シネマ日記

超映画オタクによるオタク的になり過ぎないシネマ日記。基本的にネタバレありですのでご注意ください。

ワタクシと英語~短大編

2005-11-11 | ワタクシと英語
さていよいよ、指定校推薦の校内選考の時期が来た。
ワタクシには特に将来の展望もなりたい職業もなかった。そういう子だった。「将来何になりたい?」という質問に答えられなかった。「いい人間になりたい」そうは思ったけど“何になる”という観念が職業と結びつかなかった。人は何かの職業に“なる”のか?っていう疑問が解けない変な子だった。(今もそうだ)

けど、まだ何かを学びたい気持ちはあった。勉強はしたかった。勉強は好きな子だった。(記憶力がないのでやったことを覚えてないんだけど、やっている過程が好き、という身にならない勉強好きぶりなのだけど、、、)

というわけで指定校推薦でいける大学と学科のリストをもらった。もともと文系なワタクシの選択肢は(学校の場所とかでいろいろ消去した結果)とある短大の日本語学科か英語英文科になった。「日本語学科?興味ないなー。残るは英語科か。まぁ、英語好きやし、いっか」またもや、いい加減なワタクシの動機はこの程度だった。ずばり、消去法だ。なんて、消極的に英語の専科を選んだものか。。。

それからワタクシの英語づけ生活が始まった。一般教養以外はすべて英語。楽しかった。周囲がさぼっていても予習復習を必ずやった。アメリカ人講師の会話の授業も小学館ホームイングリッシュセンター程度の英会話で余裕で乗り切れた。(短大ですからね。専門的に勉強するというより実務的に就職に役立つようにということに重点が置かれているのです)

1回生の夏休みが来る少し前(6月くらいだったと思う)夏休みに30日間のアメリカ短期留学を30名限定で学校が実施するという通達が来た。費用は30万~40万だったと思う。何科の人も参加できる。試験もない。定員オーバーの場合はくじ引きで決まる。友だちと応募した。両親にも話した。「くじに当たったらお金を出してあげる。」そう言われた。

そしてくじ引きの日。ひとつの教室に集められ説明を受けた。「30番以上の数字を引いた人は残念ながら外れです」友だちとワタクシとどっちが先に引いたかは忘れた。ワタクシは外れだった。友だちは当たりだった。「そうなると思ってた」なぜか真剣にそう思った。ワタクシは昔からくじ運は悪かったし、その友だちはそういう運を掴むタイプに思えた。「当たった人にはこの後、短期留学についての説明があるので外れた人は退出してください」そう言われていたので、友達に「良かったなー」と言って外に出た。すでに目はうるんでいたと思う。そのままトイレに駆け込んで泣いた

その時そんなに泣いた自分に自分で驚いた。そこまで行きたいと思っていたとは自分でも思っていなかったからだ。その帰り道によく道端に無料で置いてある旅行会社の短期留学のパンフを取って、その足で説明を聞きに行った。今思えばなんて勝手な行動をしたものかと思う。両親にはくじに外れたらあきらめると言っていたのに、、、それでもそんなことはもう頭から吹っ飛んでいた。単にくじに外れて意地になっていただけなのかもしれない。。。

帰って両親にそのことを話した。学校のは外れたけど個人参加できるやつに行きたい。費用もこっちのほうが安い。とかなんとか勝手なことをのたもうた。父親は「考えさしてくれ」と言った。

翌日(だったと思う)「お前がそこまで行きたいんやったら、お金出したる」父親がそう言ってくれた。いやっほーい。やったぁ。やったぁ。ワタクシは完全に親に甘えた。とんでもないすねっかじりだけど、それでいいと思っていた。子供は親のすねをかじるもんだと。(今でもそう思っている)けど、感謝の気持ちは忘れなかった。その分、現地ではめっちゃ頑張るぞーと思っていた。その時は両親が「子供の前に立ちはだかりたくない」と言って自由にさせてくれていたことを当たり前のように思っていた。けど、、、その頃と言えば、留学先のアメリカ南部の町でハロウィンの日に日本人の男の子が射殺されたという、そんな事件があった次の年だった。「その子は可哀相だけど、そうなるのはその子の運命。どこにいても死ぬ時は死ぬ」と父親は言い、ワタクシを送り出してくれた。今思えばどんなに心配だったことか。。。ワタクシは子供はいないけど、愛する家族が出来た今は心からそう思う。ワタクシにはそんな器量の大きい人間ではないと。。。

んなわけで、ワタクシは短大1回生の夏1ヶ月間、ボストン郊外のブラックストーンという田舎町にホームステイした。それぞれ個人で参加してきた日本人が15名くらい(失念)、ブラジル人が5名くらいで地元の小学校の先生が授業をしてくれるというツアーだった。ホームステイ先の家族はとてもいい人だった。15歳の長男ロブ、12歳の長女アリーがいた。特にアリーとはとても仲良くなった。

ワタクシの英語力はと言えば、今振り返ればつたないものだっただろうけど、一緒に行った日本人の中では1、2を争うくらいの力はあった。先生の言うことも(ゆっくり喋ってくれるけど)全部分かったし。。。けど、やっぱりアリーの友だちとかになるとよく分からんこともいっぱいあった。

そこで嬉しかったエピソードは同じツアーに参加している子のホームステイ先の両親が何人かをビンゴに連れて行ってくれたときのこと。普通にビンゴをしていたんだけど、そこのパパさんがワタクシだけがいつも数字やゲームのルール(ビンゴにもいろんなやり方がある)を一度で聞き取っているのに気付いて、“クイック”という「日本人の子たちには無理だね」と言って自分たちだけが参加していたゲームに「君、やってみる?」と言ってくれたのだ。普通ビンゴは「B-1、B-1」とかってゆっくり2回繰り返してこちらはそこをマークしていくんだけど、“クイック”は「B-1, G-16, N-5........」と次々と数字を読み上げどんどん先に進んでいく。そういうゲームだから、日本人の子達はそのゲームの時だけは見学しててと言われていた。そのゲームに挑戦してみるかと言われたのだ。嬉しかった。必死だったけど、なんとかついていけた。パパさんもママさんも褒めてくれた。

と、あっと言う間に夢のような1ヶ月が過ぎた。(このときの詳しいことはまた裏編で触れたいと思います。)帰りたくなかった。また絶対来るぞ。そう思った。

帰ってから学校からのツアーに参加した子達と話をした。それはとても楽しそうだった。30名で行った林間学校みたいで。そのツアーではみんな大学の寮みたいなとこに二人部屋でステイして、ホームステイしたのは何日間かだけだった。その寮には同世代のアメリカ人たちがいて友だちになっていたみたいだった。(らしい。。。詳しいことは失念)それはそれでとても楽しそうだったけど1ヶ月間みっちりホームステイしたワタクシは自分にはこっちのほうが良かったなと思った。毎日家に帰れば完全に英語漬けだったから。ワタクシにとってはくじに外れて良かったと思った。

明日へつづく。。。

日本の黒い夏~冤罪

2005-11-11 | シネマ な行

この作品は1994年に起きた松本サリン事件で第一報者である河野氏が警察に真犯人かのように扱われ、マスコミもそれを大々的に取り上げ、一般視聴者もそう信じてしまったという冤罪未遂事件を基にしている。そのマスコミ報道の真相を高校の新聞部の部員が取材するという形で物語は進みます。

当時の新聞やテレビの取材がいかにずさんで初めから河野氏(映画の中では「神部さん」寺尾聰になっている)を犯人扱いし、その結論ありきで番組を作っていたかということを高校生が取材していく。

映画としては、実際にこの冤罪事件をきちんと伝えたいという姿勢から来るのかもの凄くストレートな作りです。全体的な雰囲気や音楽の使い方などが学生の時に道徳の時間などに見せられた文部省推薦の映画って感じだった。中井貴一がやたらと歯切れのいい地方テレビ局の部長さんを演じている。

ドキュメンタリー調なため、松本サリン事件も地下鉄サリン事件も実際の映像を交えて再現フィルムを作っているんだけど、また振り返って見てみると本当におぞましい事件であったことを再確認した。カルトというものの怖さをもう一度感じてゾッとしたのだった。そして、自身も事件の被害者であり、奥さんはもっとひどい被害を受けた河野さんを「協力」という名目で医者の取調べは2時間までという診断書を無視して7時間にも及ぶ取調べをしたことを考えると警察権力の恐ろしさにもゾッとした。

「もっと、きちんと取材して番組を作っているんではないんですか?」という高校生のセリフは高校生だからこそ許されるあまりにナイーヴ過ぎる発言である。怖いのはそう思っている大人も非常に多いということだ。ワタクシ自身も含めてマスコミの言っていることが本当かどうか視聴者はきちんと見極めなくてはならない。とは言っても、個人がひとつの事件を調べたりするのはかなり限界がある。ならば、せめて新聞やテレビが言ってるんだから本当だろうと思い込んでしまうことは避けるようにしたい。 「だってテレビで言ってたもん」子どもなら許されるセリフですけどねぇ。たまにいるんです、このセリフを真顔で言ってくれちゃう大の大人が。気をつけたいですね。

この作品、どれくらいの方が見たか分かりませんが、宗教団体、警察権力、マスコミ、視聴者、すべてのあり方に警鐘を鳴らす意味でもたくさんの方に見て欲しいなーと思う作品です。

そして、冤罪は明日はわが身です。その時心底から信じてくれる人が自分の周りにはどれくらいいるかなぁと見渡してみたりもしました。。。