特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

夢中旅行

2010-03-29 16:19:59 | Weblog
ここ2~3日、真冬に戻ったかのような天気が続いているが、東京では桜が咲いている。
桜は、咲くのもはやければ、散るのもはやい。一気に咲いて、一気に散る。
その華やかさが人々の心を惹きつけるのか、それとも、その儚さが人々の心を惹きつけるのか・・・
私も、満開に咲く桜に心を躍らせる一人。
更に、その後に残る独特の余韻も好き。
葉桜を見ながら満開の花を思い返すと、いい夢を見た後のような淡い美味が感じられるから。

私は、よく、人生を“現実という名の夢幻”“夢幻の思い出”等と表すが、それだけ、夢幻性を強く感じている。
ちょっとイッちゃってるように思われるかもしれないけど、この人生は、肉体という服を着て、夢の中を旅することのように感じているのである。


「おじいさん・・・」
目の前には、冷たくなって横たわる老年男性。
そして、その傍らには、連れ合いである老年女性が正座し、肩を落としていた。

「よろしくお願いします」
女性をはじめ、集まった遺族は皆、喪服姿。
当夜に通夜式を控えた故人は、柩に納められるのを待っていた。

「これを着せて下さい」
女性は、私に向かって一式の洋服と靴を差し出した。
それは、遺族が故人に着せたいとする服だった。

「天国で恥ずかしい思いをしたら可哀想ですから・・・」
目の前に横たわる故人は、くたくたのパジャマ姿。
女性は、故人をそのまま荼毘に付すことを、忍びなく思っているようだった。

「これなんですけど・・・」
用意された洋服は、結構な枚数。
広げてみると、上下の下着・靴下・チノパン・襟付きシャツ・ベスト、そして、一組のハイキングシューズだった。

「本人が気に入っていたものなんです」
故人の趣味は、ハイキング。
それに出かける際、愛用していた服だった。

「元気だった頃は、毎週のように出掛けてたんですよ」
ハイキングには、故人と女性は、各地の山や沢によく出掛けていたとのこと。
女性は、その思い出を嬉しそうに話した。

「着せられますか?」
遺体については素人の女性でも、生体と死体が違うものであることは分かっているよう。
キチンと着せ替えができるものかどうか、少し心配なようだった。


正確なデータを収集したわけではないが、我々のような専門の遺体処置業者(納棺業者)の手によって処置が施され納棺される遺体は、全体の20%程度だと思う。
では、それ以外の80%は誰が納棺しているのか?というと、そのほとんどは葬儀社や遺族の手によってなされていると思う。
専門業者が担った場合と、そうでない場合の一番の違いは、故人の外見。
手前味噌ながら、やはり専門業者の手をかけた方が、故人の見栄えはいい。
本人(故人)の心情は諮りかねるけど、遺族にとって、故人の見栄えは気になるところなので、そこに我々の必要性がでてくるのである。

遺体の着衣として最も多く用いられるのが経帷子。いわゆる、“死装束”とか“白装束”などと言われているもの。
そう・・・これまた感覚的な数値だけど、これを着る遺体は、上記20%のうちの90%台に達していると思う。
その大きな理由は、以下の三点だろう。

「宗教的背景」
“死人の正装”“極楽浄土への旅に必要な装束”という思想がある。
「業者の都合」
経帷子も葬祭商品の一つ。それを販売することによって、売上利益があがる。
「作業上の都合」
経帷子は、遺体に着せやすくするための工夫が施されている。そのため、寝たきりで硬直した遺体に着せやすい。

その結果として、上記のような%になっていると考える。
しかし、中には、本件の女性のように、違うものを着せることを希望する遺族もいる。
故人が遺言していたもの、遺族が着せたいと思うもの、生前の愛用品etc・・・
その場合は、やはり、遺族や故人の意思が最優先。
売上が上がらなかろうが手間がかかろうが、遺族(故人)の意思が尊重される。

そうは言っても、やはり洋服を着せるのには、一手間も二手間もかかる。
特に、浮腫みや腐敗によって身体のサイズが変わったり、重度の死後硬直があったりすると大変。
遺体やその手足を無理矢理にでも動かさなければならず、遺族に見せにくい場面もでてしまう。
結果、遺族の立会いをなくしての作業をせざるを得ないこともある。
それでも、遺族は、その仕事を非常に喜んでくれる。
それが、代金額では計れない仕事の価値。
世間の評価は低くても、遺族の評価が高ければそれでよし。
その開き直りと蓄積が大切なのだろうと思っている。


「随分、浮腫んじゃったわね・・・」
故人の足は、浮腫んで膨らんだうえに血色を失い・・・
女性は、故人の労をねぎらうかのように、その足を優しく摩った。

「靴は、無理そうね・・・」
故人の足は、生前のサイズをオーバー。
服は何とか着せたものの、靴は、とても履かせることができなかった。

「もう歩く必要ないから、靴は要らないか・・・」
“もう歩く必要ない・・・”
この言葉は、単に死を象徴するだけにとどまらず、私には、人生というものが何たるかを表しているように聞こえた。

「“人生は長い”と思っていたけど、過ぎてみると短いものね・・・」
平均寿命を基準にすると、故人の生涯は、決して短いものではなかった。
しかし、女性は、そう呟いて、悲しい場面にあって“笑み”ともとれる表情をみせた。


“過ぎてみると、人生は短い”“まるで夢のよう”
この類の言葉は、老年の人からよく聞かれる。
もちろん、若年者でも、このような心情を持つことはあるだろう。
しかし、心底、それを痛感する(悟る)のは、死期を悟ったときや死期を感じたときなのだろうと思う。
そして、苦悩や後悔は薄らぎ、懐かしさと愛おしさばかりが頭を過ぎるのだろうと思う。

しかし、今、人生は長く感じられてしまう。苦悩の時は特に。
“儚い夢”と簡単に片付けられない。
これは、時の価値を、心(本性)で捉えず、頭(理屈)でしか捉えていない証拠。
だから、いつまでたっても余計な思い煩いが、自分から抜けない。
これだけのチャンスが与えられているのに、生と死の先輩が教えてくれることが、自分に定着しない。

だから、私の足取りは重い。
私は、自分の、この人生を後悔している。先に不安も抱えている。
“もっといい人生があったのではないか”“もっと楽な人生があるのではないか”と、自業自得を棚に上げ、ぼやいてばかりいる。
しかし、幸いなことに、それがすべてではない。
私は、この人生(夢と奇跡)に感謝もしている。
時に、感動もある。小さいけど、プライドもある。
これらを、これからどのように育んでいくか・・・それが、これから期待されること。

この夢が醒めようとするとき、この夢から醒めるとき、私は何を想うだろう。
色んなこと、色んな想いが頭を過ぎるだろう。
ただ、その時は、苦笑いでもいいから、笑顔を浮かべたい。
そして、そうなるような生き方をしたい。
だからこそ、季節の桜に心躍らせ、葉桜にいい夢を見るように、この夢中旅行を少しでも楽しんでいきたいと思っている。







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比常識

2010-03-19 15:50:46 | Weblog
「ゴミを溜めちゃいまして・・・」
男性の声で、そんな電話が入った。
依頼の内容は、“そのゴミの片付けてほしい”というもの。
私は、この種の依頼でいつも訊ねることを、機械のように質問した。

「そちらで、やれます?」
電話の声は若い感じで、臆した様子はなし。
話しぶりも、ハキハキと軽快。
このような案件では、気マズそうにする人が少なくないのだが、この男性は、まるで他人事のように明るかった。

「親に、怒られちゃいまして・・・」
両親は、男性の常識のなさを嘆いて、酷く叱ったよう。
一方の男性は、一言も反論できないまま降伏。
渋々ながら、片付けざるを得なくなったのだった。

「うちが普通だとは思ってませんけど、誰にも迷惑かけてないはずです・・・」
近隣住民からの苦情がないか訊ねると、男性はそう返事。
誰にも迷惑をかけていないのに、“非常識!”と非難される・・・
落ちた声のトーンに、男性の気落ちがうかがえた。

現場は、男性の自宅。自己所有の一戸建。
実家近くに空いた親戚の家を、安く買い取ったものだった。
ゴミは、数年暮す間に溜まったもの。
食品ゴミ・飲料容器をはじめ、新聞雑誌・衣類まで、生活で使用するありとあらゆるモノが堆積しているようだった。

事前情報として一通りの話を聞いた私だったが、電話での聴聞だけでは見積はできない。
具体的な作業内容や費用を決めるには現地を直接調査することが必要である旨を伝え、その約束を交わしてから電話を終えた。


出向いたところは、街を離れた郊外。
区画整理された区域ではなく、田園風景の中、それぞれの家はポツリポツリと不規則に点在しているような地域。
その中の一軒に、男性の家はあった。

外観は、普通の一軒家。
築年数に相応した汚れや古びた感じはあれど、特段の汚損はなし。
ただ、昼間なのに全ての雨戸が閉められ、どことなく異様な雰囲気を醸し出していた。

私は、番地標識と掲げてある表札によって、そこが男性宅であることを念入りに確認。
それから、玄関脇のインターフォンを押した。
すると、男性は、間髪入れず玄関を開けてくれた。

「こんにちは・・・」
まずは、男性に挨拶。
男性も、愛想よく挨拶を返してくれた。
ただ、私と視線を合わせようとはせず、そこのところに、男性が抱える陰が見えたような気がした。

「早速ですが、中を見せていただけますか?」
挨拶を済ませた私は、男性の足元を確認。
靴を脱いで上がるべきか、履いたまま上がるべきか、判断する材料を拾った。

「失礼しま~す」
私は、男性が裸足であることを確認。
ともなって、ちょっとした抵抗感を覚えながらも靴を脱ぎ、中に上がり込んだ。

「なるほどぉ・・・」
中は、玄関からゴミだらけ。
床は一部たりとも見えておらず、ゴミ野は家の中に向かって広がっていた。

「なるほどぉ・・・」
“なるほど・・・”は、私の口癖。
黙ったままだと失礼だし、かと言って、コメントするにも困ってしまうような現場で重宝するつなぎ言葉なのだ。
私は、その言葉を何度も使いながら、歩を進めた。

「でも、それほどでもありませんね・・・」
ゴミは、そんなに高くは積もっておらず。
現場によっては、身を屈めないと中に入れないくらいにゴミが溜まっている部屋もあるので、私は、そう言って男性をフォローした。


もともと、男性は、実家で両親と同居。
子供の頃から20代まで、そうして生活していた。
しかし、30代になると、心境が変化。
将来設計を考えるようになり、実家からの独立願望が芽生えてきた。
そんな中で、実家近くにある親戚の家が空家に。
“絶好のタイミング”と、その家を買い取り、念願の一人暮らしを始めたのだった。

しかし、描いていた一人暮らしと現実の一人暮らしは違っていた。
掃除・洗濯・食事の用意・片付け・日用品の買い物etc・・・生活する上での雑用はすべて自分一人でやらなければならず・・・
最初のうちは頑張ってやっていたが、そのうち、面倒になり・・・
結果、掃除・洗濯・片付けの類を一切やらないことが、男性の生活スタイルになってしまった。

弁当容器・空缶・ペットボトル等は、用が済んだら部屋に放置。
そうして、食事のたびに、ゴミは増えていき・・・
衣類も繰り返し着て後、汚れて着られなくなったら部屋に放置。
そうして、新しい衣類を買ってくるたびに、古いものはゴミとなり・・・
新聞・雑誌も、読み終わるとそのまま部屋に放置。
そうして、新聞紙は、ゴミとして、毎日確実に増えていき・・・
結果、“悠々自適”なものと思っていた一人暮らしは、“憂々自敵”の状態に。
床は次第に姿を消し、ゴミは厚さを増していったのであった。

現地調査から数日後、家の中はきれいに片付いた。
ゴミらしきゴミは全て撤去搬出され、所々にわずかな汚染痕が残るだけとなった。
しかし、男性はどことなく浮かない感じ。
ゴミが片付いてスッキリした反面、触られたくなかった内面まで否定され、ゴミと一緒に片付けられてしまったように感じたのかもしれなかった。


男性の生活ぶりは、“非常識”なものだったかもしれない。
多分、多くの人はそう感じるだろう。
この私も、無意識のうちに男性のことをそう見ていたように思う。
しかし、男性は、ゴミを溜めたことによって誰かを不幸にしたわけではなかった。
借家でもなく、異臭を漏らし、また、外にまでゴミを放置して地域の景観を損ねているわけでもなかった。
なのに、男性のような人は、“非常識”のレッテルを貼られてしまう。
世間一般が常識とするところから外れているだけ、もしくは、世間一般の価値観に合わないだけで。

人々を縛る“常識”とは、一体、何だろう・・・

長年の習慣が、常識になることがある。
人の良識が、常識になることがある。
多くの意見が、常識になることがある。

昔の常識が、今では非常識であることがある。
ある地域の常識が、違う地域では非常識であることがある。
ある人にとっての常識が、別の人には非常識であることがある。

物事を判断するうえで、常識は必要。
人を律するうえで、常識は必要。
社会をまとめるうえで、常識は必要。

しかし、常識を構成する人間は、小さい・・・
そして、常識は、社会的・歴史的な権威があっても、悠久の時のうえでは一時的・・・
極めて脆いものなのである。


今でこそ、少しは世に認知されるようになってきた私の仕事。
私が就業した十数年前は、業者数も少なかった。
特に、特殊清掃業者においては、つい2~3年前までは数えるほどしかなく、それに従事する人間も極めて少なかった。
だから、私の仕事は、世に珍しい職業とされていた(まだ、されている?)。
そのため、他人から奇異に思われたり、更には、他人に嫌悪感を抱かれたりすることが少なくなかった(ない)。
何人かの会食の席で、「その手(死体を触った手)で、自分が食べる物を触ってほしくない」とまで言われたこともある。冗談じゃなく、ホントに。
そんな具合に、非常識な人間のように扱われたこともあり、気落ちすることもあった(ある)。
しかし、いわれなく人に“非常識”のレッテルを貼り、蔑視し嫌悪感を抱くのは、他人ばかりではない
本件の男性に対して抱いた感情を思い出してみると、自分も同様であることに気づかされる。

人間(私)という生き物は、自分を標準とした常識をもって他人を測る傾向を持つ。
それなのに、自分が他人から同様のことをされると、著しい抵抗感を覚える。
・・・そんな自己矛盾を内包しているのである。
それでも、私は、自分のことを、人格や教養に欠けるところはあっても、常識には欠けていない“常識人”だと思ってしまっている。
それが、愚を通り越して滑稽なのか、滑稽を通り越して愚なのか分からないけど、何やら良からぬことであることには間違いがなさそうだ。


何はともあれ、こんな能書きをたれてても何も変わらない。
まずは、自分の常識を疑うこと・・・自分を常識ある人間だと思わないこと。
それが、真の常識人になるための第一歩なのだろうと思う。






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春近し

2010-03-09 15:07:11 | Weblog
一年に数万キロは走る私。
もちろん、“あっしの足”でではなく会社の車で。
そんな私は、「車に乗らない日は0」と言ってもいいくらい、車に乗っている。
そうしないと仕事にならないわけで、車や道具類は、仕事に欠かせない相棒なのである。
しかし、熟練スタッフ(←私のこと)でも、社有車を100%の占有できるわけではない。
特殊車両やトラックまで入れれば一台/1.5人くらいはあるけど、普通車両に限っては一台/2.5人くらいしかないから。
だから、時と場合によっては、自分が使う車がなくなっても他の人間に譲らなければならないこともあるのだ。

晩冬のある日。
その日の事情もそう。
すべての社用車は実作業が伴う現場にもって行かれ、現地調査だけを予定していた私が現場に行く術は、公共交通機関のみとなっていた。

地図で調べてみると、現場のアパートは駅から離れたところに所在。
しかも、そこは迷路のように道が入り組んだ旧市街。
“方向音痴+面倒臭がり”の私にとって、“電車+バス+徒歩”で現場に行くことは、極めて気の進まないことだった。

私は、現地調査の約束を確認するため、前日の夕方、依頼者の男性に電話。
そして、いつもは車を使うところ、翌日(当日)は公共交通機関を使って現場に向かうことを伝えた。
すると、男性は、私が男性宅の最寄駅まで行けば、そこからは、自分の車に私を乗せて現場まで連れていってくれるという。
どのみち、男性は、現場には自家用車で行くとのこと。
依頼者を“足”にすることに気が引けなくもなかったが、怠け心には勝てず。
結局、「遠慮しなくていい」という男性の言葉に甘えて便乗さえてもらうことにした。

翌日(現地調査の日)。
その日は、朝からあいにくの雨。
雪に変わるかと思われるくらいの冷たい雨が降っていた。 
私は、約束の時間に遅れないよう、早めに事務所を出発。
そして、男性宅の最寄駅に向かうべく、電車に乗りこんだ。

目的駅に着いた私は、案内標示と回りの景色から、自分がいる出口に間違いがないことを確認。
そして、男性宅に“お迎えOK”の電話を入れた。
それは、タクシーを呼ぶみたいなもの。
姿の見えない男性に対し、会話の中で私の頭は何度も下がった。
電話を切って後、私は、男性の車をすぐに見つけられるよう、死角のない場所に移動。
それから、教わった車種と色の車を探しながら数分を過ごした。

車の到着は、意外と早かった。
私は、運転席から笑顔で手を振る男性にペコペコと頭を下げながら助手席に乗り込んだ。
運転席でハンドルを握っていたのは、初老白髪の男性。
電話での会話で抱いていた通り、柔和で腰の低そうな人物で、足労をねぎらってくれたうえ、寒そうにしている私を見て暖房のレベルを上げてくれた。
一方の私は、恐縮しきり。
座り心地はいいはずの座席に座り心地の悪さを覚えながら、視線を外の景色に泳がせた。

男性と私は、電話では何度か話したことはあっても、顔を合わせるのは初。
しかも、歳も違えば、お互いの素性もロクに知らず。
タクシーなら後部座席に乗って黙っていればいいのだが、この場合、そういう訳にいくはずはなく・・・
狭い車中に、独特の気マズさが漂うのは覚悟していたが・・・
しかし、人生の先輩である男性の懐は深かった。
男性は、わざとらしさを感じさせない話術と重くない話題で会話をつなげてくれ、下手な返事しかできない私を相手にしながらも、場を保たせてくれた。

到着した現場は、一般的な1Rアパート。
アパートの前に車を止めた男性は、私に部屋の鍵を差し出した。
男性は、「色々と思い出してしまうので部屋には入りたくない」とのこと。
他人の私を一人で部屋に行かせることに葛藤がないわけではないようだったが、それでも、部屋には行けない様子。
そんな男性が、その内面に余程の心痛を抱えていることを察した私は、愛想よく返事をして車を降りた。

部屋は、お世辞にも「きれい」とは言えない状態。
しかしながら、中年男性の独居部屋としては並の状態。
依頼の内容は、家財生活用品の処分と簡単なルームクリーニング。
さして凝った調査はいらない。
私は、その作業を見積もるために必要な情報を、一目で収集。
荷物の種類と量、そして部屋の汚れ具合を大まかにメモに落とし、現場見分を終えた。

現場での用事を終えた私は、会社への帰途につくことに。
男性も、寄り道せず帰宅する様子。
拾ってもらった駅まで送ってもらうことに抵抗は少なかったが、男性は、その駅ではなく、私の帰りやすい路線の駅まで送ってくれるという。
そこまではかなり遠く、さすがに申し訳なく思った私は、それを固辞しようとしたが、人の親切心は簡単に遮断できるものではなく、また、そこに何か違う意図も感じたので、結局、男性の好意に再び甘えることに。
来たときと同じように、私は、ペコペコと頭を下げながら助手席に乗り込んだ。


亡くなったのは40代の男性。男性の息子。
死因は、薬物を過剰摂取したことによる中毒死。
それは、解剖検査によって明らかになった死因だった。

故人は、30代の頃、頚椎ヘルニアを罹患。
医師からは手術による治療を提案されたこともあったが、それは一つの賭け。
完治する保証はなく、逆に、身体が不自由になるリスクがあった。
故人も両親も悩んだが、結局、手術を受ける決断ができないまま、故人は歳を重ねていった。

主な症状は、首から背中にかけての痛み。
更に、頭痛。
酷いときは、身の置き場を失うくらいに痛むこともあった。
それでも、故人は、鎮痛剤を飲みながら仕事を続けた。
しかし、奮闘の甲斐なく、薬は痛みに負けるように。
そして、それは、仕事にも悪影響を及ぼすようになってきた。
結果、故人は、長年勤めていた会社を、自己都合退職という名のもとに解雇されてしまった。

故人は、無職になったのを機に、鬱病を発症。
そして、紆余曲折の末、妻とも離婚。
それから、持て余すことが明白な家を手放し、実家(男性夫妻宅)近くにアパートを借りて一人暮らしを開始。
心機一転をはかったものの、ヘルニアも欝も目に見えた治癒を得られないまま、数年の時が過ぎていった。

そんなある日の夜、故人は119番通報。
「苦しい!」「助けて!」と、救急車を呼んだ。
しかし、救急隊が駆けつけたときは意識不明で虫の息。
担ぎ込まれた病院で、そのまま帰らぬ人となってしまった。

依頼者は、故人の父親で70代の男性。
減っていくばかりの貯金と企業戦士の恩給である年金を支えに、ささやかながらも、悠々自適な老後生活を送っていた。
しかし、息子(故人)が仕事を失ったことをきっかけに、生活は一変。
男性夫妻の生活は、息子の生活を支えるためだけにあるようなものになってしまった。

「“何度もうちに来い(同居しよう)”って言ったんですけど、息子の方が嫌がりまして・・・」
「一人息子でしたから、甘やかして弱い人間に育ててしまったのかもしれません・・・」
男性の言葉は、“後悔”ではなく”諦め”のニュアンス。
そこに、やり直しのきかない人生に対する人の限界が見えたような気がした。

「痛みを我慢して頑張ってたのに・・・」
「会社なんて、冷たいものですね・・・」
男性の語気には、信頼する誰かに裏切られたかのような悲壮感があった。
そして、冷たいのは会社だけではなく社会もそうであることは、私が言うまでもなかった。

「身体を調べたら、一つの薬の成分が大量にでてきたそうなんです」
「どうなるか自分でもわかって飲んだんじゃないでしょうかね・・・」
男性は、故人が自死を図ったものと思っているようだった。
しかし、それを選んだ故人を非難する気持ちは微塵もなさそうだった。

「私達夫婦も老い先短いですから、息子の方が先に逝ってくれてよかったのかもしれません・・・」
「私達の方が先に逝って、息子一人が残っても困りますでしょ?」
男性の口からは、切ない言葉が・・・
しかし、それは、私ごときが否定できるほど軽い話ではなかった。

「首の痛みからも、生活苦からも解放されて、本人は楽になれたと思います」
「そう思うしかないでしょ!!」
穏やかに話していた男性は、最後に語気を荒げた。
その心情が痛いほどに伝わってきた私は、男性の顔を見ることはおろか、返事をすることさえできなかった。

「暖かくなれば、また、気分も変わってくるでしょう・・・」
「春も近いですからね・・・」
車を降りるとき、男性は最初に会ったときと同じ笑顔を浮かべていた。
そして、同じように手を振り見送ってくれた。


白い息の向こうに見上げる空は灰色。
そして、地上には冷たい雨。
駅のホームに佇む人々は皆、辛そうな顔をして肩をすくめていた。
しかし、そんな冬にあっても、人々は信じて疑わない。春が来ることを。
大切なのは、その疑わない心を、信じる心を、携えること・・・
それを、自分の生きる道に携えて行くことではないだろうか。

私は、男性(依頼者)に来るべき春と、故人(息子)が過ごした春に想いを馳せながら、そんなことを考えた。
そして、冷たくなりがちな明日を温めるのであった。






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足跡

2010-03-01 11:41:30 | Weblog
「一月は行く」「二月は逃げる」「三月は去る」
これは、時の移ろいのはやさを表す言葉。
ただ、実際は、どんな場合でも、そのスピードを変えることはない。
同時に、誰に対しても平等。
“時”は、時に優しく、時に厳しい。時に温かく、時に冷たい。不思議なものである。

私の場合、一月はやたらと長く感じた。
ダラダラと過ごしてしまったからだろうか、二月に入って“やっと一月も終わったか”と思ったくらい。
その二月も早々と過ぎ、もう三月。
晴れても曇っても確実に時は過ぎ、泣いても笑っても確実に歳は重なる。

先月、首都圏は二度、大きな雪が降った。
初雪だったのかどうかはわからないけど、二月一日は今季初の積雪があった。
その日は、朝から曇り空。
そして、午後からは冷たい雨が降り出した。
夜のなると、その雨は雪に。
私は、夜更けとともに強さを増す雪に翌日の足元を心配。
“降るのはいいけど、あまり積もらないでほしいなぁ・・・”と、深々と降り続く雪を窓越しにしばらく眺め、そして、冷えた身体を冷たい布団にもぐり込ませた。

明くる二日の朝、外は薄っすらと雪景色。
雪は未明にやんだようで、道路に見えるアスファルトに一安心
私は、素手に雪を取り、顔のないミニ雪だるまをつくった。
そして、一時的に甦った童心が、憂鬱に足を重くする私の背中を押してくれ、私は雪に軽快な足跡をつけながら会社へ向かったのであった。


“あまり積もらないでほしい”
この感覚は、いつからのものだろう。
“たくさん積もってほしい”
子供の頃の私は、そう思っていたはずなのに。

大人が見向きもしないようなことに、子供は、はしゃぐ。
大人が感じ得ないことを、子供は感じる。
大人が気づかないことに気づく感性を持ちながら、大人が知るべきでなかったことには興味を持たない。
世を渡るための技術や知識は大人ほど持たないけど、今を謳歌する知恵は大人より持っている。

決定的に違うのは、笑顔の大きさとその数。
無感情・無表情の大人に対して、子供は、感情も表情も豊か。
腕力は弱くとも、財布の中身は乏しくとも、大人より豊かな何かを持っているのだと思う。
そして、こん自分も、かつてはそうだったはず。
そんな時分が、確かにあったはずなのである。


特掃の依頼が入った。
依頼者は、中年の女性。
亡くなったのは、女性の父親。
故人は、一人暮らしのアパートで自分の腹を刺したのだった。

女性は、現場から遠く離れたところに居住。
それまで一度も現場には行っておらず、遺体を荼毘に付すまでの一切は、現場近くに住む親戚に任せていた。
また、“今後も現場に行く予定はない”とのこと。
それは、故人の縁者として無責任な行動のようにも思われたが、その暗く力ない語り口からは、“行かない”のではなく“行けない”のであることがヒシヒシと伝わってきた。
そして、そんなやりとりの結果、私は、不動産会社から鍵を借りて単独で部屋を見分することに。
女性に、部屋への立ち入りを無条件に了承してもらい、現地調査予定の日時を決めた。

現地調査の日。
着いたところは、あちこちの旧市街にありそうな古い木造アパート。
そこの、陽の当たらなそうな一階に、目的の玄関はあった。
私は、手袋をはめた手でドアをノック。
返事がないことを確認して後、鍵を鍵穴に挿入した。

玄関ドアを開けると、その先は薄暗い台所。
その床は、全体的に黒色。
一歩入って蛍光灯をつけると、その黒ズミはわずかに赤味を帯び・・・
それは単なる生活汚れではなく血・・・
それが、独特の異臭をともなって床一面に広がっていた。

よく見ると、血痕は、濃淡のある鱗模様。
更によく見ると、“鱗”一つ一つは足のかたち。
その黒赤は、自然に広がったものではなく、作為的に広げられたものであることは明らか・・・
故人は、流れ出る血を部屋中に染み付けながら徘徊したようであった。

自分で自分の腹を刺し、血を流しながら部屋を歩き回る・・・
その様を思い浮かべると、とても正気の沙汰には思えず・・・
故人は、何かを訴えようとしていたのか・・・
何かを残そうとしていたのか・・・
思慮の足りない私には、到底、その足跡を読むことはできず、ただ正気を失った故人を想像することしかできず・・・
私は、溜息も吐けないほどの息苦しさに顔を歪ませて立ち尽くすのみだった。

血痕は、あまりに広範囲。
木部には、しっかり浸透。
しかも、故人の生死がリアルに感じられる足跡。
そんな部屋の清掃作業が、困難を極めたことは言うまでもない。
また、その精神労働が、重いものなったことも言うまでもない。
それでも、できる限りのことはやらなければならない。
私は、力の入らない身体を引きずって作業に従事。
一つ一つの血足跡を消しながら、そこに至った故人の人生と、その場に至った自分の人生に想いを廻らせた。

血の足跡を残して逝った故人に対し、その足跡を消す役回りとなった自分。
その出逢いの妙と接点もまた、私の人生に残る足跡。
故人が意図したことではないにしろ、命がけで教えてくれることが私の人生に足跡となって残る。
そして、その足跡に自分自身の足跡を重ねて、次に踏み出すべき一歩を定めていくのである。


「汗にまみれ・泥にまみれながら歩く人生に、何の価値がある?」
「涙を流し・血を流しながら這いずる人生に、何の意味がある?」
「冷たい雪の上を歩くような人生に、何故、耐えなければならない?」
人が、また自分が、私に問う。
非力の私には重すぎる、薄識の私には難しすぎる問いだ。

「幸せになることは権利かもしれないけど、生きることは権利ではない」
「生きることは義務であり、人には生きる責任がある」
「価値があるから生きて(生かされて)いる」
「意味があるから生きて(生かされて)いる」
死体業を何年やっていたって、何年考えたって、この程度のことしか言えない。
だから、結局、“個人的な思想哲学・死生観・宗教観”と片付けられてしまうのだろう。
平々凡々と歩いているつもりはないのだが、所詮は、平々凡々と歩いているのか・・・
苦悩する人、また自分を支えられるほどの答が得られていないことに、悔しさを越えた虚しさがある。

ただ、時は過ぎる。
喜びにも悲しみにも、そのはやさを変えることなく・・・
だから、生き急ぐことはない。答を急ぐ必要もない。
たまには立ち止まって、自分が歩いてきた道程を振り返ってみるといい。
とりわけ、子供の頃のことを思い出してみるといい。
すると、冷たい雪の上にも温かい足跡をつけていた自分が甦ってくる。
そして、過去の自分が今の自分に笑顔をくれる・・・今の自分を元気づけてくれる。

そこから、生きるための答は導けないかもしれない。
しかし、生きることのヒントは導くことができると思う。
そして、そんなヒントを拾いながらの歩みは、明日の誰かに・未来の自分に笑顔をもたらす足跡となるのだろうと思っている。





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