大福 りす の 隠れ家

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虚空の辰刻(とき)  第115回

2020年01月24日 22時00分27秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第110回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第115回



朝食を運んできたのはニョゼであった。 いつもの男ではない。

「お早うございます」

「お早うございます。 ね、ニョゼさん見て」

そう言って髪の毛を触ると一回転した。

「撥ねてないでしょ?」

ホテルに居たころ、毎朝ニョゼが撥ねた髪を抑えるように櫛を入れてくれていた、

「まぁ、上手く櫛を入れられたんですね」

「そうじゃないと思う。 ニョゼさんの切り方だと思う」

「そんなことは・・・」

婉然と微笑むと運んできた物をテーブルに並べる。

「髪型もお洒落にしてくれた」

そう言うと、ほんの一つまみほど他の毛より少し長い横の髪を持った。 カットをされている最中からそれを気に入っていて何度も触っていた。

今までのシユラのヘアースタイルは単なるショートカットだった。 田舎の美容室で切ってもらっていたのを、なんとかニョゼに心を開いた頃にホテルに呼んだ美容師がそのまま真似て切っていただけであった。 何故なら、美容師がスタイルを変えましょうか? と訊くと紫揺が首を振っていたのだから。

「お気に入って下さって嬉しく思います。 どうぞ」

そう言うと椅子を引き紫揺を座らせる。

「わたくしがお作りしました。 お口に合うとよろしいのですが」

少し不安げながらもその表情さえも妍麗(けんれい)である。 紫揺などノミのような存在にさえ感じる。

「フレンチトースト?」

「はい、蜂蜜を加えております」

目の前に並べられたのは、フレンチトースト、サラダ、スープであった。

「えっと、もしかしてパン作りから?」

ニョゼなら半端なことはしない筈。

「はい。 コックのようにうまくは焼けませんが」

ウソデショ? という目をしてテーブルに並べられたものをもう一度見た。 何もかもできるニョゼとは分かっていたが、料理も出来るというのか?
サラダなどは手が凝っている。 紫揺のことをよくわかっているのだろう。 決して子ども扱いをしているわけではないが、星型の人参や飾り切りのキュウリ。 どうやったのか、ハートの形のゆで卵。 その他キレイな形諸々。 多分、スープなどは何かの味がするコクの有るものだろう。 だが朝から濃い味ではない筈。 アッサリの中にコクが入っているのだろう。

「ホテルに居た時には、ニョゼさんのお料理を食べたことは無いですよね?」

「はい。 お料理はホテルの方で出して頂いていましたので。 お茶だけはわたくしが」

「うん、ニョゼさんの淹れてくれるお茶は美味しかった。 でも、どうしてですか? ここにもコックさんが居るのにニョゼさんの手料理が?」

「手料理などと仰っていただけるほどの物ではございません。 シユラ様、冷めます前に」

「あ、はい」

ナイフなど要らないように切り分けられていた。 フォークで一欠けらを刺すと口に運んだ。

「甘い・・・」

「申し訳ありません。 甘すぎましたでしょうか?」

紫揺が首を振る。

「違う・・・」

口に広がる甘さ。 クロワッサンを食べた時にその甘さが美味しかったが、それとは違う甘さがある。 ニョゼは蜂蜜と言っていたがその甘さかどうかは分からない。

「暖かい甘さ」

春先の陽の光の中でポカポカとする暖かさ。

「はい?」

柳眉を上げる。

「ニョゼさんの淹れてくれるお茶と似た味です」

「お茶と?」

お茶とフレンチトーストが似た味? 理解しようとするが、紫揺の特殊頭脳のコンピューターには辿り着けない。

「とっても美味しいです」

「お口にあいましたでしょうか」 

「はい、トースト自体もスゴク美味しい」

茶もフレンチトーストも美味しいという事かとホッと胸を撫で下ろす。

「有難うございます。 少しでもシユラ様のお心のお力になれればと。 わたくしに出来ることはこれくらいの事ですので」

「そんなことないです。 ニョゼさんは何でもできるし・・・あ」

次のフレンチトーストの欠片にフォークを刺そうとした時に気付いた。

「それってもしかして夕べ言ってた、ニョゼさんが出来ることは何でもお手伝いしてくれるってことと繋がっているんですか?」

『でも、どうしてですか? ここにもコックさんが居るのに、ニョゼさんの手料理が?』 先ほど紫揺がニョゼに対して訊ねたことに自分自身で答えた。

「はい。 このようなことしか出来ませんが」

そんなことない。 こんなに美味しいトーストを焼いてくれたのに、自分なんてパンを焼くことさえ出来ないし、こんなに美味しいフレンチトーストなんて作れない。 そんな発想さえない。 そう言いたかった。 でも言えなかった。 夕べニョゼは明日から始めようと言っていた。 ニョゼは既に一歩を出していたんだ。 なのに自分は何もしていない。

「シユラ様、少しづつ始めましょう」

そう言うとワゴンから小さな一輪挿しをテーブルに置いた。

「お花・・・?」

「はい。 何というお花かは分かりませんが北側に咲いておりました」

それは名も無い花。 いや、名はあるのだろう。 だが、花屋では見ない花。 小さく透明な入れ物に入った小さな小さな菫(すみれ)の原種に似た薄紫の花だった。



「くっそ、ジッとしてられないのかよ」

双眼鏡を覗く野夜の手が怒りに震えている。
双眼鏡には海岸沿いをウロウロとするドーベルマンの姿がうつっている。

「いったい何頭いるんだよ!」

双眼鏡を外して目視しようとするが、それは双眼鏡に失礼な話であり、不可能この上ないことである。
無駄な肉の無い黒光りする身体が何頭も右に左に動き、一頭が木立の中に消えたと思うとまた数頭が出てくる。 数を数えたいが双眼鏡の奥に見える犬に名札など付けられない。

「野夜、もう休め」

ずっと双眼鏡を覗いていた野夜に湖彩(こさい)が言う。

「俺が変わる」

今度は若冲(じゃくちゅう)。

「野夜、目先を変えるのも一案だ」

涼やかな目で梁湶(りょうせん)が言う。

「目先を変える?」

若冲に双眼鏡を渡しながら梁湶に訊ねた。

「他の手もあるかもしれないってことだ」

「島の四方の内の三方をあのバカ犬達が闊歩しているんだぞ。 それに残った一方は肉食の獅子だ。 そこに何の手があるって言うんだ?」

「だから、目先を変えれば何かがあるかもしれないってことだ。 それに獅子だけではない犬も肉を食う」

御尤も。 それだけに手の出しようがないのだから。

「その何かとはなんだ? あの犬たちや獅子を巻いてあの島に上がれる何かとは何だ!」

「焦るなよ。 焦ったとて事は変わらない」

「ああ、永遠にな」

侮蔑の視線を送ると双眼鏡ではなく己の目で遠い島を見る。

「野夜・・・」

再度、梁湶が野夜に声を掛ける。

「なんだ」

振り返りもしない。 変わらず島を見ている。

「紫さまは我が領土に帰って下さる」

「・・・」

どこをどう見てそんな風にが見えるのか、言えるのか。 今もいつ、紫揺がまた北の領土に行くかもしれない。 北の領土に行かれては取り戻すことが出来ないかもしれないのに! そう言いたかった。
領主が本領に申し出れば取り戻すことは出来るだろう。 だがそれを是としない領主。 紫揺が北の領土を選んだとなればそれに従うつもりでいる。 東の領土には民の求める紫は居なくなる。

「そうであればいいな」

出た言葉は違う言葉ではあったが、つっけんどんとした冷たいものだった。 

「野夜、お前は阿秀ではない」

「・・・どういう意味だ」

「俺たちは阿秀の指示に動く。 まぁ、それに甘んじてはいけないことは分かっている。 自らも動かないといけないことはな。 だがお前は先走り過ぎている」

「は!? 先走っている!? どういう事だ!」

「焦るな。 焦ったとて現状は変わらない」

「何を悠長なことを! 紫さまが北に行かれたら、後も先もないのは分かっているだろう!」

「俺たちの紫さまを信じられないのか? 東の領土の紫さまは北の領土にホイホイと行かれると思っているのか?」

「・・・」

「俺たちは紫さまを知らない。 伝え聞いているだけだ。 だが、紫さまは北の領土から帰って来られた。 それを信じられないのか?」

「・・・紫さまが微笑むだけで民が幸せになる」

正しくは『紫さまが微笑まれれば民が微笑み、悼みを抱かれれば民が心沈む』 である。 それは東の領土で過ごしていた紫揺の祖母の事であった。

「そうだ」

代々そう伝えられてきている。 そう書かれている。 紫揺の祖母である紫のことを。

紫と呼ばれる紫揺的には気の重い言い伝えであるのは間違いないだろう。 だがそうとは一蹴できないことも確かだ。 何故なら、紫揺が心から歓心すると花が咲くのだから。
だが 『だが』 の二重奏になってしまうが、紫揺のそれは祖母の紫のそれには程遠いものである。
だが 『だが』 の三重奏。 それは紫揺の祖母の紫の事であって、決して紫揺の事ではない。

梁湶は後に頭を抱かえ野夜に謝るか、野夜が安堵の溜息を吐くか、紫揺が紫として立派に心するか、それは今は誰にも分からない。
分からないということ、それは誰もが分かっていることだが、東の領土の人間、特にお付きと呼ばれる人間は紫揺の祖母のような紫が目の先の島に居ると思っている。

「紫さまは我らの元に帰って来て下さる」

梁湶は言い切る。 それはなんの予知能力もない梁湶に何かが見えているのか、希望なのか。
希望だ。 誰もが分かっている。

「・・・そうだな」

そうかも知れないとは言わなかった。

二人の会話を聞いていた湖彩が遠い海面を見た。 若冲は一瞬、双眼鏡を下した。



「何故?」

そう訊き返した。

「どうしてケミではなくお前なのだ、と訊いておるのだ」

領主の家を見張っていたゼンの元にケミではなくダンがやってきた。

「ケミに言われたからだ」

その返事にケミが何を考えているのかが分かった。 己と話したくないのだと。

「ショウワ様のことも気付けんそのような者が残ってどうする、などと言われた」

「ショウワ様?」

「ケミが言うにお顔の色が悪いらしい」

「らしい?」

「吾には分からなかった・・・というか、言われても分からん。 だが今までにない剣幕で言われた。 ああ、そう言えば、これだから男は、等とも言っておったな」

「具合を悪くされている様子はないのか?」

「至っていつものショウワ様だ。 吾から見ればだがな」

首をすくめる。

「それで? 領主の具合はどうだ?」

枝の上から領主の家を見る。
いつも立つ木の枝に二人が立っている。 領主の家の正面でもなく裏でもない。 領主の家は正面を除く三方が木々に囲まれている。 とはいえ、隣接しているわけではない。 ほどほどに離れてその間に数本の木々が植わっている。 正面の庭には喬木が数本あるが、民の目がある、昼間からそこには立てない。 よって今二人が居るのは、領主の家の横に林立する喬木の枝に立っていた。

「意識は完全に回復したようだが骨を折っている。 動くことがままならんようだ」

「では・・・ここはお前だけで十分か?」

「ああ、と言いたいところだが」

「なんだ?」

「いつマツリ様が来られるか分からん」

「マツリ様は領主に 『待つ』 と言っておられたのだろう?」

「・・・それだけで済まぬことがあるやもしれん」

「何を考えておるのか・・・ではここを二人で見るのだな?」

ゼンが頷いた。

「まあ、ショウワ様の事はケミに任せておこうか。 吾は役立たずの男らしいからな」

「気が立っていたか?」

「頭ごなしだ」

ダンの言いようにフッと喉の奥で笑うと 「中の様子を見てくる」 と言い、姿を消しかけたのをダンが止めた。

「様子を知る為にも吾が行く。 それと、あとは任せておけ」

ゼンが怪訝な目を送る。

「あのケミの相手をしていたのだ・・・あ、ああ、いや。 言い変えよう。 ずっと領主を見ていたのだから少しは休め。 クマが出来ておる」

クマが出来ていたとは自覚に無かった。 目の下に指を這わす。
だがこのクマは領主のせいではない。 ダンが言いかけたようにケミの相手をしたからでもない。 己の思いを幾度も反芻して頭痛に見舞われていたからだ。 ケミのことを考えなかったという訳ではないが。 訳ではないどころか、半分はケミの事だったように思う。

「そうか?」

ダンの言いようからするに、ケミは屋敷に戻ってもかなり気が立っていたのだろう。 そんなに触れられたくないのか・・・。 だが、触れないではすまされない。

「ああ。 休め。 我らは不死身ではないのだからな」



「やあ、紫揺ちゃん」

屋敷の四階の窓の明かりを確認してから、いつもタバコを吸う場所に戻りつつ、後ろを振り返った時に月明かりに照らされながら歩いて来る紫揺の影を見止めていた声だった。 携帯灰皿で吸ったばかりのタバコをもみ消した。

「先輩!」

まさか居るとは思わなかった。
頼みの綱の春樹の友達の父親は旅行を延長したと聞いていた。 だからそれからの進展は無いと思っていた。

「何か進展があったんですか?」

何日も待たされてそれか。 春樹が少々落ち込みかけた。

「いや、無い。 旅行を楽しんでるみたいだよ」

「じゃ、どうして?」

どうしてここに居るのかと訊いた。
春樹の肩がドンと落ちた。

「・・・タバコを吸いに」

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