盛夏直前の七月初旬、「令和の米騒動」も終わりが見えてきているような感あり。
かつては争奪戦のようになっていた政府備蓄米も、スーパーの商品棚に落ち着いているのを見かけることが多くなった。
ただ、それも、今年の収穫量に大きく左右されるよう。
仮にも、籾米の中身がスッカラカンの凶作となってしまったら米騒動が再燃。
五穀豊穣を願うのは農家くらいだったものが、もはや、国民全体が願わないといけないような時代になっているのか。
農業・漁業、人間・動物を問わず、気候変動によって、食料調達に関して、これまでになかったような問題が涌いてきている中、この米騒動が本格的な食糧危機の予兆にならないことを祈るばかりだ。
ただ、幸いにも、私はこの米騒動とは無縁。
「高い!」と嘆いたことも「ない!」と困ったこともない。
それは、災害用に備蓄した米が自宅にふんだんにあるから。
とは言え、この備蓄米、ちょっとした難がある。
面白くもない話なのだが、これから、その経緯を説明していく。
私が、大量の米を備蓄したキッカケは、14年前の東日本大震災。
あの時は、スーパーから食料品が消え、ホームセンターから日用品が消え、街のガソリンスタンドからガソリンが消えた。
私は、“空っぽ”になった街にかなりの衝撃を受けた。
しかも「近いうちにまた大きな地震がくる」等といった噂や原発がらみの悪い風評も交錯。
そんな社会の雰囲気に吞まれた私は、生まれついての心配性も相まって、日用品や飲料・食料をたくさんストックしないと気が納まらなくなっていた。
米も、その一つ。
米さえ食えれば、しばらくは何とかなる。
そういう訳で、私は大量の無洗米を買い、クローゼットの奥にしまい込んだ。
しかし、その後、食生活が変わったり体調を崩したりしてローリングストックが滞るように。
更に、重い米をクローゼットから引っ張り出すのが面倒臭くて「味が落ちても腐るわけじゃないから」と放置。
結果として、世の中から米が消えても、私の手元にはタップリの米が残っているわけ。
そして、そのお陰で高い米を買わされることもなく、米食を抑える必要もなく平和な食生活を送ることができているのだ。
唯一の問題は、その米の古さ。
「2010年産の米を食う!?」と、大方の人は驚くだろう。
「2010年産の米は安全!?」と、大方の人は疑問に思うだろう。
しかし、私は食べ物を粗末にすることが大嫌い。
しかも、もともと、食品の賞味期限は気にしない性質。
5年の保管期間を過ぎた政府備蓄米は家畜が食べるそうだが、私は“家畜以下”でも気にしない。
身体に害がないのなら、身体の糧になるのなら臆せず食べる。
風評を真に受けるなら、そんな私の米は新鮮な米に比べると質は劣るのだろう。
確かに、艶や透明感は少ないような気がしないでもない。
「気にすれば」の話だが、食感もややボソボソしているかも。
ただ、カビや虫っぽいものはない(それがあったら食べない)。
ニオイもまったく気にならない(悪臭に慣れているせいか)。
日頃から“腐りモノ”に鍛えられている私は耐性が強いのか、腹の具合が悪くなったりすることもない。
結局のところ、“古×15米”でも充分に美味しく食べることができているのである。
私が極端なのは承知の上で言う。
「世の中の人は、賞味期限とか気にし過ぎなんじゃないか?」と。
わずか“五年落ち”の米を当然のように家畜に食わせるなんて どんなもんだろうか。
「一日一食もありつけないことがある」「人生で一度も満腹まで食べたことがない」、そんな暮らしをしている人の目に、それは“贅沢”や“わがまま”に映らないだろうか。
食の安全保障やフードロス、食料に関する問題が取り沙汰されることが多い時世、
「高い!高い!」と文句を言う前に、
「ない!ない!」と狼狽える前に、
ちょっと頭を冷やした方がいいのではないか。
私は、食に対する社会や人々のマインドを少しは変えた方がいいのではないかと思っている。
特殊清掃の相談が入った。
場所は都心の一等地、とある大手ゼネコンの高層ビル建築現場。
そこに設置されていた工事用の機械設備に作業員が絡まる事故が発生。
それで、おびただしい量の血液が周囲を汚染。
建設会社は、色々な清掃業者に問い合わせたよう。
しかし、色よい返事はまったくなし。
そこで見つけた当社。
「特殊清掃」という言葉に強力なイメージを持ったのか、「“特殊清掃”とかいう手法できれいにできないか?」といった相談だった。
聞いたところ、その機械設備は複雑なカタチで汚れているよう
しかも、一つの階だけに留まらず、事故発生場所から下へ数階垂れ落ちた状態。
更に、特殊清掃は基本的に手作業で行うものなのに、手が届かない部分も多いよう。
一通りの状況説明を受けた結果、「当社では施工困難」と判断。
作業の安全が守れないこと、期待されるほどの成果が見込めないこと、費用がかなり高額になること等をもとに総合的に考察した結果だった。
それでも、「見るだけみてもらえないだろうか」と先方は食い下がってきた。
どうも、頼める先がなくて困っているよう。
人に頼りにされるって悪い気はしないし、価値の低い人間=私にとってはありがたいことでもある。
仕事にならなそうな案件であっても快く現地調査に出向くのが当社の基本姿勢だし、会社も「現地調査無料」を宣伝し、調査依頼が入るよう誘導している。
だから、それに期待しての問い合わせに無碍な返事はできない。
腰が重くないわけではなかったが、私は、とりあえず現場に出向くことにした。
約束の日時、現場事務所に出向くと、電話で話した担当者が出迎えてくれた。
年齢は若く、“ここではまだ下っ端です”といった石鹸のニオイがフワフワ。
少しすると、奥から責任者らしき人物が出てきた。
肩書は不明ながら、こちらは、“ここで一番偉いのは俺だ”と言わんばかりの脂ぎったニオイがプンプン。
とりあえず、私は、その人物に名刺を差し出して社交辞令の挨拶。
しかし、相手は私のことなんか意に介してない様子。
一瞥くれただけで、「じゃ、行こうか!」と、周りにいた部下らしき数名に声を掛けた。
そこで、ちょっとした問題が発生。
皆がヘルメットを被る中、ヘルメットを持っていない私に責任者が、
「ヘルメットは?」
と訊いてきた。
「持ってないです」
と応えると、責任者は、
「は!? 持ってきてないの!?」
と、驚いたような表情に。
そしてまた、
「安全靴は!?」
私の足元をみて、履物も指摘。
スニーカータイプの安全靴を履いていた私は、
「これ、安全靴ですけど・・・」
と返すと、
「そんなの“安全靴”とは言わない!」
「何の用意もしないで、オタク、一体、何しに来たの?」
と、私を叱りつけた。
建設業界の常識なのか、この現場に入るには、一定の安全装具を身に着けることがルールになっているのだろう。
だから、皆が一様に、名前と血液型が記されたヘルメットとブーツタイプの安全靴を着用。
しかし、事前に、そんな案内はなかったし、そもそも業界人ではない私はそんな装備を持っていない。
私は、唖然としながら戸惑うしかなかった。
責任者も、私が事故現場の汚染調査にきた“一見さん”であることは把握。
常日頃からこの建設現場に出入りしている下請・孫請業者ではないことは認識していたはず。
にもかかわらず、そのモノ言い。
立場上、安全装備を持たない私を咎めないわけにはいかなかったのかもしれないけど、初対面の私に対して、はじめからタメ口&上から目線。
理由はどうあれ、口の利き方がおかしい!
「コイツ、どういう神経してんだ?」
と、憤りを通り越して呆れかえってしまった。
原則、現地調査は無料。
しかし、実際は時間も経費もかかる。
最初の電話聴聞の段階で「施工困難」と判断したところ、「とりあえず現場をみてほしい」と頼まれたから出向いたまで。
言わば、私の厚意。
だから、「そんな扱いを受ける筋合いはない!」と踵を返して引き揚げることもできた。
が、それじゃ、この責任者と私は目クソ鼻クソ。
モヤモヤを抱えながらも、私は、約束した現地調査だけは行うことに。
ヘルメットは来客用のモノを貸してもらい、靴は仕方なくそのままで、責任者を頭とする数名の一団に付き従って汚染現場に向かったのだった。
「ここに比べたら腐乱死体現場の空気の方がよっぽどいいわ」
と、心の中でブツクサ言いながら。
また別の現場。
ここも大手ゼネコンの建築現場。
依頼の内容は、「建築中の建物で汚水が漏れてしまったので消毒をしてほしい」といったもの。
指定されたのは、とある日の朝。
その時間に合わせて現場に訪れた私は、指定されたところに車を駐車。
担当者が敷地内の広場に案内してくれ、しばしの待機を指示された。
そして、しばらくすると、いかにも“建築現場の労働者”といった成りの男達がゾロゾロと集まって来て整列し始めた。
8:00になったタイミングで、どこからかチャイムが鳴った。
そして、現場の朝礼が始まった。
まず、責任者らしき人物が“お立ち台”に上がり朝の挨拶。
それから、2~3分、ありきたりの内容を重々しく訓示。
それが終わると、リーダーらしき人物に交代。
当日の業務連絡が始まり、その際に、私が消毒作業に入ることも説明された。
そうして一通りの話が終わると、おもむろにラジオ体操の音楽が流れはじめた。
後ろの隅にいた私は、皆が その懐かしいメロディーに合わせて身体を動かすのをボーッと眺めていた。
体操が終わると朝礼は終了。
男達は、それぞれの持ち場に向かって散っていった。
自分の作業場を知らない私は、そのまま誰かの案内を待っていた。
すると、先ほどの朝礼で訓示を垂れた責任者が近づいてきた。
私は、てっきり「今日はよろしくお願いします」とでも言われるのかと思って愛想笑いを浮かべながらペコリと頭を下げた。
が、責任者は、いきなり、
「なんでやんないの!」「やんなきゃダメだろ!」
と文句を言ってきた。
察するに、どうも、私がラジオ体操をしなかったことを咎めているよう。
ただ、部外者のつもりの私は「???」と無反応。
そんな私のトボけた顔が反抗的に映ったのか、責任者は更に威圧的に、
「一人でやり直すか!?」
と語気を荒げた。
私は、ラジオ体操をやらなかったことを責められていることだけは理解できたけど、全体的な理屈がチンプンカンプンで戸惑うばかり。
責任者は、ポカンと呆けた態度の私に“コイツにこれ以上言っても仕方がない”と思ったのか、
「そんな態度とってると出入禁止になるぞ!」
と、捨て台詞を吐いて離れていった。
残された私は、身に起こったことがすぐに呑み込めず。
遠ざかる責任者の空虚な背中を見ながら、自身に起こったことを反芻整理した。
私は、その日だけの消毒作業に来た“一見さん”。
日常的に出入りしている下請・孫請業者ではない。
そのことは朝礼でも伝えられたわけで、責任者もその認識はあったはず。
場の空気を読まず一緒にやらなかった私も足りないところがあったかもしれないが、それにしてもアノ言いぐさはあり得ない!
出入禁止をチラつかされたことに対しては、
「結構毛だらけ猫灰だらけ、お尻の回りはクソだらけ!」
という、昔観た“寅さん”のセリフがマグマのように脳内噴出。
と同時に、
「どうやったら見ず知らずの他人にあんな口のきき方ができるんだろうか」
と、責任者の神経を不思議に思うような(見下すような)気持ちも湧いてきた。
とにもかくにも、請け負った仕事はキチンと施工しなければならない。
私は、「アイツ(責任者)の頭ん中も消毒した方がいいな」と、心の中でブツクサ言いながら作業に勤しんだのだった。
大手ゼネコンで管理職やリーダーをやっているということは、それなりの大学をでてそれなりに仕事ができるのだろう。
100%のバカではないはずで、その頭には、私なんかよりよっぽどハイスペックの脳が詰まっているはず。
しかし、その頭では、「“井戸”と“大海”」、「“肩書”と“人格”」、「“保身のイエスマン”と“信の従者”」を分別することもできない。
見方を変えれば、「頭の中はスッカラカン」ということなのである。
世の中には、“縦の力関係”が重要なことや、それがあってこそ機能することがたくさんある。
しかし、そこには道理がなければならず、理不尽があってはならない。
二件とも大手ゼネコンの建設現場だったせいか、私にとっては、
「建設業界には、“下請に敬語を使ってはいけない”といった規則でもあるのか?」
「下請会社の作業員は、強圧的に扱わないと働かないのか?」
と、頭を傾げざるをえない出来事だった。
併せて、各種ハラスメントを注視しコンプライアンスを重視しなければならない時流にあって、それにそぐわない独善が特定の業界ではまかり通っていることに危機感にも似た違和感を強く覚える出来事でもあった。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
この秋だけでなく、これから先もそんな“稲穂”をたくさんみたいもの。
「“実った稲穂”が増えれば、世の中は、少し生きやすくなる」
私は、そうなることを想い描きつつ、“少しでも実らないもんかなぁ・・・”と、あちこちでスッカラカンの頭を垂れてみているのである。