特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

女もつらいよ

2015-11-30 08:47:33 | 特殊清掃
「ウァッ!!!!!!!」
衝撃的な光景に思わず悲鳴を上げた私。
その背中には悪寒が走り、同時に、その身体には裸のまま寒風に吹かれたかのような鳥肌が立った。

私の目に飛び込んできたのは猫の腹部。
しかも、フツーの状態ではなく、薄い腹の皮と内臓はとっくにウジが喰い尽くし、そこに無数のウジがひしめき合っている状態のもの。
その気持ち悪さといったら言葉にならないくらい。
あえて言うと、「イカ飯状態」というか、「いなり寿司風」というか・・・・肋骨の丼に大盛のウジライスが盛られたような感じ。
それは、実際に音は発していなかったもののグツグツといったような異音が聞えているような錯覚を覚えるくらい迫力のある光景。
これには、さすがの特掃隊長も仰天!し、彼らが飛び掛ってくるわけでもないのに、思わず後ずさり。
ただ、私が驚いたのと同じように、ウジ達も突然の環境変異に仰天したのだろう、身体を寄せ合って球状に固まっていたところから蜘蛛の子を散らすように(蜘蛛よりはるかにノロマだが)一匹一匹が離脱。
「捕まってたまるか!」と思ったがどうか知る由もないが、何千匹?何万匹?すべてのウジが一斉に逃走をはじめた。

私に驚いているヒマはなかった。
目の前のウジは次々と逃亡を図っている。
もう「触りたくない」「気持ち悪い」などと甘えたことを言ってられる状況ではない。
一刻も早く対処しないと、多くのウジを逃してしまう。
それがわかっていても、あまりのグロテスクさに、頭は混乱し、なかなかすべきことが決断できず。
私は、肝心なことが何もできず、右往左往するばかりだった。

いくら相手がノロマでも、時間を与えれば逃げきってしまう。
しかも、地面は砂利と雑草。
彼らが隠れる場所はいくらでもあった。
更に、私一人に対してウジは無数。
追いかけるにも限界があり、この勝負、どこからどうみても私の分の方が悪かった。

完勝を諦めた私は、とりあえずウジ城の本丸である猫死骸を攻略することに。
しかし、もう、道具を使うほどの時間的余裕はない。
「マジかよぉ・・・トホホ・・・」
状況的に手作業は免れないことを覚悟した私は、脳の思考を緊急停止。
自分の手を機械に変えて猫死骸を持ち上げ、猫腹に篭城していたウジ団もろとも袋に放り込んだ。


ここで、豆知識を二つ・・・

①「知って得しない豆知識」
ウジって、結構な筋肉質。
指でつまんだウジは強く抵抗するため、固い弾力を感じる。
これが、何とも気持ち悪い。
また、もともと体温をもっているのか、仲間と身体が擦れることで熱が生じるのか、数がまとまると熱を感じる。
そして、それ手に伝わってくると、何ともあたたかい気持ちになる・・・わけはなく、不気味さが倍増して背筋に悪寒が走るのである。

②「知って損する豆知識」
その昔、遺体処置をしていたときのこと。
しっかり閉じられた遺体の瞼がムズムズと動いていた。
イヤ~な予感がした私は、ゆっくり瞼を開けてみた。
すると、まるでホラー映画のように、そこにはウジがビッシリ・・・
「図々しい」というか「遠慮がない」というか・・・ウジって、すこぶるたくましいヤツなのである。


話を戻そう・・・
結局、私は、多くのウジを捕獲したが、同時に多くのウジの逃亡もゆるしてしまった。
砂利の隙間や雑草の陰に隠れたウジは、もう、追いようがなかった。
ただ、幸いなことに、そこは屋外。
屋内だと、数日後にハエが大量発生して大騒ぎになる可能性が高いのだが、屋外ならその心配はない。
ハエになればどこかへ飛んでいってくれるだろうし、そのまま死んでも土に還ってくれるはずだから。

とても「無事に」とは言えなかったが、何とか作業を終えた私はホッと一息。
そして、作業中のことを思いだし一笑い。
また、こんな珍作業が自分の仕事であることにもう一笑い。
悲鳴を上げながらでも仕事をやり遂げる自分というヤツに、何だか愛着が湧いてきて、クスクスと笑ったのだった。


この仕事がそうだったように、
「男はつらいよな・・・」
と、時々、思うことがある。
だけど、男であることがイヤになることはない。
男と女、選べるとしても、私は、やはり男のほうがいい。
男にも女にも、それぞれ敵した役割というものがあるのだろうけど、女性のほうが面倒臭い役割を背負っているように見え、何かと大変そうだから。

例えば、出産。
一年近くも子供をお腹に抱えて大変な思いをした挙句、出産時は命がけだったりする。
その後の育児もまた一苦労。
人間を育てるという難題は試行錯誤の連続で、幸せも大きければストレスも大きそう。
日常の家事も重労働。
毎日毎日同じことの繰り返しで、褒めてくれる人も感謝してくれる人もおらず、報酬らしい報酬が得られるわけでもない。
化粧、美容、服飾だって相当の金と手間(時間)がかかるはず(楽しい部分もあると思うけど)。
生理やトイレ等、身体にも男にはない難しさがあるし。
また、社会においては男性と公平・平等に扱われないことも少なくないだろうし、外見や年齢で差別的な扱いをされるケースは男性よりはるかに多そう。
その上で、男と同じように外で働かなければならない状況に置かれることもフツーにある。
育児や家事をこなすだけでも大仕事なのに、外の仕事と両立させるなんて、
「女もつらいよな・・・」
と、私は、尊敬に近い同情心を抱くのである。

とにもかくにも、「働く」ということは、男性にとっても女性にとってもツラいことが多い。
好きなことをやって食べていける人は、ごく一握りで、多くの人は、日々、仕事にツラさを感じながらも、それに耐えている。
少しでも豊かな暮しを手に入れるため、少しでも快適な生活を手に入れるため、自分や家族の幸せを手に入れるため、皆が頑張って働いている。

至っていない点もたくさんあると思うけど、私も、自分なりに頑張って働いているつもり。
今日も、これから現場作業に出かけるところ。
作業内容は、老人介護施設での遺品処理。
風呂もキッチンもない一室だけだから、一般の住宅に比べたら家財の量も少ない。
だから、作業は、それほどツラいものにはならないはず。
また、明日は、高齢者住宅のトイレ掃除。
その便器は、一般の人が見れば「清掃不可能」と思われるようなモノ凄い汚れ方をしているのだが、私にとってはミドル級。
だから、たいしてツラい作業にならないはずで、ちょっと根性をだせばきれいにできると思っている。
私の仕事は、季節的に、また一時的にスペシャルハードな局面に晒されることはあるけど、自己裁量で調節できることも多いし、私は、もう熟練工みたいになっているから、全体を均すと世間が思うほどハードではない。
でも、ツラいときは凄くツラいし、全体を通じたツラさもある。

私は、私服以外では、いつも作業服を着ている。
くたびれた中年男がくたびれた作業服を着ている姿は、あまりパッとしない・・・というか、かなり貧相。
洗練された知識と最新のIT機器を使いこなし、流行のスーツに身を包んでオフィス街をスマートに歩いている同年代の人を目にすると、あまりの差がありすぎて、惨めな気分になるときがある。
「自業自得」「他人は他人、自分は自分」「自分には自分の道がある」と割り切ればいいのに、そうできないときがある。

自分をツラくさせるのは自分の心・・・くだらない自己顕示欲、つまらない虚栄心、無益な怠け心などの悪性邪心。
「避けたい!逃げたい!楽したい!」
心のどこかで、常に、もう一人の自分がそう叫んでいる。
これに対抗するには理性良心を駆使するしかないのだが、これが、なかなか簡単ではない。
自分のためにならないことがわかっていても、どうしても人と比べてしまうし、人の目が気になるし、楽したがる自分を始末することもできない。

私は、弱い人間。
残念ながら、私が私である以上、これらを完全に消し去ることはできないだろう。
だから、逃げることもある、負けることもある、落ちることもある、倒れることもある、怠けることもある・・・それも仕方がない。
ただ、少しでも耐えること、少しでも戦うこと・・・立ちかえることはできる。
そう・・・その都度、理性良心に従う自分に立ちかえることができれば、それでいいのだ。

まずは、自分に意味をなさない回りに目をやらないこと。
また、ツラいことばかりに焦点を当てないこと。
そして、今に集中し、自分が手にしている幸福に目を向け、自分を磨くことに注力すること。

試練に耐えることによって人間は練られる。
自分の弱さと戦うことによって人間は鍛えられる。
そして、何度も立ちかえることによって人間が磨かれていく。
そうして養われた品性が、自分に与えられている“Lucky&Happy”をうまく心に取り込むのである。 


例によって辛気クサイ話になってしまったけど、この“二人三脚ブログ”を書くことによって、私は、今日も一日、目の前の仕事を頑張ろうという気になれている。
そして、これからもツラい仕事はたくさんあるだろうけど、汗しても汚れても、それを忘れるくらい懸命にやろうという思いが与えられているのである。




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男はつらいよ

2015-11-24 09:05:49 | 特殊清掃 消臭消毒
「勤務先の店舗の脇に動物死骸らしきものがある」
「店の正面にまで異臭が漂っていて営業にも支障がではじめている」
「何とかできないか?」
ある日、会社にそんな電話が入った。

一口に「動物死骸」と言っても、その種類はまちまち。
犬もいれば、猫もいる。
ネズミであることもあり、珍しいところではハクビシンなんてこともある。
ただ、多いのは猫・・・圧倒的に猫が多い。

幸は不幸か、動物死骸の処理は、年に何回かは(何度も?)遭遇する。
だから、私にとって珍しい仕事ではない。
しかし、何度やっても慣れない。
身体は慣れても気持ちが慣れない。
腐乱死体現場の特掃等とは違い、死体そのものがあるわけで、それを始末する作業は、死痕の処理とは違った独特の重さがあるのだ。

生き物はいつか死ぬものだし、その肉体が腐っていくことも自然なこと。
誰もその摂理に逆らうことはできないわけで、それに従って受け入れるしかない。
しかし、すんなり受け入れられないこともある。
それは、実務に影響すること。
つまり、最期の場所や死骸の大きさ(重さ)、そして、腐敗レベル。
駐車場や庭先で死んでくれていれば楽なのだが、床下や天井裏だと厄介。
基本的に手作業であるため、天井や床に穴を開けないと作業ができないケースもある。
また、死骸が小型(軽量)であることに越したことはない。
人間も動物も、肉体が腐敗する過程で膨張するプロセスがあるので、あまり大きいと触る回数も増え、触っていなければならない時間も長くなるから(気持ち悪いから、できるだけ触りたくないわけ)。
もちろん、腐敗レベルは低いことが望ましい、これは説明するまでもないだろう。
腐敗レベルが高いと、私にとっても動物にとっても、相当、悲惨な作業になるから。

「死んでんのは、多分、猫だろうな・・・」
「周囲が臭ってるってことは、かなり腐ってるんだろうな・・・」
「あまりヒドくなきゃいいけどな・・・」
会社から連絡を受けた私は頭をブルーにしながら、誰と協議したわけでもないのに、その現場には自分が行くハメになること覚悟した。
それが我が社の“文化”“慣わし”かのように、いつの間にか、それが当然であるかのごとく私の役割になっているから(2015年4月15日「断腸」参照)。


出向いた現場は、とある店舗。
飲食店でも食料品店でもない物販店。
食品系の店じゃないのは幸いなことだったが、それでも、店先に漂う異臭は尋常ではなく、ライトブルーだった私の頭は次第にディープブルーに近づいていった。

訪問時、店内に客はおらず、男女数名のスタッフがいた。
私が何者であるかすぐにわかったようで、彼らは皆、珍しい生き物でも見るような視線を私に送ってきた。
私の応対にでてきたのは、その中でも一番若そうな男性A氏。
当社に電話してきたのは、そのA氏のようだった。

A氏は、挨拶もそこそこに私を外に連れ出し、建物の脇へ。
そこは、店と隣の建物の間にある、隣地との境界地。
人が通れるほどの幅はあったが、そこは通路ではなく、普段、人が立ち入る場所ではない。
地面には砂利が敷き詰められ、雑草が生い茂り、両側に迫る建物の陰で薄暗く、異臭とともに不気味な雰囲気が漂っていた。

「あそこにいるんですけど、見えます?」
A氏が指差した先には黒い影が。
遠目にみても何かしらの動物であることがわかった。
そして、鼻が感じる異臭の濃度は、腐敗レベルがMaxであることを示唆しており、私の気分を完全なブルーに染めた。


事が発覚したとき、店のスタッフは一様に気持ち悪がった。
同時に、どう収拾したらいいのかわからず当惑。
それで、始めに、行政のゴミ処理機関に相談してみた。
すると、すんなりと「回収可能」の回答が得られ、ホッと胸をなでおろした。
ところが、その回収作業は、肝心なところが抜けていた。
そこは私有地のため、死骸をゴミ袋に入れて封をし、店先まで運び出すところまでは店側がやるということ。
何事に対しても「役所」というところはそういうところで、困っていることを訴えても、その条件が変わることはなかった。

これには店側も困惑。
しかし、誰かがやらなければ、事態は悪化するばかり。
そうなると、当然、「誰がそれをやる?」ということに。
店には男女数名にスタッフが詰めていたが、志願する者は誰もおらず。
店内にイヤ~な空気が、店外にクサ~イ空気が漂う中、一人一人の思惑と場の雰囲気によって候補者は徐々に絞られていった。

「こんなの男の仕事に決まってるでしょ!」
多分、女性達はそう思っただろう。
「か弱い女性にそんな荒仕事をさせては男がすたる」
多分、男性達はそう思わなかっただろう。
それでも、男女を比べた場合、こういう類の役目は男が引き受けるのが社会通念上 自然。
それは男性達も理解しており、結果、男性達は渋々承諾。
そして、何人かいる男性の中から精鋭一人を選抜されることになった。

本来なら、役職をもった者や年上の者が率先してやるのが理想だけど、そんなプライドはここでは鳴りをひそめた。
「男らしいところをみせてやろう!」なんて考えはさらさらなく、「カッコ悪かろうが、部下や後輩に見下げられようが、無理なものは無理!」といった具合。
そんな中で指名されたのが、最も若く勤務歴も浅く職場での力もないA氏。
白羽の矢を避ける術を持たないA氏が、嫌な仕事を押し付けられたのだった。

A氏は、自分が選ばれたことに納得がいかず。
腹を立つやら悲しいやら。
が、残念ながら、その気持ちを誰かにぶつけられるような立場ではない。
拒否なんて選択肢はなく、葛藤の中、思いつくままの道具を揃えた。
そして、覚悟決めて死骸に向かってゆっくり近づいてみた。
すると、鼻を攻撃していた異臭は腹にまで到達し胃の中身が逆流しそうに。
更に、間近に迫った死骸の顔は自分の方を向いており、眼球のない恐ろしい形相が神経を直撃。
「無理!無理!絶対無理!」
恐れおののいたA氏は、自分の役目を放棄し、一目散にその場から逃げたのだった。


場所や状況によって異なるけど、動物死骸処理には万単位の費用がかかる。
現場に向かうだけでもガソリン代や高速道路代はかかるし、そのために何時間か拘束され作業費も発生する。
常識的に計算すれば数千円でやれるような仕事ではないことはすぐにわかるはず。
しかし、世の中には色々な感覚の持主がいる。
数千円どころか、無料だと思って電話してくる人も少なくない。
保健所等の行政機関による死骸処理と混同しているのか、はたまた動物愛護団体のボランティアだと思っているのかわからないが、そんなこと無料でやるわけがない。
それでも、中には、有料であることを伝えると、「お金とるの?」「なんで?」なんて、おかしなことを言う人もいる。
そして、無料ではできない理由(常識的に考えれば説明するまでもないこと)を説明すると不満げに電話を切る。
そんなときは、悪いことをしたわけでもないのに何だか悪いことをしたみたいな錯角に囚われ、気分の悪い思いをするのである。

この場合も同様。
電話の段階で概算費用を提示。
現場の状況によってある程度の料金変動もありうることも伝え、了承をもらえたため現地に出向いた。
ただ、当初、費用がかかることに店舗を経営管理する本社は難色を示していた。
本社は、状況の深刻さを理解していないうえ、「死骸をゴミ袋に入れるくらいのこと、店員の誰かができるだろ?」という考えだったから。
それでも、A氏は店長を説得し、自分達の手に負えない理由を本社に細かく説明。
やっとのことで、決済をもらい当社に電話をかけてきたのだった。


私は、この件にまつわる愚痴を色々と聞き、A死に同情。
嫌な仕事を押しつけられることが当り前のようになっている私は、男性の悲しい気持ちが痛いほどわかったから。
一方で、そんな状況にあっても、フフッと笑う自分がいた。
人が嫌がる仕事でも、それをやった者しか得られない人間的なメリット・・・ほんのちょっとかもしれないけど、努力・忍耐・挑戦の精神が育まれることを知っていたから、自然と笑みがこぼれたのだった。

しかし、笑ってばかりもいられない。
A氏に代わってその役を引き受けたのは、他でもなく私自身。
男としての気概もあったので、私は平穏でいられない気持ちを抑えて平静を装い、専用マスクとグローブを着け、スタスタと死骸の方へ。
そして、死骸のすぐ傍に立ち、自分の視覚を慣れさせるため、約一分 立ったまま死骸を見下ろし、次に約二~三分 しゃがんで注視。
そうして、自分の視覚と神経が、ある程度のレベルまでグロテスクな死骸に慣れるのを待った。
そして、その感覚がつかめたところで、作業をスタートした。

死骸は、やはり猫。
大型でも小型でもなく、並のサイズ。
ただ、何とか猫らしい風体を維持しているものの、腐敗はかなり進行しておりトロトロ状態。
不用意に動かすと不自然なかたちに変形することは明らかで、
「アハハ・・・こりゃ、モノ凄くいけないパターンだな・・・」
と、他に自分を慰める方法がなかった私は、笑える状況でもないのに思わず苦笑い。
そして、
「さてさて・・・これをどうするか・・・」
できるだけ触らなくて済むよう、できるだけ短時間で済むよう、作業手順を念入りに考えた。

モノ凄く気持ち悪いため、手で直に触るのは極力避けたい。
私は、手の代わりとなって汚れてくれる二種の道具をそれぞれ片手に持ち、道具を死骸に当てた。
それから、ゆっくりと持ち上げようとした。
しかし、フニャフニャの死骸を一体で浮かせるのはなかなか難しい。
手で直にやれば簡単なことなのに、ここでは、道具に頼ったことが裏目にでた。
慎重にやったつもりが、地面から浮きかけたところでバランスが崩れ、元の姿勢から反転して落下。

そして、仰向けになった猫は、
「ウァッ!!!!!!!」
と、私に男らしくない悲鳴を上げさせたのだった・・・

つづく


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二人三脚

2015-11-17 08:47:19 | 遺品整理
遺品処理の問い合わせが入った。
電話の向こうの声は初老の女性。
上品な言葉遣いと穏やかな語り口。
日常において、私みたいな下世話な人間と関わることはなさそうな雰囲気の人だった。

そんな女性の用件はこう・・・
しばらく前に母親が死去。
それにともなって、遺品が大量に発生。
友人や知人の手を借りながら、かなりの物は処分。
ただ、家具等の大型重量物が手に負えない。
そこで、その処分をお願いしたい。
・・・というものだった。

問題の大型重量物は、たったの数点。
手間はかかるが、費用は行政の粗大ゴミ処分を利用したほうが安く済む。
その他の遺品は自分の手で処理したわけだから、粗大ゴミだってできないわけはないはず。
したがって、女性の用件は、仕事になる可能性が低いうえ、仮に仕事なったとしても少額の売上にしかならないことが容易に想像され、私は、いまいちやる気が起きなかった。

私は、遺品の内容を確認し、概算の費用を伝えた。
そして、「行政の粗大ゴミ処分を利用されたほうが費用も安く済むと思いますけど・・・」と、アドバイスして、この話を締めかけた。
しかし、女性は、私が提示した金額を「高い」とも「安い」とも言わず。
どうも予算が決まっていないみたいで、「とにかく、一度、見に来て欲しい」と言う。
私の頭は、金にならなそうな依頼に難色を示したが、「これも何かの縁」と考えをあらため、スケジュールは私の都合を優先させてもらうことを条件に、現地調査に出向くことを約束した。

訪れたのは、閑静な住宅街。
女性宅は、少々古かったが大きな建物。
その敷地はかなり広く、下世話な私は、すぐさま頭の中で不動産価格を算出。
「うあぁ・・・こりゃ結構な資産だな・・・」
「固定資産税もハンパじゃないだろうな・・・」
「でも、それが払えてるんだから、これ以上の資産があるんだろうな・・・」
等と、他人の懐事情を勝手に想像し、
「いいなぁ・・・どうやったらこういう生活ができるんだろう・・・」
と、羨ましく思った。

金持ちだろうがそうでなかろうが、かかる費用(売上)に差は生じないのに、金持ちが相手だと妙に卑屈になるクセがある私。
私は、電話のときとは別人のように作り声を高くし、インターフォンに話しかけた。
そして、傍のカメラに愛想笑いを浮かべ、ペコリと頭を下げた。

玄関を開けて出迎えてくれたのは、電話で話した依頼者。
声のとおり、初老の女性だった。
門扉をくぐって玄関を入ると、外見のとおり家の中も広々。
私は、くたびれた中年男には似合わないきれいなスリッパに足を入れ、招かれるまま一階の和室へ。
そこは、晩年の故人が過ごした部屋・・・故人が存在した跡がにわかに残る部屋・・・
細かなモノの多くは既に片付けられており、介護ベッドをはじめとする家具ばかりが目立つ整然とした部屋だった。

対象物が限定されていたので、検分は短時間で終了。
私が提示した費用は、電話で答えた金額とほぼ同額。
私は、再び「行政の粗大ゴミ処分のほうが安いと思いますけど・・・」と言いそうになったけど、女性の考えが「安けりゃいい」というものでないことが察せられたので、その言葉を呑み込んだ。

「やっぱりそれくらいかかっちゃうんですね・・・」
女性は、特に困った様子もなく、淡々としていた。
そして、
「今、お茶をだしますから・・・」
と、出した見積に可も不可も言わず、また私の都合も訊かず台所に向かった。

通常なら、テキトーなことを言って断るのだが、次の予定まで結構な間があった私は、すすめられるままリビングのソファーに腰をおろした。
話したいことが山ほどあるのか、話す時間が山ほどあるのか、お茶と菓子を運んできた女性は席に着くなり口を開き、お茶の前で切れていた話を続けた。

女性は70代。
処分対象のベッドを使っていたのは、100年近い天寿をまっとうし、ひと月余前に他界した女性の母親。
母親は、最期の数年、認知症を罹患。
ただ、暴力的な症状はなし。
また、足腰は丈夫で、寝たきりになったのは最期の数日のみ。
普段は、テレビを観たり手芸をやったりデイサービスに行ったりと、平穏に生活。
食べたい食事もハッキリ言い、トイレも自力。
付添人とシルバーカーがあれば外出もできていた。
そうはいっても、長い時間目を離すことはできず、生活上、女性の世話や介助は必要不可欠だった。

女性にとって、母親の世話は大変な重荷だった。
生活のリズムも、食事のメニューも母親中心。
何事も母親を最優先にしなければならず、自分のことは二の次 三の次に。
一人で自由気ままに外出することなんて、夢のまた夢。
デイサービスやショートステイを利用することはあっても、自分中心の自由を手にすることはできなかった。

心が折れそうになったとき、女性を支えたのに母親に対する恩義と長年の思い出。
幼少の頃から老年に至るまで、母親が自分にしてくれたことを一つ一つ思い出すと、折れかかった心は元通りになった。
そして、「最期まで面倒をみる」という決意と覚悟をあらたにすることができた。

そうして数年の時がたち・・・
母親が亡くなり、生活は一変。
女性は、肉体的な負担も精神的なプレッシャーも減り、時間や気持ちに余裕を持てるようにもなった。
生活の中心を母親から自分に戻すことができ、好きなときに好きなことができるようになった。
にも関わらず、心の支えを失ったかのような状態に陥り、心身に力が入らない・・・
葬式が終わってから一ヵ月間、何をするにも気力が涌かず、家で静かにしていることが多くなった。
受けた印象から察するに、「悲しい」「寂しい」とは違う何かが、「安堵」「気楽」とは違う何かが女性を覆っているように思えた。

母親の面倒をみた数年で、女性自身も歳をとり、身体も衰えた。
結果的に、貴重な時間の多くをそれに費やしてしまった。
それでも、女性に後悔はなかった。
それよりも、「最期まで面倒をみることができた」という達成感と誇りのほうがはるかに大きいよう。
そして、頑張り通せた自分を褒めているようでもあり、亡き母親に感謝しているようでもあった。

女性宅には男手がなかったため、結局、この商談は成立した。
ただ、片付けるモノが少ない分、売上も少額。
仕方がないことだが、金銭的には旨味の少ない仕事となってしまった。
しかし、それ以上に、人間の旨味を充分に味わわせてくれ、金のことばかり気にして窮々となりがちな自分の懐を厚くしてくれた仕事となったのだった。


人生は、ときにマラソンのようであり、障害物競走のようであり、また二人三脚で走るようなものでもある。
一人ならスマートに歩けそうに思えるし、はやく走ることだってできそうに思える。
それでも、人と人とは支えあって生きている・・・支えあわないと生きていけない。
そして、自分が前進するためには相手も前進させなくてはならない。

一方が倒れたら、手をかして起こす。
一方が遅かったら、それに合わせて歩を弱める。
人と息を合わせ、人と歩調を合わせ、人の立場を考え、人のことを思いやる。
そういう隣人愛を人は、「気遣い」とか「思いやり」とか「優しさ」等と呼ぶのだろう。
ただ、「自分は支えている側の人間」と思っていても、実のところ、それが自分に跳ね返って自分を支えているということもあると思う。
そして、人間とは、そういうかたちの歩みを必要とする生き物であり、その心は、そういう歩みを喜ぶようにできているのではないかと思う。

私は、狭い世界に生きている。
友人知人の数も極めて少ない。
しかし、直接的にしろ間接的にしろ、私を支えてくれている人は世の中にたくさんいる。
このブログひとつとってみてもそう。
陰気クサイ内容のクドイ文章にも関わらず、それでも読んでくれる人がいる。
そして、誰かが読んでくれるからこそ書くことができるし、そこに気持ちを込めることもできる。
・・・そう、これも、書き手と読み手、一対一の二人三脚で成り立っているもの。
そして、私にとっては、そのことが嬉しいし、楽しいし、ありがたいことなのである。

お互い、顔も名前も知らない相手との二人三脚。
心の荒波に翻弄されながらの二人三脚。
それでも、私には、読んでくれる人の存在が支えとなり、液晶画面のぬくもりが、そのまま、その向こう側にいる人のぬくもりのように感じられることがある。
だけど、向こう側の誰かの支えになれているかどうかはわからない。
しかし、そうなれることを願っている。
巡り巡って、それが、私自身をも前進させるのだから。

私=特掃隊長は、この実世界とインターネットの世界に片足ずつを入れている。
そして、ブログという紐で誰かと足を結び、一度きりの人生を、二度とない今日を共に闊歩したいと思っているのである。



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ワンワン ワンワン

2015-11-11 09:23:27 | 遺品整理
11月11日、胸のすくような快晴。
一並びの今日はチビ犬の命日。
一年・・・はやいような、遅いような、とにかく一年が経ち、また、寒い季節がやってきた。
ついこの前までは半袖でいられたはずなのに、もう重ね着しないと寒さを防げない。
しかも、この寒さは、これからもっと厳しくなるわけで、考えただけで憂鬱になる。

悲しみに暮れたアノ日・・・
はじめから、この悲しみは時が解決してくれることがわかっていた。
そして、代わり映えしない毎日ながらも、一年は確実に過ぎた。
少しずつだけど、その分、悲しみも寂しさも癒えてきている。
そうは言っても、チビ犬のことを忘れる日はほとんどなく、毎日のように思い出していた。
無意識のうちに・・・この現実世界にチビ犬がいた痕は少なくなってきているのに、思い出さなかった日は数えられる程度しかないと思う。

アノ時は、ホントに悲しかった!
いい歳のオッサンが子供のように泣く姿を思い出すと気恥ずかしい部分もあるけど、ま、それも私という人間。
そう・・・死んだ日とその後の三日間は涙の材料に事欠くことはなかった。
どこに行っても何を見ても涙が溢れる状態だったが、とりわけ、ヤバかったのは食器に残された食べかけの竹輪。
「ちょっと前まで喜んでかじってたのに・・・」
「全部食べないまま逝っちゃったんだ・・・」
その姿を脳裏に甦らせると、もう・・・悲しくて!切なくて!胸が痛くなった。
そして、ワンワンと号泣した(そのことを思い出すと、今でも目が潤んでくる)。

使い手のいなくなったペットフードや消耗品類は、早々にボランティア団体(動物愛護団体)に寄贈した。
ただ、その他のモノはなかなか始末できず。
いなくなって数ヶ月の間、トイレや食器等のチビ犬用品はそのままの状態で部屋に置いていた。
そして、時間を置きながら少しずつ片付けていった(しまっただけで捨ててはいない)。
今は、部屋の隅にハウスだけが残っている。
これもいつかしまわなければならないのだけど、なかなか気持ちが決まらない。
邪魔になっているわけでもないし、誰かに迷惑をかけているわけでもないし・・・
結局、もうしばらく、そのまま置いておくことになるのだろうと思っている。



遺品処理の相談が入った。
依頼者は、私より少し若めの男性。
現場は、男性の実家で、部屋にある家財をすべて片付けたいとのことだった。

訪問した現場は、古びたマンションの一室。
間取りは小さめの3LDK。
生活感はあるものの、目につく家財の量は多くはなく、全体的に閑散としていた。

男性は、表情も穏やか、言葉遣いや物腰も丁寧で、接していて気持ちのいい人物。
家財の量に比例し、私が提示した料金はそんなに高いものにはならず。
私は、作業内容と費用の内訳を説明し、男性も、それを理解し二つ返事で了承してくれた。

ここに暮していたのは、男性の両親。
数年前に父親が亡くなり、その後、しばらく母親が独居。
その母親も、一年余前に亡くなっていた。

この部屋は、相続によって男性の所有物件になっていた。
賃貸マンションだったら、早めに家財を片付けて退去する必要に迫られるのだが、そういう事情はなし。
片付けは、男性のペースでやることができた。

母親が亡くなったことによって生活する人がいなくなった部屋だったが、男性は、すぐに家財の片付けを始めることができず。
放っておくと腐ってしまう食品類を早々に始末しただけで、あとのモノは放置。
一年近く経って、やっと、片付けに乗り出したのだった。

男性は、休日を利用し、自らの手で少しずつ片付けていった。
時間と手間のかかる作業だったが、ゆっくりコツコツ進めた。
当初から他人の手を借りることも頭にはあったが、心理的に抵抗があったためだった。

最終的には、ゴミとして処分される故人の遺品。
男性は、それを充分に理解していた。
ただ、現実はそうとわかっていても、どうしても遺品を両親と重ねて擬人化してしまい、機械的に処分することに抵抗感を覚えたのだった。

男性にとって、両親の遺品処理は、寂しく悲しい作業だった。
が、それだけではなく、どことなく嬉しいようなあたたかいような感覚もあった。
両親と一緒に暮した幼かった日々 若かった日々がいっぱい詰まった部屋で、誰に気を使うこともなく過ごす時間は、男性にとってホッとリラックスできるものだったよう。

そのうち、男性は、休日のたびにイソイソと実家に出かけるように。
自宅はそんなに遠くないにも関わらず、泊りがけで行くことも少なくなかった。
ただ、それを“良し”としない人物が身近にいることに気づかないでいた。

誰しも、一人の時間や一人の空間がほしくなるときはあると思う。
特に、家族持ちの人には、そんな人が多いのではないだろうか。
妻子ある男性にとっても、ここは自宅とはまた違った平安が得られる心地いい場所のようだった。

ただ、そんな単独プレーもほどほどにしておかないと、家族関係に歪みが生じる原因にもなりかねない。
始めの頃は、男性の遺品処理に理解を示していた妻だったが、それも限界に近づき・・・
予想をはるかに越えて長引く作業に業を煮やした妻の不満は、あるときに爆発したのだった。

早々にケリをつけないと夫婦関係がマズイことになることは必至。
危機感を覚えた男性は、自分の感情を抑えて他人の手を借りることに。
そうして、私と会うことになったのだった。

作業の日は、男性の心を映してか、薄日が差す程度の曇空。
雨が降らないかぎり支障はなく、作業は約束された日時にスタート。
私は、男性の心情を察して、ゴミとなる荷物でも必要以上に丁寧に取り扱った。

もともと男性が片付けを進めていたため、作業は、大きな問題もなくスムーズに進行。
問題といえば、男性が、運び出される荷物を名残惜しそうに、我々の作業をどことなく寂しそうに眺めていたことくらい。
私は、男性が荷物をまとめておいてくれたお陰で手が省けた分、男性の気持ちを乱さないようゆっくりと作業を進めた。

一通りの荷物を部屋から運び出し、最終的には、何点かの遺品が残った。
それは、家族の写真と母親の着物。
部屋には、男性が捨てることを躊躇う何冊ものアルバムと何枚もの着物が残った。

男性には、この他にも、取っておきたいモノ、捨てたくないモノがたくさんあった。
そんな中、苦渋の選択の末で残ったのが写真と着物。
男性は、これをどうするべきか迷っていた。

写真は、男性が生まれる前の古いものから両親の晩年のものまで。
両親の夫婦仲はよかったよう、着物は父親が母親に買ったもので、母親もそれをとても大切にしていた。
写真も着物もすべて、亡き両親の想いが凝縮されたものだった。

アドバイスを求められた私は、あくまで個人的な考えであることを前もって強調し、
「ゴミとして処分しても、それが故人を軽んじることにはならないと思うし、それが原因でよからぬことが起こるなんてこともないと思う」
という、かねてから持っている考えを伝えた。

ただ、それは個人的なもの。
人それぞれ思うところがあって然るべきであり、他人に勧めるような類のものでもない。
ただ、男性は、私がこの仕事に長く携わっていることに一目置いてくれたのか、意外なほどすんなりと私の考えを受け入れてくれた。

部屋が空っぽになると、男性は、部屋中をしみじみと眺めた。
ホッとしたように、そして、どことなく寂しげに・・・
そして、「助かりました」「ありがとうございました」と丁寧に礼を言ってくれた。

男性は、スッキリした気持ちと寂しい気持ちが入り混じった複雑な心境だったのだろう。
ただ、男性には、妻や子供がいる。
私は、これを機に、男性が、両親の思い出を心にあたためながら、その家族愛を妻子へシフトして幸せに生きていくことを想像し、和やかな気持ちで現場を後にしたのだった。



「目に見えるモノは、いつか消えてなくなる」
「アノ世には自分の身体さえ持っていけないのだから、目に見えるモノに執着しても仕方がない」
「思い出は、モノではなく心に残しておくもの」
等と、他人に対しては、結構サッパリとした理屈を吐くことができるのに、一年経ってもチビ犬の遺品を始末できないでいる私。
スマホの待受画面を変えることも全く考えておらず、独り言も減らないまま。
一体、いつになったら、これらを片付けることができるのやら・・・

それでも、いつか、「11月11日」という日を忘れる日がくる・・・
後の思い出に覆われる日か、老いて朦朧(もうろう)とする日か、命が尽きてなくなる日か・・・
忘れたいわけではないけど、いつか忘れる日、忘れられる日はくる。
ただ、それまでは、チビ犬が生きた証として、私が生きた証として、共に生きた証として、あの姿もあの鳴き声も心の中に大切にとっておきたい。

白とグレーの小型犬。
吠えるのは、何かを求めるとき。
目に焼きついているその姿は、今もなお、私に笑顔を与えてくれている。
そして、耳の残るその声は、私を頼りにしてくれているみたいで、「頑張ろう!」という気を起こさせてくれるのである。



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マ田力気 ~後編~

2015-11-05 09:11:57 | ゴミ屋敷 ゴミ部屋 片づけ
私には、忘れたい過去でありながらも、忘れてはいけない過去がある・・・
その一つが、引きこもりの経験。
これまで何度か書いてきた通り、この仕事に就く直前、私は、実家に引きこもっていた。
それは、大学卒業後、23歳のとき。
衣食住、家事雑用から生活経費まで、すべて両親が負担。
生産性のあることは何もせず、人目を気にして外出もせず、実家の一室にいるだけ。
ただ飯を食べ、用を足し、寝るだけの毎日を過ごしていた。

PCや携帯はもちろん、自室にはTVもなかった。
(ちなみに、PCや携帯電話が一般に普及したのは、この数年後。)
読書は嫌いだった(今も嫌いだけど)から、本を読むこともなく。
部屋に閉じこもって一日をどう過ごしていたのか・・・細かくは思い出せない。
ただ、当り前の話だが、実家といえども居心地が悪かったことは憶えている。

もちろん、楽しいことなんて何もない。
夢も希望も何もない。
頭に浮かんでくるのはネガティブなことばかり。
危機感、絶望感、劣等感、敗北感、罪悪感、虚無感・・・
自意識過剰、履き違えた自尊心、精神不安定、そして極度の欝状態・・・
上向きなことを考えようとしても気力がともなわず、すぐに萎えてしまっていた。

悩みながら生きることの意味、苦しみながらも生きなければならない理由・・・
そんなことばかりが頭を過ぎる毎日。
そして、そういう状況では、当然、悲観的・否定的な考えばかりが頭に浮かんでくる。
「無理して生きる必要なんかない!」
「誰か俺のこと殺してくれ!」
そんな思いに苛まれて、心を掻きむしっていた。

それでも、私は親の庇護のもと甘い環境に置いてもらっていた。
何もしなくても、とりあえずは食べていけるのだから。
しかし、それは、他人からすると、理解に苦しむ堕落した生活。
そして、それは、とりあえず外に出て、好き嫌いを言わず働けば解決するはずの問題。
にも関わらず、気力が失われていく中で、いつまでも燻ぶっている。
誰がどう見ても、マトモな人間に見えるわけはなかった。

自分でもそれがわかっていた。
だから、余計に落ち込んだ。
それでも、社会に出る勇気が持てなかった。
それよりも、この現実から逃れない・・・生きることの虚無感のほうが圧倒的に強かった。
何故だろうか・・・
そこには、自分の行く手を阻む自分がいたから・・・自分の本心を潰す邪心があったから。

引きこもりって、経済的基盤がないとやれない。
どんなに節約に努めても、生活していくためには金がいる。
そんな私を支えてくれたのは両親。
ただ、実家は、ごく普通のサラリーマン家庭。
決して裕福な家ではなかった。
そこに一人前の御荷物がいるわけだから、親も大変。
経済的なことはもちろん、精神的にもかなりの負担だったはず。
それでも、親として放っておくことができず、先の見えない苦渋の日々に耐えてくれていた。

甘やかしてばかりでは本人のためにならない。
ときには厳しく接することも必要。
しかし、それが吉とでるとはかぎらず、凶とでる場合がある。
私は、明らかにフツーじゃなくなっており・・・厳しく接して社会復帰を果たせればいいけど、ひとつ間違えば生きることをやめる道・・・つまり死を選択する可能性もある。
両親は、それを怖れていた。

もちろん、何もしないでいても退屈な日々ばかりではない。
両親だって、ただの一人間。
忍耐力にも限界があり、堪忍袋の尾が切れることもあった。
当然、私と両親との間には色々なことがあった。
親に苦言を呈され、叱られ、励まされ、慰められ、ときに罵倒され、私の方は、屁理屈で反論し、言葉がなくなると逆ギレし、沈みこみ・・・修羅場は何度となくあった。
ここに書くことも躊躇われるくらい嫌悪する出来事だけど・・・自分だけでなく母親に刃物を向けたこともあった。

しかし、アノ時、一人暮らしで親から経済的援助を受けていたら・・・
誰の目もなく、誰も干渉もなく、毎月そこそこのお金が入っていたら、私もそこから脱出できなかったかもしれない。
そして、私も、故人と同じような道をたどった可能性は充分にある。
それを思うと、とても神妙な気持ちになる。


楽しく生きられない人生に意味はない?
愉快に生きられない人生に意味はない?
幸せに生きられない人生に意味はない?
・・・そんなことはない。
苦楽は表裏一体、泣笑も表裏一体、幸不幸も表裏一体。
時々や瞬間の一面だけをみて軽々しく判断してはならないと思う。

生きていることに素晴らしさを感じることいくつもある。
しかし、私には、他人に「生きていることは素晴らしい!」と言い切れる力はない。
ただ、「生きていることは不思議なこと」とは言える。
そして、「生きるということは面白いこと」とも。
楽しいことも苦しいことも、嬉しいことも悲しいことも、幸せなことも不幸せなことも、全部含めて、本当に、本当に色んなことがあるから。
とにかく、この「面白い」は幸せのベース。
そう感じられないことも多いけど、とにかく、人生は面白いのである。

その一方で、
「そもそも、“生きることの意味”なんて人が考えるべきことじゃないんじゃないか?」
なんて思うこともある。
答があり過ぎて、答がなさ過ぎて、いつまでたっても廻ってばかりだから。
しかし、多分、こうして、生きることの意味を考えながら生きることも、また生きることの大きな意味の一つなのだろうと思う。
だって、それによって、その心は、また一つ、生きてて面白いことを探そうとするのだから。
そして、その種を手にするのだから。

人間の感情なんて、結構いい加減なもの。
ちょっといいことがあると人生バラ色になり、ちょっと悪いことがあると人生真っ暗になる。
しかし、実際は、自分が喜んでいるほど良いことでもなく、自分が嘆いているほど悪いことでもないことが多いのではないだろうか。
そして、そんなことに振り回されながら、泣き笑う・・・それもまた人生の面白みかもしれない。


前編の続きに戻ろう・・・

引き出しの中にあったのは何十通もの手紙。
封筒裏の差出人欄には故人の母親らしき人の名。
顔を合わせたがらない息子(故人)、話をしたがらない息子のことを案じて母親が書いたものだろう・・・
他の郵便物は、部屋中に放り投げてあったのに、この手紙だけは一つの引き出しにきれいに収められていた。

故人は、母親の気持ちがわかっていたはず。
それが重いものであることも。
しかし、どうあがいても、弱い自分を、嫌悪する自分を脱ぎ捨てることができない。
そして、そいつらが社会復帰するために必要な勇気を削ぐ。
その格闘で乾いた心が、また、故人を酒に走らせたのかもしれなかった。

両親は、「本人のためにならない」とわかっていても、故人を突き放す勇気を持てなかったのか・・・
戸惑い、苦悩しながらも、結末が吉ではなく凶とでることを怖れて。
結果、不本意なかたちの生活が終わるより先に、故人の人生が終わってしまった・・・
私は、最初の電話の態度から、男性(父親)が、正体不明の怒りに身を震わせていたことを想像し、自分の過去と重なる他人の人生を憂いた。


私の引きこもり生活は、死体業に就くことによって終わりを迎えた。
そして、それを機に、私は実家を出ることに。
家を離れる日・・・
壊れてバラバラになった生きる勇気をハリボテのように組み立てての再出発・・・
ほとんど投げやり、やけっぱち・・・夢も希望を持てないまま・・・
散々世話になり、散々心配と迷惑をかけたのに、私は礼の一つも言わず、愛想笑いの一つも浮かべず、フテ腐れた態度。
それでも、母は、振り向きもしない私の背中をポンポンと叩き、泣きそうな声を絞りだして「がんばるんだよ・・・」と言ってくれた・・・

あの時、母の言葉は、私の心には響いていなかった。
自分のことばかり考えて、社交辞令的に聞き流していた。
その心は冷たく乾き、人間らしい温かみを失っていた。

あれから23年・・・
少しは人の道がわかってきた。
それでも、私の生きる勇気には傷跡が残っている。
補修はできているが、無傷なものに比べたら壊れやすい。

しかし、あの時の母の言葉は、その後の人生において、何かにつけ壊れそうになる生きる勇気を組み立てなおしてくれているのである。


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マ田力気 ~前編~

2015-11-03 09:37:22 | ゴミ屋敷 ゴミ部屋 片づけ
ある日の午後、私は、街中に建つマンションに呼ばれた。
その上階にある一室で、住人が腐乱死体となって発見されたのだ。
依頼者は、マンションの管理会社で、私はそこの担当者と待ち合わせ。
私より少し遅れて現れた担当者はハイテンション。
近隣から苦情がでているわけではなかったが、苦手な何かにプレッシャーをかけられているようにピリピリしていた。

このエリアは一等地。
間取りは1Rや1LDKばかりで、独身者用の造り。
高級マンションではなかったが、築年数は浅く家賃は高め。
経済的に余裕のある学生や独身のビジネスマン等が多く居住。
部屋ごとにオーナーがおり、それぞれが賃貸で運用するタイプ・・・いわゆる投資型マンション。
そして、問題の部屋のオーナーは故人の父親だった。

1Fエントランスで担当者から鍵を預かった私は、専用マスクを脇に隠すように持ち、エレベーターで上階へ。
現場の部屋の玄関前に立ち、とりあえず深呼吸。
そして、周囲に人影がないのを確認して開錠。
マスクもつけないままドアを開け、素早く身体を室内に滑り込ませた。

ドアの奥には薄暗い部屋が。
それも、どこかに何が隠れていてもおかしくないようなゴミ部屋。
そんな光景に、慣れた私でも少なからずの不気味さを覚えた。
また、室内の悪臭は脳が判断する間も与えず、鼻から胃を直撃。
悪臭を肺に入れたくなかった私は、そそくさと専用マスクを装着した。

遺体痕は探すまでもなかった。
玄関を入ってすぐのところが台所で、そのシンクの前の床にあった。
結構な時間が経っていたようで、色はドス黒く変色。
見慣れたものであっても、その異様さは、どことなく気分を下げるものだった。

更にインパクトがあったのは酒。
故人は、相当の量を飲んでいたとみえ、部屋には焼酎の大型ボトルが数え切れないくらい放り投げられ、隅のほうには高く積み上げられていた。
死因は病死らしかったが、それは自殺をも思わせる光景。
何が自分とダブるというわけでもなかったが、私は、他人事とは思えない雰囲気に呑まれ、落ちていた気分を更に深く落とした。

調査を終えた私は、身体が臭くなっていたため、エレベーターを使わず、長い階段を使って1Fへ。
そして、そこで待っていた担当者に部屋の状況を伝えた。
が、担当者は、この件には深く関わりたくないようで、
「あとのことは遺族と直接やりとりして下さい」
と、丸投げ。
そして、
「くれぐれも、近隣住人から苦情がこないように注意して下さい!」
と釘を刺したうえで、私に遺族の名前と連絡先を書いたメモを渡し、そそくさと立ち去っていった。


私は、正直、遺族に電話をかけることに気が進まなかった。
言葉だけで状況を理解してもらう難しさと、自分が怪しい人間ではないこと(実は怪しい人間なのかもしれないけど)をわかってもらう難しさを知っていたから。
場合によっては、八つ当たりにも似た悪口雑言を浴びることもあるから。
しかし、遺族に連絡をとらないと事が先に進まない。
私は、一旦、車に戻り、何かを覚悟しながらメモに書いてある番号に電話をかけた。

故人の母親だろう、数コール鳴った後、老齢の声の女性が電話にでた。
管理会社の名を出して用件を話すと、女性は慌てた様子。
私の話を途中で止めると、電話の向こうで誰かを呼んだ。
そして、電話の相手は男性に代わった。
その声と口調も明らかに老齢で、名乗られなくても、男性が女性の夫、つまり故人の父親であることがわかった。

管理会社の担当者同様、男性も、この件には関わりたくなさそう。
しかし、親子である以上、また、部屋の所有者である以上、それは通用しない。
この現実に憤りを感じているのか、自責の念の表れか、悲しみのせいか、私が何か失礼なことを言ったわけでもないのに、私に対しても無愛想・・・というか、どことなく喧嘩腰。
私は、男性の態度を不快に思う反面、その心情もわからないではなく、例のごとく、仕事と割り切って事務的に捌くことにした。

男性は、私と会話すること自体 嫌悪感を覚えるみたいで、余計なことは語らず。
社交辞令的な言葉の潤滑剤も一切なし。
必要最低限の質問を私に投げかけ、それに対し私も簡潔に応え、必要な作業内容と費用を説明。
すると、「説明は理解できないけど頼むしかないだろ!」と言わんばかりに憮然と承諾。
“死体に群がるハイエナ”のように思われたのか・・・とにかく、男性にいい印象を持たれていないことがハッキリ伝わってきて、私は気分を一層悪くした。
同時に、現場に来れば一発で理解できることを言葉だけで伝えなければならないジレンマと、理解できないにも関わらず現場に来ようとしない男性に苛立ちを覚えた。


部屋を片付けていると、知ろうとしなくても故人の個人情報は知れてくる。
私は、荷造・梱包をする過程で色んなモノが現れ、色んなモノが目についた。
そして、それらは自然と私の頭で組み上がり、一人の人間の晩年の生き様ができあがっていった。

故人は、私より年上ではあったが、大きく括ると同年代。
数年前まで大手企業に勤務。
しかし、自己都合で退職したのか解雇されたのかまではわからなかったが、晩年は・・・いや、最期の数年は無職。
履歴書は何枚もあり、求職活動をしていた形跡はあったけが、安定した仕事に就いていた形跡はなし。
それでもこのマンションに暮せたのは、オーナーが男性(父親)だからで、築年数からみると故人(息子)に住まわせるために購入した可能性も大きかった。

ただ、そこは一等地に建つ投資物件。
一般庶民が気安く買えるような物件ではない。
それなりの経済力はないと、まず手は出ない。
なのに、男性はこの部屋を手に入れたわけで・・・ということは、男性は、それなりの経済力を持っているということになる。
となると、無職の故人が生活するうえで、住居以外にも親から援助を受けていたことも容易に想像できた。
でないと、酒を飲むことはおろか、食べるにも事欠いてしまうわけで、そうだとしたら、これだけの膨大な飲食ゴミが溜まるはずもないから。


そう・・・故人は、親の庇護のもと、働くことなく生活していた。
しかし、それは決して楽なものではなく、いくつもの紆余曲折を経ての不本意な結果。
本当なら、きっと、社会で一人前に生きたかったはず。
たけど、何かが邪魔をして、それが叶わなかった。
年齢?学歴?経歴?労働条件?・・・いや、プライド・世間体・怠け心・・・そう、邪魔をしたのはもう一人の自分かもしれず・・・
それに勘付くと、自分の弱さが露になり、自分を攻撃してくる。
すると、その弱さが恐くなる。
そして、それに耐えきれず、それを紛らわすために酒を飲む。

また、働き盛りの成人男性にとって、失業は社会的な死を意味する。
仕事に就けない理由は人それぞれだけど、働きたいのに働けないのはまさに地獄。
一流企業の勤務歴をもっている人には尚更かもしれない。
敗北感と劣等感と罪悪感に苛まれ、そのうちに精神がやられてしまう。
結果、少しでもそれを中和させようと酒に走る。
そして、それを繰り返すことによって、精神と肉体は闇に蝕まれていく。

故人が、日々、かなりの酒を飲んでいたことは、空容器が証明。
多分、外出もほとんどせず、人と関わることも避けていただろう。
食料を買いに出る以外は、ほとんど部屋に引き篭もりっぱなしの生活だったのではないだろうか。
そんな中で、とうとう身体は限界を迎え、一人倒れてしまった・・・


晩年、故人は、何を考えて生きていたのか・・・
最期、故人は何を思ったのか・・・
辛いこともたくさんあっただろう・・・
悲しいこともたくさんあっただろう・・・
悩みもたくさんあっただろう・・・
生きることに疲れ、生きることがイヤになり、生きることの意味、生きなければならない理由を考えたことがあったかもしれない。

勝手な想像は程々にしておかなければならないが、人生の局面に立たされたとき、特に苦境に置かれたとき、人は誰しも似たようなことを考えるのではないだろうか。
誰にも相談できず、誰に相談しても役に立ちそうな答が望めず、自分一人の胸の内で質疑応答を繰り返すことってないだろうか。
そうして、導けないとわかっている答を探し続ける・・・
それで、這い上がれればいいのだが、虚しく落ちていくこともある・・・

私は、自らが踏んできたそれらの考えを頭に巡らせながら、黙々と作業を進めた。
そして、タンスの引き出しにしまってあったある物を見て涌いてきた身につまされるような思いに息を呑んだのだった。

つづく
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