた手から力を抜いた。


馬を休ませるために休憩に入った。

いつもの如く、アマフウは馬車の中に入ったまま、紫揺は身体をほぐす為に外に出る。

腰の高さの位置から、マジックより太い数本の水が岩の間から流れ出ている。 御者が木桶を二つ持ってその水の下に置き、馬用の水を溜める。 溜まったところで馬の前に置いてやる。 いかにも喉が渇いていたと言わんばかりに、馬たちがガブガブと水を飲む。 その姿を見ると、如何に自分が迷惑をかけているのだろうと思う。

屋敷には馬場もあると聞いていた。 こんなことになるのなら、馬の乗り方を教えてもらっておけばよかったと思う。

あくまでも今後、役に立つとは思えないが。 と、この時には思った。 未来のことなど知る由もないのだから。

紫揺の姿を横目に見ていた御者。 この娘が一体どういう娘なのか・・・。 確かめるには今を逃してしまうと後に無いだろう、そんなことが浮かんだ。

(ば、馬鹿な。 何を考えているんだっ!) 御者が自分を叱責する。

きっとこんな風に思うのは、紫揺の態度が余りにも五色と違うからだ。 だから・・・訊いても許されるように思ってしまったのだろう。
もう一度紫揺を盗み見ると、当の紫揺はいつも通り可笑しな体勢をとっている。

(はぁー、ずっと身体を緊張させてるのって疲れる)

ゴムもチューブもない木の車輪。 身体に大きな振動を与える。 胃と腰に衝撃が来ないように、ずっと背筋を伸ばして筋肉を緊張させて座っているのは、この上なく疲れる。 

「ぐぅぅ・・・」

直立状態から前屈をして筋を伸ばす。 続いて脊柱起立筋を伸ばす。 アマフウとの会話からか肩も凝った。 僧帽筋も伸ばす。 骨盤の位置も歪んだろう、股関節の運動もする。

いつもながら不思議なことをしている、と御者が身体を開いて紫揺を見る。 横で馬が満足したように木桶から顔を上げた。

視線を感じた紫揺が御者を見た。 御者が慌てて紫揺から目を外す。

またか・・・。 と思いかけた時、いや、この御者はずっと一緒に行動をしている。 女たちとは違う。 だから、すぐに声が出た。

「あ、私、変なことをしてますよね」

自覚があるからそんな言い方になった。 自分のするストレッチは見る人によっては、信じられないらしい。 高校時代、他の部からよく言われた。 『タコ踊り』『蒟蒻畑』『ワカメが波に煽られる図』 ナドと。

「あ・・・」

突然そんなことを言われ、御者が言いあぐねる。

「御免なさい。 気に障ることをしたんでしょうか?」

あくまでも馬に対して。 自分が身体を動かすことのよって、水を飲んでいる馬に茶々を入れてしまったのかと、馬が思う存分水が飲めなかったのかと思った。 それしか考えられないから。 

紫揺の言いたいことは御者には通じなかったが、言葉は通じたようで、言った意味を誤解したようだ。 自分に気に障ることをしたのかと言われたのかと思った。

「と、とんでもないです!」

紫揺は 『―――気に障ることをしたんでしょうか?』 と訊いた。 それは馬に対して言ったことだったが、馬と言葉にはしなかった。 御者が自分に対して言われたと思い違っても、仕方がないだろう。

だが紫揺はそれに気付いていない。 馬に対して何もなかったと、御者が返事をしたと思っている。

紫揺が御者に視線を送ると馬の元に寄る。 乾いた喉を湿らせて今はほっこりしている。

「喉が潤ったみたいですね」

馬を見た後、御者に笑顔を送った。

思いもしないことを言われた御者。

未だ御者と紫揺、互いに思い違いがあることを理解していない。

問罪を示唆されるかもしれない、咎めらるかもしれない、それでも御者が紫揺の笑顔に甘えようと、勇気を百倍振り絞って問うた。

「ム・・・ムラサキ様は・・・」

駄目だこれ以上出ない。

「私?」

御者が命を賭けた思いに対して軽く答えるが御者の様子がおかしい。 だからハッキリ言おう。 それが御者の言いたい道筋を妨げているドアを開けることになるのならば。

「私は今更ですけど迷子です」

あなた達の領主に攫われてきたなどとは言えない。

「・・・っえ!?」

言われた意味が分からない。

「でも、迷子で終らせたくはないんです」

迷子? どうして? 言っている意味が分からない。 御者の目線が踊りかける。

「私、元に帰りたいんです」

切実な紫揺の声音。 分からなくともいい。 御者が紫揺の心に添おうと思う。

「ど・・・何処から来られたか分からない?」

「はい。 全く。 それに此処が何処かもわからないんです」

そうか、と納得できるところがある。 あのアマフウは迷子に対してのみ少々優しいのかと。

つい前、アマフウの大声が聞こえたが丸く収まったようだった。 それは迷子に対して苛立つことがありながらも、治めることにしたんだろうと考えられる。 だが、領主からムラサキ様とお呼びするようにと教えられた時点で、その辺りの迷子ではないと思える。

「領主から、ム・・・ムラサキ様と教えられました。 領主ならムラサキ様の元の場所をご存知なのでは・・・」

それは御尤も。 完全正解。 紫揺を攫った主犯はムロイなのだから。 だが、ムロイに聞けるはずもないし、帰してもくれないのも分かっている。 そしてそのことをこの御者は知らない。 でも・・・御者は紫揺のことを案じてくれているのだろう。 だから、そう言ったのだろう。

「はい・・・。 いつかは帰れると思います。 それより、ムロイさんから聞きました。 今日、明日にでも最初に迎えにきてもらった場所に戻れるって」

最初にムロイが言っていた。 『4,5日で屋敷に着きますよ』 と。

「はい。 今日はもう着けないでしょうが、明日には着けると思います」

返答をしながら、頭の片隅に不思議なものを感じる。 五色達と領主が気を使っている、この娘と今こうして当たり前に話している。 一言吐くだけで、全身が強張るはずなのに、この心の安堵感は何だろう。 それは何とも不思議なことだ。

最初に持っていた御者の疑問は不発に終わったが、一つの回答を知ることが紫揺の返答を聞いて分かった。

目の前にいるこの娘は、迷子である。 どうして迷子がムラサキ様と呼ばれるのかは、分からないが。 そしてアマフウは言葉は冷たいけれど、子供に優しいのだろうと思った。

そう思うと忘れていた過去の記憶から、それもあり得るかと思った。 それは今はもう誰もの記憶の縁にしかない事。 だが、御者はそれをしっかりと記憶している、聞かされている。 今更にしてその事を思い出す。

アマフウが幼子を救ったことを。

御者が瞼を半分下した。

「明日には着きます。 必ずそう運びます」

確信の言葉を紫揺に送った。
それに紫揺が笑顔で応えた。


全員で夕飯を囲む。
いつもの如く鍋だ。

「久しぶりに大盤振る舞いの肉じゃない。 この肉はなに?」

鍋の中には野菜を押しのけて、これでもかという程、肉が入っている。 まだ箸をつけていないセイハが女に訊いた。

「イ、イノシシでございます」

低頭して女が答える。

トウオウが僅かに眉を顰めた。

「シユラ、良かったね。 ヒトウカの肉じゃないって」

アマフウがピクリと眉を動かした。 それは誰にも分からない僅かな動きだが、たった一人は気付いていた。 トウオウだ。

「あは。 ・・・はい」

自分のことを思ってくれているセイハに濁して返す。 自分の思いは口に出来ない。

ヒトウカの肉じゃないと言われても、その他の肉であればイイノカ・・・・。 無理だ。 ここに来て馬も見た。 だから馬肉は無理。 イノシシの肉と聞いたが、今まで食べたことがないけど、いや、無理。

今まで鶏、豚、牛肉は食べていたけれど、ヒトウカのことを知った後すぐに、鍋の中にある肉がヒトウカの肉かもしれないと言われた時点で、口が、胃が、肉を受け付けなくなってきていた。
鍋をしてもらっても、野菜しか食べられない、肉を食べたくない。

生きていた動物の肉を食べるという事に躊躇を覚えたが、それ以上に命を途中で止めた。 それも人間の勝手で。 それは受け入れられない。 生きとし生けるものの命をどうして止め、口に入れられるのか。 自分が野生に生きていれば、野生社会ならそれはあるかもしれない。 だがそうではない。 今の日本の飽食の人間社会に生きていてそうでは無い。

どうして生を止めるのか・・・。

鍋から野菜だけを箸に取り自分の持つ椀に運ぶ。

「シユラ、明日には屋敷に帰りたいね」

「はい。 馬車を・・・運転してる人? が、明日には着きます。 必ずそう運びますって言って下さってたから、着けると思います」

御者と会話をしていたのをアマフウは知っているはずだ。 屋敷に居る時に、使用人と話をするなと言われたが、あの後、馬車に乗り込んでも何も言われなかったから、御者と会話をしてもいいのだろう。 でも自信がない。 チラリとアマフウを見る。 眉一つ動かさず、野菜を口に運んでいる。 大丈夫のようだ。

「え? それって御者のことだよね。 御者と話したの?」

馬車の運転手ではなく御者というのか、と、マヌケな物言いをしたことに顔が赤くなりそうだ。

「はい。 その、そろそろ着くのかなと思って訊いてみただけです」

そんなことはない。 他にも話した。 やはり気になる。 アマフウをもう一度見る。 今度も目のあたりの表情筋はどこも動かさず、顔の下半分だけを動かし、見たこともない茸を口に入れている。

「プッ、シユラ様、なにアマフウの事チラ見してんの?」

トウオウが持っていた箸を指の中で踊らすと握り込み、その手を顎の下に入れ、頬杖ならず、顎杖をついた。

「え?」

見られているとは気づかなかった。

「やだ、トウオウ。 私がシユラと話してんだから、割り込まないでよ。 ねー、シユラ」

『ねー、シユラ』 の後に八分音符でもつきそうに言うと頭を傾けた。 見ようによっては可愛い仕草。

「そっ、じゃ御勝手に」

声はセイハに向けて。 だが、視線は紫揺から外していない。

セイハとトウオウを交互に見る紫揺。 どうしていいのか分からない。

トウオウが片方の口角を上げると、やっと手を顎から外しゆっくりと紫揺から視線を外した。

「そう。 トウオウは黙ってて。 あ、そうだ。 ね、今日一緒にお風呂に入ろうよ。 屋敷に帰ったら一緒に入られないんだから。 ね、そうしようよ」

「あ、はい」

またアマフウをチラッと見てしまいそうになる視線を、誤魔化すように上に向ける。
セイハの石鹸は借りられないな、勧められたらどうやって断ろうかと、頭を悩ませる。

「じゃ、決まりね。 最後に入ろ。 迎えに行くから待ってて」

「はい」

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