特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

ダメ男

2024-11-03 06:17:41 | 特殊清掃 消臭消毒
どんな仕事にも共通することだろうが、私は仕事を通じて色んな人と出会う。
そして、出会う人(正確に言うと死人)の一人一人にドラマがある。

言うまでもなく、腐乱した本人は独居者であることがほとんど。
独り暮しをしていた理由も色々ある。
連れ合いと死別・離婚、生涯独身etc

ある腐乱現場。
狭い路地を入った古いマンションの一室。
電話をしてきたのは年配の男性だった。
そして、現場に現れたのは初老の男女だった。
てっきり夫婦だと思ったが、そんなことは私には関係ないので、あえて尋ねたりもしなかった。

汚染現場はトイレから脱衣場へまたがった入り組んだスペース。
床はビニールクロス。
半分乾きかけたチョコレート色の腐敗液の回りに、透明の脂が広がっていた。
そして、腐敗液に混ざった頭髪にウジが這い回っていた。
ウジって、身体を波うたせながら前に進む生き物。
よ~く見ると不気味(よ~く見なくても不気味か)。
今にもハエに羽化しそうに肥え太ったウジは、白い身体の中に黒ずんだ内蔵が透けて見えた。

更に、警察が遺体を回収する際に残していったであろう汚れが、トイレ・脱衣場の壁と玄関につながる廊下に付着していた。
そんな状況でも、私にとっては軽いものだった。

「どうしても気持ち悪い」「申し訳ない」と、二人とも汚染部分を見ることを拒んだ。
しかし、作業後のトラブルを防ぐために作業前の現場を見ておいてもらうことは、私にとって重要なこと。
でも、モノがモノだけに無理強いはできない。
仕方ないので、紙に現場の見取図を書き、イラストと口答で汚染の状況を伝えた。
男性は、それだけでも気持ちが悪そうにして、口と鼻からハンカチを離さなかった。
その場に女性も居たが、ほとんど黙ったままだった。

そんな状況で見積を済ませ、男性の強い要望でそのまま清掃作業に入った。
最初の電話でも作業の可能性を示唆されており、作業用の装備は整えていたので、問題はなかった。
やはり、完全にきれいにするには、床壁クロス・床板・壁の一部を交換しなければならなかったが、今回はとりあえずの清掃・消臭だけを先にやっておくことになった。

二人には清掃作業が終わるまで、できるだけ腐乱臭の少ない風通しがいい部屋で待ってもらった。
作業時間もそんなに長くかかりそうでもなく、見えない部分の汚染を残していくため、外出したそうにしていた二人に、頼んで現場に居てもらった。

私にとっては軽い汚染、手際よく作業を進めた。
硬くなった腐敗チョコは工具で削りながら、専用洗剤を使ってひたすら汚物を拭き取った。
予想外に腐敗脂が広範囲に広がっていたことと(薄く広がった脂は透明で、目で確認しにくい)、ウジ・頭髪が若干の障害になったものの、想定外のトラブルもなく作業は終盤に入った。

腐敗汚物はなくなったので、二人にも現場を確認してもらった。
やはり二人は、現場を見るのが怖いようだった。
私に促されてトイレ・脱衣場を恐る恐る覗き込んだ。

ほとんどきれいになった現場を見て、「ありがとうございます」と言ってくれた。
そして、「本当は、私達がやるべきだと思ったのですが、どうしてもできなくて・・・」と誰かに詫びるように言い、続いて故人について話を始めた。
私は、仕上げの拭掃除をしながらその話を聞いた。

依頼者の二人は夫婦ではなく、故人の兄姉だった。
故人(女性)は60代前半。端から見ると惨々な人生だったらしい。

戸籍上は独身だった女性だったが、実際はある男と一緒だった。
男性に言わせると、その男はかなりのダメ男だったらしい。
定職・定収がなく、酒・ギャンブルが好きだった。
男がつくった借金を故人が返済するような生活。
時には、故人に暴力を振るうこともあった。
挙げ句の果てに、他に女をつくって出て行ったことも一度や二度じゃない。
それでも、謝って戻って来る男を故人は許していた。
男は、「大きな夢がある」「並の人生じゃつまらない」「いつかは成功してみせる」等と、口では大きな事を言っていた。
男性は妹に、「そんな男とは早く別れろ!」と、何度も説得を試みたとのこと。
しかし故人は、「そうよねぇ」と同意しながらも、結局その男と別れることができなかったらしい。

私は、男に対する憤りと故人を不憫に思う気持ちがでてきた。
私は、思わず作業を手を止めて男性との会話に入り込んでいった。
いつの間にか、私達二人は男に対する批判を熱く語っていた。

ひとしきり男の悪口を言ったところで、女性が口を挟んできた。

「女心は、男には分からないもの」
「○○(故人の名前)は、それでも幸せだったのよ」
女性は更に続けた。
「自分をマトモだと思っている男ほど、実はダメ男だったりするのよねぇ」

女性に一本とられた。
「確かに、女性の言う通りだ」と思った。
私は黙るしかなく、返す言葉が見つからなかった。
ダメ男は自分だった。

どんな人物であれ、男は故人にとってかけがえのない人だったのだろう。
それは、当人達にしか分からなかったこと。

興味はあったけど、それから男がどうなったかは聞かなかった。
ただ、小さな仏壇にあった遺影と位牌が、それを思わせた。

世間の評価ばかり気にして、肝心の人からの評価は気にも留めない・・・
不特定多数の人から受ける評価を気にして、社会や会社から大事にされたいと思いながら空回りしている人は多のではないだろうか。

しかし、広い社会に、本当に自分のことを大事に思ってくれる人はどれだけいるだろうか。
本当に大切にするべきもの(人)は、もっと身近にある(いる)のではないだろうか。

身近な所に目を向けて生きることの大切さを教わった現場だった。


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2006-09-15 12:56:14
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血の海と家族

2024-05-13 06:36:07 | 特殊清掃 消臭消毒
マンションの一室、和室で中年女性が手首を切って自殺した。同居の夫や子供達がいる家だった。依頼者は故人の夫。

私が現場に着いた時はもう遺体はなく、血が4畳分くらいに広がっていた。よく「血の海」と言うが、まさにそんな感じ。部屋中に血生臭い匂いが充満していたし、視覚的にもかなりインパクトのある光景だった。特殊清掃をやっていても、血の海状態の現場は少ない。

「人間の身体って、こんなに血が入ってんだぁ・・・」と妙に感心するくらいだった。

とりあえず、作業料金の見積書を書いて御主人と話した。夫は予想外に平静で、子供達も普通に家の中を往来していた。とても妻・母が自殺したような動揺は家族には見えなかった。なんとも言えない妙な感じだった。
それどころか、夫は作業費用の見積りに対して、細かい質問を連発して値切ってきた。

私は、ビジネスライクな感覚は持ちつつも(仕事だから当然)人の不幸につけ込むような見積りはしないし、料金についての駆け引きもほとんどしないので、仕方なくわずかな値引きには応じたが、それでは満足できない夫は更に値引きを要求してきた。

雰囲気的には、リフォームや引越しの際の料金交渉をやっているようなノリで、違和感を覚えた。妻が自殺したばかりの和室は血の海になったままだというのに、そう高くもないお金のことばかりに気にしている夫って一体・・・。

私自身が苛立ちはじめ、

「値引きはできない」

「当社に発注しなくてもいい」旨を伝えた。


すると、ようやく夫も折れて、渋々注文書にサイン。
血液は畳や床板に染み込んで凝固する前に拭き取った方がいいので、イレギュラーだったが、血の拭き取り作業だけはその場で急いで取り掛かった。全部の血を拭き取るのに、相当量の吸水紙を使った。そして、翌日、畳を撤去。周りの住民に配慮する必要もあり、一枚一枚を不透明のシートに包んで搬出。最後に除菌消臭剤を噴霧して作業を完了した。
別に、礼を言ってもらう必要もないが、夫も子供達も終始無愛想なままで、気分が浮かないままでの仕事となった。こういう仕事だからこそ、元気にやりたかったのに・・・。


自殺したのがどんな奥さんだったのかは知らないが、残された家族が手厚く供養してあげるよう願うしかなかった。


トラックバック 2006/06/12 08:58:05投稿分より

-1989年設立―
特殊清掃専門会社
ヒューマンケア株式会社
0120-74-4949


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困惑

2016-10-03 09:33:02 | 特殊清掃 消臭消毒
考えなければならないことが色々あり、気分散漫の状態が続いてブログが書けないでいるうちに、もう十月。
「早いもので、九月も もう半ば」と始めた前回記事を見ると時の速さを痛感するが、とにもかくにも季節は秋本番に入りつつある。
にも関わらず、現実は梅雨のような日々で少々困惑気味。
困惑しているのは人間ばかりではなく、私のウォーキングコース沿いにある家の生垣には、鮮やかな青紫の紫陽花が二輪咲いている。
季節はずれの曇天下にポツンと咲く様が、孤高の誉を映していると同時にどことなく寂しげでもあり、どこかの中年男に似て愛らしく思える。


・・・なんて、呑気なことばかりは言っていられない。
秋の味覚に悪影響があるからだ。
特に、農産物。
小売価格が上がるのは容易に想像できる。
ただでさえ消費税8%に日々の生活を圧迫されているのに、その上、値段が高くなるのは庶民には辛い。
もちろん、誰が悪いわけでもないのだけど、本当に困ってしまう。

最近、困ったことが他にもあった。
一週間前の午後、私のボロスマホがとうとう壊れてしまった。
四年半使ったのだが、不具合はしばらく前からありダマシダマシ使っていたのだが、寿命がきてしまった。
最終的には、画面が真っ暗に。
電源は入るし、着信音は鳴るから作動はしているようなのだが、とにかく画面が真っ暗。
画面上の操作がまるでできなくなり、まったく使いものにならなくなってしまった。

こうなると、お手上げ。
仕事に支障をきたすのだが、その日は時間がなくてショップに行けず。
翌日の午後に何とか時間をつくってショップへ。
今更、旧機を修理しても無駄が多いので、機種変更をすることに。
ショップは混雑しており、予約なしで行ったため、入店から退店するまで要した時間は約三時間。
ただ、早急に何とかしないといけなかったので辛抱して待ち、新しいスマホを手に入れた。

只今、新機の使い方に困っているところだけど、もっと困ったことになったのは電話帳。
メモリーチップには、前のガラケー時代のデータ、つまり、四年半前迄のデータしか保存されておらず。
本体以外、クラウドに保存するなんてことも一切していなかったため(そもそも、そんなもの知らなかった)、こうなってしまった。
つまり、ここ四年半の間で新規登録した氏名・電話番号・メルアドはすべてなくなってしまったわけ。
旧機を修理してデータを取り出せばいいらしいのだが、それなりの費用と時間がかかるため、それはしないことに。
結局、“知っている人からかかってくる知らない番号”を、コツコツ登録していくしかないのである。

困りごとは、まだある。
このところ、不眠症が重症化しているのだ。
夜中に何度も目が醒めるのは長年のことだから諦めているけど、寝ボケ気味の覚醒ではなくハッキリとした覚醒で、しかも色々と考え事をしてしまうため眠れなくなる。
そして、寝付けないまま朝を迎え、悶々としているのは時間がもったいないので、早朝から起きだして仕事にでるのである。

もちろん、その反動はある。
昼間、眠くなることが増えている。
もちろん、眠らないように我慢はする。
それでも、瞬間的に気絶しそうになることがある。
恐いのは、車の運転中。
これは、事故につながりかねない。
仮に事故を起こしたりすれば、自分だけの問題ではなくなり、他人に大きな迷惑をかけることになってしまう。
場合によっては、取り返しのつかない事態を引き起こしたりして、人生を狂わせる(もともと狂ってる?)。
だから、コーヒーやガムは車に常備している。
また、足をつねったり大声を出したりと、ありとあらゆる手で使って睡魔と戦う。
常日頃から心がけているけど、やはり、車をとめて仮眠をとるくらいの気持ちと時間の余裕が必要だ。

あとは、一昨日から左股関節の具合が悪い。
特に何をしたわけでもないのに、その日の早朝から急に痛くなりだしたのだ。
スクワットをしたり四股を踏んだりすればいいらしいから少しやってみてはいるけど、劇的な変化はない。
ゆっくり歩くだけでも痛みがでて、このままでは仕事にも私生活にも障害になる。
五月下旬に痛めたときは、ウォーキングをやめてできるかぎり安静にしていたら痛みは治まったので、今しばらく様子をみようと思うけど、とにかく困ったものである。
ま、スマホみたいに身種変更できないところにも人間の味があるわけで、身体の老朽化は甘んじて受け入れるしかない。



「できるだけ早く来てほしい!」
不動産管理会社から、急な依頼が入った。

自社所有の1Rマンションで住人が死亡。
そのまま相応の時間が経過し、遺体は腐敗。
「外部に異臭が漏れ出し、他の住人が騒ぎ始めたため、早急に処置をしてほしい」
という依頼で、私は、当日の作業を早々に切り上げ、その現場に走った。

現場には、管理会社の担当者が来た。
私より一回りくらい若そうな彼と私は、マンション1Fで合流。
名刺を交換しながら、定型の挨拶を交わした。

「もぉ・・・まいっちゃいましたよぉ・・・」
挨拶を交わした後の彼は、第一声でそう嘆いた。
ただ、彼が“まいった”原因は、私が思っていたものではなかった。
彼は、会社から“お前が行ってこい”と指示されたよう。
そして、“なんで俺が?”と疑問が残る中、上司の命令には逆らえず、渋々、現場にやってきたのだった。
彼は、自社物件で腐乱死体が発生したことを嘆いたのではなく、自分がその処理を担当することになってしまったことを嘆いたのだ。
それはそれで正直な気持ちなのだろうけど、本来、サラリーマンは組織人として仕事をするもの。
しかし、彼にその弁え(わきまえ)はなさそうで、個人的な愚痴を初対面の私に吐露。
私は、そこのところに、親しみを含め、ちょっとした感覚のズレを覚えた。

そんな具合で、彼にあまり緊迫した様子はなし。
“管理会社の一社員”という気軽な立場のせいか、もともとの彼のスタンスか、事の経緯を他人事のように説明。
遺体発見時、自分の所属部署が騒動になったことを、身振り手振りも大袈裟に、時には笑いを交えながら話した。
そして、人が一人亡くなって、しかも近隣から苦情がきているにも関わらず、
「死んじゃったもんは仕方ないっすよ」
と、あっけらかん。
私は、大らかなのか無神経なのかよくわからないキャラが妙におかしくて、苦笑いを浮かべた。

玄関前周辺には確かに異臭が漏洩していた。
それを鼻に感じた彼は、
「うわぁ~・・・クセーッ! こんなニオイがするもんなんですか!?」
と、ウケでも狙っているかのように、オーバーリアクション。
そして、
「うえ・・・気持ち悪くなってきたぁ・・・ゲホゲホ・・・」
と、周囲に聞えることなんかまったく気にせず、笑いながら咳き込んだ。

そうして、場もわきまえず、しばし談笑して後、
「でも、心配しないで下さい・・・警察は、“中はそんなに酷くない”って言ってましたから・・・」
と、彼は、顔を真に変え、目を泳がせながら中の様子を教えてくれた。
ただ、ウソをつくのは下手なよう。
私が恐怖感を抱かないように気を使ってくれたようだったが、私だって素人ではない。
ニオイを嗅げば、室内がライト級でないことくらいはわかる。
そして、そんなことは、室内を見ればすぐに明らかになる。
だから、「本当ですか?」なんて野暮な質問はせず、「だといいですけどね・・・」と、彼の心遣いをありがたくもらっておいた。

困ったのは、その後、遺族も合流したときのこと。
彼のキャラは相手や空気では変わらず。
「こんなニオイ初めてでしょ!?」
「うわ・・・また気持ち悪くなってきた・・・ゲホゲホ・・・」
と、遺族に対しても変わらないノリ。
“困った人だなぁ・・・遺族がいてもこのノリとは・・・”
と、私は、内心で苦笑いしながら、
“気を悪くしてるんじゃないか?”
と、そっと遺族の顔色をうかがった。

遺族は、故人が孤独死腐乱したことについて、またそれが原因で周囲に迷惑をかけてしまっていることについて、酷く咎められることを覚悟してきたよう。
平身低頭で表情を強ばらせていた。
しかし、彼は、起こった出来事を
「死んじゃったもんは仕方ないっすよ」
と、余計な文句を言うでもなく たった一言で片付けた。
そして、今後の処理方を詳しく説明。
話の内容は、ほとんど私からの請け売りだったが、その姿は建設的というか、とても前向きなものに見え、清々しくホッとさせられるものがあった。
一方の遺族は、少し拍子抜けしたような様子。
固かった表情も和らいでいき、穏やかな表情に変わっていった。


「本当の自分」という言葉をよく耳にする。
「本当の自分を探す」とか「本当の自分を取り戻す」とかいった具合に。
しかし、本当の自分って一人だろうか・・・
私は、そうは思わない。
本当の自分は、本音と建前、礼儀と無礼、善と悪の狭間と困惑の中に何人もいる・・・何人も。
そして、本意だろうが不本意だろうが、TPOに合わせて、そいつ等を着分けるのが今の世の当り前の生き方である。

担当者の彼は、良く言えば「正直者」、悪く言えば「無礼者」。
“空気を読む”ということを知らないのかどうか・・・ただ、悪気がないことは伝わってきた。
どちらにしろ、憎めないタイプの人物だった。

「いい人なんだろうけど、出世はしなそうだな・・・」
私は、死場にいながらもストレートなセリフを吐いたり笑ったりする彼を見ながらそう思った。
そして、そんな彼に困惑しつつも、偏った幸福観しか持ち合わせていないが故に、彼の屈託のない子供のような笑顔を羨ましく思ったのだった。


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酒肴

2016-09-14 09:14:56 | 特殊清掃 消臭消毒
早いもので、九月も もう半ば。
朝晩は涼が感じられるようになってきた。
過去形にして油断するのは少し早いかもしれないけど、夏の酷暑は過ぎ去った。

幸い、今年は熱中症にはならなかった。
そうならないよう気をつけたのはもちろん、例年に比べて暑さが少し楽だったから。
そうは言っても、「暑くなかった」というわけではない。
多くはなかったけど、強烈な暑さに襲われてしんどい思いをしたことは何度かあった。

特にキツいのが、前回書いたようなサウナ部屋での作業。
そして、炎天下、階上から階段を使って荷物(不用家財等)を搬出する作業。
階段の上り下りは、かなり身体に堪える。
上るときは手ブラなのに、やたらと足(身体)が重い。
体重を増やしていないから少しはマシだと思うけど、汗が滝のように流れるのはもちろん、腕を見ると、汗が皮膚から噴き出しているように見えることもしばしば。
心臓はバクバクと鼓動するし、身体も、その核でマグマが燃えているように熱を帯びる。
酷いときは呼吸が苦しくなり危険な状態に陥る。
ここまでくると危険。
どんなに忙しくても、作業を中断して小休止しないと、とんでもないことになる。

そんな状態では、とにかく、日陰に入って水分補給。
そして、乱れた心動と呼吸を、ゆっくり整える。
あまり長く休むと気持が萎えてくるのだが、それが整わないうちに作業を再開しても、またすぐに休むハメになり、結局、作業効率が落ちる。
そうなると元も子もないので、ある程度、呼吸が整うまで待ってから作業を再開。
「ツラいなぁ・・・キツいなぁ・・・苦しいなぁ・・・」
そうボヤキつつも、
「何のため?・・・自分のため!生きるため!」
と、自分を励ましながら、再び熱暑の中に身を投じるのである。

それでも、過酷な労働は永久ではない。
一仕事終えれば休息が待っている。
特に、肉体労働に汗した日には、どうしても晩酌がしたくなる。
日常に楽しみが少ない私にとって、晩酌は大きな楽しみ。
「今日は飲んでいい日」だと思うと、朝から少し気分が明るくなり、昼間の仕事にも精がでる。
ただ、決めた数の休肝日を守るのは自分と約束したこと。
その敗北感・劣等感を思うと、到底、約束を破る気にはなれない。

現在、週休肝二日を越えて週休肝三日を堅持している私は、仕事のスケジュールに合わせて日程を調整している。
「明日はキツい作業だから晩酌したくなるはず」
「だから、今日は我慢して休肝日にしとこう」
と言った具合に。
でも、飲みたい日に我慢するのは楽じゃない。
だから、「飲まない」と決めた日は、多目の夕飯を早々と食べたり、喉がどうしても欲しがるときはノンアルコールビールを飲んだりしてしのいでいる。

現在、私は、ウイスキー党。
糖分と懐具合を気にして、大好物の にごり酒も、近年は手を出していない。
また、もともとはロックで飲むのが好きだったのだけど、身体と懐具合を考慮して、近年はハイボールで楽しんでいる。
銘柄は、スコッチか国産が好みだけど、もちろん、高級酒には手が出ない。
一本700mlで数百円の庶民的なヤツ。
更に、コストパフォーマンスをよくするために、二週間ほど前に、これの4ℓの大ボトルを買った。
それでも、味は悪くなく、充分に美味しい。
“安い=美味くない”なんてことはまったくない。
また、ウイスキーは肴を選ばない。
個人的には、唐揚や刺身を好んでしまうが、野菜や乾物・菓子だって上等のツマミになる。
味や香はもちろん、色味も気に入っているけど、この、肴を選ばないところも大いに気に入っている。

・・・なんて、読み手にはつまらない(?)ウイスキー談義はこれくらいにしておこう。


出向いた現場は郊外の一戸建。
築年数は古いものの、部屋数は多くしっかりした造り。
新築当時は、結構な高級感をもっていたであろうことは、家の雰囲気から伝わってきた。

家には、かつて老夫婦が住んでいたのだが、夫は90を越えて他界。
80代の妻も、介護が必要な状態になり、老人施設に入所。
結局、この家には住む人がなくなり、また、子供達もそれぞれに家族を持って自前の居を構えていたため、将来に渡っても住む人はおらず。
結局、売却処分することになり、長男が担って家財生活用品を片付けることになったのだった。

リビングには、暖炉を模した立派なカウンターがあった。
そして、その上には色々な調度品が並んでいた。
中でも目を惹いたのは、大きなウイスキーボトル。
そのウイスキーは“SUNTORY OLD(特級)”の4ℓ大瓶。

私が、マジマジとそれを眺めているのに気づいた依頼者の男性は、
「これ・・・だいぶ前にオヤジが買ってきたんだよね・・・」
「いつだったっけな・・・え~っと・・・38年!38年前だ!」
と、その瓶を見つめながら、懐かしそうにそう言った。
そして、亡き父親から聞いた話を、懐かしそうに私に聞かせてくれた。

男性が生まれるずっと前、戦争末期の昭和19年、独身だった父親に赤紙(召集令状)が届いた。
戦局は悪化の一途をたどり、敗戦の色が濃くなってきた時期で、本人も家族も、生きて帰れないことを覚悟する必要があった。
しかし、命じられた任務は本土防衛。
激戦の外地に送られなかったことが、結果的に、落としかけた命をつなぎとめた。
そうして、そのまま終戦を迎え、父親は復員することができた。
当時は皆がそうだったように、戦後、父親は、仕事を選ばずガムシャラに働き、結婚し、家族を持ち、この家を建てた。
そして、やっと上向きになった暮らしの中で、父親は、日本酒党なのに、このウイスキーを買ってきたのだった。

その昔、税制が変わる前は、ウイスキーは高かった。
“OLD”は、今では高級酒の部類ではないが、「特級」と書いてあるくらいだから、当時は高級品だったのかもしれない。
しかも、4ℓの大瓶となると、結構な金額だったはず。
男性の父親は、はなから飲むためではなく、飾っておくために買ってきたのだろう。
豊かで平和な暮しを手に入れたことの証として、また、“国産の洋酒”という点に 貧しいながらも夢と希望に満ちていた時代を重ねて。
それを想うと、乾いた時代に生きる他人の私でも感慨深いものを感じた。

ウイスキーは、アルコール度数が高いため「腐らない」とされている。
だから、賞味期限は設定されていないし、現に、どのウイスキーをみても、ラベルにも賞味期限や消費期限らしき印字はない。
実際に私も何年も前のウイスキーを飲んだことが何度かあるけど、味も体調も何の問題もなかった。
それを知っていた私は、
「これ、未開封ですから、まだ充分に飲めますよ」
と、言いながら、滅多にお目にかかれない珍品でも見るようにボトルに顔を近づけた。
すると、男性は、
「よかったら、どうぞ・・・持って帰って」
「これも何かの縁でしょう・・・美味しく飲んでくれる人に飲んでもらったほうがいいから・・・」
と言う。
自身でもウイスキーは飲むそうなのだが、どうも、そのウイスキーを自分で飲む気にはなれない様子。
その想い出があまりにも懐かしく、自分の中で重すぎて、飲むと涙酒になってしまいそうに思えたのかもしれなかった。

しかし、それは、38年もの間、リビングのカウンターに置かれて、家族の歴史を見てきた品・・・家族の想い出を象徴する品。
そんな宝物のようなモノを、アカの他人の私がもらうなんて恐縮しきり。
だから、私は丁重に断った。
が、それでも、男性は「遠慮なくどうぞ!」と強くすすめてくれ、固辞し続けるのも失礼かと思い、結局、私は、そのウイスキーをもらうことに。
仕事終わりに何度も礼を言って、赤子を抱くように“ダルマ”を抱え、持ち帰ったのだった。

瓶は、ホコリを被って汚れ、長く放置されていたせいでガラス面にツヤもなくなっていた。
そのままでは見た目も悪いし不衛生なため、私は、濡タオルを持ってきて拭いてみた。
すると、色褪せたラベルがボロボロと剥離。
それが垢のように汚くみえるものだから、更に擦り続けたら、ラベルはどんどん剥がれていき、文字のほとんどが見えなくなってしまった。
その様は、人生の儚さを象徴しているようにも見えて、少し物悲しいような切ないような気分にさせられた。
ただ、それも、過ぎた時間と事物の有限性が成したこと。
人間の領域を超えたところにある、人の手ではどうすることもできない真理。
しかし、外見は損じても中身は充分にイケるはず。
くたびれた外見を持つこの中年男も、「中身はまだイケるかな?」と酒味と人間味を重ねて、美味を期待したのだった。


私にとって、晩酌の時間は格別のひと時。
好きな酒が好きなように飲めるわけで、飲んでいるときは、それなりに楽しい。
そして、口に入れる肴だけではなく、心に湧く想い出を肴に酒を飲むのも、なかなか乙なもの。
甘味や旨味だけではなく、苦味もあれば妙味もあるけど、それらも私にとっては いい肴になる。
過酷な仕事や凄惨な光景を思い出しながらでも美酒が飲める私は変態なのかもしれないけど、それが自分を支える糧になっていることに間違いはないから。

ホロ酔の心には、色々な想い出が湧いてくる。
楽しかった想い出、嬉しかった想い出、苦しかった想い出、辛かった想い出、悲しかった想い出・・・
あんなこともあった こんなこともあった あんな人もいた こんな人もいた と想い出を掘り返しては、微笑んだり しんみりしたり・・・
先日なんて、チビ犬が死んだときのことを想い出して、ポロポロと涙酒になってしまった。

それでも、人生は短い・・
人生なんてアッという間・・・
自分が生まれる前の時間、死んだ後の時間、人類が生まれる前の時間、人類が滅びた後の時間、地球の歳、太陽の寿命、宇宙の始まりと終わり・・・
それらと比べると、自分が生きている時間なんて無に等しい。
だから、生まれてきたことに、生きていることに、生きることに意味がないというのではない。
逆に、だからこそ意味がある。
苦悩を流せる感性が芽吹き、幸福を尊ぶ志向が実り、短い人生にある一瞬一瞬が輝くのである。

今日は休肝日にしようか、どうしようか迷っている。
ハードな肉体労働は予定していないから休肝日にすべきところだけど、こんな記事で更新したら飲みたくなるに決まっている。
ま、どちらにしろ、飲んでるときぐらいは、美味い肴に舌鼓を打って、昨日の悔いも今日の不満も明日の不安も忘れたいものである。
そのたくましさが、また次の酒肴の味と己の心力を高めるのだから。



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クスクス

2016-08-29 08:05:44 | 特殊清掃 消臭消毒
晩夏、九月ももう目前。
台風頻発のせいか、朝晩は、明らかな秋の気配が感じられるようになっている。
もちろん、このまま秋へ一直線というわけにはいかず、この先 厳しい残暑に見舞われることもあるのだろうけど、とにもかくにも今年の夏も一段落ついた。

しかし、今年の夏は、例年に比べると暑さが楽だったように思う、
梅雨明けも遅かったし、その後も雨天・曇天が多く、猛暑日が長く続くこともなかった。
不安定な空模様で、空は晴れているのに、いきなりドシャ降りの雨が降ったり、何の前ぶれもなく雷鳴が響いたりしたことも多かった。
もちろん、酷暑にヒーヒー言わされたことはあったけど、それも散発。
例年だと、毎晩のようにクーラーをつけないと寝付けなかったように思うけど、今年は、扇風機だけでしのげた夜が何度もあった。

私は、車に乗っているときは、基本的にエアコン(冷房)は使わないのだが、耐え難い猛暑で走ったのはほんの数日だったように思う。
暑かったことは暑かったけど、あとは、少しの辛抱で乗りきれた。

ちなみに、その様を見た部外者から、
「エアコン使わないんですか?」
と訊かれたことがある。
暑いのにエアコンを使わないでいることが、変に見えるのだろう。
訊かれた私は、
「気持ちが萎えて、かえってキツい思いをしますから・・・」
と応えた。

涼を与え過ぎると、暑を避けようとする自分、暑から逃げようとする自分がでてくる。
すると、現場に入ることを億劫がる自分が生まれ、“効率”を名目に仕事の手を抜こうとする怠惰な(本来の)自分が生まれる。
そうして、堕落の一途をたどってしまう。
ストイックになりすぎるのもよくないけど、自分を甘やかして困るのは他でもなく自分。
ある程度の忍耐、自制をきかせるのは、結局、自分のためなのである。

もちろん、それは、自分一人で乗っている場合にかぎる。
誰かと乗っているときは、そんなことはしない。
「エアコンなしでいい?」
なんて、意味不明なことも言わない。
真夏にエアコンもつけないで車を走らせるなんて、同乗者にとっては極めて迷惑な話だし、常識的に考えて無理があるから。
だから、黙って自分も涼に身を置き、しばし自分を甘やかす。

自分を甘やかさない方法としては、先方切って現場に走ることも挙げられる。
また、できる限り、作業を一人でやりきることも。
何度も書いてきた通り、私の場合、特殊清掃作業は一人でやることがほとんど。
複数人でやるのは、広範囲に渡る血痕清掃や何十匹の動物死骸処理、大型家財・大量家財の処分くらい。
「一人でやるんですか!?」
と驚かれることも多いけど、人が一人亡くなったくらいの痕清掃は、ほとんどの場合 大の大人二人分の作業量はない。
ただ、人は、肉体作業の観点から驚くのではなく、メンタルな部分で驚くのだと思う。
「恐くないのか?」「一人で心細くないのか?」と。
凄惨な現場に対して、「恐い」「不気味」「気持ち悪い」等と思い、嫌悪するのだと思う。
私だって、一応(?)ただの人間だから、少なからずの嫌悪感や恐怖感は覚える。

それでも、私は、一人のほうが楽。
肉体的に少々キツい思いをしても、誰に気を使う必要もなく、自分のペース・自分のやり方で好きなようにできる。
誰かと組んだ場合、その者がやる気満々の動きをみせないとストレスがかかるし、楽しようとする姿勢が見えたりすると怒りさえ覚えてくるから。
結局、一人の方が、余計なストレスがかからず、仕事に集中できるのだ。


酷暑のある日、例によって、私は特掃の現場へ一人で出向いた。
現場は、マンションの上階一室。
その部屋の住人が孤独死し、一ヶ月近い時間の中で腐乱。
部屋には、おびただしい量の腐敗汚物が残留し、おびただしい数のウジ・ハエが発生。
同時に、“鼻を突く”どころの話ではないハイレベルな悪臭が腹をえぐってきた。

エアコンを使わない主義であっても、それは車の場合。
車は窓を全開にできる。
温風(ときに熱風)ながら、風が吹けば空気が通るし、走れば風が吹き込んでくる。
しかし、汚部屋の場合、窓は開けられない。
外への悪臭の漏洩やハエの飛散を防ぐために。
だから、風が吹き込むこともなければ、空気が流れることもない。
いわば、蒸風呂・サウナ状態。
さすがに、これでの作業は辛く、ときに危険。
ましてや、部屋には一人きり。
熱中症で倒れても、電話でもしないかぎり、すぐには気づかれない。
意識を失いでもしたら、自分が死体になってしまう。

したがって、許可があれば、エアコンを使わせてもらう。
ここでも、依頼者は、
「どうせ、エアコンは新品に交換しないとダメでしょうから、遠慮なく使って下さい」
と、猛暑の中、部屋に入る私に気を使ってくれた。

「エアコンが使えるなら、終わるまで中にいられるな・・・」
私は、そう思いながら作業をシミュレーション。
作業途中に部屋から出ないで済むよう、必要になりそうな備品・道具に漏れがないか頭の中で念入りに確認した。
そして、それら一式と多目の飲料を持って部屋に入った。

「うわッ!暑ッ!・・・とりあえずエアコンをつけるか・・・」
蒸し上げられた部屋の熱気に包まれた私は、腐敗痕を横目に、まずはエアコンのリモコンを探した。
しかし、それらしきモノはどこにも見当たらず。
故人も、普段からエアコンは使っていたはずなのに、目についたのはTVやDVDのリモコンだけ。
肝心のエアコンのリモコンはどこにも見えず。
私は、目の錯覚を疑いながら部屋のテーブル・ソファーから床一面を凝視し、リモコンを探した。

そうして、しばらく探し回ったが、結局、見つけることはできず。
本体に作動スイッチを探したが、それもなし。
時間ばかりが経過する中、そんなことばかりやっていては仕事にならない。
結局、私は、エアコンを使うことを諦めて、特掃作業にとりかかることに。
噴き出す汗で貼りつく作業服に動きづらさを感じながら、いつもにセオリーに従って作業を開始した。

そこは、ハンパじゃない暑さ。
汗は作業服だけでは吸いきれず、服の端からポタポタと滴り落ちた。
更に、作業を進めていくうちに心臓の鼓動は大きくなり、呼吸もやや困難に。
作業も山場を越え終盤になった頃、危険を感じた私は、一旦、外に出ることに。
作業途中に休憩を入れると気持ちが萎えるし、もう少し頑張れば終わるので、あまりそうしたくはなかったけど、そこは、そんなこと言っていられるほど甘い状況ではなかった。

そんな中、時間を見るため、私は壁にかかった時計を見上げた。
すると、あるモノが視界に。
それは、エアコンのリモコン。
リモコンは、どこかに紛れていたわけでもなく、隠されていたわけでもなく、柱に取り付けられたケースに収まっており、ずっと私の目に見えるところにあったのだ。
ただ、酷な作業を前に緊張していたのか、暑さから逃れようと焦っていたのか、または、引力に従った一種の先入観が働いたのか、私がそれに気づかなかっただけ。
私は、自分のマヌケさに呆れながら、
「こんなところにあったのか・・・」
「また一つ、訓練してもらったな・・・」
と、いらぬ酷暑の中で汗と脂にまみれた醜態をクスッと笑った。

リモコン発見によって、そのまま部屋で休息する手もでてきたが、部屋が不衛生極まりないことには変わりはない。
無臭の空気に触れたかったし冷たい飲み物も欲しかった私は、やはり外で休憩をとることにした。
が、私は、立派なウ○コ男に変身済み。
自分自身が腐乱死体になったごとく、凄まじい悪臭を放つわけで、エレベーターに乗ることはもちろん、共用廊下やエントランスを歩くこともままならず。
私は、廊下や階段に人気がないことを確認し、スプレー式の消臭剤を噴射しながら逃げる泥棒のように廊下を走り、非常階段を駆け降りた。


まず必要なのは、水分の補給。
冷えた飲み物を手に入れるには、どこかで買い求めるしかない。
しかし、当然、コンビニ等の店には入れない。
警察に通報こそされないだろうけど、店や他の客から顰蹙を買うことは必至。
となると、自販機で買うしかない。
私は、陽がジリジリと照りつける中にも涼を感じながら、また、きれいな空気で深呼吸をしながら自販機を探して歩いた。

自販機は近所にすぐに見つかった。
私は、周囲に誰もいないことを確認した上で自販機の前に立ち、スポーツドリンクと水を買うため財布から二本分の小銭をとりだして投入した。
すると、運の悪いことに、そこへいきなり自転車に乗った小学3~4年くらいの女の子が二人現れ 近寄ってきた。
そして、私の不安をよそに、自販機の脇に自転車をとめ、私の後ろに並んだ。

すると、私の不安は的中。
二人は、ハモるように、
「ウッ!クサイ!何!?コレ何!?」
と驚嘆の声をあげた。
そう・・・私が放つ、それまでに嗅いだことのない凄まじい悪臭が、二人の鼻を突いたのだ。
そして、その元が私であることはすぐにわかったみたいで、二人は驚愕の表情で、私の身体とお互いの顔に交互に視線をやった。
それは、私が放つ悪臭に驚き、その信じ難い現実が現実であることを確認するための自然の動作だった。

好奇の笑みでもいいから二人がクスッとでも笑ってくれれば 少しは気が楽だったのだが、二人はそんな余裕もない感じで強ばった表情。
その困惑ぶりを目の当たりにした私は、いたたまれない心境に。
そして、慌てて商品ボタンを連打。
飲料を持って さっさと自販機から離れたかったのだが、狭い受取口に二本が詰まり、なかなか取り出せず。
突き刺さる二人の視線が気を焦らせ、それが更に手をモタつかせ、あたふた あたふた。
その動きが、一層、私を異様に映したのだろう、二人は、私から距離を空けたところに退き、珍獣でも見るような目でその様を見ていた。

逃げるように自販機を後にした私は、罪人になったような気分で人気のない日陰を探し、そこに身を隠すように座った。
そして、買ってきた飲料二本を、むさぼるように飲み干した。
そうして、一息つきながら、
「あの子達・・・俺の話で盛り上がっただろうな・・・」
「家に帰って、家族にもハイテンションで話すかもな・・・」
と、私に近づいて目を丸くした女の子達を思い出してクスッと笑った。
一時だけでも、子供達の間で“伝説の悪臭怪人”になるかもしれないことがおかしかった。

惨めな気持ちにはならなかった。
寂しい気分にもならなかった。
ただ、おかしかった。
自分の姿がおかしかったのか、自分の生き様がおかしかったのか、そんな状況でも笑う自分がおかしかったのか、よくわからなかったけど、日々、つまらないことでクヨクヨしてしまうことがバカバカしく思えた ひと時だった。


普段から、私は、自分の境遇や愚弱さを嘆くことが多い。
だけど、凄惨な状況で、悲惨な姿で、辛い作業に従事している中でもクスッと笑える自分が ちょっとたけ頼もしく思える。
そして、そんな自分の人生が、ちょっとだけ喜ばしく思えて、またクスッと笑うのである。


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おもいやり

2016-08-09 08:52:14 | 特殊清掃 消臭消毒
出向いた現場は、“超”をつけてもいいくらいの老朽アパート。
その一室で、高齢の住人が孤独死。
死後、約一週間
夏も盛りを越えていたが残暑厳しく、遺体は重度に腐乱。
外部に異臭が漏れ出し、また、窓に無数のハエがたかり、事が明るみになった。

玄関前に立つと、私の鼻は早々と異臭を関知。
中が相当なことになっていることを想像しながら、私は、鍵を挿入。
ドアを開けると、それまでのものより数ランク上の異臭と熱気が噴出。
中が相当なことになっていることを更に想像しながら、私は、室内に足を踏み入れた。

間取りは2DK。
昔よくあった造りで、玄関を入るとすぐに小さな台所があり、その奥の左右に和室が二部屋。
遺体痕は、左側の和室の布団にあり、クッキリとした黒色の人型を形成。
その周囲には大量のウジが湧いており、それらが次々と無数のハエとなって羽化。
部屋に入ってきた私に反応して、騒々しいくらいの羽音を立てながら縦横無尽に飛び始めた。

部屋にある家財は少なめ。
故人は、几帳面な性格できれい好きだったと思われ、整理整頓・清掃は行き届いていた。
しかし、そこは重度の腐乱死体現場。
その痕は、生前の整理整頓も行き届いた清掃も、すべてを台なしにしていた。

特掃検分を依頼してきたのは、故人の娘。
見たところ私と同年代、または少し若いくらいの女性で、緊張の面持ちながら、キチンとした言葉づかいと落ち着いた物腰。
女性は、故人のアパートの賃貸借契約の保証人にもなっており、仮に道義的なことが除けたとしても、法的には、ある程度の責任を負わなければならない立場にあった。
ただ、女性は、道義的な責任も充分に感じ、相応の責任を負う覚悟も持っており、私に好印象を与えた。
また、部屋を原状回復させるには、それなりの内装改修工事を要することも察しており、かかる費用が大きなものになることも想像できているようだった。

故人が、このアパートに暮らしたのは数年。
数年前までは息子(女性の兄)と同居していたのだが、嫁と折り合いが悪く、その家を出た。
そして、女性宅からさほど遠くなく、しかも家賃が安いということで、このアパートに移り住んだ。

生活の糧は、現役の頃にコツコツ掛けてきた年金。
限られた収入の中での節約生活。
それでも、好きな酒を飲んだり、趣味の釣りに出かけたり、たまに孫に会いに来ては小遣いを渡したりと、分相応の楽しみをもって暮していた。
が、そんな平穏な日々は、何の前ぶれもなく突然に、本人の意を介することなく、ひっそりと終わりを告げたのだった。

「自分達はきれいな家に住んで、父だけこんなところで生活させて・・・」
「しかも、一人で死なせてしまって・・・」
「本当に・・・親不孝ですね・・・」
多額の費用がかかっても、女性は、責任をもって償うつもりだった。
その姿は、“大家に対して償う”というより故人に対して何かを償おうとしているようにも見えた。

しかし、このアパート、だいぶ古びているし、共用部の清掃やメンテナンス等、日常の維持管理業務もキチンと行われていない感じ。
更には、他に空部屋もあるよう。
私は、
「一人の生活のほうが気楽ってこともありますから・・・」
「人が死ぬことも、肉体が腐敗するのもフツーのことで、世間が思うほど特別なことじゃありませんよ・・・」
「勝手に算段しないで、とりあえず、大家さんと相談されたほうがいいと思いますよ」
と沈む女性をフォロー。
そして、
「作業内容にも関わるので、私も大家さんの考えを聞きたいですし・・・」
と、女性の誠実さに勇気をもらったような気がした私は、暗に、大家との折衝に助太刀するつもりがある旨を示した。


一口に「大家」と言っても、色んなタイプの人がいる。
資産家でも強欲で冷たい人もいれば、金持ちじゃなくても大らかで優しい人もいる。
部屋の原状回復責任はもちろん、減額分の家賃を将来に渡って遺族に補償させる大家もいれば、必要最小限の処理で了承する大家もいる。
ただ、どちらにしろ、遺族の立場ではなかなか抗弁しにくいものがある。
特定の誰かが悪いわけではないのだけど、人々の目には、孤独死腐乱は、どうしたって故人(遺族側)に落度があるように見えてしまうから。
また、遺族も、後ろめたさや罪悪感のようなものを抱いてしまうから。

ただ、遺族も、そんな人達ばかりではない。
手間や費用を負担するのがイヤで、一切関知しない遺族もいる。
法的にも道義的にも社会通念上も責任を負わなくて済む立場にあれば、それもゆるされるだろうけど、法的義務や道義的責任があろうが、そんなのお構いなしに放置する人達がいる。
「ない袖は振れない」「裁判でも何でもすきにすればいい」と開き直るならまだしも、極端な場合、貴重品類だけ持ち出して、「あとは知らない」と無視を決め込む人達もいるのだ。

したがって、“大家vs遺族”、バトルになるケースも少なくない。
そして、仕事柄、それに巻き込まれることも少なくない。
互いに利己主義をぶつけ合う、そんな殺伐とした人間関係を目の当たりにすると、何とも寂しいような寒々しさを感じる。
そして、第三者ながら、不快感や憤りを覚えることもある。
ただ、どちらの味方をするかは、その時々の状況と立ち位置で変わる。
この仕事も一応は“客商売”なので、ほとんどの場合、“客”の味方をすることになる。
大家が客の場合は大家の味方、遺族が客の場合は遺族の味方をするわけ。
判断基準は、“正義”ではなく“金”というのが悩ましいところ。
ただ、これが現実、これも現実。
幸いなのは、それが不本意なものになることが少ないこと。
大方の人が“珍業の達人”(?)として一目置いてくれ、私の意見を尊重してくれ、結果的に、正義に大きく反することを強いられるハメにはならないことが多いのである。


その日の夜、私は、大家に電話を入れた。
大家の声から想像できる年齢は私と同年代・・・または少し上くらいの男性。
言葉遣いは礼儀正しく丁寧で、ゆったりした口調。
今回の件について目くじらを立てているような様子はなく、まずは好印象。
とはいえ、それだけで“大家のタイプ”が見極められるわけではない。
私は、最初から核心(汚染状況)には触れず、部屋の概況と原状回復に必要なプロセスを説明。
男性が抱く先入観がマイナス方向に働いてはいけないので、グロテスクな表現は極力避け、ネガティブな場面はソフトに表現し、一通りの説明を終えた。
そして、遺族(女性)は、責任をとる覚悟をもった誠実な人物であることを念押しした上で男性の見解を尋ねた。

このアパートを建てたのは男性の親。
だから、厳密に言うと男性は大家ではなく“大家代理”。
真の大家は、老齢で病床にあり身動きがとれないため、息子である男性が代理で必要業務を担っているとのこと。
また、大家は、他にも何棟かアパートを所有しているそうで、結構な資産家であることを匂わせた。
が、団扇を左で扇げたのは、遠い昔のこと。
今は、どのアパートも老朽化が激しく、空室も少なくなく、更に、建物管理費・修繕費・固定資産税などを差し引くと利益はほとんどなし。
家賃収入が極端に落ち込むようなときや、修繕費が想定外にかさんだときは、トータルの損益がマイナスになることもあるようだった。

そんな状況で、男性は、アパート経営にはかなり消極的。
自分はサラリーマンとして生計を立てているし、人口(賃借人)が減少している時勢において、借金して建て直すのもハイリスクだし、日々における維持管理の負担も重い。
本当のところは、旨味のないアパート経営なんてさっさとやめて身軽になりたいよう。
しかし、もともとは、親が夢を持って始めたアパート経営。
当初は、多額の借金もして苦労したわけで、そんな親が生きているうちにアパート経営をやめることは親の意思にも義理にも反する。
どちらにしろ、親が亡くなったときは、相続税支払いのために売ることになるわけで、それまでは、何とか頑張って現状を維持するつもりでいるようだった。

「父も、もう長くなさそうですし・・・最後の親孝行ですよ」
と、男性は気恥ずかしげに笑った。
そして、
「こんなボロアパート、なおしたところで誰も入らないですよ・・・」
「そもそも、空いている部屋が他にあるわけですし・・・」
「御遺族も、こんなことになって大変な思いをされているでしょうし、家財の処分と近隣に迷惑がかからないくらいの消臭消毒をしてもらえれば、あとはそのまま放ってもらって構いませんから」
と、客観的な判断にもとづいた寛容は考えを示してくれた。

男性が、強欲冷酷なタイプでなく、また、こじれる可能性も充分にあった懸案が予想以上にスムーズに解けて、私はホッとした。
と同時に、そういう人の存在を嬉しくも思った。


男性も女性も、それぞれにそれぞれの親を想っていた。
それは、例え小さくても、人にあたたかいものを抱かせる。
思いやられる側の人だけではなく、思いやる側の人にも。
そして、それは、天の恵雨が地に浸み広がるように、当事者を越えて多くの人々の心に沁み渡っていく。
男性の親を想う気持ちが間接的に女性を助けたように、女性の親を想う気持ちが間接的に男性の寛容さを後押ししたように。
そして、二人の思いやりが、汚仕事に汗する私を励ましたように。

これも、人が人と交わり、人が人と生きることの醍醐味なのだろう・・・
そして、人が人であるための大切な意味なのだろう・・・
常日頃、「一人が気楽」とイキがっている冷淡薄情な私でも、少しはそのことがわかった。
そして、“自分本位の感傷”と知りつつも、上の方から、故人が男性と女性にペコリと頭を下げて笑いかけているように思えて、臭く汚れた顔の右半分に小さな笑みを浮かべたのだった。



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2016-07-27 08:57:02 | 特殊清掃 消臭消毒
今年の梅雨明けはいつになるのか・・・
このままだと「○日に梅雨は明けていた」といった過去形の宣言になるのではないだろうか。

このところ、関東は曇天が多く、過ごしやすい日が続いている。
朝晩は涼しさが感じられ、このまま秋になるんじゃないかと錯覚するくらい。
陽が照らないと困る人もいるのだろうけど、私個人としては、この涼は歓迎できる。
日中はムシムシするけど、カンカン照りに比べたらマシ。かなり。
猛暑に比べたら、身体が随分と楽だからである。

しかし、残念ながら、それも束の間のことだろう。
暑さの本番はすぐにやってくる。
そんな中での現場作業は、ホントにキツい!!
暑い中、多くの人が頑張っているのだから、愚痴ばかり言ってはいられないけど、ホントにツラい!
汗は滝のように流れるし、心臓もバクバクしてくる。
目眩を起こしそうな、危険な状況になることもある。

昨年の今頃も、私は著しく体調を崩した。
夕飯を食べた直後から吐気をもよおし、夜通しそれに苦しんで、何度か嘔吐。
翌日も体調は回復せず、吐気と倦怠感に襲われ続けた。
それでも仕事の約束を違えるのは憚(はばか)られ、身体を引きずるように現場へ。
フラフラの状態で、何度も座り込みながら汚仕事に従事したのを憶えている。

病院に行ってないから、あれが熱中症だったのかどうかわからないけど、油断は大敵。
常日頃から注意が必要。
こまめな水分補給はもちろん、作業を急く気を抑えてチャンと休憩をとる必要もある。
また、食事も三食バランスよくしっかりとり、夜もゆっくり休養することが大切。
酒を飲み過ぎないこともそう。

そうは言っても、この時季は、一段と酒が美味い。
一本目、350mlの缶ビールなんて、1分ともたない。
二息半くらいで飲み干してしまう。
そして、それを皮切りに、ハイボール、缶チューハイと立て続けに喉に流し込んでいく。
自分と約束した週休肝二日(実際は三日)を堅持している分、一晩の酒量が増えてしまっているが、これも庶民のささやかな幸せ。
健康と翌日の仕事に気を配りつつ楽しみたい。

健康管理の術は、減酒だけではなく体重管理もある。
一昨年の秋から冬にかけて、私は、標準体重を目標に数kgダイエット。
それから今日に至るまでリバウンドに気をつけながら、体重を維持している。
結果的に、このダイエットは正解だった。
たった6~7kgの減量だけど、身体が軽いと動いて楽。
特に、現場作業では、その効果が覿面(てきめん)に表れる。
疲れはするけど、テキパキと身軽に動くことができるのである。
体重を増やさないためには“食べたいだけ食べ、飲みたいだけ飲む”なんてことはもちろん、“時間が空けば、とにかくダラダラ・ゴロゴロ”なんてことはできないけど、結局のところ、小さな自制が自分を大きく助けてくれている。

ただ、留意しなければならないこともある。
体重は標準でも体脂肪率が高くてはどうしようもない。
体重だけでなく体脂肪率も適正値にしなければ意味がない。
そう・・・“隠れ肥満”にならないようにしなければならないのだ。
しかし、私は、その辺の意識に欠けていた。
だから、手法は食事制限のみ。
「運動で消費できるカロリーなんて、たかが知れている」と、運動には一切注力せず過ごし、体重減だけで満足していた。

そんな中で、昨年秋からはじめたウォーキング。
運動不足解消や体脂肪率減少が目的で始めたことではなく、第一の目的は、気晴らし・気分転換・日光浴。
冬に向かって欝っぽくなっていく自分がイヤで、できる努力はしようと思い立ったのだ。
結果的に、それが運動不足解消や体脂肪率減少の一助になり、まさに一石三鳥となった。

ただ、このところは、股関節を傷めたこともあり、現場も忙しくなってきたため、毎日のようには歩けなくなっている。
「一日一万歩が理想」とも言われるけど、無意識のうちに、なかなかそこまで歩けるものではない。
そうなると、日常生活や仕事上で動き回って歩を重ねるしかない。
ただ、難なのは、自分の怠け心、だらしなさ。
コイツが、私の邪魔をする。
何事も面倒臭がるコイツをいかに始末するか、これが難題なのである。


「異臭が漏れて近隣から苦情がきている」
「できるだけ急いで来てほしい!」
不動産管理会社から連絡が入った。
他の現場で作業をしていた私は、急務ではなかったそれを途中で切り上げ、依頼の現場へ急行した。

訪れたのは、街中に建つ小規模マンション。
全戸、ワンルームタイプで、学生や独身者向けの建物。
問題の部屋は、その上階。
エレベーターを降りると、すぐに覚えのあるニオイが私の鼻をくぐってきた。
そして、部屋に近づくにつれ、異臭の濃度はどんどんと高くなっていった。

とりあえず、近隣の異臭騒ぎを収めるのが、求められた私の役目。
そのためには、とりあえず、室内の遺体痕を処理するのが先決。
しかし、権利者(相続人・遺族など)の許可なくして立ち入るのはリスキー。
したがって、室内の処理は権利者に確認した上で行うことになり、管理会社は鍵を持ってはいたものの開錠まではせず。
私は、共用廊下に消臭剤と消毒剤を撒いて、ドアの隙間や換気口をテープで塞ぎ、その場を収めた。

数日後、「遺族から立ち入りの許可がもらえた」とのことで、私は再び現場に呼ばれた。
「遺族」というのは、故人と何年も前に別れた元妻と子。
ただ、別れて以降は絶縁状態で、故人との付き合いは一切なかったよう。
だから、よくよく聞くと、遺族は“立ち入りを許可した”のではなく「関知しない」「すきなようにしていい」と放任しただけ。
「知らぬ、存ぜぬ」と、血縁によってふりかかりそうになった火の粉を避けただけだった。

亡くなったのは初老の男性、生活保護受給者。
故人の部屋は、いわゆる“ゴミ部屋”。
「山積み」という程ではなかったものの、床はゴミに覆われほとんど見えておらず。
また、掃除らしい掃除は一切していなかったようで、風呂はカビと水垢だらけ、トイレは糞尿まみれ、台所流台のステンレスも厚みを感じさせるくらいの汚れが付着。
体調を崩していたが故にそうなったのか、部屋には何種類もの薬が散乱。
それでも酒の瓶缶がたくさん転がっており、結構、荒んだ生活をしていたことがうかがえた。

遺体汚染痕は、ベッドの布団に一部、その脇の床に一部残留。
私には、ベッドに座った状態で、そのまま横に倒れたと思われ、布団には上半身の型が浮き出ていた。
ただ、その布団は、まるで雑巾のようで、遺体痕があってもなくても大差ないくらいボロボロ。
また、その下の床もゴミだらけで、腐敗液が広がっていたものの、それがあってもなくても大差ないくらい酷い有様だった。

凄まじく汚らしい光景だったけど、私にとっては驚くほどのものではなし。
私は、とりあえず、腐敗液が浸みた布団をウジごとたたんでビニール袋へ。
そして、それを、ニオイが漏れないよう何重にも固く梱包。
それから、遺体搬出時に警察が放り投げたと思われる掛布団も拾い上げ、汚れていることを確認して同じように梱包した。

次は床。
先に片付けた布団は、汚れてない部分を選んで掴むことができ、手を汚さなくても済んだが、ここはそういうわけにはいかない。
腐敗液は大量のゴミに絡みついており、ゴミごと処理するより術はなし。
私は、腐敗液でヌルヌルになったゴミを掴んでゴミ袋に詰めていった。

汚物を始末したら、今度は掃除。
ベッドに着いた腐敗液、床に広がった腐敗液、その下に凝固した腐敗粘度、それらを拭き取り、削り取っていく作業。
床にしゃがみ込んで黙々と行う地味な作業で、頭に湧いたことが否応なく巡っていった。

そこは、物理的にも心的にも凄惨な腐乱死体現場・・・
その痕を始末することによって生きている私。
人生を終えた故人と、人生の只中にいる自分を頭の演壇に上げ、働けることのありがたさ、仕事があることの嬉しさ、汚仕事のツラさ、珍業の惨めさ等々、私は、そういった心情をグルグルと回しながら、同時に、元肉体で汚れる手に自分の強さではない他の何かの強さを感じながら作業を進めていった。


故人は、どんな人生を歩いてきたのか・・・
若いときは元妻と恋愛し、好きで結婚したのだろう。
そして、望んで子を授かったのだろうし、幸せな家庭を築いたことだろう。
しかし、故人は、そこからは想像もできない晩年を迎えた・・・
妻子と絶縁状態になったのには、相応の経緯と理由があったのだろう。
荒れた生活をしていたのにも、相応の原因があったのだろう。
健康を失い、仕事も金もなく、そして夢も希望もなく、一日一日をただただ生きていたのか・・・
「侘(わび)しい晩年だった」なんて、他人が浅はかに決めつけてはいけないけど、どう見ても幸せに暮らしていたようには思えなかった。

私は、故人が生活保護費で酒を飲んでいたことに引っかかりも覚えたし、他人の迷惑も省みず部屋を著しく汚損させなかったことに違和感も覚えた。
ただ、これもまた、一人の人間の歩み。
終わってしまった人生に負の足を踏み入れても益はない。
私は、故人のためではなく自分のために、正の足をもって心を運動させ、自分なりにそれを鍛えようと努力した。


人それぞれに人生の歩みがある。
進む速さは皆同じながらも、長さと道は皆違う。
人が羨むような道もある。
逆に、人が嫌悪し蔑む道もある。
望む道だけではなく、望まぬ道を歩かなければならないときもある。
私自身、望むような道とは程遠い道を歩いている。
やりたくない仕事をやり、行きたくない現場に向かい、
逃げたいのに逃げられず、楽したいのに楽できず、
泣きたいのに泣けず、笑いたいのに笑えず、
「いつまでもこんなことやってたらマズい」と憂う自分と、「この道を究めるしかないのか・・・」と諦める自分の狭間で、頭を抱えている。
ただ、どんなに嘆いても、後戻りはできない。
どんなに肉体や精神を鍛えようが、気力を振り絞って念じようが、若返ることはできない。
間違いなく、歩は進み、月日は過ぎ去っているのである。

ならば、楽な方ではなく楽しめる方へ、逃げる方ではなく挑む方へ、下の方ではなく上の方へ歩きたいもの。
こうして悩んでいるうちに、いつの間にか終わってしまうのが人生かもしれないけど、尽きない不平・不満・不安を、限りない感謝・喜び・希望に変えて歩いていきたいものである。
この歩・・・この一歩一歩そのものが、輝ける唯一生なのだから。


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噴火

2016-03-15 09:01:15 | 特殊清掃 消臭消毒
依頼された現場は、孤独死が発生した賃貸マンション。
集まったのは、遺族・管理会社の責任者(以後「責任者」)・マンション管理人(以後「管理人」)、そして私。

遺族は、故人の遠い親戚。
悲しみのせいか、事の始末にかかる費用を心配してか、少し不機嫌な様子。
「ヨロシクお願いします・・・」
と、困惑の表情を露に私に頭を下げた。

責任者は、管理会社の管理職。
紳士的な人物で、物腰も穏やか。
「こういう経験は初めてなものですから、色々教えて下さい」
と、師に向かうかのように私に頭を下げた。

管理人は、その管理会社に有期契約で雇われた現地スタッフ。
組織上は、責任者の部下にあたり、マンション1Fに住み込み勤務。
自分の仕事場で孤独死が発生したことに戸惑っているのか、はたまた、上司が同席しているせいか緊張の面持ち。
とにかく落ち着かない様子で、意味もなくペコペコ。
「どうも・・・」
と、少しオドオドした感じで私に頭を下げた。

部屋には重汚染と重異臭があり、原状回復には大規模な内装改修工事が必要な状況。
打ち合わせの結果、費用は遺族が負担、実務は管理会社が主導するかたちで作業を進めることに。
そして、部屋も、特殊清掃から内装改修工事まで、一貫した流れで原状回復させることになった。


翌日の朝。
特掃をやるために現場を訪れた私は、まず管理人室へ。
前日に挨拶を交わした管理人はそこにいたのだが、どことなく雰囲気が違う。
前日は無口で身体を小さくしていたのに、まるで別人のように口は滑らかで椅子にふんぞり返っている。
そして、私とは親しい間柄でもなければ、縦関係もないのに、口から出るのは命令口調が混ざったタメ口。
前日の様子から、管理人のことを“謙虚で大人しい人物”と判断していた私は、気持ちの悪い違和感を覚えた。

「作業の日時を事前に連絡し許可をとること」
「土日祝祭日と夜間には作業を行わないこと」
「エレベーターは使わないこと」
「出入りを他の住人に見られないようにすること」
等々、管理人は、作業をする上での注意点を私に伝えた。
まぁ、その辺のところは理解できることだったので、私は、二つ返事で承諾した。
しかし、納得いかなかったのは、その口調・言葉遣い、物腰・態度。
「何様のつもりだ!?」
と思ってしまうくらい高慢横柄で、私は、不満や不快感というより戸惑いと嫌な予感を感じた。

そして、困ったことに、その嫌な予感は的中した・・・

「異臭がする」
「他の住民から苦情がきてるから、至急、対処しろ」
と、その翌日、管理人は電話を入れてきた。
が、私だって素人ではない。
特掃はもちろん、必要な一次作業はしっかりやったわけで、異臭の漏洩が想像できず。
が、万が一ということもある。
私は、その日のスケジュールを調整し、焦って現場に駆けつけた。

到着した現場は特に何も起こっていない。
特掃した部屋の前も、その周辺も異臭は感じられず。
そもそも、他の住民には極秘でやっているわけで、苦情がでているなんてことは考えにくい状況だった。
それでも、管理人は、
「今は平気だけど、朝はクサかった」
と、胡散クサい言い訳をしてきた。
その上、目張りなんか必要な状況ではないにも関わらず、
「ドアを外側から目張りすると目立つから、内側から目張りしろ」
なんて、無茶なことを言ってきた。
しかし、そこで楯突いて嫌われるのは得策ではない。
結局、泣き寝入るかたちで消臭剤を撒き、苦心して目張りのテープを貼り、その場を収めたのだった。

それ以降も管理人は、
「廊下が汚れている」
「ゴミが落ちている」
「エントランスのガラス扉に指紋がついている」
「共用廊下の窓が開けっ放しになっている」
「壁にキズがついている」
等と、当方に責任がないことでも、勝手に決めつけて文句を言ってきた。
また、同じ質問を何度も繰り返し、似たような書類を何度も提出させ、同じ小言を何度も言ってきた。
そして、ことある毎に、私を現場に呼びつけた。

この管理人は、まさに、人を虐めることで自分を満たすタイプ、人に八つ当たりすることでストレスを解消するタイプ、そして、自分より立場が上の人間には弱腰なくせに、自分より立場が低い人間には、とにかく偉そうにしたいタイプの人間。
何を命じても業者がペコペコと従う様が愉快だったのか、どうみても悪意をもって意地悪をしているようにしか思えなかった。

私の腹には、そんな管理人に対する鬱憤が蓄積されていった。
何度か責任者に相談しようかと思ったことはあったけど、それも幼稚なことのように思えたし、それが原因で管理人の嫌がらせがエスカレートしたら余計に困る。
とにかく、管理人を敵に回したら仕事がやりにくくなるだけ。
また、自分だけではなく、仲間にも迷惑をかけてしまう。
だから、私は、少しでも管理人に気に入ってもらえるよう、自分を押し殺し、我慢に我慢を重ね、細かなことでも「ハイ!ハイ!」と、管理人が言うがまま丁稚のように動いた。

そうして数週間、何とかたどり着いた部屋の完成。
あとは、責任者の確認と了承をもらって部屋を引き渡すだけとなった。
ところが、この期に及んでも、管理人は、
「クローゼットの扉の色が前のモノと違うから交換しろ」
と、自分の仕事の範疇ではないことを言ってきた。
ただ、建材・建具の材質・色調が原状と異なることについては、見積書をつくった段階で責任者の了解をとっているし、契約書にも記してある。
当方の落ち度ではないことは明白。
だから、その旨を冷静に説明すれば済む話だった。

ところが、私は、いとも簡単にキレてしまった・・・というより、まるで、キレるタイミングを待っていたかのように、躊躇うことなくキレた。
仕事完了の安堵感と、こちらの正当性が証せる書面を持っている強みが、溜まりに溜まった鬱憤のマグマを押し上げ、とうとう私は大噴火。
「いい加減にしろ!なんでも言うこときくと思ったら大間違いだぞ!コラ!」
と、私は管理人を一喝。
そして、
「これはアンタの指図を受けるようなことじゃねぇよ!」
「責任者の了承をとってるんだから!」
「文句があんなら責任者に言えよ!」
と、“この際、言いたいことを言ってやれ!”とばかりに、我慢せず、次から次へ頭に浮かんでくる言葉を言い放った。

管理人は、いつも通り私が「ハイ!ハイ!」と言うことをきくと思っていたのだろう。
しかし、予想に反してキレた私に驚いた様子。
「こ、ここの責任者は俺だ!会社は関係ない!」
と、しどろもどろで、訳のわからないことを言い出し、争う姿勢をみせた。
しかし、子供の頃から口答え(だけ?)は得意な私。
口でも理屈でも管理人に負ける要素はなく、私は自信満々で応戦。
口論の中、次第に口数が少なくなる管理人に、私は容赦なく口撃を続けた。
そうして、防戦一方で負け戦になることがみえてきた管理人は、
「もう、お前は、うちのマンションに出入禁止だ!」
と、幼稚なことを言って一方的に電話を切り、逃げ去ったのだった。


部屋を引き渡す日。
責任者と日時を約束していた私は、
「出入を禁止した俺が現れて、管理人はどんな顔をするだろう」
と、意地悪な気持ちをもって現地を訪れた。
そして、
「また妙な言いがかりつけてきたら、我慢せず言い返してやろう」
と、頭のギアをいつでも戦闘モードにシフトできるようニュートラルに入れてマンションに入った。

事情を知ってか知らずか、責任者は変わらず紳士的で、労いの言葉を織り交ぜながら、私に丁寧に挨拶をしてくれた。
が、管理人の方は気マズいとみえて、私と視線を合わさず。
また、前回の電話で「出入禁止!」と怒鳴ったくせに、そこでは何も言ってこず。
一言も言葉を発さず、最初に会った時と同じように、無言のまま身体を小さくしているばかりだった。

私から管理人に用はない。
したがって、話しかける必要性もない。
こんな人物(管理人)でも、世話になったことも少なからずあったはずだけど、不快感や不満の方が大きすぎて、それがただの社交辞令だとしても、到底、礼を言う気持ちにはなれず。
私は、自分の中で小さくイキがりながら、終始、管理人を「無視」というか、そこにいないものとしてスルーした。

結局、私と管理人は、一度たりとも目を合わさず、一言たりとも言葉を交わさず。
もちろん、管理人の方から挨拶してきた場合、無視するのはあまりに無礼だから、その場合に応える用意はあった。
しかし、管理人も黙って下を向いたまま。
最後くらいはキチンと挨拶して別れるべきだったのかもしれなかったけど、意地悪な私は、そこまで大人になれず、ちょっと苦い後味を残して、そのまま、その仕事を終えたのだった。


私は、もともと気が短い。
歳を重ねて少しは気長になってきた感もあるけど、ちょっとしたことで、すぐにカッとなる。
自分一人でカッとなるだけならいいけど、それを誰かに向けてしまった後は悔いることも多い。
また、原因が小さければ小さいほど、残念な自分を知ることになる。

人の理性と良心は、そんな自分を反省させ、あらためるための努力を促す。
それでも、深い部分を変えることは容易ではなく、ふとした時に、またカッとなる。
それを繰り返すことで人は成長するのだろうけど、自覚の部分では成長が見えないことがほとんどで、それが苛立ちの原因になったりする。
だけど、それが、間違いのない自分、どうにも変わらない自分のだから、それで自分を押さえつけすぎないことが大切かもしれない。

愚かだろうが弱かろうが、葛藤の中に生まれるその人間味が自分を熱くし、人生を面白くしてくれるかもしれないのだから。


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孤軍糞闘

2016-03-04 09:40:27 | 特殊清掃 消臭消毒
しばらく更新していないうちに、暦はもう3月。
外は、日に日に春めいてきている。
寒くて暗い冬は何かとツラいことが多いので、春は大歓迎・・・
なんだけど、このところの私は、心身ともに不調が続いている。

滅多に風邪なんてひかない私なのに、先月中旬、風邪をひいてしまった。
異変に気づいたのは、2月16日(火)の夜。
腹は減っているはずなのに、思うほどモノが食べられず、妙に思った。
そして、翌日。
倦怠感・食欲不振・発熱・喉痛・間接痛・頭痛・咳・鼻水etc・・・一通りの症状がではじめた。
ただ、その時点ではまだ軽症。
「一晩、二晩、辛抱すれば治るだろう・・・」
と、高を括って、特段の策を打たず放置してしまった。

病原は、B型インフルエンザ。
どうも、同僚からもらったようで、私の他にも同僚二名がダウン。
結構な重症で、二人は長期休暇を余儀なくされた。
しかし、悪化の一途をたどる症状の中にあっても、私は、仕事を休むことができず。
自慢すべきことなのか、悲しむべきことなのか、代役を立てられない仕事を何件か抱えていたためだった。

そのうちの一件は、終活イベントでの講演。
わずか45分の話だったのだが、それなりに前準備も必要で、急に代役を立てるわけにはいかなかった。
もう一件は、指名付きの現地調査。
わざわざ私を指名してくれるなんて、とてもありがたいことなので、病を押して出張っていった。

そして、代役を立てられなかった仕事の最たるもの・・・“メインイベント”は、便所特掃。
しかも、特掃屋に頼んでくるわけだから、フツーの便所ではない。
便器には、糞便がテンコ盛り。
例えるなら、大盛カキ氷のような状態でエベレスト級。
最後のほうは、一体、どういう姿勢で用を足していたのか、不思議に思えるくらい。
そして、便器に乗り切らなくなった糞便は床に堆積。
便器の手前の床には富士山級の糞山が形成され、二つの糞山の麓には糞野が広がっていた。
更には、配管が詰まっている可能性が高く、また漏水する危険もあったため、水は使えず。
体調が悪くないときでも、この便所掃除には、相当の覚悟と気合を要するのに、よりによって、そのときはインフルエンザの真っ只中。
車に乗っているだけでもツラい状態だったのに、その上、特掃をやらなければいけないなんて・・・
腹が立つやら悲しいやら、身体だけでなく精神のほうも相当なダメージを喰らってしまった。
そして、あまりの惨状を前に、弱音を吐く自分に言い訳する気持ちさえ萎えていった。
しかし、こんな現場を処理できるのは、うちの会社でも特掃隊長くらい。
しかも、事前の現地調査から契約まで、一貫して私が担当していたわけで、本番だけ逃げるわけにはいかなかった。

部屋の住人は入院中で、帰宅予定は立っておらず。
この仕事の依頼者は、住人の親族で、鍵も私に預けてくれていたし、特段の期日も設けられておらず、作業スケジュールは、私の裁量で決めることができた。
だから、作業を延期することが、自然と頭を過ぎった。
しかし、どちらにしろ、この作業は、自分がやらなければならない。
そして、多くの場合、目の前の現実から逃げても何も好転しないことも知っていた。
何もしないで退散することに抵抗を覚えた私は、無理のないペースで仕事を進めることに。
頭に描いた作業手順に則って装備を固めながら、
「最後までやれなくてもいいから、できるところまで頑張ろう・・・」
と、弱った心身に余計な負荷がかからないよう、あらかじめ目標までのハードルを下げた。
それから、意を決し、作業の安全を祈願する地鎮祭でも行うかのように持ってきた小型のシャベルを糞便山に差し込み、作業をスタートさせた。

“便所特掃”は、大きく三つのカテゴリーに分けることができる。
一つ目は“腐乱死体系”、二つ目は、“ゴミ部屋系”、そして三つ目は今回の現場のような“糞尿系”。
私が踏んできた現場では、三つそれぞれに“伝説”が生まれているが、今回の便所は“糞尿系”の第二位にランクインするレベル。
いきなり“二位”に躍り出るくらいのレベルだから、相当のモノであることがわかるだろう(わからないか・・・)。

ちなみに、これで“二位”ってことは、“一位”はどれだけのモノか、興味を覚える?
ただ、それを文字で表すのは難しい。
あえて言うなら、今回の便所は「糞便山野」、一位の便所は「糞尿山沼」。
あとは想像に任せるしかないけど(想像できるわけないか・・・)、そんなのを掃除するわけだから、ちょっとイカれてないとできないかもしれない。

やはり、身体は、かなりしんどかった。
だから、作業中、頻繁に休憩をとらざるを得なかった。
時折、陽の当る奥の部屋で横にならせてもらったりもした。
ただ、そんな状況でも、作業は確実に進めた。
足元はウ○コまみれ、身体はウン粉まみれ・・・もう、ヒドい有様になりながら。
そうして、いつもの何倍もの時間をかけて作業を完了させた。
しかし、達成感なんかなく、あったのは、少しの安堵感と大きな疲労感と倦怠感のみ。
私は、作業終了の余韻に浸る余裕もなく、重い身体を引きずるようにして部屋から車へ移動し、座席に身体を放り投げて、しばし呆然としたのだった。


結局、不調は二週間くらい続いた。
その間、日課のウォーキングも中断。
立っていることもままならないのに、歩けるわけがない。
また、食欲がでず、食事をまともに摂ることもできず。
もちろん、酒も飲めず。
少しも「飲みたい」なんて思わなかった。
しかし、何か食べないと身体がもたない。
結局、バナナ・リンゴ、プリン・ゼリー、そして、栄養ドリンクetc・・・そんなモノを口に入れながら、日々をしのいだ。

風邪は治ったはずなのだが、今もまだ、咳が残る。
食欲は、ほぼ元に戻っている。
ただ、体力は落ちてしまった。
体重もだいぶ減ってしまった。
また、倦怠感が抜けない。
精神が萎えたままで、明るい気分になれないでいる。
できるだけ食べるようにし、ウォーキングも再開したから、徐々に復調してくるだろうけど、ゆっくり養生できなかったことが、そのまま将来を暗示しているみたいに思えて、私の心に暗い影を落としている。


とにもかくにも、「健康」は宝物。
そして、健康はすべての源。
金や時間がどんなにあっても、健康がなければ、それらを活かすことはできない。
そうは言っても、病気やケガは、自分に力で防ぎきれるものではない。
どんなに用心していたって、ケガをすることもあれば病気にかかることもある。
残念ながら、その大半は、自分の力ではコントロールできないもの。

しかし、健康は、水や空気と同じように、あることが当り前のように錯覚し、普段は気にも留めない。
この世の中には、人の目を惹くものが他にたくさんあるから、意識がそっちにもっていかれる。
目に見えるモノは感謝の対象になりやすいが、目に見えないモノは感謝の対象になりにくい。
だから、日常では、なかなか健康の“宝性”に気づくことができない。
しかし、いざ、病にかかったりケガを負ったりすると、それを痛感する。

普段は、不平・不満・不安だらけの生活を送っている私。
欲しいモノがたくさんあり、不足に思うことも多々ある。
何もかも面倒臭く感じるときも多ければ、何もかもが煩わしく思えることも多い。
そして、大したことはやっていないのに、すぐに疲労感と虚無感に苛まれる。
けど、事実、「健康」というかけがえのない宝物が与えられている。
そう考えると、私のような知恵のない者には、たまの小病や小ケガは必要かもしれない。

もちろん、大病や大ケガは困る。
また、大病や大ケガ等で難儀している人と自分を比べて、「何かを感じる」「何かを思う」「何かを受け止める」という類の思考は賢くないような気がする。
私は、あくまで、自分個人として、何を感じるか、何を思うか、何を受け止めるか、そこのところに焦点を当てて、“健康の宝性”を肝に銘じたいと思う。


傍から見れば、便所特掃なんて極めてヘンテコな仕事だろう。
蔑むことはあっても、憧れることなんてないだろう。
唖然とすることはあっても、感心することなんてないだろう。
使命感もないし、誇りなんて、とても持てやしない。
あくまで生活のため。
それでも、それでも、私は、「仕事ができる」「そのための健康が与えられている」という喜びと感謝の気持ちは持つべきだろうと思う。

人生なんて、孤独な戦いの連続。
正直なところ、このカッコ悪い仕事と格闘しながら一生を終えていくことを想うと、全然 元気がでないけど、このまま終わってしまうことを考えると震えがくる。
刻一刻と残り少なくなっている人生を、不完全燃焼してくすぶっているのはイヤ。
本当は、私は、もっと頑張りたい。
もっと頑張れる人間になりたい。

私は、病み上がりの自分が教えてくれているこの感覚を心に刻みながら、頑張って生きる上で必要な知恵と力を得るため、孤軍奮闘していきたいと思っているのである。



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男はつらいよ

2015-11-24 09:05:49 | 特殊清掃 消臭消毒
「勤務先の店舗の脇に動物死骸らしきものがある」
「店の正面にまで異臭が漂っていて営業にも支障がではじめている」
「何とかできないか?」
ある日、会社にそんな電話が入った。

一口に「動物死骸」と言っても、その種類はまちまち。
犬もいれば、猫もいる。
ネズミであることもあり、珍しいところではハクビシンなんてこともある。
ただ、多いのは猫・・・圧倒的に猫が多い。

幸は不幸か、動物死骸の処理は、年に何回かは(何度も?)遭遇する。
だから、私にとって珍しい仕事ではない。
しかし、何度やっても慣れない。
身体は慣れても気持ちが慣れない。
腐乱死体現場の特掃等とは違い、死体そのものがあるわけで、それを始末する作業は、死痕の処理とは違った独特の重さがあるのだ。

生き物はいつか死ぬものだし、その肉体が腐っていくことも自然なこと。
誰もその摂理に逆らうことはできないわけで、それに従って受け入れるしかない。
しかし、すんなり受け入れられないこともある。
それは、実務に影響すること。
つまり、最期の場所や死骸の大きさ(重さ)、そして、腐敗レベル。
駐車場や庭先で死んでくれていれば楽なのだが、床下や天井裏だと厄介。
基本的に手作業であるため、天井や床に穴を開けないと作業ができないケースもある。
また、死骸が小型(軽量)であることに越したことはない。
人間も動物も、肉体が腐敗する過程で膨張するプロセスがあるので、あまり大きいと触る回数も増え、触っていなければならない時間も長くなるから(気持ち悪いから、できるだけ触りたくないわけ)。
もちろん、腐敗レベルは低いことが望ましい、これは説明するまでもないだろう。
腐敗レベルが高いと、私にとっても動物にとっても、相当、悲惨な作業になるから。

「死んでんのは、多分、猫だろうな・・・」
「周囲が臭ってるってことは、かなり腐ってるんだろうな・・・」
「あまりヒドくなきゃいいけどな・・・」
会社から連絡を受けた私は頭をブルーにしながら、誰と協議したわけでもないのに、その現場には自分が行くハメになること覚悟した。
それが我が社の“文化”“慣わし”かのように、いつの間にか、それが当然であるかのごとく私の役割になっているから(2015年4月15日「断腸」参照)。


出向いた現場は、とある店舗。
飲食店でも食料品店でもない物販店。
食品系の店じゃないのは幸いなことだったが、それでも、店先に漂う異臭は尋常ではなく、ライトブルーだった私の頭は次第にディープブルーに近づいていった。

訪問時、店内に客はおらず、男女数名のスタッフがいた。
私が何者であるかすぐにわかったようで、彼らは皆、珍しい生き物でも見るような視線を私に送ってきた。
私の応対にでてきたのは、その中でも一番若そうな男性A氏。
当社に電話してきたのは、そのA氏のようだった。

A氏は、挨拶もそこそこに私を外に連れ出し、建物の脇へ。
そこは、店と隣の建物の間にある、隣地との境界地。
人が通れるほどの幅はあったが、そこは通路ではなく、普段、人が立ち入る場所ではない。
地面には砂利が敷き詰められ、雑草が生い茂り、両側に迫る建物の陰で薄暗く、異臭とともに不気味な雰囲気が漂っていた。

「あそこにいるんですけど、見えます?」
A氏が指差した先には黒い影が。
遠目にみても何かしらの動物であることがわかった。
そして、鼻が感じる異臭の濃度は、腐敗レベルがMaxであることを示唆しており、私の気分を完全なブルーに染めた。


事が発覚したとき、店のスタッフは一様に気持ち悪がった。
同時に、どう収拾したらいいのかわからず当惑。
それで、始めに、行政のゴミ処理機関に相談してみた。
すると、すんなりと「回収可能」の回答が得られ、ホッと胸をなでおろした。
ところが、その回収作業は、肝心なところが抜けていた。
そこは私有地のため、死骸をゴミ袋に入れて封をし、店先まで運び出すところまでは店側がやるということ。
何事に対しても「役所」というところはそういうところで、困っていることを訴えても、その条件が変わることはなかった。

これには店側も困惑。
しかし、誰かがやらなければ、事態は悪化するばかり。
そうなると、当然、「誰がそれをやる?」ということに。
店には男女数名にスタッフが詰めていたが、志願する者は誰もおらず。
店内にイヤ~な空気が、店外にクサ~イ空気が漂う中、一人一人の思惑と場の雰囲気によって候補者は徐々に絞られていった。

「こんなの男の仕事に決まってるでしょ!」
多分、女性達はそう思っただろう。
「か弱い女性にそんな荒仕事をさせては男がすたる」
多分、男性達はそう思わなかっただろう。
それでも、男女を比べた場合、こういう類の役目は男が引き受けるのが社会通念上 自然。
それは男性達も理解しており、結果、男性達は渋々承諾。
そして、何人かいる男性の中から精鋭一人を選抜されることになった。

本来なら、役職をもった者や年上の者が率先してやるのが理想だけど、そんなプライドはここでは鳴りをひそめた。
「男らしいところをみせてやろう!」なんて考えはさらさらなく、「カッコ悪かろうが、部下や後輩に見下げられようが、無理なものは無理!」といった具合。
そんな中で指名されたのが、最も若く勤務歴も浅く職場での力もないA氏。
白羽の矢を避ける術を持たないA氏が、嫌な仕事を押し付けられたのだった。

A氏は、自分が選ばれたことに納得がいかず。
腹を立つやら悲しいやら。
が、残念ながら、その気持ちを誰かにぶつけられるような立場ではない。
拒否なんて選択肢はなく、葛藤の中、思いつくままの道具を揃えた。
そして、覚悟決めて死骸に向かってゆっくり近づいてみた。
すると、鼻を攻撃していた異臭は腹にまで到達し胃の中身が逆流しそうに。
更に、間近に迫った死骸の顔は自分の方を向いており、眼球のない恐ろしい形相が神経を直撃。
「無理!無理!絶対無理!」
恐れおののいたA氏は、自分の役目を放棄し、一目散にその場から逃げたのだった。


場所や状況によって異なるけど、動物死骸処理には万単位の費用がかかる。
現場に向かうだけでもガソリン代や高速道路代はかかるし、そのために何時間か拘束され作業費も発生する。
常識的に計算すれば数千円でやれるような仕事ではないことはすぐにわかるはず。
しかし、世の中には色々な感覚の持主がいる。
数千円どころか、無料だと思って電話してくる人も少なくない。
保健所等の行政機関による死骸処理と混同しているのか、はたまた動物愛護団体のボランティアだと思っているのかわからないが、そんなこと無料でやるわけがない。
それでも、中には、有料であることを伝えると、「お金とるの?」「なんで?」なんて、おかしなことを言う人もいる。
そして、無料ではできない理由(常識的に考えれば説明するまでもないこと)を説明すると不満げに電話を切る。
そんなときは、悪いことをしたわけでもないのに何だか悪いことをしたみたいな錯角に囚われ、気分の悪い思いをするのである。

この場合も同様。
電話の段階で概算費用を提示。
現場の状況によってある程度の料金変動もありうることも伝え、了承をもらえたため現地に出向いた。
ただ、当初、費用がかかることに店舗を経営管理する本社は難色を示していた。
本社は、状況の深刻さを理解していないうえ、「死骸をゴミ袋に入れるくらいのこと、店員の誰かができるだろ?」という考えだったから。
それでも、A氏は店長を説得し、自分達の手に負えない理由を本社に細かく説明。
やっとのことで、決済をもらい当社に電話をかけてきたのだった。


私は、この件にまつわる愚痴を色々と聞き、A死に同情。
嫌な仕事を押しつけられることが当り前のようになっている私は、男性の悲しい気持ちが痛いほどわかったから。
一方で、そんな状況にあっても、フフッと笑う自分がいた。
人が嫌がる仕事でも、それをやった者しか得られない人間的なメリット・・・ほんのちょっとかもしれないけど、努力・忍耐・挑戦の精神が育まれることを知っていたから、自然と笑みがこぼれたのだった。

しかし、笑ってばかりもいられない。
A氏に代わってその役を引き受けたのは、他でもなく私自身。
男としての気概もあったので、私は平穏でいられない気持ちを抑えて平静を装い、専用マスクとグローブを着け、スタスタと死骸の方へ。
そして、死骸のすぐ傍に立ち、自分の視覚を慣れさせるため、約一分 立ったまま死骸を見下ろし、次に約二~三分 しゃがんで注視。
そうして、自分の視覚と神経が、ある程度のレベルまでグロテスクな死骸に慣れるのを待った。
そして、その感覚がつかめたところで、作業をスタートした。

死骸は、やはり猫。
大型でも小型でもなく、並のサイズ。
ただ、何とか猫らしい風体を維持しているものの、腐敗はかなり進行しておりトロトロ状態。
不用意に動かすと不自然なかたちに変形することは明らかで、
「アハハ・・・こりゃ、モノ凄くいけないパターンだな・・・」
と、他に自分を慰める方法がなかった私は、笑える状況でもないのに思わず苦笑い。
そして、
「さてさて・・・これをどうするか・・・」
できるだけ触らなくて済むよう、できるだけ短時間で済むよう、作業手順を念入りに考えた。

モノ凄く気持ち悪いため、手で直に触るのは極力避けたい。
私は、手の代わりとなって汚れてくれる二種の道具をそれぞれ片手に持ち、道具を死骸に当てた。
それから、ゆっくりと持ち上げようとした。
しかし、フニャフニャの死骸を一体で浮かせるのはなかなか難しい。
手で直にやれば簡単なことなのに、ここでは、道具に頼ったことが裏目にでた。
慎重にやったつもりが、地面から浮きかけたところでバランスが崩れ、元の姿勢から反転して落下。

そして、仰向けになった猫は、
「ウァッ!!!!!!!」
と、私に男らしくない悲鳴を上げさせたのだった・・・

つづく


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ダメ人間参上!

2015-10-22 08:55:09 | 特殊清掃 消臭消毒
秋も深まる中、このところは気持ちのいい晴天が続いている。
四季折々の景色はどれも美しいが、秋の景色もまた格別。
清んだ青空に自由な雲、紅黄に染まる街路樹、店頭に並ぶ秋の味覚、暖色に変わりつつある街の色・・・
何より、肌寒いくらい凛とした涼気が心地いい。

しかし、この秋を迎える前の天気はちょっと異様で、8月半ばから9月半までの約一ヵ月間、雨天曇天が続いた。
まるで梅雨のような気候で・・・いや、梅雨より梅雨っぽかった。
各地で大きな災害も起こり、何人かの人が亡くなり、多くの人が家や土地を失った。
ニュースにもならなくなったけど、今でも避難生活を余儀なくされている人は多くいるのだろう。
将来に希望を持てないでいる人も多くいるのだろう。

それがわかっているのに・・・
私は、仕事を放りだしてまで救援のボランティアに参加しようとは思わない・・・
酒肴を削ってまで金を差し出そうとは思わない・・・
自分さえよければそれでいい?
そういう風に、人の災難を他人事として遠目に見ているダメな自分がいる。
ただ、言い訳にも聞こえるかもしれないけど、社会における自分のポジションを維持することも間違いではないと思っている。
いつも通り働くことも、キチンと納税することもまた社会貢献。
社会福祉政策も人や税金で動かされているわけだから、間接的にでも、災害復興の一端の端の端の端・・・くらいは担えているように思う。

天災と同列に並べることはできないけど、そんな私にも小さな災難はあった。
今年に入って、二度、交通違反で警官に止められたのだ。
理由は、右折禁止のところを右折したため。二度とも。
一度目は4月、大通りの交差点。
ちゃんと右折レーンがあり、私は、そこに進入。
標識にまったく気づかす右に曲がったのが運の尽き。
その先には警官が待っており、あっさり御用。
その交差点には右折禁止時間帯があって、それは、まさにその時のことだった。
二度目は7月、現地調査のため現場近くに駐車場を探していたときのこと。
小さな路地から通りへ出るには左折のみ可だったに、標識を見落としてしまい、右に出てしまった。
ここでも違反者が多いのか、行く手にはちゃんとパトカーが待機しており、これまた御用となってしまった。
短い間に二度も同じミスを犯すなんて・・・私は、学習能力のない自分にやり場のない苛立ちを覚えたのだった。

私にとって、車の運転は、仕事の中でも大きなウェイトを占める。
運転距離は一年で50,000kmくらい。
運送業でもないのにこの距離はなかなかのものだと思う。
これまでも、上記のような小さな違反を繰り返してきており、大学のときに運転免許を取得して以降、免許証の色は一度も青から上にあがったことがない。
それでも、人身事故を起こしたことがないのは幸い。
上記の違反も、罰金・減点は痛かったけど、人身事故や物損事故に比べれば全然マシ。
ただ、次に何かやったら免停か講習になるので、今は、一層、気をつけて運転している。

今は、当然のように安全運転を心がけることができている私だけど、若い頃には、飲酒運転をやったことがあった。
こともあろうに泥酔状態で、思い出すと、今でも、その恐怖感と嫌悪感に虫唾が走る。
当時は、飲酒運転に対する取り締まりも今より甘い時勢で、飲酒運転に対する罪悪感も薄かった。
もちろん、時勢のせいにするのはまったくの愚考だけど、回りの人間にも飲んで車を運転する者が少なくなかった。
幸い、そのときは、事故を起こすこともなく、警察に捕まることもなかったけど、深夜の道を結構なスピードで走ったことを憶えている。
“若い”ということは素晴らしいことだけど、このように、“若さゆえの愚行”ってものもある。

私がこの仕事に就いたのは、大学を卒業して数ヶ月後のこと。
その経緯は2006年6月23日、2008年12月4日の「死体と向き合う」二編(←懐かしい!)に記したとおりだが、当時の私も若かった。
一年くらいのうちに、ほとんど皆辞めていなくなってしまったけど、当時の先輩は皆40代。
「先輩」といっても、ほとんどの人がキャリア数ヶ月程度。
職を転々としているような人ばかりで、素性の怪しい人、借金取りから逃げているような人、アル中?、チンピラ風の人もいた。
そんな具合だから、人の入れ替わりも激しく、一年続けば一人前、二年もやればベテラン。
大卒なんて誰もおらず、
「大学でてまでやる仕事じゃない」「すぐに辞めたほうがいい」
と、私のことを小バカにしながら親切なこと?を言ってくれる人もいた。

当初、そんな先輩達は私のことをマトモに相手にしなかった。
親切に仕事を教えてくれる人もいたが、大半の人は私を蚊帳の外に置いた。
そして、「いい雑用係が入った」とばかり、雑用ばかりやらされる日々が続いた。
そんな日々の中、あるとき、ある先輩に「態度が悪い」「生意気」と注意を受けた。
生意気な態度をとっているつもりはなかったのに。
しいて言えば、周囲の人間を無視していた感じ(←ま、こういうのを“生意気”と言うんだけど)。
仕事上、必要なこと以外に口はきかず。
話しかけられて応えることはあっても、必要最低限の短い返事ばかり。
先輩達の口から出る話題がとてもくだらなく思えたし、年齢もかなり離れて話も合わなかったから。
てな具合で、事務所内での世間話や雑談に加わることはほとんどなかった。
一人でいることを好み、仕事が終わっても職場の誰かと飲みに行くことも滅多になかった。
もちろん、敵をつくるつもりは毛頭なかった。
ただ、“協調性を発揮する”“とか”場の空気を読む“ということを眼中に置いておらず、どうも、そんな態度や行動が、生意気に映ったようだった。

私は、心の中で、先輩達のことをバカにしていた。
「いい歳して、こんな仕事にしか就けないなんて・・・」
と、自分も同じ穴の狢(むじな)であることを棚に上げて。
「俺は、この人達とは違う」
と、自分だって逃げるようにやってきたのに、根拠もなく高ぶっていた。
それが、言葉に出さずとも態度に表れていたのだろう。

私は、職場で孤立することを恐れてはいなかった。
孤立しようが嫌われようが、どうせ人手が足りなければ私も戦力として必要になる。
また、職務をまっとうしていれば、表立って文句を言われる筋合いはない。
ただ一点、上役(ヤクザ風)に嫌われないようにすることだけは意識した。
先輩(同僚)にどう思われようが構いはしないが、さすがに、上役に嫌われていいことはない。
世の中の誰も知らないような仕事をしている会社、しかも、吹けば飛ぶような超零細企業に労働法規なんか関係なく、上役の一存であっさりクビにされることがある(実際に多々あった)。
だから、そこのところだけは気をつけた。
ただ、当時、詰めていた現場事務所に上役は常駐しておらず、顔を合わせるのは一ヵ月に一~二度程度。
幸いなことに、粗い先輩達の陰で大人しくしていた私は、上役に目をつけられることはなかった。

そんな具合で、職場の人間関係はよくなかった・・・正確にいうと、人間関係に入っていなかった。
また、労働環境も労働条件も決してよくなかった。
それでも、他の人と同じように「辞めてしまおう」とは思わなかった。
楽な仕事ではなかったけど、仕事に就く前の苦悩を思い出すと耐えることができた。
そう・・・それは、悩みぬいて、失意の先にやっとたどり着いた仕事。
やりたい仕事ではなかったけど、悪意に満ちた動機だったけど興味を持った仕事。
そして、生きるためにやらなければならなかった仕事。
辞めても後はない、逃げても他に逃げ場はない・・・私にとっては、そんな仕事だった。

当時の私は、他人を見下すことで、ダメな自分が目につかないようにしていた気がする。
他人のダメさで自分のダメさをごまかしていたような気がする。
「皆そうだ」と、ダメな自分と戦わないことを正当化し、自分の殻を固くしていたような気がする。
「自分のダメさから目を背ければ平安でいられる」と思い込もうとしていたような気がする。

今の私は、当時の先輩達より年上になっている。
そして、当時の先輩達と大して変わらない日々を送っている。
だから、当時の自分が今の自分をみたら、心の中できっとバカにするだろう。
それでもいい・・・バカにされたって仕方がない。
バカにする方もバカなのだから。
マズイのは、過去の自分が今の自分をバカにすることでもなく、今の自分が過去の自分をバカにすることでもない。
今の自分が今の自分をバカにすること、今の自分が将来の自分をバカにすることがマズいのである。

自意識過剰の被害妄想かもしれないけど、事実、外の人からバカにされていると感じることはよくある。
ただ、誰かにバカにされるよりも、まず先に、自分がこの仕事をバカにしている。
それがよくないこととわかっていても、これがなかなか抜けていかない。
それでも、私は、この仕事に生活を守ってもらっている。
この仕事に教わり、鍛えられ、人間を生かしてもらっている。

他人に対してばかりではなく、自分に対しても礼節は必要。
蔑むことと顧みることとは違う、
卑下すること謙虚であることとは違う、
甘いことと優しいこととは違う、
冷たいことと厳しいこととは違う、
争うことと競うことは違う、
高慢と賢いこととは違う、
自分に接する際には、その辺のところをキチンと弁えることが必要。
そうすることによって、ダメじゃない自分の成長が期待できるのだから。

「貴方はダメ人間なんかじゃない」と言ってもらいたくてダメ人間を自称している節もあるけど、それでも、私は自分をダメ人間だと思っている。
そして、私は、ダメ人間で仕方ないと思っている。
それは、“達観”はもちろん、“弱音”とか“諦め”とか“開き直り”といった感覚からではなく、愚かで無力な一人間の明日への希望として。

そう・・・ダメ人間として半世紀近くも生きている私は、それでも、そのダメさと向き合える人間に、そのダメさに立ち向かえる人間に、そして、そのダメさに負けない人間になりたいという希望を捨てていないのである。


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思い出

2015-09-10 08:52:31 | 特殊清掃 消臭消毒
8月後半から今日に至るまで、なんだか変な天気が続いている。
8月のうちは「このまま秋になるはずはない」「キツい残暑に襲われるはず」などと勝手に警戒していたけど、9月に入っても様子は変わらず。
酷暑・猛暑はどこへやら、曇天雨天が続き、まるで梅雨のよう・・・
・・・いや、梅雨時期よりも晴天が少ないくらい。
どうも、このまま秋が深まっていきそうな気配を感じる。
涼しくて過ごしやすいのはいいのだが、災害や農産物のことを考えると、やはり季節にあった陽はほしいと思う。

毎年、秋になると、“もの悲しさ”“もの淋しさ”を感じる人は多いみたい。
私にも少しはその気持ちがわかるが、どちらかというと私の場合は安堵感のほうが強い。
酷暑の重労働を乗り切った安堵感と、涼しくなっていくことへの安堵感だ。
ただ、安堵ばかりもしていられない。
私には恒例の?冬期欝が待っているからだ。
もちろん、今年、それに襲われるかどうかはまだわからないけど、考えると不安が過ぎる。
とにかく、つまらないことを考えないように努める必要がある。

幸か不幸か、昨季はチビ犬の死がそれを吹き飛ばした。
チビ犬との死別は、私にとって、かなりショックな出来事だったが、あれから明日で10ヶ月・・・
大袈裟でもなんでもなく、チビ犬のことを思い出さない日はない。
さすがに涙することはなくなったが、「あんなこともあった」「こんなこともあった」と、色々なことを思い出し、「楽しかったなぁ・・・」「可愛かったなぁ・・・」と微笑むことが日課みたいになっている。
死んだ直後は、どうしようもない寂しさと、怒りにも似た悲しみに苛まれていたけど、もうそれもおさまった。
このところは、どうしてだか自分でもわからないけど、チビ犬を思い出す度に何かに励まされるような気がして「頑張んなきゃな!」という思いが起こされ、自分に小さな気合を入れることができている。



特掃の依頼が入った。
依頼者はアパートの大家で、住人が孤独死したよう。
そして、異臭が外部に漏れ出し、近隣から苦情が入っている模様。
私は、依頼の現場を優先して予定を変更。
かかっていた作業をテキパキと片付け現場に急行した。

到着した現場は、ゴミゴミとした住宅地に建つ古びたアパート。
大家宅はアパートと同じ敷地内にあり、私は、まず先に大家宅を訪問。
そして、部屋の鍵を借りようとしたところ、
「お兄さん(故人の兄)が先に来たので鍵は渡した」
とのこと。
私は、周囲から苦情がでるくらいの異臭を放っている部屋に遺族が入っていることを怪訝に思いながらも、とりあえず部屋に行ってみることに。
隣に建つアパートに移動し、装備品を確認しながら二階への階段をのぼった。

二階の通路にあがると、そこには例の異臭が漏洩。
「これじゃ苦情がきても仕方がないな・・・」
「ホントに遺族は中にいるのか?」
そう思いながら、目的の部屋の前に立ち止まった。
そして、中がどんな状況でも臨機応変に対応できるよう気持ちを整え、呼鈴を鳴らした。

「はい・・・どうぞ・・・」
中からは、すぐに返事がきた。
この酷い異臭の中でも、やはり遺族は中にいた。
私がそれに驚きながら、玄関ドアをゆっくり開け
「失礼しま~す」
と挨拶しながら足を踏み入れた。

部屋は1DK。
家財の量も多く、かなり散らかっており、ゴミ部屋に近い状態。
しかも、モノ凄い悪臭が充満。
私は、専用マスクを着けたかったが、マスクを着けた状態での参上は遺族に失礼かと思い我慢。
靴も履いたまま入りたかったが、それも我慢。
息を浅くしながら、つま先立ちで部屋に入っていった。

部屋には、高齢の男性が一人。
何か探しモノをしているようで、部屋の中の物を動かしたりひっくり返したりしていた。
私は、男性に近寄り、簡単に自己紹介をして挨拶。
私が来ることを大家から聞いていた男性は、私を助っ人と思ってくれたのか“待ってました!”とばかり愛想よく挨拶を返してくれた。

挨拶を交わして後、周囲をグルリと見回すと、汚染痕はすぐに見つかった。
それは、台所に併設されたトイレにあった。
液状化した元肉体が便器と床を覆い、それを纏ったウジによって壁の一部は変色。
見た目の光景も凄惨ながら、その異臭もハイレベル。
正直なところ、専用マスクなしでは息をしたくなかった。

故人は80代の女性。
男性も80代で、二人は兄妹。
一通りの貴重品は警察から受け取り、自分でも探し出した
ただ、
「ちょっと探したいモノがあってね・・・」
という。
それは浴衣。
その昔、亡き母親が兄妹に縫ってくれたもので、男性にとって大切なもの。
「昔ね、お袋が俺達(男性と故人)に縫ってくれたものでね・・・」
「おたくみたいな若い人にはわからないと思うけど、戦後のモノがないときに苦心してつくってくれたんだよ・・・」
男性はそう言って表情を和らげた。
若い頃、全国の建設現場を渡り歩いていた男性は、大切なそれを故人に預けていた。
そして、故人も自分の浴衣と一緒に大切に保管していたはずだった。

身のこなしから、男性が足腰を弱めているのは明白だった。
年齢を考えると、それはたいして不自然なものには映らなかったが、それだけではなく、男性は視力も弱めているようで、身体よりもそっちの方が大変そうだった。
その様を見た私は、ちょっと気の毒に思い、一緒に探し物をしてあげたくなった。
が、先にやらなければならないのはトイレの特掃。
それをやっつけたうえでないと、他の用を落ち着いてすることができない。
私は、先にトイレを掃除することの必要性を説明し、作業の手はずを整えた。

特掃って仕事は、何度もやって慣れてるはずなのに、何度やっても慣れないものでもある。
特に、着手する前と着手した当初は、自分の中の何かが拒絶する。
ただ、一旦、手を汚してしまえば、「開き直れる」というか「汚物が人に思えてくる」というか、そんな感覚で徐々に抵抗感が消えていく。
そして、キツさも忘れて作業に集中することができる。
私は、いつものような感覚を抱きながら、黙々と作業をすすめていった。

特掃が済むと、異臭はだいぶおさまってきた。
ただ、タンスをみたくても、押入の衣装箱をみたくても、大量の生活用品とゴミが邪魔をして引き出しを開けることも押入の物を出すこともできず。
とりあえず、私は、部屋に散らかっているモノを順にゴミ袋やダンボール箱に梱包していき、部屋の空間を広げていった。

浴衣は、タンスや収納ケース・衣装箱のどこかにしまってあるはずだった。
男性は、それらを一つ一つ開けていった。
しかし、目当ての浴衣は一向に見つからず。
結局、どこを動かしても、どこを引っくり返しても、浴衣は出てこなかった。

浴衣は、男性にとって自分の思い出であり、妹の思い出であり、母の思い出であり、家族の思い出だったのだろう・・・
「ないものは仕方がない・・・」
「どうせ俺が死んだらゴミになっちゃうだけだからな・・・」
「他人にゴミにされる前に妹がどこかにやったのかな・・・」
男性はとても残念そう・・・寂しそうにそうつぶやいた。
それでも、最後には、幼少期の楽しい思い出を見ているかのような目に薄笑を浮かべた。



「笑顔の思い出は人生の宝物」
・・・私の自論。
笑顔の思い出は過去ばかりのものではなく、今をも笑顔にしてくれる。

目に見える物理的なモノにも宝物は多い。
しかし、それらに永遠はなく、持って逝くこともできない。
自分の身体でさえ置いてかなきゃならないのだから。
目に見えない地位や名誉もそう。
それらは、この世のルールでつくられたものだから。
それでも、私は、笑顔の思い出は持って逝けるような気がしている。
確証もないし確信でもないけど、何となくそんな気がしている。
だから、思い出を大切にしたい・・・
苦しいこと・悩ましいことが多い人生だけど、それでも、笑顔の思い出をたくさんつくりたい・・・
・・・そう思う。

こうして生きている中で、“今”という時間は次々と過去に変わっていっている。
思い出は次々に生まれ、今は次々に過ぎ、未来は次々と失われている。
思い出は過去ばかりに置いておくものではない。
今と未来の支えにするもの。
そして、今を楽しく生きるために使うもの。

「笑顔の思い出をつくるには?」
「今を楽しく生きるには?」
その答は意外に簡単なことかもしれない。
その材料は、身近なところに、自分の中に、ゴロゴロ転がっているかもしれない。

何かを教えてくれているような気がして、今日もスマホにおさまったチビ犬に微笑んでいる私である。



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失然得然

2015-08-29 11:27:18 | 特殊清掃 消臭消毒
もうじき9月。暦は秋。
このところ曇雨が続き、つい先日までの酷暑がウソのように過ごしやすくなっている。
過去形にするには早いような気もするが、今年の夏も暑かった!!
晴天の日などは当り前のように35℃を超えてくる。
その下での肉体労働なわけだから、もう、身体の芯が燃えているような感じ。
自分の身体がエンジン付の機械みたいになる。
とにもかくにも、熱中症には気をつけなければならない。
単独作業の場合は特に。
ただ、作業を始めると休憩するのが面倒臭くなる。
装備の脱着がいちいち面倒なのだ。
とは言っても、自覚症状がでてからでは遅い。

熱中症だったのかどうか・・・7月のある日のことだった。
あまりの暑さに食欲は減退。
そうは言っても、食べないとバテる。
咽通りのいいモノを食べようと、夕飯に盛そばを食べた。
ところが、直後から腹に満腹感とは明らかに違った不快感を覚えはじめた。
そして、それは夜が更けるとともにひどくなり、そのうち吐き気をともなうように。
結局、その日は、夜通し“吐いてはうなされ”“うなされては吐いて”を繰り返し、ろくに眠ることができずヘロヘロになってしまった。
ただ、朝がくれば、約束の仕事に行かなければならない。
私は、その日もフラフラの状態で現場に出て、何度も座り込みながら小刻みに作業を進めた。

幸い、それ以上の大事にはならず、2~3日後には復調したが、あらためて痛感した・・・
・・・健康の大切さ、ありがたさを。
しかし、日常の自分は、健康を当り前のモノのように思ってしまう。
・・・ていうか、普段はまったく意識しないで生活している。
感謝の念をもって大事に!大切に!しなければならないはずなのに。



現地調査の依頼が入った。
依頼者は中年の男性。
時間厳守主義の私は、例によって約束の時間より早く現場に到着。
依頼者が現れるまで待機しているつもりだった。
が、既に、現場マンションのエントランス前には依頼者らしき男性の姿。
男性も、自分の目の前を徐行する私の車を注視し、私と視線を合わせてきた。
私は、軽く会釈をしながらそのまま通り過ぎ、ケータイと車の時計に間違いがないか確認。
遅参ではないことに安堵しつつ急いで近くの駐車場に車を入れ、男性のもとに駆けていった。

私は、ありきたりの挨拶を交わして後、事の経緯と現場の状況を質問。
男性は、何かに怯えたかのように、その表情を固くしながら私の質問に応えてくれた。
亡くなったのは男性の弟で、マンションは故人の所有。
独身だった故人は、入居以来ずっとそこで一人暮らし。
発見は、死後約三週間。
それなりに腐敗が進み、警察の霊安室で確認した遺体は無残な状態だった。

故人宅の玄関前に異臭の漏洩はなし。
男性は開錠の後、後ろに立つ私に道を譲った。
先を入れ替わった私は、誰に言うわけでもなく「失礼しま~す」とつぶやきながら玄関ドアを少し開け、頭だけを中に入れた。
すると、例の異臭が私の鼻を直撃。
油断していた私は、弾けるように上半身をのけ反らせた。
そして、外に異臭を漏らしてはならないため、すばやくドアを閉め、慌てて依頼者のほうへ振り返った。
そして、室内がかなりヒドい状態になっていることと、一緒に入るかどうかの判断は男性に任せる旨を伝えた。

「両親に状況を話さなくてはなりませんし、持ち帰りたいモノもあるので・・・頑張って一緒に入ります」
男性は、故人の死を悼んでか、死痕に恐怖してか、固かった表情を更に強ばらせてそう言った。
そして、どこにでも売っているようなマスクを着け、目で私に“準備OK”の合図を送った。
それを受けた私は、薄いマスクしか持たない男性に申し訳ないような気持ちを抱きながら専用マスクを装着。
再びドアノブを引いて、室内に身体を滑り込ませた。

汚染痕は、寝室を入ってすぐのところにあった。
私にとってはミドル級だったが、男性にとってはスーパーへヴィー級だと思われた。
マスクを浮かせて確認すると、やはり異臭は高濃度。
が、それに反して、ウジ・ハエの発生は「まったく」と言っていいほどなかった。
寒い時季でもなかったうえ、発見がかなり遅れていたにもかかわらず。
私は、そのことを不思議に思ったが、その答を探すのは時間と頭の無駄。
とにもかくにも、虫がいないことは私にとって幸いなことなので、それはそれで単純に受け止めることにして、汚染痕の傍にしゃがみ込んだ。

私は、汚染痕とその周辺を見渡して、死因が自殺であることを推察。
もちろん、断定はできないけど、直感的にそう思った。
しかし、故人の死因を探ることは、仕事上、必要なことではない。
男性から告げられれば受け止めるけど、自分から訊ねることはしなかった。

検分を終えた私は、遺体汚染部の特殊清掃について、作業内容・所用時間・費用等を男性に説明。
話を聞いた男性は、私の説明に納得してくれたようで、その場で私に特掃を依頼。
私は、そのまま作業に入ることにし、早速、仕度にとりかかった。
一方の男性は、汚染箇所を避けながら部屋の各所を写真に撮り、その後、持ち帰るモノのチェックを始めた。

作業中、男性は、時折、私に近寄ってきてはその作業を見守った。
私は、背後から感じる視線と小さく聞こえる独り言に男性の悲哀を感じながら、そして、故人に同志的な同情心を抱きながら、無言で作業の手を進めた。
本来なら、場の空気が煮詰まらないよう、テキトーな社交辞令を交わすところなのだが、男性と故人の会話に割って入るような不躾さを覚えたので、私は、とにかく黙っていた。

一通りの作業を終えると、フローリングに若干のシミが残留したものの、ほぼきれいになった。
時間に限りがあったため限界はあったが、異臭濃度もだいぶ低下した。
しかし、男性は、寝室には入りたくない様子。
それでも、遺品チェックはしたいよう。
悲哀感なのか、恐怖感なのか、嫌悪感なのか・・・何がそうさせるのか男性自身にもわからないようだったが、結局、私が男性に代わって寝室の遺品チェックをすることに。
男性は、申し訳なさそうに寝室のドア前に立って私の作業を見ながら、自分に言い訳をするように故人のことを話し始めた。

故人は40代半ば。
大学を卒業以来、一つの会社に勤めていた。
が、一年ほど前、自分を可愛がってくれ、また育ててくれた上司が会社を追い出されるかたちで退職。
それを理不尽に思った故人は、会社や上役を強く批判。
結果、故人も会社にいづらくなり、上司の後を追うように退職となった。
しかし、故人には、業界においてキャリアも実績もあった。
家族には、先のことを深刻に捉えているような素振りはみせず、「何とかなる」「しばらくはゆっくりするつもり」等と楽天的なことばかり話していた。
しかし、現実はそう甘くなかったのか・・・
仕事を選んでいたせいなのか、それとも、仕事そのものがなかったのか、数ヶ月が過ぎても定職に就いた様子はなく、そのうち、故人は親兄弟と距離をあけるように。
心配の電話が言い争いに発展することも多くなり、時間経過とともに自然と家族と故人の関係は薄くなっていった。

男性は、故人が亡くなっていた場所に用意してきた花を手向けて手を合わせ、
「もっと早くに気づいてやれてれば・・・」
と、悔やみきれない様子で目を潤ませた。
そして、そこには、死の現場から、いつもの何かを得、また新しい何かを得ようとすることも務めであるような気が、また、それがいなくなった故人に対する礼儀のような気がする私がいた。



健康も、時間も、水も、空気も、食べ物も、仕事も、金も、友人も、家族も、命も、その他諸々も・・・
人は、「あって当り前」「いて当り前」ではないものを当り前だと思ってしまいやすい。
しかし、それらは、自分に回りに当然に存在しているのではない。
喪失と表裏一体で、摂理によって与えられているもので、自分の力だけで獲得しているものではない。
獲得に貢献している自分の力なんて、無に近い微々たるもの。
だから、どんなに失いたくなくても機によって失ってしまう。
そして、そのときに、その大切さ・貴重さを痛感させられる。
だから、何事もない普段から感謝して大切にしなければならない。
感謝からは喜びが、喜びからは幸せがうまれるのだから。

もちろん、失ってこそ大切なものが得られることもある。
でも、同じものなら、失わずに得たいもの。
そのためには、“気づき”が必要。
気づくためには、“きっかけ”が必要。
こんな滅多に更新しないブログでも、少しはその“きっかけ”になれているかも?
・・・そう思うと、酷暑と加齢にやられっぱなしのこのポンコツ親父も何とか頑張れるのである。


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整心力

2015-04-01 16:17:44 | 特殊清掃 消臭消毒
今日から四月、新年度のはじまり。
とは言っても、前ブログに記したとおり、私には特に変わったことはない。
何の節目もないまま、いつもの春を感じているだけ。
でも、世間の雰囲気にあやかって、少しは新鮮な気分を味わいたい。
心も身体もリフレッシュして、残された日々を満喫したいと思っている。

というわけで、昨夜は夜桜を愛でに公園へ出掛けた。
面倒臭がりの私が、風情を楽しむために、仕事の後わざわざ出掛けるなんて珍しいことだけど、出掛けた甲斐はあった。
陽下の桃色桜は気持ちが浮いてくるような感じだけど、月下の白色桜は気持ちが静まるような感じがして、また違う趣があった。
お陰で、マンネリにだらけた心が、少しは生き返ったような気がした。

そうは言いつつも、なかなかリフレッシュできないこともある。
そう・・・チビ犬のことだ。
いなくなって四ヶ月半余が過ぎたのに、なかなか立ち直れないでいる。
もう、大泣きすることはなくなったけど、「会いたい・・・」と思うと目が潤む。
遺影になってしまった待受画面を見ると、「ホント・・・可愛かったなぁ・・・」と思う。
そして、色んなことを想い出してはこぼれる溜息混じりの独り言に心を乱されている。

使っていたリードと首輪は、一緒に墓に入れた。
買い置きしてあったドッグフード・トイレシート・オムツ等は、動物愛護団体に送った。
ただ、食器、トイレ、ハウス、服はそのまま。
処分することができず、そのままにしている。
最近になって、やっとトイレと食器だけは片付けたが(捨ててはいない)、ハウスまでは片付けられないでいる。

目に見えるものに永遠はない。物にも命にも限りがある。
私は、時間の限りと人生の儚さをイヤというほど知っているはず・・・
目に見えるものに執着することは賢いことではないこともわかっているはず・・・
今の感傷が一時的なものであることも理解しているはず・・・
なのに、チビ犬のグッズを処分できないでいる。
心の整理は理屈ですすめることはできない・・・
これもまた、いつか笑顔の想い出にかわる・・・
それまで、乱れがちなこの心を想い出で整えて、できるかぎり穏やかでいたいと思っている。



呼ばれて出向いた現場は、マンションの一室。
現場に現れたのは初老の夫婦。
亡くなったのは女性(妻)の弟。
「身内が孤独死」「推定死後数ヶ月」「一緒に部屋に入って状況を確認してほしい」
そんな依頼だった。

半年も経っていれば、腐乱溶解の峠は越えている。
故人の身体はとっくに骨と化していただろうし、生まれたウジやハエも、その生涯を終えたはず。
溶けでた腐敗液や腐敗粘度も乾燥凝固し、凄まじかったはずの異臭も腹を突くレベルから小鼻を突くレベルにまでダウンしているだろうと思われた。
そんな具合を想像した私の頭にヒドイ光景は映らず、そんな部屋の状況確認なんて私にとっては“お安い御用”。
私は、緩ませてはいけない気を緩ませ、平べったくなった気分に寝そべりながら、鍵が開くのを待った。

「え!?」
玄関ドアを引いた私は、驚いた。
そこは、目を見張るほどの酷いゴミ部屋。
私は、事前にそんな情報なかったから、フツーの(?)腐乱死体現場だけを想像していた。
また、待ち合わせた二人も、それを感じさせる素振りはまったくなし。
私は、ノーガードの精神をいきなり殴られ、驚嘆の声をあげてしまった。

「ちょ、ちょっと見てください・・・」
私は、外に漏洩する悪臭のことなんかそっちのけで、ドアを大きく開けた。
そして、後ろにいた及び腰の二人にも中を見るよう促した。
私が戸惑う様子が見てとれたのだろうか、二人は、恐る恐る私と位置を代わった。
そして、中を覗き込み、私より大きく驚嘆の声をあげた。

「この状態、ご存知なかったですか?」
警察から何も聞いてないのは不自然に思われたので、訊ねてみた。
が、二人もゴミのことは何も聞いておらず。
私は、そのことを少し怪訝に、また、少し気の毒に思いながらマスクを装着。
立ち止まっていては何も始まらないので、二人の許可も得ず土足のまま一歩を踏み出し、二人も後に続くよう目配せをした。

中は、かつては普通の部屋だったはずの2LDK。
しかし、そこは威圧的な光景に変容。
全室、ゴミで埋没し床は見えておらず、低いところは足首、高いところは腰の高さまで堆積。
食べ物ゴミ、雑誌新聞、衣類、生活雑貨など、ゴミを構成したものは色々あったが、最も目についたのはチューハイの空き缶と、焼酎の大型ボトル。
それは、ゴミ全体の半分くらいを占める膨大な数。
そんなゴミ山・ゴミ野を見渡し、二人は唖然呆然。
玄関前では泣きそうな表情を浮かべていた女性だったが、凄まじい光景を前に悲哀の表情は消え、ただただ表情を強ばらせるのみ。
充満する悪臭やクッキリ残る遺体痕も気に留まらないくらいショックを受けたようで、か細く震える声で、
「どうしちゃったんだろう・・・何があったんだろう・・・」
と、繰り返し呟いた。


故人は、とある企業に定年まで勤務。
出世コースには縁がなかったものの、固い仕事で収入も安定していた。
また、妻子もなく、家族持ちに比べて自由になる金は多かった。
ただ、生まれた家は裕福ではなく、幼い頃から社会の厳しさと親の苦労を知って育った。
だから、辛抱することと質素倹約は身に染みついていた。
よって、生活は地味。
その経済力を考えると家を持つのも難しくなかったのに、長い間、安アパート暮し。
現場となったマンションも中年になって購入。しかも、中古の割安物件で。
見栄っ張りなところもなく、ほどほどの生活で満足できるような人物だった。

両親はずっと以前に亡くなり、近しい身内は女性(姉)のみ。
二人きりの姉弟ということもあり、その仲は良かった。
ただ、家は離れており、お互いの家を行き来するのは一~二年に一度あるかないか。
日常の付き合いとしては、たまの電話と盆暮の贈答くらい。
二人が最後に故人宅を訪れたのも、もう二~三年も前のこと。
それはまだ仕事を辞めて間もない頃で、そのときは故人にも部屋にも変わった様子はなかった。

二人が知っている故人は、きれい好きで几帳面。
苦労人で怠けることを知らず、何事も辛抱できる人間。
だから、自宅をゴミ部屋にするなんて、微塵にも想像できず。
また、故人が酒を好んでいたことも、二人にとっては意外なこと。
長い付き合いだったが、二人は故人が酒を飲んでいる姿をほとんどみたことがなかった。
食事の場等でも、すすめられて飲むことはあってもすすんで飲むことはなかった。
だから、二人は、故人のことを“酒嫌いの下戸”だと思っていた。
しかし、目の前には、それとは真逆の現実・・・
この現実をどう整理し消化すればいいのか、二人には、そのヒントさえ見つからないようだった。


あくまで、私の勝手な想像だが・・・
故人の生活が変わったのは定年退職が境。
友人みたいに付き合っていた同僚は、仕事や会社という共有物がなくなると、それぞれ別の道へ進み、付き合いはなくなった。
自分一人が生活できるだけの貯えと年金は充分にあったため労働の必要はなく、また、現役時代に十二分に働いたため、その意欲も湧かず。
結果、社会に参加することもなくなり、社会における自分の身の置き所を失った。
次第に、社会と疎遠になっていき、そのうち漂いだした閉塞感に自分の存在意義までも奪われそうになった。
やるべき仕事もなく、これといった趣味もなく、一緒に泣き笑いする家族もなく、孤独な毎日、退屈な毎日。
そんな中でおぼえた酒の味。
一時的とはいえ、酔いは、虚無感を中和してくれ、嫌な気分も紛らわしてくれた。
同時に、それまでの人生と見返りのない現実を比べて、投げやりな気持ちになった。
そうして、酒に頼ることが多くなり、そのうちに溺れていった・・・


長期に渡った作業の最終日、ゴミが撤去され空っぽになった部屋には男性が現れた。
請け負った作業が完了したことを確認してもらうためだったが、故人の実姉である女性は来なかった。
ただ、それも仕方がなかった。
女性は、大事な弟の孤独死に長く気づくことができなかったこと、そして、晩年の苦悩にも気づくことができず、何の手助けもしてやれなかったことをヒドく気に病んでしまったよう。
「相当ショックだったみたいで、あれからちょっと体調を崩しまして・・・」
「DNAで本人確認したのに、“あそこにいたのは弟じゃなく別の人間なんじゃないの?”なんて言うような始末でして・・・」
「気持ちの整理がつくまで、しばらく時間がかかりそうです・・・」
と、男性は、女性の苦悩を吐露し、男性もまた苦悩の表情を浮かべた。


時間と手間をかければ、どんなゴミ部屋も片付けることができる。
ただ、人の心はそういうわけにはいかない。
人の心は、理屈では片付かない。
自分(人)の力ではいかんともし難い悩ましさがある。

意に反して荒心・乱心を抱えてしまうのも人間の本質・本性であり宿命。
大小高低あるけど、私にも、常に心の乱れ・心の荒れは存在する。
そして、それに苦しめられることが多々ある。
しかし、人間の“深み”というか“厚み”というか・・・そういうものは、荒心と整心との積み重ねがつくりだすものかもしれない。
そして、その重みが心を落ち着かせ、平安をもたらしてくれるのかもしれない。

乱れやすい心と脆弱な整心力に悩まされながらも、乱れ咲き、そして乱れ散る桜の趣に人生の機微を重ね、唯一無二のこの生を愛でている私である。



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大福中毒

2015-03-24 09:20:12 | 特殊清掃 消臭消毒
私は、甘味が好き。
食べることだけではなく、見るのも好き。
洋菓子・和菓子を問わず、色とりどり・多種多様の菓子が店頭に並んでいるのを見ると、子供のように気持ちが軽くなる。
クリスマスシーズンには、洋菓子店にかぎらずスーパーやコンビニにケーキのチラシが出回るが、それだけをもらって眺めてはほのぼの感を味わうこともある。
そういった具合に、菓子は、平和と豊かさを感じさせてくれる。
そして、それは、こんな社会にいられることがホントにありがたいことであることを気づかせてくれる。

そんな私だが、昨秋から冬にかけてプチダイエットを敢行。
その期間は、おのずと甘いものは控えざるを得なかった。
菓子は身体を生かすうえでの必需品ではない。
食べなくて精神の健康を害することはあるかもしれないけど、身体の健康を害することはないはず。
だから、とにかく、甘いものは口に入れないよう注意した。
しかし、理性で本性を変えることはできない。理性は本性を抑えるのみ。
“食べたい!”という欲求を抑えるのには、結構な辛抱を要した。

特に食べたくなったのは大福。
ケーキでもアイスクリームでも団子でもなく大福。
以前、大山(神奈川県伊勢原市)に登山した際の塩豆大福との葛藤を書いたことがあったが、アレで味を占めてしまい、以降、まるで中毒にでもかかったみたいに大福への欲求が治まらなくなってしまった。
しかし、まがりなりにもダイエット中。
自分の中では、おやつを食べるのはタブー!
そこで一考。
皿に切餅を並べ、チンしてやわらかくなったところに餡をかけたものを製作(“調理”といえるほどのものではない=カレーライスのカレーを餡に、ライスを餅にした感じのもの)。
そして、
「これは菓子じゃないぞ!御飯だ!御飯!」
「俺は欲望に負けたわけじゃない」
と、言い訳にしかきこえない屁理屈で痩せたダイエット魂を押さえ込んだ。
そして、これ一回きりでは済まず、以降、何回かこのヘンテコメニューに舌鼓を打ったのだった。

余談だが・・・
私は子供の頃から“つぶ餡派”。
団子でも餅でも饅頭でもパンでも、つぶ餡のほうが好き。
舌やノドに纏わりつくようなこし餡のネットリした感覚・・・あの感じが苦手なのである。

一応のダイエットが完了し、今は、体重維持に努めている私。
体重が減りすぎても困るので、今は、少々の甘味は普通に食べている。
ただ、上記の後遺症か、今でも、大福中毒がでることがある。
無性に大福が食べたくなることがあるのだ。
先日も、スーパーに買い物に行った際、まったく買う予定のなかった大福を買ってしまった。
それは二個で一パック、ふっくら丸々として見るからに美味そう。
パッケージには「十勝産小豆使用 甘さひかえめ」と、人の弱みにつけ込むようなことが書いてある。
その上、賞味期限は翌日なのに2割引。しかも、残りはそれ一パックのみ。
これを買わない手はなく、結局、私は大福に降服しささやかな幸福を手に入れたのだった。


ある暑い時季のこと、特掃の依頼が入った。
現場は、某県某市。
行政区分は“市”ではなったが、実際は“村”も同然。
その地域には数軒の家屋が点在しているだけで、カーナビにも登録がないくらいの山間。
単独で現場にたどり着くのは困難と判断した私は、最寄り駅(といっても現場からかなり遠い)駅で依頼者と待ち合わせ、そこから一緒に現場に行くことにした。

約束の日時。
依頼者である初老の女性とその娘夫婦は、遠路はるばるやってきて待ち合わせの駅に降り立った。
まず、我々は、顔合わせと簡単な挨拶を済ませた。
それから、女性達はタクシーを拾い、私は、その後をついて車を走らせた。

車は、どんどんと山の奥の方へ。
そうしてしばらく走って後、二台の車は一軒の家にたどり着いた。
その家・・・小屋といったほうがシックリくる建物は、長閑(のどか)な田園風景が広がる山間部にポツンと建っていた。
まわりは空と山と田畑のみ。
遠くに数軒の人家が散らばっているのみで、人の気配はなし。
家の敷地にも樹木雑草がうっそうと生い茂り、雑草に埋もれた畑の夏野菜が主の不在を暗示。
そこら辺には爬虫類や毒虫もいそうで、長閑さを越えた不気味さがあった。

不気味なことになっているのは、家の中も同じこと・・・いや、家の中はそれ以上。
隙間だらけの家からは、異臭がプンプン。
部屋の中には、蝿がブンブン。
マスク内の息は熱気に圧されてフンフン。
故人がつくりだした死の痕によって、この家全体を異様な雰囲気につつまれていた。

亡くなったのは、この家で一人暮していた依頼者女性の夫。
二人は、夫婦でありながらも別居生活を送っていた。
ただ、それは不仲が原因のことではなく、嗜好の違いによるものだった。

故人一家は、離れた都会に家を持ち、長い間そこで生活していた。
現役時代の故人は、何年にも渡って、自分のため家族のため働いた。
子供成長と家族の幸せを励みに頑張った。
そして、迎えた定年退職。
そのときは既に子供達も成人・独立し、住宅ローンも終わっていた。
そこで故人は、ある計画を実行に移すことに。
それは、田舎暮らし。
もともとアウトドア志向で田舎の自給自足暮らしに憧れていた故人は、かねてから田舎への移住を計画していた。
「やりたいことも我慢して働いてきたのだから、老後くらいは好きなことをやらせてあげよう」と、家族もそれを了承していた。

しかし、女性はそれに同行することはできなかった。
都会生まれ・都会育ちの女性は、まったく気がすすまず。
爬虫類や昆虫類は大の苦手で、たまに故人が連れて行ってくれた(連れて行かれた)キャンプやBBQくらいがギリギリ。
ここは夫婦一緒に暮らすのが自然だったのかもしれないけど、水洗トイレも美容院もない田舎暮しなんてとてもできるものではなかった。
そして、それは、長年連れ添った故人も理解していた。
結局、故人は、夏場は田舎で一人で暮し、冬場は実家で女性(妻)と暮らすことにし、二人は離れ離れの生活を送ることにしたのだった。

女性と故人は、月に2~3度の電話やメールで連絡をとりあった。
故人は、大方の人が嫌がる生活の不便さを逆に楽しんでいるようで、返ってくる声はとても活き活きとしていた。
女性も、“音沙汰ないのは達者な証拠”とばかり、老後になってやっと与えられた“独身生活”を満喫していた。
しかし、あるときから、故人は電話にでなくなりメールの返信もよこさなくなった。
ただ、携帯電話の操作ミスや本人の無精から、以前にも似たようなことがあったため、始めは気にも留めなかった。
が、一ヵ月も過ぎるとさすがに心配に。
安否確認を頼めるような人は近くにいなかったため、女性はソワソワと落ち着かない気分に引っ張られるように故人宅に出向き、そこに起こった異変を目の当たりにしたのだった。

やりたいことをやることは大きな幸せ。
食べたいものを食べ、飲みたいものを飲むことも、
話したいことを話し、聞きたいことを聞くことも、
行きたいところへ行き、見たいものを見ることも、
歩きたい道を歩き、生きたいところで生きることも。
そう考えると、晩年の故人は幸せだったのではないかと思った。
都会生活に比べて不自由なことも多かっただろうし、想像もしなかった困難に遭遇したこともあっただろうけど、長年の夢を実現させたわけで、最期はどうあれ、そこには、それまで味わったことのない幸せがあったのではないかと思った。


人間は、幸せを求める生き物。
そして、幸欲が尽きない生き物。
幸欲が次の幸欲を呼び、際限なく幸せを求める。
まるで、中毒にでもかかったかのように・・・
ただ、この中毒は、悪いものではない。よいものである。
努力すること、忍耐すること、正しく生きることを後押ししてくれるから。
ただ、毒になることもある。
人を駄欲に走らせ、利己的なところへ引っ張ることがあるから。
そして、この中毒は、
「人の幸せって何だろう・・・」
「自分とっての幸せって何だろう・・・」
と、“幸せの定義”という難題に答えられないでいるところに、自分の幸福度を人の好遇・不遇と比べて量るという安易な方程式をもたらす。
量れないはずの幸せを量ることによって、幸せを得させようとする。
結果、その心の中には、人の不幸で自分の不幸感を紛らわそうとする嫌なものうまれる。私のように。

幸せというものは、かたちが見えるようで見えず、見えないようで見える。
気の持ちよう・心の持ちようで得られることもあり、気の持ちよう・心の持ちようで失うこともある。
求めれば得られるものでありながら、求めたからといって得られるものではない。
ときに、求めなくても与えられる・・・多くの幸せは、“気づき”によって与えられる。

身の回りには、様々な幸せがたくさんある。
人には、人それぞれ身の丈に合った幸福がある。
他の人とは共有できない、それぞれの感性や感覚に与えられる幸福がある。
身に余る欲求に支配された幸福は、もはや幸福ではない。
食べ過ぎる大福が害になるように。

そう・・・
“食べる”という幸せもさることながら、その周囲には“食べることができる”という幸せもある。
つい見過ごしがちだけど、なんだか、そっちの幸せのほうが多い(?)大きい(?)ような気がする。
そして、それに気づくこと、気づけることもまた一つの幸せ。
「それを知って食べる大福は、図らずも至福の味になるのだろう・・・」
と、抑えられない幸欲に唾をのむ大福中毒の私である。


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