文亀2年(1502年)冬、加治木城で今後の戦略に関する評定が開かれていた。
「殿、私を肝付城に遣わしてはいただけませぬでしょうか。」
肝付対策を論じている中、肝付兼固が発言した。
「今度こそ兼久殿を帰順させて見せまする。」
肝付城の肝付兼久は島津運久の軍に明応7年(1498年)秋に降伏したものの、その後2度に渡って謀反を起こしていた。
「肝付殿も今春に降伏してからは大人しくなっておるようですな。」
伊集院久昌が筆頭家老の伊集院忠公に問いかけた。
「どうやら外様衆に任ぜられたのが大きかったのかもしれませぬ。やはり京より遠く離れたこの地では将軍家の権威は未だ効果的でござりました。」
忠公が笑みを浮かべながら答えた。
「大口の菱刈殿も帰順いたしましたし、薩摩と大隅で当家に相対するのは本宗家と肝付殿のみ、孤独感を強めているのでしょうな。」
「しかしあれだけ何度も背いては、今さらという感じがしますが。」
久逸の嫡男である善久が、首を傾げるように言った。
「肝付殿に不審を覚えている者が当家に多いことは当人も存じているはず、下手に帰順して誅されることを恐れているのではないでしょうか。」
「だからこそ一族の私が赴くことで、その疑念を晴らせると考えまする。」
兼固が久逸の情にすがるかのように続けた。
「手をこまねいて肝付家を絶やしてしまっては、先祖に申し分けが立ちませぬ。兼久殿が帰順した後は私が目付として肝付城に残り、万が一再び兼久殿が背くような素振りを見せた場合は差し違えてでも止めてご覧に入れまする。」
「いっそのこと、兼固殿が肝付家を継がれればよろしいのではないか。」
久昌が周りを見渡して言った。
「叛服常無い肝付殿を肝付城に配すよりは、兼固殿に継いでいただいた方が当家にとっても為になると思われまするが。」
「勝手なことを申されないでいただきたい。」
兼固が憤然と立ちあがった。
「私にはそんな野心はござらぬ。もしお疑いであればここで腹を切ってお見せいたそう。」
「兼固、落ち着け。」
久逸がなだめるように言った。
「兼久殿もそろそろ潮時と感じているであろう。また他の者より兼固の方が腹を割って話しもできよう。兼固、兼久殿を説き伏せて参れ。」
「は、ありがたき幸せに存じまする。では、これにてご免。」
兼固があたふたと評定の場を後にした。
肝付城では肝付兼久と兼固が、ただ2人で相対していた。
「兼固殿、伊作殿は当家をお許しになられると申しておられるのか。」
「は、殿は兼久殿の力を貸していただきたいと申しておりまする。」
「とは言え我らは何度も敵対した身、伊作殿はともかく他の者どもが当家を許すとは考えられぬが。」
「その件につきましてはそれがしに全権をゆだねていただいておりまする。兼久殿がお心をお決めになられれば、重臣としてお迎えいたす所存にござりまする。」
「他国衆のそなたにそこまでの権限を与えるとは、伊作家は風通しのよい家中であるようだな。」
「殿は私を譜代衆と分け隔て無く遇してくださっておりまする。」
「うむ、もはや近隣で当家に味方する者もおらず、もはやこれまでか。」
「では。」
「兼固殿。今から加治木城に出仕いたすのでご案内をお願いしたい。」
「畏まりましてござりまする。」
「兼久殿、よくぞ決断なされた。」
加治木城の大広間に重臣が居並ぶ中、久逸が肝付兼久に声をかけた。
「恥を忍んで参りました。向後は伊作家の為に一命を賭して働く所存にござりまする。」
「うむ、兼固の努力の甲斐があったな。肝付殿を家中にお迎えすれば当家の威信が上がるは必定、これで本宗家も腹をくくるであろう。」
「島津殿は未だ帰順なされないのでござりまするか。」
「心ならずも運久殿に清水城を囲ませて、何度か降伏はさせたのだがな。」
「どうやら老臣の種子島殿が忠昌殿を唆しているようです。」
善久が久逸の言を継いだ。
「忠昌殿はもはや当家に敵対する意思はなきように思われますが、都度種子島殿が当家との手切れの使者を送ってくることからも、既に実権は種子島殿が握られているものと思われます。」
「樺山殿への工作はどうなっておる。」
「は、父上のご命令通り長久殿、信久殿と接触しておりますが、未だよい返事はいただけておりません。」
「よし、運久殿には引き続き城を囲むように使者を送るとしよう。善久は樺山殿との交渉を続けるがよい。」
大隅国を平定し、また薩摩国の平定もあと一歩のところまできた久逸は、充実した笑顔を居並ぶ家臣に見せた。
明応7年(1498年)秋 島津運久が肝付城を下し、肝付家が従属する。
明応7年(1498年)冬 島津運久を大将とした軍を清水城の攻略に向かわせる。
明応8年(1499年)夏 肝付城の肝付兼久が独立する。島津忠朝を大将とした軍を肝付城の攻略に向かわせる。
明応9年(1500年)夏 朝廷より正六位上・大内記に叙任される。島津忠朝が肝付城を下し、肝付家が従属する。
明応9年(1500年)冬 肝付城の肝付兼久が独立する。幕府より播磨守護職に任ぜられる。島津忠朝を大将とした軍を肝付城の攻略に向かわせる。
文亀1年(1501年)夏 朝廷より従五位下・主殿頭に叙任される。
文亀2年(1502年)春 島津忠朝が肝付城を下し、肝付家が従属する。島津運久が清水城を下し、島津家が従属する。
文亀2年(1502年)夏 清水城の島津忠昌が独立する。島津運久を大将とした軍を清水城の攻略に向かわせる。島津運久が清水城を下し、島津家が従属する。
文亀2年(1502年)秋 清水城の島津忠昌が独立する。幕府より外様衆に任ぜられる。島津運久を大将とした軍を清水城の攻略に向かわせる。
文亀2年(1502年)冬 朝廷より従五位上・越前守に叙任される。肝付城の肝付兼久が臣従する。