特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

板ばさみ

2022-03-30 07:38:39 | 腐乱死体
東京で桜の開花が宣言されたのは、3月20日。
あれから一週間余、あちらこちらで桜がきれいに咲いている。
なのに、私の精神は、深く沈み込んだまま。
特に、この一か月余はヒドい状態。
孤独感・疲労感・虚無感・絶望感・倦怠感・緊張感・不安感・・・心の中にあるのはそんなモノばかり。
そんなモノと、元気になりたい自分との板ばさみで、苦しんでいる毎日。
「こうしてブログが書けているうちは、まだ軽症」「まだ余裕がある」という見方もできるかもしれないけど、自分の中では、かなり危ないところまできているという感覚がある。
そして、「これが“鬱病”というヤツの恐ろしさか・・・」と、今更ながらに思い知らされている。



腐乱死体現場が発生。
電話をしてきたのは高齢の男性。
知らされた住所は、郊外の街。
建物は分譲マンションで、故人所有のよう。
亡くなったのは男性の兄で、自宅での孤独死のようだった。

男性は、部屋に入って状況を確認したよう。
ただ、慌てたような様子はなし。
遺体系汚染については、「布団が少し汚れている」とだけ説明。
私は、男性の様子から、発見が早く、特段の汚染異臭もない状況を想像。
現地調査予定は、男性の都合により、その数日後となった。

しかし、間もなく、事態は急変。
その翌日、再び男性から電話がかかってきた。
用件は、「周りの人が文句を言ってきてるらしいから、急いで、何とかしてほしい!」というもの。
いまいち、その状況が飲み込めなかった私が苦情の原因を問うと「悪臭」とのこと。
更に質問を続けると、「部屋がクサいものだからベランダ側の窓を開けっぱなしにしている」という。
てっきり、現場の状況を“ライト級”だと思っていた私は、”ミドル級”に格上げ。
そして、「とにかく、できるだけ早く来てほしい!」との要請に、その日の夕方、現地に急行することにした。

到着したマンションは利便性の高い街中にあった。
多くの世帯が暮らす大規模マンションで、現場は上の階。
私は、下に到着した旨を知らせるため男性に電話。
すると、男性は、既に部屋に入っており、1Fエントランスのオートロックは開錠してくれた。

凄惨な状況なら、とても室内で待っていることはできないはず・・・
ただ、男性は、部屋にいるよう・・・
ということは、軽症なのか・・・
しかし、そんな中で、苦情をよせる近隣住人・・・
一体、現場は、どういう状況なのか・・・
「酷い? 酷くない?」「クサい? クサくない?」
整合しない状況を怪訝に思いながら、私はエレベーターに乗り込んだ。

「著しい」とまではいかないものの、玄関を開けると、私の鼻は、妙な悪臭を感知。
男性が市販の消臭芳香剤を手当たり次第に撒いたようで、腐乱死体臭とそのニオイが混ざり、妙に不快なニオイに。
併せて、その液剤によって床は濡れた状態。
それでも、男性は、スリッパも出してくれず、私は、仕方なく、濡れた廊下を靴下のまま爪先立ちで奥へと進んだ。

「ここなんです・・・」と、男性が指さした和室を見ると、そこには、「いかにも」といった具合の、“汚腐団”が敷かれ、“汚妖服”が放置されたまま。
当然、相応の悪臭も発生しており、少な目ではあったもののウジも発生。
こんな状態で窓を開けっぱなしにすれば、悪臭が外に漏れるのは当たり前で、周辺の部屋から苦情かくるのも当たり前。
慣れないクサさに窓を開けた男性の気持ちもわからなくはなかったが、やはり、それはやってはいけない。
しかも、ただの悪臭ではなく腐乱死体のニオイなのだから尚更だった。

“ポツンと一軒家”(商標侵害?)ならいざ知らず、こういう現場では、玄関や窓を開けないことは鉄則。
換気扇も回してはいけない。
言うまでもなく、その理由は、異臭を漏洩させないため。
ニオイを嗅いでしまったことが原因でノイローゼになったり、精神を病んだりしてしまう人もいる。
実際、異臭が原因で、“遺族vs近隣住民”で大揉めしたような現場はいくつもある。
だから、目に見える汚物だけでなく、目に見えないニオイも、慎重に扱ことが重要なのである。

しかし、男性は、反省するどころか、
「窓を開けようが閉めようがこっちの自由!」
「騒音や振動ならいざ知らず、そんなことまでとやかく言われる筋合いはない!」
「そんなの、マンションの規約にはないでしょ?」
といった調子。
確かに、“ヘビー級”の現場ではなかったし、外に流れているのは著しい悪臭でもなかった。
が、それは、腐乱死体臭。
身内と他人では感覚か異なるし、「鼻が我慢できても精神が我慢できない」ってこともよくある。
前記の通り、「腐乱死体臭」というヤツは、一般のゴミ臭や糞尿臭とは異なり、精神にダメージを与えやすい。
故人に対して悪意はなくても、気持ち悪いものは気持ち悪い。
「同じマンションの住人同士、お互い様の精神で我慢して下さい」なんて、とても言えるものではなかった。


異変に気づいたのは、マンションの管理人。
当初、集合ポストにチラシや郵便物がたくさん溜まり始めていることに気づいた管理人。
それを不審に思わなくもなかったが、現代は、プライバシーを重視する世の中。
余計なお節介を焼いて顰蹙を買いたくはないし、正規の職務でもない。
だから、そのまま放っておいた。
結局、高齢無職だった故人の死に気づく人はおらず、結果、その肉体は溶解しはじめるまで、放置されたのだった。

孤独死・腐乱といっても、人が一人亡くなったことに変わりはないわけで、一般的には、哀悼の意を示すのが礼儀。
遺族に、直接は文句を言いにくい。
また、反感をかったり逆恨みされたりしても困る。
結局、近隣住人は、遺族と対峙することを避け、苦情を管理人にぶつけた。
一方の管理人は、立場的に、故人の尊厳や死の重みを近隣住人に話して、文句を言わないよう諭すわけにもいかない。
管理人にとってマンション住人は“お客様”なわけで、平たくいうと、余程のことがないかぎり、「たてつけない」わけで。
しかし、そういう管理人だって、なかなか遺族には言いにくい。
で、管理人は、近隣住人の声を私から男性(遺族)に伝えてほしいと要望。
専門業者の意見なら男性も聞く耳を持つのではないかと期待されたのだった。

一口に「マンション管理人」と言っても色んな人がいる。
大半は、事務的な人。
このタイプは、可もなく不可もなく、無難に仕事をこなしている。
ありがたいことに、中には、こちらの立場を考えて親切にしてくれる人や紳士的に接してくれる人もいる。
そういう人は、物腰が柔らかく、あまり細かいことを言わず、こちらが仕事をしやすいように協力してくれる。
しかし、残念ながら、その逆の人もいる。
業者に対して、上から目線でモノを言ってくるような横柄な人だ。
最初から命令口調でタメ口をきく人も多く、イラッとくる。
ずっと前にブログにも書いたけど、私は、堪忍袋の緒を切ってしまい、マンション管理人とケンカをした現場もあった。

幸い、ここの管理人は、紳士的で親切な人。
私の話にもキチンと耳を傾けてくれ、特殊清掃に関する話題で話が核心に近づくと、
「こんなこと訊いたら失礼かもしれませんけど・・・」
と前置きした上で、私に質問。
そこには、野次馬根性や好奇心があったと思うけど、人柄の良さの方が勝っており、私にとっては、まったく許せるレベルで、
「何でも遠慮なく訊いてください」
と、快く応じることができた。

私が、
「誰しも、いつかは死ぬ」
「それが、たまたま自宅で、たまたま発見が遅れただけのこと」
「本人(故人)に悪意はない」
といった類の話をすると、管理人も大きく同意してくれた。
ただ、だからと言って、近隣に対する配慮は必要。
で、結局、私は遺族に対して、管理人は近隣住人に対して、それぞれの立場で対応することになった。

お互い、“遺族vs住人”の板ばさみになるような局面もあったが、質問してくる住人には、管理人が丁寧に応対してくれたようで、苦情等が私のところまで波及してくることはなかった。
一方、男性(遺族)の方も、聞き分けはよくなかったものの、汚れモノを撤去した後は悪臭もかなり低減したうえ消臭作業も順調にでき、周囲への問題は早々になくなった。
結局、管理人と良好に付き合えたおかげで、情報が錯綜することもなく、錯誤も誤解も発生せず、その後は、問題らしい問題は発生せず。
そうして、作業は無事に終了。

我々は、
「大変お世話になり、ありがとうございました!」
「こちらこそ」
「何かと親切にしていただいて、スムーズに仕事ができました!」
「どういたしまして・・・またのときもよろしくお願いします」
「ま、でも、こんなことは二度と起こらない方がいいですけどね・・」
「そりゃそうですけど、このマンションは、高齢で一人暮らしの人も多いし・・・人は いつ死ぬかわかりませんからね・・・」
といった言葉を笑顔で交わし、腐乱死体現場跡には似つかわしくない清々しい気分で別れたのだった。


仕事と家庭、親と配偶者、上司と部下、会社と客、本気と浮気、理性と悪性等々・・・
俗世を生きていくうえで、何かと板ばさみになることは多い。
私も、今、とある欲望と とある願望の狭間にあって、気持ちが揺れ動いている。
欲望は自分次第でどうにでもなるが、いつまでも満たされることはなさそう。
一方、願望は、自分次第でどうにかなるものではないけど、実現すれば大いに満たされるかもしれない。
どちらに軸足を置いた方がいいか、どちらに置くべきか、迷い悩んでいる。

ある意味、“生きる”ということは、生と死の板ばさみになっている状態なのかもしれない。
更に、そこにある、欲望と願望の板ばさみになり、上記のような俗世の板ばさみになり、喜怒哀楽、泣き笑いの中で右往左往し七転八倒する。
時に、非常に苦しい状態に陥る。
それが、人間が生まれ持つ“罪過”であり“業”であるのか・・・
残念ながら、私は、「死」というものの他に、ここから抜け出す方法を思いつかない。

私は、このブログを書くにあたり、「読んでくれる人に生きる勇気を与えている」なんて勘違いはしていないつもり。
ただ、その根底に「生きろ!」というメッセージを流しているつもりはある。
自分が、どんなに弱く、どんなに愚かであっても、そんなことは顧みず。
それが今、何とも窮屈で息苦しい毎日にあって熱量を失いつつある・・・
やっとの思いで一日を生きて残るのは、強い疲労感と重い虚無感のみ。
「助けてくれ!」と、このところ、毎日のように、心がうめくような始末なのである。

「余計なことを考えるのはよせ!」「もう、それ以上考えるな!」
と、気分が沈むたびに自分に言い聞かせる。
が、自分の心は、そう簡単に言うことをきかない。
考えても仕方がないこと、余計な考えが、どうしても頭を過ってしまい苦悩してしまう。

ただ、そう遠くないうちに死なせてもらえる日がくる・・・
そう遠くないうちに死ななきゃならない日がくる・・・
それで、この世のことは全部おしまい。
すべては過ぎ去り、すべてから解放される。
苦しかろうが楽しかろうが、それまで、バカになって一日一日を生きるしかないか・・・

「バカになれ!」
「そうだよな?」
「それでいいんだよな?」
もともとバカだからこんなことになっているクセに、私は、自分にそう言って、後悔の昨日と不安の明日の板ばさみになっての苦しみを、少しでもごまかそうとしているのである。



-1989年設立―
日本初の特殊清掃専門会社
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

空回り

2022-03-15 07:00:32 | 腐乱死体
自然のあちらこちらで春の息吹が感じられる今日この頃。
優しい暖かさに癒されている人も多いのではないだろうか。
しかし、季節を逆行するかのように、私のメンタルは悪化。
多少の浮き沈みはあるものの、ほぼ四六時中、緊張状態が続き、息苦しさや動悸も頻発。
当然、気分もずっと落ち込んだままで、永遠の暗闇を彷徨っているような気分。
特に、毎朝、明け方は、一日のうちでも最悪の時間帯。
ここで文字にするのも躊躇われるくらいの感情に苛まれ、危険な状態に陥る。

これまでも、何度も鬱に苦しめられてきた私だが、何とか踏ん張ってきた。
が、ここにきて、元気を出そうとする自分は、完全に空回りするように。
で、藁をもつかむような思いで、この頃は、抗不安薬、いわゆる精神安定剤を服用している。
薬に頼るのは十数年ぶりのこと。
薬を飲んだところで即座に元気がでるものでもないが、「薬は効く!」と思い込むようにしており、そうすると、少しは楽になるような感覚はある。
何の罪過か、何の業か、私という人間は、楽には生きさせてもらえないようだ。

寒々しい時期を過ごしてきたのはメンタルだけでなく、時季もそう。
例年、冬は寒いものだが、今年の冬は特に寒く感じられた。
朝、氷点下になることもざらにあり、とりわけ、雪が、その感覚を強くしたものと思う。
今冬、首都圏では三度、まとまった降雪があった。
一度目1月6日は大雪となり、二度目2月11日も結構積もった。
三度目2月13日は都心の積雪はなかったものの、東京西部はけっこう積もった。
神奈川県の箱根なんて、雪の度にニュースに。
普段は憧れの温泉地・観光地なのだが、降雪により様相は一変。
坂道でタイヤが空回りして動けなくなっている車の映像が、何度も流れた。

当社にも、複数台の社有車があるのだが、使用頻度の高い車には、毎冬、スタッドレスタイヤを装着。
今年と違って、雪が一回も降らない年もあるのだが必ず。
後になってみると、タイヤがもったいないと思うこともあるけど、安全が第一。
事故や立ち往生が起こってからでは遅い。

私も、雪道で恐い思いをしたことが何度かある。
何年も前のことだけど、特殊清掃で福島の浜通りへ行ったときの帰り道と、千葉の山間部に行ったときの帰り道のことが記憶に新しい。
日中はたいしたことなかった雪を甘くみていた私。
しかし、夕方近くになると一気に積もってきて、あれよあれよという間に、辺り一面、真っ白に。
慌てた私は、急ピッチで作業を締め、帰途へ。
スリップするタイヤに車体を左右に振られながら、雪道を走行。
「一度止まったらアウト!」と、ビクビクしながら、ひたすら低速前進。
幸い、その時は、事故もなく立ち往生もせず、無事に、雪道を脱することができたのだが、神経は擦り減り、帰ったときはクタクタの状態だった。

さすがに、もう、積もるほどは降らないと思うけど、やはり、雪の予報を舐めてはいけない。
不要不急の外出予定は変更するのが得策。
また、「備えあれば患いなし」。
冬という季節があるかぎり、スタッドレスタイヤもタイヤチェーンも備えておいた方がいい。
事故の負担を考えれば、そっちの方がよっぽど軽いから。



出向いた現場は、街中に建つ分譲マンション。
その一室で住人が孤独死。
発見までかかった日数は約一か月半。
依頼者は、故人の娘(以後「女性」)。
女性は、何故、一か月半も放置されることになったのかを長々と説明。
ただ、話をまとめてみると、「年金生活で一人暮らしをしていたから」ということを言いたかったよう。
私にとって、それは、あまり必要な情報ではなかったが、業者として好印象を持ってもらうことが大事だった私は黙って応対。
その後、女性と現地調査の日時を約して、最初の電話を終えた。

約束の日時。
女性は、約束の時間になってもなかなか現れず。
時間に厳しい私は、5分を過ぎたところで女性に電話。
しかし、聞こえてくるのは「ただいま、電話に出られません」という機械的なメッセージ。
私は、少し気分を悪くしたが、勝手に帰るわけにはいかず、そのまま待つほかなし。
途方に暮れつつ、そのまましばらくの時間が経過し、結局、女性は、約束の時刻から30分遅れてやってきた。

訊くところによると、電話にでなかったのはバスに乗っていたから。
乗車時のマナーを守ったわけだから、間違ってはいない。
遅れた理由は、バスの遅延。
で、女性は、挨拶もそこそこにバスが遅延した理由を説明。
“もう会えたんだから、今更、そんなことどうでもいいんだけどな・・・”
と思った私だったが、女性があまりに熱心に話すものだから、それを遮るのはやめて話を最後まで聞いた。
ただ、話をまとめてみると、遅延の原因は「ただの工事渋滞」。
最初の電話といい今回といい、女性の個性を垣間見た私は、その後の付き合いが面倒臭いことになりそうなことを予感した。

「死後一か月半」と聞かされていた私は、至極、凄惨な現場を想像。
また、女性が、「恐くて入れない」と言うのも充分に納得できた。
私は、
「一人で中を見てくることもできますから、一緒に入らなくても大丈夫です」
と女性に伝えたうえで、まずは、一緒に部屋前まで行くことに。
女性が開けてくれたオートロックをくぐり、女性の後をついてエレベーターへ乗り込んだ。

玄関前に立つと、まずは、臭気の漏洩を確認。
幸い、そこでは、特段の異臭は感じず。
そして、差し出された鍵を受け取り開錠。
ゆっくりドアを引き、空いた隙間に鼻を近づけると、私の鼻は嗅ぎなれた異臭を感知。
しかし、故人は玄関から離れた部屋にいたのか、または、部屋のドアが閉まっているのか、予想していたほどでもなし。
私は、ドアを更に大きく開け、身体全体で、腐乱死体現場の空気を受け止めた。

そのニオイは、後ろに立つ女性の鼻にも届いたよう。
顔をしかめながら、鼻と口にハンカチを当てた。
私は、そんな女性に、
「じゃ、中を見てきますね・・・」
と言って、一歩二歩と前進した。

すると、女性は予想外の行動に。
「恐くて入れない」と言っていたわけだから、てっきり、女性は玄関の外で待っているものとばかり思っていた。
が、私に着いてそのまま入ってくるではないか。
「大丈夫ですか?入れますか?」
やや驚きながら尋ねると
「あまり大丈夫じゃありません・・・けど、“本当は、一人じゃイヤなんじゃないかな”と思いまして・・・」
とのこと。
“???・・・本当に俺は一人で平気なんだけどな・・・”
突拍子もない言葉に返す言葉はなく、もちろん、「ついて来るな」等という権利もなく、結局、前後並んで、我々は部屋の奥へと進んだ。

遺体があったのは、玄関を入ってすぐ左の寝室。
女性は、故人がいた部屋を警察から聞いており、まずは、そこへ。
私は、女性を遠ざけてから閉まっていた扉を開けた。
すると、異臭のレベルは一気に変わり、高濃度に。
「ちょっと、向こうに行っておいた方がいいかもしれません・・・」
と、女性に声をかけ、部屋に入った。

汚染痕はベッド脇の床にあり、素人目にはわからないだろうけど、人型を形成。
見るも見ないも女性の自由だったし、指図する権利は私にはなかったが、
「ちょっと、ここは見ない方がいいかもしれませんよ・・・」
と、私は、リビングで待つ女性に助言。
もともと、女性は怯えており、衝撃の光景が脳裏に焼き付いて、精神を病んでしまう恐れがあったからだ。
それには、女性もすんなり同意。
ただ、汚染状況を詳細に知りたがり、私に細かな質問を投げてきた。

腐乱死体の汚染を素人にわかりやすく説明するのは難しい。
私が得意とする(?)食べ物に例えるとわかりやすいのだが、それはブログ上でのこと。
依頼者相手に話すのは、さすがに品がない(この仕事に“品格”なんて必要ないかもしれないけど)。
結局、女性は、私の説明が呑み込めないようで、一つ一つの説明に対して、
「どういうことですか?」「よくわかりません!」
といった返事を繰り返してきた。

また、あくまで、主観的な感覚として、
「一か月半のニオイとしては軽い方ですね」
と言うと、女性は、
「え!?これで軽い方!?」と驚いた。
ただ、女性のリアクションは、これだけでは終わらず
「ということは、もっと酷いケースもあるってことですか?」
「それは、どういう状態ですか?」
「どんなニオイになるんですか?」
と矢継早に質問。
ちょっと苛立ってきた私は、
「“百聞は一見にしかず”とも言いますから、実際に見てみますか?」
と言いそうになったが、その言葉は、あまりに不親切なので、吐く前に飲み込んだ。

結局、私は、特殊清掃・消臭消毒を請け負うことになった。
特殊清掃という作業は、一発作業で終わることもあるが、多くは、複数日、または長期間を要する仕事となる。
もっとも時間がかかるのは、「消臭消毒」。
内装建材に染み着いた悪臭を脱臭・消臭する作業は一朝一夕では済まないのだ。
だから、ひとつの現場にも、適宜、何度となく足を運ばせる。
で、「あとはヨロシク頼みます」と、ほとんどは、部屋(家)の鍵を預かる。
本件でも、女性は、部屋の鍵を預けてくれた。
が、大方のケースと違ったのは、作業予定日時を事前に報告する必要があったことと、その度に女性が現場に現れたこと。
正直なところ、「うっとおしいなぁ・・・」と思わなくもなかった。
ただ、「来るな!」と言えるわけもなく、私は、女性が何を意図しているのか、何を考えているのかわからない中で、話相手をしながら作業を進めた。

深夜早朝に電話が鳴ることはなかったけど、女性は、作業のない日も頻繁に私に電話を入れてきた。
はじめは、
「警察から受け取った貴重品の中に、銀行通帳と印鑑がなかった」
というもので、そのとき、私は、
「できるかぎり探してみますね」
と返答。
また、公共料金やクレジットカードの明細書を探すことも頼まれたので、それも快諾。
探し物くらいは“お安い御用”だったから
しかし、事は、それだけでは済まず。
そのうちに、「インターネットのプロバイダーがわからない」「PCの立ち上げ方がわからない」「キーホルダーの鍵束が何の鍵がわからない」「自転車の鍵がない」「公共料金を解約の仕方がわからない」「メールボックスの開け方がわからない」など、色々なことを尋ねてきた。

ほとんどの相談は「そんなの、自分で何とかしてくれ!」と言った類のこと。
世の中には、「背中がかゆい!」と119番したり、「ゴキブリが出た!」と110番したりする輩もいるみたいだが、私にとっては、それに近いものがあった。
そうは言っても、私にとって、女性は“お客様”。
機嫌を損ねられないよう、うまく付き合うのも仕事のうち。
我慢すべきところを我慢し、耐えるべきところを耐えなければならない。
善意的に見れば「頼りにされている」と言えるのだが、悪意的に見れば「便利に使われている」とも言える。
ただ、不思議と、女性に、打算的な図々しさは感じられず。
そのため、一時的には苛立ちを覚えた私だったが、関わっていくうちに、自然と穏やかに対応できるようになっていた。

身内が孤独死して、腐乱死体で発見されるなんてことは、多くの人が経験するものではなく、恐怖感に襲われたのかもしれず・・・
また、最も近い血縁者、相続人だった女性は、故人の後始末をしなければ立場にあってどうしていいかわからず、不安感に襲われたのかもしれず・・・
だからこそ、私に、寄りかかろうとしたのかもしれず・・・
いい方に考えれば、誰かに頼りにされるのって嬉しいもの。
利己主義者の私も、それくらいの善意は持ち合わせていた。


始めの頃は戸惑い、そのうちイラ立ちを覚えるようになり、終わりの頃には女性なりの人間味が味わえるようになっていた私。
不必要なくらい細かな説明は誠意を示すため、
不必要なくらい細かな質問は敬意を示すため、
不必要なくらい細かな相談は信頼を示すため、
そして、最初、無理をしてまで一緒に入室したり、いちいち現場に姿をみせたりしたのは、汚仕事をやる私に対する、女性なりの礼儀と思いやり。
つまり、気持ちを空回りさせていたのは女性ではなく私の方だった。

人の想いを そのままに受け取ること、そして、自分の想いを そのままに伝えることは簡単に思えて、実は難しい。
「素直」の基準は見失いやすく、「自然」の構えは忘れやすい。
どうしても、価値観・感情・願望・打算などが入り交じり、“自分寄り”になってしまう。

その辺のところが、もっとストレートにできれば、私も、少しは人に好かれ、人に必要とされる人間になれるのかもしれない。
人に好かれ 人に必要とされることって、生き甲斐につながることで、元気の源になるものでもあるのだが・・・それが、なかなか難しい。
・・・弱ったおっさんなのである。



-1989年設立―
日本初の特殊清掃専門会社
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

残された時間 ~続編~

2022-03-02 07:00:52 | その他
2022年も3月に入った。
まだまだ朝晩は冷え込むものの、暦の上では、もう春。
晴天に恵まれた昼間には春暖が感じられるようになり、じきに桜の蕾もふくらんでくるはず。
そして、今日は2日。
昨年3月2日に亡くなった“K子さん”の命日。
(※2021年1月26日 1月30日 2月3日「残された時間」参照)
一昨年12月3日に「余命二か月」と宣告された自分の死期について、
「医師も用心して余命は“最短”で言うでしょうから、“桜が見れるかどうか・・・”ってところでしょうかね・・・」
と言っていたK子さんだったが、結局、その命は、桜が咲くまでもたなかった。

当初、この「続編」は、もっと早く書くつもりでいた。
・・・正確にいうと「書けるつもりでいた」。
想いが強すぎるせいか、書きたくても、言葉(文章)として、うまく文字を並べることができず。
薄情な私のことだから、「悲しみに暮れている」とか「心の悼みが癒えていない」とか、そういうことではないのだが、出会ってからのこと、亡くなる前後のことを想い出すと、色々なことが溢れてきて、まったく頭の整理がつかず。
結局、いつまでたっても書くことができず、一年が経過してしまった次第。

出会いは、一昨年、2020年12月9日の電話。
「余命二か月」を宣告された上での生前相談だった。
しかし、抱えている問題に反して、K子さんが、あまりに平然と、また淡々と話すものだから、はじめ、私は「冗談?」「いたずら?」と疑った。
ただ、話は事実であり現実であり・・・その後の関りはブログ三篇に記した通り。
この世での付き合いは、二か月程度の極めて短いものとなったが、同時に、二度と得られないような濃い時間となった。

もちろん、K子さんのことをブログに書くことは、本人も了承済みだった。
2021年1月26日に「前編」をあげると、早速、読んでくれたらしく、翌日には、
「うお!? 
なんかもしかして、ブログに登場してきましたかワタシ!?
なんかすごい嬉しいです。
でも私へのお気遣いは全く無用ですので、お好きなように書いちゃってくださいね!!
お返事はいりませんよ~」(原文のまま)
と、メッセージを入れてくれた。
喜ぶような場面ではないのに、とても喜んでくれたK子さんに、私は、何やら、自分に存在価値のようなものを感じ、場違いも省みず、少し誇らしく思ってしまった。

また、後日には
「私はブログを拝見しながら ずっと“この人とお友達になりたいなぁ”と思っていたことを思い出しました。」
「私が死ぬことで、友人達に何かの芽が発芽してくれたら、こんなに嬉しいことはないなぁと思いました。」(※「一粒の麦」の話から)
とのメッセージを送ってくれた。

最期に会ったのは、宣告された二か月が経過した2021年2月6日の午後。
癌は確実に進行しており、その前に会ったときに比べて体調は明らかに悪化。
それは、K子さんの動作や口調から、ハッキリ見てとれた。
とりわけ、頭(脳)に支障をきたし始めていたようで、著しい物忘れに苦悩。
TVのリモコン操作や冷蔵庫から飲み物を出してコップに注ぐといった、極めて簡単な日常的動作も、ゆっくり考えながらでないとできないくらいに。
それは本人も自覚しており・・・次第にダメになっていく自分を、培ってきた精神力でやっと支えているといった感じだった。

そこでも、色々な話をした。
K子さんについて書いたブログの話もした。
私が、独りよがりであることを承知のうえで、
「とにかく、K子さんに読んでもらいたい一心で書きました!」
「一文字一文字を渾身の想いで打ちました!」
と伝えると、
「ありがとうございます・・・何度も読み返しますね」
と、穏やかな表情で私に礼を言ってくれた。
一方、泣きたいのはK子さんの方だったのかもしれなかったのに、何故か、私の目には、薄っすらと涙が・・・
悲哀?同情?感傷?達成感?独善?、それは、得体の知れない涙だった。

K子さんは、“死”というものについて、私が、どういう概念を持っているのか尋ねてきた。
私は、
「この肉体は、この世の服みたいなもので、“死”というものは、それを脱いで天の故郷に帰ることみたいに思っています」
と応えた。
すると、同意するでもなく反論するでもなく、ただ、
「そうなんですか・・・なるほどね・・・」
と、不思議そうな表情を浮かべ、その後、感慨深げにうなずいた。

「“人生は楽しまないと損”と思いますか?」
と問うと、
「そうは思いません・・・後悔はありますけど、“楽しまなきゃ損”と言う考え方は、何だか薄っぺらく思えますね」
と応えてくれた。
幸せな話の少なかったK子さんだったが、それでも、ここまで生き抜いてきたことに ささやかな誇りを感じ、また、ここまで生かされてきたことに ささやかな幸せを感じているようでもあった。

それまでのやりとりの中で、私が、無神経なくせに神経質な人間であることは充分に伝わっていたはずだったので、
「私に友達がいない理由が少しはわかるでしょ?」
と言うと、
「私は、勝手に友達だと思っていますよ」
と愛嬌タップリに応えてくれた。
私は、素直に嬉しかった。

「死ぬのはいいけど、苦痛だけは困る」
K子さんは、何度もそう言っていた。
“死”への恐怖ではなく、身体的苦痛への恐怖感は強かったよう。
頼みの綱だった麻薬系の薬も効きにくくなり、痛みに襲われたときは、かなり辛かったみたい。
あまりに辛いときは、耐えきれず、規定量を超えて薬を服用。
その効果で、一時的に痛みは軽減するものの、同時に、それは頭(脳)へ大きなダメージを与えた。

「あと、二度でも三度でも会いたいなぁ・・・」
K子さんは、私にそう言ってくれた。
誰かに必要とされることが少ない人生を生きてきた私には、ありがたい言葉だった。
ましてや、K子さんが最期を迎えるにつき、私が役に立つことがあったとすれば、「ここまで生きてきた甲斐があった」いうもの。
ただ、K子さんは、その言葉の後に、
「でも・・・それで死ぬのがイヤになったら困るな・・・」
と、寂しげにつぶやいた。

ときに、時間は残酷なもの・・・
差し迫っている現実は、夢の話ではなく抗いようのない事実なわけで・・・
その言葉に、私は、今までに覚えたことがないくらいの切なさを覚え、返す言葉を見つけられず、その場に流れる静かな時間の中をさ迷うばかりだった。

そんな中で、私は、K子さんに三つのお願いごとをした。
一つ目は、
「亡くなったときは私にも連絡が入るようにしておいてほしい」ということ。
これについては、
「友達に頼むしかないけど、何か方法を考えておきます」
とのことだった。

二つ目は、
「死んだ後、何らかの合図を送ってほしい」というもの。
何という無茶なお願いだろう・・・
フツーなら、かなり無神経、かなり不躾、また、酷な言葉のはずだが、K子さんと“死”を語るのはタブーではなく、“死”は、我々の関係性の中心にあるものだった。
「死んでから、できることなら、何か合図みたいなものを送ってくださいよ」
「ラップ音とか?」
「そうそう!」
「え~!? なんか、恐くないですかぁ?」
「普通だったら恐いでしょうけど、不可解な現象があったらK子さんだと思いますから」
「そうですかぁ・・・」
「(心霊写真のように)スマホの画像に写り込んでもいいですよ!」
「いやぁ~!・・・さすがに、そんな図々しいマネできませんよぉ~!」
と、二人で、真剣な話を冗談のように話して笑った。

三つ目は、
「最期を迎えるにあたって、思いついたこと何でもいいから、率直な想いを言葉にして残してほしい」というもの。
それまでにも、色々な考えや想いを伝えてもらっていたが、まだまだ聞きたいこと知りたいことが尽きなかった私は、以降も、その心持ち吐露してほしくて、そんなお願いをした。
それが、K子さんがいなくなってからも続くであろう自分の人生において貴重な糧になると考えたのだ。
しかし、その後、K子さんの体調は急激に悪化し、メールを打つこともままならない状態になってしまった。

最後に文章らしい文章が届いたのは、2021年2月8日23:12のこと。
「なかなかお返事できなくてすみません。メールが打てなくなったら、次は入力がほとんどできなくなりました。
日々退化しているようです
メール打つのもすごく時間がかかります
このままではめーるすら打てなくなるかもと焦っています
キーボードも日々打てなくなっていて、今現在は退化しているかもです」(原文のまま)

そして、生前最後の言葉は、その少し後、2月9日0:29に受信。
最後に、私に伝えたいことがあったのか・・・
意識が朦朧とする中で、必死の想いでスマホを打ったのだろう・・・
受信したのは「もっといっぱさん」の八文字。それだけ。
一見、意味不明な言葉だが、私には、その意味がすぐにわかった。
「もっと、いっぱい話したかった」
私は、そう受け止めた・・・間違いなくそのはずだった。
元来の薄情者のくせに、その人間性を無視するかのように、私の目には涙が滲んだ。
「“もっと、いっぱい話したい”ですよね? 言葉にならなくても、その想いは伝わってますよ!」
と、私は、すぐにメッセージを返した。
事実、私も、もっとたくさんのことを訊きたかったし、聞きたかったし、話したかった。
が、しかし、もう“K子さん”からメッセージが送られてくることはなかった。

そのまま音信は途絶え、安否がわからぬまま一か月が過ぎ・・・
3月9日の午後、会社に一本の電話が入った。
私宛で、要件は「“K子さん”の件」とのこと。
私は、某腐乱死体ゴミ部屋での作業を終えて、次の現場へ移動するため車を走らせていた。会社から知らせを受けた私には、話の内容が何であるか、すぐに察しがついた。
車をとめ、伝えられた番号に電話をすると、相手は「K子さんの友人」を名乗る女性だった。

K子さんが自宅から病院に移ったのは2月18日。
つまり、「できるだけ自宅に居たい」と言っていた通り、私に最後のメッセージを送ってから、10日も自宅で頑張っていたわけ。
容赦なく襲ってくる苦痛・・・
急速に失われていく自我・・・
日々、医療スタッフが訪れてサポートしていたはずだけど、さぞツラかったことだろう。
癌は脳にまで転移。
モルヒネを打つほかに苦痛を和らげる手はなく、あとは死を待つばかり・・・
その頃は、もう意識も混濁し、自分のこともわからなくなっていたそう。
最期は昏睡状態。
そうして、3月2日、K子さんは、その生涯に幕を降ろしたのだった。

K子さんの死を知った私は、一人、運転席で涙。
音信不通になってから、「もう亡くなったのかもな・・・」と覚悟はしていたのだが、実際に、その知らせを受けてみると、おとなしくしていた感情が噴出。
「悲しい」とか「寂しい」とか、そういうのではなく、「わびしい」「切ない」みたいな感情がドッと沸いてきた。
そして、その、今まで味わったことがない何ともいえない心持ちは、しばらく私の心を支配し、私を感情的にしたり落ち込ませたり、逆に、落ち着かせたり奮い立たせたりした。
また、K子さんと関わるきっかけとなったのは、遺品整理の生前相談だったのだが、遠戚の親族も相続を放棄し、結局、その遺品整理を当社が契約するには至らなかった。

ただ、話は、これで終わりではなく・・・
K子さんの死を知ってから三日後の3月12日8:42、私のスマホがSMSを受信。
なんと、送信元はK子さんのスマホ。
会社にいた私は、「え!?」と、周りの者が振り向くくらい、驚きの声を上げた。
まさか、亡くなったはずのK子さんからメッセージが届くなんて・・・
すかさず画面を開くと、そこには、「書き方かか」の文字が。
おそらく、「もっといっぱさん」と送った後に、「書き方が」と・・・「書き方がわからなくなってきた」と打とうとしたのだろう・・・
しかし、それも最後まで打つことができず、送信ボタンさえ押せず・・・
そんな極限状態になってまで、私に言葉を送ってくれようとしていたなんて・・・
多分、スマホの契約が解除される際に、未送信メッセージが処理されて私に届いただけのことなのだろうけど、私には、それがK子さんに話した“二つ目のお願い事”のように感じられ、あり余る想いに胸がいっぱいに・・・
そうして、それをもって、今生におけるK子さんとの関りは、すべて終わったのだった。


誰の命にも終わりがある。
誰の人生にも終わりがくる。
いずれは、誰しも死んで逝く。
言われなくてもわかっている。
しかし、人間は、どこまでも愚かで、どこまでも無力。
「生きている」という、その奇跡的な希少性を蔑にし、目の前の雑事に心を奪われ、小さなことにつまずき、克己を忘れ、大切な時間を空費してしまう。

K子さんとは、本当に短い付き合いだった。
しかし、とてつもなく濃い時間だった。
そして、本当に稀有な出逢いだった。
多分、この先、こんな出逢いは、二度とないだろう。
仮に、あったとしても、K子さんくらい明るく死と向き合う人はいないと思う。
幼少期から過酷な経験をし、苦労の連続で、辛酸を舐めたことも多々あり・・・
「“よく死なずに生き続けてこれたな・・・”と自分でも思います」と、話していた。
そこには、病魔に襲われ、家も家族(愛猫)も仕事も奪われ、余命二か月を宣告され、それでも、「前向き」という言葉が陳腐に感じられるくらい明るく生きる姿があった。
世間の片隅で、自分の人生を生き抜いた一人の女性の、泣き笑い、幸せと不幸があった。
そこから“一粒の麦”をもらった私は、これからの人生で、それを咲かせ 実らせるべきなのだろう。

私は、「生涯 忘れません」と約束した。
だからでもないが、K子さんのことは、今でもよく思い出す。
目には見えず、耳にも聞こえず、肌にも感じられないけど、どこかで強い味方になってくれているような気がしている。
そして、その度に、透明な空気の中から「かんばって!」と応援してくれる声がきこえてくるような気がするのである。



-1989年設立―
日本初の特殊清掃専門会社
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする