ケイトブランシェットが好きで、彼女がアカデミー賞にノミネートされた作品だから、やっぱり劇場で見ておきたくて、見に行きました。
いやー、ごめんなさい。ボブディランのことなんて何にも知らなくて、曲も「風に吹かれて」「ライクアローリングストーン」「天国への扉」くらいしか知らないワタクシがこの映画を見に行ってしまってごめんなさい。これね、見ている最中に思えてきたんですよ。
「ホンマ、ごめん。分からへん」って。
6人が6様のボブディランを演じていて、これがすべてボブディランのあらゆる面を表していて、どれも全然違う顔をしているけど、きっとどれもがボブディランという人だったんだろうなぁという想像はできたけど、やっぱりボブディランに何の思い入れもないワタクシみたいな人にとってはちょっと見続けるのが苦しい作品と言わざるをえないかなぁ。ワタクシみたいな人が見てどうこう言っちゃいけない作品なんだよねー、きっと。映画はエンターテイメントとして、基礎的な知識がない人にも楽しめるように作らなくちゃいけないっていうのは基本にあるとは思うんだけど、ここまで有名な人で、ここまでの映画を作ろうと誰かに思わせるような人についての作品というところまでいくと、もう「知らなくてごめんなさい」と言うしかない気がする。
それでもケイトブランシェットのファンだから、分からないなりにも彼女が登場するエピソードのところは十分に楽しめたし、ボブディランとジョーンバエズの恋愛模様を描いたヒースレッジャーとシャルロットゲンズブールのエピソードには心がキュンとなったし、クリスチャンベール(クリスチャンベール、カッコよかったね)のエピソードに思いがけず大好きなジュリアンムーアが登場して嬉しかった。
“マスコミの寵児”としての彼や、“大衆心理”というものに関してはボブディランという枠を超えた普遍的なものがあると思うし、ヒースレッジャーのエピソードを単純に恋愛物語として、楽しむっていう手もあるなとは思います。ただやっぱりそれだけを楽しむにはボブディランの存在が大きすぎるけど。そりゃそうか。そういう映画だし。
なんかね、よく分からないけど、嫌いとは言いたくない映画。不思議な魅力はなぜかある。ケイトへのひいき目か、亡くなってから初めて見たヒース作品への哀悼の気持ちか、やっぱりボブディランの偉大さか。
いやー、ごめんなさい。ボブディランのことなんて何にも知らなくて、曲も「風に吹かれて」「ライクアローリングストーン」「天国への扉」くらいしか知らないワタクシがこの映画を見に行ってしまってごめんなさい。これね、見ている最中に思えてきたんですよ。
「ホンマ、ごめん。分からへん」って。
6人が6様のボブディランを演じていて、これがすべてボブディランのあらゆる面を表していて、どれも全然違う顔をしているけど、きっとどれもがボブディランという人だったんだろうなぁという想像はできたけど、やっぱりボブディランに何の思い入れもないワタクシみたいな人にとってはちょっと見続けるのが苦しい作品と言わざるをえないかなぁ。ワタクシみたいな人が見てどうこう言っちゃいけない作品なんだよねー、きっと。映画はエンターテイメントとして、基礎的な知識がない人にも楽しめるように作らなくちゃいけないっていうのは基本にあるとは思うんだけど、ここまで有名な人で、ここまでの映画を作ろうと誰かに思わせるような人についての作品というところまでいくと、もう「知らなくてごめんなさい」と言うしかない気がする。
それでもケイトブランシェットのファンだから、分からないなりにも彼女が登場するエピソードのところは十分に楽しめたし、ボブディランとジョーンバエズの恋愛模様を描いたヒースレッジャーとシャルロットゲンズブールのエピソードには心がキュンとなったし、クリスチャンベール(クリスチャンベール、カッコよかったね)のエピソードに思いがけず大好きなジュリアンムーアが登場して嬉しかった。
“マスコミの寵児”としての彼や、“大衆心理”というものに関してはボブディランという枠を超えた普遍的なものがあると思うし、ヒースレッジャーのエピソードを単純に恋愛物語として、楽しむっていう手もあるなとは思います。ただやっぱりそれだけを楽しむにはボブディランの存在が大きすぎるけど。そりゃそうか。そういう映画だし。
なんかね、よく分からないけど、嫌いとは言いたくない映画。不思議な魅力はなぜかある。ケイトへのひいき目か、亡くなってから初めて見たヒース作品への哀悼の気持ちか、やっぱりボブディランの偉大さか。
引き受けたほうもキャスティングしたほうも、「やるなっ」って思いました。