特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

追憶  ~前編~

2011-04-29 08:40:30 | Weblog

最初の大地震からしばらく経つが、地震に関することが頭から離れない。
“しつこい”感もあるけど、文字を打とうとすると、どうしても頭に浮かんできてしまう。
巷に流れるニュースのせいか、やまない余震のせいか、起こったことが衝撃的すぎるせいか・・・
だから、こうして、ブログにも地震に関することを書き続けている。

復興に相当の時間と資金を要することは、政府の試算がなくとも容易に推察できる。
復興資金を確保するための増税案も検討されている様子。
多種多様の税金に囲まれて生活している者からするとゲンナリしてしまうけど、仕方がないとも思う。
納税は国民の義務であり責任だから。
それがないと公共の福祉が実現できず、その恩恵に与ることもできないのだから。
ただ、正直者がバカをみるような制度はやめてほしい。
所得をキチンと申告しない者や社会保険料や税金を納めないことを当然としている者からもキッチリ徴収してほしいと思う。

津波による瓦礫や残骸の片付けは少しずつ進んでいる様子。
映像からそれをうかがい知ることができ、小さな安堵感を覚える。
反して、片付けなければならない問題は増えているようにみえる。
失われた命を取り戻すことはできないし、長い苦難の道が待っているのだろうけど、とにかく、復興再建を目指して辛抱すべきことは辛抱するしかない・・・
離れたところでぬくぬくしている私がこんなことを言っても、「浅慮」「軽率」でしかないのだが、今は、辛抱に希望を見出すほかはないと思う。


今、義援金や物資の提供、ボランティア活動など、各種の支援活動が展開されている。
これには、一般人をはじめ、多くの企業や有名人も積極的に参加している。
私の知人にも、支援物資を送ったり、ボランティア活動に出向いたりしている人がいる。
私?
私は、些少の義援金と身の回りの物資を提供したくらい・・・
良し悪しはさておき、生活費を極端に節約したり貯金を崩したりしてまでは義援金を捻出していない。
また、ボイランティア活動には参加していないし、今後も、仕事を放ってまで参加するつもりはない。
多分、これからも、小額の寄付、節電、日常の経済活動、被災地産品の購入etc・・・日常生活の中で超間接的な支援を心がけるだけだと思う。
もちろん、これが威張れるようなことではないことはわかっているけど、自分は自分なりのことをしていこうと思っている。

ただ、いつまでこんな気持ちを持ち続けていられるものだろうか・・・
時は、よくも悪くも、心を風化させてしまう・・・
来年の今頃、どれだけ人が支援活動を続けているだろうか・・・
どれだけのメディアが被災地の惨状と被災者の苦境を報じているだろうか・・・
(こんなことを考えるのは余計なことかもしれないけど・・・)

「仮設住宅」だけとってみても、阪神大震災の際は、これが必要なくなるまで5年かかったという。
被害の深刻さからみて、今回の復興がそれより長くかかることは容易に想像できる。
しかし、被災地に暮らしていたわけでもなく、被災者の一員にもなっていない私の心に、今回の震災がどれだけの間残るものだろうか。
近いうちに、このマイブームは過ぎ去り、被災地や被災者のことも忘れ去ってしまうのではないかと危惧する。

今はまだ、まったくその段階ではないけど、時の経過とともにメディアから発せられる震災関連のニュースは少なくなるだろう。
序々に、震災に対する興味がなくなっていくわけだ。
冷たいようだが、それもまた人の自然な姿だと思う。
ただ、今の支援ムードが一過性のものではなく、地味でもいいから息の長いものになることを願うばかり。自戒をこめて。
“3.11”を悲しい記念日として過去に片付けるのは、何年も先のことでいいと思う。



遺品処理の依頼が入った。
依頼者は、中年の女性。
現場は、一般的な間取りの一戸建。
故人は女性の母親。
その母親が使っていた家財生活用品を処分したいとのこと。
口数の多くない女性から必要最低限のことを聞いた私は、例によって、現地調査の日時を約して電話を終えた。

現地調査の日・・・
女性は、私を玄関で出迎えてくれた。
何かを思い悩んでいるのかのように表情を暗くし、どちらかというと無愛想。
また、私と余計な会話はしたくなさそう。
ま、状況が状況だけに、元気な方が不自然だったりするわけで・・・
私の方もお喋りが好きなわけじゃないので、女性の温度に合わせて口数を抑えた。

一見は、何の変哲もない、フツーの家。
室内には、どこの家にもあるような家財生活用品は一式あった。
そして、整理整頓はゆきとどき掃除もきれいになされていた。
ただ、日常の家にはないものが一点。
一階の和室に、遺影・位牌・遺骨が置かれ、線香から細い煙がたち昇っていた。
それは、一人の人間の死をリアルに表し・・・
同時に、女性の明るくなれない心情を私に理解させた。

女性は、「ここは、父親の書斎だった」「ここは、自分の部屋だった」「この部分は増築したもの」「ここは○年前にリフォームした」などと、家の中を案内する中で、私が質問したわけでもないのに家の過去を説明。
その姿は、片付けようとしている想い出に別れを告げているようにも見え、少なからずの寂しさを感じさせるものだった。

現地調査を終えて帰社した私は、事務所で見積書を作成し、早速それをポストに投函。
それから、見積書をつくって発送したことだけでも連絡しようかと思ったが、どことなく私との会話を辛そうにしていた女性の様が思い起こされ、「何かあったら連絡してくるだろう」と、こちらから連絡をするのはやめて女性からの返答を待つことに。
結果、女性から連絡が入ることがないまま、時間は過ぎ・・・
他用に追われた私の脳裏から本件のことは消えていった。


それから半年くらい経った頃、私の携帯が鳴った。
ディスプレイには知らない番号。
でてみると、相手は女性の声。
その女性は私を知っているよう。
しかし、私の方は、名前を聞いても思い出せず。
私は、現地の場所と調査に訪問した日を女性に教わりながら記憶をたどり、やっとのことで思い出した。
そして、「どうも!どうも!お久しぶりです!」と、人が変わったかのように愛想よくし、なかなか思い出せなかった気マズさをごまかした。

女性は、
「見積書は確かに受け取った」
「連絡もせず申し訳ない」
「片付けようと思ったのだが、日取りを決める段になると急に躊躇いの気持ちがでてきた」
「結局、どうしても、気持ちの整理がつけられず、今日に至っている」
とのこと。
そして、
「母のことを思い出すと、今でも、涙がでてしまって・・・」
と、声を詰まらせた。
そんな女性の様子は、女性が抱える喪失感が深刻なものであることを如実にうかがわせた。


母親が亡くなった当初、女性は家の中の何にも手をつけることができず。
その生活感を消してしまうことが、母親が存在していたことを自ら否定することになるような気がしてならなかった。
しかし、家庭ゴミからは異臭がしはじめ、冷蔵庫の食品も腐りはじめた。
さすがに、それらは放置しておけない。
余計なところは触らないように、ゴミを出し、放置されたままだった洗濯物や食器も洗って片付けた。
それから、週に一度くらい家を訪れては掃除をし、室内が荒れないように努めたのだった。

「それで、この半年の間に、何か問題がありましたか?」
「いえ・・・特には・・・」
「気持ちの方はいかがですか?」
「それが、まだ・・・」
「でしたら、もう少し待ってからでもいいんじゃないですか?」
「それはまぁ・・・」
「気持ちの整理がつかないのに、焦って片付けることはないと思いますよ」
「そうなんですけど・・・」
「・・・」
「実は・・・」
女性は、言いにくそうに、言葉を続けた。

つづく


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人は見かけによらぬもの?

2011-04-22 08:24:08 | Weblog
「人を見た目で判断してはいけない」
幼い頃、そんな教育を受けたおぼえがある。
拡大解釈すると、
「人は、見た目だけで判断することはできない」
となる。
更に、反対解釈すると、
「人は、見た目で判断できることもある」
となる。

私は、これまで体感してきた実社会においては、「人は外見で判断できる」といった場面に何度となく遭遇してきた。
そして、今は、“身だしなみ・ツラがまえ・物腰・言葉遣い・・・そういった外見で、その人に関するある程度のことは判断できる”といった考えを持つに至っている。
ちなみに、ここにいう“外見”とは、服や持ち物、顔かたちや背格好のことを指しているのではないので誤解なく。

人の品性や教養は、素行や嗜好、学問や交友関係によって養われ・蓄積されるもの。
批難を覚悟で言うけど、人の迷惑も省みず夜の街でバイクをブンブンやっている若者が一流大学に通っている風には見えないし、夜中のコンビニにたむろする金髪の青年が一流企業に勤めている風にも見えない。
(もちろん、この私が、一流企業のビジネスマンに見えることもないだろうけどね。)
そして、そんな人間に限って「人を外見で判断すんじゃねぇ!」とのたまい、品格と教養のなさを露呈させる。
逆もしかり。
一流大学に通う若者達が高校中退の不良少年だったとは思えないし、大手企業で働くビジネスマンが低学歴・低教養だとも思えない。
社会に合った道徳心や、貧欲に勝る理性を持っているように見える。
もちろん、これが当っているかどうかはわからないけど、当っているような気がするのは私だけではないだろう。
結局のところ、“その人の人間性は、その外見である程度判断できる”ということになるのである。

外見で判断できることは他にもある。
それは、年齢。
赤ん坊が大人に見えることはないし、老人が子供に見えることもまずない。
やはり、人の外観は年齢にあわせて変化していく。
それが自然。自然の摂理。
しかし、この世の中には、その摂理に果敢に立ち向かおうとする“戦士”がいる。
過ぎ行く時間なんて、人間ごときがとても立ち向かえるものではないにも関わらず・・・
それは、女性。
女性は、自分が若く見られるために勇敢に戦う。
ファッション、化粧品、サプリメント、美容機器、美容法、整形術・・・戦術に合った武器を調達しながら・・・
戦闘によって肌艶が奪われ、シワが深く刻まれようとも、粘り強く必死に・・・
その戦域は、もはや、「男にモテたいから」なんて理由だけでは片付けられない領域にまで達している(←大げさ過ぎる?)

また、聞いたところによると、女性は、若いときの友達とはお互いに歳を明かしあうけど、いい歳(30くらいが境目?)になってからの知り合った相手とは年齢を確認しないらしい。
知人の中には、自分の子供にさえ実年齢をごまかしている人もおり・・・
社会一般における真偽は不明だけど、女の世界では、それが暗黙のルール(礼儀)になっているのだそうだ。

この価値観は、男の世界には・・・少なくとも、私のコミュニティーにはない。
ただ、よく考えてみると、女性の価値を年齢で測るクセがあるのは女性だけではなく、私を含めた男性も同じこと。
この価値観形成には、男性も充分に加担しているわけで、男連中が反省すべきこともあると思う。
どちらにしろ、女性が女性であるかぎり、若づくりの戦いに終わりは来ないのだろう・・・
せめて、これが泥沼の戦いになって身体加齢を加速させないよう祈るほかないか・・・
でも、案外、年齢に抵抗せず素直に従うことが、若く見られる秘訣だったりするのかもしれないよね。



初老の男性が、自宅で孤独死。
死後一ヵ月。
現場は、故人が暮らしていたマンションの一室。
依頼者は、故人の息子。
私は、依頼者と現地調査の日時を約して、電話を終えた。

出向いたところは、1Rの部屋ばかりが造られた小規模マンション。
どうみても賃貸用に建てられたものだった。
依頼者の男性は、私よりに先に到着。
男性は、上は穴の開いたTシャツ、下は膝のでたスウェット、足はゴムサンダル。
顔には無精ヒゲ、頭はボサボサ。
お世辞もでないくらい貧相な風貌。
しかも、その表情は弱々しく・・・
モジモジしながら話す声は小さく、言葉数も最小限。
人を外見で判断するクセのある私は、「頼りなさそうだな・・・」「お金あんのかなぁ・・・」と、いけない先入観を抱いた。

部屋にある家財生活用品は少量。
しかし、異臭濃度は高く、涌いたウジ・ハエも大量。
主たる腐敗液は、布団とベッドに残留。
誰かが片付けを試みたのか、汚れたパイプベッドは腐敗液をそのままに中央から折り曲げられ、中途半端な状態で放置。
全体的な汚染度はミドル級だったが、ベッドをうまく処理すれば、一気にライト級に下げることができるレベルだった。

「ベッドだけでも早めになんとかした方がいいと思いますけど・・・」
私は、“押し売り”と思われることを懸念。
しかし、急を要すると判断し、早めに手を着ける必要があることを男性に伝えた。

「・・・でも、ちょっと、その金額では・・・」
男性は、恥ずかしそうに、私が提示した見積金額に難色を示した。
そして、顔をゆがめながら、何度も溜息をついた。

「きびしいですか・・・」
男性の経済力は、私が想像していた通りのもの。
私の頭には、“退散”の文字が過ぎり、男性の様子をうかがいながら、それを口にするタイミングをはかった。

「せっかく来てもらったのにスイマセン・・・仕事は頼めません・・・」
“検討する”などとテキトーなことを言っておくこともできたのに、男性は、正直にそう言った。
私にとって、男性のその姿勢は好感を持つに値するものだった。

「そうか・・・」
本件が仕事にならないことは、ほぼ確定。
それでも、部屋の始末をどうつけたらいいのか答が出せないで困っている男性を置いて立ち去るのには抵抗があった。

「んー・・・」
男性は、弱った表情。
場を“おひらき”にしようとするどころか、今後の策を一緒に考えてほしそうな雰囲気をプンプンと醸しだした。

「とりあえず、ベッドの分解梱包だけやりましょうか?・・・お金はいりませんから」
“これも何かの縁?”“乗りかかった舟?”と、私は、自分に質疑。
男性が作業する場合の難しさと私がやる場合の簡単さを天秤にかけ、わずかにしか持ち合わせていないボランティア精神を心の奥のほうから引っ張りだした。

「スイマセン・・・スイマセン・・・じゃ、交通費だけでも・・・」
男性は、平身低頭。
“交通費だけでも払う”と言ってくれたが、私は“お金はいらないと言ったはず”“約束は約束”とカッコつけてそれを固辞した。

「大丈夫ですよ・・・私にとっては簡単なことですから」
男性の低姿勢に乗じた恩着せがましい態度は、品性と教養のなさを露呈させるだけ。
私は、サバサバと受け答え、作業の支度を整えた。


やはり、男性は、自身が言っていたとおり、私に特掃作業を依頼せず。
私が見積もった料金は、どうやっても男性が負担しきれる額ではなかったようで、“自分の手でなんとかする”とのことだった。
悪臭が充満する中、荷物を分別・梱包・搬出し、腐敗液を拭き取る・・・
手伝ってくれる親戚がいるとはいえ、腐敗体液の始末は誰にも頼めるはずはなく・・・
技術的にも精神的にも、重い苦労を要するはず・・・
玄人の私にとってはわけない作業でも、素人の男性にとっては大変な作業になるであろうことは、容易に想像できた。

それからしばらく後、男性が、再び連絡を入れてきた。
“部屋は空けたけど異臭が残留している”“その消臭作業を依頼したい”“それくらいの費用は負担できる”とのこと。
男性は、“消臭は自分では無理”と判断したようだった。
ただ、動機はそれだけではなく、私には、現場まで足を運び、相談に乗り、簡易特掃までやったことに対する義理もあるように感じられた。
そして、それが何とも嬉しかった。

男性は、確かに貧相な風貌だった。
しかし、現実から逃げなかった。私にウソをつかなかった。私への義理を欠かなかった。
私は、そんな男性に対する見方を、反省とともに変えざるをえなかった。
そして、それは、無意識のうちに蔑ろにしていた「人は、外見だけで判断できないこともある」という一石を私に投じた。
と同時に、「見かけがさえないのは仕方がないけど、“中身は悪くない”と人から思ってもらえるくらいの人間になりたいもんだな・・・」という思いを私に与えてくれたのだった。


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Reset ~後編~

2011-04-12 08:40:44 | Weblog
「ひょっとして、ゴミが溜まってるってことないですかね」
「え!?」
「“個人の自由”なのかもしれませんけど・・・」
「・・・」
「うちは小さい子供がいますし、隣があまりに不衛生だと気持ちが悪くて・・・」
「・・・」
「あと、火事も心配ですし・・・」
「・・・」
「前に、この人(依頼者男性)の部屋から大量のゴミがでてきたことがあって、ビックリしたことがあったんです」
「え!?」
「だから、“もしかしてまた?”と思いまして・・・」
「・・・」
女性の言葉に、私はいちいち動揺。
女性は、どうも、中がゴミ部屋になっていることをほぼ見通しているようだった。

個人のプライバシーに関わることを自分が積極的にバラすわけにはいかない。
しかし、状況的にみて、ことが表沙汰になることは避けられそうになく・・・
私は、「これで“近所にバレないように”って言われてもなぁ・・・」と、“トホホ・・・”な気分で、後のことを思案した。

毅然と断って気分を悪くされると、何かと厄介。
住民を敵に回すと、作業がやりにくくなるだけだから。
しかし、女性の要望は私の権限では聞き入れられない。
私は、弱りきった顔をつくって同情を誘い、商業道徳を盾に女性の要望をかわした。
そして、半強制的に会話を終わらせると、「バイバ~イ」と子供に手を振って女性の姿が完全に見えなくなるまで見送った。


男性の部屋は、一人で暮すには贅沢と思われるくらいの2LDK。
広いルーフバルコニーからの眺望は広大で、遠くの山なみも望めた。
ただ、広大なのはそればかりでなく、床に広がるゴミ野も同様・・・
山なみができていないだけマシとはいえ、廊下も台所も部屋も、その床は完全にゴミで覆い尽くされ・・・
私にとっては驚くほどでもなかったが、素人にとっては完全に“ドン引き”するレベルだろうと思われた。

外に出て誰か(特に隣の女性)と顔を合わせたくなかった私は、部屋の中から男性に電話。
男性は、その時間帯に私から電話がかかってくることを予想していたようで、すぐに応答。
話は前略で始め、私はまず、隣人が勘づいているであろうことを報告。
次いで、隣人から室内の様子を知らせてくれるよう頼まれたこと、そして、周囲に気づかれずに片付けることはもはや不可能であることを伝えた。
ただ、その場で蒸し返しても仕方がないので、女性から聞いた男性のゴミ溜め歴については触れないでおいた。

隣宅女性が言っていたとおり、やはり、男性は、部屋に大ゴミを溜めた経験をもっていた。
私が隣宅女性と接触した事実を知って観念したのか、こちらから尋ねるまでもなく男性の方から打ち明けてきた。
その時は、現状のようなゴミ野では済まず、遭難しそうなくらいのゴミ山ができ、玄関ドアを開けただけで、外にゴミがこぼれ落ちるくらいになっていたとのこと。
そして、それらを片付けたのは、男性とその家族・親戚。
男性は、激怒する親と呆れ返る親戚に平身低頭で頼み込んだのだった。

彼らが部屋からゴミは撤去するのには、何日もの時間がかかった。
もちろん、秘密裏に片付けるなんてことはできるはずもなく、近所の人や管理人にはバレバレ。
誰彼かまわず、会う人すべてにペコペコと頭を下げながら作業は進められた。
同時に、好奇と嫌悪の視線は、本人はもちろん手伝う家族・親戚にも向けられ、時に、それは嘲笑の的にされているようにも感じられるものだった。

これに懲りた男性は、「二度とゴミは溜めない」と決心。
以降、こまめなゴミ出しに努めた。
しかし、悲しいかな、人間には性(さが)がある・・・それができたのも当初の期間のみ。
生活スタイルは、次第にもとに戻り、片付けから数週間後には男性がゴミ集積所に姿を現すことはなくなり・・・
結果、一日一日、着実に部屋にはゴミが溜まっていくように・・・
増えゆくゴミと減りゆく空間の中で、次第に男性の心は落ち着きを失っていったのだった。


我々は、片付け作業を秘密裏に行わず、日中堂々と実施。
室内できれいに梱包したうえで運び出したし、知る人には、それがゴミであることは明白だったから。
作業中、嘲笑の的にはされてはいないと思うけど、近隣住民による好奇の視線は感じられた。
ただ、それは、真には依頼者男性に向けられたもので、気に障るほどのものではなかった。
そんな、針のムシロ状態を察してか、結局、男性は、一度も姿を現さず。
その気の弱さと自己管理能力の低さは自分に共通するところがあり、私が男性に対して悪い感情を抱くことはなく・・・むしろ、同士的な好感すらもっていた。

作業が終わり・・・
「今までの生活をリセットして、これから人間らしく生きていきます!」
片付いて安堵したのか、電話の向こうの男性は元気を回復した様子。
冗談めいた大袈裟な言葉で礼を言ってくれた。
「そうですね・・・でも、またやっちゃったら連絡ください」
私は、男性の明るい声に自分の価値を感知。
本心ともジョークともとれる言葉で、笑い声を返したのだった



今回の大震災をうけて「価値観が変わった」とする人は多い。
多くの人が、本音の部分でそう感じているのだろう。
そして、そう感じることを“よし”とする自分が、どこかにいるのだろう。
かく言う私もその一人。
感謝、喜び、恐怖心、不安感etc・・・震災前の感覚と今の感覚が異なっていることが自覚できる。
しかし、人の価値観なんてものは、そう簡単に(起こったことは簡単ではないけど)変えられるものだろうか。
あくまで、自分という人間(私個人)に関して考えることだが、私はそうは思わない。
今起こっている(自分が感じている)のは、“価値観の転換”ではなく“感受性の一時的な変容”。
自分の感受性が非日常的な刺激をうけて、日常にない反応を起こしているだけのこと。
つまり、これは、一過性のもの。
「咽もと過ぎれば熱さ忘れる」ということわざがあるように、今、熱さが咽もとにあるから起こっているに過ぎない現象だと冷ややかに捉えている。

事故、大ケガ、大病、人の死、挫折、不慮の大事etc・・・
今回の震災に限らず、価値観が変えられるくらいの出来事に遭遇したことは、誰しもあると思う。
しかし、それで、以降の価値観は本当に変わっただろうか。
貧欲や浅慮、利己主義があらたまり、正しい知恵や善性が身についただろうか。
抱いた覚悟や決心を崩さず、同じ過ちは二度と繰り返していないだろうか。
残念ながら、私の場合は違う。
時間が経てばもと通り・・・時間とともに心は風化していくのが常。
だから、同様に、今回の震災を受けて転換されたとされる既存の価値観も、時間が経つともと通りになるようにしか思えないのである。

もちろん、人の内面が、もとの鞘(さや)に収まることが全く無意味なことだとは思わない。
それが、何かを考えたり、何かに気づくきっかけになったりすることがあるかもしれないから。
それによって、悲しみが癒えることもあれば、元気が取り戻されることがあるかもしれないから。
人生に大きな変革をもたらさなくても、日々に小さな変化をもたらすことがあるかもしれないから。
ただ、いずれはもとに戻る価値観が一時的に動いたことを転換と勘違いし、その上、それが人の不幸を土台にしたものであることを真に理解せず、「価値観が変わった!価値観が変わった!」と、自分がひとつ成長したかのように喜ぶ(陶酔する)ことに、言いようのない軽々しさと浅はかさと違和感を覚えるのである。


味わった苦痛や受けた苦難は、そう簡単に忘れられるものではない。
リセットした方がいいことは、なかなかリセットできない。
悔い改めや良心の決意は、そんなに長続きしない。
リセットしない方がいいことは、すぐにリセットされてしまう。
それが人間(私)。

過ぎた時間は取り戻せない・・・
起こった過去は取り消せない・・・
はたして、そんな時空に支配された人生をリセットすることはできるのか・・・
・・・私には、わからない。
ただ、そのチャンスだけは、誰にでも分け隔てなく与えられているものだと思いたい。
私は、頑なな価値観を抱えて汲々としているけど、毎日にあるリセットチャンスを信じたい。

暗い自分(誰か)を明るくするために・・・
弱い自分(誰か)を強くするために・・・
折れそうな自分(誰か)を支えるために・・・
・・・今を元気に生きるために。


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Reset ~前編~

2011-04-07 16:32:51 | Weblog
春。4月。
昨年より少し遅いが、東京には桜が咲き始めている。
青い空に薄桃色の花びらが眩しい。
今日、都内各所で新入生らしき子供達と正装した親達を見かけた。
桜と同じく、ピカピカの一年生も眩しく輝いている。
先に待っているのは幸せなことばかりではないだろうけど、子供たちには元気に正しく成長してもらいたい。
そして、短くも長い人生を、明るく歩いていってもらいたいと思う。

私が小学校にあがったのは、もう三十数年前のこと。
亡くなる直前の祖父が買ってくれた黒いランドセル、鉛筆を削ること、消しゴムのニオイ、何もかもが新鮮だった。
しかし、そられはとっくに過ぎ去った・・・遠い・遠い昔のこと。
「あの頃に戻れたら、人生をリセットできるのになぁ・・・」
そんな願望は歳を負うごとに増えるばかり・・・だけど、到底、かなえられるものではない。

「震災前に戻れたら・・・」
「夢であってほしい・・・」
子を亡くした親・・・
親を失った子供・・・
目の前で夫を流された妻・・・
妻を助けられなかった夫・・・
兄弟を、姉妹を、友人を、仲間を亡くした人々・・・
家を、財産を、仕事を失くした人々・・・
何十万・・・いや、それ以上の人々がそう思っていることだろう。
しかし、現実は、そんな人々の前に容赦なく立ちはだかっている。

外野にいる私には、その苦しみをリアルに感じることはできない。
ただ・・・
「この先、どうやって生活を立て直せばいいのか、何も思いつかない」
と苦悶する被災者の姿に、
「俺だったら、立ち直れないかもしれない・・・多分、無理だろう・・・」
と私は思う。
こんなときこそ“生”に固執しなければならないのに、私の頭には、逆の一文字ばかりが過ぎる。
だから、「頑張れ!」という思いを抱くことに、躊躇いと良し悪しの判断ができない無責任さを覚える。

頼りない電力に、降りそそぐ放射性物質・・・何事もなかったかのような日常を取り戻すには、しばらくの時間がかかりそうだ。
離れたところにいる私でもそうなのだから、被災地が復興するには何年もの時間がかかるだろう。
また、被災者の精神が復興するには、より多くの時間を要するだろう。
・・・ひょっとしたら、その傷は、生涯かかっても癒えないものかもしれない。

私も、“何かを楽しもう”という気になかなかなれない。
好きなはずの酒もすすまない。
しかし、これは、私が人の痛みがわかる人間だからではない。
被災地や被災者を慮ってのことではなく、単に社会全体の不安感に圧されているだけのこと。
私のネクラな性格からきているものである。

「不謹慎」と批難されるのかもしれないけど、社会的な節度と良識をもってすれば日常の飲酒やレジャーはあっていいと思う。
買占めや電気の無駄遣いにならないよう注意しながら、通常の経済活動は行ったほうがいいと思う。
経済活動がなかったら税金も集まらないわけで、その税金が復興の原資になるわけだから。

また、放射性物質に過剰反応しないことも肝要だと思う。
とりわけ、悲観的・神経質な性格をもつ私のような人間は。
公の安全情報を信じることもまた、復興の一要素。
乳製品・農産物・海産物・水・・・風評に惑わされないように、「客観的第三者」というよりも少し被災者の立場に寄った判断するよう努めたいと思う。



「部屋にゴミを溜めてしまった」
「恥ずかしいから顔を合わせたくない」
「近所にバレないようにしてほしい」
「スペアキーを送るから勝手に入って見てほしい」

ゴミの片付け依頼が入った。
依頼者は30代? 少なくとも、私よりは若い感じの男性。
言葉遣いは丁寧で、低姿勢。
私は、「恥ずかしいから顔を合わせたくない」という男性に妙な親近感を覚えた。
同時に、その心情を察し、現地を見れば回答が得られるような質問は省略。
短い会話を交わした後、とりあえず、部屋を見に行くことを約束した。

数日後、私は送られてきた鍵を持って現地へ。
現場は、小規模の分譲マンションで常勤の管理人はおらず。
男性の部屋がどちらかはわからなかったが、一部の部屋は所有居住用に、また一部の部屋は運用賃貸用として使われているようだった。

私は、まずエントランスの集合ポストを確認。
すると、案の定、そこには大量のチラシや郵便物が押し込められ、その一部は口からハミ出ていた。
そして、郵便物に記された宛名によって、私は、男性が偽名を使っていないことと部屋番号に間違いがないことを確認し、エレベーターに乗り込んだ。

男性宅の玄関ドアに手をかけたところで、隣の玄関から一人の女性がでてきた。
女性は幼児を連れており、どこかに出掛ける風。
私と目が合うと軽く会釈してくれた。
私は、子供に向かって「こんにちは~」と似合わない笑みを浮かべ、“気のいいおじさん”に変身。
すると、女性は、私の方へ数歩近寄り声をかけてきた。

「こんにちは・・・隣の者なんですけど、○○さん(依頼者男性)はいらっしゃるんですか?」
「いえ・・・」
「中に入られるんですか?」
「はい・・・」
「点検かなにかですか?」
「まぁ・・・そんなもんです・・・」
「ひょっとして引越屋さん?」
「いえ・・・」
「引越しじゃないんですか?」
「えぇ・・・」
「なんだ・・・」
「・・・」
私が引越業者ではないことが知って、女性は残念そうにした。
ただ、それだけで話は終わらず。
女性は、私に声を掛けた動機の核心に向かって話を続けた。

「部屋の中は、フツーですかね?」
「???」
「なんかおかしくないですかねぇ・・・」
「さ、さぁ・・・今日、初めて来たものですから・・・」
「そうですか・・・」
「・・・」
「よその御宅ですから、“私にも見せて下さい”とは言えませんよね?」
「え!? そ、それはちょっと・・・」
「ですよねぇ・・・」
「・・・」
「じゃ、どんな風だったか、あとで教えていただけませんか?」
「え!?」
女性が何かを疑っているのは明らか。
室内の状況に、ひとかたならぬ興味を持っている様子。
一方、私の頭には、「近所にはバレないように・・・」と念を押した男性の言葉が過ぎり・・・
それは、女性の疑念と相反することによって、私にイヤな展開を予感させたのだった。

つづく




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一粒の麦

2011-04-01 09:25:09 | Weblog
彼は、私の二つ年下。
「親友」と呼べるほどの間柄ではなかったかもしれない・・・
が、非一般的な価値観の一つの共有できる数少ない友人だった。

普段、舌の潤滑剤として酒を用いることが多い私。
当初、彼とも、シラフの状態では、うまくコミュニケーションをとることができなかった。
しかし、何度目かの話題が深いところで合致し、以降の付き合いにアルコールの力を借りる必要はなくなった。

彼は、酒も飲まず、タバコも吸わず。
もちろん、ギャンブルや女遊びもやらず。
根本的に私とは違うタイプの人間だったが、私は、自分の信条を表裏なく表すスタイルに共感を覚えていた。

彼が卒業した大学は、私ごときでは“背伸び”どころかハシゴを使っても届かないレベル。
勤務先は名の知れた大手企業。
ただ、私が勝手に羨ましがるだけで、彼が、それらを自慢することは一切なかった。

彼には、妻と三人の幼い子があった。
「出世は望まない」「とにかく、いい家庭をつくりたい」「大学に入ったのも、この会社に就職したのもそのため」
一流企業のビジネスマンではありえないくらいの家事もこなす、真面目な男だった。

そんな彼が、晩冬のある日、体調を崩した。
腹部に不快感を抱きながら帰宅した彼は、家に到着するやいなや洗面所で嘔吐。
ドス黒い粘液を大量に吐いたのだった。

翌日、彼は、会社に常駐する産業医のもとへ。
診察した医師は、胃潰瘍を疑った。
ただ、そこで正式な診断を下すことはできず、病院で検査することになった。

検査結果は、胃潰瘍ではなく胃癌。
しかも悪性。
その回復事例は他種の癌に比べて極端に少なく、死というものを否応なく意識させられるものだった。

彼と家族は、各地に名医・名病院を探した。
色んな病院や医師の技術や治療方針を調べ、希望が持てる治療法を検討。
そして、暗中模索の中で、一つの方法を選んだ。

春の最中、彼は、胃の全摘手術を受けた。
私が病院に彼を見舞ったのは、その翌日。
病室に入ると、彼はベッドの上に座り空ろな目で天井を見上げていた。

私は、彼の病気を知ったとき、「自分じゃなくてよかった」と思ったことを打ち明けた。
しかし、彼は、「気にすることはない」と、私の肩を叩いて同情の顔をみせた。
他人に同情できる余裕なんかなかったはずなのに・・・

梅雨の頃、彼は自宅に戻っていた。
胃がないことが信じられないくらい、食欲は旺盛。
大病を患ったとは思えないほど、元気な姿をみせていた。

回復基調をみせていることに、本人も家族も明るかった。
「定年前に会社を辞めて、自然の中で暮らしたい」「そこで、子供向けの自然学校をやりたい」
将来への希望に、生力が漲っていた。

しかし、そんな平穏な日々は長くは続かなかった。
しばらくして後、腹部にあらたなシコリが発生。
それは、本人が最も恐れていたこと・・・癌が再発したのだった。

彼は、強い恐怖感に苛まれた。
極度の欝状態に陥ったり、自暴自棄になったり・・・r
忍び寄ってくる“死”という現実に恐怖し、病院に行くことさえできなかった。

それでも、生への希望を捨てることはできず・・・
藁をも掴むような思いで、託した療法を貫いた。
しかし、体調は悪化の一途をたどるばかりだった。

彼は、日に日に痩せ衰えていった。
一日一日とその命を短くしながら、家族とともに自宅で過ごした。
そして、晩夏の早朝、家族が看取る中で天にあげられた。

38年余の生涯だった。
私は、再発後の見舞いにも、葬式にも行かなかった。
葬式の日は、遠くの現場で、彼のことを想いながら汗を流した。

私は、心を痛めているフリができる人間。
私は、悲しんでいるフリができる人間。
ありきたりの礼儀や心遣い、薄っぺらい同情心はあっても、そこに真の愛があるだろうか・・・

私は、自分が偽善者であることは、わかっているつもり。
更に、偽善者を自称すればするほど、その偽善性が強まることも認識しているつもり。
だから、再発を知っても見舞いに行けなかったし、葬式にも行けなかった。

彼が勤めていた会社の高層ビルは、私がよく走る高速道路の脇に建っている。
「もっと生きたかっただろうに・・・」
そのビルを見るたびに、彼のことを想い出し、その名をつぶやく。

愛する家族を残して逝かなければならない運命を背負った彼・・・
残された日々に何を思っただろうか・・・
自分がいなくなった後の妻子を案じ、身が引き裂かれるような苦痛を味わったのではないだろうか・・・

彼がいなくなってからも、何事もなかったかのように季節は巡っている・・・
重なる春夏秋冬の中で、将来、私が、彼と同じような境遇にならないという確証はない。
「死んでしまいたい」と泣く日々に、「死にたくない」と泣くときがくるかもしれない。

彼の死によって、結ばれた実は多い・・・
少なくとも、私の中には。
私は、その実をどう熟させ、どう収穫するべきか、今でも考えている。

今回の震災でも、多くの命が失われた。
「宿命」とか「運命」では、片付けられないくらい多くの命が・・・
残された人々の苦痛と悲哀がどれほど深刻なものか・・・離れたところで平穏に暮す私に量ることはできない。

命の価値は、死をもってなくなるものではない。
命の意義は、死をもって終わるものではない。
命の意味は、死をもってわかることがある。

死は、すべてを失わせるものではない。
命が失われることによって、新たな実が結ばれることがある。
先に逝った彼が、その死によって私の内に実を結ばせたように、亡くなった人々もまた、その死によって多くの人に多くの実を結ばせるのだと思う。

悲しむ、哀れむ、憂う、泣く・・・今は、それしかできないかもしれない。
ただ、命は、命を継承し、命を更に強くさせるもの。
悲しく辛いことではあるけど、私は、実をなさない死を遂げた人は一人もいないと思っている。

これから、その実をどう探し、どう収穫するべきか・・・
我々は、これをよくよく考える必要があると思う。
そこに得た命が、自分に、周りの人に、次の人に多くの実を結ばせるのだから。



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