特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

無駄

2023-02-24 07:00:00 | 特殊清掃
三年が経ち、コロナ禍も終盤に入りつつあるのか・・・
感染症の分類も5類に引き下げられることになり、マスク着用も原則として「個人の判断」となる模様。
そんな中、判断の難しさや想定されるトラブルをネタに各所で議論が巻き起こっている。

コロナ対策とは別の視点だが、人は マスクを着けていると美男美女に見えやすいそう。
事実、TVに映る一般人を観ても、多くの人が美男美女に見える。
同時に、身の回りには、マスクを外した素顔を見て、「この人、こんな顔だったんだ・・・」と、失礼ながら、想像していたほどの美形でなかったことに驚いてしまった人が何人かいた。
私の場合、マスクを着けていても美男には見えないだろうけど、その逆もあるかもしれない。
そう考えるとお互い様。
それを口に出さないことが大切なマナー。

顔半分を隠して生活することになれてしまって、人によっては、もはや、マスクは服の一部。
すでに、多くの人が「マスク依存症」「素顔アレルギー」に罹り、メンタルの問題に発展している気配もある。
「コロナもインフルも花粉も気にならないけど、顔を出すのが恥ずかしいから」と、マスクを着用し続ける人も少なくないのではないかと思う。

私の場合、人と人との距離が近くなる場面においては、“マスクを着けてほしい”と思う。
屋内はもちろん、屋外でも近い距離で会話する場合はマスクを着けてほしい。
心配してもキリがないのはわかりつつも、誰かから感染するのはイヤだし、誰かに感染させるのもイヤ。
そんな感覚だから、おそらく、私は、“着用派”になるだろう。
そして、それが無駄なこととも思わないだろう。
ただ、マスクを着けていない人に対して悪い感情を抱かないように気をつけなければいけないと思っている。



特殊清掃の相談が舞い込んだ。
電話の相手は女性で、声から察する歳は30代くらい。
ただ、声のトーンは弱った老人のように低く、印象は暗い感じ。
現場は、女性の自宅で、賃貸のアパート。
木造の古い建物で、間取りは1DK。
私は、事情を知るため、女性にいくつかの質問を投げかけた。

「特殊清掃」と聞くと、まず孤独死現場の処理が頭に浮かぶかもしれないが、それだけではない。
当社では、その対象となる汚れを「特別汚損」と称しているのだが、その種類は多種多様。
一般のハウスクリーニング業者は対応しないような、非日常的な汚れを対象とする。
ゴミ部屋、ペット部屋、漏水、糞尿、嘔吐物、数は少ないが火災現場等々・・・
また、特別汚損現場ではないところの消毒・消臭も請け負う。
多いの、賃貸物件の入退去にあたっての消毒消臭。
タバコ臭やアロマ臭、前住人の生活臭等が気になる場合に呼ばれるのだ。
神経を使うのはノロウイルス。
感染力が高く、症状も重いため、作業時は余程気をつけなければならない。
コロナ禍の当初は、その消毒に出向いたこともあったが、しばらく前から落ち着きを取り戻している。

本件の相談は、女性自身が引き起こしたことだった。
それは、室内での失禁。
しかも、何度も。
そして、それを拭き取りきらないまま、その上にまた失禁。
それが長期間に渡って繰り返されているようだった。

居室は畳敷きの和室で、カーペットが敷いてあるそう。
となると、当然、尿はそこに浸み込んでしまうわけで、その状況から、私は、“清掃のみで原状回復できるレベルは超えている”と判断。
「現地を見ていないので断言はできませんけど、カーペットと畳は交換する必要があると思いますよ」
と回答。
女性は、“特殊清掃業者に頼めば何とかなるかも”と期待をしていたようで、ややガッカリした様子。
それでも、
「とにかく、見に来てもらえないでしょうか」
と、強く要望。
私は、“仕事にならない可能性が高いけどな・・・”と思った。
が、しかし、仕事にならないことが明らかな場合以外は、できるかぎり要望に応じることをモットーとしている私。
“百聞は一見にしかず”と気持ちを切り替え、現地調査に出向くことを約束した。

女性は、現地で顔を合わせるのは避けたいようで、
「その時間、玄関の鍵を開けておきますから勝手に入ってください」
とのこと。
女性の部屋に一人で入ることに躊躇いを覚えなくもなかったが、それが女性の羞恥心からくるものだと察した私は、二つ返事で承諾。
そうは言っても、これが、後々、トラブルの種になっては困る。
入室を許可する旨と、家財の滅失損傷については免責とする旨の覚書をつくって玄関に用意してもらうことを条件にした。

約束の日時、私は女性のアパートを訪問。
一階の一室である女性の部屋の玄関前に立つと、まず、女性に、
「到着しました」
「これから部屋に入らせていただきます」
と電話。
すると、女性は
「鍵は開けてあります」
「覚書は下駄箱の上に置いてあるので、よろしくお願いします」
と、やや緊張した様子で言葉を返してきた。

ドアを開けると、長く掃除していないトイレのようなニオイ・・・
室内はアンモニア系の異臭が充満。
専用マスクをつけずとも我慢できるレベルではあったものの、明らかにクサい。
私は、下駄箱に置かれた覚書を確認のうえ 靴を上履きに履き替え 薄汚れた台所を通り過ぎ 部屋の奥へ。
すると、そこには、甘かった想像を超える光景が広がっていた。

女性は、相当の長期に渡って失禁を繰り返したよう。
家具等が置いてある部分を除き、露出している床の部分はほぼ全滅。
敷かれたカーペットは、ほぼ元の色を失い茶色く焼けたような色に。
部屋の隅から中央に向かってカーペットをめくってみると、その下の畳も黒ずんで腐食。
ジットリと湿気を帯びた畳は一段と高い濃度の異臭を放ってきた。

また、部屋は、「ゴミ部屋」というほどではなかったが、お世辞にも「きれい」と言える状況ではなし。
整理整頓はできていたものの、台所や部屋の隅にはホコリがたまり、頭髪や細かなゴミも散見された。
水周りも掃除が行き届いておらず、風呂場の浴槽や天井壁には、広範囲に水垢・カビが発生。
キッチンシンクも同様で、ガスコンロ周辺と換気扇は機械オイルを塗ったようにベトベト。
肝心のトイレも似たような状態。
ただ、詰まって水が流れないわけでもなく、便座も座れないくらい汚れているわけでもなかった。

部屋に糞便の影はなし。
トイレも使える状態なわけで、糞便の用はトイレで足していたのだろう。
“何故、小便だけ、部屋でしてしまったのだろうか・・・”
下衆の野次馬=私は、そこのところが不思議でならなかった。
その辺のところが知りたくてたまらなかった。
が、その質問は、あまりに無神経。
しかも、事情を知ったところで、作業の内容が変わるわけでもなかった。

どんな人も、長所があれば短所もある。
得意なことがあれば不得意なこともある。
強みがあれば弱みもある。
そして、当人にしか持ちえない「性質」「癖」「嗜好」がある。
また、心や身体に病を抱えている人だっている。
女性が部屋で失禁し続けた理由を想像することはできなかったが、他人が理解できないところに理由があることは察することができ、そう頭を巡らせると野次馬はおとなしく走り去っていった。

当初の電話で想像していた通り、「清掃での原状回復は不可能」と判断。
汚損したカーペットと畳は物理的に交換するしかなく、畳の下の床板まで汚染されている可能性もあり、場合によっては床板の交換まで必要になる。
下手をしたら、床下にまで垂れている可能性もなくはなかったが、女性の不安を煽るようなことを言っても気の毒になるだけだったので、希望的観測を含めて、そこまでのことは口にせず。
あとは、本格的なルームクリーニングや細かな設備修繕も必要。
大がかりな作業が必要になることは明白だった。

女性には両親のいる実家はあったが遠方。
また、しばらく寝泊りさせてくれる友人もいないそう。
となると、やり方としては、レンタル倉庫を借りて、一旦、家財一式を保管。
そして、自分は、ホテルやウイークリーマンション等に一時避難。
しかし、これには、相応の手間と費用がかかる。
その上、畳や床板の交換を大家・管理会社に黙ってやるのはマズい。
ということは、どちらにしろ、大家・管理会社に実情を伝えなければならないわけ。
だったら、状況をキチンと伝えたうえで転居を計画した方がシンプル。
もちろん、部屋の原状回復費用の多くを女性が負担することを覚悟のうえで。
女性にそこまでの資力があるかどうか不明だったが、私は、それ以上に無難な策を提案することができなかった。

“掃除で復旧できれば・・・”と、淡い期待を抱いていた女性だったが、現場を見た上での私の説明は受け入れざるを得なかったよう。
私の説明に対しては、溜息のような返事を繰り返すばかり。
表情こそ伺い知ることはできなかったが、電話の向こうで消沈している様が痛々しく感じられるほどに伝わってきて、縁の薄いアカの他人ながらも気の毒に思えた。
そうして、ひとまず「検討」というところに着地し、その場の話は終わった。

その後、女性は、部屋から退去。
ただ、そこは老朽アパートにつき、新たな入居者は募集せず。
で、幸いなことに、クリーニングも内装工事も必要最低限の費用で済んだ。
ただ、すべてを管理会社が取り仕切り、当方の出番はなかった。
そして、意図せずして、女性が身体に障害を抱えていたことも判明。
部屋の汚損すべての原因がそこにあるとは言い切れなかったが、少なからずの原因がそこにあったことは容易に想像できた。
加えて、女性が、健常者と同じ環境で四苦八苦しながら生活していたことも。
とにもかくにも、当方には一銭たりとも入ることはなかったが、事の収拾が予想していたよりも大事にならず、また、女性が、困難多い中で生活をリセットできたことを喜ばしく思えたことが、自分の益になったような気がしたのだった。


珍業とはいえ、当社も民間のサービス業者の一つ。
競合他社もあり競争の中にいる(特殊清掃草創期は、当社独占みたいな時期もあったけど)。
したがって、相談を受けた案件、すべてが売上につながるわけではない。
当社は、「初回の現地調査は無料」としており、調査料やアドバイス料を請求することもないから、現地への足労が無駄になってしまうことも珍しくない。
ただ、仕事になりにくそうな案件でも、相談はもちろん、現地調査にも積極的に応じるようにしている。
それで、一つの経験が積み増しされるわけだから。
そして、蓄積された経験から より良いノウハウが生まれ、それによって仕事の質が上がる。
直接的に金銭的な見返りがなくても、大局的に見れば、まったくの無駄にはならないのである。

人生もまた然り。
人生には、無駄なことにように感じられることや、無意味なことのように思われることがたくさんある。
とりわけ、災難な患難に対しては、そんな想いが強くなる。
しかし、実のところは、無駄ではなく、無意味でもない・・・
ただ、それを理解する能力と受け入れる器が自分にないだけで・・・
生きていく力を失わないよう、確信はないけど、そう思いたい。そう信じたい。

ただでさえ、明るい未来を描きにくい時代にあって、どうしても、無駄なことばかりやって無意味な時間をやり過ごしている感を強く抱いてしまう私は、それでも、自分を無駄なく生きさせたいと願っているのである。
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暴発

2020-07-13 08:40:09 | 特殊清掃
休業要請や自粛要請が緩和されてしばらく経ち、街は“日常”取り戻しつつある。
先月19日、都道府県を跨いでの移動が緩和され、観光地でも人が増えているよう。
しかし、それに合わせるように、報告される感染者数は増えている。
ある程度は想定内のことだろうけど、「東京一日200人超」まで想定していたかどうか・・・政治家の表情から漂うのは想定以上の状況になっているというような不安感。
「第二波がきている」という専門家もいる中、再び、緊急事態宣言は発令されたら経済は壊滅的な打撃をうけるらしいから、そう簡単には出せないらしい。
やっと動き始めた社会経済活動を再び止めることが、感染拡大と同じくらいリスキーなことは、素人の私でもわかる。
ただ、上からの指示がどうあれ、個々人が、事実上 緊急事態下にあることを認識し、感染しないこと・感染させないことに努めなければならないと思う。

5月上旬、緊急事態宣言下のある日、税金を納めるため、銀行の窓口に行ったときのこと。
メガバンクの支店なのだが、入口には消毒剤が置いてあり、「マスク非着用での入店禁止」の札も掲げられていた。
更に、「窓口は約120分待ち」と表示され、傍らに立つ行員は、「不要不急の用であれば日をあらためて下さい」と、どことなく“上から目線”で、客を追い返そうとするような案内。
“120分待ち”にも行員の態度にも不満を覚えた私だったが、納期も迫っていたし、“日をあらためて出直しても同じことだろう”と、諦めて列に並んだ。
その私のすぐ後ろには初老の男性が立った。
“120分待ち”なんてまったく想定してなかったのだろう、驚いた様子。
それでも並ばなければならない用事があるのだろう、イライラした様子でブツブツ・ブツブツ。
そのうち、案内係の行員に文句を言い始めた。
行員の態度もよくなかったけど、用を済ませたいなら順番がくるまで黙って待つしかない。
我慢できなければ帰ればいい。
にも関わらず、男性は行員に不満をぶつけ、行員も悪態ギリギリのところでチクチクと反論し、その場の空気は換気が必要なくらい汚れたのだった。

また、これはコロナ渦初期の頃、スーパーでの出来事。
レジ列の前の前、カップ麺を大量に箱買している男性がいた。
そこへ、私の前に立つ老人が「こんな人がいるから皆が困るんだよ」と、善人気取り?で文句を言った。
どうも、自分本位の買い占めだと思ったらしい。
すると、その声が聞こえた男性は、「何!?俺に言ったのか!?」と振り向き、「文句でもあんのか!?」と老人に喰ってかかった。
老人も、「買い占めはよくないだろ!」と応戦。
周囲の賛同を得られるとでも思ったのか、振り絞った勇気に満悦したのか、はたまた、振りあげた拳を降ろせなくなったのか、衰えた外見に似合わず強気に。
当然、男性も黙ってはいない。
“三密回避”はどこへやら、「この くたばり損ないのジジイが、妙な言いがかりつけやがって!」と、怒顔を老人の顔に近づけて睨みつけた。
傍にいた店員がすぐさま割って入り、大ゲンカに発展するのは抑えられたが、公衆の面前での小競り合いはしばし続いた。
結局、男性の行為は買い占めではなく、普段の買い物で、大人数で食べるための買い出しだったよう。
しかし、二人は和解することなく、周囲には殺伐とした虚無感が漂い、換気が必要なくらい汚れた空気だけが残ったのだった。

殺伐とした世の中は、今に始まったことではない。
この時代、殺人事件や傷害事件を筆頭に、そんなニュースが途絶えることはない。
ちょっとしたことでキレる・・・
ちょっとしたことで揉める・・・
コロナ渦によって、それが増長されているような気がする。

あの時、あの警官も、ある意味でキレてしまったのだろうか・・・
5月25日、アメリカで黒人男性が白人警察官に殺された事件。
警官が男性の首を膝で抑えつけている映像を観て、私も「ヒドい!」と思った。
既に抵抗できない状態で、明らかに苦しがっているにも関わらず、それを無視して抑え続ける様には嫌悪感しか覚えなかった。
これに抗議するデモは、アメリカだけにとどまらず世界中に広がった。
この日本にも。
私は、こういったデモに反対ではない。
しかし、度を越したもの・・・暴力をともなうものは反対。
考えを主張するのは自由かもしれないけど、とにかく、暴力はよくない。
暴力は暴力を呼ぶだけ、暴言は暴言を呼ぶだけ。
たとえ、それが、正義を貫くためであっても、暴発はしてはいけない。

団体行動が苦手な私は「デモ」というものに参加したことがないからわからないけど、独特の高揚感みたいなものがあり、日常にはない心地よい正義感が味わえるのだろう。
また、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」、一種の集団心理も働くのだろう。
多数でやれば罪悪感が薄まり、大人数でやれば正義になる。
その昔、封建主義の世の正義は支配者が決めたが、今、民主主義の世の正義は“数”が決めるのだから。
それが、強い力を得たような錯覚をおぼえさせたり、それに陶酔させたりするのか。
そして、本来、人々が持ち合わせている理性を麻痺させるのかもしれない。
便乗した暴力・放火・略奪は、もはや抗議デモではなく、ただの犯罪。
いつの間にか、そこから正義は消えている。

ちょっとしたことがキッカケで、暴力・暴言が噴出するこの社会。
人間の悪性や人々のストレスが、言葉の暴力・文字の暴力・拳の暴力となって、いらぬところで、いらぬかたちで現れている。
刑事的犯罪の陰で、SNS上でのイジメや誹謗中傷がまかり通ったり、人知れずDVや児童虐待が行われていたり、あおり運転が横行したり。
そして、今や、銃や刃物だけじゃなく、言葉や文字が人を殺す凶器になる時代。
「個人情報保護」という鎧を着て、「匿名」という盾を持ち、文字(言葉)という刃物で容赦なく他人を突き刺す。
一体、これは、どういうことか・・・
私も含め、人間という生き物は、どうして そんなくだらないことをしてしまうのか、くだらないことがやめられないのか・・・
人間は、弱い者をいじめる習性をもち、他人の不幸を喜ぶ習性をもつ・・・
このまま、人々は理性・道徳心・正義感を失い、あたたかい笑顔を捨てていくのか・・・
他人に対する悪態が常態化し、弱肉強食が顕著な社会になっていくのか・・・
コロナ渦の第二波はもちろん、風水害や地震などの災害、減給や失業による貧困も恐いけど、もっと恐いのは、人々の心が荒むこと。
そして、それが人と人との絆を、人と人の情愛を、社会秩序を破壊していくこと。
先を楽観できない時代、とにかく、少しでも“人間の悪性”が影を潜めてくれることを祈るしかない。

かくいう私も他人事では済まされない。
SNSは一切やらないから、その世界での加害・被害はない。
また、暴言を吐くことも暴力をふるうこともない。
しかし、情緒不安定で感情の起伏が激しい。
人間の器が小さく、人間が弱い。
気も短く、ちょっとしたことイラつく。
恥ずかしながら、心の中で暴言を吐き、空想で拳を振りあげることがある。
それが自分を不幸にすることがわかっていても、理性で抑えることができない。
特に、このコロナ渦に見舞われてからは、減収・失業が現実味を帯びてきているから尚更。鬱だけではなく、持病の不眠症まで重症化し、心身を蝕んでいる。

ただ、とにかく、日本は、銃のない社会でよかった。
銃は、小さな引き金をちょっと引くだけで人を殺せるのだから、たった一瞬の感情、瞬間的に理性を失うことよって取り返しのつかないことが起こる。
拳で殴るのとはわけが違う。
カッ!となって、取り返しのつかないことをしてしまった、取り返しのつかない事態に陥ってしまった・・・
そうなったら、後悔しても遅い。
加害者・被害者を問わず、銃社会において、それで人生を狂わせた人間は少なくないのではないだろうか。
あんな、飛び道具ひとつで・・・まったく、悲惨である。



ある日の昼間。
“ズドン!!”
とある民家の二階で大きな爆発音がした。
驚いた家族が部屋に駆けつけてみると、部屋の模様は一変・・・
そこに横たわる故人も変わり果てた姿となり・・・
その光景はあまりにショッキングで・・・
失神寸前で、そのままその場にへたり込んでしまった。

私が現場の呼ばれたのは、その翌々日。
依頼の内容は、特殊清掃。
事件性がないことが確認され、警察から立入許可がでてからのこと。
事前にだいたいの状況を聞いていた私だったが、よくあるケースではないので、リアルに想像することが困難。
作業の難易度が高いことは想像できたものの、それがどこまでの高さなのかが見えず。
私は、重症の飛び降り自殺現場を思い浮かべながら、また、少し緊張しながら現地に向かった。

部屋のドアを開けた目の前には、ある部分は想像通り、ある部分は想像を越えた悲惨な光景が広がっていた。
故人が倒れていた床には大きな血痕・・・
更に、赤黒の血痕が天井・壁・床、上下左右、360℃に飛散・・・
凝視すると、白子を粉砕させたような脳片、木屑のようになった頭蓋骨片も・・・
そして、床のあちこちには、極小の鉄球が無数に転がり・・・
故人は、趣味を楽しむために所有していた散弾銃を、自分に向かって打ったのだった。

銃口を何処にあてたのかはわからなかったが、一発で死ぬことを目的とするなら頭を狙うのが自然。
ただ、銃身長を考えると、手指で引き金を引くことは困難。
おそらく、銃口を自分の額に向け、足指で引き金を引いたのだろう。
生きることを楽しむために持っていた銃で、生きることを終わらせた・・・
頭の上半分を粉々に吹き飛ばし、一瞬にして、この世から去ったのだった。

故人は、私と同年代の男性。
社会人としてバリバリ働いていたとき大病を罹患。
会社は休職し、入院、治療。
療養の結果、病状は随分と落ち着いたが、それは完治を見込みにくい難病。
勤務先は、そんな故人に“いい顔”をせず冷遇。
結果、追い立てられるように退職。
表向きは“自己都合による退職”だったが、事実上の“クビ”だった。

故人は、病と闘いながら社会復帰を目指した。
しかし、当然、企業は健康な人を優先して採用する。
少しでも経験が活かせるよう、前職と同業種を目指し、中小零細にこだわらず 多くの会社に応募するも、ことごとく採用には至らず。
願望を捨て、異業種や非正規の求人にも応募したが、それでも、なかなか色よい返事は得られず。
不採用の理由をハッキリ告げられることは少なかったが、結局、持病があることが敬遠される原因であることは明白だった。

そんな故人の生計は同居の家族が支えていた。
それは、家族として当然のこととしてなされており、故人を責めるようなことはもちろん、社会復帰へのプレッシャーをかけるようなことも一切なかった。
しかし、
「家族に迷惑をかけている・・・」
「家族の負担になっている・・・」
と、その家族愛が、一層、故人を苦しめていたのかもしれなかった。

働きたくても働けないツラさがどんなものか・・・
怠けるつもりはないのに怠け者に見られる惨めさがどんなものか・・・
そんな生活は、まさに“生地獄”・・・
自ずと心身は衰弱していき、始めは小さな石コロだったものが 次第に大きな岩になり、始めは薄低の壁だったものが 次第に厚高の壁になり、社会に戻ろうとする故人の行く手を阻む・・・
ともなって、その精神は、病んでいくばかり・・・狂ったように・・・

「甘やかすからそうなる」
「生きていれば楽しいこともある」
「死ぬ気になれば何でもできる」
と、人は言う。
一理あるかもしれないけど、これは、まったくわかっていない人間がいうセリフ。
生きる力を失った者にとっては、日常生活ほとんどのことが虚無・疲労の原因となる。
生きる力を失った者にとっては、人生の楽しみさえもどうでもよくなる。
生きる力を失った者とって“死”は、最悪のことではなく最良のことのように思えてしまう。
そして、家族を悲しませることがわかっていても、抱える苦しみは、それを超越してしまうのである。

事情や境遇はまったく違うけど、私にも似たような経験があり、生きる意欲を失った時期・・・自分に刃を向けた過去がある。
あれからもう三十年近くが経とうとしているけど、ヒドく苦しみ、両親もヒドく苦しめた。
その後遺症は今でもあり、遠い昔のことなのに、思い出すと息が重くなる。
だから、故人の苦悩が痛いほど・・・涙が出るほどわかった。

私は、黙々と血・肉・骨を除去・・・
天井や壁の高部は、脚立に昇って・・・
点々と無数に広がる汚れと格闘・・・
無数に転がる散弾も、床を這って探し回り・・・
静かに流れる汗と、寂しく潤む目を拭きながら・・・
手間と時間がかかる作業であったことはもちろん、湧いてくる想いが多すぎて、考えさせられることが多すぎて、重い心労をともなう作業となった。

結局、想い描いていた人生をまっとうすることなく、最期を決断した故人。
愛用の銃を手に取り、弾を込め、銃口を額に当てて決行・・・
その様を思い浮かべると、自然と目に涙が滲んできた。
ただの同情・・・ただの感傷・・・しかし、身に覚えがある私には、心の奥深くに突き刺さるものがあった。
あの時、私が、銃を持っていたら、今、こうして生きているかどうかわからない・・・
一瞬の“魔”で決まるのだから。
ただ、銃を持っていなかったから、そうならなかっただけかも・・・
だから、こうして生きていられるのかもしれない。


生きることは素晴らしい。
生きることは楽しい。
同時に、
生きることは苦しい。
生きることは辛い。
しかし、“始まり”があれば、必ず“終わり”がある。
生まれてきたからには、いずれ死んでいかなければならない。
だから、それまで、耐え忍んで待つしかないのだ。

けれど、この世には、耐えきれない苦悩・苦痛がある。
他人が推し量ることができない苦しみが。
故人は、それに負けたのかもしれない・・・
そこから逃げたのかもしれない・・・
しかし、弱虫や卑怯者なんかではなかったと思う。
本当の弱虫や卑怯者は、苦しむことはないし、悩むこともない。
悪い意味で開き直って、悪い意味で堂々と生きていくもの。
そうはせず、悩みに悩んで、苦しんで苦しみ抜いて、戦いに戦って散らせた命の誠実さを、私は、生きることにくじけやすい自分に刻み込んだ。


「しんどかったね・・・お疲れ様・・・」
「俺は・・・もうちょっと頑張ってみるよ・・・」
私は、一仕事を終えた自分と 一人生を終えた故人にそう言い、くたびれた命を新たにして現場を後にしたのだった。





特殊清掃についてのお問い合わせは
0120-74-4949
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ドンマイ!ドンマイ!

2017-03-07 08:51:38 | 特殊清掃
つい先日、一件目の現場から二件目の現場に行く途中のこと。
通りはかなり渋滞しており、車は、ノロノロ動いたり止まったりの繰り返し。
それに退屈した私はスマホを手に取り、自分で撮った写真を開き 思い出を楽しんでいた。
すると、“ピピーッ!!”と笛の音が。
スマホを手にした姿が、歩道をパトロール中の警官の目にとまったのだった。
とっさのことで少々慌てた私だったが、すぐに状況を把握。
「ハァ~・・・ついてねぇな・・・」
と、溜息まじりに苦笑い。
しかし、運転中にスマホを手にしたのは事実。
端から抵抗するつもりはなく、
「ルールはルールですからね・・・」
と、素直に非を認め、指示通りに路肩に車をとめた。
そんな私の態度が意外だったのか、警官は、同僚を呼ぶ無線で
「当人は認めています!認めています!」
と、ややハイテンションで業務連絡。
そして、言われる前に車検証と免許証を差し出した私に(←違反キップに慣れている)、
「お仕事中、申し訳ありません・・・急いで済ませますから・・・」
と、どっちが悪者なのかわからないくらい腰を低くした。

聞くところによると、運転中の携帯電話については、それを認めない人が多いらしい。
長時間に渡って揉めることも珍しいことではないとのこと。
確かに、スピード違反や飲酒運転と違って、携帯電話の使用は客観的に計測できるものではない。
しかも、明るい外から暗い車内は見えにくく、明らかに耳に当てていれば別だけど、そうでなければ判断しにくい。
となると、証拠写真でもないかぎり言い逃れができそうな気もしてくる。
だから、違反を認めないで抵抗する人が多いのではないかと思う。

私もスマホを耳に当てていたわけではなく、ただ手に持っていただけ。
しかも、外からは見えにくい低い位置で。
抵抗しようと思えばできたかもしれない。
警官も「多分、抵抗するだろう」と思っていたよう。
しかし、そこは小心者の私。
権力に抵抗できるほどの意気地は持ち合わせておらず、あっさり白旗をあげたのだった。

罰金は¥6,000・・・普段の節約生活が水の泡・・・
財布の都合で我慢している“にごり酒”が三升弱買える金額。
トホホホホ・・・溜息まじりの苦笑いしかでない。
しかし、思い直してみると、一年で5~6万km車を運転する私。
運転しない日は、年に数える程度。
そんな私には、交通事故のリスクが常につきまとっている。
それを考えると、今回も物損事故や人身事故じゃなかっただけよかった。
私は、
「ドンマイ!ドンマイ!」
と、自分を慰めながら、次の現場に向かって気持ちを入れ替えた。



「また でちゃいまして・・・」
「隣近所から苦情がきてまして・・・」
「ニオイがでてるみたいなんです・・・」
何度か仕事をしたことがある不動産管理会社から、そんな電話が入った。

現場は、郊外の賃貸マンションの一室。
時季は、酷暑の夏。
ニオイを嗅ぎたくないのだろう、管理会社の担当者は現場の部屋に近づきたがらず。
「大丈夫ですよ・・・フツーの人はそうですから、気にしないで下さい」
その心情は充分に理解できたので、私は担当者のそう声をかけ部屋の鍵を預った。
そして、一人、エレベーターに乗り上の部屋に向かった。

エレベーターを降りると、例の異臭はすぐに私の鼻に飛び込んできた。
共用廊下の片側は建物だけど、反対側はそのまま外で、充分外気に触れていた。
ただ、風向きが悪いのか、廊下全体がやたらとクサい!
「これじゃ、他の住人が黙ってるはずないよな・・・」
私は、これから入る部屋が至極凄惨な状態になっているであろうことを想像しつつ、目的に部屋に歩を進めた。

玄関前の異臭濃度は更に高かった。
近隣住民が置いたのだろう、その足元には、市販の芳香剤がいくつも並べられていた。
ただ、残念ながら、それは“焼け石に水”。
芳香剤のいい匂いは、玄関ドアの隙間から漏れ出る不快な臭いにかき消されていた。
更に、それだけでなく、ドアの隙間からはウジまでが這い出ていた。

「こりゃイカンなぁ・・・」
ウジを見つけた私は、思わずつぶやいた。
そして、ドアを開けた瞬間に這い出る奴等をどう始末しようか思案。
結局、周囲の様子を伺いながら小刻みにドアを開閉し、ドア付近を徘徊する連中を先に回収。
それから、特掃の下調べをするため、思い切って室内に飛び込んだ。

「うわぁぁ・・・凄いことになってんな・・・」
遺体系腐敗汚物は、無数のウジを泳がせながら畳三枚くらいの広さに流出。
オリーブオイルのような黄色の腐敗脂、赤ワインのような赤黒色の腐敗液、チョコレートのような黒茶色の腐敗粘度は重力にまかせて縦横無尽に拡散。
また、凄まじい悪臭が、無数のハエを遊ばせながら、肌にまで滲み込まんばかりの勢いで作業服に浸透。
私は、数分の時間を置くことなく“ウ○コ男”に変身したのだった。


亡くなったのは50代の男性。
病死で、死後約二週間。
真夏の出来事で、遺体はヒドく腐敗。
玄関から異臭がしだしたことで、近隣住民が異変を察知。
管理会社を通じて知らせを受けた警察が、人間の体をなしていない故人を発見したのだった。

部屋には、インシュリンの注射器や、たくさんの針・薬液があった。
どうも、故人は糖尿病を患っていたよう。
しかし、台所の床には、紙パックの日本酒と焼酎も並んでいた。
また、その隅には、折りたたまれたそれらの紙パックが、古新聞のようにきれいに積み重ねられていた。
医師から酒は止められていただろうに・・・それでも故人は、酒がやめられなかったようだった。

インシュリンを打ちながら酒を楽しむなんて、ある種の自殺行為・・・
それだけを見れば愚行にしか思えない・・・
しかし、人は、そんなに強くない・・・
人は弱い・・・
「いけないこと」と知りつつもやめられないことってある。
特に、酒やタバコといった嗜好品は、麻薬みたいな性質があるのだろう。
やめたくても なかなかやめられるものではない。

その辺の意志の弱さは私にも共通する。
当初は休肝日予定にしていても、
「休肝日は、また後日にしよう」
と、飲んでしまうこともしばしば。
また、もう充分に酔いが回っているのに、
「もう一杯くらいいいだろう・・・」
と、翌朝の後悔がわかっているのに負けてしまう。
挙句の果てには、
「一度きりの人生、楽しまなきゃもったいない」
と、大袈裟ないい言い訳をして自分の弱さを誤魔化す。
私は、そんな自分と自分が想像する故人像を重ね、故人に対して妙な親近感を覚えたのだった。


故人の部屋は至極凄惨。
更に、ムンムンに熱されたサウナ状態。
その暑苦しさはハンパなものではない。
しかも、相手は重篤な遺体系腐敗汚物と無数のウジ・ハエ。
だけど、「恐い」「気持ち悪い」等と弱音を吐いていては仕事にならない。
とにかく、自分の意思なんか放っておいて、義務的に、事務的に身を投じるしかない。

作業に入ると、そのうちに無我夢中になり、自分が何者なのかわからなくなってくる。
職務を負った会社人から、ただの人間になってくる。
もちろん仕事でやっているのだけど、次第にその域を越えてくる。
腐敗汚物との戦いが、自分との戦い、生きることとの戦いに変わってくる。
すると、自分自身が雑巾のようになる。
自分自身をボロ雑巾のようにしてこそ前に進める。

腐乱死体現場を描写すると、どうしても、暗く悲惨な表現ばかりになってしまう。
だけど、これが偽りない事実だから、どうしたって明るく華やかには描けない。
ただ、故人だって、こうなりたくてなったわけではないはず。
自殺という死に方に故意があることは認めざるをえないけど、孤独死(自然死)に故意は認められない。
「一人で死んでやる」なんて思いながら暮らしている人は、まずいないはず。
また、「酷く腐ってやる」なんて思っている人も。
管理会社、大家、近隣住民に迷惑をかけることになってしまったことも不本意のはず。
“ゆるされる”とか“ゆるされない”といった類のことは結論を得ることができないけど、少なくとも悪意はなかったはずである。

「こうなりたくてなったわけじゃないですよね・・・」
こんな現場で腐敗汚物と格闘する私は、心の中で、勝手に故人に話しかける。
もちろん、返事はない。
けど、
「もちろん!」
と、そんな声が返ってくるような気がする。
と同時に、
「ヨロシクたのむよ!」
という声も聞えてくるような気がして、一人でやる過酷な特殊清掃を何かの力(故人の力?)が支えてくれるような気がしてくる。

そして、私は、それに応えるように、
「ドンマイ!ドンマイ!」
と、誰もが恐怖する凄惨な痕を残してしまった故人に、そしてまた、誰もが嫌悪する日陰に生きている自分に、そう声をかけるのである。



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曇空の下

2017-02-21 08:50:34 | 特殊清掃
二月も早下旬。
立春を過ぎても、まだまだ寒い日が続いている。
とは言え、私の感覚では、今年の冬は暖かい。
雨(雪)も少なく、青空を仰げる日が多い。
寒いことは寒いけど、例年に比べると穏やかだと思う。
しかしながら、このところ、気分が晴れない日が続いている。
特に悪いことがあったわけでもないのに、身に周りに いいことはたくさんあるはずなのに、漠然とした過去の後悔と現在の不満と将来の不安が心を曇らせている。

例によって、最もキツいのは起床前の朝。
まだ夜も明けきらぬ暗いうちから、重い虚無感・疲労感・倦怠感に襲われて難儀している。
それでも、毎朝、重い身体を引きずり起こし、決めた時間に決めた通り動かす。
そしてまた、重い足を引きずるように、会社に向かって家を出る。
その壁を越えると、少しずつながら、気分は落ち着いてくる。
そして、会社に着く頃には、だいぶフツーに戻っている。
更に、現場に出てしまえば、欝々している余裕(?)もなくなるので、欝気は楽になる(別の意味での苦しさはあるけど)。

コイツとはもう長い付き合いなので、自分がどういう状況に陥っているのか、わりと客観的に把握することができていると思う。
で、その対処法も、いくつか持っているつもり。
しかし、それらを駆使しても、一向に気分は晴れていかない。
虚無感は感性が鈍いせい、疲労感は怠け心のせい、倦怠感は心構えが悪いせい・・・
旧態依然・・・燃えない自分が、強くならない自分が、賢くならない自分が情けなくて、涙が出ることもある。

本当は・・・
もっとポジティブな人間になりたい。
もっと強い人間になりたい。
もっと明るい人間になりたい。
ずっとずっと昔から、そう思っている。
しかし、いつまで経っても変わらない・・・
変わりたくても変われない自分が、ここにいる。

心の調子ばかりでなく、身体にも難があった。
同僚からうつったものと思われるが、先月下旬、A型インフルエンザ(多分)にかかってしまった。
しかも、休めない現場作業が重なり、病院にいくこともできず。
市販の咳止薬と栄養ドリンクを飲みながら、昼間は現場作業に勤しみ、夜はシッカリ御飯を食べ、シッカリ風呂に浸かり、早い時間から布団で休養。
もちろん、晩酌はなし。
それでも、一週間ばかり具合は悪く、なかなかしんどい思いをした。

例の目眩(めまい)は、たまに「?」と思うような軽いフラつきを覚えるくらいで、ほとんど治まっている。
蕁麻疹については、たまに、腰のベルト回り等に怪しい発疹がでることがある。
そして、重症化すると見た目も悲惨で痒みもツラいので、三種の飲薬は常時携帯している。
ただ、幸いなことに、重症化したのは最初だけで、それ以降の発疹は極小規模で治まっている。
あれから、原因とされるストレスが解消できた自覚もないし、疲労感が拭えたわけでもないし、リラックスして過ごせるようになっているわけでもないのだけど・・・
どちらかと言うと、その辺のところは何も改善されていないような気がしており、喜ぶべきか悲しむべきか悩ましいところに立っている。



出向いた現場は、立派な造りのアパート。
その一階一室で住人の男性が孤独死。
死後経過日数は2~3日。
季節は晩春で、遺体の腐敗はそれなりに進んでいた。
それでも、汚損レベルはライト級。
家財も少なく、汚染や異臭もほどほど。
一般の人には大きな難のある部屋だったが、私にとっては特に難のない部屋だった。

依頼者は、不動産管理会社の社長。
そして、このアパートのオーナーでもあった(いわゆる自社物件)。
社長は長年に渡って不動産業を経営。
しかし、管理物件で孤独死・腐乱死体が発生したのはこれが初めて。
何をどうしたらよいのか、何をどうすべきかわからず戸惑っていた。

「この部屋に次に入ってくれる人はいないかもしれない・・・」
「気持ち悪がって、他に出ていく住人がいるかもしれない・・・」
と、社長はヒドく心配していた。
しかし、外にまで異臭が漏洩したり、ハエが窓に張りついたりしたわけでもなく、そんなに悲観的になるような状態ではなし。
私は、社長が冷静になれるよう、もっと深刻な現場でも原状回復させてきた経験を話した。
そして、個人的見解であることを前置きし、人間(生き物)にとって死はごく自然なことであり、過剰に嫌悪することには抵抗感を覚える旨を伝え、
「あまり深刻に考えないほうがいいと思いますよ!」
と、熱っぽく自論を語り、社長を励ました。
しかし、それでも、その表情は晴れず。
何のリスクも負わない私が発する言葉は社長の心に届かなかったのか、残念ながら、その表情は曇ったままだった。


家財生活用品の撤去は後回しにし、とりあえず、私は汚れた布団・衣類とその下の畳を撤去することに。
愛用の道具類を備え、部屋に入った。
そして、軽症の汚腐団をビニール袋に梱包。
更に、その下の畳の隙間にマイナスドライバーを差し込み、両手に力を込めてコジ上げた。
腐敗液のほとんどは敷布団が吸収し、畳の汚染は極めて軽度。
水をこぼしたようなシミが小さくついているくらい。
そこそこの悪臭は放っていたものの、運び出す際に人目を気にしなければならない程の問題はなく、私は「エッサ」と担ぎ上げ「ホイサ」と運び出した。

そうこうしていると、窓ガラスに人影がうつった。
他の部屋の住人だろう、作業の物音を聞きつけて出てきたよう。
目を向けると、年配の男性がガラス越しにこちらを覗きこんでいた。
しかし、「野次馬?」と思った私は、男性を無視して作業を続行。
それでも、男性はいつまでもそこに立って動かない。
そして、再び私と目が合うと、私に向かって軽く会釈。
男性は何か言いたげで、無視するわけにいかなくなった私は、作業の手を止めて窓を開けた。

男性の用件がわからないため、私は、とりあえず、
「クサイですか? うるさいですか? ご迷惑をお掛けしてたらスイマセン・・・」
と頭を下げた。
すると、男性はすぐに、
「いやいや・・・そういうことじゃなくて・・・」
と、顔の前で手を横に振りながら、気マズそうに愛想笑いを浮かべた。

男性は、隣の部屋の住人。
そして、故人の死に最初に気づいたのもこの男性。
きっかけは、あるときからパッタリとしなくなった故人宅の生活音。
それまでは、物音が聞えてくるのが当り前の日常だったのに、ある日を境にそれがまったく聞えなくなった。
男性は、そのことを不審に思った。
と同時に妙な胸騒ぎを覚えた。
そうしてドタバタの末、還らぬ人となった故人は発見されたのだった。

故人と男性は、生前、特別に親しくしていたわけではなく、隣同士ながら、お互いの部屋を行き来したり飲食や外出を共にしたりするほどの間柄ではなかった。
ただ、玄関前で顔を合わせたときは、よく立ち話をした。
お互い、同性・同年代で近しい身寄りもない一人暮らし、時間に大きな余裕と金に少しの余裕がある境遇も似ていて、一身上のことが話題になることも多かった。
自分達の死について語り合ったこともあった。

「ついこの間まで元気にしてたのに・・・アッケなく逝っちゃったな・・・」
男性は、感慨深げにそう言って表情を曇らせた。
そして、それは、故人の人生を儚むと同時に、“自分もそうなるかも・・・”といった不安を抱える表情にも見えた。

「死は避けられないけど、他人に余計は迷惑はかけたくない・・・」
「そうは言っても、最期の世話や死後の始末を頼める人はいない・・・」
と、男性は、故人の最期と自分の行く末を重ねて悩んでいた。
しかし、老いには逆らえないながらも身体は健康そうで、経済的に困窮しているわけでもない。
焦って悲観的になるような状態ではなし。
私は、男性が冷静になれるよう、一般に認知されつつある“終活”をベースに、準備できることはいくつもあることを話した。
そして、個人的見解であることを前置きし、人間(生き物)にとって死はごく自然なことであり、過剰に不安視することは生きている時間を暗くしてしまうことを伝え、
「あまり深刻に考えないほうがいいと思いますよ!」
と、熱っぽく自論を語り、男性を励ました。
しかし、それでも、その表情は晴れず。
何の責任も負わない私が発する言葉は男性の心に届かなかったのか、残念ながら、その表情は曇ったままだった。


ありきたりの言葉だけど、“人生、晴れたり曇ったり”。
風も吹くし、雨も降れば雪も降る。
幼少期以降、雲ひとつない快晴の日なんて“ない”に等しい。
ほとんどの日は、多かれ少なかれ、雲がかかっている。
そして、心が曇ると、生きることが面倒に思えてしまうことがある。
ただ、青空を求める心を持っているからこそ頑張れる。
青空を期待する心を持っているからこそ耐えられる。
青空を信じる心を持っているからこそ上を向くことができる。

月並みに生かされたとしても、私の残人生は10年~20年くらいのものだろう。
誰にも予測できないことだけど、心身メンテナンスの粗さを考えると、到底、平均寿命には届かないと考えている。
だとすると・・・・・終わりは近い・・・・・あともう少し。

私は、時々見える青空を仰いでは、ささやかに笑っている。
また、人生の終わりがくるのを楽しみにしているわけではないけど、終わりがあること、終わりが近いことを頼みに、曇空の下で泣きながらも、粘って生きている。
「思い通りにいかないから人生は面白い」と、一途に自分を励ましながら。



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難儀談義

2017-01-10 08:44:20 | 特殊清掃
「全滅・・・」
汚腐呂の扉を開けた私は、呆然と立ち尽くした。

賃貸マンションの浴室で住人が死亡。
そして、そのまま約一ヵ月が経過。
故人(遺体)は、湯(水)に浸かったまま溶解し白骨化。
浴槽には、暖色の腐敗粘土が大量に溜まり、底は見えず。
また、遺体(遺骨)が引きずり出された痕の汚染も残留。
更に、発生した虫によって侵された天井・壁・洗場は原色をとどめておらず。
黒茶・黄色・緑色に変色し、夜空に輝く満天の星のごとく(表現がミスマッチ?)涌いたあとの虫殻も無数に付着していた。

悪臭は浴室内にとどまらず、部屋全体に充満。
しかも、部屋死亡の腐敗臭に比べて風呂死亡の腐敗臭は生臭さが強い。
それは、玄関を開けただけで「風呂死亡」とわかるくらい。
さすがに、私は、吐気をもよおすことはなくなったけど、慣れていない人だと吐くかもしれない(慣れている一般人なんていないけど)。
空気を肺に入れたくなくなるような、何とも不快な臭気なのである。

故人に身寄りはなし。
賃貸借契約を保証したのは個人ではなく保証会社。
そして、家財生活用品の撤去処分はそこが担うことになっていた。
が、保証会社から委託されて出向いた業者の作業員は、あまりの臭いと凄惨な光景にダウン。
特殊清掃・消臭消毒なくして撤去作業を行うことは不可能と判断。
そこで、管理会社を通じたやりとりが行われ、私が出向くことになったのだった。

腐乱死体現場なんて、一般の人が具他的に想像できるものではない。
だから、大家は、この風呂も掃除をすれば復旧できると考えていた。
もちろん、それが可能な場合もある。
しかし、この風呂はかなりの重症。
私が言うところの“スーパーヘビー級”。
各所にシミや変色が残る可能性が高いし、何より、悪臭が残留する可能性が高かった。
妙な変色や、何となくでも異臭を感じる風呂を誰が使いたがるだろうか・・・家賃を格安にすればどうかわからないけど、通常なら、好んで入居する人はいないはず。
とりわけ、遺体が一ヶ月も放置されていた風呂なんて、通常、掃除したくらいでは使いものにならない。
設備の交換(解体撤去と新設)が必要となる。
その他の改修や修繕を含めると相応の費用がかかる。
賠償を求める相手がいない上、保険もきかなければ、原状回復工事にかかる費用はすべて大家負担になる。
それを避けるため、掃除だけで部屋を原状回復させようと考えるのは自然なこと。
しかし、現実的にそれはかなり難しい。
私は、後々トラブルになっては困るので、“原状回復を保証するものではない”ということを重々承知してもらった上で、特掃を請け負った。
そして、作業前の現場を、画像や人聞きの話とかではなく、直接 自分で確認してもらうことも要望した。

別の日。
私は、大家と現地で待ち合わせた。
はやり、大家は、腐乱死体現場を具体的に想像できていなかった。
もちろん、具体的に想像しようがないのだけど、それを言葉で理解させるのは難しい。
もっと言うと、画像でも肝心なところは伝わらない。
半透明の脂やゴマ粒大の虫殻は画像には写らない。
また、画像では、汚物や汚染の重量感や質感はまったく伝えられない。
凄まじい悪臭も、まったく表すことができない。

大家は、相当に困惑。
部屋を原状回させるには、相当の費用がかかる。
そして、それを請求する相手がいない以上、自己負担になる。
さらに、新たに入居者を募集する場合、地域の相場より家賃を下げる必要がある。
それでも、人が入る保証はどこにもない。

不動産賃貸業を営むうえのリスクは色々あるけど、一般的に気にするのは、空室率や家賃の滞納くらい。
ゴミ部屋、ペット部屋、住人の孤独死や自殺、その後の腐乱等々、部屋に重汚損が生じるリスクはあまり想定されていない。
しかし、現実には、そう珍しくないことなのである。

「まさか、自分の身にこんなことが起こるとはね・・・」
大家は、不愉快そうにそう言いながら、気休め程度の効果しかない紙マスクをつけた。
そして、私が引き開けた玄関ドアから、恐る恐る室内をのぞき込んだ。
その瞬間、言い表せぬほど不快な悪臭が大家の鼻を突いた。
と同時に、大家は仰天の表情を浮かべ、一歩・・・二歩・・・とジリジリ後退していった。

「うぁぁ・・・」
大家は、自分が これまでの人生で体感した最も臭いニオイを想像して来たのだろうが、実際のニオイは、それをはるかに超越。
それまで嗅いだことのない悪臭、想像を絶する悪臭を受け、大家は、掃除くらいではどうにもならないことを理解したよう。
想像もしていなかった災難に顔を曇らせ、消沈した。

「写真で見たほうがいいかな・・・」
あまりの悪臭にショックを受けた大家は、中に入ることを躊躇。
無理矢理 浴室を見せて精神を害されては困るし、そもそも責任がとれない。
私は、一人で中に入り、ケータイに写真を数枚撮影。
そして、顔を顰め(しかめ)ながら私の説明を聞く大家に、それを一枚一枚みせた。

「もう、この部屋は諦めます・・・」
結論はすぐにでた。
頭で計算しただけで判断できたよう。
改修工事代を家賃で回収するには何年もかかる。
しかも、家賃を地域相場よりも安くしなければならないし、それで人が入居する保証もない。
つまり、高額な費用をかけるだけのメリットが見出せないわけ。
これによって、空室率は一部屋分上がってしまうけど、全体の空室率や築年数(経費の償却)を勘案すると飲み込める範囲の負担で治められる算段だった。

「最低限 必要なことをお願いします・・・」
幸い、この件で、出て行った住人もいなければ、出て行きそうな住人も見受けられず。
だからと言って、先はどうなるかわからず、汚部屋のまま放置するのは得策ではないことは、大家の目にも明らか。
したがって、他に住人に出ていかれないための処理・・・浴室の特掃、消臭消毒、家財撤去まで行い、その後はクローズすることに。
その方針が定まると難儀なプレッシャーから開放されたのだろう、暗くなっていた大家も少しは明るさを取り戻した。

しかし、難儀だったのはそれから。
私にとって、本件のメインイベントは浴室の特掃。
そう大袈裟なことを言っても、作業自体は単純。
掬い取る、削り取る、拭く、磨く、洗う・・・その繰り返し。
高等の技術や相当の体力が要るわけではない。
ただ、対象が遺体系汚物であり、汚染は重度であり、恐ろしい悪臭と人の死が充満する中での作業であるところが並の掃除とは異なる。
根性とか忍耐力とかがどれだけ要るものかわからないけど、酷な作業であることに間違いはない。
だから、さすがの?私も気分が重くなった。
それを少しでも軽くするために、その日が来るまでに現場の画を思い出し、作業手順を何度もシミュレーション。
「余計なことを考えず、一つ一つ片付けていこう」
「たった数時間の辛抱!」
と自分を励ました。

実際の作業も予定通り進行。
ただ、予想通り、楽な作業にはならなかった。
予想通りに身体は汚れ、予想通り身体は臭くなり、予想通り気分は浮かなかった。
が、故人のことを想うと、次第にそれも気にならなくなった。
死を予期できないのは不可抗力であり・・・
浴室死亡の場合、故人は苦しむことなくポックリ逝った可能性が高く・・・
のんびりと温かい湯に浸かり、バスタイムを気持ちよく過ごしたように思え・・・
そんな最期の様が、現場の凄惨さを中和してくれ、精神面で私を助けてくれたのだった。


毎年のこととはいえ、このところ陰鬱な気分に苛まれている。
それでも、昨年までは、たいして重症ではなかったが、元旦の朝以降、症状は深刻に。
疲労感、虚無感、倦怠感etc・・・特に、朝目覚めてから仕事に行くまでがキツい。
何か因果関係があるのだろう、とりわけ、酒を飲んだ日の翌朝は重い。
だったら飲まなきゃいいのだけど、肉体労働に勤しんだ日や嬉しいことがあった日とかは飲みたくなる。
休肝日にしていない日は、その辺の葛藤を経て飲んだり飲まなかったり・・・
そうして、朝になると、自分の愚かさや自分の弱さを悲しく思いながら、自分の愚かさや自分の弱さに腹を立てながら、重い身体を引きずり起こすのだ。

思い起こされるのは三年前の冬。
症状は今よりもっと深刻で、発狂しそうなほど苦しんだことを憶えている。
寒いのに身体は熱く、脂汗でジットリ。
身体を動かしているわけでもないのに息は荒く、頭は朦朧(もうろう)。
横になっていることもままならず、布団に正座した状態で上半身を前に倒し、頭を抱え込んだまま起き上がらなければならない時がくるのを待つような始末だった。

人生において、日常の生活において、軽いものから重いものまで悩みや苦しみはいくらでもある。
もちろん、それらを喜んで受け入れることはできない。
できることなら、無縁でいたい。
それでも、“それらも人生を彩る味わいの一つ”と認めることができている。
ただ、心底で開き直れない自分がいる。
無力と知りつつ抗(あらが)おうとする自分がいる。
そして、それが、新たな苦悩の生んでしまう。

以前、親しい知人に「気難しい」と評されたことがある。
自分でも心当たりが充分にあるため、私をよく知る人にならそう思われても仕方がないと思う。
しかし、「それが俺」と開き直ったり、諦めたり・・・
そういうことだけは すぐ開き直ったり諦めたりできる私・・・
そのクセ 気が難しくなるようなことは、いつまでも思い悩まずにいられない・・・

そんな難儀な性格に難儀している私は、それを憂いて泣きつつも、それを味わい笑っているのである。



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Gambler

2016-12-27 09:26:27 | 特殊清掃
唯一年の今年も残り少なくなってきた。
唯一生の私の人生も残り少なくなってきた。
「どうすれば、なりたい自分になれるのか・・・」
と苦悩しているうちに時間ばかりが過ぎている。
「この先、どう生きていくべきか・・・」
と思案しているうちに時間ばかりが過ぎている。

そんな年の瀬にあって、先日、不気味なくらい暖かい日があった。
日中も20℃近くまで気温が上がり、夜になってもほとんど下がらず。
車中だと暑いくらいで、とても12月の下旬とは思えないような気候だった。
冬の温暖と地球温暖化を直結するのは見識がなさすぎるのだろうけど、人知を超えた力が人類の望まない方向へいっていないことを願うばかり。
ただ、このところは冬らしい寒さが再来し、身体は縮こまっている。
プラス、年末の物入りで、懐まで寒くなっている人が少なくないのではないだろうか。

そんな真冬にあって、あちこちの街を走り回っている私は、先日まで、ある光景をよく目にした。
それは、宝クジの売店とそれに並ぶ人々。
売る側はアノ手コノ手で宣伝し、庶民の金銭欲をかき立てる。
過去に当選クジがでたことがある店は、派手な看板を掲げて大々的にPR。
そして、その看板の下には、厚着をした人々の長蛇の列。
お金は万能ではないけど、大きな力を持つのも事実。
この世には、お金で解決できる悩みが多すぎるため、一攫千金を夢見る庶民は1000万分の1の紙切れに人生の大逆転を懸けてみる。
同類の私にとっては、それは、微笑ましいような、また苦笑いがでるような光景だった。

列に並ぶ人達の気持ちはよくわかる。
私だって、お金は大好き。
楽して手に入れられるものなら手に入れたい。
しかし、稼金の王道は労働・・・働くしかない、一生懸命に。
“楽して稼ぎたい”という欲望を消すことはできないけど、労働意欲も失わないでいたい。
働かずして得る富は楽しいものだけど、働いて得る富は喜ばしいもの、そして尊いものだから。



出向いた現場は、公営団地の一室。
建物はかなり古く、近年、大規模修繕がされた様子もなし。
公営住宅は定期的に修繕がなされるのだが、それがされていないということは、その建物に“取り壊し・建て替え”の計画があるケースが考えられる。
となると、役所は、住人が退去した後に新たな入居者を入れたりはしない。
つまり、空室が多くなる。
同時に、建物や他住人に対して使う神経も少なくて済み、作業もやりやすくなる。
空室の有無や数は、建物全体をベランダ側から眺めたり、集合ポストを見たりすれば一目瞭然。
私は、約束の時刻まで時間があったので、その辺のところを確認するべく、建物の周囲をブラリと歩いた。

案の定、建物には多くの空室があった。
建物をベランダ側から眺めると、カーテンのないガランとした部屋がいくつもあり、1Fの集合ポストエリアには、テープで口をふさがれたポストがたくさんあった。
あとは、住人が一人もいなくなるのを待つのみ・・・
建築物としての“死”を待つばかりの老朽建物が醸し出すもの悲しさは、そこに暮す人々の人生と重なって、私に、時の移ろいの寂しさと切なさを感じさせた。


約束の時刻の少し前、依頼者の男性は、私が待つ玄関の前に姿を現した。
その玄関前には例の異臭が漏洩。
それが共用廊下に漂っており、何とも不快な状況をつくりだしていた。
「かなりニオイますねぇ・・・」
「そうですね・・・」
我々は、そんな言葉を交わし、それを初対面の挨拶とした。
ただ、幸いなことに、両隣は空室で、同じ階に住む住人もまばら。
苦情がきても不自然ではない状況でありながら、どこからも苦情はきていなかった。

玄関を開けると、異臭濃度は急上昇。
それでも、私に気を使ってだろう、男性は私と一緒に部屋に入ろうとした。
が、男性にとって、それは相当に酷なことのはず。
だから、私は、
「私は慣れていますから・・・」
「服にニオイもつきますし・・・」
と、一人で入ることを示唆。
すると、男性は、
「申し訳ありません・・・」
「正直・・・見たくないもので・・・」
と、申し訳なさそうに、私に頭を下げた。


亡くなったのは70代の男性。
依頼者の男性はその息子。
ただ、故人と妻(男性の母親)とは、もう何年も前に離婚。
以降、関係は疎遠になり、特段の要がない限り連絡を取り合うようなこともなかった。

故人と家族の別離の原因は、金銭問題。
故人は、真面目な職業人であったのだが、大のギャンブル好き。
家族に隠れて借金をしてまでギャンブルをするような人だった。
そんな生き方が明るく想像できないのは私だけではないだろう・・・
結局、それが祟って、家庭は崩壊。
以来、故人は、この部屋で一人暮しをしていたのだった。

定年で職を辞した後、故人は年金生活となったのだが、それでもギャンブルをやめず。
生活費を切り詰めてでも、ギャンブルにつぎ込んでいたよう。
そんな故人の生活ぶりを表すかのように、部屋は荒れ放題。
水回りはカビだらけ、床はゴミだらけ、この件(遺体腐乱)を除外したとしても相当に汚損。
また、部屋には、多くの公営ギャンブルのグッズや購入券をはじめ、消費者金融の明細書等も目障りなくらい散乱していた。

社会や人に迷惑をかけることなく、自分が責任をとれる範囲内でギャンブルを楽しむのは悪いことではないと思う。
けど、家族に迷惑をかけたり、借金を返さなかったりするのはよくない。
ただ、私には到底 理解できないけど、世の中には、借金をしてまでギャンブルをする人がいるのも事実らしい。
これは、薬物のような、一種の中毒みたいものなのだろうけど、どう考えてもマトモなこととは思えない。

「これまで、家が一軒建つくらいスッたんじゃないでしょうか・・・」
「それがなきゃ、いい父親だったんですけどね・・・」
男性は、諦め顔でそう言った。
そして、
「それでも、本人は好きなように生きたんでしょうから・・・」
「家族は迷惑しましたけどね・・・」
と、苦い過去は全て水に流して、良い父親だった故人だけを残そうとするかのように、薄い笑みを浮かべた。



「人生はギャンブルみたいなもの」
そう思える局面は多いし、そう考える人も多いだろう。
確かに、人は、日々、小さな選択 大きな選択を繰り返し、そして何かに懸けて生きている。
それが、吉とでるか凶とでるかわかならい中で。
しかし、ギャンブルとは少し違う。
人生は、ギャンブルとは違い、勝ち負けがハッキリ区別できない。
また、仮に負けたと判断したとしても、ゼロにはならない。
一生懸命やったこと、頑張ったこと・・・それらは“ゼロ”ではない。
目当ての“勝ち(価値)”がもたらされなくても、何かが残る。
それは、違うときに活き、違うかたちの“勝ち(価値)”を残す。

「自分に懸けてみる」
そう言えばカッコはいいけど、この俺(自分)は人生を懸けるに値する者かどうか・・・自信はない。
しかし、自分の人生を他人に懸けることはできない。
他に懸ける者はいない・・・誰にも懸けないで終わるか、自分に懸けて生きるか、どちらかしかない。
どうせなら・・・一度きりの人生なら、自分に懸けてみたいような気がする。
自分に懸けて“ゼロ”はないのだから。
せっかく、自分として生まれ、自分として生かされているのだから。

“自分に懸ける”とは、大きな夢や高い目標を持つことばかりではない(もちろん、それらを持てたほうがいいけど)。
自信の持てる自分をなろうとすることでもなければ、誇れる自分になろうとすることでもない(もちろん、そんな自分になれたほうがいいけど)。
夢や目標が持てなくても、自信がなくても誇れなくても、まずは、目の前の役割に誠実に取り組み、日常の使命を頑張ることが大切。
休肝日を守り、ウォーキングを心がけ、汚仕事へ いの一番に走り、駄欲を遠避け・・・
笑えるくらい些細なことをコツコツと着実にこなすことで、見えてくるものがあり、作られてくるものがある。
そして、それらは配当となって、人生の各所にもたらされるのだと思う。


ケチで小心者の私は、ギャンブルには向かない。
神経質で臆病者の私は、ギャンブルには向かない。
しかし、人生の終盤にさしかかり、ようやく、私は「自分に懸けてみようかな」と思えるようになってきている。
浮き沈みのある気分の中で、ときには恐れや躊躇いも覚えるけど、自分に期待しつつ、自分なりの力量で、日々の時間=人生を懸けてみようと思っているのである。



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Photograph

2016-11-25 07:31:10 | 特殊清掃
寒暖の差に振り回されつつ、早、11月も下旬。
今年も、残すところ一ヵ月余り。
昨日と打って変わって、今朝の東京は、気持ちのいい快晴。
しかし、その爽快感をよそに、私は、相変わらず、目眩(めまい)と付き合っている。

この目眩、発症してから三週間経つけど、治る気配はない。
前ブログを書いた前後、二日くらいは治まっていたのだけど、三日目の作業中に再発。
「治った?」と期待したところだっただけに、治っていないことが判明して少し元気をなくしてしまった。
ただ、発症当初のように、天井がグルグル回るようなことや、視界がハイスピードでスライドしていくような深刻な症状はなくなった。
更に、フラつくことに身体も慣れてしまって、結構、うまく操ることができるようになっている。
だから、今は、他に注意しなければならないこともたくさんあるし、目眩は気にしないようにして生活している。

昨日の雪も、目眩を忘れさせてくれた。
それどころか、季節はずれの雪に、私は、ちょっとテンションを上げた。
“雪”というものに、特別な想いがあるわけではないのだが、11月に雪が降るのが珍しくて、何だか新鮮な感覚をおぼえた。
晩秋の街に深々と降り続く雪を見ながら、
「“儚さにこそ輝く風情”ってあるよなぁ・・・」
「道路に積もると困るけど、しばらく降り続いてほしいなぁ・・・」
なんて思ったくらい。
そして、季節の情緒を撮ること多い私は、これもまた一つの想い出にするつもりで、この雪模様をスマホの写真におさめた。

そう言えば、この時代は、写真を撮るということが、随分と日常的になり手軽になった。
今は、スマホを持っていれば、気の向くまま、好きなように撮ることができる。
また、試し撮りもどんどんできるし、気に入らない写真もどんどん捨てられる。
しかし、昔は、写真を撮るにはカメラが必要だった。
しかも、フィルム枚数にも限りがあり、撮影は、特別な日・特別な場面に限られ、写り具合の良し悪しも一発勝負だった。
今思うと、そんな昔が滑稽に感じられる。

私は、自撮り棒を持つほどの写真好きではないけど、どこかに出掛けたときとかは記念に写真を撮ってもらうことがある。
そして、写真の自分を見て思うことがある。
写真の自分は、普段、鏡で見る自分とは、また違う感じ。
ハッキリ言うと、写真の自分は、鏡の自分より老けて見える。
もちろん、この歳になって若いつもりはないけど、写真の自分の老け具合は、その覚悟を越えてしまっている。
「俺って、こんなんなっちゃってるんだ(こんな酷い有様なんだ)・・・」
と、自分だけが一人で歳をとっていくような寂しさ覚えて、ちょっとしたショックを受けてしまう。
だからといって、歳に似合わない若作りをしたってイタイばかり。
写真に写る老顔は事実として素直に受け入れ、それよりも面構え(つらがまえ)を気にするほうに気持ちを切り替えて生きたいと思っている。



郊外の分譲マンションで一人暮らしをしていた老齢男性が亡くなった。
お互い干渉せず、一定の距離をあけた社交辞令的な付き合いをするのが、マンション生活のマナーなのか、近所付き合いもなく、同じマンションに親しい人もおらず。
また、故人は高齢で無職、介護・家事援助サービス等も利用しておらず。
そんな暮らしぶりで、発見がかなり遅れたのだった。

依頼者は、故人の兄。
妻子のない故人にとって、最も近い血縁者。
故人も高齢であり、当然、依頼者(以降、男性)も高齢で、八十を迎えようとしていた。
しかし、男性は、足腰も丈夫で話の受け応えもしっかりしていた。
そして、「血の遠い親族に迷惑は掛けられない」と、率先して事の後始末にあたっていた。

遺体痕は、玄関を入って左側の寝室、ベッドではなくドア付近の床にあった。
視界を和らげるためか、靴が汚れないようにするためか、警察が掛けたのだろう、そこはシーツで覆われていた。
しかし、大量の腐敗液を薄いシーツで隠しおおせるわけはない。
そのシーツ自体も腐敗液を吸いきれず、ほぼ全部が赤黒色の腐敗液に染まった上、濡湿してベトベトになっていた。

そんな状況だから、室内には著しい悪臭が充満。
それは、鍛えられた私の鼻を生々しく突いた後、更に腹までえぐってきた。
また、ウジ・ハエも大量発生。
ただ、その峠は越えており、ほとんどは死骸となって部屋のあちこちに転がり、無数の黒い点になっていた。

汚れたシーツの下からでてきた遺体汚染はミドル級よりもやや重いものだったが、私にすれば見慣れた汚れ。
しかも、ベッドの脚やタンスの下に絡んではいたものの、大半は平な床面に付着。
汚腐呂や汚便所に比べれば、その作業は格段に楽。
腐乱死体痕を見てホッとする自分を妙に思いながら、私は、作業の段取りを頭で組み立てた。

部屋中の建材や家財に浸透付着した悪臭を除去するのは一朝一夕にはいかないけど、腐敗液や腐敗粘度を除去するだけなら、そんなに長い時間は必要ない。
私は、
「フローリングにシミが残る可能性が高いですが、一~二時間もらえれば、ほぼきれいにできると思います」
と説明。
すると、男性は、
「是非、お願いします! このままだと気持ちも落ち着かないので・・・」
「ちょっと持って帰りたいものがあるので、作業の間、私は他の部屋でそれを探しますから」
と、即座に返答。
それを聞いた私の頭には、
“こんなにクサイ中で探し物をするなんて・・・よっぽどの御宝でもあるのかな・・・”
と下衆な考えが浮かんできた。
けど、そんなこと作業には関係ない。
とにもかくにも、話はまとまったわけで、私は、早速、準備を整え、作業に取り掛かった。
そして、我ながら感心するくらいスマートに、遺体痕を消していった。

男性には、どうしても探し出したいモノがあった。
それは、写真。
私が考えていたような金品や貴重品類ではなく、古い一冊のアルバム。
昔の思い出がたくさん詰まったもので、男性にとって大切なモノのようだった。

「しまってありそうなところは見たんですけど、見つからなくて・・・」
「確かに、弟(故人)が持っていたはずなんですが・・・」
「弟にとって大切なものですし、どこかにしまってあるはずなんです」
と、男性は、困惑した表情に寂しげな雰囲気を漂わせながら、そう言った。
「家財を片付ける中で見つかる可能性はあると思いますけど・・・」
「申し訳ないのですが、見つけ出すことを約束することはできません・・・」
「ただ、“見つけ出す努力はする!”ということはお約束できます!」
と、私は、後々のトラブル回避を担保しつつ、できるかぎりの誠意をみせた。

その数日後、家財を片付ける過程でアルバムは見つかった。
それは、問題の部屋に置いてあったベッドの枕元にある小さな引き出しに収まっていた。
かなりの年季が入ったもので、片手で持てるほどの小さなサイズ、ページ数が多くて分厚いもの。
そして、その中にはたくさんの白黒写真が貼ってあった。
私は、それが見つかってすぐにそのことを男性に電話し、現地にやってきた男性に手渡した。

「これ!これ!これを探してたんですよ!」
「どこにありました!?」
「実は、諦めかけてたんですよ・・・」
「よく見つけてくれました!ありがとうございます!」
「いや~・・・ホントに嬉しいなぁ!」
男性は、かなりのハイテンションで喜び、何度も何度も礼を言ってくれた。
一方の私の、男性がそこまで喜ぶことは想定しておらず、少し戸惑いつつも、嬉しさがこみ上げてきた。

男性一家は、両親と男性と弟(故人)と妹の五人家族。
戦後、旧満州から一家で引き上げてきて父親の実家があった町に移り住んだ。
男性は、そのとき小学生。
戦中から戦後にかけて、何もかもが変わった国での新しい生活は、相応の苦労をともなうものだった。
特に、男性の両親をはじめとする大人達は苦労に苦労を重ね、辛酸を舐めるのも日常だった。
しかし、子供達は違っていた。
窮々とした世の中にあっても、悠々と過ごしていた。
貧しさも空腹もそっちのけで、楽しく闊歩していた。
そして、アルバムの写真には、そんな時代の家族や友達が写り、その情景は、白黒にもかかわらず色を感じさせるくらい鮮やかに甦っていた。

撮った経緯、場所、季節、時代、社会、写っている人物等々、男性は、アルバムのページを一枚一枚めくりながら、写真一枚一枚に詰まっている想い出を語ってくれた。
それから、男性は、
「大変な時代でしたけど、この頃は、とにかく元気でしたよ! そして、楽しかった!」
「先の短いじいさんだけど、この写真を見ると、まだまだ楽しく頑張れるような気がしてきますよ!」
と、晴々した表情で笑った。
そして、その精気を見た私は、アカの他人のことながら、長い時空を越えた人生の機微と妙味を懐かしみ、また、深い感慨とともに、自分がたどってきた道とたどっていくであろう道に想いを馳せながら、一度きりの人生(時間)が恐ろしいくらい貴重なものであることを、しみじみと噛みしめたのだった。



私にも、似たような憶えがある。
今は、身体的(健康)不安、経済的(仕事)不安、将来的(老齢生活)不安など、生きていくうえでの不安を多々抱えているけど、子供の頃はそんなものなかった。
育ったのは裕福な家ではなかったけど、身体の心配も、お金の心配も、将来の心配もなく、嫌なことと言えば、学校の授業や宿題、家の手伝いくらいで、多少の見栄はあり世間体も気にはしていたけど、屈託なく気楽・呑気に生きることができていた。
今と同じく臆病で神経質ではあったけど、感受性は豊かで小さな楽しみを大きな喜びに変えることができていた。

しかし、残念ながら、今はもう、アノ頃のような軽い身体や軟らかい感性は失ってしまっている。
人の温かさと世間の冷たさ、生きられる喜びと生活の厳しさ、人の成功と自分の失敗・・・
努力の夢と不確実さ、忍耐の期待と報われなさ、挑戦の果実とリスク・・・
・・・そんなものに志を託し、裏切り裏切られ、疲れ老い、身体は重くなり、感性は固くなってしまっている。
それでも、ここまで生きてきた・・・
こうして生きている・・・
そして、これからも生きられる限り生きる。

「アノ頃はよかったなぁ・・・」
と、過去を羨むのではなく、
「アノ頃は楽しかったなぁ・・・」
と、過去を喜び、今と未来の糧にしたい。
そしてまた、二度とない今日 一度きりの今日、未来の自分を励ますことができるようなPhotographを残したい。

そのために、私は、目の前のことを頑張れるだけ頑張りたい・・・
頑張れないことが多いのも現実だけど、それでも、頑張りたいという思いは持ち続けていたいと思っているのである。



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めまい

2016-11-12 08:39:16 | 特殊清掃
できた人に言わせれば、「そんなの苦難のうちに入らない!」と一蹴されてしまうかもしれないけど、悩みの種があって、考えなければならないこと、やらなければならないことが色々とでてきて、ブログ製作に時間を使えないでいる今日この頃。
そんな中、ちょっと時間ができたので、ブログを書くことに気持ちを向けてみることにした。
そして、「何を書こうかな・・・」と考えた。
すると、久しぶりの記事につき、まずは近況報告をすることを思いついた。
だから、そこから始める。

昨日は、チビ犬の二回忌だった。
いなくなってもう二年も経つのに、その想い出はまったく薄まらない。
新しくしたスマホの待受画面も前機と同じチビ犬の写真にしている。
「笑顔の想い出は人生の宝物」
時間や金銀には多くの限りがあるけど、笑顔に限りはない。
チビ犬は、いまだに私に笑顔をくれている。

その他も、一つのこと以外、この一ヵ月、変わったことは起きていない(例によって、仕事上では変わったことばかり起きているけど)。
“一つのこと”というのは、先日、私の身に降りかかった病災。
それは一週間余前、都内某所の故人宅で遺品処理作業をしていたときのこと。
寒い中、汗をかきながら作業をしていると、何となく足がフラつきはじめた。
同時に、脳(視界)も揺れている感じに。
「目眩(めまい)?それとも気のせい?」
私は、それまでの人生で体感したことがない感覚に、少し戸惑った。
目の前の視界が身体(視線)の動きにリンクしていないのは明らか。
普通に歩いているつもりでも、身体は自然と左側へ傾いていく。
しかし、作業の真只中。
その症状は作業を止めるほど深刻なものでもなく、フラつきを不快に感じながらも、作業はそのまま続行した。
そして、自分をダマシながら作業を進め、その日の作業はなんとか終わらせた。

症状が悪化したのは、その日の夜になってから。
夕方、私は、褒美の晩酌を楽しみにしながら退社。
依然として軽い目眩はあったものの、
「ま、そのうち治るだろう・・・」
と大して気にもせず、好きな肴を買って家路についた。
そして、いつも通り風呂に入り、一日の終わりに安堵した。
しかし、酒肴に舌鼓を打とうとしたところで、安堵は不安に変わった。
軽くおさまっていた目眩が急激に酷くなってきたのだ。

「あれ?変だな・・・」
身体(視線)は動いていないのに、視界が勝手に左スライド。
しかも、次第にそのスピードはアップ。
状態の急変に驚いた私は、辺りをキョロキョロ。
極めつきは、天井を見上げたとき。
視界は半時計回りに回り、左スライド同様、そのスピードは増すばかり。
すぐに視線を下げればよかったものを、あまりの光景に好奇心にも似た驚きを覚えて、頭を降ろすことができず。
結果、猛烈な勢いでグルグルと回る視界の下、目を回してダウンしてしまった。

この状況に、湧いていた不安感は恐怖感に変わった。
同時に、吐気も。
こんな症状に見舞われるのは、生まれて初めて。
もちろん、こうなると晩酌どころではない。
「目眩 原因 対処法」
気が動転する中、フラフラする頭でスマホを検索。
でてくるサイトを次々に開きながら、原因と対処法を探っていった。

ネットには、「頭痛や身体に痺れが発生したり呂律(ろれつ)が回らなかったりする場合は危険だから、すぐ病院へ!」とあった。
が、幸い、私にはその症状はなかった。
ただ、とにかく、横を見れば景色がスライドし、天井を見ればグルグル回る。
しかも、かなりのハイスピードで。
身を起こしているとフラフラするばかりなので、とりあえず横に。
そして、目を開けていると気持ち悪くなるので目を閉じ、何かに振り回されるような感覚に苛まれながら、しばらくジッとしていた。

結局、私は、三時間くらい横になったまま動けなかった。
そうしてしばらくすると、少しは気分も落ち着き、目を回しながらも身を起こすことはできるようになった。
ただ、最初の精神的ショックが大きすぎて、身体に力がなかなか入らず。
しかし、ゆっくり休むなら布団にかぎる。
「とにかく、今夜は安静にしていよう・・・」
と決め、同時に
「一晩寝たら治るかも・・・」
と、期待しながら這うようにして布団にもぐり込んだ。

残念ながら、夜が明けても目眩は治っていなかった。
前夜に比べれば改善したものの、視界も頭も明らかにフラついていた。
それでも、仕事は休めない(正確に言うと、会社が休ませてくれないのではなく、休む気がないのかもしれない)。
私は、いつも通り仕事にでて、いつも通り働いた。
ただ、仕事にでるとそれなりに気が張るのだろう、自覚症状はあったけど、家にいるときほど気にならず。
「どうせ治らないなら気にするだけ損」
と開き直って、時を過ごしていった。

結局、目眩は一週間ほど続いた。
“一時的に治まる”なんてことはなく、程度に波はありながらもほとんどずっと。
そんな中で、特に神経を使ったのは車の運転。
事故でも起こしたらとんでもないことになるから。
ただ、そんな緊張をよそに、車の運転は大丈夫だった。
運転中、首を急激に動かしたりしないかぎり、目眩は自覚されず。
目眩による視界変動より車の動きによる視界変動のほうが速くて大きいから、目眩が中和されたのだろう。
しかし、その反動だろうか、車を降りた途端にフラッとよろけていた。
同じように、座った状態から立ち上がる際や身体の向きを変える際にもフラついた。
また、歩いてもにわかにフラフラ。
そのうち、そんな身体の扱いにも慣れてきて(?)、吐気はもよおさなくなり食欲も回復。
自分が少し辛いくらいで、日常生活や仕事で人に迷惑をかけるようなことも起こさずに済んだ。
そして、ありがたいことに、昨日くらいから目眩はかなり治まってきている。

二月にはインフルエンザにかかり、五月には股関節を傷め、八月には蕁麻疹を発症し、九月にはスマホが壊れ(これは関係ないか・・・)、そして、十一月は目眩ときた・・・
また、蕁麻疹発症以降、原因不明の持病である胸痛に襲われる頻度も上がってきている。
ストレス、疲労、更年期障害・・・責任を押し付けられそうな要因はいくらでもあるけど、結局のところ、見た目だけではなく身体の中身も老いて衰えてきているのだろう。
そんな風に、中も外も暗いネタが尽きないけど、その都度 耐え忍び、空元気でもいいから少しでも笑って過ごしたいものである。



そこは、寒風吹くビルの屋上・・・
目の前に広がるのは、飛び散った血・肉・骨・・・
それは、健康な身体でも目眩を起こしそうになるような光景だった。

どこかの誰かが、隣のビルから飛び降りた。
そして、それよりも低いところにある隣のビルの屋上に落下。
その衝撃で、身体の多くが粉々に飛び散ったのだった。

そこはオフィスビルの屋上。
住居用マンション等とは違い、普段、人が立ち入るようなところではなく、たまに立ち入るのは設備メンテナンスの業者くらい。
色々な設備や構造物を設置するため、床面は平たい造りではなく複雑な形状をしていた。

「こりゃヒドい・・・これをやらなきゃならないのか・・・」
高所が苦手であることも相まって、私の目には、その光景がとても凄惨なものに映った。
そして、その作業が気の遠くなるようなものになることは明白で、やる気は衰えていくばかりだった。

ビル風はとても冷たく、そして、とても強く吹いていた。
それは臆病風となり、私の心身を打ち、硬直させた。
「知らない世界に飛ばされるんじゃないか?」と恐くなるくらいに。

そこは街中のオフィスビルで、地上の人通りも多い。
「不幸中の幸い」と言っていいのかどうかわからないけど、故人が地上に到達していたら、誰かがケガをし、また、誰かが巻き添いになって命を落とすことになった可能性が充分にある。
もっと大きな惨事になっていたかもしれないことを考えると、すべての物事のきわどさが身に滲みて寒々しさが増していった。

当然、周囲に人影はなし。
孤独な作業や凄惨な現場には慣れているけど、初動の心細さは否めない。
作業を進めていくうちに特掃魂に火がついて、次第に熱くなっていくのがいつものパターンだから、自分を奮い立たせるには、それを待つほかなかった。

火のついた特掃魂は、本来の私に似合わないパワフルなものになる。
ただ、そこにたどり着くまでが、結構 大変。
作業を嫌がる自分、逃げたがる自分、愚痴る自分、弱音を吐く自分・・・そういう輩といちいち対峙していなかくてはならないから。

血を拭き、肉を削り、骨を拾う・・・
構造物に頭や肘をぶつけながら、狭いところを這いずり回りながら、無理な姿勢に呻き(うめき)声を上げながら・・・
生きるための代償として、懸命に生きていることの証として、私は一人黙々と作業を続けた。

そんな仕事でも、ひと仕事やり終えたときの達成感はあった。
誰に褒められるわけでもなく、誰に喜ばれるわけでもなく、誰かに蔑まれることが多く、誰かに劣ることが多く、ただ金で依頼され請け負った仕事だけど、自分なりの達成感はあった。
そして、それが、誰に誇る必要もない自分の中のプライドになって、次の自分を支えてくれるのである。


人の心は強いものでもあるし、弱いものでもある。
フラフラしてしまうことも多く、ときに、折れて倒れてしまうこともある。
しかし、それで終わりではない・・・諦める必要はない。
時に勝てない以上 時を返してやり直すチャンスは持てないけど、今ここでリセットするチャンスは持てることを知らなければならない。
弱々しくフラつく足にも、“自分次第”といった次元を超えたところにある跳ぶ力を宿らせることができることを知らなければならない。
・・・悩める私は、弱々しく消沈することが多い中でも そう思っている。

そして、ときに、目眩を起こしながら、また、目眩を起こしそうになる出来事に遭遇しながらも、この人生旅路を、笑顔を望みつつ、一日一日大切に、かつ力強く歩いていきたいと思っているのである。


公開コメント版

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2016-08-01 08:09:39 | 特殊清掃
今日から八月、盛夏。
前回、「梅雨明けはいつ?」なんて余裕こいたこと言っていたら、その翌日、さっさと梅雨は明け、猛暑・酷暑の時季がスタート。
ただでさえ、日々、色んなものと戦わなければならないのに、これから更に“暑”を相手に戦わなければならないわけ。
で、不快指数は急上昇。
ちょっと動いただけで、身体は汗まみれ脂まみれ。
お陰で、些細なことでイライラしてしまう。

この暑さは、結構、厄介。
やはり、気温が高いと肉は腐りやすく、現場が凄惨なものになりやすい。
肉体は腐敗ガスを含んでスポンジのようになり、それがどんどん膨張していく。
想像しにくいと思うけど、生前の2倍・3倍に膨れ上がる。
そして、体表(側面が多い)の各所には水疱が現れ、その中には腐敗ガスとともに黄・赤・茶、時には緑色の腐敗体液がたまる。
そのうち、肉は固体の維持力を失い、著しい悪臭を放ちながら溶解を始める・・・髪、爪、骨などの固形物を残し、液状化していくのである。

そうなるのは、長期放置の遺体ばかりではない。
敗血症の遺体の場合、極めて短時間でこの症状が現れる。
前夜には眠っているようにしか見えなかった故人が、翌朝になると、まるで別人のようになっていたということは珍しくなく、家族でさえ遺体に恐怖心を抱く人もいる。

私も、これまで、何度となく腐敗の進んだ遺体を柩に納めてきた。
その作業は、かなりキツいものがある。
特殊清掃の相手は、髪、爪、歯、皮膚、骨、血、脂、体液、溶肉、あっても小骨や耳くらい。
そういった“部品”が相手。
しかし、遺体処置業務の場合は、遺体本体が相手。
変容著しいとはいえ人間のかたちをしており、特殊清掃とは次元を異にした過酷さがある。


呼ばれた現場は、街中に建つ古いマンション。
依頼者は、故人の息子(以後、遺族男性)。
約束の日時、1Fエントランスで待ち合わせた我々は、周囲に目立たないよう小声で短く挨拶。
それから、私は遺族男性に、遺体発見の経緯や部屋の状況を訊ねた。

亡くなったのは老年の男性(遺族男性の父親)。
死後数日が経過して後の発見。
ただ、季節は真冬。
暖房がついていると夏場に近い感じの変容が起こる可能性が高かったが、不幸中の幸いで、部屋の暖房を切られた状態。
低温乾燥の影響だろう、死後数日が経過していても特段の腐敗は進行せず。
変容と言えば、肌の色がわずかに黒ずんでいたことくらいだった。

したがって、検分に入った部屋にも違和感はなし。
一般的な生活臭や、どこの家にもある固有臭は感じられたけど、いわゆる腐乱死体臭も感じず。
亡くなっていたのは寝室のベッドだったが、そこに汚染痕もなし。
ウジ・ハエの発生もなく、事前情報以外に人の死を知らせるものは何もなかった。

ところが、遺族男性は、
「隣の人から苦情がきてまして・・・」
という。
そして、
「苦情???」
と、首を傾げる私に、
「後で、そちらに、室内の状況と作業の説明をしに行ってもらえますか?」
「第三者の客観的な意見だったら、聞いてもらえるかもしれないので・・・」
と、何やら事情ありげなことを言ってきた。

怪訝に思いながら、我々は、高齢の男性が一人で暮している隣の部屋を訪問。
遺族がインターフォンを鳴らすと、中から住人の男性(以後、隣室男性)がでてきた。
隣室男性は憮然とした表情で、
「換気扇・換気口・排水口は全部ふさげ!」
「窓・ドアは眼張りしろ!」
「玄関を開けるときは、事前にその日時を知らせて許可をとれ!」
「作業内容を事前に説明し、許可をとれ!」
「エレベーターは使うな!階段を使え!」
「室内で着ていた作業服で外へ出るな!」
等と、こちらの説明には聞く耳も持たず、一方的に注文をつけてきた。

故人の部屋からは異臭がでているわけでもなければ、害虫がでているわけでもなし。
したがって、周囲に目に見える実害はなし。
ただ、「亡くなって数日の間、その身体が部屋にあった」というだけのこと。
にも関わらず、隣室男性は大騒ぎ。
その態度に、「何様のつもりだ?」と、私の不快指数は急上昇。
故人にどれほどの落ち度があって、また、隣室男性にどれほどの権利があってそんな命令をするのか、到底、納得できるものではなかった。

それでも、遺族男性は、隣室男性に対して平身低頭。
「隣の部屋で死んでたわけですから・・・」
「イヤな思いをさせてしまったのは事実ですから・・・」
と、謙虚に隣室男性の文句を聞き、ひたすら頭を下げていた。
また、その様は、発見まで時間がかかったことに対し、故人に頭を下げている姿にも見え、遺族男性のただならぬ心痛が察せられた。

それからも、隣室男性からのクレームや注文は頻発した。
私は、元来、気の弱い臆病者ではあるけど、そんな私でもそれに対して内々でキレまくっていた。
しかし、矢面に立たされてもジッと辛抱している遺族男性を前に表立ってキレるわけにはいかない。
結果、遺族男性に迷惑がかからぬよう、私も辛抱に辛抱を重ねながら仕事を進めていった。

それから後のある日、必要ではなかった消臭消毒作業をあえて行い、家財の荷造梱包を終わらせた段階で、家財の搬出作業についての許可を得るべく、管理会社と管理組合に申請した。
ただ、双方とも作業は了承してくれたものの“隣室男性とは関わりたくない”といった物腰で
「隣と揉めないように気をつけて下さい」
「あの人、こっちにも苦情を入れてくるので・・・」
と、揉め事に巻き込まれるのを嫌って、我々と距離を空けてきた。
ただ、私と遺族男性は、それはそれで仕方がないものと割り切り、次に、家財搬出の件を伝えるため、足取り重く隣室男性宅を訪れた。

出てきた隣室男性は、相変わらず憮然とし、横柄な態度。
家財搬出の日時と、その際は玄関ドアを開けたまま作業させてほしい旨を伝えると、
「ダメ!ダメ!」
と、あっさり却下。
更に、
「少しは、人の迷惑も考えなよ!」
と、人を見下すように鼻で笑った。

人間の堪忍袋の尾の耐久力は、人それぞれ。
遺族男性の尾は、かなり強い方だった。
しかし、隣室男性の度を超した言い草に、とうとう、その尾はプチッと切れた。
「迷惑」という言葉と鼻で笑った隣室男性の態度が、遺族男性の逆鱗に触れたようだった。

「迷惑!? 迷惑って何ですか!!」
「その言葉、そっくりそのままお返ししますよ!!」
と、それまでの温和な顔を鬼の形相に豹変させ、遺族男性は、いきなり怒鳴り始めた。
そして、
「父はそんなに悪いことをしたんですか!?」
「自分の家で亡くなるのが、そんなに悪いことですか!?」
「アナタの身内は誰も亡くなっていないんですか!?」
「アナタは死なないんですか!?」
と大爆発!
相当に鬱憤がたまっていたようで、敬語が敬語に聞えないくらいの勢いで、隣室男性に言弾を撃ちまくった。

その場にいた私は、胸のすくような思いがしたものの、それに対して罪悪感・羞恥心みたいなものを感じなくもなかった。
ただ、とりあえず、何かのときには男性の援護射撃をするつもりで言弾は用意した。
が、結局、その出番はなし。
怒ることには慣れていても、怒られることには慣れていないのか、隣室男性は驚きの表情を浮かべて沈黙。
何か言い返したようだったが、遺族男性のパワーに圧倒されて声も出ないよう。
動揺も露にシドロモドロ、モゴモゴと口ごもるばかり。
結局、
「う・・・う・・・うるさい!」
と一言吠えただけで玄関を閉めてしまった。


幸いなことに、その後、二度と隣室男性の顔を見ることはなかった。
ただ、振り返ると、隣室男性の心を怒らせたのは“死”だったのかもしれないと思う。
高齢独居の隣室男性にとって、隣人の孤独死は他人事では済まされなかったのかもしれない。
そして、あれは、死を嫌悪し、死を恐れるあまりの態度だったのかもしれない。
激高した遺族男性も然り。
父親を一人で死なせ、また、すぐに気づけなかったことで湧いてきた後悔や罪悪感のようなものが、感情を極端に激させたのかもしれなかった。
そう思うと、あの仕事の時々で隣室男性に対して抱いた不快感も少しは中和されるような気がするし、怒りを抑えることができなかった遺族男性の心の痛みも少しはわかるような気がする。
私も、死を前にし、死に悩み、死を避けられない ただの人間だから。

とにもかくにも、“怒”というヤツは面白いもの。
感情の中でも特に“怒”は、自分でコントロールすることが難しい。
そして、まるで別人格のように人を変え、また、普段にはないパワーを発揮させる。
しかし、それがプラスに働くことは少ないような気がする。
制御可能な怒りならまだしも、制御不能の怒りは自分に災いをもたらす。
多くは、時に自分を見失わせ、時に取り返しのつかないことを引き起こす。

怒りを鎮めるのは理性良心の中にある寛容さ、冷静さ、謙虚さ、そして、忍耐力。
では、それらを育むのは何か。
それは、“自己愛”・・・多くの人が持っている、“自分のため”という自分を大切に想う気持ち。
大局的にみて、長期的にみて、それが自分のためになるかどうか考えれば、自ずと答は現れる。
そして、その答に従えばいいのである。

なんて、偉そうなことを言いながら・・・
友達でもないのに年下の人間にタメ口をきかれたとき、
渋滞で自車の前に割り込ませてやった車がハザードランプを点滅させないとき、
レジで、手を触ろうとしていると思われたくなくて掌を平にしているにも関わらず、女性店員に釣銭を落とすように渡されたとき、
等々・・・
つまらないことにムッとして余計なストレスを抱えてしまう、歳の割に未熟な私である。


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追憶の影

2016-07-06 07:56:51 | 特殊清掃
遺品処理の依頼が入った。
依頼者は老年の男性。
「自宅の一部屋に家族の遺品がまとめてあるので、それを片付けてほしい」
とのこと。
私は、例によって、事前の現地調査が必要であることを説明し、その日時を約した。

訪れた現場は、古びた感のある一般的な一軒家。
約束の時間の五分前に家の前に車をとめると、その音を聞きつけてだろう、インターフォンを押す前に家の中から一人の男性がでてきた。
「こんにちは」
「お待ちしてました」
お互い、お互いのことはすぐにわかったので、すぐに 視線を合わせて挨拶を交わした。

目的の部屋は、家の二階の一室。
玄関を通された私は、男性の後をついて二階へ。
そこは、普通の六畳間ながら、日常の生活で立ち入っているような生活感はなく、色々なモノが所狭しと並べられ、また積み重ねられ、様相はまるで物置。
段ボール箱に入った荷物も多く、引っ越してきたばかりの家で、荷解きする前の荷物を仮置きしているような光景だった。

部屋には、老年の女性がいた。
女性は、男性の妻で、小さな椅子に腰掛け、自宅に現れた見ず知らずの私には目もくれず、ただ宙を見つめていた。
その顔は無表情で弱々しく、私は、ちょっと異様な空気を感じたが、とりあえず笑顔をつくって
「お邪魔します」
と挨拶。
すると、女性は、うつろな視線を私に移し、椅子に座ったまま私にお辞儀をしてくれた。

女性が身体の健康を損ねていることは一目瞭然。
それだけではなく、精神を弱めていることも容易に察せられた。
ただ、そんな心情を態度に出すと男性が余計な気を使うと思い、私は、そんなことは気にも留めていないフリをして事務的に事をすすめた。

勉強机、本棚、ゲーム玩具、レコード、カセットテープ、ミニコンポ、雑誌書籍、辞典辞書、洋服etc・・・
部屋には色々なモノがあったが、どれもこれも、時代を感じさせる古びたモノばかり。
ただ、よく見ると、「家族」と言っても夫妻の親兄弟が使っていたモノではなさそう。
私は、荷物の持主が誰であるかということが気になってきて、黙って荷物を見分しながら、そのことについて考えを巡らせた。

思いついた“答”は、夫妻の子供。
置いてある品物を確認すればするほど、それが最も合理的な結論となった。
成人し独立した子が昔使っていたモノで、実家に放置したままにしている可能性はあったが、ただ、男性は最初に電話で話したとき、荷物を「遺品」と呼んでいた。
と言うことは、夫妻の子は、もう亡くなっているということになるわけで・・・
つまり、“夫妻は子に先立たれた親”ということになり、私は、礼儀のつもりで浮かべていた笑顔を消し、神妙な面持ちに変えていった。
そして、訊かれたくないことかもしれなかったので、私は余計なことを訊かず、黙々と見分を進めていった。

荷物は六畳一部屋分のみで、散らかっているわけでもなし。
現地作業は半日もあれば充分で、必要な作業内容もかかる費用もシンプルなものとなった私は、それを男性に説明し、男性は、それについて私にいくつかの質問をした。
そして、男性は、傍らでそのやりとりを聞いていた妻の同意を丁寧に確認したうえで、契約書にサインと押印をした。


作業日は、双方の都合を調整し、現地調査から一週間後のある日に決定していた。
しかし、作業日の前日になって、男性が電話をかけてきた。
用件は、作業中止の申し出。
日時の都合が悪くなっての延期とかではなく、作業(契約)そのもののキャンセルを依頼するものだった。

一旦結んだ契約が解除になるのは仕方がない。
予期せぬ事情が後から生じたり、気が変わったりするなんてことは珍しいことではない。
そうは言っても、一旦成立した契約をキャンセルされるのは、決して気分のいいものではない。
しかも、前日になってのキャンセルはマナー違反。
気分を悪くした私は、相応の理由、もしくは相応のキャンセル料がないと承諾したくなく、権利をもってその理由を訊ねた。

「妻が拒んでいるもので・・・」
男性の口から出たのは、身勝手にも思われる理由だった。
現地調査のときには、妻も荷物の片付けに同意したはずであり、その場にいた私も自分の目でそれを確認していた。
が、その直後、妻は翻意し、荷物を片付けることを拒否。
その抵抗は強く、男性が説得を試みても、頑として受け付けず。
結局、男性は、作業中止を判断せざるを得なくなったのだった。

とりあえずの理由を聞いた私だったが、それでも納得はできず。
「だったら、もっと早く言ってくれればいいのに・・・」
と、不満を覚え、その気持ちを口から吐き出しそうになった。
しかし、目くじらを立てるほどの実害を被ったわけではない。
また、男性は、礼をもって詫びてくれている。
連絡が間際になったのも、直前まで妻を説得し続けていたことによるものと推察できたし、私は、不満を爆発させるエネルギーを、頭を冷やすほうに向けた。

男性は、とにかく私に平謝り。
電話の向こうで平身低頭になっている姿が思い浮かぶくらい、何度も何度も詫びの言葉を口にした。
そして、事情を詳しく説明する責任があると思ったようで、今回の遺品処理にまつわる経緯を話し始めた。


夫妻は、子供を三人もうけた。
最初は女の子。
しかし、長女は生後間もなく先天性の病で死去。
次は男の子が生まれた。
が、長男も若くして病死。
三人目の子、次男がいたが、一人残っていた彼も、中年を迎えることなく病気で亡くなってしまった。
つまり、夫妻は、せっかく授かった三人の子供全員を亡くしていたのだった。

夫妻が味わった悲しみは、どれほどのものか・・・
襲ってきた喪失感と寂しさはどれほどのものか・・・
その悲哀は、辛酸の真味を知らない私が想像できるものではなく・・・
亡くした子の人数で親の悲嘆の大きさが計れるものではないはずだけど、経緯を聞いた私は自分の耳を疑いながら絶句。
電話の場合、相手の表情や態度が見えないから、私は、「話はちゃんと聞いてますよ」という意思の表れとして、相槌の代わりに小刻みに返事をしていたのだが、あまりの気の毒さに、その短い返事すら口にすることができなくなった。

三人の子を授かって、三人とも自分達(親)より先に死ぬなんて・・・
普段の行いが悪いせいか、何かの罰か、何かの祟りか・・・夫妻は、そんな風に考えたかもしれない。
私は、そんなところに理由はないと思うけど、自分達の子供が短命で人生を終わらなければならない理由、自分達が子供を奪われる理由を欲しただろう。
そして、それが、“運命”“宿命”“摂理”等・・・人の力ではどうすることもできない領域にあるものだと頭では理解しても、心底では納得することができず、悲しみを超えた強い憤りを覚えただろう。
それでも、前向きに生きようと、出口の見えないトンネルを夫妻は必死で歩いたものと思われた。

しかし、紆余曲折を経て、女性は鬱病を発症。
結構な重症で、通院と服薬だけではラチがあかず、一時は入院し療養。
症状が深刻な時期、男性は「後追い自殺するんじゃないか」と、女性を独りにしておくことが心配でならなかった。
そして、男性の口から具体的な話はでなかったけど、夫妻の過去に、男性が心配していたような良からぬ出来事が残ったことは、受話器から流れてくる空気が感じさせた。

そう・・・現地調査の日、私が部屋で見た品々は、三人の子の遺品。
夫妻は、その部屋には三人の子の遺品と想い出を大切にしまっていたのだった。
ただ、時間は人の心に関係なく流れていく。
「一周忌を過ぎたら片付けよう」と思っているうちに三回忌が過ぎ・・・そのうち、七回忌、十三回忌、十七回忌、そして、二十三回と、事あるごとに気持ちを固めながらも、結局、寂しさに負けて、それを延々と引きずってきた。
しかし、夫妻も齢には勝てず。
自分達の死も視野に入れて生きなければならない年齢になってきた。
そして、子供達の遺品を片付けることをようやく決意し、今回の件に至った次第だった。


男性は、思い出したくないはずの苦しい過去を話してくれた。
私は、そんな男性の心情に報いたいという気持ちもでてきたし、夫妻の悲哀と苦悩を想うと、ここは後腐れなく承諾するのが私の道だと思った。
だから、
「事情はよくわかりましたので・・・気になさらないで下さい」
と、男性には見えない顔を真摯にして、電話を終えたのだった。


“笑顔の想い出”は、人生の宝物。
今の自分にも笑顔をくれる。力をくれる。
では、“悲涙の想い出”はどうだろうか・・・
今の自分に笑顔をくれるだろうか・・・力をくれるだろうか・・・
苦しみを甦らせ、悲しみを煽るばかりではないだろうか・・・
そして、人生に影を落とすのではないだろうか・・・

また、人生には、色んなことがある。
色んなことに遭遇する。
嬉しいこと、楽しいことばかりではない。
苦しいこと、悲しいこと、辛いことも多い。
乗り越えられそうにない壁にブチ当ることがある。
奈落の底が見える崖淵に立たされることもある。

それでも、人は生き、時間は流れる。
人には自分では如何ともし難い、無力さ、愚かさ、悲しさ、寂しさ、切なさがある中で、時間は人の苦悩を癒してくれ、人の精神を練ってくれる。


確かに、子供達の死は、夫妻の人生に暗い影を落としていた。
しかし、そこに光を当てるのもまた、亡くなった子供達の笑顔・・・
影があるから光があるのではなく、光があるから影がある・・・
そして、そこに“想い出”という名の希望があると、私は思うのである。


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追憶の光

2016-06-10 07:17:21 | 特殊清掃

「死後、約一ヵ月余」
「汚れ具合はわからないけど、ニオイが酷くて入れない」
「とりあえず、中に入れるようにして欲しい」

依頼者は中年の女性。
亡くなったのは女性の叔母、つまり女性は故人の姪。
現場は、故人所有の一戸建。
遺体の処理は終わっており、あとは、その痕を始末するのみ。
境を狭く隣接した家屋はなく、メンタル的な部分を除けば、近隣に迷惑はかかっていないよう。
そして、亡くなって一ヵ月余も経っていれば、慌てる領域は越えている。
私は、気持ちが落ちつかなそうな女性に慌てる必要はないことを伝え、当日の夕方まで時間をもらい、現地調査に出向く約束をした。

人に頼られたときの私は、素の性質に似合わずパワフルになる。
依頼者が困った状況に遭い、自分が役に立てそうな場合は尚更。
自己を顕示するようで話でみっともないだけかもしれないけど、決して奇特な性格でもなければ、隣人愛を持っているわけでもないのに何となく張り切ってしまうのだ。
そんな私は、日中の作業を手早く片付け、予定より早く約束の現場へ向かった。

到着したのは、のどかな風景に佇む、少し古ぼけた感のある木造二階建の一軒家。
女性は、私より先に来ており、家の前に車をとめて待機。
私の車に気づくとそそくさと車を降り、私の車を敷地内に誘導。
そして、イヤなことをやらせることに罪悪感を覚えたのか、車を降りた私に、どっちが客なのかわからないくらいペコペコと頭を下げてくれた。
一方、そんな女性の心情を気の毒に思った私は、平然と受け答えし、あえて場に合わない笑顔を浮かべ、暗に“ドンマイ”という意思を示した。

故人には夫も子もおらず、身内らしい身内は女性くらい。
だからか、故人は女性のことを娘のように可愛がってくれ、若い頃、実母を亡くした女性もまた故人を母親のように慕っていた。
そんな故人は、生前から「少しは財産を残すから、自分が死んだ後のことはよろしくね」といった趣旨のことを言っていた。
だから、女性は、その義理に報いるべく、一度は家に入ることを試みたよう。
しかし、玄関を開けた途端に噴出してきた猛烈な悪臭に阻まれ、それ以上 前進することが叶わず。
結局、一歩も足を踏み入れることなく、後退したのだった。

私にとっては“いつものニオイ”ながら、確かに、悪臭は強烈だった。
ただ、それは、玄関に近いところで亡くなっていたせいでもあった。
が、どちらにしろ、素人には耐え難いニオイ。
女性が中に入れないのも当然といえば当然。
私は、専用マスクを装着して、遺体痕まで歩を進めた。

一ヶ月余が経過しているわりには、遺体痕は生々しく残っていた。
身体の型もクッキリ残り、頭があった部分には大量の毛髪も残留。
ウジ・ハエの発生はとっくに峠を越えていたが、その代わり、蛹殻とハエ死骸が広範囲に渡って無数に転がっていた。

汚染レベルはミドル級。
私にとっては、さして大変な作業ではない。
作業をやる前から、頭の中で、その段取りを組み立てることができ、更に、スムーズに痕が消えていく画まで思い浮かべることができた。

私の場合、原則として、死体現場の特掃作業は一人でやる。一人のほうがやりやすい。
心細さや不気味さを覚えることはあるけど、そんなものは、作業を始めてしまえば消えてなくなる。
そして、亡くなった人のことを想いながら、
「どんな人生だったんだろうな・・・」
等と思いを巡らせることがある。
更に、
「どんな人生でしたか?」
と、心の中で、故人に向かって訊ねるようなことがある。
もちろん、答は返ってこない。
ただ、それを問うことで、偶然に思える必然の摂理が与えてくれようとしている何かを掴もうとするのである。
深い事情を知らなかった私は、ここでもそんな単純な思いを巡らせながら、汚物と化した元肉体の痕を人の跡へと昇華させていった。


それから何日か後。
特殊清掃・消臭消毒作業も無事に完了し、女性が遺品をチェックできる環境が整った。
が、初回のトラウマもあり、女性は、「一人で家に入るのは心細い」という。
結局、私も一緒に遺品確認を手伝うことになり、女性とともに家に入った。
そして、死後処理や相続手続に必要な書類等の取捨選択をアシストした。

主だった貴重品類は事前に警察が持ち出して保管していた。
そして、先に女性に手渡されていた。
その中には、財布やカード類が入った故人愛用のバッグもあった。
女性は、その中から、小さな四角形を取り出し、
「こういうものは、どう処分したらいいんでしょうか・・・」
と、私に差し出した。
それは、手製風の布袋に入った箱のようなもの・・・手に取ってみると中を見ると、それは、あちらこちらで何度か見たことのあるモノ・・・人の“ヘソの緒”が入った木箱だった。
よく見ると、箱に貼られた紙には、氏名・生年月日・身長・体重などが明記。
それによると、どうやら、それは故人の息子のもののよう。
息子がいるのに死後処理を女性(姪)がやっていることを怪訝に思う私の心持ちが伝わったのか、女性は事の経緯を話し始めた。

故人は、今でいうシングルマザー。
世間の風当たりが強い中、一人息子を女手一つで育てた。
片親のハンデを息子に背負わせたくなくて、頑張って働き、教育にも注力。
それに応えるように息子も道を外すことなく勉学に励み、大学まで進学。
卒業後も大手の系列企業に就職し、安定した収入を元手に故人(母親)と共有名義で中古の一戸建を購入。
そして、親子二人、平穏な生活を送っていた。
しかし、悲劇は何の前ぶれもなく起こった。
ある年の梅雨の時季、車の事故で息子は突然に死去。
行年は20代後半、故人の死の十数年前の出来事だった。

母と息子、苦楽を共にし、二人三脚で歩いてきた人生。
その息子が、急にいなくなってしまったわけで・・・
どれほど悲しかったことか・・・
どれほど淋しかったことか・・・
どれほど辛かったことか・・・
周囲の人は、「後を追って自殺するんじゃないか?」と心配した。
が、そんな故人にどんな言葉をかければいいのか、どう接すればいいのかわからず、ただ、黙って見守るしかなかった。
しかし、故人の立ち直りは意外に早かった。
もちろん、“何事もなかったかのように”とはいかなかったけど、失われた息子の人生を取り戻そうとするかのように、その年の秋、息子の誕生日を過ぎた頃から、以前と人を異にしたような落ち着いた快活さをみせるようになり、とりあえず、周囲をホッとさせた。

先に亡くなった息子の部屋は二階の一番奥にあった。
部屋の主は、もう十数年前にいなくなったのに、人気のない冷たさはなし。
家具も家電も服も雑誌も仕事のモノも趣味のモノも部屋の装飾も、ほとんど生前そのままの様相。
“帰ってきてほしい”という想いの表れだったのか、それとも、遺品をも葬り去ることに抵抗があったのか、整理清掃が行き届いており、意図的に生前のままを保とうとした様子が伺え、少し切ないものがあった。


生まれて死んでいくは命の定め。
そして、生まれてきた順に死んでいくわけではない。
摂理と宿命には逆らえず、後先が逆になることもザラにある。
しかし、人は、生まれた順に死んでいくことが道理のように思ってしまう。
そして、これが理不尽なことに思え、大きな悲哀や怒りを生まれる。
それを平常心で受け入れることなんて、到底できない
人が生まれ死んでいくかぎり、悲しみは続いていく。
ただ、悲しみの中で生きる力が生まれることもある。
悲しみの中でこそ生まれる力がある。
そして、それは、一生に携えていくことができるのである。

故人が息子のヘソの緒を肌身につけるようになったのは、亡くなって間もない頃からだと思われた。
それで、悲しさや寂しさを紛らわそうとしたのだろう・・・
そして、自分を励まし、勇気づけようとしたのだろう・・・
子を胎に宿したときの喜び、産んだときの幸せ、幼少期の愛らしさ、その後の苦楽等々・・・小さな木箱に たくさんの想い出を詰め込んで、その光を携え、悲しみや寂しさに立ち向かって精一杯生きたのだろう・・・
息子を亡くしてからの十数年、故人は一人で生活してはいたけど、一人で生きていたのではないと私は思った。


私は、故人が抱いた喜びや悲しみに想いを巡らせ、同時に、人間が抱える宿命的な喜びや悲しみにも想いを巡らせた。
そして、人生の半分以上を死体業に携わり、数多くの先逝人と会ってきたこれまでの年月に立ち戻りながら、「人は死んでも、残された人の心の中で生き続ける」という、誰でも言うよな、どこででも聞くようなありきたりの言葉を自分のものにして、たまにそれを思い出しては自分を静かに励ましているのである。


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水無月の空

2016-06-06 08:47:51 | 特殊清掃
立ち止まってみれば、もう六月。
前回更新から、「あれよあれよ」と言う間に一ヶ月半が経ってしまった。
その間、相も変わらず私は現場を走り回っていた。
遺品処理、腐乱死体現場の始末、便所掃除、汚腐呂掃除、殺人事件現場の始末、ゴミの片付け、動物死骸処理etc・・・
“フツーの人間じゃない”と思わるのがイヤで、フツーの人はやらないフツーじゃない仕事をフツーの人間のフリをしてこなしていた。

晩春から初秋にかけてブログ更新が停滞するのは近年の傾向。
遊び呆けているわけでも、ケガや病気等で書けないわけでもないことは前述の通り。
(仮に、私が死んでしまって更新できない場合は、ブログ管理人が何らかの告知をするだろう。)
そうは言っても、ボロボロになるほどの重労働が続いているわけではない。
休みは少ないけど、体力も精神力も余力を残している。
それでも、この時季の私には、ブログを書くことより休養することの方が必要。
やがてくる残酷な夏に備えて、心身を整えておかなければならないのだ。
ま、とにもかくにも、「音沙汰ないのは達者な証拠」と思ってもらうしかない。

ただ、「休養」ったって、趣味らしい趣味を持っているわけでもないし、そんなことをやっている余裕もない。
とりあえず、一日の仕事が終わるとさっさと家に帰って、ゆっくり過ごすだけのこと。
休肝日にしていない日は、のんびり晩酌。
ビール・ウィスキー・チューハイの順で流していく。
面白いことに、今、飲んでいる酒はすべて頂きモノ。
もちろん、周囲に無心しているわけではないけど、なくなりそうになると、タイミングよく誰かがくれるのである。
だから、自分で買うのは、ハイボール用の炭酸水くらい。
ある種、図々しいような、ありがたい話である。

だいたいのパターンは、まずビールを350ml飲んで、次にハイボールを1ℓ余飲んで、最後にチューハイを350ml飲んで、それでおしまい。
これで、ホロ酔い・・・いい感じにできあがる。
酔いがまわってくるともっと飲みたくなるのだけど、これ以上飲むと翌朝不快感が残る。
それがわかっているから、そこでやめておく(少しは成長した)。
そうして、ちょっとヨロヨロしながら布団に入るのである。

就寝時刻は、とても早い。
まるで子供、もしくは老人・・・九時台に布団に入ることも珍しくない。
そして、翌朝の憂鬱を考えないようにしながら眼を閉じるのである。
しかし、このところ、不眠症が酷くて早朝(夜中)に目が醒めて、それ以降、寝付けなくなることもしばしば。
そういう時は、自分の“死”ばかりが頭を過ぎる。
「俺、死ぬんだよなぁ・・・」「そのうち、この世界とサヨナラするんだなぁ・・・」と、不思議な感覚に包まれる。
しかし、物思いにふけってばかりもいられない。
ダラダラと横になっているのは時間の無駄のような気がして、結局、早朝から起きだして、早々と仕事に出掛けるのである。

昨秋から日課にしていたウォーキングも、先日まで調子よく続けていた。
「続けていた」と過去形で書くのには理由がある。
左の股関節が不具合を起こしてしまい、数日間、普通に歩行することが困難になったのだ。
前々から、ウォーキング中に股間接がズレるような違和感を覚えることがあったけど、痛みをともなったわけでもなく、更に、頻繁に起こることでなかったので気にしないで放っておいた。
ところが、二週間余前のウォーキング中、急に痛みがではじめ、その痛みは歩けば歩くほど深刻なものに。
早い段階で歩くのを中止すればよかったのに、変なところに几帳面な性格が災いし、我慢しながら決めた距離を歩ききってしまったが故に症状は悪化。
結局、その時から数日間、股関節の痛みと違和感が続き、日課のウォーキングは中断せざるをえないハメになってしまった。

それからは、できるかぎり安静に。
歩かないでは仕事も生活も成り立たない中で、歩行は必要最小限にとどめ、なるべくゆっくり歩幅を小さく歩くよう心がけた。
そうして様子をみていると、幸いなことに、日に日に痛みも違和感もおさまっていった。
が、私は、ここで学習。
ウォーキングって健康にいいイメージばかりがあるけど、“歩き過ぎ”は逆によくないらしく、これまで6~7kmを目処にしていた歩行距離を3~4kmに短縮することに。
そうして三日前からウォーキング再開。
今のところ、問題は起こっていないから、これで、しばらく様子をみていこうと思っている。

「不具合」と言えば、持病?の胸痛もある。
もう十数年の付き合いになるけど、たまに原因不明の胸痛に襲われるのだ。
胃カメラをのんでも、レントゲンを撮っても、心電図をとっても、原因はわからず。
ただ、慣れたもので?数分前から現れる前兆で、痛みがでることが予測(覚悟)できる。
だから、慌てることはなくなった。
が、コレといった対処策もないので、痛みが自然におさまるまで耐えるしかない。
平均すると30分~1時間程度だろうか、その間は結構なツラさがある。
多くは普段の姿勢でやり過ごすことができるけど、酷いときは、息をすることも忘れ、胸を抱えてうずくまってしまうこともある。
そして、「このまま死んじゃったりして・・・」なんて、一抹の不安が過ぎるである。


身体の調子はそんなところ。
一方の精神は、相変わらず、些細なことで一喜一憂。
定まらない空模様のように不安定。
雨も降れば雪も降る。
風も吹けば雷も鳴る。
もちろん、晴れることもある。
ただ、雲が切れることはない。
私の気分には常に雲がかかっている。
「後悔」「不満」「不安」という雲が。

雲の原因は色んなところにある。
自分以外に原因を探したくなる。
しかし、究極的には、それは社会にでも他人にでもなく、自分にある。
そして、
「人生、その気になれば、いつでもやり直すことができる」
とは言えない一面がある。
「人生はやり直せない・・・」
引き返せない一方通行の人生にあって、つくづく、そう思う。
また、どんなに頑張っても、人生には、思い通りにならないこともある。
いや・・・「思い通りにならないことだらけ」と言っても過言ではない。
人生には、悲しくも厳しい現実があるのである。

しかし、諦めることはない。
人は、やり直せなくても、変わることはできる。
中身のない価値観を捨て、鈍い感性を磨き、モノの見方や考え方の偏りを修正し、一時的な感情や自己中心的な感傷を自らが支配することができる。
そして、もうちょっと努力できる自分、もうちょっと忍耐できる自分、もうちょっと挑戦できる自分に変わることができる。
また、思い通りにならなくても、思いを持ち続けることはできる。
無意識のうちに湧いてくる後悔・不満・不安を抑え、感謝・喜び・希望を見い出すことができる。
その戦いは、人生に必要な薬味。
幸福快楽のみでは幸福快楽そのものが成り立たない。
人生を大きく晴れ渡らせることはできないかもしれないけど、一日一日にある晴れ間を見つけることはできるのである。


入梅の報は昨日、真夏の酷暑もすぐそこに来ている。
毎年のことだけど、夏の仕事は一段とキツい!!
凄惨な現場や体力が要る現場では、精根奪われ、自分自身が用なしのボロ雑巾のようになる。
これでまだ若ければ凛とした張りをみせることができるのかもしれないけど、私はもう、相当にくたびれたポンコツ親父。
「冴えない」というか、「情けない」というか、「不憫」というか・・・
それを思うと気が重い・・・考えただけでも生気が失せる。
更に、その先のことを考えると、もう気分は真っ暗。
不安感を通り越して、恐怖感すら覚えてくる。

「もっと楽に生きられる方法はないものか・・・」
頭は、そんな風なことばかりに囚われる。
が、とにかく・・・とにかく、今、目の前のことを頑張るしかない。
自分が生かされている道なのだから。
そして、その時 その時を大切に、その真味しっかり味わうしかない。
せっかくの人生なのだから。

もちろん、それで未来が開けるかどうかはわからない。
わからないから、信じることができない。
それも私(人)の限界・・・あとは期待するしかない。
ただ、人の薄慮に動かされることなく、雲の向こうには青空が存在する。
どんなに厚い雲が自分を覆っているとしても、その向こうには爽快な晴天が広がっている。

水無月の曇空の下、肉の眼には見えない晴天を心の眼で追いながら、私は、今日も生きるための涙汗を流すのである。



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Last moment

2016-04-20 09:16:33 | 特殊清掃
その日、私は東京から離れたところにある とある会社の工場にいた。
用向きは、特殊清掃の事前調査。
そこで、作業員の一人が機械設備に巻き込まれて死亡。
血まみれとなった機械設備を清掃するための調査だった。

最初は、電話での問い合わせだった。
しかし、その機械設備について素人である当方が言葉で把握できることは少ない。
結果、具体的な現場の状況が想像できず。
更には、仕事として請け負えるものかどうかも判断できず。
とにかく、現場を見ずしては どうにも話を進めることができず、結局、現地調査に出向くことに。
ただ、場所は遠方で、かかる時間も交通費もバカにならない。
私は、普段は無料で行っている現地調査を今回は有料とし、更に、当方から辞退する可能性も充分にあることを承諾してもらい、現地調査の日時を約した。

訪れた現場は、ある製品の原材料をつくる大きな工場で、同じ形態の機械が整然と並んでいた。
機械は、原材料の攪拌プレスを目的とするもので、一基に一人の作業員が従事する仕様。
事故が起こったのは、その中の一基。
その傍らには白布が掛けられた台が置かれ、その上には仏具と花や飲料が供えられており、日常の悲しみとは趣を異にした不吉な雰囲気が漂っていた。

亡くなったのは私と同年代の男性で、熟練のベテラン社員。
故人のプライベートに深入りし過ぎると気が重くなりそうだったから、妻子があるのかどうか等、それ以上のことはあえて訊かず。
私は、事が起こった経緯に話題を絞って、工場の責任者の説明に耳を傾けた。

事故は、終業時の機械清掃の際に発生。
この工場の機械は、一日の作業を終えると、翌日に備えて機械を清掃メンテする必要があった。
その際は、機械が動かないよう、手元スイッチはもちろん、離れたところにある動力源も切り、更に安全バーを掛けることが規則になっていた。
しかし、動力源のスイッチがあるのは、長いハシゴの先。
清掃は試運転を行いながらやらなければならず、それを切ったり入れたりするのは結構な手間がかかる。
それが面倒だった故人は、動力源を切らないまま、手元スイッチと安全バーだけを使って清掃することを常にしていた。
そして、その日・・・
いつも通りの清掃メンテナンス作業をしていた故人は、誤って作動させてしまった機械に押し潰されてしまった。
故人の規則違反と慣れと油断によって、結果的に、取り返しのつかない事態が起きたのだった。

警察や労働局の調査は終わり、清掃の許可は降りていた。
供養式(御祓い)も施行済み。
(ちなみに、個人的には、こういう類のことは無要だと考えている。)
しかし、肝心の清掃消毒が手つかず。
責任者は、色々な業者に問い合わせしてみたが色好い返事をする者はなし。
もちろん、責任者を含め、社内の人間でそれを買って出る者もおらず。
しかし、できるだけ早く機械を再稼動させないと会社の損害は膨らむばかり。
頭を抱えた責任者は、藁にもすがるような思いで当方に連絡してきたのだった。

問題の機械設備は、血だらけ・血まみれ・・・まったく酷い有様。
薄っすら汚れている部分もあれば、濃く飛び散った部分もあれば、分厚い血塊を形成している部分もあり、汚染は複雑かつ広範囲。
また、機械の下部には、血まみれの帽子や手袋が放置されたまま。
機械ごと交換したほうがいいんじゃないかと思われるくらい凄惨な光景だったが、この機械設備は相当なもので、莫大な費用と時間がかかるのは、この分野に見識のない私でも容易に察することができた。

私が提示した金額は安くはなかった。
工場側の足元をみたつもりは毛頭なかったが、作業の難易度と危険度、そして気の重さを考えると、安価で引き受ける気にはなれなかった。
あと、“断られてもいい・・・”“断ってほしい・・・”という考えも、頭のどこかにあった。
しかし、
「料金はそれで構いません・・・誰かにやってもらわなければなりませんから・・・」
と、責任者は、料金と作業内容をすんなり承諾し、
「作業は、いつできます? なるべく早くお願いしたいんですけど・・・」
と、心の準備を整える時間が欲しかった私にプレシャーをかけてきた。

その日の夕刻、私は、臆病風に吹かれながら会社に戻った。
安請け合いしたつもりはなかったのだが、とりあえず請け負った特殊清掃がきちんとやれるかどうか、また、安全にやれるかどうかに不安を覚えたのだ。
事務所にいた同僚に現場の状況を話すと、
「その仕事、今からでも断ったほうがいいんじゃないの?」
と、“自分だったらやらない”といった表情を浮かべて心配してくれた。
しかし、かなり気が重かったことは確かだけど、私は、“断ろう”とは思わず。
責任感とか使命感とかじゃなく、また男気とか意地とかでもなく、過去の人生において、イヤなことから逃げに逃げて散々な目に遭ってきた私は、逃げることに対する恐怖感みたいなものがあったのだ。


何日か後、私は、重い気分を持ち上げて、再び工場に向かった。
前日から重かった気分は、当日の朝には一層重くなっていた。
それでも、契約を交わした以上、責任は果たさなくてはならない。
「夕方には気分は軽くなっている」
「ほんの何時間かの辛抱だ」
そう自分に言いきかせながら、同時に、
「生きて帰れなかったりして・・・」
と、冗談半分・本気半分で思った。
そして、仮にそうなったとしても、それが自然の摂理、自分の“定め”なのだろうと、覚悟や悟りよりも低いところで自分を納得させようとした。

工場に着いた私を責任者はVIP客でも来たかのようの歓迎してくれ、そこまで気を使ってもらう必要はないのに応接に通しお茶をだしてくれた。
そして、
「動力源も完全に落としてありますし、安全バーも新品にして固定してありますから大丈夫です!」
「あと、ちゃんと御祓いもしてありますから!」
と、完全が確保されていることを強調。
ただ、私にとっては、“御祓い”がしてあるかどうかなんてどうでもいいこと。
また、残念ながら、人間にミスはつきもの。
だから、私に安心感は湧いてこず、気分を落ち着かせることもできず。
私は、気持ち悪いものをブスブスと心の中にくすぶらせながら機械が誤作動しないことに念を押すのみだった。

その特掃作業が困難を極めたことは言うまでもない。
自殺や事件があった部屋の後始末は何度となくやってきたが、血痕清掃って、もともと手間がかかる。
ゴマ粒程度の血塊でも、それが水分を含んだら一筋の血流になり、ウエス(雑巾類)が汚れなくなるまできれいにするには、同じところを何度も何度も拭く必要がある。
また、血塊は洗剤をかけたくらいでは溶けず、血痕の厚みによっては、スクレイパー(金属ヘラ)で削らないと取れないこともある。
しかも、そこは、部屋ではなく勝手がわからない機械内部。
思うように身動きがとれない状況で四苦八苦、作業着も血だらけに。
時には、故人が亡くなったときと同じ姿勢になって狭い機械内に上半身を入れるハメにもなり、緊張の連続。
私は、手を変え道具を変え、休業無人で薄暗い工場で、ただ一人、恐怖心を拭えないまま、ただ血痕だけを拭った。
そうして、自分の身体に血痕を移し換えるようにしながら、少しずつ故人の死痕を消していった。

事故が起こった日、故人は、いつも通り起床し、いつも通り出勤し、いつも通り働き、いつも通り仕事を終えたはず・・・
“生きて帰れない”なんて、まったく思っていなかったはず・・・
しかし、突然、その命は失われてしまった・・・
そんな物思いにふけながら作業する私の心持ちは、悲しさもなく寂しさもなく、ただ静かに佇むばかりだった。

陽が傾きかけた頃、作業は何とか完了。
疲れた身体と精神を休めつつ、私は、工場の休憩室で、汗でふやけた手と血が飛び散った顔を洗わせてもらい、ワインレッドに染まった作業服を着替えさせてもらった。
そして、差し入れてもらった缶コーヒーを空け、その苦香で深呼吸。
元来、私は、コーヒーが嫌いなのだが、腹にたまったものはそれよりはるかに苦く、その苦味は甘ささえ感じさせるものだった。

帰り際、責任者は清塩を持ってきて、私にふってくれようとした。
しかし、私は、心づかいに感謝しつつ、それを断った。
そんなこと、まったく気にしないし、気にしていたら仕事にならないから。
また、亡くなった人に失礼なような気もするから。
そのことを話すと、責任者はちょっと気マズそうにしながらも理解を示し、笑って礼を言ってくれた。
そして、何度も頭を下げながら、遠ざかる私の車を見送ってくれた。


事件・事故・災害・紛争・病・・・
人の命が失われたニュースは、毎日、途切れることがない。
生きたくなくても生きなければならない人がいる中で、生きたくても生きられない人がいる。
先日来の九州地震もそう。
その日が人生最後の日になるなんてことは誰も思っていなかったはずなのに、多くの命が失われてしまった。

“死”というものは、いつ訪れてもおかしくないもの。
人は、不確かな毎日の上に保証のない予定を立てて生きている。
私くらいの年齢だと、うまく生きられたとしても、あと20~30年のものだろう。
これを“長い”とみるか“短い”とみるかは人それぞれだろうけど、“限り”があることに違いはない。
不本意でも心の準備ができていなくても、その中のある日が、いきなり最期の日になる可能性は充分にある。
ひょっとしたら、今日が、最期の日になるかもしれない。

そう・・・“死”というものは、元来、生のド真ん中にあるもの。
だからと言って、“死”を頭のド真ん中に置いて生きる必要はないと思うけど、頭の隅には常に置いておいたほうがいいと思う。
そして、たまにはそれを強く意識したほうがいいと思う。
今を大切にするため、未来を大切に考えるために。

私は、明日をも知れぬ儚い命に人生を懸けざるを得ない人間の弱さに悲しみを覚えたと同時に、明日をも知れぬ儚い命に人生を懸けることができる人間の強さに喜びも覚えた。
そして、やがて来る“最期の時”が教えてくれる“今”の愛おしさを噛みしめながら心を燐と立たせ、現場を後にしたのであった。


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隙間風

2016-04-15 07:02:28 | 特殊清掃

「取り壊す予定のアパートに白骨死体があった」
ある年の初冬、不動産会社から特殊清掃の依頼が入った。
“人の死”に慣れてしまっている私は、寒風吹く曇空の下、事務的に支度を整えて現場に向かった。

現場は木造二階建、“超”がつくほどの老朽アパート。
最後の住人が出て行ってから数年がたち、それからは、誰の手が入ることもなく放置。
雨風に晒されるまま朽ちていき、不気味な様相を呈していた。

そこは都会の一等地。
周辺には住宅やマンションが建ち並び、ハイソな雰囲気が漂っていた。
しかし、そのアパートだけは時代を異にし、周囲の景観を不自然なものにしていた。

遺体を発見したのは、アパートの解体業者。
マンションの建替計画を進めるため、解体調査に入ったときのこと。
妙な異臭がすることを怪訝に思いながら一室ずつ検分し、そして、二階の一室で遺体を発見したのだった。

空家にホームレスが入りこんで生活し、そこで孤独死するケースはそんなに珍しいことではない。
私も、その跡片付けをしたことが何度かあった。
だから、その現場で起こったことも、私にとってそんなに珍事ではなく、私は、乾いた感情をぶら下げて、錆びてボロボロの鉄階段を昇った。

玄関に鍵はかかっておらず。
私は、艶のなくなったノブに手をかけ、軋み音を発するドアをゆっくり引いた。
すると、目の前には、異臭と共に、先の見えない暗闇が現れた。

雨戸が閉められていたため、室内は真っ暗。
所々の隙間から光が差し込んではいたけど、外も曇で陽も弱い。
私は、懐中電灯をポケットから取り出し、スイッチを入れた。

暗闇に気持ち悪さを覚えた私は、玄関ドアが自然に閉まらないよう固定してから奥へと前進。
室内は雨漏りがしていたらしく、天井の一部は剥がれ落ち、畳も腐り、床は抜けそうなくらい軟弱。
そして、部屋には、どこからともなく冷たい隙間風が吹き込んでおり、遺体痕を見る前から私の体温と心温を下げた。

間取りは2DK。
私は、懐中電灯の光を四方八方に回しながら、ゆっくり前進。
年数が経っているわりには異臭濃度は高く、甘く考えて専用マスクを持ってこなかった私の鼻を容赦なく突いてきた。

遺体痕は、奥の和室の片隅にあった。
懐中電灯の光が照らし出したそれは、既にクズ状。
腐敗液・腐敗脂・腐敗粘土をはじめ、頭髪や爪などが残留するのが一般的なのだが(腐乱死体現場を“一般的”と言うのもおかしいけど・・・)、ここの遺体痕は数年が経過しており、元肉体のほとんどが乾燥したクズ状態になっていた。

足元に注意しながら遺体痕の傍に進むと、何かが私の頭に当った。
ドキッとした私が視線を上げると、目の前には一本の電気コード。
天井裏の梁からブラ下ったそれが、私にぶつかった反動で、生き物のようにブラブラと揺れていた。

よく見ると、それは、先端が結ばれて小さな輪がつくられていた。
しかも、そこには、見覚えのある汚れが付着。
似たような光景を何度も見てきた私には、それが“何”であるか、すぐにわかった。

どうみても、それは、首を吊るのに使ったもの。
故人は、自然死ではなく縊死・・・
故人の氏名・年齢・性別はもちろん、死因も知らされていなかった私は、一瞬たじろいだ。

不動産会社が、そのことを知らないわけはなかった。
そして、そのことを私に言わなかったのも意図的だと思われた。
ただ、私は、そのことに引っかかりはしなかった。

それは、私への嫌がらせや酷い悪意からきたものではなく、自殺の事実を嫌悪する気持ちが強いことからきたものだと思ったから。
また、自殺の事実を知ったことくらいでオタオタするほど、特掃隊長の心はあたたかくなかったから。
そして、「それが人間・・・」といった冷めた想いが湧いてきたから。

「自死に対して、嫌悪感や恐怖感みたいなものはまったく感じない」と言えばウソになるけど、実際ほとんど感じない(ある意味、死んだ人間より生きてる人間のほうがよっぽど恐い)。
“祟られる”とか“憑依される”とか、そんな恐怖心もない。
冷酷なのか無慈悲なのか、それとも“慣れ”なのか、この時の私の心は微動したのみで、乾いた溜息をついただけだった。

部屋に生活感はなく、故人の遺留物もなし。
残されたコードと遺体痕だけでは、故人の素性はもちろん、年齢も性別も不明。
当然、自死理由も知れるはずはなかった。

仕事か、金か、健康問題か、人間関係か、プライドか、疲労感か、虚無感か、怠け心か・・・
残念ながら、実際、この世に生きるのがイヤになると思われる理由は、その辺にゴロゴロ転がっている。
私は、その辺のところに想いを巡らせながら、また一つ溜息をついた。

故人は、最期の何日か、何週間か、何ヶ月か、ここで生活したのだろうか・・・
それとも、死に場所を探して入り込み、即座に決行したのだろうか・・・
どちらにしろ、故人は、自分に意思でこのボロアパートを最期の場所に決めたはずだった。

できるだけ人に迷惑を掛けないで済みそうなところを選んだのか・・・
一人静かになれそうなところを選んだのか・・・
その存在が消えた事実に誰も気づかないまま、歳月だけが流れていった。

故人の生い立ちや、最期を迎える気持ちを想像する必要はどこにもないのに、凄惨な場所に一人たたずむ私の頭には、そのことがグルグルと巡った。
そして、そっちに気が引っ張られ、そっちに気持ちが傾いていった。
すると、何とも言えない寂しさが心の内に込み上げてきて、同時に、その心は、部屋の暗闇に侵されるように暗くなっていった。


はたして、自殺者は愚か者なのだろうか・・・弱い人間なのだろうか・・・
もともと、人間は、自分がうぬぼれているほど賢くはないし、自分が信じているほど強くもない。
結局のところ、人間なんて皆、賢さや強さを持ってはいるけど、愚かで弱い生き物でもあるのであり、自殺する人が特別なのではない。

あくまで、「自殺は反対」というスタンスに立った上だけど、私は、自殺を、愚行・蛮行・非行だとは思わない。
“自殺”という死に方に虚しさや寒々しさを覚えることはあるけど、自殺者を嫌悪する感情はない。
死に方は否定するけど、その命と、その人生と、その人は否定しない。

自殺を決行する人の事情や心情を察すると、私は、単なる同情を越えた同志的感情を覚える。
もちろん、それは、“独り善がりの感傷”“その場かぎりの薄っぺらい同情心”かもしれない。
それでも、悩み多き私は、故人の一部を自分に重ね、また、自分の一部を故人に重ね、きわどいところで一対を成す生と死を真摯に直視しようと試みると同時に、このようなことが日常的に起こってしまうこの現実を深々と噛みしめながら、故人の過去と自分の未来をプラスに転じさせようと心を働かせるのである。


世の風、人の風、時の風・・・
今日は今日の風が吹き、明日には明日の風が吹く・・・
人生、生きていれば色んな風が吹く・・・

背中を押してくれる順風・追い風ばかりではない。
進路を阻む逆風・向かい風もある。
心に、冷たい隙間風が吹き込むこともある。

生きることが面倒臭くなるときがある。
生きることに疲れるときがある。
生きることがイヤになるときがある。

それでも、人は生きる。
生きる意味もわからないまま、苦悩を背負い、ただ生きるために生きる。
命は生きるために生まれ、命は生きたがるのだから、命は生かしてやらなければならない。

自分が可愛くて義を欠き、人を裏切ってしまうことはある。
自分が弱くて理を欠き、自分を裏切ってしまうこともある。
しかし、最期の最期まで、命は裏切ってはならないのである。

苦しいのに、辛いのに、悲しいのに、何故、生きなければならないのか。
その答(意味・意義・理由)が見えないからといって、“答はない”と思ってはいけない。
答がわからないからといって、悲観する必要はない。

自分という人間に、自分の人生に、自分の命に答がないのではない。
ただ、自分(人)にそれを解く力と、それを突き止める力がないだけのこと。
頭を抱えるほどの問題ではない。

そのことを謙虚にわきまえれば、答は見えなくても、それに近いものが見えてくる。
苦しみも、辛さも、悲しみも、遭って然るべきことがわかってくる。
そして、心に吹き込んでくる隙間風の冷たさにも、静涙の向こうに見える明日に向かってジッと耐えることができるようになるのである。



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春爛漫

2016-04-07 09:07:26 | 特殊清掃
春本番。
ただ、今日の東京は、あいにくの雨天。
そして、終盤に入ってきた桜花も、今日でだいぶ散ってしまうだろうか。
それでも、低温のおかげで、咲いた状態が長く続いた。
だから、日々、あちこちの現場に走り回っている私も、多くの街に咲く桜を楽しむことができた。

咲き様、散り様が、日本の文化やそこで育まれた日本人の性質にマッチしているのだろうか、日本人はホントに桜が好き。
「狂ったように咲く様が気持ち悪い」と言う知人もいるけど、大半の人は、桜をみて心湧くものがあると思う。

私も、桜を愛でる気持ちは持っている。
「またこの季節が来たんだなぁ・・・」
と、時の移ろいのはやさをしみじみ感じながら、桜を見上げる。
そして、
「こうして春を過ごせるのも、あと何回かな・・・」
と、この命と人の世の儚さに切なさを覚える。

昨年は、夜桜見物に出かけたけど、今年は行かなかった。
気分を変えるために出かけてみようかとも思ったのだが、結局、行かず。
以前に書いたけど、どうにもクサクサした気分が抜けないのだ。

その反動か、この前、久しぶりに泥酔するまで飲んだ。
“家飲み派”の私が外で飲むことは滅多にないのだが、20年来の知人に誘われたため、「たまには・・・」と思って都心の酒場に出かけたのだ。

一件目は居酒屋。
まずはビールを一杯。
次に氷ぬきのハイボールを数杯。
この辺で、だんだんと酔いが回りはじめ、その後は、相手に付き合ってあまり好きじゃないワインをボトル飲み。
酔いが回っていく中で味なんかどうでもよくなり、ボトルが空くたびに追加。
そして、結構酔ったところで、一軒目は終わった。

しかし、酔うと気持ちが大きくなるのは小心者の典型パターン。
そんな私が、それで大人しく帰るわけはなく、「たまには羽をのばしてやろう!」という気持ちもどこかにあり、馴染みの街に電車で移動し飲みなおし。
ウイスキーの水割りを・・・もう何杯飲んだか憶えていないくらい好きなように飲み続け、更に、「どこでどう飲もうが俺の自由!」とばかり、気の向くままハシゴ酒。
結果、諭吉先生は愛想をつかして次々と出て行き、残ったのは英世先生たった一人。
ケチな私に似合わず散財し、“春乱漫”の頭を置いて懐は真冬に逆戻り。
深夜の一時頃、振る袖と体力がなくなったところで御開きとなり、ようやく帰途についたのだった(その数時間後、ヒドい二日酔で仕事に行ったのは言うまでもない)。



出向いた現場は、閑静な住宅地にある賃貸マンション。
間取りは、広めの2LDK
その分、家賃は高めで、住宅ローンを組んだほうが安く済むんじゃないかと思うような金額。
しかし、生前の故人は、「財産を残してやりたい人もいないから」と、あえて賃貸暮しを選択。
“家は持ったほうがいい”とする世間一般の価値観とは一線を画していた。

亡くなったのは50代の男性。
独身の一人暮らし。
結婚歴もなく、一番近い親族は兄弟。
いい女(ひと)の一人や二人はいたのかもしれなかったけど、「家族に縛られるのはイヤ」と、持ち込まれる縁談も断り続け、結局、結婚せず。
“家族は持ったほうがいい”とする世間一般の価値観とは一線を画していた。

職業は“物書き”。
どこで区別するのはよくわからないけど、「フリーライター」「コピーライター」「エッセイスト」とかいう類の仕事。
若い頃から、「好きな仕事をしたい」という志向が強かった故人。
一流大学を出たのに、大企業や役所等には目もくれずフリーランスの道へ。
“固い仕事に就いたほうがいい”とする世間一般の価値観とは一線を画していた。

死因は病死。
寝室のベッドに横になり、そのまま死去。
死後経過日数は約一ヵ月。
皮膚は茶黒に変色し、顔も、すぐに本人確認できないほど変容。
ただ、季節は晩冬。
気温も低く乾燥した季節で暖房もついていなかったことが、事を小さく治めていた。

汚染痕は寝室にあり、ベッドマットに薄っすらと残る人型が、故人の最期の姿を映し出していた。
それは、リラックスして安眠している姿。
腐乱死体痕なんて、一見すると気味悪い光景ではあるけど、そこには、ありがちな寒々しさはなく、逆に、まだ故人の体温が残っているような気さえするほどだった。

そこから感じ取れたのは、“故人は最期に苦しまなかった” “眠るように、穏やかに逝った”ということ。
もちろん、真偽は定かではないけど、最期に苦しんだかどうかは遺体痕から観ることもできる。
不自然な姿勢だったり、身体を曲げた状態だったり、身体の一部をベッドからハミ出させた状態だったりすると、苦しんだ様が読み取れるのだ。

具合が悪くなったとき、119番くらいできたかもしれないのに、それはしなかったよう。
時間的な寿命より健康寿命を重んじ・・・最期まで好きなように生きようとしたのか。
ベッドに横たわり、朦朧(もうろう)としていく意識の中で、故人は最期を覚悟したかもしれなかった。

どういった想いが頭を廻っただろうか・・・
寂しさや虚しさではなく、好きなように生きたこと、好きなように生きてこられたことへの感謝の気持ちや満足感に満たされて逝ったのではないか・・・
目の前の光景を一連の想像でソフトに受け止めた私は、何の確証もない勝手な推察であることは承知のうえで、ホッと安堵した。


部屋の各所には、故人の几帳面な性格が表れていた。
汚れがちな水廻りもきれいに掃除され、整理整頓もきちんとできていた。
また、キッチンには、男の一人暮らしとは思えないほどの調理器具や調味料が揃えられていた。
そして、缶ビール・缶チューハイ、そして、ウイスキーのボトルもたくさんあった。
銘柄こそ劣るけど、この“三点セット”と炭酸水は私の家にも常備してあるもので、似たような好みに、私は勝手に親近感をもった。

故人は、それなりの経済力を持っていた。
また、趣味も多かった。
酒の銘柄もそうだし、部屋に置いてあるモノからは、その余裕と嗜好をうかがい知ることができた。
もちろん、それは、単に、時勢が合っていただけでも運が良かっただけでもなく、仕事の能力が高かったことはもちろん、相応の努力・忍耐・挑戦、ストレス受容等の結果がもたらした実のはずだった。

人の世話になることと迷惑をかけることは違う。
我流を通すことと社会に反することは違う。
自制できないことを自由とは言わない。
そして、自分を厳しく律しないと自立した生き方を貫くことはできない。

保守的で臆病者の私は、自立して生き通したであろう故人に興味を覚えた。
そして、自分にない素質に触れてみたいとも思った。
もちろん、苦労したこともたくさんあっただろう。
それでも、できるかぎり、自分の思うがままに生きようとした姿に、私は惹かれるものがあった。


人生なんて、なかなか好きなようには生きられないもの。
多くの人が、大きな不自由の中で、小さな自由を選び取って生きている。
自分次第で、小さな自由が大きな自由になることを学びながら。

「逃避」「諦め」「保守」「弱腰」「ネガティブ思考」
私は、つまらないことを恐れ、無用なことを心配し、消極的選択でここまで生きてきた。
楽しく幸せに生きるための選択をしてきたつもりなのに、逆に、それが、それらを遠ざけてきたような気がする。
本質的な何かを考え違いしていた・・・考え違いしているのだろう・・・
そして、そんな自分に、しばしばうなだれる。

「挑戦」「冒険」「革新」「自信」「ポジティブ思考」
私は、失敗を恐れず、自分を信じ、積極的選択で生きることができる人が羨ましい。
そして、そんな生き方ができる人を尊敬する。
例え、それが、他人から“負け”に見えるような生き方でも。

「過ぎた時はどうあれ、残された人生に、小さくてもいいから、きれいな花を咲かせたいもんだな・・・・・」
散り逝く桜花を愛でながら、なかなか熱を帯びない心に春爛漫を描いている私である。


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