特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

さみしがり

2022-05-30 07:30:14 | 不用品
まだ五月だというのに、ここ数日、夏のような日が続いている。
ただ、その五月も明日で終わり、もうじき梅雨の時季。
しばらく、ムシムシ・ジメジメと過ごしにくい日が続くことになるけど、例年、私のウォーキングコースの一角には紫陽花が咲く。
今年も、蕾が出ているので、じきに咲き始めることだろう。
そして、雨が降っているときや雨上がりには、その脇の歩道に、生まれたばかりの小さなカタツムリがたくさん這い出てくる。
その姿は、とても小さく、とても可愛らしい。
ただ、彼らは、まったくの無防備で、よくよく見て歩かないと踏みつぶしかねず、その際は、ゆっくり慎重に歩くことが必要。
しかし、道行く人が、皆、私と同じことを心配しているとは限らず、となると、当然、踏みつぶされる子もいるわけで・・・残念ながら、淋しい想いをすることも少なくない。
 
歳のせいか、メンタルが弱っているせいか、このところ、何もかもが淋しく想えて仕方がない。
人間関係もそうなのだが、特に淋しく思えるのは、過ぎ去りし日の想い出。
事ある毎に、「笑顔の想い出は人生の宝物」と言ってきた私。
今も、その考えに変わりはない。
しかし、今は、そこに、極端な淋しさが覆いかぶさってくる。
 
ネクラな私にも、過去には、楽しかった想い出がたくさんあるわけで、それを想い出すたびに、
「もう二度とないんだな・・・」
「もう、この先、あんな楽しいことはないんだろうな・・・」
と、やたらと悲観的に捉えてしまう。
そうすると、生き甲斐が見いだせなくなり、その結果、生きることの意義や、自分の存在価値も見失ってしまう。
 
人生のプロセスには、すべて“時”がある。
すべてにおいて、“始まり”があれば“終わり”もある。
その“時”が過ぎてしまえば、すべておしまい。
時の流れに抗う力がない以上、諦めるしかない、受け入れるしかない。
「元気を出そう!」と、藁をも掴む思いですがりつく“笑顔の想い出”が、更に、淋しさを増長させているような始末。
戻れない時を想うと、戻せない時を想うと、私は、ヒドく淋しい気持ちになってしまうのである。
 
 
 
出向いた現場は、住宅地に建つ一軒家。
建てられてからそれなりの年数が経っており、そこそこ古びて傷んではいたものの、大きな家屋で、ちょっとした豪邸。
新築当初は、きっと、人も羨むような家だったに違いない。
また、下世話な話だけど、当時、結構な建築費がかかったはずだった。
 
そこでは、高齢の女性が一人で生活。
しかし、その昔は、一家五人で生活。
子供達はこの家で大きくなり、夫は会社勤めを続けた。
ただ、時の流れには逆らえず、子供達は成長、独立し、老齢になった夫も死去。
女性も齢を重ね、不自由の多い身となった。
 
私が訪問したとき、女性は、体調を崩して入院中。
で、現場で私に応対してくれたのは、女性の長男(以後「男性」)。
男性にとって、ここは実家で、依頼の内容は、家財生活用品の処分についての相談。
それは、単なる「不用品処分」というより、「生前整理」「終活」に近いニュアンスのもの。
なかなかデリケートな仕事になることが予感される相談内容だった。
 
促されるまま、家の中に入ってみると、広いはずの屋内は手狭な雰囲気。
大型の家具が数多く置かれ、その他の家財もかなりの量。
「ゴミ屋敷」と言うほど、ヒドく散らかっていたり、不衛生な状態になったりはしていないながらも、まるで家全体が、倉庫・物置になってしまったような状態。
あまりの窮屈さに、感嘆の溜め息を漏らしてしまうくらいだった。
 
この家は、男性が幼い頃、まだ若かった男性の両親が建てたもの。
築年数は、約五十年。
長年に渡って買い増されたのだろう、タンスには衣類等がギュウギュウ。
子供のモノから亡き夫のモノまで。
親戚が集まって寝泊りするときに使っていたのだろう、押入には、「旅館か?」と思う程の布団や座布団。
誰かの結婚式などの贈答品だろう、ギフト箱に入ったままの毛布やタオル、鍋やフライパン、コップや皿。
時の移り変わりと共に増えていったのだろう、食器棚には食堂を思わせる程の大量の食器。
その他、大量の割り箸やレジ袋、たたまれた包装紙や紙袋。
居間の物入れの引き出しには、昔出掛けた旅行のパンフレットや泊まった旅館の手ぬぐい、
果ては、ご当地弁当の容器や割り箸の袋まで。
どれもこれも、かなりの年代物。
ただ、これらは、ほんの一例。
一つ一つ説明しているとキリがないくらい。
家中に、五十年の生活の中で手に入れた、ありとあらゆるモノが保管されていた。
 
私にとって、特に圧巻だったのは、二階の子供部屋。
つまり、男性をはじめとする女性の子供達が使っていた部屋。
もちろん、「模様は当時のまま」という訳ではなかったが、部屋に置いてあるモノや しまってあるモノは、ほとんど当時からのモノ。
子供用の勉強机はもちろん、二段ベッドも当時のまま。
押入には、当時の布団をはじめ、箱に入れられた教科書やノート、漫画や玩具も。
ランドセルや学生カバンも。
タンスには、学生服や子供服までも保管。
それ以外にも、とにかく、想い出の残るモノは、徹底的に取り置いてあり、この家に何の想い出もないアカの他人の私でも「懐かしい!」と思ってしまうようなモノがたくさんあった。
 
モノであふれる家を見るにつけ、男性は、それまでも、幾度となく片づけを思案。
しかし、女性が、それをスンナリ認めないことも容易に想像がついたし、また、それは、母親をはじめ、家族の人生を否定するようにも思えて、結局、具体的な行動にまではつながらず。
ただ、そうは言っても、人は、時間には逆らえない。
誰もが皆、過ぎた時間の分だけ歳をとり、老い衰え、やがて死んでいく。
だから、どんなに大切にしているモノでも、どこかのタイミングで始末しなければならない。
どんなに執着しているモノでも、いずれは手放さなくてはならない。
自身もいい年齢になり、更に、女性が病院の世話になるようになって、そのことを悟った男性は、少しずつでも片付けることを決意。
女性に、そのことを相談する意思を固めていた。
 
家は、「異常」と言っても過言ではない状態だったが、女性の心情を察すると、理解できるところもあった。
戦中戦後の、貧しくてモノのない時代を経験した人にとって「使えるものを捨てる」というのは、我々が想像する以上に抵抗があるのかもしれない。
また、“想い出”というものは、心に残るものだけど、忘れ去られやすいものでもある。
しかし、それに関係するモノが物理的に残っている場合は、それに接する度に、当時の温かさを蘇らせることができる。
そうすることによって、知らず知らずのうちに、無機質のモノが擬人化され、“家族同然”みたいな感覚を抱くこともあると思う。
女性にとっては、それらを捨ててしまうことが、まるで、大切な想い出と家族を捨ててしまうような感覚で、大きな淋しさを覚えることだったのかも。
また、自分でも気づかないところで、どことなく、満たされない淋しさを抱えていたのかも。
それで、自分でも気づかないところで、心の隙間を物理的に埋めようとしていたのかもしれなかった。
 
 
モノに対する想いの込め方は、人それぞれ。
モノに想い出を重ねる人もいれば、ドライな人もいる。
私のように、極端に、過去の想い出に縛られる人は、実は、未来志向で生きることが苦手な、さみしがりなのかもしれない。
 
しかし、生き方としては、モノに執着しない方が楽なような気がする。
その人の性格や、その時の精神状態によるのだけど、想い出というものは、心を軽くする浮きになることもあるけど、逆に、心を重くする錘になってしまうこともあるから。
ただ、人によっては、それが簡単でないこともある。
“想い出の品”って、そう簡単に割り切ることも、冷淡に処分することもできるものではない。
 
「心がときめかないモノは捨てた方がいいモノ」「一年使わなかったモノは一生使わないモノだから不要なモノ」と、他人は勝手なことを言う。
そう言われても、当人には「使わないから不要」「使うから必要」といった概念はなく、“使うor使わない”は、問題ではない。
想い出の品が手放せないのは、ただの所有欲とは違う。
何に使うわけでもなく、金銭的な価値がなくても、持っているだけで心が満たされ、心が癒されるのだから。
 
 
私は、これまで、「あれが欲しい!これが欲しい!」と欲張った生き方をしてきた。
余計なモノを手に入れるために、どれだけの時間と労力を費やしてきたことか。
無用なモノを手に入れるために、どれだけの金と気を使ってきたことか。
それだけの、時間・労力・金・気をもっと有用なことへ投じれば、人生はもっと豊かになったかもしれない・・・
しかし、結局のところ、最期は、全部ゴミ。
どんな物持ちも人も、何も持っては逝けない・・・
まま、一生かけて、必死で手に入れた数々のモノは置き去りにするしかない・・・
自分のこの身体だって、ゴミと同じように燃やされてしまうだけ・・・
「この身体も、最期は骨クズと灰クズ」「ゴミ屑も同然」
それを悟ると、モノに対する考え方と自分が出す答が変わってくる。
 
この鬱々とした気分が少しでも変わることを期待して、私は、この春、断捨離することを思い立った。
「死ぬ準備をしておけば、少しは気が楽になるかな・・・」と、ただの“断捨離”というだけではなく“終活”するような気持ちもあった。
というわけで、「想い出は心の中にある」と、今まで捨てられなかったモノも思い切って処分することに。
そして、「こういうことは一気にやった方がいい!」と、先日、そのためだけに休暇をとって一人で作業した。
 
すると、あるわ あるわ、出るわ 出るわ、つまらないモノが、わんさか。
無趣味につき、何かを集めるような収集癖はないのだが、ケチな性分も手伝って、使っていないモノはもちろん、棚・引き出し・押入・クローゼット・収納ケース等には、存在自体を忘れていたり、一体、何のために取って置いたのか、自分でもわからないようなモノまでたくさん。
中には、ホコリにまみれたモノや、カビが出たモノもあり、取って置いた自分をバカにしたくなるようなモノも。
昔の日記や写真、プレゼント、手紙etc、想い出深いモノが現れたときは、思わず声を上げたり、つい手が止まったり、涙が出そうになったりもした。
もちろん、「淋しいなぁ・・・」「もったいないなぁ・・・」といった未練はあった。
それでも、当初の決意を思い出し、思い切ってゴミ袋に放り込んだ。
 
昼休憩はとったけど、朝からやって夕方前には終了。
それで、「処分する!」と決めていたモノの九割くらいは片付けることができた。
残ったモノは、一部の書類と衣類、それから、手紙・写真・日記の類、つまり、想い出深~いモノ。
これらのモノは、最初から「捨てる」と決意していたものではないのだが、それでも「日記くらいは捨てよう」と考えていた。
が、結局、手をつけることができず、「次回にしよう・・・」ということに。
ただ、“次回”も、そんなに先にするつもりはない。
気が変わらないうちに、心が折れないうちに、面倒臭くなる前に、少しずつでも進めたいと思う。
 
今回の“自分始末”は、自分としては思い切ったアクションだったのだが、結果として、メンタルに期待していたほどの変化はなし。
「俺は、この世に不必要な人間なんじゃないか・・・」
「俺の代わりになる人間なんて、いくらでもいる・・・」
そういった淋しさは、ほとんど変わっていない。
まぁ、それでも、「余計なことしたかな?」といった後悔はなく、「片付けてよかった」という気持ちにはなっている。
鬱っぽさは変わらないけど、スッキリした感覚はある。
 
気持ちに変化がないのは、“心の断捨離”できていないから。
気持ちを変化させるには、“心の断捨離”をするしかない。
何の気配もない心配事、自分を陰鬱する勝手な想像、根も葉もない劣等感、勝者のいない敗北感・・・そして、気分を沈ませる過去の記憶・・・
探してみると、心の中には、捨てた方がいいモノがたくさんある。
手放すべきものは手放し、捨てるべきものは捨て、身も心も軽くなれば、この淋しさも、いくらか癒えるかも。
 
必要なのは、「勇気」と「決意」と「覚悟」。
勇気を出さず、固い決意も、強い覚悟もないままで、変化だけを求めるなんて、人生にも世の中にも、そんな虫のいい話はない。
しかし、いつになったら、それらを持てるのか自分でもわからない。
どちらにしろ、こんなに弱っているうちは無理そうだから、もうしばらくは、淋しい人生をしのいでいくしかなさそう。
 
「今の苦しみは、明るい未来に向かうための“鍛錬”“荒療治”、そして、“吉兆”」と、無理矢理にでも自分に信じ込ませて。




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親心 子心

2022-05-19 07:00:30 | 腐乱死体
五月に入り、梅雨のような日や、寒暖差が激しい日が続いたが、ここにきて、やっと、この時季らしい陽気に恵まれるようになってきた。
次の波が来ないとも限らないが、幾度となく社会と人々を苦しめてきたコロナも派手な動きを見せないようになってきている。
マスク着用の要否も議論され始めている中、先日の11日、私も、ワクチン三回目を接種してきた。
自宅近くの病院で、結局、三回ともすべてファイザー。
「今日は激しい運動は控えて下さい」と看護師から言われたが、残念ながら、夜になっても、一緒に“激しい運動”をしてくれる相手はおらず、いつも通り、おとなしく酒を飲んで就寝。
何はともあれ、三回とも、副反応は腕(肩)の痛みのみで、倦怠感も発熱もなく、仕事にも影響なく済んで助かった。

高齢の両親も、幸い、コロナに感染することなく今日に至っており、しばらく前に三回目の接種も終えている。
しかし、すんなり受け入れた父とは違い、当初、母は、得体の知れないワクチンを打つことに難色を示していた。
母は、肺癌と糖尿病、基礎疾患の中でも「コロナにかかると最も危ない」とされる病気をWで患っているわけで、おまけに高齢ときている。
したがって、大多数の専門家と同様、私は、「ワクチンを打つリスクより、打たないデメリットの方がはるかに大きい」と判断した。

それで、その辺のところを幾度となく説明。
脅して強制するつもりは毛頭なかったが、
「その身体でコロナにかかったら命はないよ!」
「“打たない”という選択肢はあり得ない!」
「自分のためだけじゃないよ!」
と、接種を強くすすめた。
かつて、よくやらかしていた親子喧嘩にならないよう気をつけながら。
すると、私が本気で心配していることが通じたのか、しばらくして、母は、やっと承諾。
同地域同年代の人には遅れをとったものの、無事にワクチンを接種することができ、ひとまず、安心することができたのだった。



訪れた現場は、古い賃貸マンションの一室。
間取りは、今では少なくなってきた和室二間と台所の2DK。
その一方の和室で、暮らしていた高齢女性が死去。
「ありがち」とはおかしな表現かもしれないが、ここまでは“ありがち”な孤独死。
しかし、ここからが、あまりないケース。
故人は、亡くなってから半年余り経過して発見されたのだった。

半年も放置されると、当然、遺体は、それなりに腐敗。
ただ、気温が下がり始める秋に亡くなり、上り始める春に発見されたわけで、山場は、低温・乾燥期の冬。
畳には、人のカタチが残留し、頭があったと思われる部分には、白髪まじりの頭髪が大量に残留していたものの、それでも、その汚染は軽症。
また、異臭は発生していたが、「外にまでプンプン臭う」といったほどでもなし。
ウジ・ハエの発生もほとんどなし。
おそらく、その身体は、「腐敗溶解」という過程ではなく、「乾燥収縮」という過程を踏んで傷んでいったものと思われた。

家賃も水道光熱費も、銀行口座からの自動引き落としになっていたのだろう。
そして、同じマンションで親しく付き合っている人もいなければ、わざわざ訪ねてくる人もいなかったのだろう。
また、無職の年金生活者であって、社会との関りも希薄だったのだろう。
高齢につき、ネット通販を利用するようなこともなかったか。
ただ、故人は、天涯孤独な身の上ではなく、息子とその家族がいた。
それを考えると、「半年」という時間は、決して、短い月日ではなく、私には、長すぎるように思えた。

依頼者は、その息子(以後「男性」)。
母親の孤独死したことを半年も気づかずにいたことに罪悪感みたいな想いを抱いているようで、気マズそうにしながら、
「家族の恥をさらすようですが・・・」
と前置きし、発見までの経緯を話してくれた。

男性宅は、もともと男性の両親が建てたもので、現場とは駅の反対側、現場からそう遠くない距離にあった。
そして、数年前まで、男性家族と故人は、一つ屋根の下で同居していた。
ただ、家族といえども、一人一人の人間であり、人間関係に多少のギクシャクがあっても不自然なことではない。
また、「どっちが正しい」とか「どっちが悪い」とかいう問題ではなく、人には「相性」ってものがある。
相性が合わない同士は、どうしたって合わない。
ただ、生計を一にする家族である以上、相性がどうのこうのとワガママは言えない。
お互い、ある程度は、尊重と我慢をしなくては生活が成り立たない。
しかし、それにも限界があるわけで、限界を超えてしまうと、その生活は保てなくなる。
それを理解していたのだろう、もともと、“一枚岩”の家族ではなかったものの、皆がテキトーなところで折り合いをつけることによって、何とかうまくおさまっていた。

転機となったのは、男性の父親(故人の夫)の死去。
「家族の重石がなくなった」というか「規律を失った」というか、家族関係のバランスをとっていた支柱がなくなったみたいな感じで、それ以降、目に見えない何かが変わっていった。
露骨に変わったのは、嫁(男性の妻)と故人。
それまでは、お互い、抑えるところは抑えて、耐えるべきところは耐えてきたのに・・・
「これからは自分の天下」とまでは思っていなかっただろうけど、それぞれ、自分でも気づかないうちに気持ちが大きくなっていったよう。
その結果、家事の分担、家計費の分担、共用スペースの使い方、食事の好み、生活スタイルやリズム等々、些細なことで二人はぶつかるように。
嫁姑の確執なんて、家族間にありがちな揉め事の代表格なのだが、日を追うごとに、その関係は悪化していった。


ここからは、私の想像も含まれるけど・・・
もともと、自分達夫婦が建てた家にやってきた新参者(嫁)が、年月が経つにつれ、自分より幅を利かせるようになってきた。
「老いては子に従え」とも言うが、老いた者にだって自尊心やプライドはある。
年寄り扱いするだけならまだしも、疎まれ、邪魔者扱いされるのは我慢ならない。
必要のないところでも上下関係をつくりたがるのが人間の悪い性質だったりするのだが、居心地が悪くなってくるばかりか、この家で一緒に生活すること自体が苦痛になり、故人は、別れて暮らすことを思案。
「息子家族を追い出すより自分一人が出ていく方が諸々の影響が少ない」と判断し、結局、自分一人が出ていくことに。
高齢で始める一人暮らしのハードルは低くない中で、それでも意地を通すべく、地元の知り合いをツテに、今回、現場となった部屋を見つけ、そこに移り住んだ。

比較的、中立的な立場にあった男性は、時には妻の味方になり、時には母親の味方になり、何とかうまくやろうとしていたのだろうと思う。
しかし、男性には男性の生活がある。
そしてまた、家族のためだけではなく、自分のために生きていい人生がある。
争い事があまりに多いと、いちいち関与していられない。
また、その種があまりに小さいと、いちいち仲裁に入っていられない。
そんな男性の心情や事情は、充分に察することができた。

事実上のケンカ別れだから、以降、双方、関わり合いになろうとせず。
互いに行き来することはもちろん、電話やメールで連絡を取り合うこともなし。
盆暮れのイベントや誕生日などの記念日もスルー。
他人以上に他人行儀な関係に。
“意地とプライドの戦い”でもあったのか、結局、それは最期まで続き、あまりに変わり果てた姿での再会となってしまったのだった。


「それくらいは私がやります・・・」
と、男性は、台所にあったレジ袋を手に遺体痕の方へ。
そして、遺体頭部の脇にしゃがんで合掌。
それから、そのレジ袋を手袋の代わりにして、腐敗体液と混ざって畳にへばり着いた頭髪を、むしり取るようにベリベリと引き剥がし始めた。
時々、小さな溜め息をこぼしながら。

男性が、何を想いながら故人の遺髪を掴み取っていったのか・・・
供養の気持ち、感謝の気持ち、後悔の気持ち、謝罪の気持ち、色々な想いが交錯していたはずで、それを察するに余りあるものがあり・・・
その作業は、本来、私がやるつもりだったことだが、口出しはせず。
「お母さん、天国で喜んでいると思いますよ」なんて歯の浮くようなセリフは、とても吐けたものではなかったが、まんざらそう思わなくもない中で、私は、男性の後ろから、泣いているかのように震える背中を黙って見ていた。
時々、小さな溜め息をこぼしながら。



人間という生き物の性なのだろうか、小さなことのこだわりが捨てられず、意地になってしまうことってよくある。
自分が不幸になることに気づかず、自らの手で、大切な人を蔑ろにしてしまうことも。
時間が経ち、頭が冷えた頃になって、自分で自分がイヤになるほど悔やんだり、情けなくなったりすることもしばしば。

かく言う私も、これまで、随分と小さなことに引っ掛かり、随分と小さなことにつまずいてきた
それで、随分と親子喧嘩を繰り返してきた。
とりわけ、母親とは、子供の頃から、ほんの数年前まで頻繁にケンカ。
顔を合わせたときにかぎらず、電話で何気ない会話をしているうちにケンカになったことも多々。
長い間、絶交状態になったことも、「もう、一生、会えなくてもかまわない」と、頑なに心を冷たくしたことも一度や二度ではない。
しかし、もう、父は八十五、母は八十になり、この私も、結構な年齢になっている。
「もう、先が短いことが見えている」というか、ここまでくると、小さなことにこだわっている場合じゃない。

今となっては、親不孝を悔いることもしばしば。
両親共働きで、中学から私立の進学校へ。
貧乏しながら行かせてくれた大学でも、車やバイクを乗り回し、酒と女の子との遊びに興じ、勉学より優先して得たバイト代も、親に何か贈るどころか、すべて遊び代に費やしてしまった。
挙句の果てが、社会の底辺を這いずり回るような“死体業”への就職と、不名誉極まりない“特掃隊長”への就任。
こんな親不孝・自分不幸が他にあろうか・・・
あれから三十年経つのに、今でも自分の生活を維持するのが精一杯で、何の恩返しもできていない。
もう、申し訳なさ過ぎて、情けなさ過ぎて、この世にいる価値さえ見失いかけている。
そしてまた、そのことに、いい歳にならないと気づけなかったことが、とても恨めしく感じられている。

父や母に、私がやってあげられることがあるとすれば、孤独死腐乱した場合、誰にも負けないくらいシッカリ掃除することくらい。
冗談じゃなく・・・ホント、ガッカリなことだけど・・・
でも、もし、そうなったら、一生懸命!やろう・・・
異臭と汚れと残留汚物を、涙と汗で流しながら。
そして、この先、自分が死の床についたら、ロクに動かせなくなった身体と、ロクに動かなくなった頭で、病院の天井を見つめながら、最期を悟りながら、できるかぎり想い出そう・・・
父と母が与えてくれた“笑顔の想い出”を、後悔と謝罪に勝る、喜びと感謝の気持ちを抱きながら。

「親の心、子知らず」「子の心、親知らず」
それでも、いくつになっても親は親、子は子。
有限の命にある その愛と絆は無限。
こうなってしまった私の人生は もう仕方がないし、孝行らしい孝行ができるとも思えないけど、頻繁に会えない代わりに、メールや電話は こまめにしようと思っている。
そして、あまり無理をしないで、でも、無理をしてでも長生きしてほしいと思っているのである。



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生と死 権利と義務

2022-05-09 07:00:00 | 特殊清掃 自殺
五月に入り、色とりどり、街や野山のあちらこちらでツツジが満開の盛りを迎えている。
そんな中、長~いGWが終わった。
懐が寒くなっている人、渋滞や人ごみに疲れた人、飲み過ぎ食べ過ぎで太った人など、様々な人がいそう。
とにもかくにも、久しぶりに政府や自治体による規制らしい規制がないGWで、多くの人が、その ひと時を楽しんだことだろう。
そして、そこでは、多くの“笑顔の想い出”が生まれたことだろう。
今は気づいていないかもしれないけど、この先、それは、“人生の宝物”になるもの。
だから、次の楽しみを追うばかりではなく、これはこれで、大切に、大切に、心にしまっておいた方がいい。
先々、自分を癒し励ましてくれることがあるかもしれないから。

併せて、今日から再び仕事の人も多いだろう。
家族から解放されてホッとしている人、再びの労苦に向かって憂鬱になっている人、様々か。
憂鬱になっている人にとっては、キツいところ。
そのうちに慣れてくるのだろうけど、とりわけ、新入社員や新入学生などは、五月病にならなければいいけど。
現実逃避からくる退職・退学等の間違いが起こって、私のような人生を歩くことになったら、目も当てられないからね。

私の場合、GW明けとか、まったく関係なく、毎朝、キツい思いをしている。
毎朝、起床前の数回、ほんの数秒から十数秒なのだが、「波」というか「発作」というか、胸の内を得体の知れないものが襲ってくる。
鬱にも慣れたこの頃は、それが「来そう」「来てる」「過ぎた」というのが自分でもわかる。
うまく言葉では言い表せないけど・・・
奈落に突き落とされるような恐怖感、暗闇を彷徨うような不安感、追い詰められるような切迫感、動悸がするほどの緊張感、息をするのもイヤになるくらいの虚無感・・・すべて自分の中で起こっていることながら、身の危険を感じるときもある。
あくまで、個人的な憶測だけど、ビルからの飛び降りや電車への飛び込み等、衝動的な自殺の場合、当人は、この症状に見舞われているときが多く、瞬間的な感情に動かされてしまうのではないかと思う。



「自殺があった部屋なんですけど・・・」
取り引きのある不動管理会社から、現地調査の依頼が入った。
日本人が自殺する場合、「縊死」、つまり、首をくくることが多いのだが、自刃の場合は“血の海”になっていることも多く、念のため、私は、そのことを質問。
すると、担当者は、
「“首吊り”です・・・」
と、声のトーンを落として返答。
発見に至った経緯や汚染・異臭の具合も訊きたかったけど、それ以上、担当者の気分を沈ませては申し訳なかったので、“現場に行けばわかること”と、私は、質問の言葉を飲み込んだ。

希望された調査日は、それから数日後。
訪れた現場は、閑静な住宅地に建つアパート。
軽量鉄骨構造で、「マンション」とは呼ばないものの、「アパート」と呼ぶには高級。
外観もきれいで、同地域の木造アパートに比べると、間違いなく家賃は高いはずだった。

早めに到着した私は、建物の前で待機。
すると、程なくして、二人の男性が現れた。
一人は、電話で話した管理会社の担当者。
そして、もう一人は中年の男性で、故人の遺族(以降「男性」)。
落ち着きのない物腰と、怯えたような表情から、故人とは、かなり近い血縁者であることが伺えた

通常の孤独死でも充分ショッキングなのに、自殺となると、男性も、心中、穏やかではいられないはず。
通常の精神状態ではなく、デリケートな状態、ナーバスになっていても不思議ではない。
私は、前もって、遺族が来ることを知らされておらず。
だから、そんな男性を前に、私は、やや緊張。
どんな表情で、どんな物腰で、どんな言葉遣いで接すればいいのか、ない知恵を絞って思案した。

現場の状況については、「担当者に会った時に訊けばいい」と考えていた私。
しかし、男性が一緒となると、なかなか訊きにくい。
結局、死後どれくらいで発見されたのか、汚染や異臭はどんな具合か、状況は不明のまま、短く挨拶を済ませただけで、我々は部屋の方へ。
玄関前に着くと、担当者は、カバンから鍵を取り出し、何の躊躇いもみせず、ドアの鍵穴に差し込んだ。

部屋が凄惨な状態になっている場合は、一番先に私が入ることが多い。
もっと言うと、私しか入らないことが多い。
しかし、ここでは、鍵を開け、ドアを引いた担当者は、迷うことなくそのまま入室。
次いで男性も。
中が汚い場合は土足のまま、またはシューズカバーをつけて入ることが多いのだが、二人とも玄関で靴を脱いで。
部屋を見るまでもなく、もう、それだけで「軽症」であることが判明した。

部屋に入ると、室内に家財はなく、空っぽ。
また、汚染らしい汚染もなく、異臭らしい異臭もなし。
というか、これから誰かが入居してくるのはないかと思われるくらい、かなりきれいな状態。
事情を知らずに一見すると、部屋を探している人を不動産会社が案内しているのかと見まがうくらいの画で、私は、逆の意味で驚いた。

間取りは1DK。
「この辺です」
部屋に入ると、担当者は、そう言って、遺体があった辺りを指さした。
そして、
「床に、少し体液がついていたようですけど、〇〇さん(男性)が掃除されたそうです」
と説明。
残っていた家財も男性達遺族が片付けたようだった。

「ところで、私は、何をやれば・・・」
特段の汚染も異臭もない部屋で、自分がやるべき仕事を計りかねた私は、そう質問。
「床の清掃と部屋の消毒です!」
担当者は、男性に気遣う素振りもみせず即答。
「大家さんが強く希望されているものですから」
と、言葉を続けた。
しかし、「掃除」と言っても、既に床はピカピカ、「消毒」と言っても、部屋は充分に清潔な感じ。
しかし、大家は、それを強く希望。
担当者は、更に言葉を続け、
「その後、床と天井壁のクロスは貼り替えます」
「水周りの設備をどうするかは検討中です」
と、大家の“要望”・・・というか、”命令”を代弁。
私は、内心で、“どうせ貼り換えるなら、清掃も消毒もいらないんじゃないかな・・・”とも思わなくもなかったが、それを口にしても自分の得にはならないので、黙って聞き流し。
男性も、故人の身体あったところの床を見つめながら、黙ったまま反論もせず。
この流れからすると、「向こう〇年間、通常家賃の〇%を補償していただきます」といった家賃保証の問題がでてくるのも時間の問題だった。

担当者としては、この痛ましい現実に対して、いちいち男性に気遣って、その心情を汲んでいては仕事にならない。
親切のつもりで感情を移入すると、それが、精神的な負担を重くすることもある。
担当者は、横柄な態度をとるとか、偉そうな口調で話すとか、そんなことはなく、男性に対する礼儀をわきまえつつも、男性の顔色をうかがうことなく、一方的、且つ、やや事務的に大家の意向を伝えていった。

同時に、私は、大家の心情も察した。
大家は、ありきたりのアパートを建てて、ありきたりの家賃を得るより、付加価値の高いアパートを建てて、地域相場より高い家賃を得ることを選択したのだろう。
もしくは、結構な資産家か。
どちらにしろ、アパートへの愛着もあれは思い入れもあって当然。
しかも、問題は、この部屋だけのことでおさまる保証はない
「気持ち悪い」と、他の部屋の住人が出ていく心配もある。
「あそこのアパートで自殺があった」等と、一部屋だけの問題ではなく、アパート全体が風評被害に遭って、他の部屋まで家賃を下げなければならなくなる可能性だって充分にある。
ただの孤独死なら、ある種の不可抗力な出来事でもあるが、事情はどうあれ、あくまで自殺は「故意」。
大家は、その事実に対して、大きな嫌悪感を抱き、強い憤りを覚えていたのではないかと思われ、そんな気持ちを考えると、遺族に対する要求は理不尽なものとも思えなかった。

成り行きで、私は、その場にいたのだが、担当者と遺族がやりとりする中では無用の存在。
極めてデリケート、かつ故人や男性のプライバシーに関わるような話だから尚更のこと。
しかし、そこに、「用は済んだので、私は引き揚げます」と口を挟めるような雰囲気はなく、結局、黙ってその場に滞在。
そして、マジマジと見つめたわけではなかったが、担当者が何かを言うたびに、私のチラチラとした横目視線は、自然と遺族の方へ。
無表情の中にも滲み出る心情があり・・・
下衆の野次馬根性がありながらも、独善的な感傷がありながらも、私の頭は、その心情を読んでいった。

亡くなったのは、男性の息子。
年齢を訊く立場にはなかったけど、男性の年齢からすると、故人は若かったはず。
若くして逝った故人の苦悩はいかばかりだったか・・・
残された遺族の嘆き悲しみはいかばかりか・・・
抱えきれない苦悩を抱え、負いきれない重荷を負い・・・
倒れないでいるだけでやっと、潰されないでいるだけでやっと・・・
生きているだけでやっと、やっと生きている・・・
担当者の口から出る言葉に対して、男性は、短い質問こそすれ反論はせず。
反論したいことがなかったわけでもなく、大家の言いなりにもなりたくなかったはずだけど、故人がやってしまったことを大家の立場になって考えると言い返す言葉も見つからなかったのだろう。
私の目には、床に視線を落としたまま黙っている男性が、
「息子はそんなに悪いことをしたのだろうか・・・」
「これだけ人に迷惑をかけてるんだから、やはり、悪いことをしたんだろうな・・・」
と、無理矢理、自分を納得させ、
そしてまた、
「育て方が悪かったんだろうか・・・」
「助けてやる方法はなかったんだろうか・・・」
と、深く悔やんでいるように見えた。
そして、私は、そんな男性の姿に、何も及ぼせない過去を痛感させられ、男性にとって、何の役にも立たない哀れみや同情心をともないながら、ただただ小さな溜め息をつくのみだった。


「自殺」というものは、痛ましいことであり、悲しいことであり、憐れむべきことかもしれない。
しかし、往々にして、「自殺」は悪行とみなされ、故人だけでなく遺族まで罪人のような扱いを受ける・・・
やったのは故人で、遺族ではないのに、いわば、故人の身代わりとして、重荷を背負わされる。
同時に、同じ、一人の死でも、“自殺”となると、同情心はなかなか湧いてこず、疑義や咎める気持ち、場合によっては嫌悪感や恐怖感が沸いてきやすい。
特に他人は。
これも、また現実。
正邪・善悪で片付けることができない中でうごめく悩ましい現実。
しかし、これを「冷酷」と非難することはできない。
もともと、生存本能をもつ人間は、“死”に対して嫌悪感や恐怖感を持っているものだし、自ら命を絶つことに対して、更に強い感情を抱くことも自然なことだと思われるから。

私は、これまで、遺族・利害関係者・他人に関係なく、「自殺」という事象によって甚大な害を被った人々の悲哀や苦悩もたくさん目の当たりにしてきた。
そして、残念ながら、これからも、自殺現場に携わることが少なからずあるだろう。
それでまた、己のメンタルにダメージを受けることもあるだろう。
また、百歩譲って、それで故人は救われるのかもしれないけど、残された人は、誰一人、幸せにはならない。
それどころか、未来に向かって持っている、幸せに生きる権利さえも奪いかねない。
だから、故人を責める気持ちになれないのも事実だけど、私は、決して「自殺」というものを肯定しない。


生きることは権利なのか、それとも義務なのか・・・
不幸の底にいると義務のように思えてしまうこともあるけど、実のところは権利。
行使していいもの。
また、死ぬことは権利なのか、それとも義務なのか・・・
絶望の淵にいると権利のように思えてしまうこともあるけど、実のところは義務。
履行されなければならないもの。
つまるところ、“生きることは権利”であり“死ぬことは義務”であるのが、本来のあり方のように思う。
生きる義務の履行中は死ぬ権利は行使できず、生きる権利を行使している中でも死ぬ義務は履行される・・・つまり、いつまでも生きていたくても、いつか死ななければならないのだから。

本来、権利である“生”を義務として履行せず、本来、義務である“死”だけを権利として行使するのは、虫が良すぎやしないだろうか・・・
しかし、私は、今、義務的に生きてしまっている。
程度に差はあれど、生きにくくなる一方の現代社会には、似たような人も少なからずいそう。

「俺には、俺が生きる権利を奪う権利はないよな・・・」
「死ぬことは、義務として定められているんだから、そんなに、生きることを恐れる必要はないのかもな・・・」
私は、混乱している頭でこの文を打っている自分に、そう語り掛けている。
そうして、やっとの想いで、明日への命を繋いでいるのである。
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