51 龍太郎 投手 26歳 年俸1100万円
【2007年成績】 E 22試合 0勝1敗0S 防御率3.80 21回1/3 22被安打 2被本塁打 7与四球 2与死球 16奪三振
戦力外通告の発表を聞いた時、かなりの驚きをもって受け止めました。
高校時代から注目していた投手だっただけに、非常に残念な気持ちでいっぱいです。
高校時代に藤川、寺本ともに高知三羽烏として有名だった投手で、進学後も法大で24勝、そして自由枠で横浜に入団した松坂世代の投手です。
スリークオーター気味に投げ込むストレートにはキレがあり、また武器であるスライダーはかなりの威力がありました。
それだけに3年でトレードでロッテに移籍した時には大喜びで、よく横浜が放出したと不思議に思った記憶があります。
しかし結局は、それだけの理由があったということでしょう。
確か2005年の交流戦で先発としてロッテ相手に登板したように覚えています。
割とぴっちりと抑えられたはずで、あれが同年オフの移籍に繋がったように思います。
しかしアマチュア時代の輝きを結局は取り戻せなかったのでしょうか。
それにしても26歳で、2軍でも数字だけ見ればそこそこの成績を残しているのに、それでも戦力外なのでしょうか。
数字には表れない欠点があり1軍では無理と判断されたのか、あるいは野球以外の素行などに何か問題があるのか、どうもしっくりときません。
タイプ的にチームに少ないサイド気味であり、中継ぎとして1軍で活躍できるのではないかと期待していたので非常に残念です。
戦力外通告があった時に現役続行を迷っているような発言がありましたので、本人にも何か感じるところがあったのかもしれません。
結局は第1回のトライアウトに参加しましたが採用の話はなく、先日の第2回のトライアウトには不参加だったようです。
まだ若いので第二の人生を歩み始めるのには遅くないでしょうが、ファンとしてはできれば何らかの形でも野球に携わって欲しいと思います。
【オリオン村査定】 1100万円 → 900万円 (▼18%) ※10/2に戦力外
2005年の交流戦でロッテ相手に投げてた事は覚えてます。
その時は確かに、そこそこ抑えられた記憶があります。
変化球が多かった?または打者の手元で微妙に変化するクセ球の持ち主?ちょっと記憶が定かではないですがそんなイメージが残ってます。
その当時は先発ローテーションで投げてましたし、まずまずの投球をしていたと思いますが、交流戦が終わった後は姿を消しましたので、怪我でもしたのかなぁっと思ってました。
あの頃がピークだったんでしょうか‥ただ確かに2軍での成績を見る限り、そこまで酷くはないんですけどね‥。
小坂の何気ないファインプレー2つ、李・ベニー・フランコによる恐怖の外野スタメン、大塚の暴走による決勝点などと、どういう訳か印象に残る試合でした。
あの頃の交流戦で杉内相手に投げ勝ったように記憶していますが、あの頃がピークだったんでしょうね。
アマチュア時代の実績は輝かしいものがありました。
高校時代は寺本を擁する明徳義塾が高知では強豪だったので甲子園出場はなりませんでしたが、それでも全国区の投手でした。
法大進学後も低学年から主戦となり、ベストナインを獲得するなど24勝をマークしています。
ただ高学年で成績が伸び悩んだのも事実で、多田野の事件がなければ自由枠かどうかは微妙でした。
ご指摘の通り、ピークが早く来すぎた投手なのかもしれません。
素材型と見て、じっくりと育てる必要があったのかもしれませんが、自由枠獲得だっただけに即戦力としての期待が大きすぎたのでしょう。
>85さん
セラフィニとの荒球合戦、記憶にありません。
と言いますか、ロッテに絡まない試合の記憶期間は異常に短いです(笑)
すぐに離婚したようですが、飯塚の娘と結婚したんですよね。
まさかその飯塚のロッテ復帰の影響があったわけでもないでしょうが、残念な退団です。
悪くない成績だっただけに
早々にクビになったのが不思議でした。
だったらなんで今年こんなに使ったんだろう・・・って。
ロッテにはピッチャーが沢山いて、使われるのを待っている状態なのですから
こんなに簡単にクビにするのなら、他の若いピッチャーを使って欲しかったな、と。
もしそうであれば、現場としても意外な戦力外だったのかもしれません。
そうすると野球以外の何か・・・いや、余計なことは考えるのはやめましょう(笑)