大福 りす の 隠れ家

小説を書いたり 気になったことなど を書いています。
お暇な時にお寄りください。

虚空の辰刻(とき)  第206回

2020年12月07日 22時29分19秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第200回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


     『虚空の辰刻(とき)』 リンクページ




                                      



- 虚空の辰刻(とき)-  第206回



セノギが阿秀を見るが、阿秀は此之葉の手を取ったまま、軽く頭を下げ伏し目がちにしているだけである。 紫揺をもう一度見ると紫揺が頷く。

「それでは、お借りいたします」

阿秀に向かってセノギが深く頭を下げるのを目の端で見た阿秀が一度頷いてみせる。

「では戻ろう」

阿秀が此之葉の手を引いて船に戻っていく。 その姿を立っている影と紫揺とセノギが追っている。
此之葉が無事に船に戻ったのを見終えてから紫揺が陰に振り返った。

「えっと、カミ、ケミさんじゃないですよね。 ダン、ゼン、ハンさんのどちら様ですか?」

セノギから女性は二人と聞いている。 カミ、ケミは “ミ” で終わる。 きっと女性の名だろう。 間違いないだろうと思う。 そして立っているのは男性だということは、顔は見えなくとも身体の大きさや声で十分に分かる。

だが日本語が少しおかしくはないだろうか。

「・・・ゼン」

「ゼン!」

名乗ったゼンを叱責するような押し殺した女の声がした。 顔を上げてゼンを睨み見上げているのがその女性だろう。

「もう何の括りもないんです。 ゼンさんはご自分で判断されてご自分の道を行かれます」

女性に向かって言うが、紫揺の方を見ない。 今もゼンを睨み上げている。

「ゼンさん、どうなさいますか?」

ゼンが紫揺の後ろを見ている。 その紫揺の後ろでは、此之葉を残した男たちが続々と船を降り、こちらに向かって桟橋を歩いてきている。
先頭を歩いていた阿秀が紫揺に問う。 と言ってもセノギに聞こえるように。

「桟橋を下りるようにと言われたのですが」

先程からずっと此之葉の名前を出していない。 下りるようにと言ったのは此之葉であろう。
紫揺がセノギを見る。 セノギが頷く。

「じゃ、降りて待っていてください」

阿秀が影たちの横を抜けて桟橋を歩いて行く。 それに六人が続いた。

顔を下げ口を一文字にしていたゼンが、顔を覆っていた布を下ろし歩を出した。

「ゼン!!」

ゼンを睨み上げていた女性がゼンの背中に叫ぶが、ゼンの足は一瞬止まっただけで、逆に止まったことで拍車がついたようにその歩みは早くなった。

「・・・クッ!」

一人が立ち上がり踵を返しかけた。 その手に一本の手が伸びた。

「どこへ行く」

「離せ!」

さっきと違う女性の声だ。

「お前がどう判断しようとそれはお前の勝手だ。 だがゼンを待ってやれ」

「お前に命令される覚えなどないわ!」

「では誰の命令なら聞くというのだ。 ショウワ様はもうおられん」

そう言うと顔を歪めた。

その様子を見ていたダンが立ち上がり、もう一方のカミの手を取った。

「ハンの身体がまだ本調子でないのはお前が一番よく知っておろう。 これ以上力を出させるな」

ダンを睨みつけるカミだが、目を落とすと腕の力を抜いた。

「悪い。 膝が痛かったか」

「気にするな」

紫揺から封じ込めの話を聞き、知らなかったとはいえ自分もこの影たちの存在に加担していたのだと思うと、胸が詰まる思いで今の影たちの会話を聞いていたセノギ。

影たちはもう片膝片手などついていない。 顔を覆っていた布を下ろし立っている者もいれば胡坐をかいている者もいる。 ただ全員がうな垂れているだけだった。

ゼンの後を追った紫揺が先に立ち、ゼンをラウンジに入れた。

「デッキに出ています」

そう言い残すとすぐにラウンジを出た。

ラウンジには此之葉とゼンの二人しかいない。 避けられたラウンジのテーブルに此之葉の手で白い一輪の花が置かれていた。

「心は決まりましたか?」

ゼンが頷く。

「ではそこにお座りください」

手を伸ばして額に指を付けるにはあまりに背が高すぎる。
ゼンが座るとゆっくりと近寄った。

「気を楽にして私の声をよくお聞きになって下さい」

此之葉が人差し指と中指の二本の指を立てるとフッと息を吐きかけ、ゼンの額に二本の指を充てた。
ゼンの身体がピクリと動く。

「そなたの泉の深き深き深淵に落ちしもの、その縄を解き蓋を開けよ。 怖るることは無い。 其(そ)はそなたの心。 其はそなた自身」

口を閉ざしたまましばらく待つ。

素早く指を離すともう一度二本の指に息を吹きかけ額にあてる。

「ゆるりと浮上し水面(みなも)に上がり、そなたの泉と溶けあい、其がそなたのものとなる。 そなたの深淵、我が閉じし」

ゆっくりと滔々(とうとう)と此之葉の声が響いた。
しばらく置いていた指をゆっくりとゼンの額から離した。
ガクンとゼンの頭が落ちた。


『どうしてうちの子が!?』

『領土のために働けるのだ。 栄誉なことであろう』

目だけを出した全身黒ずくめの男が言う。

『この子はまだ十の歳、一人でなど! せめて! せめて母親をついて行かせます』

『案ずるな。 吾が面倒を見ることになっておるし、他にもまだおる』

男が父親の後ろに庇われている少年を見た。

『身体能力に長けておるな。 ずっと見ておった。 その力を領土の為に使わんか? 民の為に使わんか? 強いてはお前の家族の為にもなる。 どうだ?』

『家族の為に?』

『そうだ』

『姉さんの為にも?』

姉は生まれつき目が不自由だ。 たった二人っきりの姉弟。 自分が居なくなれば親が悲しむことは分かっている。 目が不自由だとは言え、姉も悲しむだろう。 だが、その姉の為になる?

『そうだ』

『そのような! そのような巧言! そんな話など聞いたことなど―――』

『無いというのか? この様な辺境で中心に何があったのか知りもせんだろう』

『グッ・・・』

少年が父親の後ろから身体を出した。

『ミノオ!』

(! そうだ・・・吾の名はミノオ・・・)

『父さん、おれ、おれ、姉さんの為に行く。 父さんと母さんの為にも』

(姉さん・・・そうだ、姉さんはどうなった)

『こちらへ』

男が言う。
歩を出したミノオを父親が手を取って引く。

『おや、息子のやりたいことを止めるというのか?』

『父さん、離して』

『案ずることは無い。 仕事が済めば必ず戻って来るのだから。 だがそれが何年になるかは分からんがな。 帰ってくるのをただ待っていればよい』

『ほら、そうなんだって。 ここで父さんの手伝いは出来なくなるけど、姉さんの為に何かをしたいんだ。 だから離して』

『・・・ミノオ』

『安心して。 必ず帰ってくる。 その時には姉さんの目が見えるようになるかもしれない』

父親が震える手をゆっくりと離した。

『こちらへ』

再度言った男の後ろに手招きされ、男の後ろについた。

『必ず帰す。 騒ぎ立てず待つがよい』

男がミノオの背中を押し家から出た。 家の外には同じような黒ずくめの大人たちが四人立っていた。

『吾の肩に乗れ』

そう言うと他の大人の手が伸びてきてミノオを男の肩に乗せた。

『しかりと摑まっておれ』

男は思いもしない速さで走った。 他の四人が後を走って来る。

『すごい・・・』

『お前も修行をすればこれくらい走ることは出来るようになる』

『え? おれにも出来る様になるの?』

『ああ。 その為にお前を選んだ』

(そうだ、思い出した。 それからショウワ様の前に出たんだ。 そして、そして・・・今のように額に指をあてられて・・・)

それから修業を積んだ。 そして影の一員となった。 だが、ただムラサキを探すショウワの手足となっただけだった。 姉に、父母の為になることなど何もしていない。
それどころか、あの時肩に乗せてもらった男、師匠。 修行をし、師匠のようになれるのが嬉しかった。 ただそれだけだった。

(吾は・・・吾はなんと愚かだったのだ・・・)


「いかがです?」

此之葉の声が響いた。
ゼンがゆっくりと顔を上げた。 東の “古の力を持つ者” と呼ばれているその姿を見た。 此之葉を見たその顔色は良くない。 表情も沈んでいる。

「どこか具合の悪い所がありますか?」

ゼンがゆっくりと首を振る。

「頭痛はこれでなくなります。 安心してください。 あとはゆっくりとご自分の過去と向き合って下さい。 あなたは何も間違ってなどいなかったのです、あなたのせいではないのですから。 全てはこの術から始まっただけなのです。 ゆっくりと術をかけられる前のあなたを見て下さい」

ふらつきながら立ち上がると、ゆっくりとした歩調でラウンジを出てデッキに立った。
陽が愚かな自分を洗い流すように全身に降り注ぐ。 紫揺に軽く頭を下げると影たちの元に向かった。

まだ身体がはっきりと覚めきれないのか、時々ふらついている。 思わず紫揺がデッキから飛び出してゼンの後につく。

桟橋から離れた浜辺ではデッキから飛び出した紫揺を見て肝を冷やした者が数人いた。 冷やしていないのはもう慣れた阿秀と、浜辺を歩いていたヤドカリを拾ってそれをマジマジと見ていた者たちである。

「・・・ゼン」

自分の前まで来たセノギがゼンの名を呼ぶことしか出来ない。
ゼンが首を振る。

「吾はゼンではない」

無表情に言う。

「ゼン! 何を言っておる!」

カミが噛みつくように言う。

「吾は・・・。 吾の名はミノオ」

まっすぐ前を向いて誰を見ているわけではない。

「どういうことだ?」

ミノオと自称するゼンがゆっくりとケミを見た。 ケミもゼンを見ている。

「ケミ・・・」

「・・・なんだ」

「吾は吾の名を取り戻した。 お前もお前の名を取り戻してこい。 お前の父母様のことを思い出せ。 どこで生まれ、どこで育ったか。 そしてどうしてここに居るのか。 吾に言ってやれることはそれだけだ。 ・・・待っている」

歩き出すと離れたところで桟橋に腰を下ろし、大きな手で顔を覆った。
グッ・・・っと嗚咽を押さえる声が手の中から漏れ出てくる。

「セノギさん」

「はい」

ゼンを見ていたセノギが紫揺に振り返った。

「そのタオルを渡してあげてください」

セノギの足元に置いてあるタオルを指さす。

「あ・・・はい」

その為のタオルだったのか。 五枚の意味が分かった。
セノギがゼンにタオルを渡す。 ゼンが素直に受け取りタオルで顔を覆う。 タオルが顔にあたったことで少し気が緩んだのか、嗚咽はさらに上がった。 その姿をじっと見ていた四人の影たち。

「ケミどうするんだ」

ダンが問う。

「あんな情けない姿を見せられてどうしろと言うんだ」

「だが、さっきゼンが―――」

「ではお前がゆけばいいであろう! 帰ってきた時にお前たち二人を合わせて、これだから男は、と言ってやるわ!」

「勝手にしろ」

ダンが立ち上がり船に向かった。
紫揺が後を追う。

「ちょこまかとされて・・・やっぱり・・・」

オットという風に口を噤んで離れたところに居る阿秀を見た。 また頭をはたかれるところだった。

「北のことなんて放っておかれればいいのに」

湖彩の横でヤドカリをひっくり返して野夜が言う。

紫揺がラウンジに案内してまたデッキに立った。
此之葉がゼンに施したようにダンにも施された。

「・・・そなたの深淵、我が閉じし」

此之葉の二本の指がダンの額から離された。 十五分も待つと、ダンの目から大粒の涙が零れ落ちた。 反応はゼンより良い。 涙で過去を洗い流すのが一番良い。

「大事はありませんか?」

「吾の名が・・・」

「無理になにも言わなくてもいいのですよ。 あなたがあなたの中で分かればいいのです。 急ぐことはありません。 ゆっくりとゆっくりとあなたのことを知る事です」

ラウンジ内にあったティッシュをダンに差し出した。 軽く頭を下げたダンが数枚とると立ち上がり、もう一度此之葉に頭を下げたその時に身体がふらつく。

「あまりご無理をされませんよう。 まだ身体も心も追いついておりませんから」

コクリと頷くと「感謝します」 と言い残し、デッキに出てきた。 足元のふらつきが目立つ。

「大丈夫ですか?」

デッキから桟橋に移ることが出来るだろうかと、桟橋に飛び移った紫揺が手を差し出した。

「・・・そのようなことは」

そう言いながらもどんどん涙が溢れてきている。 涙で足元もまともに見えないだろう
ダンの腕を取って桟橋に移らせる。 それを見ていたセノギが慌ててタオルを一枚取ると走ってやって来た。

「申し訳ありません。 私が」

紫揺が抱えている反対の腕を取り、タオルをダンに渡した。

「お願いします」

紫揺は北の人間や東の人間と分けて考える気は無いが、お付きの者たちが良く思わないのは感じている。
そして紫揺の思うように、正に浜辺では鬼の顔をしてお付きたちが並んで立っている。

「阿秀! どうして紫さまがあのようなことをせねばならないんです!」

「そうです! 北の者のことは北の者がすればいいこと!」

「あの座っている者たちにさせればいいでしょう!」

「あの者たちに言ってきます! いいですよね!」

「紫さまをこちらにお連れします!」

「俺もそう思うけど、紫さまをこちらにお連れしたら此之葉が困るだろうなぁ」

「まぁ、待て」

「阿秀!!」

五人が声を揃えて言う。

「そう憤るな。 あの者たちも私たちと同じだ。 だが私たちはまだ救われている方なのだから、少しくらいは大目に見てやれ」

「阿秀ぅ?」

「なんだ」

「言ってることと顔が違うぞ。 その眉間の皺と怒りの目を見たら此之葉が恐がる。 やめてくれ」

「・・・」

顔に出ていたのか・・・。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 虚空の辰刻(とき)  第205回 | トップ | 虚空の辰刻(とき)  第207回 »
最新の画像もっと見る

小説」カテゴリの最新記事