特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

嫌われ者

2017-05-12 08:36:46 | 動物死骸特殊清掃
自分の能を棚に上げて人を羨み、自分の格を棚に上げて自分を蔑みながら、人がやりたがらないことをやって、それでお金をもらって生きている私。
これもまた誰もやりたがらないことだけど、動物死骸の始末も仕事の一つ。
ただ、現場は、あくまで私有地や私有建物内。
誰しも、公共の道路に転がる犬猫等の轢死骸を見たことがあると思うけど、そういうのは範疇外。
役所と混同して無料処理を依頼してくる人も少なくないけど、さすがに無料ではできない。
「無料ではやれません」と断ると、「悪い業者」「冷たいヤツ」みたいな雰囲気で憮然とされて電話は終わるのだが、何か悪いことをしたみたいで後味が悪い。
そして、精神が弱っているときには、こんな些細なことがいつまでも心に引っかかったりして、自己嫌悪に陥ってしまうこともある。

対象物として圧倒的に多いのは猫。
少し前も、とある会社の工場で、機械に入りこんだ猫を取り出した。
充分に腐敗し、ウジも大量発生。
とっくになくなった眼球跡に掬うウジを見たら、可哀想やら気味悪いやら。
しかも、硬直した脚が機械に挟み込まれて なかなか抜けず。
しかし、骨を折るのは躊躇われるし、足を切断するのは心情的に不可能。
直視すると気持ち悪さが倍増するので、視線は他に向け、手探りで猫を掴み、頭の半分では猫の形状と動きを想像しながら、もう半分では“晩酌の肴は何にしようかな”なんて 全然違うことを考えて気を紛らわしながら、何とか猫を引っぱり出した。

しかし、こんなのまだ軽い方で、中には、ここで書くのは躊躇われるくらい悲惨・凄惨な現場もある。
昔、猫の共食い現場のエピソードを書いたことがあると思うけど、残念ながら、たまに そのレベル、またそれ以上の現場も発生する。
特に、死骸の数が多い現場は凄惨を極める。
ペットは、人間と違って自殺したりはしない。
また、余程の条件が揃わないかぎり、孤独死することもない。
大方の死因は、飼育放棄や虐待等、人間のエゴや身勝手な振る舞いによるもの。
人間の悪意によって命を落とした数々の腐乱死骸・・・
そんな目に遭った動物達があまりに哀れで 怒りの涙が滲むことがあり、また、その始末をしなければならない自分があまりに惨めで 戸惑いの涙が滲むこともある。



「マンションの屋上に鳥の死骸があるので片付けてほしい」
不動産管理会社から、そんな依頼が入った。
「気持ちが悪いので近づいて確認はしていないが、犬猫ではなく鳥であることは遠目にもわかる」
とのこと。
犬猫と違って、鳥の死骸現場はライト級であることがほとんど。
しかも、天井裏とか床下とかではなく、立ち歩ける場所なので作業はしやすい。
というわけで、私は、結構 気楽にその話を請けた。

鳥死骸があるのは、マンション屋上から更に上の給水タンク設備の上。
そこに行くには、屋上からハシゴを昇らなければならなかった。
屋上を囲っているのは細い鉄柵のみで、生暖かい風がビュービュー。
とにかく、子供の頃から高い所が苦手な私。
屋上にいるだけでも尿意が刺激されたのに、更にその上に行かなければならず、気楽に出向いたはずなのに、結局、なかなかの緊張を強いられるハメになってしまった。

私は、何度もハシゴを昇降するのはイヤだったので、必要になりそうな道具一式を袋にまとめ、それを背負い、及び腰で給水タンクのハシゴを昇った。
そうして到着した給水タンク設備の上は、平面で障害物もなく二足歩行が可能。
また、たいして広くもなく、死骸は探す間もなく発見できた。
しかし、その形が どうもおかしい。
私は怪訝に思いながら、ゆっくり死骸に近づいていった。

「アララ・・・そういうことか・・・」
大きさと色から判断すると、それは鳩とかではなくカラス。
が、頭や足はなく、肩方の翼と肉が半分なくなった胴体と内臓少々。
何がどうなってこういうことになったのか・・・気の毒というか、とても悲惨な状態になっていた。

「気持ち悪・・・さっさと片付けて、とっとと帰ろ!」
高所恐怖症に死骸の気持ち悪さが加わった私は、作業に取り掛かるべく死骸の傍にしゃがみ込んだ。
そして、片手にビニール袋を持ち、もう片方の手で翼の先を摘まもうと手を伸ばした。

「痛ッ!!」
そこは屋上、横にも上にも何もないはずの場所で、突然、私の頭に何かがぶつかった。
慌てて視線を上げて辺りを見回すと、周囲を囲む柵に二羽のカラスがおり、私の方をジッと見ていた。

「なんか恐いな・・・」
“高所”というアウェーで、しかも、私一人対して敵は二羽。
私の中には、それまで味わったことがない妙な恐怖感が沸いてきた。

「仲間を守ろうとしているのか?」
まず、私はそう思った・・・そう思いたかった。
しかし、どこからどう見ても、死骸の状態はそれを否定するものだった。

「ひょっとして、これ(死骸)はコイツらの餌?・・・餌を取られまいとしているのか?」
そう思うと、風は冷たくなかったのに寒気がしてきた。
そして、冷静に考えればただのカラスなのに、二羽が私の動きを封じるため 悪魔的な威圧感を醸し出しているように思えてきた。

「・・・ということは共食い?」
“共喰い”って独特の地獄感がある。
仲間を守ろうとしたのか、餌を奪われまいとしたのか、真のところは定かではなかったけど、状況から判断すると可能性が高いのは後者の方で、私の背筋には悪寒が走った。

「くわばら くわばら・・・」
こんな所に長居は無用。
私は、騒ぎだしたカラスを威嚇しながら、そそくさと死骸を掴んでビニール袋に突っ込み、そして、飛び降りるようにハシゴを降りていった。


通り行く車を避けながら、道端で死んでいる犬猫の死骸を喰うカラスを見かけることがある。
内臓を引きずり出し、肉を啄(つい)ばみ、生をつないでいる。
生きるために必死でやっているのだろうに、その姿は、とても浅ましいものに見える。
そして、ただのエゴと偏見でしかないのがわかっていても、 “生きようとするたくましさ”ではなく“生きることの寒々しさ”を覚える。
また、燕や雀など、可愛らしく思える鳥が多い中で、カラスにはそれがない。
全身 真っ黒の喪服色は死や悪魔を連想させ、また、その乱暴な雑食性が 悪い印象を抱かせるのだろう。
夕暮れ時など、たくさんのカラスが集まって空中を旋廻している様が、何か不吉なことが起こるような不安感を覚えさせることもある。
あと、悪意はないとはいえ、ゴミ置場を荒らされて迷惑を被ることも多い。
だから、嫌われ者になってしまうのだろう。

しかし、よくよく考えてみると、自分と重なるところがなくはない。
残念ながら、私は人に好かれるタイプの人間ではないうえ、人に嫌われる仕事をしている。
それなりに人に対する礼儀やマナーは重んじるほうだけど、それ以前に、面白味のない人間である。
バイタリティーとかユニークに欠け、眉間にシワをよせ仏頂面で過ごしていることが多い。
しかも、性格は神経質で内向的、そのうえ、笑顔も少なく暗い(こういうことを書くこと自体 性格が暗い証拠)。
ネガティブ思考が常で自虐好き。
何かと細かく、その上、結構、わがままだったりする。
したがって、人から好かれにくいのではないかと思うし、自分でも嫌っている。
もちろん、“誰からも嫌われてしまう”なんてことはないと思うけど、関わっても楽しくないなんてことは多いにあると思う。
だからと言って、極端に寂しい思いをしたり孤独感に苛まれたりすることはない。
もともと、人づき合いが苦手で、一人きりの空間や時間を好むほうだから、いつまで経っても変われないのだろう。

それでいて、気が弱いから孤高にはなれない。
人の目をかなり気にしてしまう。
しかも、年の功によって、少しずつでも それが解消しているのではなく、それどころか、歳とともに増している。
自分の仕事について外で多くを語ることはなくなり・・・語りたくもなくなっている。
今とは逆に20代の頃は自分の仕事を自慢していたくらい。
気持ち悪がられようが、奇異の目で見られようが、そんなの気にならなかった。
(極端に見下されたり敬遠されたりすると、落ち込むようなことはあったけど。)
それどころか、「フツーの人間にはできない仕事をやってるんだ!」とばかり、内心で得意になっていた。
それが、今は、この始末。

“非社会的”とはいえ反社会的なことをしているわけでもないし、誰かに迷惑をかけているわけでもないのだけど、いい印象は持たれないのがこの職業。
カラス同様、生きるために必死でやっているだけなのに、
「ヤクザな感じの人が来るのかと思った」
「ぼったくられたり、強引に契約させられたりするかもと不安だった」
等と、依頼者や関係者に言われることも少なくない。
また、言葉だけではなく、実際に人からそのような扱いを受けることもあるし、明らかに気持ち悪がられることもあるし、それで、悔しい思いをしたり 惨めな思いをしたりすることもある。

だったら、人に心象や人の評価なんか気にしなければいい。
気にしなければ楽なもの。
しかし、なかなかそういかない。
どうしても人の目は気になり、ときに虚勢を張り、ときに格好をつける。
なりきれないのに八方美人になろうとする。
必要以上に好かれようとするから、大きなストレスがかかる。
必要以上に善い人に見られようとするから、大きなストレスがかかる。
だから、疲れるし、自分に嫌気がさしてくる。

私も、ただの愚人。
欠点や弱点、直したいところや変えたいところはたくさんある。
嫌いな点はたくさんあるけど、それでも、基本的に、私は自分が好き(大切)。
だって、私は自分、私の命を持っているのは自分、私の人生を生きているのは自分なんだから。
ただ、人の目や世間体を気にし過ぎて、人に好かれようとし過ぎて、いつの間にか、好きになれない自分になっていることがある。
自分の中で、世渡り上手の嫌いな自分が大きな顔をしていることがある。

そうは言っても、この世知辛い世の中を うまく渡っていくためには、自分を殺した社会性と自分を殺す術が必要なことも事実。
だからこそ、たまにでも、短い一時でも、自分と正直に向き合ってみることが必要なのかもしれない。
駄欲を捨て、見栄を捨て、怠惰を捨て、想いを“どう生きていきたいか”の一点に絞って、誰もいないところで 一対一で自分と向き合うことが大切なのかもしれない。

だからと言って、それで自分の境遇や周りの環境が激変することはない。
自分が大きく成長したり変化したりすることもない。
ただ、一時的に、自分とってマシな自分が現れるだけかもしれない。
自分の中にいる嫌われ者が、ちょっとだけ自分の中に居づらくなるだけかもしれない。
しかし、自分を“自分を大切にする”という本道に戻すきっかけにはなる。
同時に、“自分を大切にするって、自分を楽しませることばかりでも、自分を甘やかすことばかりでもない” という教示と、“自分を鍛えること、叱ること、励ますこと、養うことも然り”という教訓を受け取るための知恵を育んでくれる。
そして、そのわずかなことの繰り返しと積み重ねが、好ましい自分をつくっていく。

それが、その先にある、
“自分を大切にできなければ、人生を大切に生きることはできない”
という真理に自分を導いてくれ、人生を好ましいものにしてくれるのではないかと 私は思うのである。



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断腸

2015-04-15 08:53:35 | 動物死骸特殊清掃
その日の作業予定は、とあるアパートの汚腐呂掃除と遺族が残していった家財の撤去。
汚腐呂はライト級。
大方の家財は遺族が片付け、残された家財は大型のモノばかりで数量も少なめ。
「軽作業」とは言えないものの、私にとっては決してハードな作業ではなかった。
そして、その日は、それが終われば帰宅できるはずだった。
しかし、急な予定変更は、この仕事の宿命。
で、作業の最中、動物死骸処理の依頼が入ってきた。
が、特掃魂には一件分しか燃料を入れておらず、私は、まったく気分を乗せることができなかった。

そうは言っても、依頼が入ったからには、誰かが応答しなければならない。
そして、うちの会社では、そんな仕事に応答するのは、私の役目みたいになっている。
そんな汚仕事は、まず先に私に回ってくる。
いい言い方をすれば「頼られてる」、悪い言い方をすれば「うまく使われてる」、そんな感じ。
仲間内でも、私を押しのけて自らすすんで行こうとする者はいない。残念ながら。
ただでさえ世の中が嫌う仕事をやっているのに、その中で、更に仲間も嫌う仕事に進んでいかなければいけない私・・・
それでも、「努力・忍耐・挑戦は自分にためになる」と自分に言いきかせ、“特掃隊長”を着るのである。

金額が安い割に作業は易くないのが動物死骸撤去の仕事。
仕事やお金をバカにしてはいけないが、仕事としての旨味は少なく、個人としては旨味がまるでない。ただただ、辛いだけ。
だから、やる気がでないどころか、行きたくない気持ちでいっぱいになる。
それでも、依頼があって、それを請け負う約束(契約)をした以上は、行かなければいけない。
結局、その現場も私が行くことになり、私の中には何とも言えない不満と悲しみが沸々・・・
「毎度毎度、何で俺が行かなきゃならないんだよ!」
と、心の中でブツブツ文句を言いながらも
「怠けていいことなんかない!鍛錬!鍛錬!」
と、自分をなだめながら、やけに重く感じるハンドルを握って現場に向かった。


到着した現場は、繁華街にある古い雑居ビル。
とある会社の事務所。
夕方遅い時刻だったが、まだ、多くの人が仕事をしており、電話でやりとりした担当者が私を出迎えてくれた。
私が、ネコ死骸の処理業者であることは、他の人も周知のことのはず。
私は、事務所にいた人達の視線が私に集まっているのを感じながら、誰とも視線を合わさず無表情のまま担当者の後に続いた。

私は、この手の視線がかなり苦手。
皆が、私のことを奇異に思っているのがヒシヒシと伝わってくるから。
そして、悪いことをしているわけでもないのに、惨めなような、恥ずかしいような、後ろめたいような、そんな気分に苛まれるからだ。
「自意識過剰」「被害妄想」「いらぬプライド」と言われればそれまでだけど、いつもそんな気分になってしまい、それは歳を重ねるごとに重くなっている。

そんな気分も相まって、現場に入っても尚、やる気は湧かず。
「何かの間違いってことないかなぁ・・・」
往生際の悪いことに、そんな考えが頭から消えず。
しかし、やはり、間違いはなかった。
指示された更衣室には、すぐにそれとわかる悪臭が充満。
やはり、それは動物死骸の腐乱臭に間違いなく、私は、観念するほかなかった。

手ブラで帰るという選択肢がなくなった私は、動かない精神は放っておいて、とにかく身体だけは動かすことに。
持って来た脚立を点検口の下に立て、力の入らない足でそれに登った。
そして、マイナスドライバーで止金具を回し、“超ゆっくり”点検口の蓋を開けた。
(何年も前の話だけど、ネコ死骸が点検口の真上にあって、蓋を開けたとたんに死骸が私の顔に降ってきたことがあった。そんなトラウマを持っているものだから、そこにはいないとわかっていても、ものスゴクゆっくり開けるクセがついているのである。)
そして、緊張の中、愛用のマスクを着け、懐中電灯を点け、これまた超ゆっくりと頭を点検口から上に差し入れた。

目当ての死骸は点検口の近く・・・つまり顔から近い位置にあった。
私にとって、すぐに発見できたことは幸いだったが、その近さは不幸以外の何物でもなかった。
ただ、そこで凹もうが折れようが、助けてくれる者は誰もいない。
とにかく、自分がやるしかない。
私は、懐中電灯の光の先で不気味に光る黒い毛を、眼球のなくなった頭からウジが引き上げた後の足までを、いつでも瞼を閉じられるように細目で観察。
「腐りたいのはこっちだよ・・・」
と、腐ったネコに愚痴をきいてもらいながら、瞼を少しずつ開いて凄惨な光景に自分の目を慣らしていった。

対象を確認したら、次は、作業手順の組み立てと準備・・・
と大袈裟に言っても、やることは、死骸をビニール袋に入れて持ち出すだけのこと。
極めて単純な作業。
しかし、メンタルな部分は単純にいかない。
複雑に絡み合う感情と、幾重にも対立する自分の中の自分に右往左往しながら、それでも、“自分のため”と信じて、心の中に折り合いをつけられる場所を探す。
そうして、少しずつ、少しずつ自分を前に進める。

通常は、死骸にタオル等をかけ、小型の熊手やシャベル等を使うことが多い。
手袋とつけているとはいえ、やはり、手で直接触るのはスゴク気持ちが悪いから。
だから、私は、ここでも、先に道具を使った。
まずネコの上半身の下にシャベルを差し込み、ネコを少し動かしてみた。
通常は、死骸はひとつの身体なわけだから、シャベルにのっていない部分も一緒に動くもの。
が、あまりに腐敗がすすんでいる場合、肉体は溶解しているわけで、“一体”とならないことも多い。
悲しいことに、このネコがまさにそうで、上半身と下半身は連動せず。
「マ、マズイ!」
ネコの身体が不自然に伸びたことを察知した私は、とっさに手をとめた。
緊急の防衛本能が働いたのだ。
そして、しばし動きをとめ、ネコを壊さず回収するアイデアを出すべく、いまいち力の入らない頭をひねった。

私は、どうしても“一体”で回収したかった。
死骸がふたつ以上に分かれるということは、相当に悲惨な状態になるということだから。ネコも私も。
これは、避けられるものなら避けたい。
ネコも可哀想だけど、自分はもっと可哀想だから。
結局、浮かんだ妙案は、最後の“手”を使うこと。
そう・・・意のままには動かない道具ばかりを頼らず、意のままに動く道具・・・つまり自分の手を使うことを決心。
ネコの下半身に自分の手を恐る恐る直に当て、シャベルと一緒に動かすべく力を入れた。
し、しかし・・・
「あれ!?ん!?」
一緒に動くはずの下半身は微動だにせず。
まるで、床面(天井板)に貼りついているかのように。
「おっかしいなぁ・・・」
怪訝に思った私は、電灯の光を集中させ、床面をよく見た。
すると、そこにはネズミ捕の粘着シートが。
また、周囲を見回すと、あちらこちらに同じ粘着シートが仕掛けられていた。
「チッ・・・そういうことか・・・」
ネコは、そのシートに引っかかり脱け出せなくなって、そのまま死んでしまったよう。
その事故死を思うと、ネコが少し可哀想に思えてきたが、私には、深い感傷に浸れるほどの余裕はなく、迫りくる最後の決断を前に走る悪寒に鳥肌を立てるばかりだった。

「仕方がない・・・か・・・」
私は、ネコが壊れることを覚悟。
そして、自分まで壊れないよう気をつけながら、ヤケクソ気味に上半身を持ち上げた。
それで持ち上がったのは、やはり上半身のみ・・・
下半身は、粘着シートに残ったまま・・・
胴体は真っ二つになり・・・(詳しく書くこともできるけどグロ過ぎるので省略)。
それから、目を固く閉じ、手探りで上半身と下半身の間につながるモツを引きちぎった。

一仕事を終えた私は、とりあえず安堵した。
しかし、達成感はなく、いつもの疲労感と妙な虚しさを覚えた。
そして、
「これって、ホントに自分のためになってんのかなぁ・・・」
そんな風に思いながら、断腸のネコを抱えてトボトボと現場を後にしたのだった。


「怠けることは自分にとってプラスにはならない」
と信じたい一方で、
「本当は楽した者勝ち、楽した方が得なんじゃないか?」
そんな疑心に苛まれることがある。
それでも、マシな方の自分は、なんとか踏みとどまろうとする。
そして、色んな葛藤を胸に、やるべきことを自分に課す。

断腸の思いでする決断が、断腸の思いで進む道がプラスとなるかマイナスとなるか、やってみないとわからない。
ただ、そこまで苦心して進んだ先にマイナスはないと信じたい。
それを信じないと、逃げてばかり、くじけてばかり、怠けてばかり・・・そんな生き方になってしまう。
残り少ない時の中、せっかくの人生、せっかくの今日、そんな生き方はイヤだ。
・・・私は、弱い人間だからこそそう思うのである。


公開コメント版
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忠犬

2006-08-11 09:03:48 | 動物死骸特殊清掃
「なんだか臭い」「でも、何の匂いだか分からない」「見に来てほしい」
そんな電話が入った。
依頼者は中年女性。
その口調から、死体がらみの案件ではないことがすぐ分かった。
話を聞くと、ただの消臭依頼だった。
特掃部には、たまにこんな依頼や相談も入ってくる。
どんな問い合わせにもキチンと応対するが、電話だけで片付くケースも当たり前のようにある。
できるだけ詳細な状況を聞き、できるだけ適切なアドバイスをするように心掛けている。
お金にはならないけど、これも大事な仕事だ。
それでもラチがあかない場合は出動となる。

この案件も電話アドバイスだけでは片付かなかったので、現場まで出向いた。
豪邸とまではいかなかったけど、そこそこ大きな家で築年数も浅かった。
依頼者一家は、主の仕事の都合で二年間海外に行っていたらしい。
社会的地位が高いことを自負しているようだった。
依頼者は世間話をしたくてウズウズしており、消臭作業に関係ない自慢話を延々と聞かされそうになった。
他人の自慢話を聞くのが苦手な私は、依頼者が脱線させる話を元に戻すということを繰り返しながら、状況を把握した。

聞くところによると、二年の海外暮らしから久し振りに帰った我が家の中は既に悪臭が充満していたとのこと。
家を空けている間、管理業者に庭の手入れと窓開け・空気の入れ替えを依頼していたらしかった。
しかし、その業者が契約を誠実に履行していたかどうかは怪しいものだった。

窓を開けて風を通したり、市販の消臭剤を多用したりすると一時的に悪臭は緩和されるが、またしばらくすると匂ってくるらしかった。
この状態はよくあるパターン。

私はまず、悪臭の根源を特定する必要があった。
肝心の臭いは、程度は軽いものの人間の腐乱臭に似ていた。
仮にも人間の腐敗臭だったら問題が大きいので、確信(責任)が持てるまでは具体的なコメントは控えておいた。

そして、匂いの元を犬のように鼻を動かしながら探した。
部屋の中にはそれらしきモノは見当たらない。外も同様。
どうも床下が怪しかった。
「床下に白骨死体でもあったら・・・」
そう思ったら急に動悸がしはじめた。

床下を見たかったが、どうやって見ればいいのか分からなかった。
外に出て床下に入れそうな所を探した。
通気口が何箇所があったが、とても私が通れる大きさではなかった。
ただ、その通気口から漂う悪臭は部屋の中より濃いもので、匂いの根源が床下にあることはほぼ特定できた。

さて、次はどうやって床下に潜るか。
幸いなことに、家人が長期不在だったために和室の畳は上げられたままになっており、依頼者の承諾をとって床板の一部を剥がした。
そして、首だけ床下に入れて懐中電灯で周辺を照らしてみた。
可能性は低いながらも「死体があるかも・・・」と思ったら、おのずと緊張してきた。
しかし、そこからは悪臭源らしきモノは何も見えなかった。
それどころか、コンクリートでできた床下基礎部分は間取りに合わせて仕切られており、一箇所から全体を見渡すことは不可能だった。
「やっぱ、潜んないとダメか」
全く気が進まなかったけど、暗くて狭くて臭い床下に潜るハメになってしまった私。

※作業手順の説明が続いて話がつまらなくなってきたのでこの辺でショートカットする。

私はリビングの床下に動物の死骸を発見した。
その大きさと骨格から、犬らしいことが分かった。
とりあえず人間じゃなくて、ちょっと緊張が緩んだ。
ただ、外で見ると大したことなさそうな死骸でも暗くて狭い床下で見るとかなり不気味だった。とっくに腐乱してウジもたかっていたし。

どこかの犬が床下で死んでいることを知った依頼者はとても迷惑そうな顔になり、すぐに清掃を依頼してきた。

骨を拾い、コンクリートに広がった毛と肉を削り・・・何とか清掃作業を完了させた私は「何かの手掛かりになれば」と、ビニール袋に入れた汚れた首輪を依頼者に見せた。
気味悪そうに眺める依頼者。
少しして、その表情が変わった。
依頼者は、何度もその首輪を確認し驚嘆した。
それは、海外赴任の前に飼っていた犬の首輪らしかった。

買うと高いブランド犬だったらしく、夫の海外赴任が決まってからペットショップに引き取ってもらったらしい。
しかし、そのペットショップがこの犬の面倒をキチンとみたかどうか、こうなってみたら怪しいものだった。

元飼犬が何故、自宅の床下で死んでいるのか全く見当もつかない様子の依頼者。
ペットショップに引き渡して以降のことも関知していないらしかった。
これはこれで、「結構冷たいなぁ」と思った私。
新しい飼主に捨てられたのか脱走したのか分からないけど、どちらにしろ、その犬がこの家に戻って死んだことには変わりはなかった。

犬は何を思ってこの家に戻って来たのだろうか(ただの帰省本能って野暮なことは言いっこなし)。
そして、何故死ぬまでここに居続けたのだろうか。
そんな事を考えると、私は手に持った汚物袋を撫でてやりたくなった。
依頼者も何か思うところがあったのか急に物静かになり、最後も丁重に私を見送ってくれた。

人間は誰(何)かを裏切れる生き物。
犬は裏切ることを知らない生き物。
「三日の恩は三年忘れない」と聞いたことがある。
一体、どっちがまっとうな生き物か。

安っぽいノーブランド人間だけど、少しは私もまっとうに生きてみたいものである。

街を徘徊する野良犬、道端に転がる轢死体が、今日も何かを訴え掛けている。
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寝込んだネコ

2006-06-17 09:07:22 | 動物死骸特殊清掃
若い男性から問い合わせの電話が入った。

消毒消臭作業の依頼だった。話を聞いてみると、お気に入りの自家用車のエンジンルームにネコが入り込み、そのまま死んで腐っていたらしい。それが臭くて臭くて仕方がないとのこと。特に、エアコンを動かしたら、通風口から悪臭がモロにでてきて、それが原因で彼女とも険悪な状態になっているから何とかしてほしいとのこと。

「ちょっと、やっかいな仕事になりそうだな」

と思いながら、とにかく現場へ行ってみた。


男性は車好きらしく、車は格好よくドレスアップされたスポーツカーだった。ボンネットを開けてみると、確かに骨と毛皮だけになったネコの死骸があった。屋外だったこともあり、私にとって本件の異臭は人間の腐乱臭に比べたら全く平気なレベル。
仕事の難易度を考えると、引き受けるかどうか迷った。

男性も、インターネットを使って色々な業者に当たったらしかったが、実際に相談に乗って現場に参上したのは私だけだったらしく、懇願モードだった。
事情を察して、

「完全にきれいにできる保証はできないが、できるかぎりやる」

という条件で引き受けた。通常は前受けする料金も、私の提案で出来高の後払いで合意。


エンジンルームは色々な機械が入り組んでいて、死骸も部分的に少しづつ取っていくしかなかった。脚だけ、尻尾だけ、胴体一部だけ・・・と少しづつ。人間の腐乱遺体とは別の感覚で気持ち悪かった。手袋を通して伝わる死骸の感触は、何とも言えないものがあった。特に、ネコって怪談話にもよく登場するし、その気持ち悪さがお分かりいただけるだろうか。眼球がない頭部を首からちぎって取るときは、さすがに鳥肌が立った。それでも、手が届く所はまだマシで、手が届かないところは色々な道具を駆使してなんとか全身を除去。

次は、腐敗液の除去である。動物も人間と同じように腐敗液がでるもので、エンジンルームの各所に垂れていた。これが、更にやっかいだった。手が届かないどころか、直視できないところにも付着している可能性があったからだ。

車のエンジンルームは水気を嫌う部品もあるので、慎重に洗浄剤・消臭剤を使用。あとは、もう車の下に潜って作業するしかなかった。これが最悪!洗浄剤も腐敗液も引力に従って下に垂れてくる。下に垂れるということは、私に向かって垂れ落ちてくるということである。それでも、きれいにするにはそうするしかなかった。

「顔にかかんなきゃいいや」

と、私は、開き直りながらやったが、結局、顔にもかかってしまった。辛かった!


作業を見ていた男性は

「スイマセン、スイマセン」

と何度も言っていた。


どうにかこうにか、作業は完了。見た目にはきれいになった。
あとはエンジンをかけて不具合がないか、エアコンを動かして悪臭が出ないかをチェック。
エンジンルームに不具合はなかったものの、悪臭はまだわずかに残っていた。車を動かす時は、常に通風スイッチをONにしてしばらく様子をみてもらうことにした。それでも男性はかなり喜んでくれて、満額の料金を領収。


一ヶ月くらいして、臭いがどうなったか気になったので男性に電話してみた。やはり、時間経過とともに臭いが薄くなり、今は全く臭わなくなったとにこと。あらためて礼を言われた。私にも職人魂があるのか、嬉しかった。
険悪になっていた彼女とは別れたらしく、今は新しい彼女がいるとのこと。

車は乗り換えずに、女を乗り換えたということか。
めでたし、めでたし。


-1989年設立―
日本初の特殊清掃専門会社
ヒューマンケア株式会社
0120-74-4949


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