特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

血の重荷

2024-03-28 13:39:42 | 猫屋敷
梅雨入りが迫ってきている今日この頃。
だんだんと蒸し暑くはなってきているけど、まだまだ過ごしやすい。
週末ともなると、朝は下り、夕は上り、行楽の車で高速道路は渋滞。
家族と共に楽しい時間を過ごすことは、人生の大きな幸せの一つ。
行楽に無縁の私にとっては他人事ながら、喜ばしく思える。


多くの人が共感してくれるだろう、「家族」っていいもの。
「打算や利害はない」とまでは言えないけど、ほとんど無条件で、愛し合い、助け合い、信頼し合い、堅い絆で結びつき合える間柄。

外の世界では、そんな人間関係、そう簡単に構築できるものではない。
しかし、その反動か、揉めやすいのもまた事実。
心の距離が近い分、遠慮や尊重がしにくく、怒りや憎しみの感情を抑えにくい。
傷害や殺人についても、他人同士より血縁者同士の方が多いといったデータもあるらしく、日々において、そんなニュースを見聞きすることも少なくない。

また、「血のつながり」を重視するのが日本人の民族性なのか、古くから「家系」とか「血統」とかいったものが大事にされる。
それに裏打ちされるように、先祖崇拝の思想も根強いものがある。
それを否定する理由はない。
ただ、懸念もある。
それは、「問題を起こした者の血縁者」というだけで敵視され、誹謗中傷の的にされるケース。
とりわけ、現代の情報過多・ネット社会においては、それが顕著になりつつあるのではないだろうか。
血がつながっているというだけで、他の人間に人生を狂わされる人は、思いのほか多いのではないだろうか。
声を上げられない当事者、上げた声が届かない社会、何とも言えない理不尽さを覚えざるを得ない。




特殊清掃の相談が入った。
電話の声は女性で、歳の頃は中年。
「兄が一人で住んでいた家なんですけど・・・」
「ろくに世話をしないままネコを飼っていまして・・・」
「ゴミもたくさん溜まっていて・・・」
女性は、誰かに詫びるような口調で、現場の状況を話してくれた。


「見たらビックリすると思いますよ・・・」
女性は、私に心の準備をするチャンスを与えてくれたが、私が、これまで経験したゴミ屋敷や猫屋敷は数知れず。
天井とゴミの隙間を腹這いにならないと進めないような部屋も、ネズミやゴキブリが走り回る部屋もイヤと言うほど経験済み。
ゴーグルしないと目を開けられないような、ガスマスクをしないと息もできないようなネコ部屋に遭遇したことも幾度もある。
「大丈夫ですよ・・・慣れてますから・・・」
私は、商売っ気を悟られない程度に親切な雰囲気を醸し出し、そう返答した。


出向いた現場は、郊外の住宅地に建つ一軒家。
「新興住宅地」というようなエリアではなく、一時代前に整備された、古びた住宅地。
立ち並ぶ住宅は、築三十~四十年は経っているようなものばかり。
また、今風の住宅地にくらべて、土地も家も小さめ。
隣家との間隔も狭く、窮屈な感じもするくらい。
それでも、販売当時はバブル期で、結構な値段がしたであろうことが伺い知れた。


私は、カーナビが示すポイントが近づくにつれ、車のスピードを落とし徐行。
区画整理された地域は番地通りに家が並び、目的の家はすぐに判明。
仮に、ナビが目的の家をピンポイントに示さなくても、すぐに見つけられたはず。
それは、当家屋が異様だったから。
雑草や樹枝は伸び放題で、多くはなかったが外周には朽ちたガラクタも散乱。
荒廃した雰囲気に包まれており、そこが目的の「猫ゴミ屋敷」であることを家屋自らが訴えているように見えるくらいだった。

私が到着したのとほぼ同時に依頼者の女性も現れた。
電話で関り済みだったので、初対面のときほど回りくどい挨拶は省略。
短く言葉を交わした後、玄関へ近づき、女性がドアを開錠。
「私は入らなくていいですか?」
と訊ねる女性に、
「大丈夫ですよ」
と返し、女性と私は立ち位置を入れ替わった。

「では、お邪魔します」
私は、ゆっくり玄関ドアを引いた。
すると、覚悟していた通り、中からはネコ屋敷特有の刺激臭がプ~ン。
私は、少し離れた後方にいる女性に背中を向けたまま、正直に表情をゆがめた。
同時に、薄暗い奥に視線を送り、溜息と異臭を交換しながらの浅い呼吸を繰り返した。

とにもかくにも、そのまま嫌気に従っていても何も進まない。
女性は、
「そのまま・・・靴のままでどうぞ・・・たいぶ汚いですから・・・」
と気を使ってくれた。
言われるまでもなく、靴を脱ぐつもりはなかった私は、
「靴の上にシューズカバーを着けますので」
と説明。
もちろん、それは、家が汚れないようにするためではなく、靴が汚れないようにするため。
ただ、そんな無神経なセリフは吐かず、黙ってポケットからラテックスグローブとシューズカバーを取り出し、両手両足にそれぞれ装着した。


屋内は一般的な間取り。
1Fは、玄関土間、廊下、和室、リビング、DK、トイレ、洗面所、浴室など。
階段を上がると、和室か洋室かわからない部屋が二つと小さなトイレ。
決して豪華でもなく、広々としているわけでもなかったが、かつては、庶民的な一家が、身の丈に合った生活を平和に楽しんでいたことが伺えるような造りだった。

ただ、それは遠い 遠い昔の話。
家の中は、ありとあらゆるところ、猫の糞・尿・毛・爪跡などで汚損。
もちろん、人間用の家財生活用品はあるのだが、もう、ほとんどは酷く汚染された状態。
内装建材も著しく腐食し、糞が厚く堆積しているところも多々。
リビングのソファーをはじめ、糞に埋もれているモノも少なくなかった。
全滅・・・家自体が猫のトイレ、肥溜め・・・
もちろん、充満するニオイも強烈。
身体のことを思えばガスマスクを着けた方がいいくらい。
ただ、それでも、異臭濃度は目に滲みる程ではなく、見分も短時間で済ませるつもりだったため、私は、終始、不織布マスクで家の中を歩き回った。

「これで、よく生活できるもんだな・・・」
「フツーなら身体を壊すよな・・・」
“呆れる”というか“不思議”というか、もっと言うと“奇怪”というか・・・
こんな不衛生極まりない状況で生活するなんて、容易に信じられるものではない。
似たような現場をいくつも見てきた私だったが、ここでも同じような思いが沸々。
しかし、そういう人は現実にいるわけで、私は、そこのところに不思議さを感じざるを得なかった。

一通り見て回った私は、女性が待つ外へ。
女性は玄関を離れた駐車スペースで、私が出てくるのを待っており、開口一番、
「どうでした? ヒドイでしょ!?」
と訊いてきた。
お世辞にも「そうでもない」とは言えない状況で、私は、
「そうですね・・・かなりヒドいですね・・・」
と正直に返答。
そして、飼われていた猫が二~三匹でないことは一目瞭然ながら、
「何匹くらいの猫がいたんでしょうか」
と訊ねた。
「本人の話からすると、おそらく、二十~三十匹くらいはいたと思われます・・・」
と、一段と表情を暗くし、また、気マズそうにそう応えた。


この家は女性の実家。
もともとは女性の両親と当人(女性の兄)と女性が四人で暮らしていた。
最初に家を出たのは女性。
結婚して他に家を持ったのだ。
次はいなくなったのは父親で、それほど高齢ではなかったが病気で他界。
それからしばらくは母親と当人が二人で生活。
大きな問題はなく過ごしていたが、母親も歳には勝てず。
身体が衰え自立した生活が困難に。
そうは言っても、当人に母親の世話をする力はなし。
母親は老人施設へ入所し、それから、当人は一人暮らしに。
しばらくして母親も他界し、当人の暮らしは荒れていく一方となったようだった。

母親が家にいる頃は、時折、女性も実家に顔を出していた。
ただ、消して兄妹仲が良かったわけではなかった。
で、当人が一人暮らしになって以降は、女性は実家を訪れることもなくなった。
両親がいなくなってしまうと、当人とやりとりしなければならない用も、縁を保っておく必要もなくなり、当人とは関わらないでいる方が女性は平和に過ごせるのだった。

そんなある日、当人は体調を崩し入院。
その旨の連絡が女性に入り、とりあえず見舞いに出向いた。
久しぶりの再会だったが、懐かしさや情愛はなく、ただ、妙な不安ばかりが頭を過った。
案の定、入院に関する身元引受人や入院費用の支払いに関する保証人にならざるを得なくなった。
女性にとっては、それだけでも充分に厄介なことだった。
しかし、残念なことに、その後、もっと大きな問題に遭遇することに・・・「猫ゴミ屋敷」となった実家に肝を潰すことになるのだった。

当人が猫を飼い始めた時期やキッカケについて、疎遠だった女性は知る由もなし。
勝手な想像だが、母親がいなくなり一人暮らしとなった当人は、淋しかったのかも。
唯一、自分を必要としてくれ、自分に関心を寄せてくれた両親は亡くなり、誰からも必要とされず、誰からも関わってもらえず・・・
そんな中に現れたのが野良猫。
不憫に思って餌を与えているうちに猫も懐いてきたし、深い情も湧いてきた。
そんな猫が心の隙間を埋めてくれたのか、世話を焼いているうちに、野良猫仲間が集まり、それらが仔を産み・・・
いい歳になるまで母親が世話を焼いてくれていた中年男に家事の一切がキチンとこなせるわけもなく、ただでさえ荒れる一方だった家を、猫が更に荒らしていった・・・
そして、当人もそれに慣れていき、結果として、収拾のつかない事態に陥ってしまっていたのではないかと思われた。


我々が表で話していると、その気配に気づいたのか、近所の人らしき人が近づいてきた。
また、それを窓から覗き見していたのか、それは二人三人と増えていった。
ほとんどは「野次馬」だと思われたが、その表情と物腰は「被害者」。
女性に対して乱暴な口をきいたり横柄な態度にでたりする人はいなかったものの、皆が一様に「迷惑していた!」と言う。
対して女性は、「申し訳ありません・・・」と、泣きそうな顔になりながらペコペコと頭を下げるばかり。
悪いのは当人で女性が悪いわけではないのに、私は、ダメな船頭のように小さな助け舟さえ出せず、ただ、その場に立ち尽くすことしかできなかった。

近隣住人の中には不満を抱えていた人も多かったようだったが、当人に直接注意する者はおらず。
当人は“常軌を逸した人間”と思われていたようで、ある種、恐れられていた風でもあり、そんな人間を相手に何か言ってトラブルになっては困るし、逆恨みされて、危害を被っても損。
近隣数軒で話し合って行政に掛け合ったこともあったものの、行政が腰を上げることはなく、結局、泣き寝入ったまま今日に至っていた。

当家屋には、たくさんの猫が出入りする様子はもちろん、時折は、当人が出入りする姿も目撃されていた。
食料など生活必需品の買い出しや、その他に、外に用事もあったはずだし、仕事に出掛けるように見えたときもあった。
ただ、人と会っても視線を合わせることもせず、挨拶もせず。
誰もいないかのように黙って通り過ぎるのみ。
一方の近隣住民も同様。
遠ざかることはあっても近づくことはなく、横目で好奇の視線を送るだけで声を掛けることはなかったようだった。

長い間、猫ゴミ屋敷に我慢を続けていた近隣住民。
正直なところ、当人がいなくなってホッとしたはず。
その上、当人がいなって以降、自然と猫もいなくなっていったわけで、これも近隣にとっては何よりのことだった。
「退院したら、ここに戻って来られるんですか?」
近隣住民は女性にそう訊いたが、その心の声が“戻って来てほしくない!”“戻って来させるな!”といったものであることは、誰の耳にも明らかだった。
「まだ、何も決まってなくて・・・どちらにしろ、家がこんな状態じゃ戻りようがありませんから・・・」
と、ホトホト困った様子で言葉を濁す女性を、私は、ただただ気の毒に思うしかなかった。

そうは言っても、こんなことになってしまった家の始末をつけるのは一朝一夕にはいかない。
汚物の処分や掃除で片付くレベルはとっくに越えている。
常人が常識的な生活をしようとすれば、部分的なリフォームでは足りず、もう建て替えるしかない。
とは言え、当人がそれだけの財を持っているとは到底思えず。
かと言って、女性が負担できるものでないことも明らか。
女性は苦悶の表情を浮かべながら、涙目で宙を見つめるばかりだった。

当人が、どう生計を成り立たせていたのか、日常の付き合いがなかったものだから、詳しいところは、女性も把握しておらず。
色々な状況から推察するに、定職には就かず、派遣やアルバイトなどで生計を成り立たせていたよう。
家屋敷をはじめ、それなりの財産を親から相続したそうだったが、食費、水道光熱費、被服費、生活消耗品費等々、食べていくには相応の金がかかるし、税金や社会保険料だって負担する責任はある。
猫の餌代だってバカにならなかったはず。
消費者金融などからの危ない借金がなかったのが不幸中の幸いだったものの、当人が猫達とともにギリギリの生活をしていたことは容易に想像できた。


色々なことが検討され、色々な可能性が模索されたが、結局、再生不能の家は売却処分されることに。
状況が状況だけに、また、古びた住宅地につき、期待するような値段にはならないことは覚悟のうえだったが、それでも、まとまった金銭を得ることはできるはず。
当人は、その売却代金をもって新たな住居を探すほかなく、となると、賃貸物件になるわけで、「定職に就いていない」「安定した収入がない」ということがネックになるはずだったが、そこのところは、役所や慈善団体を頼るか、まとまった前家賃で手を打ってもらうしかない。
その上で、派遣でもアルバイトでもできるかぎり仕事をして、できりかぎり慎ましい生活を心掛けるしかない。
それで、どれだけ食いつないでいけるものかどうか、女性も測りかねていたが、思いつく策は他になかった。

「もう、それ以上は、面倒みれません・・・」
「あとは自己責任で生きてもらうしかありません・・・」
女性は、自分の肩に圧し掛かる重荷を振り払うようにそう言った。
そして、
「血がつながっているばっかりに・・・」
と、やり場のない怒りと悲しみを過去にぶつけようとするかのように深い溜息をついた。

そんな女性を気の毒に思いつつも、私は、その傍らに黙って佇むことしかできず。
生きていくことの重さを今更ながらに思い知らされる場面となったのだった。
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非難民

2021-05-12 08:15:57 | 猫屋敷
かつてなかったほどの最悪の事態になっているコロナ第四波。
うろたえる国・自治体、疲弊する医療体制、苦境にあえぐ民、他人事の民・・・混迷を極めている。
ただ、この災難は、「歴史」であり「摂理」である。
いつかは過去のものとなり、何かしらの意味を残すはず。
とはいえ、その真っ只中にいるうちは、そんな捉え方をする余裕はない。
苦境にある人は 日々をただ耐え、平和にある人は 日々を少しでも楽しもうとする。

人々の自制心はどこへ行ってしまったのか・・・
あれほど自粛が呼びかけられていたのに、先般のGWで見かけた光景は、自宅に避難するどころか、“コロナ前”を彷彿とさせるようなものが多かった。
各高速道路AMの下り、PMの上りは、軒並み大渋滞。
レジャー施設は、臨時駐車場が用意されるほど車が集まり、人気の飲食店の前には、客が列をつくっていた。
身近なところの大型ショッピング施設や商店街、公園や河川敷にも多くの人が繰り出していた。
ほとんどの人が、色々な言い訳を用意して「このくらいなら大丈夫だろう」と出かけているのだろうが、人と人との距離が近いのは明らか。
感染力は強いといわれる変異ウイルスも“我関せず”で、結構な密状態。
崩壊しつつある医療体制も、人が死んでいることも、どこか別世界の出来事のように捉えているように見える。
これじゃ、感染者が減るわけもなく、緊急事態宣言を解除しようもない。
そういった光景を眺める私も、もはや、以前ほどの憤りは覚えず、ただただ、諦めの気持ちで溜息をつくばかり。
「感染するのが先か、ワクチン接種が先か」といった瀬戸際に追いやられるのも、そう遠いことではないような気がする。

もともと、私の生活スタイルは地味なもので、自粛じみたもの。
だから、自粛疲れも自粛ストレスはほとんどないつもりでいるけど、はじけたくなるような、何ともいえない“ムシャクシャ感”に苛まれることはある。
何か、楽しいことをしたくなったり、この日常から離れて、遠くに出かけたくなったりする。
だから、宣言下でも出かけてしまう人達の気持ちもわからなくはない。
しかし、不要不急の外出は控えるのが昨今のマナー、社会の一人としての義務であり責任である。
で、結局、仕事以外で出かけるのは、地元のスーパーくらいにとどめている。

ただ、このストレスは、誰もが秘める“人間悪”として、思わぬかたちで、いらぬ方向に噴出することがある。
誰かを非難することも、その一例。
不要不急の外出をする人、営業自粛要請に従わない飲食店、路上飲みをする人、現実に目を向けずオリンピックをやろうとしている人、迷走する政治家etc・・・
そして、非難・偏見・差別・争い・暴力etc・・・そこから、色んな罪悪も生まれている。
自身を省みると、私も、常に、誰かを責め、誰かを悪者に仕立て上げようとしている。

かつて、コロナ禍は非日常だった。
しかし、現在、コロナ禍は日常になっている。
悪いのは誰でもなくコロナウイルスなわけで、ここまできたら、私のような一個人が、チマチマと誰かを責めたって、何の解決にもならない。
社会の秩序を乱す者やルールを守らない者は、正当な権限を有する者が取り締まればいい。
そして、「言論の自由」は、もっと正々堂々と行使すればいい。
もう、この不自由な世界を、現実として受け入れるしかない。
そして、この“日常”の上に、ありきたりの毎日を、平々凡々とした毎日を・・・平和な毎日をつくっていくしかない。
だから、私は、非難ばかりするのではなく、不安ばかり呷るのではなく、もっと建設的なスタンスをとるべきではないかと思い始めた。
それが、社会のためであり、ひいては、自分のためでもあると思うから。



訪れた現場は、住宅地に建つ木造二階一戸建。
案件は、いわゆる猫屋敷。
異臭は屋外にも漏洩。
それだけではなく、玄関ドアは、不自然に錆びついている状態で、家の中に入らずとも、ヤバい状態になっていることが十二分に伝わってきた。
案の定、室内の汚染は重症。
部屋の床、廊下、階段は猫の糞は散らばり、隅の方にはブ厚く堆積している部分も。
もう、家自体が猫トイレのような状態。
更に、異臭は強烈。
ネコ糞尿特有の刺激臭が高濃度に充満しており、単にクサいというレベルを超えて目に滲みるくらい。
とにかく、不衛生極まりない・・・異臭に関しては身の危険を感じるくらいの状況だった。

常識的に考えると、とても人間が生活できるとは思えない状態。
並みの人間なら数時間もいられない。
間違いなく身体を壊す。
しかし、人間の順応性というものはスゴい!
徐々に特有の耐性ができてくるのか、そんな状況にもかかわらず、依頼者は至極平然。
フツーに呼吸しているし、足や身体に糞がつくのも気にならない様子。
感心している場合ではなかったのだけど、私は、その不可解なたくましさに、「スゴイなぁ・・・」と、感心するばかりだった。

目はショボショボするし、とにかくフツーに呼吸することが困難。
少々の腐乱死体現場ならガスマスクは着けない私だけど、身体を壊したら元も子もない。依頼者に遠慮せず、専用マスクを着用することに。
しかし、愛用のマスクは、一流メーカーの国産品なのに、その刺激臭は、高性能フィルターでも完全には濾過しきれず。
かなり低減はしたものの、その刺激は、容赦なく、鼻から気管を経て肺へ入り込んできた。

悪臭は悪臭でも、健康を害するものとそうでないものがある。
本件は、明らかに前者。
私は、タバコを吸わないものだから、空気の一般的な汚れは別として、異物を肺に入れる習慣がない。耐性もない。
だからか、「身体によくないものを吸い込んでいる」という嫌悪感が強く、実際にも、強いミントガムを噛んだときのようなスースーする感覚を気管に感じた。

そんな状況に長く居続けるのは困難。
ただでさえ、専用マスクは呼吸がしづらい。
たいした動きをしなくても、息が上がる。
まさに、高地トレーニング状態(やったことないけど)。
メンタルの弱さも影響してか、少し呼吸しただけで息苦しくなり、外の空気を吸いたくなった。
しかし、近隣への影響を考えると、窓を解放するわけにもいかず。
また、その度に、いちいち外に出ていては仕事にならない。
私は、息つぎに水面に上がってくる亀のように、その都度、窓を開け、顔だけ外に出しては、貪るように空気を吸い、肺の換気を行った。

糞を除去したからといっても、それは悪臭を抑える決定打にはならず。
なにせ、長年の悪臭は、家屋自体に染みついている。
その上、内装建材や建具は、糞尿によってヒドく腐食。
つまり、家屋自体が糞同然の状態。
だから、糞尿本体を始末したくらいでは、原状回復は不可能。
効果としては、室内が、ほんのわずか衛生的になり、異臭を低減できるくらいのこと。
最大の目的は、近隣苦情を抑えることだから、まずは、そこを目指して作業を始めた。

当然、作業も、楽には進まなかった。
腐乱死体現場やゴミ部屋にはない労苦があった。
それは、まるで土木作業。
スコップで土を掘るように、山積になった糞を崩していった。
しかも、身体に悪い刺激臭を吸いながら、舞い上がる糞粉にまみれながらでは、自慢の?特掃魂も長続きせず。
いつもならサクサク片づけていくところ、「刺激臭」という見えない敵に苦戦し、作業は遅々として進まず。
それだけでなく、作業半ばで体調を崩しかけるような始末だった。


依頼者が、糞尿掃除に動くことになったキッカケは、近隣からの苦情。
そこは都会の住宅街で、家屋が密集している地域。
依頼者宅から発せられる異臭は屋外にも漏洩し、周辺の住宅にも侵入。
風向きによっては、少し離れた家にも到達。
天気がよくても窓を開けることもできず、ベランダに洗濯物を干すことも躊躇われるような状況。
あまりにクサイものだから、「悪いウイルスや有害物質が混入しているかも」といった憶測まで呼んだ。
しかも、こういう類の話は、人を介せば介すほど、人が集まれば集まるほど大きくなる。
結果、周辺住民から苦情が殺到することとなった。
一方の依頼者は依頼者で、「いちいちうるさい!」「ここは自分の家!」「どう生活しようが自分の勝手!」「干渉される筋合いはない!」と聞く耳をもたず。
結局、町会や行政を巻き込んでの揉め事に発展し、依頼者は重い腰を上げざるを得なくなったのだった。

そんな状況では、当然、依頼者は町内でも孤立。
“変人扱い”・・・もっと言えば“犯罪者扱い”。
近所に親しく付き合っている人がないことは、よそ者の私にもすぐわかった。
「火のないところに煙は立たず」というように、依頼者がつけた“火”は間違いなくあるわけで、こういうのを「偏見」「差別」というのかどうか、私にもわからなかったけど、とにかく、依頼者は、近隣から村八分にされていたことは明白。
事実、私が、外にでて休憩をとっていると、近所の人達が一人二人と集まってきた。
まるで、ウンコにたかるハエのように。
そして、仕事とはいえ痛い目に遭っている私も味方だと思ったのか、被害者ヅラで話しかけてきたかと思うと、依頼者の人柄や家の中の様子を探るように下世話な話をズラズラとしはじめた。

身勝手な生活スタイルで、近隣に迷惑をかけていた依頼者は悪い。
のけ者にされるにも、それなりの理由があったと思う。
しかし、“無勢に多勢”で寄ってたかって悪口雑言を吐くのもいかがなものか。
そこにいたのは、もはや、悪臭の被害者ではなく、ただの野次馬。
言いたいことはわかるけど、それは、決して耳触りのいいものではなく、“どっちもどっちだな”と思わせるものだった。


そもそも、人間という生き物は、自分より弱い者を探す(つくる)のが好き。
そして、それをいじめることが好きな動物。
自分が卑怯者になっていることにも気づかず、まるで、“我こそ正義”のごとく。
また、食い物を口に入れるだけでなく、自慢話と悪口を口から吐くことも大好きな動物。
聞く人の耳を汚すだけでなく、自分の口が汚れることにも気づかず。

例えば、有名人のスキャンダルに惹かれるのも、ある種の人間悪。
アカの他人の不倫や浮気なんか、どうでもいい話。
しかし、TVワイドショーは、政治経済や社会情勢のニュースはそっちのけで、重大ニュースのごとく大々的かつ詳細に報道する。
しかも、多くの時間を費やし、同じ内容を何度も何度も繰り返し。
そして、何故か、まったく害を被っていない人間達が、寄ってたかって当人を吊し上げる。
画面の向こう側にいる不特定多数に謝罪させられている姿を見かけることもあるが、それが「有名人の宿命」だとしても、当人からしたら、こんな理不尽な話はないだろう。

私を含め、多くの人は、自分を“常識人”だと思っている。
で、それに合わない人や意に沿わない人を「非常識!」と非難する。
SNS内で頻発している匿名での誹謗中傷が典型的だけど、自分は安全なところに避難したうえで特定の誰かを非難する。
曲げて解釈した「言論の自由」の傘に隠れ、表に顔を出さないままで。
残念で情けないことではあるが、この私も その類の人間の一人かもしれない。
SNSは一切やらないし、匿名での投稿もしない私だけど、本質的には“同じ穴のムジナ”かもしれない。

多分、気のせいではないだろう・・・
コロナ禍になって、誰かが誰かを非難する声を多く耳にするようになったような気がする。
そして、自分が誰かを非難する気持ちも大きくなったような気がする。
ただ、それでいいのかどうか考えなおすとき、明るい未来の扉が開くような気がするのである。


-1989年設立―
日本初の特殊清掃専門会社

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