特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

山場 ~筑波山編~

2016-01-18 09:48:16 | Weblog
前ブログに書いたとおり、このところ精神状態がいまいち。
次々と襲ってくる虚無感や疲労感に翻弄されながら低空飛行を続けている。
それでもまだ“飛行”しているからマシ。
現実から逃げて着陸なんかしようものなら、二度と離陸できなくなるかもしれない。
再び飛び立つにしても、相当に難儀するはず。
力尽きての墜落なんか論外。
どうしたって避けなければならない。

私の人生が虚しいものなのではない。
私が人生を虚しく生きてしまっているだけ。
私は疲労を抱えているのではない。
私が疲労感を抱えてしまっているだけ。

つまり、問題なのは、この現実ではなく、この感性・感覚。
それは、気分にUp・Downがあることや、欝状態だけでなく躁状態もあることが証明している。
ただ、どんなに虚無感に襲われようが、どんなに疲労感を覚えようが、ジッとしているのはよくない。
気分転換なんて、そう簡単にできるものではないけど、何もせず悶々としていてもいいことはない。
何かすれば、少しは気が紛れるし、同じ憂鬱状態でも自分なりに策を講じている感が持てる。
だから、些細なことでもいいから、何かに努力し、何かに忍耐し、何かに挑戦したいと思っている。

以前は、「虚無感や疲労感を癒す方法は休息しかない」と思っていた。
身体の休息と精神の休息を完全に混同して。
だから、時間があれば身体を横にすることが多く、暇さえあればゴロゴロ。
不眠症で夜は熟睡できないものだから、たまの休みは、とにかく昼寝が重要課題。
何年も、それが最善の策だと思っていた。
しかし、そんな生活をしていても、疲労感は一向になくならず。
それでも、怠け者(私)の考えは頑なで、それが、私を更なる休息に走らせた。
休日に昼寝できないと倦怠感に襲われ、ヒマな時間は横になれないとイライラ。
そして、それが、更なる疲労感を呼び込んでいることに気づかないまま、悪循環に陥っていた。
そうして時が経ち・・・
長い試行錯誤と悪戦苦闘の末、私は、“疲労”は頭と身体を休めることによって癒えるけど、“疲労感”はそうではないことが何となくわかってきた。
一昨年の秋くらいから、やっとそこのところに気づき、その考え方を切り換えることに努めている。

そんな中、私は登山に出かけることに。
休日の前日にいきなり思い立った次第で、もともと、その日は午前中に予定があったのだが、それはキャンセル。
昨季からずっと「行ってみたい」と思っていた筑波山(茨城県つくば市)に行くことを計画。
前夜のうちに準備を済ませ、当日は、混雑を避けるため夜も明けきらない早朝に出発した。

麓に到着したのは、AM7:30頃。
空は快晴、気温は0℃。
まだ混雑はしていなかったけど、続々と登山客が集合しつつあった。
そこで、私は、まず軽く腹ごしらえ。
そして、持ち物に不備がないか確認し、トイレを済ませ、登山口へ進んだ。

まずは、男体山頂を目指して御幸ヶ原コースへ。
もちろん、ケーブルカーやロープウェイは使わず。
心臓は鼓動を大きくし、息もあがる中、ひたすら、急な山道を一歩一歩前進。
汗ダクになりながら、登っていった。

山頂手前の御幸ヶ原に到着すると、一気に景色はひらけた。
そこには、ケーブルカーの「山頂駅」があり、土産物屋や食堂もズラリと並び、多くの人で賑わっていた。
ただ、単独登山の私には談笑する相手もおらず、手持ち無沙汰。
しかも、寒風吹きさらしで、それが汗で濡れた下着にまで浸み込んできて、寒いこと!寒いこと!
あまりに寒くて、ゆっくり休憩どころではなく、義務であるかのようにそそくさと周囲の景色を眺め、足早に男体山頂へ向かった。

到着した男体山頂も、寒風がピューピュー 極寒!
それでも、空は広く晴れわたり、景色も広大!
霞む遠方には、ボンヤリとだけど富士山やスカイツリーまで見え、登ってきた甲斐は充分にあった。
せっかくだから、居合わせた登山客にスマホのシャッターを押してもらい、展望デッキでニッコリと記念撮影。
それから、数分、眼下の景色を楽しんでから、次は、女体山頂へ。
そこもまた絶景だったが、狭い岩場に人がごったがえしており、記念撮影は断念。
自分が入らない景色だけを撮って、下山の途についた。

同じコースの往復ではつまらないので、下りでは白雲橋コースを選択。
古傷がある私の右膝にとって、長い下り坂は難敵。
だから、登りより距離が長い分、少しは傾斜が緩いことも期待してそのコースを選んだ。
しかし、残念ながら、そのコースも結構な急勾配
結果、やはり右膝は問題を起こした。
痛みが出始めるとフツーに歩くことも困難になるため、意識してゆっくり進み、休憩もこまめにとったのに、下山終盤で痛みが出始めたのだ。
ま、それでも、それは麓に近いところだったので、残りの道程は超スローペースの横歩きでしのぐことができ、大事に至らずに済んだ。

筑波山は百名山の中でも最も標高が低いそうで、私のような初級者向きの山。
上級者はもちろん、中級者にとっても物足りない山らしいけど、それでも、平地のウォーキングとは訳が違う。
平地なら6~7kmでも難なく歩けるけど、山の場合は2~3kmでもキツい思いをする。
ま、それでも、筑波山の難度は、私にはちょうどいい。
休み休み歩いて4時間かかり、結構ハードな道程だったけど、ヘトヘトになるほどでもなく心地よさが残るから。
そして、「楽しい!」というものとは少し違うけど、得られる達成感と爽快感をともなう疲労感は、日常生活や仕事では味わえないもので、これが、今の私に効く薬なのだと思えるから。


今、人生の山場にさしかかっている人は多いだろう。
病気やケガ、事故や事件、就職や転職、入学や卒業、受験や進路、結婚や出産、離婚や死別etc・・・
人生には山場がたくさんある。
高い山もあれば低い山もある。
険しい山もあればなだらかな山もある。
乗り越えられる山もあれば乗り越えられない山もある。
頂上に達することさえできない山に遭遇することもある。
麓から見上げる頂上は、やたらと高く見える・・・
想像される道程の険しさは、前進を躊躇させる・・・
人生の山場には、ケーブルカーもロープウェイもない。
けれど、それに挑んでいくこともまた、人の大切な生き方。
「山は登るためにある」とまでは言えないけど、登らないと得られないもの、登ってこそ成せることがあるのだから。

振り返ってみて、私の人生にも大小様々な山場があった。
大きな山場だったのは、この仕事への就業前後。
もちろん、それ以前、それ以後にも紆余曲折はあったけど、これが人生の大きな転機になったのは事実。
良し悪しの判断は私ができることではないけど、これで、私の人生は大きく変わった。
「後悔はない」と言えばカッコいいけど、正直なところ、後悔はある・・・というか、正直言うと後悔ばかり。
学歴や能力を考えると、一流企業は無理だったろうけど、週休二日で、今より安定した労働条件・労働環境で、社会的にも陽があたる仕事に就けたかもしれない。
・・・考えても仕方がないこと、考えないほうがいいことだけど、そんなことを考えると、虚しく疲れる。

後悔という山をなかなか下りることができない。
過去という山をなかなか下りることができない。
希望という山になかなか登れない。
未来という山になかなか登れない。
それでも、時間は確実に過ぎている。
移ろう季節の中で、遠い未来だと思っていたことが、いつの間にか遠い過去になり、この歳になっている。
私は、後ろ向きの人生を卒業するには遅すぎるくらい、充分な歳を重ねた。
だからこそ、今、歯を食いしばっても山を登らなければならないような気がする。

これまで同様、これからも巡ってくるであろう人生の山場。
頂上にたどり着くことも大切だし、無地に乗り越えて下りることも大切。
しかし、もっと大切なのは、
麓に立つこと・・・
山を見上げること・・・
そして、勇気をだして一歩踏み出すこと・・・
・・・なのではないだろうか。


次は、近いうちに大山(神奈川県伊勢原市)へ行くつもり。
一昨年の秋以来、二度目。
季節も違うし、前回とは違った趣が感じられるだろう。
また、前回同様、キツい思いをするだろう。
これが、自己研鑽になるのか、精神修養になるのか、気分転換になるのかわからない。
でも、そうなることを期待して歩を進めることが大切だと思っている。
それが、後悔をもって過去に生きるのではなく、希望をもって未来に生きるための一助になるのだから。

がんばろ!



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