特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

無駄な抵抗

2022-06-29 07:56:02 | 腐乱死体
梅雨入りは遅く、梅雨明けは早く、まだ六月だというのに、連日の猛暑日。
慌てているのは人間ばかりではなく、蝉も土の中で慌てているのではないだろうか。
こう暑いと、当然、現場作業は、キツい!
仕事ばかりではなく、日常生活においても、水不足、電力不足、物価高、念のためのコロナ対策等々、なかなか楽には生きさせてもらえない。
それでも、まだ、ここは平和。
悲しいことに、平和とは程遠い状況にある地域は世界にたくさんある。
 
身近なところではウクライナ。
遠く離れた我が国でも、ニュースにならない日はない。
当初は、ロシアの圧倒的な戦力を前に、数日で終結すると思われていたよう。
しかし、現実は承知の通り。
無駄な抵抗と思われていたウクライナ軍の戦いは、四カ月が経っても続いている。
 
浅はかな考えかもしれないけど、私は、ウクライナの勝利を望んでいる。
クリミア半島を含めて、ウクライナの領土は回復・保全されるべきだと思っている。
しかし、仮に、ウクライナが勝利したとしても、その人的・物的損害は、あまりにも甚大。
ロシア側においても同様だが、取り返しのつかないことだらけ。
ロシア指導者の首くらいでは、何の贖いにもならない。
とにもかくにも、一刻も早く戦争が終わり、復興に向かってほしいもの。
 
とは言え、世界中で起こっている悲惨な出来事のうち、私の目や耳に入っているのは、ほんの一部。
ウクライナことを小事だとはまったく思わないけど、これは、人間がやらかす無数の惨事のうちの たった一つ。
目を覆いたくなるような、耳を疑いたくなるような悲しい出来事は、日本にも世界にも無数にあるはず。
「まったく、人間ってヤツは・・・」
そんなことを考えると憂鬱にならざるを得ず、「“時”を戻せないものか・・・」と思ってしまう。
 
そう・・・人間に“時”を戻す力はない。
しかし、人は、“時の流れ”に抵抗しながら生きているようにも見える。
わかりやすくいうと、「“老い衰え”に対する抵抗」。
三十路を過ぎた頃くらいから、人は、“若づくり”が大好きになってしまう。
男の偏見かもしれないけど、とりわけ、女性はそう。
歳を訊くのは失礼にあたり、当人も、年齢を言いたがらなくなる。
で、トレーニング、美容器具、整形、化粧品、健康食品、医薬品等々、色々なものを駆使。
根底には、「元気で長生きしたい」という願望もあるのだろうけど、まずは、“アンチエイジング”。
「歳には勝てない」とよく言うが、どうあがいても老い衰えには勝てないのに、直向きに抵抗し続ける。
そして、実年齢より若く見られたら、子供のように大喜び。
そのほとんどは、お世辞か社交辞令のはずなのに、それでも加齢に抵抗し続ける姿には、「お疲れ様です」と苦笑いしてしまう。
 
しかし、気持ちが沈んでいるとき、精神が疲れ切っているとき、先に希望が持てないとき、今の努力や忍耐が、すべて無駄なことのように思えてしまうことがある。
「無駄」と思うとやる気はでない。
「無駄」と思った瞬間に諦念にとらわれ心が折れる。
果ては、「“生きる”って、死に対する無駄な抵抗なのではないだろうか・・・」といった考えが頭を過るようになり、「どうせ死ぬんだから生きていても意味がないのでは?」といったところに行きついてしまう。
そうなると、その思考は、短絡的な方向ばかりに傾いてしまい、何もかもが虚しくなってしまう。
 
「生きる意味」って、生きていることそのものでありながら、同時に、人生のプロセス、生涯で起こる出来事に宿っている。
言い換えると、「“死”という結果、つまり、“死には降参せざるを得ない”ということだけに生きる意味が完結するわけではなく、“死に抵抗する”というプロセスにも充分な意味がある」ということ。
“生きる”ということは、“死”に対する無駄な抵抗ではない。
ただ、「楽して生きたい」という欲望のもと、楽に生きようとすることは無駄な抵抗なのかもしれない。
何故なら、人生なんて、もともと、楽に生きられるようなものではないから。
少なくとも、この私にとっては。
 
 
 
とあるマンションで腐乱死体が発生。
調査要請を受けた私は、管理会社の担当者と日時を調整。
当初、遺族は、「行きたくないから任せる」との意向だったが、気になることがあったのか、結局、「同行する」とのこと。
三者で調査日時を調整し、当日を待つこととなった。
 
調査の日。
一足はやく現地に着いた私は、とりあえず、人目につかない建物脇で待機。
ただ、時間もあったので、「先に部屋の位置を確認しとくか」と、目的の部屋の玄関へ。
すると、まだ玄関に着いてもいないうちから、にわかに例の異臭を感知。
風向きによっては、ハッキリと感じられ、
「結構、臭うな・・・」
「これで、よく苦情がこないもんだな・・・」
「これが何のニオイかわからないから何も言ってこないのか・・・」
等と、室内が凄惨なことになっていることを想像しながら、正体不明の悪臭を嗅がされている他住人のことを気の毒に思った。
 
建物前の道路は、住宅地の生活道路なので、車の通りも少なく、人や自転車もまばら。
それでも、時々は、道行く人があり、私は、ぼんやりと、そんな日常を眺めながら、これから入る“非日常”に向かって心を準備。
しかし、良くも悪くも、「慣れ」というものは神経を麻痺させる。
これから、重症が予想される腐乱死体現場に入らなければならないというのに、緊張感や不安感は一切なし。
どちらかというと、道を行き交う人達の日常をみて、平和を感じたくらい。
更に、「早く家に帰って一杯やりたいなぁ・・・」とか「肴は何にしようかなぁ・・・」等と、仕事に関係ないことを考えるような始末。
仕事を舐めているわけではないし、当人の死や遺族の悼みを軽んじているわけではないけど、凄惨な現場に拘束される身体から頭だけでも解放して遊ばせてやると、意外と、それが心を整えてくれることがあるのだ。
 
遺族である老年の男女二人と担当者は、約束の時間ピッタリに現れた。
聞くと、遺族二人は故人の両親。
勝手な固定観念で、故人は老齢、遺族は、その子息または兄弟姉妹だと思っていたので、私は、かけるべき言葉に窮した。
子に先立たれた親の悲しみは、はかり知れないものがあるはずだから。
一方、二人は、とにかく、気持ちが落ち着かない様子。
悪気がないのは重々わかっていたから不快ではなかったが、ぶっきらぼうな態度。
それだけ緊張し、それだけ動揺していることが、痛いほど伝わってきた。
 
急な知らせを受けた両親は、さぞや驚き、嘆き悲しんだことだろう
しかも、発見されたときは、かなり腐敗が進んだ状態で、遺体を厳粛に取り扱うこともできず。
警察署の霊安室で遺体を確認したのは父親だけ。
それも、顔の一部だけ。
警察から、「遺体を見るのは一部だけにした方がいい」と言われたそうで、「部屋も見ない方がいい」とも言われたよう。
その死を悼む余裕もなく、故人の身体は、慌ただしく荼毘に付されたのだった。
 
玄関前に立つと、漏洩した異臭が鼻を突いてきた。
部屋の鍵は、担当者の手にあった。
出しゃばったわけじゃないけど、開錠されたドアを引く役目は私。
そして、志願したわけじゃないけど、先に入るのも私の役目。
私は、ドアを開けて、「失礼しま~す」と、はるかに濃度を上げた異臭の中へ。
薄暗い室内へと歩を進めた。
 
間取りは1LDK。
故人が倒れていたのはリビング。
蛍光灯の白光に照らし出されたその床には赤黒い腐敗体液がベッタリ。
その面積は広く、また、赤と黒のコントラストと脂の光沢が鮮やかで、白っぽいフローリングが、それを更に強調。
眼にも精神にも、インパクトのある光景をつくり出していた。
 
担当者と両親は、玄関前で待機。
私は、目に焼き付いた光景を携えて、再び、三人の待つ玄関前へ。
そして、
「リビングの床が、かなり汚れてます・・・」
「ニオイも強くて、すぐに服や髪についてしまいます・・・」
と、私の身体が連れてきたニオイに目を丸くしながら、怯えるように聞く三人に、中の状態を説明。
その上で、
「中に入るかどうかは、ご自分で決めて下さい・・・」
「ただ、部屋に入ったら、汚染部分を踏まないよう気をつけて下さい」
と注意を促した。
 
担当者は、「写真だけ撮ってきて下さい」と、私にカメラを渡し、入室を辞退。
母親は、「お前は見ない方がいい」という夫(父親)の言うことをきいて辞退。
父親だけは、「どんな状態だろうと、息子の部屋ですから・・・」と入室を決意。
異臭対策のつもりだろう、不織布マスクを二枚重ねて装着。
不織布マスクを一枚つけただけで、平気な顔で入室した私を見て、「二枚重ねれば大丈夫だろう」と判断したのかも。
しかし、そんなの無駄な抵抗。
単に、私が慣れているだけのこと。
あと、重厚な専用マスクを着けるのが面倒だっただけのこと。
実際、著しい悪臭を前に、不織布マスクなんて何の役に立つはずもなかった。
 
使い捨てのグローブとシューズカバーは私が提供。
父親がそれらを着け終わるのを待って、私は、再び室内へ。
その後ろに着いて、父親も入室。
玄関前に比べて、一段も二段も濃度を上げた異臭に父親は怯み気味。
そして、リビングに入り、それを生み出した光景を目の当たりにすると、
「こんなことになってしまうのか・・・」
と、驚きの声を上げ硬直。
表情のほとんどはマスクで隠されていたが、父親が強いショックを受けたことは明らかだった。
 
遺体が腐敗すると、どのように変容していくのか、
また、その痕は、どのように汚れるのか、
遺体が搬出された後には、どのようなものが残るのか、
そんなこと、一般の人が知る由もないことだし、リアルに想像できないのは当然のこと。
以後の生活において、この光景や異臭がトラウマにもなりかねないから、事前に、相応のアドバイスをするのが親切だったのかも。
余計なお世話なようでも、「見ない方がいい」と言った警察のように。
父親は、自らに意思で部屋に入ったわけだから、私には何の責任もないのだが、それでも、私は、父親に悪いことをしてしまったかのような、罪悪感みたいなものを覚えた。
 
「あれを一人で掃除するわけですか・・・」
呆れたのか、感心してくれたのか、はたまた、気の毒に思われてしまったのか、父親は、複雑な面持ちでそう言った。
「いつものことですから・・・」
いつものことながら、頼れる誰かがいるわけでもないし、誰かを頼る気にもならない。
いつも、一人でやるのが当り前。
ひょっとしたら、投げやりな、ちょっとフテ腐れたような感じに受け取られたかもしれなかったが、私は、父親の問いに対して、とっさにそう答えた。
すると、何か思うところがあったのか、父親は、
「仕事とはいえ・・・本当にありがとうございます」
と、まだ何もやっていないのに、真摯な物腰で礼を言ってくれた。
 
 
現場で作業するにあたって「気持ち悪い」「クサい」「汚い」といった感覚は抱く。
しかし、「恐い」「心細い」といった感情は、まず湧いてこない。
故人に対して情を持つわけではなく、感情を移入するわけでもなく、もちろん、使命感が強いわけでもなく、強がっているわけでもない。
単純にそう。
凄まじいニオイも凄惨な光景も、とっくに慣れてしまっている。
自分がクサくなることも汚れることも、承知のうえ。
時々、「きれいになりますからね」と故人に話しかけて折れかかる自分を鼓舞したり、「どんな人生でしたか?」と故人に問いかけて凄惨さを中和したりすることはあるけど、返事があるわけでもないし、霊的な何かを感じているわけでもないから、ほとんどアブナイ奴の独り言。
他に生きていく術がないのだから、こんな仕事でも、丸腰で受け入れるしかない。
好き嫌い関係なく、これに抵抗はできない。
 
それでも、「楽して生きたい」という欲望と、「楽に生きたい」という願望は、いつまでも尽きない。
それどころか、日に日に生きにくくなっているせいか、次第に強くなっているような気がする。
私は、この“無駄な抵抗”を、いつまで続けるのか・・・
ひょっとして、一生続いてしまうのか・・・
どこかで、キッパリ絶つことができればいいのだが、私が私である以上、どうしようもない。
“私”という人間に 元来 備わっている、持って生まれた性質なのだから、どうにもできない。
 
それはそうだとしても、この“無駄な抵抗”に対して、新たな抵抗はできるかも。
楽に生きようとする自分に抵抗してみる・・・
ツラいだけで、何の得もないように思えるかもしれないけど・・・
ただ、それは、無駄な抵抗にはならないだろう。
生きているうちに決着がつかなくても、それは、きっと、生きるプロセスや生涯の出来事に自分なりの意味を持たせ、自分に示してくれるのだろうから。



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修羅場

2022-06-16 10:50:22 | ゴミ部屋 ゴミ屋敷
ゴミの撤去処分について、電話で相談が入った。
声と語気で判断するに、相手は、老年の女性。
また、丁寧な言葉遣いと上品な語り口から、“お金持ちの家の奥様”を連想。
女性は、色々と相談したいことがあるみたいだったが、「まずは、事情をお話ししたい」という。
私は、「必要であれば伺うこともできますから、それもご検討ください」と前置きして、女性の話に耳を傾けた。
 
女性は、自己所有の一軒家で生活。
夫は数年前に死去し、この時は、40代になる娘(以後「当人」)と二人暮らし。
相談の内容は、当人が部屋に溜めたゴミの片付けについて。
しかし、話を聞くにつれ、問題の中核は“ゴミ”ではなく“当人”であることが明るみになってきた。
 
当人は、女性の一人娘。
裕福な家庭だったのだろう、小中、そして、高校も大学も、それなりのところへ進学。
「人並」という言葉は思慮なく使うべきではないのかもしれないけど、人並に成長。
そして、大学を卒業し、とある企業に就職。
父親のコネもあったようで、希望の職種で、しかも名のある企業。
夢と希望に満ち溢れ、その前途は揚々としていた。
 
しかし、ほどなくして、職場の人間関係に揉まれることに。
会社の方針は、「成果主義」の皮をかぶった競争主義で、同僚は「仲間」ではなくライバル。
そして、上司は、「指導管理者」ではなく、手柄は自分に、責任は部下に押しつける上官。
当時は、世の中に、「パワハラ」なんて言葉も問題意識もなく、黙って耐えるのが当り前の時世。
それに耐えられない者は、敗者として辞めていくか、出世コースから外れるしかなく、当人の精神は疲弊していった。
 
精神科にかかっても、薬を飲んでも、根本的な問題が解決しない以上、快方に向かうわけはない。
結局、入社後、一年を待たずして退職。
その後は、働くでもなく、学ぶでもなく、ただ、自宅で寝食を繰り返すばかりの日々。
当人の将来を考えると心配ではあったが、両親は、娘が元気を取り戻すことを一番に望んで、当人の休養生活を容認。
まだ歳も若く、「継続勤務していたとしても、いずれは“寿退社”したはず」と考え、また、「このまま再就職しなくても、いい縁談を探して結婚すればいい」と、楽観的に考えてもいた。
 
両親が、そんな“余裕”を持っていたせいもあったのだろうか、時間が経てば経つほど、当人と社会との距離は空く一方で、次第に、当人は家に引きこもるように。
そして、それは、日に日に深刻化。
当初は、ちょっとしたレジャーや散歩、買い物くらいなら一緒に外出していたのだが、それも減少。
そして、女性の夫(当人の父親)が亡くなったのを機に状況は一変。
女性の願いとは裏腹に、悪い方へ、悪い方へと転がっていった。
 
外に出ることも滅多になくなり、家の中でも、ほとんど自室にこもるように。
当人の部屋は二階の一室だけだったのだが、次第に専有面積を拡大。
いつの間にか、二階はすべて当人の占有スペースに。
そんなことより女性を戸惑わせたのは、当人の、人柄・人格が変わっていったこと。
それまで見たこともないような悪態をつくようになり、耳にしたこともないような粗暴な言葉を使うように。
意見でもしようものなら「クソばばあ!」と、平気で女性を罵った。
機嫌のいいときは一緒に食事をすることもあったが、逆に、ちょっとでも気に入らないことがあると、恐怖を感じるくらいに高圧的な態度をとり、ときには発狂したりもした。
そのうち、二階に上がることも拒み始め、女性は、階段の途中までしか上がれなくなってしまった。
 
食品や食材は、女性が、適当なモノを適当な量、買い揃えておく生活。
三食分だけでなく、菓子や飲料も。
冷蔵庫や棚に買い置いておくと、気ままに下に降りてきては、自分で勝手に調理して二階に持って上がるそう。
ティッシュやトイレットペーパー等の生活消耗品も同様。
たまには、当人が「〇〇が食べたい」「〇〇が必要」とリクエストしてくるようなこともあり、その場合は、それを買ってきていた。
洗濯物は、洗濯カゴに入れられているものを女性が洗濯し、乾いたものを当人が二階に持って上がるといったルーティーン。
ただ、外出着はないわけで、家着・寝間着・下着・靴下・タオルくらいのもの。
労力としては大したことはなかったが、女性にとっては、酷く虚しい作業だろうと思われた。
 
当人は、無職で無収入のため、生活費は、女性が全額負担。
「生活費」と言っても、土地・家屋は自己所有だから家賃がかかっているわけではなく、食費と水道光熱費がメイン。
あとは、医療費・保険料くらい。
外に出ないわけだから現金の必要性はなく、小遣いは渡しておらず。
ただ、ネットで購入されるマンガ書籍・DVD・ゲームソフト等の代金は、女性が払っていた。
また、家賃はかからずとも、土地家屋には税金や修繕費などの維持費はかかる。
女性には、いくからの年金収入があっただろうが、それだけでまかない切れるものではなく、貯えを切り崩しながらの生活であることが察せられた。
 
トイレは二階にあるものの、風呂・洗面所・台所は一階のため、当人は、その用のときだけは一階へ。
以前は、女性に連れられて精神科のカウンセリングに出掛けることもあったが、それも途絶えた状態。
つまり、当人が部屋を出るのは、食事とトイレと風呂のときくらい。
家から出るということはなし。
言い換えれば、「当人の留守を狙って二階を見ることはできない」「強引に二階に上がるしかない」ということだった。
 
当人の部屋をはじめ、二階には、たくさんのゴミが溜まっているそう。
うず高く積み上げられているようなことはないながらも、床は、大半覆われ、所々が見えているくらい。
たまに、当人の部屋を盗み見た女性の話と、当人の生活スタイルを勘案して、私は、部屋の模様を想像。
自分で外に出て何か買ってくることがないわけだから、部屋に溜まっているのは、女性が用意したモノに限られているはず。
つまり、ほとんどが、食品容器・菓子箱・菓子袋・ペットボトル・缶食等の食品系ゴミと思われた。
あとは、衣類や鍋・食器類くらいか。
ゴミの量は定かではなかったが、私が見たところで驚くほどのことではなく、“ありがちなゴミ部屋”になっているものと思われた。
 
一通りの話を聞いた私は、作業が可能かどうか判断しかねた。
また、費用がいくらかかるかも読めない。
具体的に話を進めるには、現地調査が必要であることを女性に説明。
そうは言っても、訪問したところで二階に上がれなければ意味がない。
当人とトラブルになることも避けたい。
考えれば考えるほど心配事がでてきて、それを吐露する様は、どっちが相談者なのかわからなくなるくらいだった。
 
女性によると、「言葉の暴力に耐えられれば大丈夫!」とのこと。
発狂したり暴言を吐いたりするのは日常茶飯事だけど、身体的な暴力に打って出ることはないそう。
何かしらの理性が働くのか、当人は、その一線は越えないらしい。
言葉の暴力にどこまで耐えられるか自信はなく、「殴られなければいい」ということも まったくなかったが、何らかのアクションを起こさなければ次に進めない。
他人に話しにくい家族の問題を打ち明けてくれた女性の期待に応えたい気持ちもあり、現地調査の日時を約束して、とりあえず最初の電話相談は終わった。
 
 
約束した日時に、私は女性宅を訪問。
そこは、「大豪邸」というほどでもないながら、広い土地に建つ大きな家。
寂れた感が強く、庭の手入れや、建物・外構のメンテナンスが疎かになっているのが気になったものの、想像していたより立派な建物。
門のインターフォンを押すと、「お待ちしてました・・・どうぞ・・・」との声。
自分の手で門扉を開け、庭を通って玄関へ。
内側から開いたドアの向こうには女性がにこやかに立っており、私を出迎えてくれた。
 
一階の広いリビングに通された私は、促されるまま、座り心地のよさそうな大きなソファーに腰を降ろした。
女性は、お茶の用意をしてから、ドアを閉め、私の向かい側に。
二階に声が届かないようにだろう、何やら悪い相談でもするかのような小声で
「お電話でお話しした通りのことですけど・・・」
と前置きして、話を始めた。
 
「一人娘」ということもあってか、女性夫妻は当人を溺愛。
「甘やかしすぎでは?」と自認するようなことも多々あった。
「本人のためにならない」と自重したこともあったが、可愛さ余って厳しくしきれず。
「甘やかし過ぎたんでしょうか・・・」
「ワガママな娘に育てたつもりはないんですけどね・・・」
と、女性は、悲しげな顔で、溜め息をつき、
そして、
「小さい頃は、おやつを渡しても“ママと半分ずつね”と言うような優しい子だったんですよ・・・」
「可愛らしかったあの頃のことが忘れられないんです・・・」
と、自嘲気味に微笑んだ。
そこには、この期に及んでも、当人を見放すことも、見捨てることもできない、深い親心があった。
 
親類縁者など、他に頼れる人はいないよう。
行政に相談しても、「プライベートの問題だから・・・」と聞く耳を持ってもらえず。
心ある人の中には、当人の説得を試みてくれた者もいたが、とんだ藪蛇に。
正論や理屈が通用するわけはなく、当人は激怒し、手が付けられなくなるくらい逆上。
誰彼かまわず怒鳴り散らすばかりで、何一つ聞こうとせず。
「警察呼ぶぞ!」と、実際に110番通報し、警察が駆け付けたこともあった。
 
 
女性は、悲壮感が漂うくらいの強い覚悟を持っていた。
「手を出したりはしてきませんから、本人のこと無視して下さい!」
と私に告げると、
「〇〇ちゃん(当人名)、これからそっちに行くよ!」
「もう、〇〇ちゃんの言いなりにはならないからね!」
と大きな声で宣戦布告し、二階への階段を登り始めた。
 
物音から、一階に来客があるのは当人も察知していたはず。
しかし、二階にまで上がってくるとは思っていなかったはず。
いきなりのことで慌てたのだろう、「親に対してそこまで言うか!?」と、憤りを覚えてしまうくらいの悪口雑言を女性に浴びせた。
話には聞いていたし、その覚悟もできていたつもりだったけど、その現実を目の当たりにした私は、不覚にも怯んでしまった。
しかし、そんなの慣れたことなのだろう、女性は一向に怯まず。
ドシドシと威圧するような足音を立てながら階段を登り続け、私も、ややビビりながら、その後に続いた。
 
二階に上がると、すぐに当人が視界に入った。
我々の行く手を阻むように仁王立ちする当人は、「いかにも」といった風貌。
久しぶりに目にする女性以外の人間(私)に、明らかに動揺している様子はあったが、目つきも顔つきも、体形も髪型も、服装も着こなしも、総じて、病的、危険な感じ。
そんな当人と、そんな修羅場に遭遇して導かれた答はただ一つ。
それは、「断念」。
女性の要望が強いことはわかっていたけど、当人を越えて前に進むことはできず。
調査は断念せざるを得ず、自ずと、それは、作業が不可能であることも示唆。
暴言だけでは済まされず、場合によっては、暴力事件、悪ければ刃傷沙汰も起こりかねず、そんなことになったら本末転倒。
女性の期待を裏切るようで申し訳なかったが、無理矢理介入して問題を引き起こすわけにはいかなかった。
 
女性は非常に残念がったが、私の立場も充分に理解してくれた。
で、結局、何の役にも立てないまま引き揚げることに。
帰り際、先々のことについて、役に立つようなアドバイスもできず。
また、気分が変わるような気の利いた言葉を残すこともできず。
私は、自分に対しての後味の悪さだけを残し、惜しまれつつ女性宅を後にしたのだった。
 
 
その後、女性親子がどうなったか、知る由もない。
ただ、悲観的に考えるのは私の悪い癖だけど、女性親子の生活が好転することは想像し難く、また、親子関係が好転することも想像し難く、
それでも、女性は、「娘を守りたい」という母心は持ち続けていくはずで、
しかし、そんな女性だって、確実に年老いていくわけで、そのうち、自分の力だけでは、自分の身も生活も維持できないようになってしまうのは明白で、
そうなると、当人は、どうなってしまうのか、
女性が亡くなって、相続した不動産を金に換えれば、最期まで食べていけるだけの糧は得られるかもしれないけど、社会性も生活力も失くしてしまった当人が、そういった術を使うことができるのか、
病気になったり介護の手が必要になったりしたときはどうするのか、
このまま、朽ちていく家屋の中で、ゴミに埋もれて野垂れ死んでしまうのではないか、
自分が死んだ後、そんな風になることを想像すると、死ぬに死ねない、
老い衰えていくばかりの身体、朽ちていくばかりの家屋、減っていくばかりの貯え、好転の希望が持てない当人の人生・・・女性の苦悩は、察するに余りあるものがあった。
 
 
種類は違えど、精神を病んでいる者としては、私も同類。
そして、引きこもり経験のある私は、一方的に当人を非難できる立場にはなかったし、そんな気も起らなかった。
自分にぶつけきれない鬱憤を女性(母親)にぶつけていい理由にはならないけど、「社会の落伍者」として生きていなければならないことの苦しみは私も理解できる。
非難されても仕方がないことは当人もわかっているはずで、それだけ当人も苦しいはず。
ただ、下り坂で転がりはじめた石を止めるのは簡単なことではない。
いつかは、その気持ちが癒やされる日が来るのか、また、最期までこないのか、誰も知ることができない中で、ただ、一日一日、絶え間なく続く修羅場を、未来志向を捨てて生きるしかなく、まるで、死の際を歩かされるような人生を、死人のようにやり過ごしていくしかない。
 
 
六月中旬、梅雨の候、どんよりした天気が続いている。
梅雨寒の日でも、ちょっと身体を動かしただけで、途端に汗が流れる。
毎年のことながら、この蒸し暑さには閉口する。
とりわけ、一段と体力が衰え、今年は精神も傷んでいるので、一層、堪える。
舞い込む現場も、徐々に修羅場と化してきている。
更に、深刻化する猛暑の夏を想うと、辟易するばかりで、愚痴をこぼす元気さえなくなる。
何もかも放り出して逃げだしたくなる。
 
とにもかくにも、この先も、いくつもの修羅場が私を待っているはず。
まるで、誰かが意図して用意したかのように。
私を打ちのめすためのものか、それとも、一つ一つを乗り越える力をつけさせるためのものかわからないけど、生きているかぎりは、それを受け入れるしかない。
 
ただ、私は、「乗り越えればいいことがある」なんて、安直に受け入れられるような性質ではない。
それでも、「乗り越えればいいことが待っている」という望みは持っていたい。
それが嘘だとはかぎらないから。
本当に、そうなのかもしれないから。
 


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吐気

2022-06-07 07:10:12 | 嘔吐物
「水無月」とも言うのに、六月に入った途端、急な雷雨・豪雨、そして、雹に見舞われるようになった。
今年の梅雨入りは例年より遅くなるようだが、私の精神状態と同様、これから、しばらく、天気・気温ともに不安定かつ不快な日が続く。
私は、もともと、時季に関係なく精神不安定で、年柄年中、虚無感を抱えている人間だけど、このところは、特に気分のUp・Downが激しい・・・
あ、でも、「Downが激しい」と言った方が正確かも。
残念ながら、気分がUpすることは「まったく」と言っていいほどないわけだから。
不眠症も更に重症化し、ここ一か月くらいは、毎晩、変な夢をいくつもみるような始末。
神経質で疑り深い性格が災いしてか、薬の効きもよくない。
時々、朝御飯を食べるときに吐き気をもよおすこともあり、こんな毎日に、嫌気がさしているような始末。
こうして生きていて、楽しいことが何もない、面白いことが何もない。
“こんな日々がいつまで続くのか・・・”と思うと、お先真っ暗、本当にイヤになってくる。
 
雨風しのげる家があり、三食の糧になる仕事があり、衰えてきたとはいえ動く五体があり、退屈に思えるくらいの平和がある。
理屈では、「贅沢な願い」「高すぎる望み」「つまらない欲」だということはわかっている。
「目を向けるべきところが違う」「心の在り方が間違っている」ということもわかっている。
ただ、それが“心”というものの不可思議なところ、“鬱”というヤツの厄介なところ。
どんなに立派な理屈を組み立てて「しっかりしろ!」と揺さぶっても、微動だにしない。
 
吐くまで飲むようなことはないけど、酒量も増えたまま。
「休肝日を復活させたい」と思っていても、酒を前にして、その理性はまったく歯が立たない。
「身体によくない」とわかっていても、「翌朝には鬱状態が待っている」とわかっていても、飲まずにはいられない。
「今夜は飲まないでおこう」と、朝、心に決めても、昼くらいになると その心は完全に折れている。
で、自分に対する言い訳を考え始める。
結局、「今日一日飲んだくらいで病気になるわけじゃない」「今日一日我慢したくらいで元気になるわけじゃない」と、冷蔵庫のウイスキーに手を伸ばすのである。
 
それでも、近年は、割って飲むようにしているから、少しは、身体への負担が減っている・・・と思う。
かつての私は、ウイスキーをロックで飲むことを日常としていた。
咳き込むくらいに濃いヤツを口に含み、舌で転がしながら特有の香りと甘みを楽しんでいた。
そして、それを喉から食道を通して胃に流し込み、五臓六腑に沁みわたらせていた。
その酔いは心地よく、毎晩の楽しみに。
しかし、度数の高い酒は、間接的に肝臓に負担をかける。
そして、胃や食道に直接的に負担をかける。
ほどほどにしておかないとダメなのはわかっていたけど、どうしてもやめられなかった。
 
何がキッカケだったのかは憶えていないけど、あるとき、「このままだと身体を壊すな・・・」
と悟った私は、ハイボールにチェンジすることに。
はじめは薄すぎて口に合わなかったけど、飲んでいるうちに慣れ、今では、美味しく飲んでいる(杯が進むにつれ濃くなっていくのが難だけど)。
とりわけ、たるみやすい胴を持つ中年男にとっては、ビールを飲むより、そっちの方がいいはずだし。
 
先日、「スパークリング日本酒」なるものを、生まれて初めて飲んだ。
“日本酒離れ”を少しでも食い止めようと、酒造元が試行錯誤して商品化したものなのだろう。
私が飲んだのは、とある大手メーカーの一商品。
だから、一概なことは言えないかもしれないけど、まぁ、私の口には合わず!
アルコール度数は5度で、とにかく甘い!甘すぎる!
おそらく、口当たりをよくするために人工的に甘くしているのだろうけど、思わず吐き出しそうに。
しかし、食べ物や飲み物を粗末にするのは大嫌いな私。
とにかく、飲み干そうとがんばった。
が、どうしても口に合わず、二口・三口飲んだところでギブアップ。
結局、そのままで飲み進めることはできず、炭酸水で割ってレモン果汁を足して、ハイボールみたいにして 無理矢理 喉に流し込んだ。
あくまで、個人的な感覚だけど、これがメジャーな酒になるのは難しいと思っている。
 
酔うと、この現実が少し遠ざかるような気がする
イヤなことが頭に浮かびにくくなる
一時でも、気分が軽くなり、鬱気が紛れる。
それが、酒の良さであり、恐さでもある。
しかし、酒が抜けると、ヒドい状態に逆戻り・・・
こんな生活習慣が、自分にとってプラスにならないことはわかっている。
ただの“ごまかし”であることもわかっている。
ただ、心が浮くようなことが他に何もない今の私には、これ以外に策がないのである。
 
 
 
ある日の真夜中、静かに眠っていた電話が 突然 鳴った。
受話器から聞こえてきたのは若い女性の声で、
「ホームページを見たんですけど・・・」
「酒に酔った同居人が吐いてしまいまして・・・」
「“24時間対応”って書いてあるんですが、今からお願いすることはできますか?」
と、かなり慌てた様子だった。
 
女性は、夢中でインターネットを検索して、手当り次第、対応してくれそうな業者に問い合わせたよう。
しかし、色よい返事をしてくれた業者は皆無。
その理由は想像に難くなく・・・
ハッキリ言ってしまえば、嘔吐物の清掃なんて、特殊清掃の中でも雑用中の雑用で、やり甲斐も使命感も見いだせない仕事。
しかも、大したお金をもらえるわけでもなく、更には、真夜中の出動なんて面倒臭くて仕方がない。
業者としては、「やってられるか!」といったところ。
それは、私も同じことで、正直なところ、「面倒臭ぇなぁ・・・」と思いながら、また、うまく断る理由を探しながら女性の話に耳を傾けた。
 
現場は、都内のマンション。
そこの共用通路。
周囲に飛び散った部分があるものの、汚染範囲はそんなに広くなさそう。
ただ、嘔吐物とは言え、侮るのは禁物。
何らかのウイルスが混入している可能性がゼロではないから。
特に、ノロウイルスには注意が必要。
感染力が強く、ちょっとしたことで感染してしまう。
ノロの疑いがある場合は即座に断るつもりだったが、そうでない場合は断る理由もないため、私は、嘔吐の原因があくまで酒であることを、念を押すように女性に確認した。
 
当初は、
「自分でできませんか?」
「そうすれば、余計なお金を使わなくて済みますよ」
と、良心的な装いで親切なアドバイスをしつつ、実際は及び腰だった私。
しかし、
「苦情がきたときのために、“専門業者にキチンと処理してもらった”という事実が必要なんです」
とのこと。
女性は、本当に困っているよう。
また、焦ってもいるよう。
結局のところ、“他に頼れる人がいない”というところに特掃魂が刺激されてしまい、出動することに。
「今が〇時〇分ですから、〇時頃には到着できると思います」
と伝え、閉じたい眼を開け、重い腰を上げた。
 
着いたのは、小規模の賃貸マンション。
出迎えてくれたのは、電話の女性。
やはり、落ち着かない様子。
シ~ンと静まり返った真夜中で、我々は、小声で短い挨拶を交わし、早速、汚染場所へ。
見ると、嘔吐物は、ドア側ではなく柵側ではあったものの、よりによって、隣の部屋の玄関前にベッチョリ。
しかし、マンションの出入口と自宅の位置関係をみると、出入口に近いのは当人宅(女性宅)の方。
つまり、吐き気をもよおした当人は、わざわざ自宅の前を通り過ぎ、隣の部屋の前に着いたところで吐いたということ。
あと、もう少し・・・自宅に入るまで耐えられなかったのか・・・
どうして、他人の部屋の前で吐いてしまったのか・・・
せめて、自室の前で吐けなかったものか・・・
怯えるように汚染個所を見つめる女性が気の毒に思えたことも相まって、まったくの他人事ながらも、私は、悔しいような気持ちでいっぱいになってしまった。
 
女性は、
「隣の人はもちろん、他の住人にも気づかれないよう急いでやって下さい!」
と強く要望。
やけに、他住人から苦情がくることや管理会社から叱られることを恐れていた。
ただ、起こったことはそれなりの事だけと、責任をもって掃除する意思もあり、掃除する手はずも整えたわけで、そこまで心配するようなことには思えず。
それで、私は、
「きれいに掃除すれば大丈夫だと思いますよ」
「念のため、消毒剤と消臭剤も使っていきますし」
と、“おっちゃんに任せとけば大丈夫!”とばかり、カッコつけ気味にフォロー。
すると、女性は、
「他にも、今まで、色々ありまして・・・」
と、気マズそうに口を濁した。
どうも、これまでも、当人は、マンション内で、何らかのトラブルを起こしたことがあるよう。
いわゆる“問題児”“トラブルメーカー”なのか、それも、一度や二度じゃなく、もっと。
しかし、それ以上の話は仕事に必要ない。
女性も話したくはなかっただろうし、私も、愛馬の“野次馬”を馬小屋に入れ、頭を作業の方へ向けなおした。
 
どちらかと言うと、フツーの人が吐き気をもよおすのは、糞便や嘔吐物ではなく腐乱死体のニオイのはず。
しかし、私は、ほぼ平気。
近年では、どんなにヒドい現場でも、重厚な専用マスクを着けることも稀。
その昔、特殊清掃を始めた頃、吐きそうになったことは何度となくあったのに・・・
一方、そんな私でも、人の糞便や嘔吐物のニオイは苦手(苦手じゃない人は少ないと思うけど)。
作業に取り掛かると、嘔吐物特有の酸系の異臭が上がってきて、実際には、吐きそうにはならなかったものの、“オエッ!”となるような不快感に襲われた。
それでも、嘔吐物の清掃なんて、さして難しい作業ではない。
で、ものの30分程度で完了。
痕もニオイも残らず、何事もなかったかのようにきれいになった。
 
作業が終わっての帰り際、玄関先でサヨナラとなって当然の場面だったが、女性は、わざわざ、車までついて来てくれた。
そして、「こんな時間に、本当に助かりました!」「ありがとうございました!」「お気をつけて!」と、私を見送ってくれた。
小さなことだけど、そんな心遣いが自然にできる女性が、私の眼には、一人の“女性”としても 一人の“人間”としても魅力的に映った。
一方の当人は、部屋でダウンしたままだったようで、終始、姿を現さず。
玄関には、男物の靴とサンダルがあったのだが、女性は、「夫」「主人」とか「ダンナ」とは言わず「同居人」と言っていたから、正式な婚姻関係ではなく「同棲相手」ということだろう。
そんな当人に、「酔って吐いた」ということだけで“ダメ人間”の烙印を押すのは、あまりに軽率だし、そもそも、この私も、当人を非難できるような人間ではない。
 
駅のホーム、友人宅の和室、タクシーの窓外・・・若かりし頃のこととはいえ、私も、飲み過ぎて吐いたことが何度かある。
本来なら自分で掃除すべきところ、どこもすべて、誰かが掃除してくれたわけで・・・
私は、一筋の汗も流さず、一円も金も出さず、一言も謝罪せず・・・
「若気の至り」なんて、何の言い訳にもならないことは明白で・・・
本当に、ダメな人間だったし、ダメな人間のまま歳をとってしまった。
私は、そんな複雑な心境を抱えつつ、好印象の女性と、勝手に悪い印象を抱いた当人を天秤にかけ、「若くてチャンスがあるうちに男を選びなおした方がいいかもよ」と、バックミラーに映る女性につぶやきながら現場を後にしたのだった。
 
 
私は、元来、内気でネクラな性格。
それに輪をかけるように患ってしまっている鬱病。
そんな人間と一緒にいて楽しいわけはなく、愚痴をこぼし、弱音を吐く相手もおらず、それを親身に聴いてくれる者もいない。
今は、読んでくれる人の精気まで吸い取ってしまいそうな陰気なブログになってしまっているけど、私にとって、ここは心情を吐露できる場でもある。
また、自分を客観視し、わずかでも冷静さを取り戻すためのツールにもなっている。
こんな みっともない姿を晒しても、「人に読まれて恥ずかしい」という気持ちはない。
そんな虚栄心を持てるほどの元気もない。
 
この先、どこまで持ちこたえられるかわからない。
どこかで潮目が変わるのかどうかも、立ち直れるのかどうかもわからない。
ただ、私が吐く弱音も、こぼす愚痴も、それはそれとして、何かの種に、何かの肥しに、何かの糧にしてもらえれば、私も、少しは、ここに存在している価値があるというもの。
 
今は、それにすがって生きていくしかないのだろう。
私には、まだ、人が生涯をかけて見るべきものが見えていないような、聴くべきものが聴こえていないような、感じるべきことが感じられていないような気がするから。
そして、生きている意味、存在している価値を完全に否定するには、まだ早すぎるような気がするから。


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