暦の上では、もう秋。
次第に、朝が遅くなり夜が早くなってきている。
また、朝晩の空気には、秋の気配が感じられるようになってきた。
樹々の緑が暖色に変わり始めるのも、もうじきか・・・
活気に満ちた夏が終わるのは寂しい気もするけど、静かな秋は、何となくホッとできる。
ここ数日は曇雨の天気が続いて、比較的涼しい日が続いているけど、このまま大人しく夏が秋に季節を譲るとは思えない。
やはり、晴れた日には厳しい残暑がぶり返すはず。
大汗をかきながらヒーヒー・フーフーと肉体労働に勤しむ日々は、もう少し続くだろう。
盛大に催されていた北京オリンピックも、とりあえず無事に終わった。
過日、オリンピックムード一色だった世の中も落ち着きを取り戻し、一息ついているところだろうか。
そして、連日の熱戦を昼夜を問わずに観戦し、今頃になってグッタリきている人も多いのではないだろうか。
元来、スポーツに縁のない私は、オリンピックには〝全く〟と言う程ではないものの〝ほとんど〟興味が沸かなかった。
そして、TVをあまり観ない私の場合、オリンピックもすすんで観ることもなかった。
それでも、社会に溢れかえる関係情報は、黙ってても目や耳に入ってきていた。
そんな騒がしいオリンピックムードに少々ウンザリしていた私は、今の静けさにちょっとホッとしている。
何はともあれ、スポーツというものはいいものだと思う。
もちろん、勝利・栄光の陰には、敗北・挫折などのツラい部分もあるけど、それらを通しても多くのことが学べるだろうから。
また、肌の色も言語も文化も越えて、全ての選手が同じルールに則ってフェアに競うところにもスポーツの魅力はある。
現実には、政治的な背景や利権のからんだ陰の話も多そうだけど・・・
まぁ、人間のやることだから、これもある意味で自然なことだろう。
陰があるから日向がうまれるのではなく、日向があるから陰ができるわけだから。
何はともあれ、メダルはとれなくてもマスコミに取り上げられなくても、オリンピックに出場した人達はスゴいと思う。
彼ら彼女らの努力と根性と才能は、すべて金メダル級だ。
そして、優れているのは肉体や技能だけにとどまらず、人格面も高次元に保たれているはず。
努力も根性も人格を基礎にしないと成り立たないから。
比べること自体が恥ずかしいけど、これは、私には無縁の代物だ。
私は、自分の仕事について、労働条件の劣悪さや作業の過酷さを強調して訴える傾向がある。
「俺は、こんなに頑張ってるんだぞ!」
「俺は、いつもこんなに大変な思いをしているんだぞ!」
ってな具合に。
そして、そこに垣間見える性質は、
「どうだ、スゴいだろ?」
「結構、偉いだろ?」
「わりと、できた人間だろ?」
と言わんばかりの旺盛な自己顕示欲と低レベルの優越感。
色んな人の支えがあって今があり、自分の力なんて限りなくゼロに近いのに、すぐ自分の力だけで生きているかのように錯覚するのだ。
こんな私は、さしづめ〝禁メダル級の人間〟といったところか。
亡くなったのは、二十歳そこそこの大学生。
名の知れた学校のスポーツ部に所属する、長身の青年だった。
自宅のリビングに横たわる故人の傍らには、憔悴した様子の父母と姉妹。
泣くでもなく、もちろん笑うでもなく、口を開くこともなく呆然と座り込んでいた。
さりげなく見回すと、部屋の棚や壁には数多くのトロフィーやメダル、賞状。
そのどれもが誇らしげで、生前の故人の活躍ぶりを物語っていた。
遺体の回りには多くの供花。
それに付けられた札から、故人が通っていた大学と、やっていたスポーツがすぐにわかった。
死因は、手術中のショック死。
医学的にみると〝あり得る死〟だったが、家族からすると〝不慮の死〟だった。
健康そのものだった故人は、急な心臓疾患で緊急入院。
その闘病生活は難儀の連続。
特に、発作に襲われたときの苦しみようは半端ではなく、まさに死んだ方がマシじゃないかと思えるくらい。
そんな苦闘の中、念入りな検査が行行われ、その結果として一つの診断がくだされた。
〝治すには手術が必要〟
しかし、その手術は、一般的に行われているものでありながらも〝術中の死亡率が1000分の3〟と比較的リスクの高いもの。
その数値を〝高い〟とみるか〝低い〟とみるか、それは立場によって異なったが、どちらにしろ心臓を弱めたままではスポーツ生命が絶たれるのはもちろん人生をも短くしかねない。
将来に明るい希望を持つため、本人も家族もリスクを覚悟で手術に賭けた。
しかし、〝まさか〟のことが現実に起こるのが世の常・・・
願いも虚しく、たった0.3%の確率に命を奪われてしまったのだった。
故人には、サイズの合わない浴衣が、センスも無視して着せられていた。
言葉は悪いけど、その着こなしは貧相で、気の毒なくらい。
それを見かねる余裕もなかっただろうが、家族は、「愛用のジャージに着せ替えてほしい」と私に依頼。
そのつもりだった私は、その作業を当然のごとく引き受けた。
しかし、故人は体格がいい上に死後硬直も激しく、着衣を変えるのは容易ではなく・・・
着せる服がジャージだったからよかったものの、学校のブレザーやスーツだったら、そのまま着せることはできなかったかもしれず・・・
私は、作業の難易度を考え、着せ替えが終わるまで家族には席を外してもらうことにした。
それから、しばし・・・
故人の見慣れたジャージ姿を見ると、家族は安堵の表情を浮かべた。
そして、
「何でこんなことになるんだ!?」
「何で○○(故人)が、こんな目に遭わなければならないんだ!?」
等と叫びながら、泣き崩れた。
そんな家族に掛ける言葉を私が持ち合わせているはずもなく。
私の中で、仕事として作業を進めなければならない責任と人間として作業を停止しなければならない心情が交錯し、しばらく沈黙の時を過ごした。
「息子の首にこれをかけてほしい」
しばらくして、落ち着きを取り戻した父親が私に金色のメダルを差し出した。
それは、とある大会で好成績をおさめたときのもので、故人にとっても家族にとっても大きな意味のあるメダルのようだった。
しかし、難燃物や不燃物を柩に入れないのは業界の掟。
首にかけたまま出棺されるとそのまま火葬炉に入ってしまうので、私は、出棺前には必ず取り出してもらうことを確認してから、故人の首にメダルをかけた。
「人って、いつ何時どういうかたちで死ぬことになるのか、ホントにわからないもんだなぁ・・・」
若かった私は、柩の中で笑うように眠る故人に、生死の妙を見た。
そして、薄っぺらい同情心だけを抱いて故人と家族を哀れんだ。
人生は、マラソンを走るようなもの・・・〝人生マラソン〟だ
左カーブ・右カーブ、上り坂・下り坂、追い風に乗ることもあれば逆風に阻まれることもある。
それでも皆、死に物狂いで必死に走る。
コースは、人それぞれ。
行く手は決して平坦な道程ではなく、極限の力が試され・極限の力を鍛錬するためのコースが待ち受けている。
楽に走り抜けられる者は誰一人いない。
ライバルは、他人ではなく自分・・・過去の自分。
目標は、完走。
完走すればメダルは確実だから。
晩年、ゴールを目前にした時、自分が走ってきた道程を思い返してみると、何が頭に浮かぶだろう・・・
金メダル級の走りをしたのは、どういう時だっただろうか・・・
それは、下り坂を追い風に乗って好タイムで走ったときより、登り坂を逆風に阻まれながら必死に走ったときではないだろうか。
タイムは悪くても、生きることと必死に戦ったその時だったのではないだろうか。
人にはそれぞれ、定められた運命・宿命がある。
偶然なんて何もなく、すべてが必然。
生き方だけでなく寿命もそう。
長寿の末の老衰死だけが完走ではない。
事故死だって病死だって、若い死だって完走は完走。
気の毒ではあっても、敗者ではない。
誰に劣るわけでもなく、卑屈になる必要もない。
これは、私がこの仕事を始めて間もない頃・・・20代半ばの頃の話。
故人の死は、誰が考えても、〝人生を完走した〟なんて思えるわけがなかったかもしれない。
しかし、この歳になってみると、色々な想いが廻ってくる。
〝故人は故人で、自分なりの人生を立派に完走したんじゃないだろうか・・・〟
〝あの笑顔は、戦いの勝敗にとらわれず、人生を完走した者しか浮かべることができなかったものじゃないだろうか・・・〟
そしてまた、あのとき首に掛けた金メダルが、若かった故人が必死に走りきった人生マラソンの結果を象徴しているようにも思えてくるのである。
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次第に、朝が遅くなり夜が早くなってきている。
また、朝晩の空気には、秋の気配が感じられるようになってきた。
樹々の緑が暖色に変わり始めるのも、もうじきか・・・
活気に満ちた夏が終わるのは寂しい気もするけど、静かな秋は、何となくホッとできる。
ここ数日は曇雨の天気が続いて、比較的涼しい日が続いているけど、このまま大人しく夏が秋に季節を譲るとは思えない。
やはり、晴れた日には厳しい残暑がぶり返すはず。
大汗をかきながらヒーヒー・フーフーと肉体労働に勤しむ日々は、もう少し続くだろう。
盛大に催されていた北京オリンピックも、とりあえず無事に終わった。
過日、オリンピックムード一色だった世の中も落ち着きを取り戻し、一息ついているところだろうか。
そして、連日の熱戦を昼夜を問わずに観戦し、今頃になってグッタリきている人も多いのではないだろうか。
元来、スポーツに縁のない私は、オリンピックには〝全く〟と言う程ではないものの〝ほとんど〟興味が沸かなかった。
そして、TVをあまり観ない私の場合、オリンピックもすすんで観ることもなかった。
それでも、社会に溢れかえる関係情報は、黙ってても目や耳に入ってきていた。
そんな騒がしいオリンピックムードに少々ウンザリしていた私は、今の静けさにちょっとホッとしている。
何はともあれ、スポーツというものはいいものだと思う。
もちろん、勝利・栄光の陰には、敗北・挫折などのツラい部分もあるけど、それらを通しても多くのことが学べるだろうから。
また、肌の色も言語も文化も越えて、全ての選手が同じルールに則ってフェアに競うところにもスポーツの魅力はある。
現実には、政治的な背景や利権のからんだ陰の話も多そうだけど・・・
まぁ、人間のやることだから、これもある意味で自然なことだろう。
陰があるから日向がうまれるのではなく、日向があるから陰ができるわけだから。
何はともあれ、メダルはとれなくてもマスコミに取り上げられなくても、オリンピックに出場した人達はスゴいと思う。
彼ら彼女らの努力と根性と才能は、すべて金メダル級だ。
そして、優れているのは肉体や技能だけにとどまらず、人格面も高次元に保たれているはず。
努力も根性も人格を基礎にしないと成り立たないから。
比べること自体が恥ずかしいけど、これは、私には無縁の代物だ。
私は、自分の仕事について、労働条件の劣悪さや作業の過酷さを強調して訴える傾向がある。
「俺は、こんなに頑張ってるんだぞ!」
「俺は、いつもこんなに大変な思いをしているんだぞ!」
ってな具合に。
そして、そこに垣間見える性質は、
「どうだ、スゴいだろ?」
「結構、偉いだろ?」
「わりと、できた人間だろ?」
と言わんばかりの旺盛な自己顕示欲と低レベルの優越感。
色んな人の支えがあって今があり、自分の力なんて限りなくゼロに近いのに、すぐ自分の力だけで生きているかのように錯覚するのだ。
こんな私は、さしづめ〝禁メダル級の人間〟といったところか。
亡くなったのは、二十歳そこそこの大学生。
名の知れた学校のスポーツ部に所属する、長身の青年だった。
自宅のリビングに横たわる故人の傍らには、憔悴した様子の父母と姉妹。
泣くでもなく、もちろん笑うでもなく、口を開くこともなく呆然と座り込んでいた。
さりげなく見回すと、部屋の棚や壁には数多くのトロフィーやメダル、賞状。
そのどれもが誇らしげで、生前の故人の活躍ぶりを物語っていた。
遺体の回りには多くの供花。
それに付けられた札から、故人が通っていた大学と、やっていたスポーツがすぐにわかった。
死因は、手術中のショック死。
医学的にみると〝あり得る死〟だったが、家族からすると〝不慮の死〟だった。
健康そのものだった故人は、急な心臓疾患で緊急入院。
その闘病生活は難儀の連続。
特に、発作に襲われたときの苦しみようは半端ではなく、まさに死んだ方がマシじゃないかと思えるくらい。
そんな苦闘の中、念入りな検査が行行われ、その結果として一つの診断がくだされた。
〝治すには手術が必要〟
しかし、その手術は、一般的に行われているものでありながらも〝術中の死亡率が1000分の3〟と比較的リスクの高いもの。
その数値を〝高い〟とみるか〝低い〟とみるか、それは立場によって異なったが、どちらにしろ心臓を弱めたままではスポーツ生命が絶たれるのはもちろん人生をも短くしかねない。
将来に明るい希望を持つため、本人も家族もリスクを覚悟で手術に賭けた。
しかし、〝まさか〟のことが現実に起こるのが世の常・・・
願いも虚しく、たった0.3%の確率に命を奪われてしまったのだった。
故人には、サイズの合わない浴衣が、センスも無視して着せられていた。
言葉は悪いけど、その着こなしは貧相で、気の毒なくらい。
それを見かねる余裕もなかっただろうが、家族は、「愛用のジャージに着せ替えてほしい」と私に依頼。
そのつもりだった私は、その作業を当然のごとく引き受けた。
しかし、故人は体格がいい上に死後硬直も激しく、着衣を変えるのは容易ではなく・・・
着せる服がジャージだったからよかったものの、学校のブレザーやスーツだったら、そのまま着せることはできなかったかもしれず・・・
私は、作業の難易度を考え、着せ替えが終わるまで家族には席を外してもらうことにした。
それから、しばし・・・
故人の見慣れたジャージ姿を見ると、家族は安堵の表情を浮かべた。
そして、
「何でこんなことになるんだ!?」
「何で○○(故人)が、こんな目に遭わなければならないんだ!?」
等と叫びながら、泣き崩れた。
そんな家族に掛ける言葉を私が持ち合わせているはずもなく。
私の中で、仕事として作業を進めなければならない責任と人間として作業を停止しなければならない心情が交錯し、しばらく沈黙の時を過ごした。
「息子の首にこれをかけてほしい」
しばらくして、落ち着きを取り戻した父親が私に金色のメダルを差し出した。
それは、とある大会で好成績をおさめたときのもので、故人にとっても家族にとっても大きな意味のあるメダルのようだった。
しかし、難燃物や不燃物を柩に入れないのは業界の掟。
首にかけたまま出棺されるとそのまま火葬炉に入ってしまうので、私は、出棺前には必ず取り出してもらうことを確認してから、故人の首にメダルをかけた。
「人って、いつ何時どういうかたちで死ぬことになるのか、ホントにわからないもんだなぁ・・・」
若かった私は、柩の中で笑うように眠る故人に、生死の妙を見た。
そして、薄っぺらい同情心だけを抱いて故人と家族を哀れんだ。
人生は、マラソンを走るようなもの・・・〝人生マラソン〟だ
左カーブ・右カーブ、上り坂・下り坂、追い風に乗ることもあれば逆風に阻まれることもある。
それでも皆、死に物狂いで必死に走る。
コースは、人それぞれ。
行く手は決して平坦な道程ではなく、極限の力が試され・極限の力を鍛錬するためのコースが待ち受けている。
楽に走り抜けられる者は誰一人いない。
ライバルは、他人ではなく自分・・・過去の自分。
目標は、完走。
完走すればメダルは確実だから。
晩年、ゴールを目前にした時、自分が走ってきた道程を思い返してみると、何が頭に浮かぶだろう・・・
金メダル級の走りをしたのは、どういう時だっただろうか・・・
それは、下り坂を追い風に乗って好タイムで走ったときより、登り坂を逆風に阻まれながら必死に走ったときではないだろうか。
タイムは悪くても、生きることと必死に戦ったその時だったのではないだろうか。
人にはそれぞれ、定められた運命・宿命がある。
偶然なんて何もなく、すべてが必然。
生き方だけでなく寿命もそう。
長寿の末の老衰死だけが完走ではない。
事故死だって病死だって、若い死だって完走は完走。
気の毒ではあっても、敗者ではない。
誰に劣るわけでもなく、卑屈になる必要もない。
これは、私がこの仕事を始めて間もない頃・・・20代半ばの頃の話。
故人の死は、誰が考えても、〝人生を完走した〟なんて思えるわけがなかったかもしれない。
しかし、この歳になってみると、色々な想いが廻ってくる。
〝故人は故人で、自分なりの人生を立派に完走したんじゃないだろうか・・・〟
〝あの笑顔は、戦いの勝敗にとらわれず、人生を完走した者しか浮かべることができなかったものじゃないだろうか・・・〟
そしてまた、あのとき首に掛けた金メダルが、若かった故人が必死に走りきった人生マラソンの結果を象徴しているようにも思えてくるのである。
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