秋が顕著に感じられるようになってきた今日この頃。
八月が終わり九月に入った途端、気温は急降下。
シチュエーションによっては 日中でも肌寒く感じられ、「このまま秋に直行か?」と勘違いしてしまいそう。
しかし、例年、九月は まだまだ暑い。
このまま、大人しく夏が終わっていくとは思えない。
秋めいてきながらも、暑さがぶり返してくることがあると思う。
当然、暑ければ暑いほど、現場作業では汗をかく。
全身 汗でビショビショになることも、乾いた作業服が塩を吹くことも日常茶飯事。
身を守るため、こまめな水分補給が必要になる。
ただ、私は、一度 作業を始めると、休憩もとらずにずっとやり続けてしまうクセがある。
言葉はおかしいけど“休むのが面倒クサイ”みたいな感じ。
もともとセッカチな性分なもので、“休んでるヒマがあったら、さっさと仕事を終わらせたい”という気持ちが強く働くのだ。
また、熱くなった気持ちを小休止で冷やしてしまうと その後が億劫になるし、気持ちも折れやすくなるから、それを避けたい気持ちもある。
でも、単独作業の時ならいざ知らず、複数作業の場合は、その辺のところはバランスよくやらないと仲間から顰蹙をかってしまう。
現場で、飲み物をだしてくてる依頼者は多い。
多いのは、お茶やスポーツドリンク。
冬場は、それにホットコーヒーが加わる。
少ないけど栄養ドリンクをくれる人もいる。
気の利いたところでは、
「ホントは本物のほうがいいんでしょうけどね・・・」
と言いながら、冷やしたノンアルコールビールをだしてくれた依頼者もいる。
しかし、中には、本物のビールを出してくれる人も。
もちろん、「持って帰って飲んでください」という意味なのだが、冷やしてあると「ここで飲んでもいいって意味なのかな?」と勘違いしてしまう。
当然、その場で飲めるものではないので、持って帰らせてもらうけど。
ただ、仕事を終えて家に帰れば酒も飲める。
しかし、私は、身体と懐のことを考えて、何年か前から禁酒日を設けている。
当初は週二日を目標にしていたのだが、今は、週三日を目標にしている。
調子のいい週は、四日 飲まない日がつくれることがある。
もちろん、飲みたくないわけではない。
本当は毎日飲みたいんだけど、とにかく、決めた日は我慢するのである。
しかし、夏場は、その我慢がツライッ!!
だから、仕事を頑張って大汗をかいた日などは、欲望に負けて飲んでしまうこともしばしば。
そうすると、翌日以降、新たな禁酒日をつくらなければならなくなる。
結局、週末にかけて 「飲まない日をつくらなきゃ!」というプレッシャーが圧しかかってきて難儀するハメになるのである。
とある夏の日。
住宅地の古いアパートの一室で、住人が静かに亡くなった。
そのまま数日が経過し、発見されたとき遺体は酷く傷み、生前の面影はまったくなし。
発見したのは、アパートの隣に居を構える年老いた大家夫妻。
急に姿が見えなくなった故人のことを妙に思ったけど、素行があまりよろしくなく、あまり関わりたくないタイプの人物だったため、部屋に近づくことなく放置。
結果、異臭が発生し、ハエが湧くまで、故人は部屋に横たわったままとなった。
亡くなったのは初老の男性で、生活保護受給者。
親はとっくに亡くなり、妻子も兄弟もなし。
身寄りらしい身寄りもなく、孤独な身の上。
このアパートに暮らし始めたのは数年前。
生活保護を受け始めると同時に、役所の仲介で入居。
しかし、金銭管理がルーズで、家賃の支払いが遅れることもしばしば。
更には、“飲む 打つ”が大好きで、生活費の大半をそれらに浪費していたよう。
役所から幾度も注意指導を受けたにもかかわらず、あらためることなく亡くなってしまった。
亡くなった人のことを悪く言ってはいけないのかもしれないけど・・・
生活保護費で酒を飲んだり賭け事をしたりすることに、私は不快感を覚える。
それらは、自分の金でやるべきこと。
生活保護費は個人の金ではなく公の金。
“働かない理由”を“働けない理由”にすり替えて、人世を欺くのはいかがなものか。
相互扶助の精神は大切だけど、まっとうに働いている人の金でズルく遊んでいる人間がいるなんて、すんなりと飲めるものではない。
受給者の極一部だと信じたいけど、そんな人のために、“健康で文化的な生活”が保証されているとしたら、少額納税者の私でも税金を納めるのがバカバカしくなる。
例によって、現場は凄惨。
遺体痕は部屋の中央に敷かれた布団にあった。
汚腐団の上には、ネットリとした腐敗粘度が残留し、腐敗液は、その下の畳にまで浸透。
故人の肉体は、大量の汚物を滲み出しながら溶解。
その状況は、人の視覚と嗅覚を著しく毀損させるもので、夫妻もかなりのショックを受けていた。
夫妻が希望する金額は、私が見積った金額の約二分の一。
三分の二でも無理なのに半額とは、とても飲めるものではない。
だから、私は即座に
「スミマセンが、その金額では無理です・・・」
と断り、そして、
「御期待に応えられず申し訳ありません・・・うちも赤字は喰えないものですから・・・」
と頭を下げた。
「仕方ないね・・・時間はあるから、自分達でやろうか・・・」
夫妻は、ションボリと相談。
私は、老夫婦のそんな姿をみてヒドく気の毒に思った。
が、私だって、ボランティアでやっているわけではない。
赤字を喰うような仕事を請け負うわけにはいかない。
だから、せめてもの善意で、私は、片付ける際の注意点やコツを伝授。
特に、衛生面と熱中症には気をつけてやるよう伝えた。
そんなこんなで一通りの用を済ませ その場を立ち去ろうとすると、奥さん(以後、女性)が、
「ちょっと待って・・・こんな暑い中、わざわざ来てもらって・・・今、飲み物をもってきますから、それだけでも飲んでって下さい!」
と私を引き止めた。
いつもなら、丁重にお断りして退散するところだけど、部屋を片付けるにあたって、これから大変な思いをするであろう女性の心遣いを無にするのは失礼だと思った私は、暑い中にずっといて咽が渇いていたことも手伝って、
「ありがとうございます!助かります!」
と、勝手にペットボトル飲料をもらっていくつもりになって快く返事。
相棒(業務車)の傍らに立って、女性が戻ってくるのを待った。
少しすると、女性が自宅からでてきた。
お盆を手に、その上に飲み物を入れたコップをのせていた。
「なんだ・・・ペットボトルじゃないのか・・・」
アテが外れた私だったが、
「せっかくの心遣いだから、飲んでから帰ろ・・・」
と思い、近づいてくる女性に恐縮の会釈をした。
「ん? 何?・・・」
コップの中身の色を見た私は妙に思った。
それは、私がまったく想像していなかった色・・・白。
ただ、白色の飲み物、そして、季節が夏となれば、ほぼほぼ決まっている。
そう、カルピス。
で、私は、
「カルピスか・・・」
と思った。
が、それにしては色が濃い・・・濃すぎる。
「濃くつくっただけ?」
とも思ったが、その濃厚な白色は、明らかにそれとは異質。
「もしかして・・・」
私の頭の中では、白色の飲み物って限られている。
にごり酒やカルピスもそうだけど、多くはミルク系飲料。
そう・・・それは牛乳・・・
女性は気を使ってくれたのか、それを、中ジョッキくらいありそうなくらいの大きなコップに氷を入れ、真っ白な牛乳を並々と注いで持ってきてくれた。
「意表を突かれ」というか、「度肝を抜かれた」というか、これは まったくの想定外。
しかも、もともと、私は牛乳が嫌い。
小学生の頃は給食で飲まされていたから飲めないことはないけど、好んで飲んだことは一度もない。
業界を敵に回したいわけではないけど、すすんで買い求めることもない。
そもそも、牛乳って、読んで字のごとく、牛の乳。
人間が牛の乳をダイレクトに飲むのは、なんか無理があるような気がする。
しかも、猛暑の中、水分補給でゴクゴク飲むようなモノでもないと思う。
“まさか牛乳とは・・・飲みたくないなぁ・・・”と私は内心でそうボヤいた。
が、最初に「ありがとうございます!助かります!」と言った手前もある。
仮に、それがなくても、女性の善意を無碍にするのは失礼。
私は、“一期一会、一度きりのことだから・・・”と思い直し、気持ちよくいただくことに。
「ありがとうございます!せっかくなんで、ありがたくいただきます!」
といいながら、盆に乗ったコップを手に取った。
そして、思い切って、グイッと一口目を口に含んだ。
「ん!?」
想定外の飲み物の味は、更に想定外。
「甘い?・・・」
牛乳には、明らかに甘い味つけが。
善意の牛乳は、不快な甘味をともなって私の舌に纏わりついてきた。
そもそも、私は、甘い飲み物が好きではない。
普段、ジュースとか甘いものはほとんど飲まないし、たまにしか飲まないけど、コーヒーもブラック。
そんな私は、砂糖かシロップが溶かしてあるような強い甘みに閉口した。
しかし、それは一度きりのこと。
一度の我慢で、その場は丸くおさまる。
私は、“せめてコーヒーでも入れてくれれば、救われるんだけど・・・”と心で嘆きながらも、
「甘くて美味しいですね!!」
と大袈裟に喜んでみせ、そのままゴクリ!ゴクリ!と一気に飲み干した。
そして、
「ごちそう様でした!美味しかったです!」
と、作り笑顔でコップを返し、現場を後にしたのだった。
その後、夫妻は、部屋の片づけを自らの手でやろうと試みた。
しかし、そこは、並の汚部屋ではない。
汚物や不衛生物は多量にあり、異臭もある。
結局、ほとんど手をつけることができないまま、作業を依頼してきた。
私は、夫妻の予算を考慮し、当初の見積からいくらか値引いた金額で、その仕事を請け負った。
最初のとき、“一度きりの社交辞令”と思って過剰に喜んでしまった私。
それに気をよくした女性は、私が作業に訪れる度に 例のそれを差し入れてくれた。
しかし、私は、まったく飲みたくない。
だから、“悪いけど、その辺に捨ててしまおうか・・・”と思ってしまったこともあった。
が、女性は、
「遠慮しないで、冷たいうちに飲んで!」
と、傍らでニコニコしながら私が一気飲みするのを待っている。
そんな女性の善意の笑顔を前にしては、飲みたくなさそうな顔はできない。
私は、満面の笑顔をつくり、まるで、大学時代のコンパのようなプレッシャーを感じながら、“甘冷牛乳”を胃に落としたのだった。
正直なところ、女性の“甘冷牛乳”は私の口に合わなかった。
だけど、女性の心遣いは とても嬉しかった。
酷く汚れた私、酷くクサくなった私を気味悪がることもなく、嫌な顔ひとつせず近づいてきては、優しい言葉をかけてくれた。
そして、私が喜ぶ姿をみては嬉しそうに笑った。
小さなことかもしれないけど、人の喜びを自分の喜びとする女性の慈愛は、一人間として尊ぶべきものだった。
だから、それは、どんな高価な栄養ドリンクにも勝る、心に効く栄養ドリンクとなった。
凄惨な現場における過酷な作業の中で どうしても湧いてきてしまう 終わりが近づきつつある人生に対する意味のない後悔と疑問に打ち拉がれる心を随分と救ってくれた。
そうして、何日にも渡った作業を終えた私は、“きれいごと”という名の真実を また一つ飲みこんで 習うように心にしまったのだった。
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