シネマ日記

超映画オタクによるオタク的になり過ぎないシネマ日記。基本的にネタバレありですのでご注意ください。

アララトの聖母

2005-11-01 | シネマ あ行
「スイートヒアアフター」のアトムエゴヤン監督の作品。結構マイナーな作品かな。でも、カンヌに出品してたり、カナダアカデミー賞を5部門受賞している。いやいや、カンヌやらカナダアカデミー賞自体がマイナーか…

内容も1915年からのトルコ人によるアルメニア人大虐殺を映画化しようとする映画監督エドワードサロヤンシャルルアズナブールとその周囲の現在ではカナダに住むアルメニア人のお話という、正直、日本人にはあまり馴染みのない話だ。

ワタクシはこの事件のことはこの映画を見るまでまったく知らなかったのだが、この虐殺を描くのではなく、それを映画化しようとする過程を描くことでこの事件をいろいろな角度から見ることができ、背景やその事件が現代に残した傷なども同時に見せるという非常に緻密に計算された、かつ、ただ事実を積み重ねるのではなく登場人物の心象を表現することによって物語を深く掘り下げていくというところがいかにもアトムエゴヤン的である。そこに少しとっつきにくさも感じるけど。

ワタクシが以前カナダにいた時はボスニア紛争がまだ終着していなくて、カナダに逃れてきたクロアチア人とセルビア人が近所に住み、争いを始めるといったことがちょっとした社会問題になっていたのだが、この映画にもそんなシーンが登場する。トルコ人のハーフの俳優イライアスコティーズとアルメニア人の映画スタッフデビットアルペイが言い争うのだ。トルコ人は「当時は戦争をしていたのだから、殺し合いは仕方ない」と言い、アルメニア人は「あれは戦争でもなんでもなかった。ナチスはユダヤ人と戦争をしていたわけじゃなかっただろ」と主張する。ここでアルメニア人が言った言葉が強烈に印象に残った。「ヒトラーがユダヤ人虐殺を命じた時、何と言ったか知ってるか?“誰がトルコ人のアルメニア人虐殺を覚えてる?”だ」と。それに対し、トルコ人は「誰も覚えてなかったろ?今だって誰も覚えちゃいないさ」だ。永遠に交わることのない議論だ。。。

そして、別のシーンでアルメニア人である映画監督は言う。「我々の悲しみは先祖や文化を失ったことではない。我々が今でも憎まれていることだ」と。虐殺をされたほうがこのセリフを言うのだからやり切れない。これは、世界中で見られる現象であろう。延々と続く憎しみのスパイラル。どこかで断ち切る方法はないのか。トルコ政府は現在もアルメニア人虐殺を認めていないという。

オマケアトムエゴヤンは45歳にして、カナダを代表する巨匠といわれる監督だ。彼の両親はアルメニアからの亡命者らしい。彼の作品に出ている俳優はほとんどがカナダ人なので、見覚えのあるハリウッド俳優も「あー、この人カナダ人やったんやー」と発見できることがある。