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オリオン村(跡地)

千葉ロッテと日本史好きの千葉県民のブログです
since 2007.4.16
写真など一切の転用、転載を禁止します

花粉症の季節がやってきた

2008-01-14 21:31:14 | 独り言

私、花粉症です。
正確にはアレルギー性鼻炎なのかもしれませんが、5年ぐらい前に耳鼻科で実費5000円をかけて検査したところスギ花粉に5段階の4の星マークがついていましたので、花粉症も含んでいることは間違いありません。
だいたい1月中旬から5月初旬ぐらいまでが症状がきつく、スギ花粉が飛ぶ期間外もお構いなしですので、花粉症を含むアレルギー性鼻炎という感じでしょうか。
東京にでてきてから発症しましたので、やはり空気の悪いところに体が合わないのかもしれません。

今年は例年より早く先月下旬より症状が出始め、既に薬に頼り始めました。
私の場合は鼻だけでなく目のかゆみも伴いますので、鼻炎薬や点鼻薬に目薬が手放せません。
症状が酷いと頭痛を伴い、もう苦痛以外の何ものでもありません。

自宅にいる時は各部屋に完備した空気清浄機のおかげで症状は和らぐのですが、特にオフィスでの症状がきつくて仕方がありません。
マスクもしますし、数年前には耳鼻科で漢方系の注射治療を10回に渡って行いましたが効果がありませんでした。
巷にはレーザーか何かで鼻の粘膜を焼くという治療法があるそうですが、怖くてそこまでは踏み切っていません。

しかし花粉症が世間を騒がすようになってから10年は経つと思うのですが、状況が一向に改善されないのは製薬会社がスギを植林している、それ以外にはないと固く信じています。

 

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ユニフォーム

2008-01-13 21:36:16 | 千葉ロッテ

 

完全にネタ切れ状態になってきました。
早くキャンプが始まらないか、あと半月が待ち遠しくて仕方がありません。

キャンプと言えば今年はユニフォームのデザインが変わるらしく、全面刷新なのかマイナーチェンジなのか、期待半分不安半分というところでしょうか。
今のデザインは割と好きなので、あまり奇抜な感じでの変更は避けて欲しいと思います。
予想ではバレンタインカラーの赤が多くなる気がしますが、何にせよ戦う雰囲気があるユニフォームになってくれればと思います。

これだけでは寂しいので、今回もグッズのひけらかしコーナーです(笑)
先日は優勝グッズについて書きましたが、トップの写真は我が家の玄関でした。
そこにちょっとだけ写っていたユニフォーム、あれは現在のピンストライプと先代の灰ビジターです。

31年ぶり日本一の足跡 (1/2 オリオン村)

ビジターは今の黒もいいですが、私的には灰もお気に入りでした。
サンデーユニフォーム扱いなどで、何とか復活して欲しいと思います。

飾ってあるのは吉鶴とジャックです。
他にもいい番号があるのですが、ホームとビジターで同じ番号があるのは44だけなので選びました。

1996年と10年以上前の物ですが、ちゃんとした本物です。

ユニフォームは選手の所有ではなく球団からの貸与らしく、最近は球団のチャリティーオークションにも出品されています。
しかし「知人からもらった」というヤフオクの出品も多く、このユニフォームが流通する仕組みがとても気になります。
まだだんだらホームや黒ビジターを持っていないので、手に入れる方法を思案中です。
この状態でまたデザインが変わってしまうと・・・フルに揃える道のりが更に険しいものとなってしまいます。

何とかしなければ。

 

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島津家の野望 第9章

2008-01-13 09:10:43 | ゲーム

 

大永8年(1527年)春、周防国の山口館の広間で評定が開かれていた。

「己斐の後任には誰を据えればよいか、忠公はどう考える。」
「急なことゆえ、己斐殿の元に居た志道殿が適任と心得まする。」
島津家当主である忠良の問いに、筆頭家老の伊集院忠公が答えた。
「広良か。広良なら動揺する家臣たちをまとめることもできよう。忠武、長久はどう考える。」
「私も志道殿が適任かと。」
「私も同じでござりまする。」
二番家老の新納忠武、三番家老の樺山長久が答えた。
「うむ、では浜田城は志道に任せるものとする。」
忠良の決定に、広間に居並ぶ重臣たちが平伏した。

「しかし細川殿は執拗ですな。」
忠公がため息をつきながら言った。
「忍びの者を配しても、全てを防ぐことは叶いませぬ。」
「それでは殿の身辺も危ういとでも言うのか」
忠公の庶兄である伊集院忠胤が怒鳴った。
「この山口館には手練れを多く配していますので、その心配はござりませぬ。」
「この春も城下で山名誠通を誅した様に、殿のお膝元は厳重に警戒しておりまする。」
忠公の言葉を継いで、長久が答えた。
「昨年だけでも佐竹義廉、二本松家泰、泉田胤直、中山信正、芳賀高経、江井胤治、白河義綱、神馬忠春、別所就治、細野藤光、黒田秀忠、これだけの者を城下で討ち取っておりまする。」
「中山は備前、別所は播磨、細野は伊勢、芳賀と神馬は下野、泉田と江井は下総、佐竹は常陸、黒田は越後、二本松と白河にいたっては陸奥、多士済々でござるな。」
苦笑いしながら新納忠祐が言った。
「忠祐殿、笑い事ではござらぬ。それだけ細川殿の威が全国に広がっている証左、当家にとって重大事と心得てくだされ。」
忠武が忠祐を制した。
「いずれにせよ、領地内の全ての城に厳重な警戒網を敷くこと無理でござる。己斐殿が刺客に倒れたことを各地に報せ、身辺に気を配るようにしていただくしかござりませぬ。」

「殿、ひとつ私からよろしゅうござりまするか。」
忠良の娘を室に迎えたばかりの毛利元就が、遠慮がちに問いかけた。
「うむ、気がついたことがあれば言うてみよ。」
「先ほど新納殿が多士済々と申されましたが、私はそうは考えておりませぬ。」
「どういうことだ。」
「確かに細川殿の勢力は陸奥にまで達しておりまするが、二本松や白河などが陸奥から刺客として入り込んだわけではござりませぬ。」
「鉢植えの結果、ということか。」
「はい。細川殿は代替わりしてから頻繁に配置換えを行っており、配下の者たちの不満が高まっていると聞いておりまする。」
先代の細川政元は永正16年に没し、養子の高国が跡を継いでいた。
「二本松や白河はこの中国地方に転封されておりました。細川殿は転封することで配下の力を弱めることを狙っているようでござりまする。」
「なぜ配下の力を弱める必要があるのじゃ。」
忠胤が怒鳴った。
「叔父上、そんなに大きな声を出さずとも聞こえまする。毛利殿、続けられよ。」
伊集院忠朗が続けるよう促した。
「細川殿の配下の大半は外様であるため、適度に配下の力を弱めなければならないのではないかと考えまする。」
「それは当家も同じではないのか。」
忠胤が再び怒鳴った。
「いえ、当家は逆に元の地に配することで信頼を得ておりまする。」
「まあ諸刃の剣ではあるがな。」
忠良が答えた。
「で、元就。そちはこれからどうすればよいと考える。」
「当家の倍以上の勢力を誇る細川殿と戦うには、調略も必要かと存じまする。」
「強きから弱きに流れる馬鹿がどこにおるのじゃ。」
「忠胤、暫く黙っておれ。」
「普通に考えれば忠胤殿の申す通りでござりまするが、細川殿が鉢植えを止めぬ限りは充分に見込みがあると考えまする。」
「うむ。そう簡単にはいかぬであろうが、手をこまねいているわけにもいかぬ。元就、忠朗と協力してやってみよ。」
毛利元就、伊集院忠朗が笑みを浮かべながら平伏した。


大永2年(1522年)夏  幕府より問註所執事に任ぜられる。朝廷より正六位下・薩摩守に叙任される。日野江城の有馬晴純が従属する。
大永2年(1522年)秋  島津忠朝が中村御所を下す。
大永2年(1522年)冬  朝敵となり、薩摩守の任を解かれる。相良治頼が白狐山城を下す。
大永3年(1523年)春  朝敵を解除される。朝廷より従七位下・内蔵佑に叙任される。
大永3年(1523年)夏  朝廷より従七位上・内蔵大允に叙任される。日野江城の有馬晴純が臣従する。島津運久が湯築城を下す。
大永3年(1523年)秋  朝廷より正七位下・主税大允に叙任される。
大永3年(1523年)冬  朝廷より正七位上・左少史に叙任される。伊東尹祐を大将とした軍を岡豊城の攻略に向かわせる。
大永4年(1524年)夏  朝廷より従六位下・隠岐守に叙任される。
大永4年(1524年)秋  朝廷より従六位上・民部少丞に叙任される。
大永4年(1524年)冬  島津忠朝を大将とした軍を白地城の攻略に向かわせる。
大永5年(1525年)春  朝廷より正六位下・長門守に叙任される。伊集院忠公が指月城を下す。伊東尹祐が岡豊城を下す。
大永5年(1525年)夏  朝廷より正六位上・東市正に叙任される。島津忠朝が白地城を救援にきた讃岐国・旧仏教衆徒の善通寺了運を撃退する。
大永5年(1525年)秋  島津忠朝が白地城を救援にきた讃岐国・旧仏教衆徒の善通寺了運を撃退する。
大永5年(1525年)冬  朝廷より従五位下・縫殿頭に叙任される。
大永6年(1526年)春  朝廷より従五位上・五位蔵人に叙任される。相良治頼を大将とした軍を佐東銀山城の攻略に向かわせる。
大永6年(1526年)夏  伊東尹祐を大将とした軍を安芸城の攻略に向かわせる。
大永6年(1526年)秋  朝廷より正五位下・大蔵大輔に叙任される。
大永6年(1526年)冬  朝廷より正五位上・太宰少弐に叙任される。島津成久を大将とした軍を浜田城の攻略に向かわせる。相良治頼が佐東銀山城を下す。
大永7年(1527年)春  朝廷より従四位下・左京大夫に叙任される。島津成久が浜田城を救援にきた吉川家・吉川興経を撃退する。
大永7年(1527年)夏  長女・珠が髪結いを終える。伊東尹祐が安芸城を救援に来た阿波国・国衆の海部助就を撃退する。
大永7年(1527年)秋  朝廷より従四位上・右大弁に叙任される。相良治頼を大将とした軍を吉田郡山城の攻略に向かわせる。島津成久が浜田城を下す。
大永7年(1527年)冬  長女・珠が家臣・毛利元就に輿入れする。相良治頼が吉田郡山城を下し、大内家が従属する。伊東尹祐が安芸城を下す。

 


駒不足

2008-01-11 23:48:05 | 千葉ロッテ

日本ハム、思い切った補強をしました。
中堅どころの投手を放出しての藤井獲得、吉凶どう出るか注目です。
藤井が額面通りの活躍をすれば左腕王国になりますが、中継ぎ陣は相当苦しくなるはずです。
江尻もダメですしね。

同じく中継ぎ陣に不安の残るロッテですが、同様に補強としてトレードを選択するかを考えてみました。
外国人投手を2人とドラフトで大量の投手補強をしましたので、これ以上の投手の補強は不要だと思います。
ただでさえ投手が異様に多いスタッフですから、更に投手を増やすことは若手の登板機会を奪いかねず、将来に禍根を残すことになります。
実績のあるシコースキーと、若手が1人でも出てくれば充分に戦えます。
むしろ投手を出して、野手の補強を考えるべきでしょう。

しかしトレード要員として他球団が欲しがるような投手は、期待の若手を除けば神田ぐらいです。
若手が期待通りに伸びるとは限りませんので、シーズン前に神田を放出するリスクは取れません。
野手にしても複数の選手が怪我などでリタイアしない限りは大きな穴はなく、控えの層も厚くなってきているので焦る必要もありませんが、結局は駒不足なわけです。

開幕後、若手投手に目処が立った場合はシーズン中にも神田を軸にしたトレードを考えることはありえると思います。
例によって金銭かもしれませんが、橋本のこともあるので捕手を補強したいところです。
ただトライアウトで木村に手を出しませんでしたから、捕手はドラフトでと決めているのかもしれません。

西武の石井やオリックスの長嶋化など他球団の補強を見ていると羨ましくはありますが、ソフトバンクと同様に無理な補強をしなくても戦える陣容が整っていると、そう考えることにしましょう。

 

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その理由は

2008-01-10 21:22:56 | 独り言

先月下旬に受診した人間ドック、結果を本日聞きに行ってきました。
前回まで受診していた病院は結果資料を送付してきて終わりでしたが、今回の病院は担当医が説明をしてくれます。
何と項目毎に丁寧に説明してくれて、30分もかかりました。
説明してくれるから名医というわけでもないでしょうが、気分的には悪くありません。

結果ですが、要精密検査が1項目、再検査が2項目でした。
別に不健康自慢をしても仕方がありませんし、死に至るようなものもないので気にもならず、ここいらは割愛です。
強いて挙げれば胃カメラ効果とでも言いますか、軽度の逆流性食道炎と診断されました。

逆流性食道炎、一昨年に酷くなって一泊二日で入院治療しました。
その後は胃のむかつきはありながらも酷くもないので放置していましたが、どうやら慢性化しているようです。
何でも普通は胃酸が逆流しないように弁みたいなものがあるらしいのですが、私の場合はそいつらが姿を消しているようなことを言われました。
今すぐどうのということはないですが、症状が酷くなったら治療しましょうとのことです。

やっぱストレスだよな・・・

 

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天下布武への足がかり

2008-01-09 23:27:49 | 日本史

 

2001年9月に近畿方面の史跡巡りをしましたが、往路の途中で訪れた清洲です。
当時はワイド周遊券というお得で便利な切符があり、出発地と周遊区域の往復経路は途中下車OKでした。

清洲と言えば織田信長が天下布武の足がかりとした地で、清洲城の模擬天守が再建されています。
ただ城跡とは離れた場所に建てられており、しかも当時の資料が残っていないために外観は想像で作られ、鉄筋コンクリート造りで資料的価値はゼロに近いと言えます。

敷地内には濃姫の像があります。

実際の城跡は川を挟んだ反対側で、ぽつんと石碑が立っているだけです。

その近くには清洲公園があり、織田信長像があります。
清洲時代の信長ですから、若々しい表情です。

清洲公園の近くには清洲古城跡公園があり、こちらにも石碑が立っています。

工事中の雰囲気が漂っていた石垣です。
当時の遺構で清洲に残っているのはこれぐらいらしいです。

徳川家康が名古屋城を築いた際に清洲城は資材として解体されたので、遺構が残っていないのは当然と言えば当然です。
不世出の英雄である織田信長の痕跡を消す、そういう意図があったと思われます。
今となっては残念としか言いようがありません。


【2001年9月 近畿史跡巡り】
尾張名古屋は城でもつ 
暴れん坊将軍を育んだ城
楠木正成の甥が築いた城
天下人の夢の跡

 


なぜロッテが好きなのか

2008-01-08 22:48:59 | 千葉ロッテ

ここ数日はネットのニュースにコメントする形が続いたので、今日は独白でいこうと思います。

どうしてロッテファンなの?

プロ野球の話になり、私の贔屓チームがロッテであることを知った人たちは、ほとんどと言っていいほどこういう質問をしてきます。
おそらくはロッテファンでこの質問を受けたことがない人は、ごく僅かではないかと思います。

今でこそビッグ3の唐川が「憧れの球団」と言ってくれるほど地元に根付いてきたロッテですが、ほんの10年も遡れば知る人ぞ知る程度の存在でしかありませんでした。
だからこそ件の質問が、ごく自然に発せられたわけです。
これは千葉を離れれば、今でもたいして変わらないと思います。

こういう時は「巨人ファンにどうして巨人ファンなのって聞かないよね?」と逆に聞き返して、私に対して凄く失礼な質問をしているということをさりげなく伝えるようにしていますが、どうもうまくは伝わらないようです(笑)
ただ冷静に自分を振り返った時、ロッテファンになったきっかけを覚えているかと問われれば、実は自信のある答えができなかったりします。

いつも質問には「兄が阪急ファンで、子供心に対抗するべく当時阪急とともに強かったロッテと南海のうち、関東に住んでいたのでロッテのファンになった」と答えています。
でもこれ、本当かどうかわかりません。
兄が阪急ファンであったことは間違いありません。
しかしロッテが強かったかと言えばそうでもなく、私がロッテファンになった1973年の翌年には日本一になりましたが、阪急や南海ほど常に強かったわけでもありません。
ですので兄に対抗して、が理由かどうかは実は怪しいわけです。
1973年と言えば金田正一がロッテの監督に就任した年ですから、単にカネやんブームに乗っただけなのかもしれません。
小学校の頃は休み時間に長嶋や王の似顔絵を描いたりしていたので1973年からというのも不安がありますが、少なくとも1980年のファンブックから揃っていますから、それ以前にロッテファンになったことは間違いありません。

結局のところ私にとっては「どうしてグラタンが好きなの?」というのと同じ意味合いでしかないようです。
きっかけについては明確でなくとも、ロッテを愛して30年以上の歳月があれば何の問題もないと思います。
ただ鬱陶しいことは確かなので、こういった質問がされないよう常勝球団として世間に認知されてくれれば・・・とは思います。

 

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西岡!

2008-01-07 23:43:33 | 千葉ロッテ

噂されていたTSUYOSHIから西岡への登録名変更、正式に発表されました。

TSUYOSHI選手 登録名変更について (1/7 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト)

本日7日(月)、TSUYOSHI選手が母校・大阪桐蔭高校にて公開自主トレを行い、記者会見にて2008年シーズンより登録名を「TSUYOSHI」から「西岡」に変更したい旨を球団に要望していることを明かしました。
球団では現在、本人の要望を受けて登録名変更に向けての最終的な事務手続きを進めています。
TSUYOSHI選手は2006年まで「西岡」の登録名でプレーし、07年より「TSUYOSHI」に変更していました。

TSUYOSHI選手のコメント
「昨年はボクの背番号と同じ数字の07年ということもあり、何かを変えたい、スペシャルな年にしたいという思いがあり登録名を変更させてもらいました。
今年はプロ入りして5年が過ぎたという区切りの一年ということもあり、原点に戻る意味も込めて登録名も西岡に戻したいと考え、昨年12月の契約更改のときに球団には提案をさせていただきました。
07年は初めて打率3割を打つなど個人的にはいい結果を出していますが、こうすることで自分にもう一度プレッシャーをかけることが出来ればと思っています。
ファンの皆様には混乱をさせることになってしまいますが、西岡という名字を一人でも多くの人に知ってもらえるよう頑張りますので、今年も応援宜しくお願いします。」

戦国武将が好きということもあって苗字(姓)には割とこだわりがあるので、私はカタカナとかローマ字の登録名はあまり好きではありません。
サブローはさすがに慣れましたが、それでも最初は違和感バリバリでした。
ダイなんてルーキーがふざけるなと思っていましたし、ジョニーや直行も勘弁して欲しいと思っていました。
ですから今回の決断は、私にとってはウェルカムです。

ただ西岡にどういった心境の変化が生じたのか、これは気になります。
国際舞台で西岡という名前を背負うことで意識に変化がでたとも思えませんし、コロコロと登録名を変えることにはそれなりの理由があるように思います。
ローマ字登録とする時に新庄に了解をもらったみたいな話がありましたが、仲違いでもしたのでしょうか(笑)

何にせよ異例の大型契約を結んだ初年である今年は、昨年以上に西岡にかかるプレッシャーは大きいものがあります。
このプレッシャーをはねのけて、盗塁王はもちろんのこと首位打者のタイトルを狙えるぐらいの活躍を期待しています。

 

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言っていることは正しいんだけど

2008-01-06 20:51:30 | 千葉ロッテ

今度は小宮山が怪気炎を上げています。

ロッテ・小宮山、台頭しない若手投手陣に辛口ゲキ (1/6 スポーツ報知)

ロッテの小宮山悟投手(42)が5日、千葉マリンスタジアムで始動し、昨季1軍登板のなかった若手投手たちに辛口のゲキを飛ばした。
07年は自己最多の41試合に登板したが、若手の台頭がなかったことが一因と見ている。
実際、1軍登板した投手は、12球団で最も少ない18人。
「これだけ2軍から(若手が)出てこないのはありえない。どこかに問題がある。」
肩書こそないが、投手コーチを補佐する42歳。
険しい表情で苦言を呈した。
1軍に定着している川崎、荻野らにも甘えは許さない。
「現状維持は停滞。そこを打破していかないと。相手に脅威を与える存在が一人でも多く出てきてほしい。ただ、自分から救いの手を差しのべるつもりはない。」
この日は、軽いキャッチボール、ウエートなど約3時間のトレーニング。
突き放すような小宮山流エールが若手に届くか。

確かに昨年の2軍投手陣は壊滅でしたが、小宮山だって常に胸を張って1軍です!と言える成績ではなかったわけで、どうもピントがずれているように思えます。
まさか小宮山枠があることを認識していないわけでもないでしょうに・・・

で、これだけ言うだけ言って「自分から救いの手を差しのべるつもりはない」って、じゃあ言った目的は何なのでしょうか。
お前ら不甲斐ないぞ、と言って自己陶酔するだけ?
まあ与えられるのを待っているだけの選手じゃだめ、とでも言いたいのかもしれませんが、自分がチーム内でどういう立場にいるのか理解できているのでしょうか。
気さくに声をかけられるような雰囲気作りを普段からしているのでしょうか。
ただの口うるさい、怖いおっさんになっていないのでしょうか。

バレンタイン監督にも不安がありますが、その後継と噂される小宮山にも不安がいっぱいです。

 

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男は黙って勝負しろ

2008-01-05 23:14:12 | 千葉ロッテ

藤田が自主トレを開始し、怪気炎を上げているようです。

巨人・藤田が解雇された古巣に宣戦布告「ロッテを見返す」 (1/5 サンケイスポーツ)

ロッテを戦力外となり、巨人に移籍した藤田宗一投手(35)が4日、千葉マリンスタジアムで始動した。
「ロッテを見返す」を08年のテーマに掲げた左腕は古巣で、痛めていた左肩の回復ぶりをさっそくアピールした。
ザッ、ザッ、ザッ…。
千葉マリンスタジアム近くの幕張の浜辺を走り終えた藤田の目が光った。
「(ロッテを)見返してやりたい!ボビー(バレンタイン監督)に対しては『見たか』という投球をしたい!!」
慣れ親しんだ千葉での自主トレ。
今年の景色は違って見えた。
悔しさが、よみがえる。
一昨年のWBCメンバーにも選ばれた中継ぎ左腕も、昨年は左肩痛に悩まされ、31試合で1勝2敗1セーブで防御率12.64。
昨年10月にロッテから戦力外通告を受けた。
巨人での再スタートとなる08年は古巣へ、そしてバレンタイン監督への対抗心を胸に戦うことを決意した。
ノースリーブに短パン姿の藤田は、冷たい潮風もなんの。
ロッテ職員を相手に約50球、強めのキャッチボールで汗を流した。
「気持ちよく投げられたのは1年ぶり。体を完ぺきにすれば、昨年ほど打たれない」。
あと3試合で526試合連続救援登板のプロ野球記録に並ぶ左腕は「誰にも抜かれない記録を作りたい」と宣言。
5、6月のロッテとの交流戦に向けても「普通にやれば、巨人の方が実力は上」と言い切った。

本人としては不本意な解雇だったでしょうから気持ちはわからないでもないですが、こういったことを口にするのはどうなんでしょうか。
自らを追いつめるという意図もあるとは言っても、あまりいいことはないように思えます。

まず端から見ていると、昨年の不調を怪我のせいにしている時点で解雇もやむなしだと考えます。
そんな考えではロッテに残留したとしても、今年も昨年の二の舞になったであろうことは想像に難くありません。
また仮に怪我が不調の理由の1つであったにしても、あそこまで打たれる前に自ら調整を申し出るのが藤田ほどの立場の選手が取るべき態度であったはずです。
打たれた挙げ句に「実は怪我が」とは、大相撲の休場と何ら変わりません。

まあ気合いも入っているでしょうし、成本が阪神で結果を出したようにそこそこの成績を残すことは可能でしょうが、だからといって藤田解雇の方針が間違っているわけでもなく、気にする必要もないと思います。
結果が出ず、また自らの立場をわきまえることができないベテラン選手には、退場願うのがチームにとってベストな選択であると考えます。

読売ランドで始動すべきなのでは?

千葉マリンの施設を借りて、ロッテの球団職員を相手に練習をしながら、「巨人の方が実力は上」と言ってしまうところに藤田という人間の底が見え隠れしています。
今の私にとっては藤田への惜別よりも、藤田という蓋が取れたことで新戦力の台頭への期待感の方が大きいです。
川崎には早く12を自分の番号にして欲しいですし、古谷や根本らには目の前にぶら下がったチャンスを逃さないよう頑張ってくれることを期待しています。

 

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ロッテのFA戦線はいかに

2008-01-04 21:39:12 | 千葉ロッテ

藪田と小林雅がメジャー移籍した昨年のFA戦線でしたが、今年以降も油断はできません。
思いがけず年初にドラフトの話題に触れたので、勢いでFAネタに突入してみます。

現在の制度は一軍登録145日を1年と換算して、9年で権利を獲得できます。
この9年を国内移籍に限って8年とする方向で調整しているようですが、選手会側が身分不相応に反発しているようですので未決着のままです。
ここでは国内移籍8年、海外移籍9年で考えてみます。

ロッテの選手が今後も順調に一軍登録されると仮定して、各選手が国内FA権を取得する年度は下記の通りです。
2007年終了時点でFA換算年数が1年以上の選手を対象にしています。

【2008年取得】
32歳 橋本将、サブロー
33歳 清水直行、小野晋吾、福浦和也
39歳 堀幸一
40歳 高木晃次
43歳 小宮山悟

【2009年取得】
31歳 小林宏之
34歳 大塚明

【2010年取得】
34歳 渡辺俊介、里崎智也

【2011年取得】
32歳 渡辺正人
36歳 早川大輔

【2012年取得】
28歳 西岡剛
29歳 今江敏晃
32歳 久保康友

【2013年取得】
31歳 大松尚逸
32歳 塀内久雄
34歳 神田義英

【2014年取得】
29歳 成瀬善久
31歳 青野毅
32歳 荻野忠寛、川崎雄介
34歳 竹原直隆

太字は既に権利を取得している選手です。
また選手名の前の年齢はその年度を終えた時点でのもので、当然ですが翌年は1つ年を取ります。
2007年の登録日数は勘で加算しているため、年間を通して1軍にいなかった選手、今江・青野・大松・竹原らは実際より1年早い年度に名前を挙げているかもしれません。

眼前の今年は、これはメンバー的には昨年以上に厳しいです。
橋本は既にFA行使を視野に入れている旨の発言がありましたし、清水・小野・福浦・サブローと全ポジションの有力者が顔を揃えています。
ここを乗り切れば2012年の西岡・今江・久保までは小林宏が控えているぐらいですので、やはり今年が勝負だと思います。

とは言え、実は意外と楽観視しています。
まず橋本、年俸3500万円の選手のFA移籍は非情に困難が伴います。
現行の制度ではFA移籍に伴う保障は旧年俸の1.2倍か0.8倍+プロテクト外選手1名です。
橋本の場合は金銭補償の差が1400万円に過ぎませんので、ほぼ間違いなく人的保障を選択すると思います。
今のFA制度は高年俸選手ほど移籍しやすく、一昨年にオリックスの日高や塩崎が行使した挙げ句にどこからも獲得の声がかからず残留したように、年俸が安い選手は人的保障を選択しやすいために敬遠される傾向にあります。
本来の出番を求めた移籍という趣旨に反する、金持ちがさらに金持ちになるだけの仕組みになっているわけです。
従って橋本の場合も余程のことがない限りは行使しても移籍は難しく、また仮に移籍となってもそれなりの人的保障が得られるのではないかと思います。
もちろんロッテの捕手事情を考えれば残留して欲しいですし、球団もそれなりの待遇で引き留めるでしょうが、万が一であっても被害を最小限にとどめられると考えます。

また小野と福浦は余程ヘマをしない限り、彼らが移籍を求めることはないと考えます。
ともに出番はありますし、見合った年俸を保障すれば移籍する理由が見つかりません。
サブローも前回は表向きは「嫁さんが東京以外に住んだことがない」という理由で残留しただけに、噂される中日への移籍は考えづらいと思います。
他の在京球団でサブローを欲しがる、あるいは獲得する資金力のあるチームは見当たりません。
残るは清水ですが、彼の場合は国内移籍はないでしょう。
あるとすればメジャーへの移籍、読売グループが海外移籍を8年にすることを許すとも思えませんので、清水の移籍があるとすれば来年オフでしょう。
その時であれば世代交代も考えて、34歳の清水を快く送りだしてあげたいと思います。
他のベテラン選手は普通に考えれば移籍などありえず、小宮山が勝手に自爆するならどうぞ、という感じです。

しかしFA、くだらない制度ですね。

 

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今年のドラフトは松本狙い

2008-01-03 20:20:46 | 千葉ロッテ

隠密ドラフトがロッテの代名詞となっていたはずですが、昨年の唐川や長谷部など事前に公表するケースもでてきました。
これは何が何でも獲得するという強い意志の表れだと思いますので、該当選手への誠意や他球団への牽制となり悪いことではないと思います。
今年はドラフト制度がどうなるかが未決ながらも、さっそく地元の逸材である松本啓二朗の名前が出てきました。

ロッテ“ダルキラー”松本指名に全力 (1/3 スポーツニッポン)

ロッテは1巡目候補に“ダルビッシュ・キラー”の早大・松本啓二朗外野手(21)をリストアップ。
松本は千葉経大付3年の04年夏、エース兼4番で出場した甲子園3回戦で延長10回の末、ダルビッシュ(日本ハム)擁する東北を撃破し4強入りした。
早大1年秋から定位置をつかみ、東京六大学リーグで3度ベストナインを獲得した強肩強打の外野手だ。
高校時代から密着マークを続けてきたロッテは昨年12月、大学日本代表候補強化合宿(愛媛・松山)にもスカウトを複数派遣。
球団関係者は「打撃はもちろん、肩も足もいい。野手では総合力でトップクラス」と高く評価。
外野レギュラーは全員30代のチーム事情から、将来の中軸候補になる松本指名に全力を注ぐ。

何でもかんでもダルビッシュに結びつけるのはスポーツ紙らしいですが、同じフレーズで先日は日本ハムもリストアップと日刊スポーツで報道されていました。
記事の中にあるように早大で1年からレギュラーになった実力は折り紙付き、複数球団から上位指名候補として名を挙げられているようです。

ここ数年の投手偏重ドラフトで歪な要員構成になっていますから、ロッテとして今年のドラフトは野手を複数指名する必要があると思われ、地元の逸材である松本を逃す手はないと思います。
長打があるわけではなく打率を稼ぐ福浦タイプ、現在の評価はそんな感じです。
昨年のドラフトではリーグ三冠王の田中ですら指名漏れするほど東京六大学のレベルが低下しており、喜多の再来ではないかとの不安がないわけではありませんが、足・肩のある外野手であればいくらでも生き残る道はあると思います。

1巡目で指名するかどうかは今後の高校生の台頭にもよりますが、むしろチーム内の角中らの成長ぶりの方が影響は大きいでしょう。
若手の外野手は左ばかり、右は中堅の竹原だけというレギュラー候補ですから、角中らが結果を出した時に松本へのニーズが低下する可能性があります。
今年のドラフトも現時点では目玉不足と言われていますので松本が2巡目後半まで残っているとも思えず、チーム事情と天秤にかけた上での判断となるでしょう。

個人的には松本は高校時代から追っている選手ですので是非とも指名して欲しいのですが、実は東京ガスの木村雄太の動向の方が気になっていたりします。
何だかんだ言っても素材は一級品、1年間のブランクを乗り越えてくれれば一気に上位候補として浮上してくるでしょう。
八木沢がヤクルトのコーチに就任したのが気になりますが、木村自身もコロコロと志望を変えることの愚を理解していると思いますので、ロッテ志望を貫いてくれるのではないかと期待しています。

まだまだ噂の域を出ない今年のドラフトですが、年初からこういった楽しみ方ができるのは嬉しいことです。
統一ドラフトになることで各球団の方針が大きく分かれるでしょうから、ロッテが松本や木村、そして大野らの即戦力中心で行くのか、あるいは高校生中心の指名にまとめるのか、うまく戦略を練ってくれればと思います。

 

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31年ぶり日本一の足跡

2008-01-02 22:52:40 | 千葉ロッテ

 

自宅には当然のごとくロッテグッズが溢れかえっていますが、玄関に鎮座するのは2005年に日本一になった時の新聞をパネルに填めたものです。
リーグ優勝、日本一、アジア制覇の都合3枚が飾ってあります。

やはり長い低迷時代を経験しただけに、2005年の日本一は嬉しかったです。
1974年の日本一は幼少であったために記憶が薄く、この31年ぶりの日本一は私にとっては初体験みたいなものです。
いろいろなグッズも買いそろえましたが飾れるようなものは意外に少なく、大半が飾り棚に収まっています。

ロッテリアでお菓子の景品になっていた大型シールがリビングに貼ってあります。
周りのものと比べれば、巨大さがわかると思います。

翌年の福袋に入ってた記念ボール、背面にはバレンタイン監督の印刷サインが入っています。

記念ピンバッチ、これは翌年に商品化されたものだったと思います。

アジア制覇のタペストリー、リーグ制覇や日本一のものは飾りづらいので保管してあります。
その横はリーグ制覇のリストバンドです。

升、記念硬貨、その他は便乗商品として発売されたビール・チョコレート・ガムなどです。

この他にも新聞社からパネルや写真集などを買い、結局は日本一絡みで30万円ぐらいは使ったはずです。
熱気に浮かれていたと言われればそれまでですが、全く後悔していない自分がここにいます。

こういったグッズがどんどん増えるよう、今年もロッテには頑張って欲しいと思います。

 

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史跡巡りがしたい

2008-01-01 23:22:16 | 日本史

 

新年を迎えて1年の目標を立てるとすれば、今年は何としても史跡巡りをしたいと考えています。
私、日本史が好きです。
小学校の卒業文集に書いた将来の夢は「考古学者」、今となっては守備範囲が中世~戦国なので分野は違ってきていますが、大きく路線を外れることなく成長してきました。
大学時代から長期休暇には必ず史跡巡りをし、各地の城跡や武将の墓、博物館などを訪れることを趣味としています。
日本全国津々浦々、行っていないのは沖縄県だけです。
社会人になっても続けてきましたが、いろいろと事情もあって2002年の夏を最後に5年間のブランクがあります。

私の旅行はハードです。
とにかく電車と足で稼ぐ旅で、旅行前に大まかな旅程を決めますが、基本的には時刻表を片手に気ままにフラフラとします。
ある場所で時間を費やしすぎて途中で帰ってきたこともありますし、半月以上放浪していたこともあります。
駅を拠点にレンタサイクルか足で目的地まで行くのが楽しみの1つでもあり、日に30キロ以上歩いたこともあります。
ちなみに写真は2002年の夏に北陸巡りをした時の七尾城跡で、これがまた標高300メートルぐらいのところまでひたすら1時間ぐらい歩いて登るという割と大変な山城でした。

こんなところを歩いていくと・・・

こんな感じになっていき・・・

ようやく城跡っぽくなってきたら・・・

石碑だけ建っている本丸跡が広がっている・・・

建築物ゼロの史跡でも充分に楽しい!

ただ心配なのは、重い荷物を背負って長距離を歩く体力が残っているかです。
この年代になってからの5年間は衰えが激しいので・・・いや、体を鍛えるためにも敢行すべきだと考えます。
何だか書いているうちにテンションが上がってきました。

問題は夏に長期休暇を取ると、日本シリーズ出場となった場合に秋に休暇が取れずに困ることです。
奇数年はパ・リーグのホーム開催は土日ですので何とかなりますが、今年は偶数年で火水木が千葉マリンでの試合となります。
幸いにも最近の日本シリーズはナイターですから、そこは特別日として早めに帰らせてもらうことで解決するしかありません。
年初から根回し工作に着手することにします(笑)

過去の旅行の写真などを適度に記事にしていきますので、数少ない日本史ファンの方はあまり期待せずにお待ちください。
本当はホームページでも立ち上げて盛大にいきたいのですが、そこは定年もしくは宝くじを当てた後のお楽しみにするとして、今年はロッテと日本史の二本立てで充実した1年にしたいと思います。

 

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今年も頑張ります

2008-01-01 07:48:33 | 独り言

明けましておめでとうございます。
昨年はいろいろとお世話になりました。

昨年4月から始めたブログも、おかげさまで10ヶ月目に入りました。
千葉ロッテの話題が大半なためにオフシーズンはどうなることかと心配しましたが、オフ企画を始めたことで何とかネタ繋ぎができました。
9月に10万アクセスを突破した後も継続的にアクセスいただき、月間約5万アクセスを維持しています。
これも皆様の支えがあってこそ、数多くのコメントやトラックバックをいただきありがとうございました。

昨年末でオフ企画も一段落しましたので、キャンプインまで1ヶ月、開幕まで3ヶ月をどう過ごそうかと頭を悩ませています。
日本史ネタを発掘するか、ゲームに邁進するか、ロッテグッズをひけらかすか(笑)
開幕まではくだらない話題に終始しそうですが、今年も頑張りますので引き続きおつき合いただければ幸いです。

本年もよろしくお願いします。


【オリオン村の歩み】
誕生:2007年4月16日(Yahoo!ブログ)
引越:2007年4月22日(gooブログ)
10,000アクセス:2007年6月4日
100,000アクセス:2007年9月17日
200,000アクセス:2007年11月16日

記事数:348
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(2007年4月22日~2007年12月31日:254日間)

 

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