高校野球ではエースナンバーもプロ野球では野手の番号、オリオンズ、マリーンズの背番号1の系譜は創設時の伊藤を初代に橋本、平井、山田、八田、広瀬、ラフィーバー、バチスタ、高橋、愛甲、仁村、南渕、小坂、大嶺、清田と15人を数えますが、投手として登録をされたのは愛甲と大嶺の二人だけです。
その中で最長期間だったのが愛甲の15年間で、投手としては3年間ですが野手として長くチームの顔でしたし引退後のアウトローぶりで世間の印象も強いのではないかと思います。
そして誰か一人となればその愛甲は某サークルに所属していたときの推し選手で、恵まれない川崎時代に数少ない全国区の一人として頑張ってくれたことで小坂を押し切りました。
今の時代では考えられない、未成年ながらも前期優勝のビールかけに参加をした翌日のプロ初先発で大炎上、三年目に中継ぎで50試合近く投げてこれからというところでの打者転向は落合の進言だったような、その落合に師事してレギュラーの座を掴み5年連続全試合出場と記録の面でも背番号1の筆頭と言ってよいでしょう。
指名をされたときの渋面をテレビで見た3年先輩の川島がぶん殴ってやろうかと思った、と言っていたのが笑い話になるぐらいにその後の愛甲はすっかりとその川島に懐き、また小池が入団拒否をしたときには「自分の後輩だったらぶん殴ってやった」とロッテへの愛情を口にしたのを覚えています。
それだけにまだ30代前半でただ一年の不振であっさりと切られたのは球団とのいざこざがあったにせよそこまでの貢献からすれば非情にも思えて、八田やラフィーバー、小坂などもそうでしたが主力であっても全うできないのが宿命の番号なのか、それでも清田には引退試合をやってもらえるような有終の美を期待したいです。
でも名前と背番号はすぐに出てくるのに、活躍した心に残るシーンが出てきません、顔写真の上の文字が老眼で愛甲クソに見えて、スゲー見出しだなと思いました。
小坂も大嶺も清田もいいですがロッテだとまだファンではありませんでしたが愛甲が印象的。
あとは草魂と若松です。
自分にはロッテの1番と言えば愛甲ですね。
同じ左でも福浦とは違うバットコントロールが良かったのを覚えています。
高校時代はアイドル的人気の選手だったような・・・現在は闇が深そうですが(笑)
私は背番号1といえば阪神時代のオマリーですね。顔に似合わずクレバーなところがいいです。スカウトとしても活躍してますし。
今宮、源田とは違うタイプですが名手と言って差し支えないでしょう。
余談で清田は生涯マリーンズでしたら間違いなく引退試合は催されるかと思います。
廣岡の犬のゴマスリ得津とぶっちゃけてました。
ロッテの選手が週ベの表紙を飾るなんて滅多にありませんでしたからね、それだけ全国区だった愛甲です。
当時の自分のコレクションでは愛甲、村田、落合だけです・・・
>たかぽてさん
まあ日本人としての印象は王なんでしょうけどね。
名前でパッと背番号が出てくるのが名選手の条件です。
長嶋もそうですがイチロー、松井秀を知っていてその背番号を知らない人ってほとんどいないのではないかと。
>ぴのさん
南渕は調べるまで忘れていたと言いますか、ピンときてません(笑)
何だったんでしょうね、規定打席に達したことでのご褒美?
仁村はどこか鳥谷に似ていて、その野球に対する姿勢がどうだとかで獲った選手だったような。
>まこっささん
てか、不良でしたしね。
横浜で野球部を退部したときもあったんじゃなかったでしたっけ。
あんぱん、があだ名だったとかの話もあり(笑)
>ナスベンさん
完全にアイドル扱いでしたね。
それでもずっとレギュラーで3割も打ちましたから、実力もあったんだと思います。
闇に足を突っ込んだのは中日時代の賭けゴルフとも聞いたことがあり、ロッテにずっといたらまた違った人生だったかも。
>大垣のロッテファンさん
Y高は三浦とかがいましたね、ジャンボ宮城もそうだったかな。
まあ高校、と言うよりは野球部がそんな感じの時代でしたし、この表紙の髪型もそんな時代を感じさせます。
>かっきい~さん
小坂は石橋貴明がメジャーにしてくれたところもありました。
あの小宮山も小坂の守備を大いに買っていて、日本シリーズのゲスト解説で宮本の飛びついてのファインプレーを讃えるアナウンサーに「小坂なら正面で捕ってますよ」は素敵すぎました(笑)
その小坂も「福浦の守備があってこそ」って言ってましたね。
>ヘンゲルゲートさん
愛甲は広岡GMともダメだったんですか。
バレンタイン監督とも合わなかったですよね、退団は必然だったのかなぁ。