特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

あ・り・が・と・う

2014-12-17 16:06:09 | Weblog
今年も残すところ二週間。
師走も押し迫り、街も日に日に賑やかになってきた。
あちこちでクリスマスケーキや正月の御節料理をPRするチラシやポスターを見かける。
実際に買わなくても、実際に食べなくても、それらを目にするだけで平和と豊かさを感じる。
そして、今年もまた、その中にいられることに感謝している。
ただ、豊食は豊かさや平和を象徴するものの一つでありながらも、落とし穴がある。

30代前半の頃、激太りと激痩せを経験した私。
太っていた頃は、標準体重18kgオーバー。
好きなものを好きなだけ食べ、好きな酒を好きなだけ飲み・・・毎日のように暴飲暴食を繰り返した。
結果、肝臓を壊し(脂肪肝)で医師から厳重注意を受け、節制とダイエットに取り組んだ。
逆に、痩せていた頃は、標準体重8kgマイナス。
精神的に病んでしまい、食べることを拒絶。
頬がこけ、腹が凹んでいく自分に優越感を覚え、食べることを嫌い食べないことを心がける日々。
ストレスの矛先を自分に向け、ダメな自分を虐めることで何かが解決すると自分に勘違いさせて、自分を誤魔化していた。

ただ、ここ何年かは、体重に大きな変動はない。
標準体重より5~6kgオーバーした状態で、そこから増えもせず減りもせず。
「“痩せてる”とは言えないけど、“肥満”まではいってないよな」
と自負(?)し、自然体で飲食を続けていた。
しかし、体重と体型は異なる動きをする。
体重が増えたわけではないのに、腹回りのプヨプヨ感は増してきた。
また、加齢による体力の衰えのせいだろう、仕事をしていても自分の身体を重く感じることが多くなった。

そこで思いついた“プチダイエット”。
本格的なダイエットは心身に負担がかかるから、実行するのは、あくまでも“プチ”。
取り組んだのは、大盛・大食の制限。
そして、大好きな甘味の制限。
あまりストレスにならない方法で、減量を図ることにした。

もともと人並以上に食べる私は、何かを食べるときは“大盛・大食い”が当り前。
世間の“一人前”は、私にとっては“半人前”。
プラス、甘いものが大好き。
しかも、仕事柄、食べる量と食事時間は極めて不規則。
少食が続くときは続き、大食が続くときは続く。
しかし、これがプチ肥満の原因と判断した私は、大盛・大食いはできるだけやめ、食べる量もできるだけ平準化することに。
また、食事時間も、できるだけ規則正しくすることを心がけた。

しかし、世の中には、それを邪魔する誘惑が多い・・・
仕事柄、休憩のタイミングは自己裁量に任されているわけで、財布がゆるすかぎり好きな時間に好きなものが食べられる。
しかも、街には、ありとあらゆる食べ物屋がある。
高級なレストランに入らなくても、美味しいものは食べられる。
また、わざわざケーキ屋に行かなくても、コンビニやスーパーにも美味しそうな甘味はズラリと揃っている。
街では、食べ物を得るためのハードルは極めて低い。
しかし、この誘惑だらけの実情が、ダイエットのハードルを上げている。

高尾山に出掛けたときも、団子やソフトクリーム等々、たくさんの甘味が私を誘惑した。
身体をハードに動かしている最中だから、特に欲しくなる。
それでも、私は耐えた。我慢した。
買いたかったけど、買わなかった。
しかし、大山に出掛けたとき、登山口の参道に並ぶ店にあった塩豆大福にはやられてしまった。
塩豆餅を餡にグルリと巻いた容姿は、他所では見たことがない。
白い餅肌の中からのぞく甘そうな餡・・・そのグラマーな姿に、私の視線は釘づけ。
その隣には、カロリーの低そうなワラビ餅が並び、私を誘惑してきたが、彼女(?)は柔肌のスレンダー美人。
「どっちにしようか・・・」
私は、しばし悩んだ。
ただ、立ち止まった時点で、肝心の“食べずに帰る”という選択肢は消えていた。
中年男が店の前に立って、いつまでも二種類の和菓子をガン見している姿は、妙だっただろう。
結局、肉食系男爺はグラマーな方を選び、“ロール大福(正式な商品名は不明)”を買った。悩んだわりに、たった一個。
そして、二口くらいでいける大きさの餅を、何口にも分けて味わったのだった(すんごく美味かった!)。

プチダイエットを始めたのは9月末頃。
たまに大食いをすることもあった。
我慢できずに甘味に手をだすこともあった。
減酒はできても禁酒はできていない。
それでも、10月・11月と策を講じて、結局、体重は5kgくらい減った。
体重を計るタイミングによって1~2kgの上下はあるけど、4~5kgは落とすことができた。
つい先日、スーパーで5kgの米を買ったことがあったが、それをリュックに背負って歩いたときは、
「これくらいの贅肉が降ろせたのか・・・」
と深い感慨を覚えたのだった。
しかし、標準体重まではもう一歩。
年末年始の飲食がネックだけど、まだしばらく、このプチダイエットを続行するつもりである。

そもそも、ダイエットができるなんて幸せなこと。
世界には、私のように食べられることが当り前の人と、そうでない人がいる。
太らないため、痩せるための努力が必要な人と、食べるためにいくら努力しても満足に食べられない人がいる。
そして、世界には、後者の数のほうが圧倒的に多いという。
人と比べて自分の幸運度・幸福度を測るのは大嫌いだけど、“食べることを我慢するツラさ”と“食べられないツラさ”を比べたら、後者のほうがはるかにツラいと思う。
しかし、飢餓も貧困も他人が代わることはできない。
ただ、無関心にならないこと、微力でも手を差しのべることはできる。
また、我々は、動物・植物といったものの“命”をいただいて生きているわけで・・・どんな食べ物でも、感謝の気持ちをもって大切に食べなければならないと思うのである。


先日の11日(木)は、チビ犬の月命日だった。
昨年3月から週休肝二日を続けている私だが、もともと、この日は“飲んでいい日”にしていた。
仕事帰りに肴を買い、風呂に入り、普段と変わらない晩酌をはじめた。
翌朝の不快感を抑えるため、いつもならホロ酔手前くらいでやめる私。
しかし、この日は、飲むスピードが衰えず。
想い出を肴にしたわけではなかったのだが、結構な深酒に。
そして、人恋しくなったのか(?)私は、ブログのコメント欄を検索。
死んだチビ犬について書き込まれたコメントを開けてみた。

見ず知らずの人にも、私と同じような経験をした人、似たような苦悩を抱える人がたくさんいる。
見ず知らずの人が、私なんかに優しい言葉・労いの言葉・励ましの言葉をかけてくれる。
更に、文字になって現れてこなくても、どこからか伝わってくる誰かの想いがある。
愛、情、優しさ、思いやり・・・人の温かさは身に沁みる。
心が冷えているときは、尚更、人の温かさが身に沁みる。
私は、チビ犬がいない寂しさと、人の優しさと、深酒の酔いが合わさり、気持ちが高ぶって一人で大泣きしてしまった。

「人と喜びを分かち合うと倍になる、悲しみを分かち合うと半分になる」
という言葉を聞いたことがある。
正直なところ、これまでは、あまりピンときていなかった。
けど、今回、少しわかったような気がする。
訳はわからないけど・・・
傷んだ気持ちが少し癒され、沈んだ気分が少し浮き、重い心が少し軽くなったから。

ながく私に棲む弱虫と泣虫は、一生駆除できないだろう。
でも、もう駆除する必要はない。
弱虫だから痛みがわかり、弱虫だから戦えるのだから。
泣虫だから後に笑え、泣虫だから笑顔に感謝できるのだから。

ブログ初期の頃、
「遺族が故人(遺体)との別れる際に、“ありがとう”“ごめんなさい”と声をかけることが多い」
「だったら、生きているうちから、その気持ちを伝えたほうがいい」
といった記事を載せたことがあった。
あれから何年も経つけど、その思いに変わりはない。
ただ、人間はシャイな生き物。
そして、“明日がある”と勝手に思ってしまう生き物。
だから、実行に移すのが、なかなか難しかったりする。

それでも、私は伝えなければならない・・・
戦う仲間へ・・・
「ありがとうございます」
「がんばります」
「これからも・・・」


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