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特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

腐乱ダースの犬

2025-05-05 06:26:15 | 特殊清掃
腐乱ダースの犬

GWも終盤、季節は夏に向かってまっしぐら。
で、これからは、何もかも腐りやすくなってくる。
食品業界の人をはじめ、戦々恐々としてくるのは私だけではないだろう。
ただ、この仕事は、凄惨性が高いほど生産性も上がる。
とは言え、そんな現場が生じることを望んでいるわけではない。
酷ければ酷いほど、特掃隊長自身がツラい思いをすることになるわけだから。

それはさておき、今年のGWは「最大11連休」と言われながらも赤日は二分割されて、実際は大型連休にしにくかったよう。
また、物価高も相まって、アンケート上では「家で過ごす」「外食するくらい」といった人が多かったそう。
ま、それでも、休暇がとれるだけいい。
連休なんて、余程のことがないかぎり無理。
ただ、こんな暮らしを長年やっていても、楽しいことがないわけではない。
ささやかながら、“笑顔の想い出”はある。

もう、十数年も前のこと。
とある自殺現場に置き去りにされていた小型犬を引き取ったことがあった。
飼主亡きあと引き取り手がなく、物件を管理していた不動産会社は役所に投げるつもりでいた。
となると、ゆくゆくは殺処分。
さすがに不憫に思った私は、もらい手を探すつもりで家に連れ帰った。
が、一緒に暮らすうちに情愛が芽生え、結局、家族になった。
このBlogでも「チビ犬」として何度か登場させたその犬、昨年11月11日が十回目の命日だった。
今でも一緒にいた頃を想い出すことは多く、懐かしさと可愛さに、一人微笑んでいる。


当方が担う業務の多くは特別汚損処理なのだが、その中身は多種多様。
人の死にまつわる案件が多い中、動物の死も少なくない。
ケースとして多いのは野良猫。
床下や植木の茂み中、車のエンジンルームなど、人目につかないところで死に絶え、腐敗してしまうのだ。
公道での轢死体など、現場が公地であれば行政(委託業者)が処理してくれるが私有地ではそういうわけにはいかない。
死骸自体は行政が回収してくれるものの、ゴミ袋に梱包して表に出すところまでは自分でやらなければならない。
しかし、腐敗が進んでいた場合は特に、それができる人は限られている。
で、当社の出番となるのである(もちろん有料で)(無料と勘違いする人が時々いる)。

問題になるケースで多いのは“ネコの多頭飼い”。
目に滲みるレベルの糞尿臭で近所からクレームがきていた家、
糞が大量で、特掃が土木工事のようになった家、
飼育放棄で餓死し、共喰いの末、最後の一匹だけを捕獲したマンション、
飼主が自殺し、数十匹の猫が餓死腐乱していた家etc・・・
これまで、色々な動物案件と遭遇してきた中で、犬の多頭飼いに遭遇したことも何度かあった。



出向いた現場は、閑静な住宅地に建つ一戸建。
まだ築数年か、きれいな建物。
土地はそれほど広くなく、建物もそれほど大きくはなかったものの、注文住宅のようで、なかなかオシャレな造り。
また、街から近いエリアでもあり、生活するにも飲食を楽しむにも至便の場所。
土地も建物も、結構な金額のはすだった。
が、主を失った家の庭は荒れ放題。
庭や外周には雑草が生い茂り、ポストからは郵便物があふれ、空き家になっていることは誰の目にも明らかな状態となっていた。

依頼者は、故人の両親で遠方に居住。
家族関係は良好だったが、お互い、頻繁に連絡をとり合うほどの用はなし。
何か用事があるときに電話やメールをするくらいで、何週間・何か月も連絡をとり合わないこともザラ。
しかも、故人は勤め人ではなく個人事業主。
普通の会社員なら無断欠勤をすれば不審に思われるのだが、そんなこともなし。
結果、亡くなってからも遺体はしばらく放置されたままに。
30代前半の若々しい肉体も自然の摂理には逆らえず、季節の暑さと湿気に追い討ちをかけられながら、その姿を著しく変えていった。

発見のキッカケは音信不通。
ちょっとした用があって母親が故人に電話をしたのだが出ず。
その時は、さして気にもしていなかったが、いつもなら当日のうち、遅くとも翌日には折り返しかかってくる電話がかかってこない。
再びかけても同じで、メールの返信もなし。
仕事の関係先は把握しておらず、他から情報を得ることもできず。
警察に相談しようかとも思ったが、息子(故人)は人里離れた限界集落に暮らしているわけでもないわけで、安否確認のためだけに警察に動いてもらうのは躊躇われた。
結局、「何かのときのために」と預かっていた家の鍵を携えて、はるばる故人宅を訪問。
たまった郵便物と静かすぎる佇まいに恐怖感に近い違和感を覚えながら玄関を開錠。
開けたドアの奥から漂ってくる異臭に鼓動を大きくしながら室内を進んでいったのだった。

現地調査は、それから二週間余り後となった。
警察による死因と身元の確認に時間がかかったためだ。
家の鍵は事前に送ってもらっていた。
「遺体があったのは二階の洋室」
「汚れもニオイもかなりヒドい」
「隣の部屋に動物の死骸らしきものがたくさんある」
その情報を持って、私は現地へ。
何の自慢にもならないけど、百戦錬磨の私はどんなに凄惨であっても大して緊張することはない(結局、自慢してる)。
しかし、“動物死骸、しかも“たくさん”というところが大きな引っかかりがあった。
それまでにも、動物死骸系の特殊清掃は何度もやってきていたが、経験数が少ないせいか人間の場合より耐性が低い。
人間の場合、当方が出向くのは遺体が搬出された後になるのだが、動物の場合は死骸本体と遭遇することになるため、そのネガティブインパクトにメンタルがやられるせいもあるだろう。
私は、大きくなってくる心臓の鼓動を小刻みな呼吸で整えつつ、ゆっくりと二階へ上がっていった。

「うわ・・・これは・・・ヒドイな・・・」
遺体痕もそれなりに凄惨だったが、そんなの可愛いもの。
強烈に目を引いたのは格子の柵が設けられた隣の部屋。
聞いてきた通り、そこには、何匹もの動物死骸が・・・
発見されるまでに要した期間に死因・身元判明にかかった二週間余を足すと、死骸は三週間ととっくに越えた期間 放置されたことになる。
しかも、高温多湿の時季に日当り良好の密閉空間で。
これでは重度に腐乱するのは当り前、もう、こっちが腐りたくなるくらい凄惨な状況だった。

眼がブッ壊れそうになっても、キチンとモノを見ないと仕事にならない。
そうは言っても、マジマジ見るのは恐い。
私の本能は目を背けたがったけど、特掃隊長の本能がそれを拒否。
そうこう葛藤しているうちに、
「犬?・・・犬だ・・・な・・・」
と、それらが犬であることが判明。
更に、サイズは小型~中型で大型犬はいなことも確認。
ひしめき合うように横たわる腐乱死骸と それらが溶解して生じた腐敗汚物が床を覆い尽くしている様は、もう、筆舌尽くしがたいくらい悲惨なもの。
腐敗汚物と同化してしまった小型犬は個体としてのカウントが困難で、実際はそれより少なくても「ワンダースはいるんじゃないか!?」と錯覚させるくらいのインパクトがあった。

「この仕事、断ろうかなぁ・・・んなことできるわけないかぁ(トホホ・・・)」
もともと、仕事に意地もプライドもない。
ビジネスライクをベースとしたちょっとした使命感と、頼られる(うまく使われる?)と漢気を出してしまう単細胞と、褒められる(おだてられる?)と ついカッコつけてしまう自己顕示欲があるのみ。
あまりに現場が衝撃的すぎるため、私はテキトーな理由をつけて、会社にも遺族にも“作業不能”を申告しようかと一瞬思った。
が、頼られていることを思い出し、辞退の考えは取り消し「やる!」という方向だけにだけ頭を働かせることにあらためた。

「はてさて、どうやって片付けるかな・・・」
技術は並で済むが、根性は並では無理(根性なしだけど)。
かかる負荷を考えると、やる前から気分は重々、意気は消沈。
少しでも効率的にやるため、少しでも合理的に終えるため、ない頭で色々と思案。
とにかく、自分が大変な思いをしないように、自分がキズつかないように、自分が恐ろしい目に遭わないようにしたかった。
もう、故人の死を悼む気持ちや遺族の期待に対する責任感は失せていた。
臆病者の心には、生前はどれも可愛かったであろう犬達を不憫に思う気持ちがかすかに残っているだけだった。

まずは、死骸を取り除かなければならない。
何と表現すればいいのだろう・・・
不気味な硬さと軟らかさをもったヌルヌルの物体が粘度の高い泥に半分埋まっているような状態で、「持ち上げる」という単純な動作だけでなく「掘り出す」「剥がし取る」といった複雑な動作も要する作業。
しかも、この手で。
ラテックスグローブの上に丈夫なビニール手袋をつけるとはいえ、心情と感触は素手も同然。
代わりにやってくれる機械、もしくは、もっと効率的・合理的な術でもあればありがたいのだが、流行りのAIでも、そんな機械を作ることも術を編み出すこともできないだろう(将来、AIに仕事を奪われることもないだろうけど、もう奪われてもいいかも)。
私は、「手足がちぎれる?」「頭が落ちる?」「腹が割れる?」「皮が剥がれる?」、そんな不安に怯えながら、見たくもないモノを見ながら、触りたくもないモノを触りながら、作業を進めた。


故人は独身で妻子がなかったため、家屋をはじめとする遺産は両親が相続。
そのうえで、家は売却処分されることに。
事故物件であるうえ、二階には人と犬の汚損痕も残っているということで、常識的なマイナス査定を越えて買い叩かれる可能性は充分にあった。
しかし、故人の死を悼むばかりの遺族は、それで儲けるつもりはなし。
「スッキリ清算したい」という気持ちが強いのだろう、「二束三文でもいいから、さっさと手放したい」とのこと。
しかし、私としては、身を粉にして掃除した成果(貢献)として「建て替えは免れない」といった買手都合の理由に押されて、法外な安値で買い叩かれないようにしてほしかった。
で、求めに応じて不動産会社を一社 紹介したうえで、「少なくとも二社、できたら三社くらいは相談した方がいい」とアドバイスして この仕事を終えた。


どんな職種であれ「仕事」というものは たいがい大変。
肉体・精神、そして頭脳、色々なところが疲れる。
察してもらえるだろうか、私の仕事も相応に大変で相当に疲れる。
それでも、帰宅して、さっさと風呂に入って、さっさと晩飯食べて、さっさと寝る、ということにはならない。
眠い目をショボショボさせながらでも、規定量(1.5ℓ)の酒(ハイボール)は飲む。
その後は、いつの間にか気絶することもあれば、ウトウトしながら就寝の支度をして床につくこともある。

「僕も疲れたんだ・・・なんだかとっても眠いんだ・・・」
希有な仕事をしたその日の夜も、そんな感じで更けていったのだった。


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再会

2025-04-25 06:00:00 | 特殊清掃
今月から再開したBlog「特殊清掃 戦う男たち」
これまでも、業務に追われて2~3カ月くらいの空白期間が生じたことはあったけど、この度はフェードアウトした後に完全休止となり、その期間は実に21カ月。
それでも、まるで何事もなかったかのようにシレっと復活。
「今回の投稿は過去記事の再投稿(トラックバック)ではなく新規投稿だよ」ということは、前々回「不知の病」での書き出しを「2025年春」として、それとなく匂わせたのみ。
しかし、たったその一言だけでは、読み手は困惑するかもしれないと思い直し、今回、あらためて再開(人によっては再会)の挨拶くらいはしておこうと考えた次第。

久しぶりの登場で、「初代特掃隊長は引退して(死んで)、コイツは二代目特掃隊長?」と思った人がいるかもしれない。
また、「ヒューマンケア社のBlogは複数人が書いている?」と訊いてきた人もいた。
過去には、「ゴーストライターがいるのでは?」と疑われたこともある。

しかし、今も昔も「特掃隊長」は一人。
2006年の初回から今回に至るまで、一人の人間、私一人で書いている(誤字脱字はご愛嬌)。
700投稿を越えている中で、他人の字は一文字も入っていない(ことわざ・慣用句や他人の名言等を、それとして用いることはあったけど)。
そもそも、ゴーストライター(プロライター)なら、こんなコッテリした文章ではなく、もっとスマートな文章を書くだろう。

加齢にともない、モノの考え方や価値観に多少の変化が生じているかもしれないけど、基本的なスタンスは今まで通り。
ただ、再開するにあたって、新鮮味が欲しかったので多少のリニューアルを加えてみた。
言うなれば、パチンコ屋の新装開店みたいな感じ(パチンコやらないけど)。
まず、リアリティーを増すため自社の施工事例とリンクさせることにし、Blog末尾にリンクボタン「ヒューマンケアの事例紹介」を設けた(興味のある人はどうぞ)。

あと、非公開にしていたコメント欄を公開することに。
更に、それらに返信することにしようかどうか、只今 思案中。
これまで、コメントに返信しない理由・事情をBlog記事で伝えたことや、捨て置くと投稿者に害が及びそうなコメントに対してはBlog記事をもって返事をしたことがあったが、コメント欄で直接的に“キャッチボール”したことは一度もない。
だからこそ、新たな試みで、「コメントに返信するようにしたら面白いかも」と考えているのだ。

その目的は・・・
「それぞれの人生を戦う同志として仲間になるため」
と言えば美しくおさまるか。
が、仕事と人間は人並み以下のクセに、自己顕示欲と承認欲求は人並み以上の私。
その腹を割ってみれば・・・
「せっかく書くからには、一人でも多くの人に読んでもらいたい」
「Blogに訪れてくれた人はそのまま安定した読者になってほしい」
といった下心が見え隠れする。
つまるところ、打算を働かせているわけ。

しかし、そこで疑問(不安)が浮上。
「返信する人と返信しない人、差別的な扱いはマズイ?」
「答えたくないことを訊かれたら?」
「批判や誹謗中傷にはどう反応すべき?」
「返信することにリスクはある?」
LINE・X・Instagram等々、SNSの類を一切やらない私は、そういう経験・知識・技術がなく、マナーも知らない。
下手をしたら顰蹙を買ってしまって、逆に、読者獲得どころが読者離れを引き起こすおそれもあるのだ。

更に、そこで一考。
すると、教えを乞うのが手っ取り早いことに気がついた。
ついては、私のコメント返信の要否についての意見はもとより、コメント欄の上手な運用方法・・・返信する場合のうまいやり方やアドバイス、成功例や失敗談を、これを読んでくれている貴方に書き込んでもらいたい。
それで、よく勉強させてもらい、熟考し、どうするか決めようと思うので。
(これで一ッつもコメント入らなかったら、“ウ〇コ男”の格が上がるか)



出向いた現場は、東京に比べれば人の少ない首都圏某市の住宅地に建つ1Kアパート。
築古で相応の劣化はあったものの、軽量鉄骨造りでボロさは感じられず。
最寄りの駅から近くはなかったが、歩けない距離ではなし。
駅の方へ行けば店も多く、少し賑やかな街が開けていたが、アパート周辺は閑静そのもの。
大きな不便もなく、落ち着いて生活できる環境だった。

そのアパートの一階の一室で住人が孤独死。
発見は遅れ、遺体は腐敗。
それなりの汚染・悪臭が発生し、多くのウジ・ハエも湧いていた。
床には、故人の最期の姿勢がわかるくらいの痕が残っており、私の基準では“ミドル級”。
ただ、事前に伝えられた死後経過日数から想像していたレベルに比べれば軽いものだった。

汚染はミドル級であっても、遺体系汚物の多くはカーペットや布団がキャッチ。
その下の床材も、防水性の高いクッションフロア(CF)で、浸透腐食もほぼなし。
作業としては「特殊清掃」というより「汚物処理」といった方がシックリくる感じ。
遺体のカタチがわかるくらいの汚染ではあったものの、肉体的にも精神的にもハードなものにはならず。
その他の部分についても、男の一人暮らしの割には整然としていた。
家財は少なくはなかったが、それなりに整理整頓され、掃除を適宜していたのだろう、汚くなりがちな水廻りもきれいに保たれていた。

亡くなったのは初老の男性。
家族関係がこじれた過去なんて、大なり小なり誰にでもあるもので、男性に身寄りらしい身寄りはなし。
依頼してきたのは、何度か一緒に仕事をしたことがあるアパートの管理会社。
連帯保証人は保証会社が担っており、故人も大家も“孤独死保険”には入っておらず。
したがって、原状回復にかかる一連の費用は、大半、大家が負担せざるを得ない状況。
しかし、大家は、切らなければならない身銭を少しでも減らしたいよう。
孤独死は、不動産運用のリスクとして充分に考えられる事象で、頭ではそれがわかっていても、実際に自分の身に降りかかってみると、到底納得できないのだろう。
管理会社に「親族探索の手掛かりになるモノがあったら取り分けておくように」と要請。
担当者は、そんな大家と事故部屋の板挟みになって困っているようだった。


職務であるから、警察は故人の縁者探索に手を尽くしたはずだったが、結局、見つけられなかったよう。
そもそも、プロ(警察)が見つけられないものをアマ(管理会社)が見つけられるはずはない。
仮に見つけることができても、連帯保証人でない以上、相続放棄されたらそれまで。
故人は借金こそあれ、財産らしい財産はなかったはずで、ましてや、何十年も絶縁していれば相続を放棄するに決まっている(決めつけてはいけないが)。
結局のところ、「躍起になって血縁者を探しても無駄!」ということ。
その理屈を知ってか知らずか、担当者は、
「手がかりになるようなモノがあったら分別してほしい」
という。
私は、“そんなことしても無駄なんだけどなぁ・・”と思いながらも、大家が機嫌を損ねることを心配している担当者の気持ちを汲んで、できるかぎり協力することに。
ともない、故人のプライバシーを覗き込むことが一業務になった。
ただ、例によって、いつまでたっても調教が終わらない野次馬が発走。
後ろを追ってきたかと思ったら、すぐに追いつき 野蛮丸出しの軽足で抜き去っていった。


遺品を丁寧にチェックしていくと、色々なことが表にでてきた。
詳しい年齢は70代前半。
仕事は非正規の肉体労働、晩年は病気を患って入院。
ただ、経済的に困窮していたらしく、入院治療費が払えなかったよう。
当然、病院だって商売。
代金を取りっぱぐれるわけにはいかない。
通常、入院に際しては、治療費清算について保証人を立てさせる病院が多いと思うが、そこのところを故人がどう処理したのかは不明。
当人に督促状がきていることを考えると、保証人を求められなかった可能性もあるか・・・
とにかく、払わなければならないお金を払わなかったのは事実で、督促状には分割払い誓約書・支払い計画書が同封されていた。
私には、故人が生活保護受給の対象となり得る境遇のように思えたが、それを申請または受給しているような形跡はなく、何とも切ないものを感じた。

遺品の中に、一つの箱があった。
菓子の空箱で、中には子供の字で書かれた何通もの手紙と、何枚かの幼い絵がしまわれていた。
かつて、故人は、妻と娘 三人家族の夫・父親であった時代があったよう。
まだ一緒にいる頃に描かれたものだろう、三人が仲良く笑っている姿を色鉛筆で彩った絵もあった。
そして、順序よく重ねられた手紙からは、故人は娘が小学生の頃に妻と離婚し、娘は妻が引き取っていったことが伺えた。
手紙の多くは、「お年玉ありがとう」「誕生日プレゼントありがとう」の言葉に、ちょっとした近況報告を加えたシンプルなもの。
忘れないように故人が記したのだろう、手紙や絵の隅には受け取った年月日と、そのときの娘の年齢・学年が記されていた。

それらは、古いモノから新しいモノへ、時系列に重ねられていた。
一番上のあったのが最も新しいもので、そして、それが最後の手紙。
それは娘が中学二年のときのもの。
そこには、まだ幼さが残る字で
「お父さん たまには二人で会いませんか?」
と書いてあった。
“二人で”というところは父への親しみが、“会いませんか?”という敬語には成長が見て取れた。
また、“たまには”と書いてあったところをみると、別離してから何度かは顔を合わせたことがあったのかもしれなかった。
とにかく、娘の方から“会おう”と誘ってくれていたのだ。
結局、そのとき二人は会うことができなのかどうかはわからない。
でも、これを受け取った故人は喜んだに違いなかった。


過ぎた年月を計算すると、娘は四十路を越えている。
夫や子がいて、良妻賢母(時々は悪妻愚母=それが人間)として、日々の生活に追われながらも、ささやかな幸せと楽しさを味わいながら人生を謳歌しているかもしれなかった。
ただ、私は、そんな空想に平安を覚えながらも、二つのことが引っかかっていた。

一つ目は小さな引っかかりで、手紙が途切れた時期がやけに早いこと。
故人は、娘へのお年玉と誕生日プレゼントを中三以降も毎年欠かさなかっただろう。
にも関わらず、娘からの手紙は中学二年のときが最後。
ただ、成長して気軽に会えるようになったため、娘は手紙を出す必要がなくなったのかもしれなかった。
また、元妻が再婚して、お年玉等を送りにくくなったり、娘が母と義父に忖度して故人との距離を空けたりした可能性、はたまた、困窮のすえ娘との縁を保つことができなくなった等、色々な考えがグルグルと廻った。

二つ目の引っかかりは大きく、それは、「警察が探しても親族が見つからなかった」ということ。
もちろん、元妻は相続人ではなく親族・血縁者にも含まれない。
しかし、直径卑属である娘は、離れていても法定相続人である。
故人の戸籍をたどれば、探し出すのはそんなに難しくないはず。
それでも、警察は見つけることができなかった・・・
私の想像は、「戸籍や住民票を捨てて逃避生活をしてる?」から始まり、「もしかして、もう亡くなってる?」というところにも至った。


最終的に、肉親の手掛かりになるようなもので見つかったのは娘からの手紙だけ。
差出人の住所は記載されておらず、わかるのは名前と年齢だけ。
あって当然と思われた写真は一枚もなかった。
頼まれて約束した業務とはいえ、それを管理会社に引き渡すのは抵抗があった。
故人が宝物にしていたに違いなかったから、大切な生きる糧だったのだろうから。
プラス、引き渡したところで、大家や管理会社にとって何の役にも立たないはずだったから。

「さてさて、どうしようかな・・・」
本来なら、柩に入れて故人と共に弔いたいところ。
もしくは、父親(故人)の愛情の証として娘に届けたいところ。
しかし、葬送は行政に委ねられており、遺体は保管中なのか荼毘に付された後なのか、特掃屋の私には知る術なし。
また、娘の所在も、存命しているかどうかさえもわからない。
管理会社に引き渡すか、持ち帰って供養処分するか、選択肢はそのどちらか。
どちらにしろ、管理会社が、手紙を手掛かりに娘を探し出せるとは思えず。
しかし、業務上の約束は約束。
悩んだ末、管理会社に引き渡すことにした。

特殊清掃・遺品整理・消臭消毒、一連の作業の最終日、私と担当者は現地で合流。
部屋を内見しながら作業の成果を確認してもらい、預かっていた鍵と分別品を担当者に引き渡した。
「どうも、別れた奥さんとの間に娘さんがいたみたいですよ」
そう伝えると、“手がかりGet!”と思ったのか、担当者は、にわかに表情を明るくした。
どうも、肉親探しについて皮算用したよう・・・それがすぐに頓挫することは火を見るよりも明らかなのに・・・
手紙が冷淡に捨てられることに淋しさを覚えた私は、
「不要になったら回収に伺いますから遠慮なく連絡ください」
と、一言つけ加えてその場を後にした。
ただ、その後、その手紙が手元の戻ってくることはなかった。


困窮・疾病・孤独・・・他人(私)の目には、故人の人生の終盤は過酷に映った。
歳を重ねるにつれ人生が上向いていったとは考えにくく、むしろ、実際はその逆だったように思われた。
表面上の事象だけをみて故人を憐れむのは慎まなければならないけど、そんな人生には失敗もあり後悔もあっただろう。
この私もそう、重なる部分が多い。
だからこそ、娘からのささやかな言葉を大切にし、それを生涯の宝物にしていた故人の想いがわかるような気がした。

下衆の勘繰りに際限はない。
想像なんていくらでもできる。
フツーなら、「娘は、どこかで幸せに暮らしている」と考えるだろう。
ただ、食べ頃を逃した古漬のように、ドップリ“死”に浸かって生きてきた私の頭には、
「もう亡くなってる?」
「しかも、若くして・・・大人になる前に・・・」、
と、そんな想像ばかりが巡り、それを打ち消そうとすればするほど、その想いは自分の中で現実味を帯びてきて、溜息がこぼれるくらいの心寂しさが全身を覆ってきた。

故人だけでなく、私自身も淋しい人間。
「娘も亡くなったとしたら、とっくに天国で再会してるか・・・」
外から覆ってくる淋しさと、内から滲み出る淋しさを紛らわすため、私は、自分勝手につじつまを合わせたのだった。

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苦楽すメイト

2025-04-15 06:00:00 | 特殊清掃
この春、小中高大、新入生として新たな学校生活をスタートさせた若者も多いだろう。
桜花の賑わいが過ぎ、ぼちぼち友達も増えてきている頃か。
今は、SNSで文字をやりとりするだけ、素顔や素性を知らない相手とでも友達になれる時代。
コミュニケーションツールは顔を合わせての会話や固定電話・手紙くらいしかなかった我々の時代に比べると、友達をつくるのは難しくなさそう。
私も、この時代に青春があったら、生涯の友達に出会えたかもしれないか。

そんな孤独男にも、小学校・中学校・高校・大学、それぞれにクラスメイトがいた。
そして、人付き合いが下手ながらも「友人」と呼べる者が何人かいた。
が、卒業と同時に、または卒業から程なくして その縁は切れた。
誰ともトラブルがあったわけでもないのだが、「お見事!」と言ってもいいくらいの絶縁ぶりで”プッツリ!“と。
また、携帯電話のない時代だったから、切れた後の復縁も難しかった。
で、小中高大、私は、これまで同窓会というものに参加したことが一度もない。
若い頃は、何度か案内状が届いたこともあったが、今はもう、そんなものは届かない。
時々は、「みんな、いい歳になって、苦楽しながらどこかで生きてるんだろうな・・・」と思い出すこともあるし、「死んじゃったヤツもいるかもな・・・」と職業病的な思いが浮かぶこともある。
それでも、「旧友に会いたい」といった思いはないし、「参加しとけばよかった」といった後悔もない。

「“同窓会”っていうのは、うまくいっているヤツしか行かないもの」
かつて、進学校に通っていた兄が私にそう言ったことがある。
兄は、愛校精神が強く、開催される高校の同窓会にはほとんど参加しているよう。
その実体験として、社会的・経済的・職業的・身体的にネガティブな状態、または自慢できない状態にある者は参加しないパターンが多いと感じているそう。
それを聞いた私は、「核心を突いた名言かも」と至極納得した。

私は、大学は三流だし、引きこもりをした挙句に就いたのは、ブログで散々“自慢”している死体業。
正しく自慢できることも、褒めてもらえそうなことも、感心してもらえそうなことも何もない。
“負け組”にいるから欠席・・・「その虚栄心が同窓会をスルーしてきた一因」と指摘されても否定しきれない。
仮に、自分が“勝ち組”にいたら、自慢話を楽しみにイソイソと出かけて行ったかもしれず、「勝っても負けても、どちらにしても俺はつまらない人間なんだな・・・」と、今更ながらに苦笑いしている。



訪れた現場は、街中に建つ古いアパート。
間取りは1DK。
その台所で、住人の高齢男性が孤独死。
発見は遅れて遺体は腐敗し、玄関に近いこともあって異臭が外へ漏洩。
それがキッカケで異変は明るみになった。

遺体汚染は、玄関を入ってすぐのところの台所床に残留。
警察が遺体を運び出す際に周囲のゴミが混ざったのか、履物が汚れないよう意図的に遺体汚染をゴミで覆ったのか、私が出向いたとき、遺体痕はゴミに混ざっているような状態。
ゴミの下から現れた汚染は、ライト級からミドル級。
床材のクッションフロア(CF)だったので、特殊清掃の難易度も低めを想像。
奥に進んだ部屋も半ゴミ部屋の状態。
故人が、このアパートに入居したキッカケは生活保護受給。
以前は、広い持ち家にでも暮らしていたのだろうか、この手狭な古アパートへ引っ越すに際してもモノが捨て切れなかったのだろう、六畳一間に大量の家財が押し込まれていた。

依頼してきたのは、アパートの管理会社。
故人は生活保護受給者で、賃貸借契約に保証人はおらず。
近しい血縁者もなく、やっと見つかった親族もすべてを放棄。
特殊清掃・消臭消毒・家財処分、その後の内装改修工事まで、すべて大家が負担せざるをえない状況。
で、「なるべく安く」という管理会社の要望のもと、当社は特殊清掃・家財処分・消臭消毒を請け負い、受け取る遺族がいないとほぼ無駄になる遺品整理をサービスで行った。

→※参照「生活保護受給者の孤独死とヒューマンケア」
https://www.humancare.jp/faq/faq_16052/  


前述の想定通り、遺体汚染は軽くいなすことができた。
ゴミについても、ヘビー級のゴミ部屋ではなし。
家財大量とはいえ所詮は1DK、しかも一階。
作業を進める上で大きな障害はなく、また、想定外の事態が起きることもなく、日常的な労力と知恵を供せば充分な状況で、行った作業だけ見ると、特に記憶に刻まれるような現場ではなかった。

ただ一点、心に残ったことがあった・・・

このアパート、道路に面した壁に全室の集合ポストが設置されていた。
小さな南京錠をつけている部屋もあったが、基本的に鍵はなく、誰でも開けられるステンレス製ポスト。
故人室のポストも鍵はついておらず、誰でも自由に開けられる状態。
長い間放置されていたせいで、中には、郵便物だけでなく多くのチラシ類がギッシリ詰め込まれていた。
それらも片付けの対象物なので、私は、無造作に掻き出して一旦地面に落とした。
そして、重要書類や管理会社や大家に引き渡した方がよさそうなモノがあるかもしれなかったので、それ一通一通・一枚一枚をチェック。
ただ、見たところ、ほとんどは不要なチラシ・DMの類。
あとは、公共料金の請求書や明細書、死人の役には立たない行政関係の書類等、家財同様、ゴミになるしかないものばかりだった。

その中に一枚、ちょっと気になるモノが混ざっていた。
それは往復ハガキで、旧友(級友)から送られてきた同窓会の案内状。
発送地は北海道、発送者は同窓会の幹事、中学時代の同級生のよう。
ポストに留まっていたところをみると、案内状が届いたのは死去後。
つまり、故人は、それを知らないまま逝ったことになる。

どちらにしろ、北海道への旅には結構な費用がかかる。
生活保護を受給するようになるまでには相応の苦楽があったはずで、受給開始後も慎ましい生活を余儀なくされていたはず(制度の性質を考えると当然のことではあるが)。
そんな実状を考えると、近年、故人は欠席を続けており、将来にわたっても出席の期待を持っていなかったように思えた。
ただ、「そろそろ案内が届く頃だな・・・」と、例え出席が叶わないにしても、故郷の風景や旧友の情を胸に抱き、ひとときでも孤独を忘れることができたかもしれない。
また、このアパートにハガキが届いているということは、転居してきた際、幹事に新住所を知らせたということでもあり、それは同窓と繋がっていたかった意思の表れでもある。
故人は、生活保護受給者になった自分を卑下するようなことがあったかもしれないが、私のような、つまらない虚栄心が捨てられない人間ではなかったように思えた。

内容は、ごく一般的なもの。
同窓会の開催日時と会場、そして、それへの出欠返信を求めるもの。
ただ、そのハガキには、例年にはないはずの付記があった。
それは、「同窓会は今回で最後にする」というもの。
「皆が八十をとっくに越え、病を得る人や亡くなる人が増えてきて、出席者は減る一方」
「自分(幹事)も世話をするのが大変になってきた」
「“この辺りが潮時”という考えに至った」
長年、苦楽を分かち合ってきた友との会を終わりにする・・・
そこには、現実の事情と悩める心情がしたためられており、抗えない淋しさが滲み出ていた。

そんなハガキを手にしていると、得も知れる切なさと淋しさを覚え、同時に色々な想いが駆け巡った。
“このままスルーしようか・・・”
“代筆を明かしたうえで”欠席”に印をつけて出そうか・・・
“故人の死去を知らせた方がいいだろうか・・・“
“死の報は、最終会の盛り上がりに水を差すことにならないだろうか・・・”
“管理会社に判断を委ねようか・・・”
自分の中で質疑応答が錯綜し、自分の考えが自分の考えでないような迷いの渦にハマっていった。

故人の遺志も察しようとした。
“故人はどうしてほしいだろうか・・・”
“このままスルーしてほしいだろうか・・・”
“欠席を伝えてほしいだろうか・・・”
“亡くなったことを知らせてほしいだろうか・・・”
答を一つに絞れるわけはない。

最終的に、私は、
「自分が故人の立場だったら、どうしてほしいだろうか・・・」
と自身に問うてみた。
旧友との縁もなく同窓会というものに出たことがない私は考えあぐねたが、結局、
「友に不義理なことはしたくないので、死んだことは伝えてほしいかな・・・」
という考えに至った。
そして、ハガキを左手に持ち、ボールペンを右手に握った。
すると、自分の行いが知恵のある善行のように感じられて、善人になったような気分が私を包んできた。
ただ、それは妙な満足感で、気持ち的な居心地の悪さがあり、長くは続かず。
そのうちに、「親切を押し売っての自画自賛?」、「“故人のため”という名の自己満足?」と、心中で警鐘が鳴りはじめ、同時に、自分がやろうとしていることが余計なお節介のような気がしてならなくなってきた。

仮に、故人が生きていたとしても、もう来年の同窓会は開かれない。
また、疎遠や死別によって誰との縁も自然に薄らぎ消えていく。
「この電話番号は只今使われておりません」のアナウンスによって、いずれ故人の死は悟り知られるかもしれない。
私が、ない頭をギュウギュウ絞ってしゃしゃり出なくても、自然の成りゆきに任せておけば自然に片付く。
どこに故人の尊厳を置くか、何をもって故人に対する礼儀とするか、いくつもの正解がある中で、私の考えはそういうところに落ち着いた。


同窓会は、予定通り開かれるだろう・・・
「最終会」ということで例年より多くの友が集まり、例年より盛り上がるかもしれない・・・
想い出話にも一層の花が咲くかもしれない・・・
ひょっとしたら、連絡のない故人のことが話題に上るかもしれない・・・
私は、そんなことに想いを馳せながら、故人の柩に納めるかのような心持ちでハガキをそっとゴミ袋に入れたのだった。

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ゆく年【トラックバック】

2025-03-16 06:57:52 | 特殊清掃
今日はとうとう大晦日。
2006年も今日でおしまいだ。
楽しいことより辛いことが多かったように思う今年だけど、過ぎてみると早いもんだ。
年齢も一つ重ねて、「オヤジ」「オジさん」と呼ばれるにはもう充分だ。


今日は、血の特掃と別現場の消臭消毒に行ってきた。
どちらの現場もリアルタイム過ぎるので、詳細を伝えるのは控えるが、私にとっては軽い現場だった。
特掃だけじゃなく消臭消毒も大事な仕事の一つ。
「消臭消毒」と一口に言っても、仕事としてはかなり難しい。
人間の腐乱臭は鼻に臭いだけじゃなく精神に悪いから。
それを片付けるには、錬磨したノウハウと根気が必要なのだ。


5月からだけど、ブログも結構書きまくった。
トータルで、180編くらいにはなるのだろうか。
「死」や「死体」だけをテーマに、よくもこんだけ好き勝手なことを書けるもんだと、我ながら呆れるやら苦笑するやら。


「人は、何故生まれてくるのか」
「人は、何故生きるのか」
「人は、何故生きなければならないのか」
「生きる意味って何なのか」
「自分とは?」
そんなことを考えながらの死体業生活である。
これらの問いには、人それぞれの答や解釈があるだろう。
そして、その真理を追い求めている人も少なくないだろう。


世の中や人生には、知らなくていい事・知らない方がいい事、考えなくていい事・考えない方がいい事があるように思う。
どうだろうか。


上記の問いにつき、時々そんな風に思うことがある。
「命とは?人生とは?自分とは?」
なんて考えたところで、私の場合はしんどい思いをするばかりだから。




本ブログの書き込みコメントに、「死ぬのはやめた」と書いてくれる人がいる。
そんな人達に対して「よかった・・・ありがとう」と安堵するのも事実だけど、私には「人助けをしている」「人を救っている」なんて思い上がった考えはない。
「人の役に立っている」なんて勘違いもない。


真実はその逆。
死にたい気持ちと戦いながら書かれたコメントに、私は生かされているのだ。
助けてもらっているのは私の方。
ブログを始めてから、もう何人もの人が生きる勇気を与えてくれた。


私は弱い人間だ。
日々、悩んだり落ち込んだりする。
他人からすると驚くような些細なことで、気分を沈ませることも多い。
そして、生きる価値・自分の存在価値を見出だせなくて苦しむ。
結果、心の闇に支配され、そこからなかなか這い出せなくなる。
この状況に陥ると、手に負えない。
生きていることそのものが、辛くて辛くてたまらない。


そんな私に向けて発信される生きるエネルギーに、私は支えられているのだ。
苦渋の中から搾り出される生きる決意が、私を闇から救ってくれる。
涙もろい私は、「ありがとう」と泣く。


人という文字は、人と人が支え合うかたちを表していると、よく言われる。
そんなこと、若い頃には気にもしなかったけど、この歳になって確かにそう思う。
少なくとも、この私は自分一人では自分を支えることはできないくらい無力だ。
このブログ(書き込み)により、随分と私は支えら救われているけど、結果的に誰かを支えていることもあるだろう。
この支え合いが、私達を人間にしてくれ、生かしてくれているのではないだろうか。


死を考える程ではなくても、人それぞれが色んな悩みや苦しみを抱えているはず。
自分一人で戦うのは辛いかもしれない。
でも、このブログを通じて人と人とが支え合い、生きるきっかけを共に享受できればいいと思う。


「今年も終わりか・・・」
仕事が終わって、着替えた特掃服をしみじみ眺めた。
特掃で浴びた故人の血が、ズボンに着いていた。
黒く乾いた血痕と自分の存在価値を重ねて思った。
「俺は・・・俺は生きるよ」


「特殊清掃 戦う男たち」を来年もヨロシク。
そして、2007年が私達にとって生きた年になることを祈る。



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2006-12-31 21:00:39
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まさか(後編)【トラックバック】

2025-03-05 06:21:24 | 特殊清掃
毎日、新しい朝を迎えられることが当たり前になっている私。
ただ、その日の仕事や天気・眠気などによって起床することが辛く思える日がほとんど。
気分が低滞していると「夜が明けなければいいのに・・・」とさえ思ってしまう。


しかし、世の中には朝を迎えたくてもそれが許されない人達がいる。
予期せずして朝が与えられない人達がいる。
また、いずれこの私もそういう日が来る。
死は必然だ。
「まさか」のことじゃない。


その日の朝も、気分が浮かない目覚めだった。
睡眠不足のはずなのに、やたらと早く目が覚めてしまった。
就寝中、唸されたような記憶と季節外れの寝汗が、この日に起こる出来事を予感させた。


「ひょっとして、昨夜の電話は悪い夢だった?」
一瞬、気持ちが緩んだ私だったが、残された自筆のメモが一気に気持ちを引き締めてくれた。
書かれた内容が結構グロかったため、思わず溜息がこぼれた。


「やっぱ、現実か」
「気合を入れて行ってくるか!」
私は、自分に喝を入れた。


現場は、公営の団地だった。
私は、かなり緊張していた。
汚腐呂掃除の経験は随分と積んできてはいるものの、「死後二ヶ月」というのは記憶になかったからだ。


ドキドキする心臓を落ち着かせて、玄関前で深呼吸。
それから、隠してあった鍵を使って開錠。
誰もいるはずもない部屋に、例によって「失礼しま~す」と言いながら上がりこんだ。
その動きはロボットみたいにぎこちなく、腐乱臭も気にならないくらいにワナワナしていた。


浴室の場所はすぐに分かった。
アレコレと考え始めると、ドアを開けるのに躊躇するばかりなので、何も考えないようにして一気に入口の扉を開けた。


「うぉっ!これか!」
浴室内には独特の腐乱臭が充満しており、浴槽には真っ黒な汚水が溜まっていた。
そして、表面には黄色い厚みを持ったおびただしい数の脂玉が浮遊。
私がこれまでに何度も遭遇してきた汚腐呂のそれより明らかに色が濃く、透明度はほとんどゼロ。
「これが二ヶ月モノか・・・」


浴槽の縁や浴室の床のあちこちには、焦げ茶色の干からびた皮膚とが腐敗液が付着。
浴槽内部以外の汚れは、遺体(遺骨?)搬出の際にできた汚れのようだった。
ちなみに、同じ腐乱でも、臭汚腐呂の臭いと汚腐団などの陸地の臭いは似て非なるものなのである。
当然、両方ともかなりイッてる臭いなので、「こっちがマシ」とか言えるレベルではない。


私は、器具を使ってゆっくり汚水を掻き回してみた。
明らかに、元固形物(人間)だったであろうドロッとした黄土色の沈殿物が底の方から舞い上がってきた。
何と言ったら分かるだろうか・・・ま、分かり易く説明する必要はないか。


「これは何?ここはどこ?俺は誰?」
私の中で、嫌悪感と特掃魂が戦っていた。


「大丈夫?」(俺)
「あんまり大丈夫じゃない」(隊長)
「やれそう?」(俺)
「分かんない」(隊長)
「二ヶ月経つとこうなるのか・・・」(俺)
「・・・だな」(隊長)
「断る?」(俺)
「それをやっちゃ男が廃るだろ」(隊長)
「じゃ、どうすんだよ」(俺)
「考えるしかない・・・あとは根性」(隊長)
「でたー!困ったときの根性頼み」(俺)
「やっぱ、最後はそれしかないだろ」(隊長)


私は、依頼者に電話した。
依頼者は弱々しかった。
身内をこういう亡くし方しただけでもショックだろうに、急かされる事後処理に心身ともに疲れていると思われた。
私に対してもすごく申し訳なさそうに話す依頼者に、私は特掃魂に火をつけざるを得なかった。
人の役に立ってお金までもらえるんだから、特掃冥利に尽きるってもんだ。


「二ヶ月と聞いて驚きましたけど、たいしたことなかったですよ」
「似たような現場を何件もこなしていますので大丈夫です」
「安心して待っていて下さい」


依頼者の心的重荷を軽くするのも大事な仕事。
↑こう言うと少しはカッコいいけど、実は、そうすることによって私は自分を追い込んでいくのだ。
そうして自分の逃げ道を塞ぎながら、特掃の切り札である最後の根性を引き出すのである。


その後の作業は複数日に渡って行った。
過酷・凄惨を極めたことは言うまでもない。
その詳細を記すのは、しばらく後にしよう。
クリスマスイブには似合わな過ぎるネタなんでね。


そう、今日はクリスマスイブ。
街は、きらびやかに飾り立てられている。
それにしても、キリスト教徒でもないのに、世間(皆)が「メリークリスマス!」ってお祭り騒ぎしているのが、私には少々滑稽に映る。
浮かれ気分も悪くないけど、こんな日くらいは、イエス・キリストを覚えてみてもいいかもね。


私は、今夜はマーボー豆腐でも食べながら安焼酎でも飲むかな。
MerryChristmas!

PS:「マーボー豆腐?」ってピンときた貴方は特掃通!



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2006-12-24 10:04:01
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お風呂掃除でお困りの方は




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まさか(前編)【トラックバック】

2025-03-02 19:33:50 | 特殊清掃
特掃現場になる家のほとんどは、故人が独居していたところである。
近年増えてきていると言われる孤独死だ。
ただ、まれにそうでない所もある。
それは自殺現場に多いのだが、自然死して腐乱死体がでた家でも他に同居者がいることがある。


家庭内別居の状態とはいえ、まさか同じ家で暮らしている人間が腐乱するまで死んだことに気づかないとは・・・。
通常だと、物音や気配がなくなれば変に思うだろうし、そうでなくても家の中に異臭が漂い始めれば異変を感じて当然のはず。
なのに、腐乱死体になるまで誰にも気づかれずに放っておかれるのだ。
作為的な何かがあるのだろうか、不思議でならない。
まぁ、私が考えるまでもなく、警察がシッカリ調べているのだろうから、私が余計なことを詮索しても仕方がない。


また、特掃現場では、故人が死んでからの時間がストップしたようになっていることが多い。
ベランダに洗濯物が干したままになっていたり、電子レンジに食べ物が入ったままになっていたりと様々。
何気ない日常生活が、いきなりの状態で止まったままになっている。


これは中高齢者宅に多いのだが、「元気に生きるための○ヶ条」「幸せに暮らすコツ」「病院のかかり方」「薬の飲み方」の類が大きな字で壁に貼ってある家もある。
そういうものからは、故人が自分の人生を大切にしながらも回りに(家族・子供)に迷惑を掛けないように、普段から心身の健康に留意していたことが伺える。
そんな生前の心掛けと現実の腐乱痕を対比すると、ちょっとせつなくなって汚物に情が傾いていく。


ガスコンロに何かが入った鍋が置いたままになっていることもある。
そのほとんどはドロドロに腐りきっていて、元が何の料理だったのか判別不能なのだが。
まさか、それを食べる前に逝くことになろうとはね。
腐乱は腐乱でも、腐った食べ物もタチが悪い。
独特の悪臭を放つし、液状のものは処理にも手間がかかる。
同じ現場でも、人の腐敗は耐えられるのに、食べ物の腐敗に「オエッ!」とくることさえある。


ある家では、カップラーメンが蓋が開いた状態で、テーブルの上に置いてあった。
そして、その脇には腐乱痕。
興味本位で容器の中を覗いてみると、お湯を注いだような跡があった。
カップラーメンを食べるつもりで仕度をしたものの、ラーメンができ上がるまで命がもたなかった訳だ。
これもまた「まさか」の出来事、せつない運命だ。


死体業をやっていると、生死は常に表裏一体のものであることを毎日のように思い知らされる。
生と死は、まさに隣り合わせ。
一瞬先のことさえ、誰にも分からないものだ。
必然的に死ぬ前に偶然的に生きている中で「明日は我が身?」と緊張する。


トイレ・浴室での突然死も多い。
本ブログにも頻出している通りである。
用を足しにトイレに入った本人は、まさか生きて出られなくなるとは思ってなかっただろう。
気持ちよく風呂に入った本人は、まさか生きて浴槽から出られなくなるとは思ってなかっただろう。


ホントに「まさか!」である。
しかし、この「まさか」が自分や自分の身の回りで起こらない保証はない。


夜中に電話が鳴った。
就寝中だった私の脳は、無防備のまま。
必死に平静を装おうとするのだが、叩き起こされた脳が瞬時に平常稼働するわけもない。
半分寝ボケたまま電話にでた。


電話は、浴室特掃の問い合わせでだった。
現場の状況を聞き進めるうちに、次第に脳が動き始めた。
そして、「まさか」と、目がパッチリ覚めた私だった。


つづく




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2006-12-20 15:27:35
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飽食の陰でⅠ【トラックバック】

2025-02-18 06:34:51 | 特殊清掃
私は、食欲旺盛だ。
昔から早食いの大食い。
経済的な事情から、たいして上等なものは口にしていないけど、毎日おいしく御飯を食べている。


食べ物が美味しく食べられるのは幸せなことだ。
不自由なく食べることって極めて当たり前のことのようで、よく考えるとそうでもないことに気づく。


まず、お金がないと食べ物は買えない。
お金を得るには仕事が必要。
また、いくらお金があったって、買える食べ物がなければ仕方がない。
食べ物があっても、食物を受け入れる身体(健康)がなければどうしようもない。
また、健康って、精神と肉体の両方でないてダメなもの。
そう考えると、毎日の食事が美味しく食べられることがどんなに貴重なことであるかに気づかされる。


更に、酒や甘味まで味わえる私は幸せ者だ。
酒が美味しく飲めるときは心身ともに調子がいいとき。
五臓六腑に浸み渡るアルコールが、もらい腐りした脳をリセットしてくれる。
また、酒に対する味覚が健康のバロメーターにもなっている(肝臓くんだけが一人静かに泣いている?)


私は、更に甘味にも目がない。
洋菓子・和菓子、何でもOK!・・・(あ!最中や甘納豆など、凝った和菓子は苦手だった)。
5号サイズのラウンドケーキなら一人でペロリといってしまう。


「ミルクレープ」ってケーキがあるでしょ?
アレを初めて食べたのは30歳くらいの時、人に連れられて行った銀座のケーキ屋だった。
フォークが入っていく感触が何とも言えず心地よく、一口食べると「なんだこりゃ!?」。
食べてビックリ!、その舌触りと旨さに心を動かされた私だった。


店は違えど、それから何度かミルクレープを食べているが、いつも三角にカットした小さなもの。
いつか、円いラウンド状態のままを思いっきり食べてみたいものだ。
それが、私のささやかな(バカな?)夢。


食い意地の張った私には食い物の話は尽きない。
ただ残念なことに、舌に美味しいものは身体に悪いことが多い。
脂肪・糖分・塩分・アルコールetc
こんなんじゃ、将来は、ロクな病気にはならなそうだね。


食べ物が豊富にある現代の日本で、意外な死に方をする人がいる。
どんな死に方って?
冷たい言い方だけど、事故死や自殺は珍しくも意外でもない。


答は、餓死だ。
にわかに信じ難いかもしれないが、現代でも餓死する人がいるのだ。
色んな人の色んな死に携わっている私でも、餓死には驚く。
豊食による病気で逝く人が数知れない中で、ひっそりと餓死者もいるのだ。


そんな現場では、「なんで?」と思ってしまう。
一体、何が人を餓死に追いやるのだろうか。
貧困か・・・
将来の悲観か・・・
プライドか・・・
それとも、餓死も自殺手段の一つなのか。


餓死者がいた部屋だからといっても極貧の雰囲気はない。
もちろん、お金持ちの雰囲気はないけど、一通り家財道具・生活用品は揃っている。
腐乱汚染も例の通り。
「どうして・・・」
ホント、不思議なせつなさを覚える。


何年か前、幼い子とその母親が餓死遺体で発見されたというニュースがあった。
かすかな記憶によると、その家には食べかけたのカップラーメン以外に食べ物はなかった。
母子は名前も分からず身元不明。
このニュースを聞いた私は、もの凄くせつなくなった。
薄っぺらい同情心でしかないけど、複雑な悲しさがあった。
母と子、どちらが先に息絶えたのか知らないけど、どちらにしろその状況を想像すると堪え難いものがある。


格差社会、低所得者層の増大が取り上げられる中で、日本でも餓死者が増えていくのだろうか。
過剰な接種カロリーに悩む大多数の日本人の陰で、誰にも気づかれることがなく。


「昼飯は何を食べようかな?」
「夜は何をツマミに飲もうかな?」
なんて、呑気に考えられる日々に飽食の陰を見る私である。



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2006-12-09 09:30:04
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秘蔵酒【トラックバック】

2025-02-15 05:37:35 | 特殊清掃
私は酒が好きだ。
たいして強くもないけど、下戸でもない。
数少ない、人並みにできることの一つが酒を飲むこと。


例えばビール。
子供の頃は、「大人は、なんでこんな苦いものを飲みたがるんだろう」と不思議に思っていた。
子供の頃に飲んだビールは、苦いばかりで本当にマズかった。


それからしばらく成長して自分でビールを飲み始めるようになるのだが、当初は周りに合わせて(大人ぶって)味の分かるフリをしていた。
ホントはマズイくせに、「うまい!」なんて言いながら。
しかし、飲み続けているうち次第に味が分かってきた。
そして、本当に「うまい」と感じるようになり現在に至っている。


少し前、ある居酒屋に行った時のこと。
高級店には縁がない私が行くのは、いつも安価な大衆店。
その時も大手チェーンの大衆店だった。


「とりあえずビールを下さい」
目の前に、どの店にも見られる普通の中ジョッキがでてきた。
私は、当たり前の味を想像してグビグビッと勢いよく飲んだ。


「ん?うまい!・・・」いい意味で意表を突かれた。
「今日はヤケにうまく感じるなぁ」
「喉が渇いてるのかな?」
不思議な感覚のまま、ビールはグイグイすすんだ。
しばらく飲んでいても、ペースは落ちない。
しばらくして、店員に尋いてみた。


「このビールの銘柄は何ですか?」
「○○(メーカー)の○○(銘柄)です」
「え?この値段で?」
「メーカーとタイアップして、○○記念のキャンペーン中でして」
「なるほど!そう言えば、このビールは○○でしたよね」


私は、そのビールの存在は知っており、ずっと「飲みたい」と思っていたものだった。
しかし、貧乏人の私には手が届かないでいたもの(いつも雑酒ばかり)。
それが偶然にも一般ビールと同じ値段で飲めたことはラッキーだった。


私は宣伝のつもりでも、結果的に営業妨害になってはいけないので、メーカー・銘柄は伏せておく。
ちなみに、有名メーカーの国産だ。


ある腐乱現場。
故人は年配の男性。
台所で腐っていた。
部屋の隅にはビールの空缶や酒瓶がゴロゴロと転がっており、酒好きだったことが想像されて親しみを覚えた。


床には腐敗粘土が厚く広がっており、私はそれを回り(外側)から少しずつ片付けていった。
そのうち、床からは床下収納のフタが見えてきた。


「中に 何か入ってるかな~?」


私は、目詰まりしたフタを工具でコジ開けた。
床下収納のフタは意外に重いもの。
私は、腐敗脂で滑りやすくなっていたフタを慎重に外した。


中には、何本かの酒瓶が立っていた。
その一つを手に取ってみたら、名の知れた高級酒。


「おっ!?」
少し興奮してきた私は、次々と瓶を取り出してみた。
日本酒・ウィスキー・バーボン・ブランデーetc、知らない酒もあったけど、どれも高級酒である威厳があり、かなりの熟成度を誇ってるようなモノもあった。
しかし、残念ながら、それらには例の熟成した液体がベットリ着いていた。


「これじゃぁ、どうしようもないなぁ」
せっかくの酒も、飲めるとか飲めないを考える以前の状態になっていた。


酒好きの故人は、きっと大事にとっておいたのだろう。
そして、それを口にする前に逝くハメになろうとは思ってもみなかっただろう。


人間は死んでしまうと、高級酒も金も、自分の身体さえも持っては逝けない。
何でも惜しみ過ぎないで、適当に使っていった方がいいね。
それが、生きているうちの特権かもしれないから。


さーてと、今夜も飲むか!
宵越しの銭なんか持ってられるか(単に、持てないだけだけど)!




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2006-12-05 18:05:00
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追いつめられて ~小心者の戦いⅡ~【トラックバック】

2025-02-13 06:37:00 | 特殊清掃
ワサワサワサワサ・・・
汚染箇所の周辺には、それまでに何度かお目にかかったことがある未確認歩行物体が、群れをなして這い回っていた。
「オッ?こいつらに会うのは久し振りだな」
最初はそんな余裕をかましていた私だったが、よく見てみるとその数は膨大。
気のせいか、彼等は私に向かって近づいてきているように思え、その不気味さに鳥肌が立ってきた。


「こんな所に長居は無用!退散、退散っと」
現場見分の山場(汚染箇所の確認)をクリアした私は、気持ちも軽快に外に出るため玄関に進んだ。
そして、老朽鉄扉のノブに手をかけた。


「あれ?」
ドアが開かない。
「あれっ!?」
まだ開かない。
「あれーっ!?」
全然開かない。


私は、何が起こったのか理解できず、頭が真っ白になった。
無意識のうちに、ドアをガチャガチャやり続けた。


「ま、ま、まさか?」
「ひょ、ひょ、ひょっとして?」
「と、と、閉じ込められた!?」
私は動揺しまくった!
心臓はバックンバックン、身体からはイヤな汗がジトーッとでてきた。


「落ち着け!落ち着け!」
「慌てるな!慌てるな!」
「冷静に!冷静に!」
自分に言い聞かせる自分が、既にパニックに陥っていた。
精神的にも物理的にも、完全に追いつめられた私。


しばらくの間、ドアノブと格闘した私だったが、いつしか弱気になり、ついに自力脱出を諦めた。
「どうしよぉ・・・」
とにかく、他の住人に私の存在を知らせることにした。


まず、ドアを内側からしばらくノック。
時折、外から物音・人の動きを感じるものの、反応がない。
「腐乱死体部屋の中からノック音がしたら、助けるどころかビックリして逃げてしまうか・・・」


次に、ドアポストの隙間から「スイマセーン」と何度か声をだしてみた。
「・・・ま、これも不気味だな」


私は、他に助けを呼ぶことにして、ポケットの携帯電話を取り出した。
「さて、誰(どこ)に電話しよぉか・・・」
会社・大家・鍵屋etc、自分の面子や事の緊急性など色々考えて、とりあえず不動産会社に電話することにした。
そして、特掃を依頼してきた担当者に、「玄関ドアが壊れたらしく、真っ暗な腐乱死体現場に閉じ込められてしまった」ことを伝えた。
すると、担当者は驚いて「すぐに110番か119番に電話する!」と、見当違いな返答をしてきた。


このくらいのことで警察や消防の手を煩わせる訳にはいかない。
私はそれを制止して、とにかく鍵を持って急行してくれるように頼んだ。


担当者が到着するまで、私は、そこで待つしかなかった。
腐敗臭、未確認歩行物体、そして暗闇。


私は、意識的に楽しいことを考えようと試みたが、思考はどうしてもネガティブな方向に傾いた。
「俺には、楽しいことのネタがこんなにも乏しいのか」
と苦笑したのもつかの間
「未確認歩行物体が自分を食おうとするのではないか」
「幽霊がでるんじゃないか」
と言う不安が襲ってきた。
「なんだか、恐いなぁ・・・」


私は、余計なものが見えたり聞こえたりしないよう目を閉じ、両手で両耳を塞いでジッとしていた。
そして、自分を励ますために、どこかで聴いたことがあるアンパンマンのテーマソングを不完全な歌詞で繰り返し唄った。
ちなみに、「ウジとシタイだけがト~モダッチさ~〓」なんて唄ってないからね。


助けを待つ、その場の臭かったこと、その時間の長かったこと。
しばらくして、やっと担当者が来てくれた。
そして、外からドアを開けてくれた。
意味不明なことに、外からだと普通に開いたドアだった。


「助かったーっ!」
「だ、大丈夫ですか?」
「あまり大丈夫じゃないです」
「でも、大事にならなくてよかったですね」
「まぁ・・・ね」


長時間いたせいで、私の身体には腐乱死体臭がバッチリ着いていた。
生きているのに死人の臭いを発しながら、ヨロヨロと帰途につく私だった。


「追いつめられて・三部作」はこれで終了。


記したこと以外にも、私は毎日色んなかたちで追いつめられながら生きている。
そんな人生は、楽よりも苦の方が多いような気がしている。
それでも、人は誰でも、追いつめられた土俵際で踏ん張る力は備わっているようにも思う。
ま、踏ん張れないときは一旦負けて、また仕切り直せばいいんだけどね。


気づけば、2006年も師走。
大したことができないまま、歳だけとっていく。




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2006-12-03 08:46:09
投稿分より

腐乱臭・異臭でお困りの方は
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追い詰められて ~怠け者の苦悩~【トラックバック】

2025-02-08 05:39:38 | 特殊清掃
私は、幼い頃から怠け者である。
元来、努力・忍耐・勤勉には無縁の私は、何をやるにも面倒臭がってしまう。
面倒臭がらずにできることと言えば、食うことと寝ることぐらい。
特掃がない日は、風呂に入るのも面倒臭い。
若いころには、面倒臭がらずにできることがもう一つあったけどね。
んー、我ながら情けない。


怠け者の私は、だいたいのことは追いつめられないとやらない。
何をやるにも、前倒しより後手後手。


学校の宿題やテスト勉強も、面倒臭くてなかなか手をつけることができないタイプだった。
それでもまだ、着手すればマシな方で、怠け心に負けて全然勉強しないことも多かった。
更に、自分一人で開き直っているのならまだしも、末期になると他人(友人)をも巻き込んで堕落していた。
「実社会で生きていく上で、学校の勉強がどれほど役に立ち、どれほど重要なものか、はなはだ疑問に思う」
等と吐いて、勉強嫌いな友人をこっちサイドに引きづり込んでいた。
典型的な劣等生だ。


特掃業務においても、「面倒臭えなぁ」と思うことがたくさんある。


作業を終えて帰って来ると、道具・備品類をきれいにして片付けなければならない。
これが結構面倒臭い!
ただでさえ疲れて帰って来るのに、その後まだ道具類の掃除をしなければならないなんて、かなわない。
しかも、普通の汚れじゃないんで、なかなか手間がかかる。


腐敗液の主要構成物質の一つに脂がある。
一度この脂が着いてしまうと、なかなか落ちない!
実質は、食用油や工業用油と大差ないのだろうが、腐敗脂はなかなかきれいに落とせない。
汚いモノにでも触るかのように、オヨビ腰でやるからだろう。


しかし、道具類を使いっぱなしで放置しておくと、自分で自分の首を締めることになる。
一番恐ろしいのは、自分でも気づかないうちに腐敗液が素肌に付着してしまうこと。


「ん?なんか臭えなぁ」
と思っていたら、手や腕に腐敗液が着いていたなんてことがある。
「ギョエーッ!早く拭かなきゃ!消毒!消毒ーっ!」


こんな仕事をしていても、私は、わりと潔癖症なのである。
我ながらおかしい。


他に面倒臭い作業と言えば、階段の上下がある。
現場が、団地やマンションの場合だ。
エレベーターのない建物はもちろん、エレベーターがあっても使用を許してもらえない所も少なくない。
運び出すモノがモノだけに、住民からも嫌悪される訳だ。当然だろう。
そんな現場はかなりキツい!
肉体的にハードなのはもちろん、精神的にもいたたまれない。
近隣住民からの好奇・嫌悪の視線を浴びながら作業しなければならないからだ。
これも結構キツい!


でも、請け負った仕事に逃げ道はない。
追いつめられた状態で荷物を持ち、階段をひたすらUpDown。
まるで、筋力トレーニングでもしているかのような作業が続く。
しかも、私は荷物を身体から離して持つ習性があるため、腕力も余計に必要。
それが、涼しい時季ならまだしも、暑い夏にこの作業は過酷だ。
滝のように流れる汗と膝の感覚麻痺に、意識が遠退いていきそうになる。
怠け者は苦悩する。
腐乱現場を少しでも楽に片付けるため、少しでも人の視線を浴びないために。
しかし、考えても得策はない。
結局は、足元に垂れる汗を踏み、「ヒーヒー」言いながら、黙々と身体を動かすだけ。
人と視線を合わさないように、時々空を仰ぎながら俯いて地道に働くだけ。


追いつめられた状態では、怠け者も働かざるを得ない。
追いつめられた状態でも、死なないうちは生きなければならない。


そして、今日もクタクタになった身体を奮い立たせ、人の死に様を消していく。



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2006-11-29 09:24:55
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追いつめられて ~臆病者の根性~【トラックバック】

2025-02-06 05:17:57 | 特殊清掃
私は、幼い頃から臆病者である。
もっとも、何をもって臆病者とするかは曖昧なものだが。
ま、今回はその辺には触れないで話を進めるとしよう。


その昔、私は、同年代の子が怖がらないようなもの(こと)も怖がっていた。
結構な弱虫だと自認している。
今でも、恐いもの・恐いことがたくさんある。
中でも、人が一番恐いかも。


人は、人を悩まし・苦しめ・キズつける。
もちろん、マイナスなことばかりではない。
人は、人を楽しませ、助け、幸せにする。
それでも、私は「人って恐い」と思う。


私は、人の何を怖がっているのだろうか。
まずは、その力。
暴力・経済力・社会的な力etc。
それから、その精神。
怒り・妬み・恨みetc。
そして、今までのブログにも何度となく書いてきた・・・そう、人の目(評価)だ。


「人からよく見られたい!」という自己顕示欲が強くて、時には見栄を張ったり、時には虚勢を張ったりする。
でも、残念ながら実態がともなっていないから、そんなことからは虚無感・空虚感しか得られない。
それなのに、また懲りずに見栄と虚勢を張っては虚しさを覚える日々を繰り返している。


人の目を気にせずに生きられたら、どんなに楽だろうか。
そうは言いながらも、今日も私は人に好印象を与えるべく、社交辞令と建前を駆使しながら無駄な抵抗をしている。
そして、なんとか人並に人間関係を動かしている(つもり)。


特掃は臆病者には無理そうな仕事に思われるかもしれないが、実はそうでもない。
どちらかと言うと、臆病者の方が向いている仕事かもしれない。
臆病者は人を気にするので、人に顰蹙をかわないように細心の心配りをするし、人の言うことに従おうとする。
そのスタンスが、結果的にGoodjobにつながるのかも。


臆病者が特掃をやるには、追いつめられる必要がある。
特掃現場の一件一件、いつも私は追いつめられている。
自分が生きるためにやらなきゃならないプレッシャーと請け負ったこと(依頼者)に対する責任とに。


「やりたい?」or「やりたくない?」→当然、やりたくない!
単純に考えると、やりたい訳じゃないのにやっている自分と向き合うことになる。
誰もが嫌うこの仕事、自分でも苦しいこの仕事なのに、やり続けている。
この葛藤は、ほとんど毎日ある。


請け負った現場に逃げ道はない。
まさに、追いつめられた状態だ。
恐くたって、吐いたって、泣いたって逃げられない。


そして、そこからくる疲労感と脱力感は独特な重さがある。
頭も身体も、ホント、グッタリくる。


特掃をやる上で欠かせないものは、道具やノウハウ・経験etc色々あるが、基本的には「根性!」だ。
それも、「最後の根性」だ。


「最後の根性」とは、常日頃から当人の人格に備わっているものではなく、臆病者が追いつめられたときに爆発させるエネルギーのこと。
「火事場の馬鹿力」と言えば分かり易いだろうか。
そんな場所では「火事場の馬鹿力」に頼るしかない。
特掃って、そんな最後の根性をださないとできない仕事かもしれない。


相手は、元人間の一部。
しかも、とてつもない悪臭を放ち、見た目にもグロテスク。
こんなモノの始末なんて、余程追い詰められた人間でないとできないだろうと思う。


私は、今日も追いつめられて、頭が壊れそうになりながら、腐乱人間がこの世に残した痕を消している。



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2006-11-27 17:31:22
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愛の痕【トラックバック】

2025-01-15 05:57:54 | 特殊清掃
時々、思うことがある。
生きていることの不思議さ。
生きていることの意味。
自分とは何か。


私が、「生は夢幻」「人生は夢幻の想い出」だと捉らえていることは、たまにブログでも取り上げている。
ただ、私の中でもこれは一側面でしかない。
あくまで私の中だけの話だが、矛盾しないかたちで違う捕らえ方もしている。
モヤモヤして収拾がつかない話になりそうなので、今回は取り上げない。


人間(死体)は、放っておくと腐り溶けていくことは過去ブログの通り。
自然現象とは言え、そのグロテスクさは凄まじい。


私は、そのイメージだけで「溶ける」と表記しているが、正しくは「解ける」か?、はたまた「熔ける」か?・・・流行りの平仮名表記で「とける」がマッチするのか、ちょっと迷うところだ。
でも、間違っても「とろける」って書かないように気をつけなきゃね。


現場はマンションの一室。
故人は若い男性、依頼者は故人の父親だった。


私は、部屋を見分しているうちに自殺を疑い始めた。
その理由は三つ。
故人の年齢が若いこと。
消費者金融の請求書がたくさんあったこと。
部屋にはやたらとゴミが多くて、ちらかっていたこと。
私の経験に限っては、このパターンの自殺率は高い。


遺族や故人を気の毒に思う気持ちがない訳ではないが、私は、基本的に他人の死は悲しくない。
冷たいようだが、事実だから仕方がない。
したがって、現場では辛気臭い演技もほとんどせず、思いついたことは率直に口にだしてしまう。


「自殺ですか?」
「一応、自然死ということになってますが、どうも薬を飲んだみたいで・・・」
父親もハッキリした事実を掴めていないらしく、言葉を濁すしかないようだった。


「余計なことを尋いてスイマセン」
「いえいえ、そちらの仕事にも影響することでしょうから」
寛容な、理解のある依頼者だった。


決して広くない部屋なのに、家財道具・生活用品・ゴミは大量だった。
汚染箇所を先に処理することはできず、まずは部屋を空にすることを先行させた。
この現場に限ったことではないが、悪臭とホコリ、そして汚物にまみれながらの作業は、なかなか楽じゃない。


荷物を搬出し終えると、部屋には、床に広がる腐敗液とウジだけが残った。
そして、その様を父親が見に来た。


「これは?」
「人体が腐敗した痕です」
「えっ!?」
「人体は腐敗するとこうなるんです」


父親は驚いたようだった。
「人は腐ると溶ける」と説明した方が分かりやすかったのだろうが、ずうずうしい私でもさすがにそのセリフは吐けなかった。


「と言うことは、息子の一部ということか・・・」
そう言って、父親は急に泣き始めた。
私と接するときは、ずっと冷静な姿勢を保っていた父親が急に泣き出したので、私はちょっと驚いてしまった。
しかし、その心情を察すると、余りあるものがあった。


気の利いた言葉を思いつかなかった私は、黙って床の掃除を始めた。
私にとっては、腐敗液の拭き取りはお手のもの。
みるみるうちにきれいになった。


空になった部屋、きれいになった床を見渡しながら父親は感慨深そうに言った。
「こうして見ると、息子がこの世に存在して生きていたということが、まるで夢の中の出来事のようですよ」
「・・・残った臭いが夢の痕ですかね」
「夢のあとか・・・そうですねぇ・・・」
「多少の後先があるだけで、我々の人生だってそのうち終わるわけですから、とにかく元気だして下さいね」
「ありがとうごさいます」
「こちらこそ」


私の人生は、どんな夢のあとを残すのだろうか。
大きな不安と小さな期待の中、現場をあとにした。



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2006-11-17 10:01:58より

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故郷【トラックバック】

2025-01-11 06:15:52 | 特殊清掃
「故郷」は、人によって違う。
物理的に異なるのは当然として、その定義(概念)も違うのではないだろうか。


生まれた所、育った所、長く暮らした所etc。
場所に限らず、人や想い出が故郷になるこもあるだろう。


特掃の依頼が入った。
故人は老人(男性)、依頼者はその姉。
現場は老朽一戸建。
平屋・狭小、プレハブ造りの粗末な家だった。


腐乱場所はその台所、板の間。
古びた室内は、かなり汚れてホコリっぽかった。その中央に腐敗痕が残っていた。
死後、かなりの時間が経っているらしく、腐敗粘土は乾き気味だった。


依頼者の話によると、現場の周辺は故人・依頼者達にとって故郷らしかった。
幼少期を家族で楽しく過ごした場所。
戦火が激しくなった頃、田舎に疎開し、終戦を迎えて戻って来たら一面が焼野原になっていた。
それで、一家は仕方なく外の地に移り住んだとのこと。


故人は、若い頃から故郷に家を持つことを目標にしていた。
そして、故郷で人生を終えることも生前から望んでいたらしい。
それを聞いて、自殺を疑った私だったが、どうも自然死のようだった。


故人は企業人としての現役を引退した後、かねてからの希望を叶えて故郷に家を構えた。
小さくて質素な家でも、愛着のある故郷で暮らすことができて、故人は幸せだっただろうと思った。
それから幾年が過ぎ、亡くなったのである。


台所に広がる汚物には嫌悪しながらも、生前の故人には親しみに似た感情が湧いてきた。


腐敗液は、台所の床にとっくに浸透していた。
表面を掃除したところで、汚染の根本が片付く訳ではない。
表面の腐敗粘土を掃除するより台所の床板を剥がして撤去する方が得策だと考えた私は、依頼者にそれを提案した。
誰も住む人はいないし、取り壊すしかない家なので、依頼者は私の提案を快諾。


私は、愛用の大工道具を使って、床板を少しずつ剥がしていった。
薄暗い床下を見て、「!?」。


床下の土には、妙に脚がたくさんある二種類の虫が這い回り、黒くボソボソとした盛り上がりができていたのだ。
床板を透り抜けた腐敗液が、床下の土に滴った結果であることはすぐに分かった。
髪・骨・歯は残っただろうけど、故人は故郷の土に還っていった訳だ。


「故郷の土に還ることも、生前の故人が望んでいたことではないだろうか」と、勝手に想像して微笑んだ私。


「土に還る」という言葉があるが、「土に帰る」じゃないところに、何とも言えない深い意味を感じる。
その意味が何であるか具体的には説明できないけど、本能的に重く感じるものがある。


以前も書いたが、私は自分の屍を火葬(焼却)して欲しくないと考えている。
故郷でなくても、どの地でもいいから、土に還りたいと思う。
しかし、今の法律や葬送習慣じゃ、無理だろうなぁ。


そうは言っても、今回の故人みたいなイレギュラーなケースは遠慮したいものだ。
仮にそうなったとしたら、後世にも特掃隊長が現れて、片付けてくれるかな?




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2006-11-13 21:31:50
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ヅラ?ツラい!【トラックバック】

2025-01-05 08:35:18 | 特殊清掃
特掃現場では、死体の頭髪が残っていることはザラにある。
と言うより、大量の毛髪が残っている現場の方が、そうでない現場より多いと思う。


骨や歯は警察がきれいに回収していくが、毛髪にまではいちいち手が回らないのだろう。
腐敗液の中にポツンと残された毛髪には、不気味なものを感じる。


首吊自殺によくある、座位のまま腐乱していったケースでは、頭皮・毛髪が床ではなく壁にくっついていることも珍しくない。
腐敗液が乾いていく段階で、接着剤みたいに作用するのだ。
なかなか想像し難いかもしれないが、この光景はかなり不気味。
想像しやすいように、具体的に説明すると、壁にベッタリと部分カツラがくっついているようなもの。
そして、当然のごとくその下は凄惨な状態。
赤茶黒の腐敗液・腐敗脂・腐敗粘土が広がっている。


ある現場。
故人は和室、畳の上で腐乱していた。
驚いたのは、その頭髪。
頭の形状が極めてリアルなかたちで残っていたのだ。


死後、かなりの時間が経過していたらしく、白髪混じりの頭髪は、本物のカツラのごとく頭の形をとどめてシッカリと残っていた。
気持ち悪かったのか面倒臭かったのか、警察は頭蓋骨だけを拾って帰ったのだろう。


「ついでにコレ(頭髪)も持ってってくれればよかったのに・・・」
私はボヤいた。
そして、躊躇した。
「コレ、どうしようかなぁ・・・」


考えたところで、やるべきことは決まっている。
とりあえず、畳から拾う(剥がす)ことにして、片手で掴んで引いてみた。
重い抵抗を感じた。


「ちゃんと掴まないと、中途半端なところでちぎれてしまう」
そう判断した私は、両手を使い、髪の間で深く指を入れた。
その感覚は、自分の身体から手(腕)だけが分離されているような変なものだった。
防衛本能か?私は、自然と自分の手からを視線を外して、それを慎重に引っ張った。
精神的にも物理的にも、重い重い抵抗を感じた。


ベリベリ・バリバリと頭髪は畳から離れていった。
ところが、あともう少しで持ち上がりそうなところで、私のカラータイマーが点滅。
同時に、私の全身にモノ凄い悪寒が走った。


「イカンッ!緊急避難!」
私は、作業を中断して外に駆け出た。
そして、マスクを外して深呼吸。
心臓がバクバクしていた。
「恐えぇ・・・」
ボヤきながら、気持ちを整えた。


心のカラータイマーが点滅をやめて元に戻るまで、しばらくの時間を要した。
私は、晴天の空を見上げた。
「俺の人生、こんなんでいいのか・・・」
「今は、これをやれっつーことか・・・」
特掃には関係ないことを考えて、気を紛らわした。


しばらくの後、意を決して再突入。
余計なものを見ないように、余計なことを考えないように、毛髪を引っ張った。


メリ!メリメリメリーッ!
「お゛あ゛ーっ!」
私は、持ち上げた自分の手を見て、再び全身に悪寒が走った。
中身(頭・顔)がないのに、まるで生首を持ち上げたような錯覚に襲われたのだ。


さて、畳から外したのはいいけど、後始末には困る。
私は、どうしても持って帰る気になれなかったので、遺族に返すことにした。


もともと、でてきた貴重品は遺族に渡すことになっていたので、この「ヅラ風自毛」も貴重品の一つに混ぜておいた。


中を開けてビックリしたかな?


なにはともあれ、このヅラはツラいよ!



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2006-11-15 13:29:14
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カレーライス【トラックバック】

2025-01-04 06:36:01 | 特殊清掃
私は、オニギリをよく食べる。
「好物」と言う訳ではないのだが、その手軽さや携行の利便性から重宝している。


緊急性を要さない特掃のときは、一日の作業開始時刻は10:00~11:00頃。
身体には汚れや悪臭が着くので、昼食休憩をとらないで作業を進めることが多い。
だから、昼食が夕方近くになることも日常茶飯事。


そんな時にオニギリはいい。
作業前の腹ごしらえに、作業途中のおやつ代わりに、作業後の食事に、車の中でいつでも食べられる。


カレーライスは、幼少の頃からの好物。
「大好物」と言うほどではないのだか、たまに食べる。
カレーって、いくら安物でもどこで食べても、それなりに美味しい。
まずいカレーって、当たったことがない(ふざけ半分の激辛カレーは例外)。
いい食べ物だ。


食べ物を表題にするときは、ロクな話じゃなくて恐縮だ。
・・・と思いながらも書く。


ある風呂場での話。
ちなみに、これは「不慮の事故」が起きた現場とは違う、ずっと以前の話。


ボロボロの老朽団地の一室、故人は風呂場で腐っていた。
私は、浴室全体をゆっくりと眺めた後、恐々と浴槽を覗き込んだ。
幸い、汚水は抜けていた。
が!、浴槽の底には腐敗粘土がたんまりと溜まっていた。
そして、その中にはおびただしい数のウジが。


「うぁちゃー!」
毎度、ワンパターンの反応をする私。


一口に「腐敗粘土」と言っても、その色は黄色っぽいものから焦茶色っぽいものまである。
また、粘度も高いものから低いものまである。
(以前の記事で説明したっけ?)


この現場の腐敗粘度は黄色っぽくてドロドロしたものだった。
それはまるで、程よく煮込んだ・・・
ここまで書いたら何が言いたいのか分かると思うので、以下省略。


では次の具材を探そう。
老朽団地の風呂は、かなりの旧式。
追焚ができないタイプで、浴槽は浴室に置いてあるだけのものだった。
浴槽の汚物を片付けてから、その浴槽を動かしてみた。


すると、浴槽の陰、浴室の隅に大量のウジが固まっていた。
大量のウジが平面的に広がっているのは珍しくない。
しかし、折り重なって立体的に群生しているのは珍しい。
それはまるで、オニギ・・・
ここまで書いたら何が言いたいのか分かると思うので、以下省略。

汚物容器の中。
白いウジと黄色い腐敗粘度。
それはまるで、カ・・・
ここまで書いたら何が言いたいのか分かると思うので、以下省略。

やはり、カレーライスは大衆食。
心に響く(のしかかる)その深いテイストは、ビーフシチューに敵わない?

どちらにしろ、カレーもビーフシチューも人間が作るものの方がいい。
人間で作られるものよりね。



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2006-11-09 08:28:20
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