特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

非難民

2021-05-12 08:15:57 | 猫屋敷
かつてなかったほどの最悪の事態になっているコロナ第四波。
うろたえる国・自治体、疲弊する医療体制、苦境にあえぐ民、他人事の民・・・混迷を極めている。
ただ、この災難は、「歴史」であり「摂理」である。
いつかは過去のものとなり、何かしらの意味を残すはず。
とはいえ、その真っ只中にいるうちは、そんな捉え方をする余裕はない。
苦境にある人は 日々をただ耐え、平和にある人は 日々を少しでも楽しもうとする。

人々の自制心はどこへ行ってしまったのか・・・
あれほど自粛が呼びかけられていたのに、先般のGWで見かけた光景は、自宅に避難するどころか、“コロナ前”を彷彿とさせるようなものが多かった。
各高速道路AMの下り、PMの上りは、軒並み大渋滞。
レジャー施設は、臨時駐車場が用意されるほど車が集まり、人気の飲食店の前には、客が列をつくっていた。
身近なところの大型ショッピング施設や商店街、公園や河川敷にも多くの人が繰り出していた。
ほとんどの人が、色々な言い訳を用意して「このくらいなら大丈夫だろう」と出かけているのだろうが、人と人との距離が近いのは明らか。
感染力は強いといわれる変異ウイルスも“我関せず”で、結構な密状態。
崩壊しつつある医療体制も、人が死んでいることも、どこか別世界の出来事のように捉えているように見える。
これじゃ、感染者が減るわけもなく、緊急事態宣言を解除しようもない。
そういった光景を眺める私も、もはや、以前ほどの憤りは覚えず、ただただ、諦めの気持ちで溜息をつくばかり。
「感染するのが先か、ワクチン接種が先か」といった瀬戸際に追いやられるのも、そう遠いことではないような気がする。

もともと、私の生活スタイルは地味なもので、自粛じみたもの。
だから、自粛疲れも自粛ストレスはほとんどないつもりでいるけど、はじけたくなるような、何ともいえない“ムシャクシャ感”に苛まれることはある。
何か、楽しいことをしたくなったり、この日常から離れて、遠くに出かけたくなったりする。
だから、宣言下でも出かけてしまう人達の気持ちもわからなくはない。
しかし、不要不急の外出は控えるのが昨今のマナー、社会の一人としての義務であり責任である。
で、結局、仕事以外で出かけるのは、地元のスーパーくらいにとどめている。

ただ、このストレスは、誰もが秘める“人間悪”として、思わぬかたちで、いらぬ方向に噴出することがある。
誰かを非難することも、その一例。
不要不急の外出をする人、営業自粛要請に従わない飲食店、路上飲みをする人、現実に目を向けずオリンピックをやろうとしている人、迷走する政治家etc・・・
そして、非難・偏見・差別・争い・暴力etc・・・そこから、色んな罪悪も生まれている。
自身を省みると、私も、常に、誰かを責め、誰かを悪者に仕立て上げようとしている。

かつて、コロナ禍は非日常だった。
しかし、現在、コロナ禍は日常になっている。
悪いのは誰でもなくコロナウイルスなわけで、ここまできたら、私のような一個人が、チマチマと誰かを責めたって、何の解決にもならない。
社会の秩序を乱す者やルールを守らない者は、正当な権限を有する者が取り締まればいい。
そして、「言論の自由」は、もっと正々堂々と行使すればいい。
もう、この不自由な世界を、現実として受け入れるしかない。
そして、この“日常”の上に、ありきたりの毎日を、平々凡々とした毎日を・・・平和な毎日をつくっていくしかない。
だから、私は、非難ばかりするのではなく、不安ばかり呷るのではなく、もっと建設的なスタンスをとるべきではないかと思い始めた。
それが、社会のためであり、ひいては、自分のためでもあると思うから。



訪れた現場は、住宅地に建つ木造二階一戸建。
案件は、いわゆる猫屋敷。
異臭は屋外にも漏洩。
それだけではなく、玄関ドアは、不自然に錆びついている状態で、家の中に入らずとも、ヤバい状態になっていることが十二分に伝わってきた。
案の定、室内の汚染は重症。
部屋の床、廊下、階段は猫の糞は散らばり、隅の方にはブ厚く堆積している部分も。
もう、家自体が猫トイレのような状態。
更に、異臭は強烈。
ネコ糞尿特有の刺激臭が高濃度に充満しており、単にクサいというレベルを超えて目に滲みるくらい。
とにかく、不衛生極まりない・・・異臭に関しては身の危険を感じるくらいの状況だった。

常識的に考えると、とても人間が生活できるとは思えない状態。
並みの人間なら数時間もいられない。
間違いなく身体を壊す。
しかし、人間の順応性というものはスゴい!
徐々に特有の耐性ができてくるのか、そんな状況にもかかわらず、依頼者は至極平然。
フツーに呼吸しているし、足や身体に糞がつくのも気にならない様子。
感心している場合ではなかったのだけど、私は、その不可解なたくましさに、「スゴイなぁ・・・」と、感心するばかりだった。

目はショボショボするし、とにかくフツーに呼吸することが困難。
少々の腐乱死体現場ならガスマスクは着けない私だけど、身体を壊したら元も子もない。依頼者に遠慮せず、専用マスクを着用することに。
しかし、愛用のマスクは、一流メーカーの国産品なのに、その刺激臭は、高性能フィルターでも完全には濾過しきれず。
かなり低減はしたものの、その刺激は、容赦なく、鼻から気管を経て肺へ入り込んできた。

悪臭は悪臭でも、健康を害するものとそうでないものがある。
本件は、明らかに前者。
私は、タバコを吸わないものだから、空気の一般的な汚れは別として、異物を肺に入れる習慣がない。耐性もない。
だからか、「身体によくないものを吸い込んでいる」という嫌悪感が強く、実際にも、強いミントガムを噛んだときのようなスースーする感覚を気管に感じた。

そんな状況に長く居続けるのは困難。
ただでさえ、専用マスクは呼吸がしづらい。
たいした動きをしなくても、息が上がる。
まさに、高地トレーニング状態(やったことないけど)。
メンタルの弱さも影響してか、少し呼吸しただけで息苦しくなり、外の空気を吸いたくなった。
しかし、近隣への影響を考えると、窓を解放するわけにもいかず。
また、その度に、いちいち外に出ていては仕事にならない。
私は、息つぎに水面に上がってくる亀のように、その都度、窓を開け、顔だけ外に出しては、貪るように空気を吸い、肺の換気を行った。

糞を除去したからといっても、それは悪臭を抑える決定打にはならず。
なにせ、長年の悪臭は、家屋自体に染みついている。
その上、内装建材や建具は、糞尿によってヒドく腐食。
つまり、家屋自体が糞同然の状態。
だから、糞尿本体を始末したくらいでは、原状回復は不可能。
効果としては、室内が、ほんのわずか衛生的になり、異臭を低減できるくらいのこと。
最大の目的は、近隣苦情を抑えることだから、まずは、そこを目指して作業を始めた。

当然、作業も、楽には進まなかった。
腐乱死体現場やゴミ部屋にはない労苦があった。
それは、まるで土木作業。
スコップで土を掘るように、山積になった糞を崩していった。
しかも、身体に悪い刺激臭を吸いながら、舞い上がる糞粉にまみれながらでは、自慢の?特掃魂も長続きせず。
いつもならサクサク片づけていくところ、「刺激臭」という見えない敵に苦戦し、作業は遅々として進まず。
それだけでなく、作業半ばで体調を崩しかけるような始末だった。


依頼者が、糞尿掃除に動くことになったキッカケは、近隣からの苦情。
そこは都会の住宅街で、家屋が密集している地域。
依頼者宅から発せられる異臭は屋外にも漏洩し、周辺の住宅にも侵入。
風向きによっては、少し離れた家にも到達。
天気がよくても窓を開けることもできず、ベランダに洗濯物を干すことも躊躇われるような状況。
あまりにクサイものだから、「悪いウイルスや有害物質が混入しているかも」といった憶測まで呼んだ。
しかも、こういう類の話は、人を介せば介すほど、人が集まれば集まるほど大きくなる。
結果、周辺住民から苦情が殺到することとなった。
一方の依頼者は依頼者で、「いちいちうるさい!」「ここは自分の家!」「どう生活しようが自分の勝手!」「干渉される筋合いはない!」と聞く耳をもたず。
結局、町会や行政を巻き込んでの揉め事に発展し、依頼者は重い腰を上げざるを得なくなったのだった。

そんな状況では、当然、依頼者は町内でも孤立。
“変人扱い”・・・もっと言えば“犯罪者扱い”。
近所に親しく付き合っている人がないことは、よそ者の私にもすぐわかった。
「火のないところに煙は立たず」というように、依頼者がつけた“火”は間違いなくあるわけで、こういうのを「偏見」「差別」というのかどうか、私にもわからなかったけど、とにかく、依頼者は、近隣から村八分にされていたことは明白。
事実、私が、外にでて休憩をとっていると、近所の人達が一人二人と集まってきた。
まるで、ウンコにたかるハエのように。
そして、仕事とはいえ痛い目に遭っている私も味方だと思ったのか、被害者ヅラで話しかけてきたかと思うと、依頼者の人柄や家の中の様子を探るように下世話な話をズラズラとしはじめた。

身勝手な生活スタイルで、近隣に迷惑をかけていた依頼者は悪い。
のけ者にされるにも、それなりの理由があったと思う。
しかし、“無勢に多勢”で寄ってたかって悪口雑言を吐くのもいかがなものか。
そこにいたのは、もはや、悪臭の被害者ではなく、ただの野次馬。
言いたいことはわかるけど、それは、決して耳触りのいいものではなく、“どっちもどっちだな”と思わせるものだった。


そもそも、人間という生き物は、自分より弱い者を探す(つくる)のが好き。
そして、それをいじめることが好きな動物。
自分が卑怯者になっていることにも気づかず、まるで、“我こそ正義”のごとく。
また、食い物を口に入れるだけでなく、自慢話と悪口を口から吐くことも大好きな動物。
聞く人の耳を汚すだけでなく、自分の口が汚れることにも気づかず。

例えば、有名人のスキャンダルに惹かれるのも、ある種の人間悪。
アカの他人の不倫や浮気なんか、どうでもいい話。
しかし、TVワイドショーは、政治経済や社会情勢のニュースはそっちのけで、重大ニュースのごとく大々的かつ詳細に報道する。
しかも、多くの時間を費やし、同じ内容を何度も何度も繰り返し。
そして、何故か、まったく害を被っていない人間達が、寄ってたかって当人を吊し上げる。
画面の向こう側にいる不特定多数に謝罪させられている姿を見かけることもあるが、それが「有名人の宿命」だとしても、当人からしたら、こんな理不尽な話はないだろう。

私を含め、多くの人は、自分を“常識人”だと思っている。
で、それに合わない人や意に沿わない人を「非常識!」と非難する。
SNS内で頻発している匿名での誹謗中傷が典型的だけど、自分は安全なところに避難したうえで特定の誰かを非難する。
曲げて解釈した「言論の自由」の傘に隠れ、表に顔を出さないままで。
残念で情けないことではあるが、この私も その類の人間の一人かもしれない。
SNSは一切やらないし、匿名での投稿もしない私だけど、本質的には“同じ穴のムジナ”かもしれない。

多分、気のせいではないだろう・・・
コロナ禍になって、誰かが誰かを非難する声を多く耳にするようになったような気がする。
そして、自分が誰かを非難する気持ちも大きくなったような気がする。
ただ、それでいいのかどうか考えなおすとき、明るい未来の扉が開くような気がするのである。


-1989年設立―
日本初の特殊清掃専門会社

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